"「改憲」の論点"
木村草太,青井未帆,柳澤協二,中野晃一,西谷修,山口二郎,杉田敦,石川健治
"「改憲」の論点"について。
著者はいずれも立憲デモクラシーの会のメンバーという。
こういう難しい問題とは疎遠な私はどういう人たちか良くしらないのだが、木村草太氏は、憲法学者で、先年の安保法制の議論のときにコメンテーターとしてテレビに何度も登場されていたから、私でも知っている。
日本がどういう国で、どういう軍備を持ち、どういうときに武力行使ができるのか、木村氏にはもちろん安全保障についての考えがあるだろうが、論説の運び方は、なるほど法律ってこうでなければというものになっている。
そもそも木村氏は、
また「改憲しても自衛隊は今のまま」という政府説明は、それならなぜ改憲するのかということもあるが、曖昧な部分のある憲法も、戦後日本の歴史の中で国民の受容のしかた、つまり理解のしかたがようやく落ち着いてきたところであるにもかかわらず改憲する、つまり自衛隊の位置づけや役割を明記すると、かえって政府は墓穴を掘ると指摘する。
もちろん国民投票で集団的自衛権行使を認めるという結果になったり、領土・領空・領海外での武力行使も必要があれば認めるとなった場合、つまり米国やロシア、中国などと同程度の「平和」国家で良いということであれば話は別である。
木村氏は、改憲を国民に問うなら、「今までと変わらない」などというインチキで国民を丸め込めた後、条文解釈を自由に変更して実態を変更するようなやりかたではなく、国民の意思がどこにあるのかをはっきりさせるべきだと言う。
憲法というのは国の形を決める、国民との約束であるという。にもかかわらず、国の形は曖昧な形にして(今までどおり)、改憲したとたんに、この条文によれば、この国の形はこうなるというのでは、議論の順序が逆だろう。
私が驚いたのは第三章、元防衛官僚で、内閣の安全保障担当スタッフでもあった柳澤協二氏の次の指摘。
自衛隊を軍隊でないといい、交戦権はないといって、結局は非公式な武力行使しかできないということになっているようだ。
実態としては、自衛隊は諸外国から「軍隊」とみなされていると思う。多くの国民も自衛のための武力を持つことには賛成だろう。それを何とかしたいのなら「今までどおり」の改憲などはやるべきではないだろう。
どこの国でも侵略のために武力を持つなどとは言わない。領土外へ侵攻するときも名目は侵略ではなく防衛のためだし、相手が先に攻撃してきた(というフェイクを用意して)から応戦したので防衛行為であるとするのも常套手段。
結局、日本国はどんなときに武力行使をするのか、それをはっきりと示してもらわないと、改憲の是非など議論のしようがない。
それとも「解釈改憲」は政府が自由に行えることを国民と約束するというのだろうか。
岸田首相が欧米を歴訪し、「安全保障の大転換」を喧伝している。そこには敵基地攻撃ももちろん含まれるし、明示的にではないかもしれないが、「多国籍軍」の一翼を担うというニュアンスがうかがえる。そうなれば交戦権も当然必要だろう。
これほどの「大転換」を憲法改正なしでもできるというのであれば、憲法は骨抜きといって良い。
木村氏が言うように、へたに改憲しようとして国民の賛成が得られなかったならやぶへびになってしまう。
ひょっとしたら解釈改憲をさせたくない、というか、「平和国家」を今まで通り続けたいのであれあば、憲法改正議論で問題点を明確にするというのも一法かもしれない。
国際情勢が緊張を高め、もはや「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」することができない。そうならば前文から改正しなければならないだろう。
"「改憲」の論点"について。
著者はいずれも立憲デモクラシーの会のメンバーという。
こういう難しい問題とは疎遠な私はどういう人たちか良くしらないのだが、木村草太氏は、憲法学者で、先年の安保法制の議論のときにコメンテーターとしてテレビに何度も登場されていたから、私でも知っている。
日本がどういう国で、どういう軍備を持ち、どういうときに武力行使ができるのか、木村氏にはもちろん安全保障についての考えがあるだろうが、論説の運び方は、なるほど法律ってこうでなければというものになっている。
そもそも木村氏は、
……適切に意味内容を画定できない立法は、それ自体、違憲と評価すべきです。そうすると、こうした政府の説明を前提にするなら、存立危機事態条項は、九条違反である以前に、曖昧で意味不明だから憲法違反だと評価されるべきです。
以上のように、二〇一五年安保法制は、集団的自衛権の行使を容認したことになっているのですが、無理をしたため、かなり混乱した状況になっています。
と、曖昧さを許さないという立場である。以上のように、二〇一五年安保法制は、集団的自衛権の行使を容認したことになっているのですが、無理をしたため、かなり混乱した状況になっています。
また「改憲しても自衛隊は今のまま」という政府説明は、それならなぜ改憲するのかということもあるが、曖昧な部分のある憲法も、戦後日本の歴史の中で国民の受容のしかた、つまり理解のしかたがようやく落ち着いてきたところであるにもかかわらず改憲する、つまり自衛隊の位置づけや役割を明記すると、かえって政府は墓穴を掘ると指摘する。
六 自衛隊明記改憲の方法
安倍氏は自衛隊明記の改憲を提案しました。しかし、明記すべき自衛隊の内容は、二〇一五年安保法制を前提とせざるを得ません。このため、かなり複雑な事態が生じます。この点を整理しましょう。
「自衛隊を憲法に明記する」とは、「自衛隊が何をやる組織か」を明記することです。その書き方にはいくつかあり得ますが、いずれも安倍政権にとって厳しいものばかりです。
第一の書き方は、「日本が外国から武力攻撃を受けた場合に防衛活動を行う」と書く方法です。これは、国際法上の個別的自衛権により正当化できる範囲でのみ武力行使を認め、かつ、それを超えた武力行使を認めない書き方になります。 具体的には、日本の領土・領空・領海が攻撃された場合には武力行使するが、過去のベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争のような場合には、日本が空爆や地上軍派遣に参加することはないという内容です。
これは日本国民が広く支持してきた自衛隊の武力行使のラインであり、この書き方で憲法改正を発議すれば可決の可能性もあるでしょう。しかし、これで可決してしまうと、安倍政権が無理をしてまで成立させた集団的自衛権行使容認条項の違憲性が、今の憲法以上に明確になってしまいます。 「集団的自衛権行使は認められない」という国民の意思が、単なる世論調査ではなく国民投票によって明らかになったとなれば、安保法制を推し進めた政権にとって、大きなダメージとなるでしょう。
安倍氏は自衛隊明記の改憲を提案しました。しかし、明記すべき自衛隊の内容は、二〇一五年安保法制を前提とせざるを得ません。このため、かなり複雑な事態が生じます。この点を整理しましょう。
「自衛隊を憲法に明記する」とは、「自衛隊が何をやる組織か」を明記することです。その書き方にはいくつかあり得ますが、いずれも安倍政権にとって厳しいものばかりです。
第一の書き方は、「日本が外国から武力攻撃を受けた場合に防衛活動を行う」と書く方法です。これは、国際法上の個別的自衛権により正当化できる範囲でのみ武力行使を認め、かつ、それを超えた武力行使を認めない書き方になります。 具体的には、日本の領土・領空・領海が攻撃された場合には武力行使するが、過去のベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争のような場合には、日本が空爆や地上軍派遣に参加することはないという内容です。
これは日本国民が広く支持してきた自衛隊の武力行使のラインであり、この書き方で憲法改正を発議すれば可決の可能性もあるでしょう。しかし、これで可決してしまうと、安倍政権が無理をしてまで成立させた集団的自衛権行使容認条項の違憲性が、今の憲法以上に明確になってしまいます。 「集団的自衛権行使は認められない」という国民の意思が、単なる世論調査ではなく国民投票によって明らかになったとなれば、安保法制を推し進めた政権にとって、大きなダメージとなるでしょう。
もちろん国民投票で集団的自衛権行使を認めるという結果になったり、領土・領空・領海外での武力行使も必要があれば認めるとなった場合、つまり米国やロシア、中国などと同程度の「平和」国家で良いということであれば話は別である。
木村氏は、改憲を国民に問うなら、「今までと変わらない」などというインチキで国民を丸め込めた後、条文解釈を自由に変更して実態を変更するようなやりかたではなく、国民の意思がどこにあるのかをはっきりさせるべきだと言う。
七 自衛隊をめぐる改憲発議をするなら
以上を踏まえたとき、自衛隊明記改憲をやるとすれば、どのようにやるべきでしょうか。
まず、自衛隊の任務の範囲を明記することが最低限必要です。また、二〇一五年安保法制の存立危機事態の条文は、意味が曖昧すぎるので、より明確な形で書き直す必要があるでしょう。
次に、国会法六八条の三は、改憲発議を行う場合には、「内容において関連する事項ごとに区分」するように定めています。例えば、九条改正と環境権条項を発議する場合、抱きき合わせ発議はできず、別々に投票しなくてはならないのです。
自衛隊の任務についてですが、 ①「個別的自衛権の行使を認めるべきかどうか」と、②「集団的自衛権の行使も併せて認めるべきか」という事項は、それぞれ区別すべき事項として考えるべきでしょう。個別的自衛権と集団的自衛権とは、目的も行使要件も全く異なるからです。
そうすると、自衛隊明記改憲は、〈第一投票:日本が武力攻撃を受けた場合に、防衛のための武力の行使を認めるかどうか〉と〈第二投票:日本と密接な関係にある他の国が武力攻撃を受けた場合に、一定の条件の下で武力行使を認めるかどうか〉の二つに区分した投票をすべきです。
このように発議をすれば、絶対護憲の人は「両方×」、個別的自衛権までの自衛隊明記に賛成の人は「第一投票〇、第二投票x」、集団的自衛権も認めるべきと考える人は「両方○」と投票すればよく、どのように投票すればいいかは明確になります。 そして、第二投票が否決された場合は、潔く二〇一五年安保法制は修正すべきでしょう。
自衛隊の任務の範囲を曖昧にしたまま改憲発議をしようとする現在の動きは、不適切で危険だと言わざるを得ません。国民投票にかけるのであれば、国民に何を問うのかが明確になるようにして、改憲を発議すべきでしょう。
以上を踏まえたとき、自衛隊明記改憲をやるとすれば、どのようにやるべきでしょうか。
まず、自衛隊の任務の範囲を明記することが最低限必要です。また、二〇一五年安保法制の存立危機事態の条文は、意味が曖昧すぎるので、より明確な形で書き直す必要があるでしょう。
次に、国会法六八条の三は、改憲発議を行う場合には、「内容において関連する事項ごとに区分」するように定めています。例えば、九条改正と環境権条項を発議する場合、抱きき合わせ発議はできず、別々に投票しなくてはならないのです。
自衛隊の任務についてですが、 ①「個別的自衛権の行使を認めるべきかどうか」と、②「集団的自衛権の行使も併せて認めるべきか」という事項は、それぞれ区別すべき事項として考えるべきでしょう。個別的自衛権と集団的自衛権とは、目的も行使要件も全く異なるからです。
そうすると、自衛隊明記改憲は、〈第一投票:日本が武力攻撃を受けた場合に、防衛のための武力の行使を認めるかどうか〉と〈第二投票:日本と密接な関係にある他の国が武力攻撃を受けた場合に、一定の条件の下で武力行使を認めるかどうか〉の二つに区分した投票をすべきです。
このように発議をすれば、絶対護憲の人は「両方×」、個別的自衛権までの自衛隊明記に賛成の人は「第一投票〇、第二投票x」、集団的自衛権も認めるべきと考える人は「両方○」と投票すればよく、どのように投票すればいいかは明確になります。 そして、第二投票が否決された場合は、潔く二〇一五年安保法制は修正すべきでしょう。
自衛隊の任務の範囲を曖昧にしたまま改憲発議をしようとする現在の動きは、不適切で危険だと言わざるを得ません。国民投票にかけるのであれば、国民に何を問うのかが明確になるようにして、改憲を発議すべきでしょう。
まえがき | |||
第一章 自衛隊明記改憲の問題 | |||
はじめに | 木村草太 | ||
一 国際法と武力行使 | |||
二 憲法九条と政府解釈の基本的論理 | |||
三 自衛隊と軍・戦力の概念 | |||
四 日本国憲法の許容する武力行使と国際法の関係 | |||
五 集団的自衛権行使の問題点 | |||
六 自衛隊明記改憲の方法 | |||
七 自衛隊をめぐる改憲発議をするなら | |||
おわりに | |||
第二章 「新九条論―リベラル改憲論」の問題点 | |||
はじめに | 青井未帆 | ||
一 新九条論 | |||
二 政治の力量―議論の前提として | |||
三 文民統制 | |||
四 条文だけの問題ではない | |||
五 どういう国にしたいか | |||
六 問題の大きさ | |||
おわりに | |||
第三章 日本人が向き合うべき戦争と平和のあり方 | |||
はじめに | 柳澤協二 | ||
一 専守防衛を逸脱する安倍政権 | |||
武力で国を守ることの危うさ /どういう説明が欠けているか /改めて考える「専守防衛」という「戦略思想」 | |||
二 北朝鮮のミサイルからいかに守るか? | |||
アメリカの報復という論理の不確かさ /脅威とは何か、どう防ぐか /核を使わない環境をどう作るか /米朝協議の行方 /米朝首脳会談の意義 | |||
三 戦争はなぜ起きるのか、どういう平和を望むのか | |||
戦争と平和の定義 /国家はなぜ戦争するのか /戦争の引き金は恐怖と誤算 /今日の戦争要因 /戦争をだれが止めるか /いわゆる「中国脅威論」について | |||
四 憲法と安全保障 | |||
九条改憲をめぐる真の論点 /安倍改憲で「かわいそう」なのは自衛隊 /憲法は国の姿 | |||
おわりに | |||
第四章 「改憲派」はどういう人々か | |||
一 「護憲」と「改憲」の意味 | 中野晃一 | ||
二 「利益の政治」と復古保守の低迷 | |||
三 新自由主義転換と改革保守の隆盛 | |||
四 革新護憲勢力の退潮と改憲の合意争点化傾向 | |||
五 構造改革路線と「アイデンティティの政治」の到来 | |||
六 安倍の復権と復古保守の主流化 | |||
第五章 「ポスト真実」と改憲 | |||
一 トランプのアメリカ | 西谷 修 | ||
二 「ポスト真実」と戦後的価値の否認 | |||
三 安倍政権の日本 | |||
四 歴史否認と対米従属 | |||
五 世界戦争後の社会原理 | |||
六 憲法第九条と世界の戦後秩序 | |||
七 日本軍の特殊性 | |||
八 対米従属からの脱却 | |||
第六章 解散をめぐる憲法問題 | |||
一 解散権の歴史 | 山口二郎 | ||
イギリス議会政治における解散 /民主主義体制における解散の意味 /解散権乱用の歴史―ナチス独裁と解散 | |||
二 日本における解散権 | |||
戦前の帝国議会 /日本国憲法と解散権をめぐる論争 /自民党政権下の解散 | |||
三 解散権をどう制約するか | |||
第二次安倍政権の権力肥大と解散 /解散権制約の議論 | |||
これからどうするか | |||
第七章 憲法改正国民投票の問題点 | |||
一 プレビシットとしての憲法改正国民投票 | 杉田敦 | ||
レファレンダムとプレビシット /政治家主導の改憲手続き | |||
二 国民投票法の問題点 | |||
改正原案のつくり方 /ゆるすぎる広告規制と厳しすぎる運動規制 /最低投票率について | |||
三 まとめ | |||
第八章 「真ノ立憲」と「名義ノ立憲」 | |||
〇 「政略主義」と立憲主義 | 石川健治 | ||
一 財政統制と軍事力 | |||
一・一 プロイセン憲法闘争(憲法争議)の教訓 [議会による軍事力の統制 /政治的解決と法的解決] 一・二 明治憲法と財政条項 [教訓はどう生かされたか /軍と財政] 一・三 日本国憲法と財政条項 [民主的コントロール /立憲的コントロール /軍と財政] | |||
二 民主化と立憲化の相剋 | |||
国家学(国家機能論)としての財政学 /われわれが税金を払う理由 /「政略主義」への必然的傾斜 /民主化か立憲化か | |||
三 九条のメカニズム | |||
法学的平和主義 /統治機構論の重層性 /正統性の付与・剥奪による統制 /第三層の重要性 | |||
四 憲法への意志 | |||
あとがき | 杉田敦 |
憲法に限らず、すべて法律というものは、まずビジョン(目的)があって、それを実現するためのルールを言葉で表現するものだ。条文解釈が揺れる場合は、目的に則って解釈しなければならない。
私が驚いたのは第三章、元防衛官僚で、内閣の安全保障担当スタッフでもあった柳澤協二氏の次の指摘。
安倍改憲で「かわいそう」 なのは自衛隊
安倍首相は、「自衛隊を違憲という憲法学者もいるから今のままでは自衛隊がかわいそう」という説明もしています。 本当にそうでしょうか。
自衛隊は、すでに何度も海外の治安の悪いところに派遣されています。その際、やむを得ず自分の身を守るために武器を使う権限を与えられてきました。しかし自衛隊は、これまで一発の弾も撃っていません。なぜそれが大切かと言えば、こちらが武器を使えば相手も武器を使ってくる、 それが戦場の現実だからです。そういう状況を避け、現地の人々と敵対せず、結果として一人の犠牲者も出さずに今日までやってくることができたのです。
安保法制では、現地の住民や外国軍を守るための任務が付与されています。これは、相手が武装している以上、武器を使わなければできない任務です。 一発の弾も撃たない自衛隊は、法律の上ではすでに過去のものとなっています。
ところが自衛隊は、部隊として交戦するのではなく、個人として武器を使うことしかできません。安保法制の条文上も、「自衛隊は」ではなく「自衛官は」合理的に必要な範囲で武器を使うことができるが、正当防衛・緊急避難 (刑法三六・三七条)に該当する場合でなければ相手を傷つけてはいけないことになっています。これは、警察官が国内で犯罪の防止や犯人逮捕のために武器を使う条件と同じです。
その結果、政府軍や武装勢力という実質的な軍隊である相手に対して、警察官として武器を使うことになる。軍隊の仕事は相手を殺傷することですが、警察官の仕事は相手を制止したり捕まえたりすることで、殺すことではありません。どんな武器を持っているかではなく、どのように使うかという点で、警察は軍隊に勝てないのです。自衛隊は、極めて危険な状態に追い込まれざるを得ません。
隊員が相手に捕まった場合にも、自衛隊は交戦当事者ではないから「捕虜として保護される資格がない」ということを外務大臣が答弁しています。国際法上、軍隊は自分の意志で殺人をするのではないので、敵の兵士を犯罪者として処罰してはいけない。兵士も、民間人を殺したり文化財を破壊してはいけないという決まりがあります。これは、戦時国際法あるいは国際人道法といわれる規定です。これらの法規が、「交戦当事者ではない」自衛隊には適用されない、という論理です。
安保法制は、自衛官個人の行為としてだけ、武器使用(実質的な戦闘行為)を認めている。そこで、個人の意志で武器を使う、その結果相手が死ねば、殺人という犯罪の容疑者になってしまいます。なぜそうなるのか。 憲法九条が、軍隊の存在と国の交戦権を認めていないからです。
それゆえ、自衛隊に海外で武器を使う任務を与えるのであれば、憲法九条の一項、二項を変えなければならないはずです。それを変えないのであれば、海外に派遣してはいけないのです。その大きな矛盾と向き合うことなく、「自衛隊がかわいそうだから憲法に書いてやる」という姿勢では、かえって自衛隊がかわいそうです。
安倍首相は、「自衛隊を違憲という憲法学者もいるから今のままでは自衛隊がかわいそう」という説明もしています。 本当にそうでしょうか。
自衛隊は、すでに何度も海外の治安の悪いところに派遣されています。その際、やむを得ず自分の身を守るために武器を使う権限を与えられてきました。しかし自衛隊は、これまで一発の弾も撃っていません。なぜそれが大切かと言えば、こちらが武器を使えば相手も武器を使ってくる、 それが戦場の現実だからです。そういう状況を避け、現地の人々と敵対せず、結果として一人の犠牲者も出さずに今日までやってくることができたのです。
安保法制では、現地の住民や外国軍を守るための任務が付与されています。これは、相手が武装している以上、武器を使わなければできない任務です。 一発の弾も撃たない自衛隊は、法律の上ではすでに過去のものとなっています。
ところが自衛隊は、部隊として交戦するのではなく、個人として武器を使うことしかできません。安保法制の条文上も、「自衛隊は」ではなく「自衛官は」合理的に必要な範囲で武器を使うことができるが、正当防衛・緊急避難 (刑法三六・三七条)に該当する場合でなければ相手を傷つけてはいけないことになっています。これは、警察官が国内で犯罪の防止や犯人逮捕のために武器を使う条件と同じです。
その結果、政府軍や武装勢力という実質的な軍隊である相手に対して、警察官として武器を使うことになる。軍隊の仕事は相手を殺傷することですが、警察官の仕事は相手を制止したり捕まえたりすることで、殺すことではありません。どんな武器を持っているかではなく、どのように使うかという点で、警察は軍隊に勝てないのです。自衛隊は、極めて危険な状態に追い込まれざるを得ません。
隊員が相手に捕まった場合にも、自衛隊は交戦当事者ではないから「捕虜として保護される資格がない」ということを外務大臣が答弁しています。国際法上、軍隊は自分の意志で殺人をするのではないので、敵の兵士を犯罪者として処罰してはいけない。兵士も、民間人を殺したり文化財を破壊してはいけないという決まりがあります。これは、戦時国際法あるいは国際人道法といわれる規定です。これらの法規が、「交戦当事者ではない」自衛隊には適用されない、という論理です。
安保法制は、自衛官個人の行為としてだけ、武器使用(実質的な戦闘行為)を認めている。そこで、個人の意志で武器を使う、その結果相手が死ねば、殺人という犯罪の容疑者になってしまいます。なぜそうなるのか。 憲法九条が、軍隊の存在と国の交戦権を認めていないからです。
それゆえ、自衛隊に海外で武器を使う任務を与えるのであれば、憲法九条の一項、二項を変えなければならないはずです。それを変えないのであれば、海外に派遣してはいけないのです。その大きな矛盾と向き合うことなく、「自衛隊がかわいそうだから憲法に書いてやる」という姿勢では、かえって自衛隊がかわいそうです。
自衛隊を軍隊でないといい、交戦権はないといって、結局は非公式な武力行使しかできないということになっているようだ。
実態としては、自衛隊は諸外国から「軍隊」とみなされていると思う。多くの国民も自衛のための武力を持つことには賛成だろう。それを何とかしたいのなら「今までどおり」の改憲などはやるべきではないだろう。
どこの国でも侵略のために武力を持つなどとは言わない。領土外へ侵攻するときも名目は侵略ではなく防衛のためだし、相手が先に攻撃してきた(というフェイクを用意して)から応戦したので防衛行為であるとするのも常套手段。
結局、日本国はどんなときに武力行使をするのか、それをはっきりと示してもらわないと、改憲の是非など議論のしようがない。
それとも「解釈改憲」は政府が自由に行えることを国民と約束するというのだろうか。
岸田首相が欧米を歴訪し、「安全保障の大転換」を喧伝している。そこには敵基地攻撃ももちろん含まれるし、明示的にではないかもしれないが、「多国籍軍」の一翼を担うというニュアンスがうかがえる。そうなれば交戦権も当然必要だろう。
日本の自衛隊には交戦権がないというようなレトリックを相手が理解・納得するとは考えにくい。そして交戦権を認めるとなれば、今までは自己防衛用の小火器に限られていた武装も、通常の攻撃用大火器へ拡大するだろう。
これほどの「大転換」を憲法改正なしでもできるというのであれば、憲法は骨抜きといって良い。
木村氏が言うように、へたに改憲しようとして国民の賛成が得られなかったならやぶへびになってしまう。
ひょっとしたら解釈改憲をさせたくない、というか、「平和国家」を今まで通り続けたいのであれあば、憲法改正議論で問題点を明確にするというのも一法かもしれない。
国際情勢が緊張を高め、もはや「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」することができない。そうならば前文から改正しなければならないだろう。