「遺伝子とは何か?」
中屋敷均「遺伝子とは何か?―現代生命科学の新たな謎」について。
今さら「遺伝子とは何か?」って、そんなことはとっくにわかっているじゃないか、という反応が多いだろうと予想される、とまえがきにしっかり書いてある。
さらに言えば、遺伝子という語は、生物のそれからは独り立ちして、いろんな分野で使われ、子供でも口にするぐらい一般化している。
しかし著者によれば、専門家からすれば、遺伝子というのは解らない存在なのだそうだ。
一般人の理解では、遺伝子と言えばDNA(この言葉も本来の意味を離れていろんな文脈で使われる)だということになりがちだが、これは2つの意味で誤解と言える。まず、DNAは遺伝子を保存する化学物質であって、遺伝子そのものではない。そしてもう一つは、遺伝というものがDNAの挙動だけでは説明できないということ。
本書のページの多くは遺伝研究の歴史に費やされている。
遺伝や遺伝子と聞くと、メンデル、ワトソン&クリックという学者の名前が浮かぶ。
そのメンデルについては、もちろん学校で習う。
修道院にいたというので、メンデルは趣味で生物学をやった素人かと誤解していたが、そういうことではない。ただ当時の学界の中心にはいなかったので、35年間もその業績の重要性が顧みられない結果にはなる。
学校で習うメンデルの法則は、分離の法則、独立の法則、優性の法則の3つだが、学校での説明は、遺伝子とそれがある対になった染色体の存在を前提として、この3つの法則が正しいと説明する。
生物学に統計分析を持ち込んだのは、メンデルが最初だという。
学校の生物学などでは、メンデルのあとは、ワトソン&クリック、すなわちDNAの発見にまで跳ぶのだけれど、もちろん、DNAの発見まで生物学者が何もしなかったわけではない。
本書では、この期間、遺伝現象や発生現象に迫るさまざま研究が行われていたことを紹介する。
染色体の発見と、それが遺伝子の乗り物らしいということが最も大きな前進のように思う。
面白いのは、理論物理学者シュレディンガーが『生命とは何か?』で遺伝物質についても予言を行い、生物学者に大きな刺激を与えていたこと。
そして、DNAの発見に至るわけだが、私は全く知らなかったのだけれど、DNAの二重らせん構造は彼らが突然発見したものではないらしい。
本書によるとDNAを研究していたロザリンド・フランクリン(X線格子解析の専門家)は既に二重らせん像を得ていた。彼女がDNAの構造を明らかにしたという功績をものにできなかった理由は、DNAは二重らせん構造がはっきり見える状態(水が十分にあるとき)とそうでない状態があるため、構造を完全に明らかにすることが主眼のフランクリンは発表に至らなかったのだという。
ワトソン、クリックは、DNAが遺伝子として働くためにはどういう構造が良いのかから考え、フランクリンの研究データを見て(未公表。同僚が持ち出したデータを見せてもらった)二重らせんを確信したという。
さてDNAの構造が明らかになって、遺伝(あるいは発生)現象について化学で説明できるような気になり、さらにはゲノムもすべて解析されて、何もかもわかったような気になった、のだけれど、そうはコトは運ばなかった。
五章以下は、その後の遺伝学・発生学の話になる。
ここからは、ちょっとやっかいな話である。遺伝子を載せるDNAというのに、さてその遺伝子とは一体どういうものなのか、これが一筋縄ではいかないことがわかってきたという。
まず、よくいわれることにDNAのなかで「意味のある」部分(エクソン)は全体の数%、残り(イントロン)はアミノ酸に反映しないというのだが、それでは無意味かというとそうではないという。むしろ遺伝子の発現を制御する機能があるらしい、となると遺伝子とは一体どの範囲なのか、という疑問。
次に、DNAは突然変異を除けば不変とされていたが、DNA修飾と呼ばれる現象があり、どうやら生物(ウィルスも含め)の形を正確に形成するのに、この機構が関わっているらしいと言う話。
そして、「オランダ飢餓の冬」にあるのだが、大変な飢餓状態で出産した場合、子供の形質に影響が出ることは十分考えられることであるが、その子が通常の栄養状態で育っても、孫にも影響が出るのだという。こうなると獲得形質も遺伝しているのではという推測も行われる。
DNAでケリがついた、というのは全くの短慮だったようだ。
今さら「遺伝子とは何か?」って、そんなことはとっくにわかっているじゃないか、という反応が多いだろうと予想される、とまえがきにしっかり書いてある。
さらに言えば、遺伝子という語は、生物のそれからは独り立ちして、いろんな分野で使われ、子供でも口にするぐらい一般化している。
しかし著者によれば、専門家からすれば、遺伝子というのは解らない存在なのだそうだ。
一般人の理解では、遺伝子と言えばDNA(この言葉も本来の意味を離れていろんな文脈で使われる)だということになりがちだが、これは2つの意味で誤解と言える。まず、DNAは遺伝子を保存する化学物質であって、遺伝子そのものではない。そしてもう一つは、遺伝というものがDNAの挙動だけでは説明できないということ。
本書のページの多くは遺伝研究の歴史に費やされている。
遺伝や遺伝子と聞くと、メンデル、ワトソン&クリックという学者の名前が浮かぶ。
まえがき | |
序 章 遺伝学前史 | |
古代ギリシャの「遺伝」 /エイドス(形相)とヒュレー(質料) /前成説と後成説 /後成説の確立 | |
第一章 遺伝学の夜明け | |
ハインツェンドルフ /聖トーマス大修道院 /「植物雑種の研究」 /エンドウの交配実験 /メンデルがもたらしたもの /メンデルの晩年とその後 | |
第二章 「遺伝子」の誕生 | |
埋没の35年間 /染色体説の提唱 /「遺伝子」の誕生 /「Fly room」 /センチモーガン | |
第三章 「遺伝子」の「正体」 | |
"unit-factor"と"unit-character" /タンパク質の時代 /アカパンカビの登場 /バーゼルのミーシャ /タンパク質か、DNAか /「最初のテキスト」 | |
第四章 解き明かされた「生命の秘密」 | |
新しい参入者たち /ワトソンとクリック /「栄光」の光と影 /「非周期的結晶」の正体 /もう一つの背景 | |
第五章 新たな混乱の始まり | |
「ダイヤモンドコード」と「一遺伝子 一リボソーム 一タンパク質仮説」 /「モールス信号」の正体 /三つ葉のクローバーと「ドグマ」の確立 /新たな問題の始まり | |
第六章 RNAが開く新時代 | |
2つのセントラルドグマ /小さなRNA /タンパク質でない酵素 /「RNA新大陸」の衝撃 | |
第七章 DNAを越えた遺伝子 | |
オランダ飢餓の冬 /エピジェネティクス /世代を超える「記憶」 /蘇る「ジェミュール」 /〝遺伝〟するRNA /コラム:プリオンが提示する新しい遺伝子の概念 | |
第八章 遺伝子とは何か | |
ヨハンセンのgen /セントラルドグマ以降の変遷 /遺伝子の単位 /遺伝子制御ネットワークとしてのゲノム /ゲノム進化から見る遺伝子 /個とシステム /エピジェネティクスと遺伝子 | |
終 章 遺伝子に関する一考察 | |
生命のゆりかご /遺伝子の始まり /タンパク質『遺伝子』という奇跡 /情報量から遺伝子を考える | |
あとがき |
修道院にいたというので、メンデルは趣味で生物学をやった素人かと誤解していたが、そういうことではない。ただ当時の学界の中心にはいなかったので、35年間もその業績の重要性が顧みられない結果にはなる。
学校で習うメンデルの法則は、分離の法則、独立の法則、優性の法則の3つだが、学校での説明は、遺伝子とそれがある対になった染色体の存在を前提として、この3つの法則が正しいと説明する。
学校の授業では、メンデルの法則を、Aa×Aa⇒[AA+2Aa]+aa で説明された記憶があるのだけれど、これは結果論にすぎない。
その後の遺伝子研究で、メンデルの法則(独立の法則、優性の法則)は必ずしもあてはまらない場合があること、そしてその原因は対立遺伝子が異なる染色体上にはない場合である(これも遺伝子を措定すればすっきり説明できる)。
メンデルは、そもそも遺伝子の存在を仮説として持っていて、それを説明できるような実験計画を立てたという。
生物学に統計分析を持ち込んだのは、メンデルが最初だという。
実際、メンデルは論文の序言で「同じ雑種型がいつも繰り返し現れるときの顕著な法則性に刺激されて、雑種が後々の子孫でどのように展開するかを追跡するためにさらに実験を行うこととなった」と述べており、すでに法則性について仮説を持っていることを窺わせている。しかし、メンデルが「遺伝の法則」を、ある意味、「特徴が偏った」形質の解析から得たことは、その後「遺伝子とは何か」という問題を含む様々な面で小さくない混乱を生んでいくことになるのだが、詳細は後にして、ここでは立ち入らない。
そしてメンデルの成功にはもう一つの重要な理由がある。それは彼が物理学や数学を深く学んでいたことである。彼は生物の形質が親から子へと伝わる「遺伝」に統計学的な考え方を導入して解析を行った。それはそれまでの生物学にない考え方であり、遺伝学という新しい学問の成立だけでなく、その後の生物学におけるデータ解析の手法などにも大きな影響を与えるものであった。また、こうした統計学的な考え方を導入するためには多数のサンプルを処理する必要があるが、メンデルはそれを怠らなかった。メンデルの研究が歴史に残るものとなったのは、この2つの要素、調査する対象を厳選したこと、そして数学的なセンスを用いて多数のサンプルを体系的に解析したことにあった。
そしてメンデルの成功にはもう一つの重要な理由がある。それは彼が物理学や数学を深く学んでいたことである。彼は生物の形質が親から子へと伝わる「遺伝」に統計学的な考え方を導入して解析を行った。それはそれまでの生物学にない考え方であり、遺伝学という新しい学問の成立だけでなく、その後の生物学におけるデータ解析の手法などにも大きな影響を与えるものであった。また、こうした統計学的な考え方を導入するためには多数のサンプルを処理する必要があるが、メンデルはそれを怠らなかった。メンデルの研究が歴史に残るものとなったのは、この2つの要素、調査する対象を厳選したこと、そして数学的なセンスを用いて多数のサンプルを体系的に解析したことにあった。
学校の生物学などでは、メンデルのあとは、ワトソン&クリック、すなわちDNAの発見にまで跳ぶのだけれど、もちろん、DNAの発見まで生物学者が何もしなかったわけではない。
本書では、この期間、遺伝現象や発生現象に迫るさまざま研究が行われていたことを紹介する。
染色体の発見と、それが遺伝子の乗り物らしいということが最も大きな前進のように思う。
現在なら化学分析で直接たしかめられるような事象でも、この間にはそのような技術がなく、研究者の苦労や誤解がさまざま紹介されている。
面白いのは、理論物理学者シュレディンガーが『生命とは何か?』で遺伝物質についても予言を行い、生物学者に大きな刺激を与えていたこと。
数物系の人は、尤も合理的(節約的)な説明を好む。大筋でシュレディンガーの予言は当たっているのだけれど、実は生命というのは結構無駄なことをやっていて、そこは数物系から見ると不思議。
そして、DNAの発見に至るわけだが、私は全く知らなかったのだけれど、DNAの二重らせん構造は彼らが突然発見したものではないらしい。
本書によるとDNAを研究していたロザリンド・フランクリン(X線格子解析の専門家)は既に二重らせん像を得ていた。彼女がDNAの構造を明らかにしたという功績をものにできなかった理由は、DNAは二重らせん構造がはっきり見える状態(水が十分にあるとき)とそうでない状態があるため、構造を完全に明らかにすることが主眼のフランクリンは発表に至らなかったのだという。
ワトソン、クリックは、DNAが遺伝子として働くためにはどういう構造が良いのかから考え、フランクリンの研究データを見て(未公表。同僚が持ち出したデータを見せてもらった)二重らせんを確信したという。
言うまでもなくワトソン、クリックはDNAの構造を明らかにしたことで、1962年のノーベル医学生理学賞を受賞するわけだが、フランクリンは既に1958年に死去していて受賞の栄誉には浴さなかった。
それだけではなく、フランクリンの貢献についてはワトソン、クリックの論文などには全く触れられておらず、後に大きな問題となる。
さてDNAの構造が明らかになって、遺伝(あるいは発生)現象について化学で説明できるような気になり、さらにはゲノムもすべて解析されて、何もかもわかったような気になった、のだけれど、そうはコトは運ばなかった。
五章以下は、その後の遺伝学・発生学の話になる。
ここからは、ちょっとやっかいな話である。遺伝子を載せるDNAというのに、さてその遺伝子とは一体どういうものなのか、これが一筋縄ではいかないことがわかってきたという。
まず、よくいわれることにDNAのなかで「意味のある」部分(エクソン)は全体の数%、残り(イントロン)はアミノ酸に反映しないというのだが、それでは無意味かというとそうではないという。むしろ遺伝子の発現を制御する機能があるらしい、となると遺伝子とは一体どの範囲なのか、という疑問。
次に、DNAは突然変異を除けば不変とされていたが、DNA修飾と呼ばれる現象があり、どうやら生物(ウィルスも含め)の形を正確に形成するのに、この機構が関わっているらしいと言う話。
そして、「オランダ飢餓の冬」にあるのだが、大変な飢餓状態で出産した場合、子供の形質に影響が出ることは十分考えられることであるが、その子が通常の栄養状態で育っても、孫にも影響が出るのだという。こうなると獲得形質も遺伝しているのではという推測も行われる。
DNAでケリがついた、というのは全くの短慮だったようだ。