「暮らしの古典歳時記」

今日は大晦日。
特に大晦日の話題というわけではないけれど、歳末の歳にかこつけて、歳時記について。
といってもいわゆる歳時記は俳句をたしなまない身ではどうにもならない。
とりあげるのは吉海直人「暮らしの古典歳時記」というエッセイ。

71ECKPzzPvL.jpg「古典歳時記」の続編とのことだが、私は前著は未だ読んでいない。
同じようなノリだったら、前著を読んでも良いと思う。かたぐるしくない蘊蓄ばなしである。

本書も前著も、著者が勤める大学のホームページのコラムに書いたことがもとになっているそうだ。

同志社女子大学>研究活動>教員によるコラム
このコラムはネットで公開されていて誰でも読めるから、本を買わないで読む人もいるかもしれない。


「歳時記」というからには、季節に合わせたテーマをとりあげるわけだが、なかなか多彩な分野がとりあげられている。古典というのは、長い歴史の中で残ってきたものだから、それだけの厚さがあるわけだ。

古典といえば、私などは下っても江戸時代だと考えてしまうが、著者はもう少し広くて、漱石はもちろん、宮沢賢治や島崎藤村の話も本書でとりあげている。


どういうものがとりあげられているかは目次を見ればわかると思うけれど、蘊蓄ばなしとしていくつかここに例示してみよう。

まず、正月の話題で、鏡開きの日が、東京と関西で違うのはなぜかというのがある。もともとは1月20日だったものが、徳川幕府三代将軍・家光の忌日が4月20日だったため、月命日の20日を避けたからという。しかし将軍のおひざ元ではない関西では、昔の風習がそのまま継続したのだという。

chihayafuru_04a-7.jpg 同じく正月の話題で、競技かるたの話がある。子供の頃、親から競技かるたというのは、札をものすごい勢いではねるのだた聞かされていたが、それは全日本かるた協会というところのやりかただそうだ。

毎年報道される近江神社のかるた大会、映画(漫画)「ちはやふる」でおなじみのもの。

ゆったりと歌を歌って雅に札を押さえるというのではない、と思っていたら、そういう流儀もちゃんとあって、日本かるた院というところのやりかただという。同じかるたを取りにいって手と手がふれるというような恋ばなが成立するのはこちらだろう。

もっとも、雅に押さえるといっても、競技だったらどんな早わざが行われているんだろう、それも見てみたい気はする。もとが優雅なものでも、競技になったとたん、とんでもない荒業になる。羽根つきとバドミントンとか、まりつきとバレーボールとか、いつから命がけの争いごとになったんだ。


はじめに
 
第一章 新・歳時記
ねずみの基礎補知識/ 新暦になって正月が寒くなった!/ うぐいすの話/ 愁ひつつ岡にのぼれば花いばら(蕪村句集)/ 「夏は来ぬ」をめぐって/ 蛍の文学史/ 秋風の解釈/ 謎だらけのイチョウ/ 冬至と日本人の知恵/ 新しい元号/ 新元号「令和」の出典について
 
第二章 記念日あれこれ
記念日あれこれ/ 正月三日はかるた始め式/ 鏡開きは十一日か十五日か/ いちご記念日(一月十五日)/ 節分(立春の前日)の「鰯の頭」と「柊鰯」/ 二月が二十八日のわけ/ 五月十四日はけん玉の日/ 五月二十七日は百人一首の誕生日?/ 七月七日はカルピスの誕生日/ 八月十三日は「君が代」記念日/ チキンラーメン誕生秘話―八月二十五日―/ 「敬老の日」と「老人の日」/ 十月十日は何の日?/ 十一月五日は津波防災の日(世界津波の日)/ 十一月十一日は何の日?/ 時は元禄十五年師走半ばの十四日/ クリスマス·イヴは十二月二十五日?/ 大晦日の疑問
 
第三章 花島風月を楽しむ
猫の慣用句」/ 「豚に真珠」をめぐって/ 「白熊のやうな犬」とは/ 古典文学と雀/ 都鳥幻想/ 「七つの子」の謎/ 夕方鳴くのは「からす」か「かえる」か/ 蜘蛛の文学史/ 蜘蛛の巣は物の怪の象徴!/ 和泉式部と「鰯」、あるいは紫式部と「鰯」/ 童謡「赤とんぼ」のノスタルジー/ すばるからの連想/ 「案山子」は「かがし」?/ 落語「鼓が滝」
 
第四章 生活の中の古典文学
藤村と林檎/ 「おにぎり」と「おむすび」の違い/ 「卵」と「玉子」の使い分け/ 『源氏物語』と和菓子/ 「桜飯」―所変われば品変わる―/ 百人一首はおいしい/ 「うまい」と「おいしい」/ 「正露丸」の意味/ 絆創膏の呼び方/ くしゃみからの連想/ 人丸は防火の神様?/ 現代に生きる菅原道真/ 「桃栗三年柿八年」の続き/ 本名と号の組み合わせは不可?/ 三行半の真実/ 右と左の話/ 大和魂について
 
第五章 京都文化
近衛の糸桜/ 銀がないのに銀閣寺/ 鞍馬の文学散歩/ 貴船神社で何を祈る?/ 京都における秦氏の重要性/ 小野墓の逸話
 
あとがき
ほかにも雑学の大家なら知っておくべき話題が満載である。
童謡「七つの子」は、私が子供の頃も、七羽の子供なのか、七歳の子供なのかどっちだろうという話があったけれど、作詞者(野口雨情)は「七羽でも七歳でも歌ってくださる方がなっとくされりゃ、それでよござんしょ。」と言ったのだとか。

ちなみに鳥類学者は、カラスは一度に4つぐらいしか卵を産まない、の寿命は10年ぐらいで7歳だったらとっくに成鳥になっている、とどちらの解釈もできないという。

さらに問題なのは「古巣」という言葉で、それは放棄された巣の意味だから、そこで子育てなんかしないということも。
こういう無責任な歌詞をめぐって、「真剣な」検討をすることは、結構、面白いものである。

一番気に入った話は、和泉式部の鰯好きのこと。
これについては該当部分を転載しよう。

和泉式部と「鰯」、あるいは紫式部と「鰯」
 鰯は昔から庶民の食べる安価な魚で、平安朝の貴族が口にするのは卑しいとされていました。ところが紫式部は大の鰯好きで、夫宣孝に見つからないようにこっそりと隠れて食べていたとのことです。実はこの話、もとは紫式部ではなく、和泉式部の鰯好きとして語られていました。それは『猿源氏草紙』という御伽草子に出ています。和泉式部は鰯が大好物で、夫保昌の留守中に焼いて食べていました。
 ある日のこと、夫が出かけたので、いつものように鰯を焼いて食べていたところ、突然夫が戻ってきました。慌てて隠しましたが、帰宅した夫は部屋中に焼いた鰯の匂いがしていたことから、和泉式部が鰯を食べたことを見抜きます。そして、卑しい魚がお好きですねと冷やかしました。すると和泉式部は即座に、
  日のもとにはやらせたまふ石清水
  まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
と歌で反撃しました。この歌は『八幡愚童訓』にある、
  日の本にいははれたまふ石清水
  まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
を利用したもので、決して和泉式部のオリジナルではありません。しかしながら「石清水八幡」に「鰯」を掛け、さらに「参る」に参拝する意味と食べる意味を掛け、それを食べるのは当然だと切り返している点、見事としか言いようがありませんね。だからこそ和泉式部にふさわしいのです。これにはさすがに夫の保昌もたじたじとなり、歌を返すこともできません。そこで和泉式部の肌が潤ってきれいなのは、鰯を食べているからだとお世辞をいいます。この一件以後、和泉式部は堂々と鰯を食べることができるようになったということです。


式部の歌を載せたので、もう一つ、小野篁歌字尽というもの。

  春椿 夏は榎に 秋楸 冬は柊 同じくは桐

説明は不要だろう。

令和二年を閉じる話題としていかがでしたでしょうか。
本書は、肩の凝らない読み物、気楽にどうぞ。

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指を覚えるか、音を読み替えるか

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左から、ソプラニーノ、ソプラノ、アルト
昨日はフルートとオーボエのことでちょっと駄文を書いたが、それで続きみたいなものを。
複数の楽器を演奏するとき、それぞれの楽器の奏法を習得する、それはアタリマエのことだ。
しかし、事が同族の移調楽器だと、ちょっと話が変わる。

その代表がリコーダーだろう。
リコーダーを吹く人は、最低でもソプラノとアルトの2種類を演奏すると思う。
ソプラノはC管、アルトはF管である。

私は何の疑問もなく、アルトを吹くときは、頭の中で移調しながら吹いてきた。
つまり、アルトを吹くときは、楽譜上FだったらソプラノのCの指使いで、楽譜上Cだったら同じくGの指使いで吹く。
最低音から2オクターブちょっと(つまり通常の運指表に載っている範囲)はこれで問題ない音程が出せると思う。

ところが世間には、別の楽器なんだからそれぞれの運指を覚えるべきという人もいるらしい。
つまり、アルトリコーダーでは、Cの音は左手のトーンホールをすべて閉じて、右手のトーンホールはすべて開ける指使いとして覚えるというわけだ。

楽器ごとに指使いを覚えるメリットは、頭の中での移調という作業がないこと、指使い通りの音が出るということ。
逆に、頭の中で移調する場合は、頭の中でワンクッションがあることに加え、ソプラノで覚えた指使いの流用だと、出そうとする音と出る音には差が出るというデメリットがある。
そうしたデメリットがあるにもかかわらず、指使いを楽器ごとに覚えるよりはラクじゃないかと思う。
リコーダーの場合、他にテナー(C管)とか、ソプラニーノ(F管)などもあって、どの大きさの楽器でもそれ用に指使いを覚えなくて良いということでもある。
 (テナーはキーが付いているからちょっと違うけど)

以上は、一介の素人にすぎない私の考えだけれど、プロのリコーダー吹きは、どっちなんだろう?
それともそんな区別を超越したところで演奏されているのだろうか。

いずれにしても現代のリコーダーは楽器が整理されているが、フラウト・トラヴェルソなんかは、楽器によって微妙に運指が違ったりするらしい。(標準的な運指はあるらしいけど)

もっともリコーダーでもバロック式とジャーマン式に大きく分かれる。主流はバロック式で私もバロック式を使うけれど、学校音楽ではジャーマン式である。
私もジャーマン式をまずおぼえたが、その後、バロック式に変えた。世界的にはバロック式が優勢らしいと聞いたから。

以前、ザンクトギルゲンのモーツァルト記念館へ行ったとき、土産物にリコーダーが置いてあって、買って帰ろうかと思ったけれど、ジャーマン式だったのでやめたことがあった。
やはりドイツはジャーマン式が主流なのだろうか。

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フルートとオーボエ

baroque_oboe.jpg フィシャー/デンマーク国立室内管弦楽団のモーツァルトの交響曲集のSACDのリーフレットを読んでいたら、この時代、フルートとオーボエの持ち替えというのがあったらしい。

初期・中期の交響曲では、フルートとオーボエが同時に使われているものを見かけないのだけれど、決定的なのは譜面に持ち替えと書かれているものがあることだという。
つまり、オーケストラのメンバーにフルート奏者とオーボエ奏者がいたのではなく、その両方を演奏するという人がいたということらしい。

モーツァルティアンを自任する私も、この持ち替えのことは考えたこともなかった。
現代のオーケストラでは(古楽器使用でも)、フルート、オーボエそれぞれの奏者がいるわけで、作曲者が持ち替えを指示したところでは、一方が休むだけの話である。持ち替えそのものに音楽的興味があるわけではないわけだし。

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オーボエ⇔フルート持ち替えのある交響曲
連番調性ケッヘル番号作曲年持替
6番ヘ長調K.431767/12 2Ob→2Fl(第2楽章)
9番ハ長調K.73
(K3では75a)
1769-72 2Ob→2Fl(第2楽章)
45*番ニ長調K.95/73n1770/04?2Ob→2Fl(第2楽章)
12番ト長調K.110/75b1771/072Ob→2Fl(第2楽章)
Hr→Fgの持替もあり
14番イ長調K.1141771/12/302Fl→2Ob持替(第2楽章)
20番ニ長調K.1331772/07第2楽章で2Ob→1Fl、ソロ
24番変ロ長調K.182/173dA1773/10/032Ob→2Fl(第2楽章)
フルートとピッコロの持ち替えなら別に珍しくない。私も中学校の吹奏楽部ではそうしていた。
しかし発音機構が、フルートはエアリード、オーボエはダブルリードと全然違うから、持ち替えができるなんて思ってもみなかった。しかし、フルートとリコーダーは同じエアリードでも全然発音機構が違うわけだが、両方演奏しても別に混乱することもない。要するにオーボエも吹けたらそれで良いということにすぎない。

中学のときにピッコロに代えてリコーダーで吹いたらどうかと言ってみたが、先生はただ呆れかえったけど。


昔の人みたいにオーボエも吹いてみたいとは思うけれど、オーボエはフルートに比べて随分敷居が高い。
まず第一に値段が高い。フルートなら数万円からかるが、オーボエはその十倍ぐらになる。しかも木製で手入れが大変で寿命も短いらしい。

前にプラスティック製のフルートのことを書いたが、オーボエもプラスティック製があり、値段は安物のフルート程度だが。

その上、オーボエにはリードが必要だし、そのリードを整える(オーボエ奏者の優劣はリード作りで半分は決まるとか)ための工具も必要である。

同じリード楽器でもシングルリードのクラリネットやサキソフォンはもう少し楽だろう。


オーボエに興味が惹かれるのは、実はモーツァルトの管楽セレナードなどは、フルートではなくオーボエを使っているものが多いから。
そういえば、Amazon prime videoで配信されている「モーツァルト・イン・ザ・ジャングル」では、主人公はオーボエ奏者だが、いつも練習しているのはバッハの無伴奏パルティータ(BWV1013)である。この曲はずっとフルート用だと思っていたのだけれど。

たぶんオーボエを吹く機会は来ないと思うけれど、おもちゃのチャルメラでもあったら吹いてみたいな。

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ネット依存

P_20201222_172525-crop.jpg スマホの調子が悪い。私のではなくて家人のもの。ASUS Zenfone3、4年3ヵ月前に購入したもの

はじめは私が使っていたのだけれど、携帯会社(MVNO)から、Zenfone5の割引販売が行われたので、それを購入して、お古を家人に渡した。家人はその前はZenfone2 LASERという機種を使っていた。

ASUS Zenfoneシリーズを3台も使ってきたから、そのファンのように見えるが、別にそういうことではない。安いものを選んだ結果にすぎぬ。


そのZenfone3、家人が実家へ帰省していたときに、ネットにつながらないという状態に陥った。
今までもときどきモバイル回線を掴めないということがあって、あやしいと思ったら再起動するようにと言っていたのだが、このときは再起動してもつながらない。(普通の電話は使えた)

家人はけっしてスマホに詳しいわけではなく、トラブルの自己解決は望み薄である。そのくせ、天気予報や列車のダイヤ、ニュースの閲覧など、情報ツールとしてはかなり使っていて、それが使えないとなると、まるで孤島にいるような感じだったという。

P_20201222_172427-crop.jpg 先日、家人の実家に置く据え置きWiFiルーターのことを書いたけれど、家人が実家へ行っているときにネットワークトラブルが起こった場合どうにもならないので、それに備えるという意味もあるのだ。

とにかくスマホが使えないことで、ネットへの依存の大きさがあらためて実感された 。
スマホを持っていると、ちょっとしたことをメッセージ・アプリで送るのだけれど、それができない。
電話をすればよさそうなものだが、この頃は電話というのは、重たいメディアになったようだ。かつて電報というのが、危篤や訃報、(祝電や弔電)、大学の合否とか、あとは金融業者の督促とか、そういう感じだったのが、今は電話になったぐらいの感じである。

ところで、家人が実家でネットが使えなくなった事件だが、帰宅後に調べると、なんと「データ通信を有効にする」がoffになっていた。聞くところでは、LINE通話をしている最中に突然切れたというのだけれど、一体何が起こったんだろう。

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麒麟は越年

hanyu_All-Japan2020.jpg 昨日行われた全日本フィギュアで、男子シングルで優勝の羽生選手のフリー演技は、「天と地と」を使っていた。1969年の大河ドラマである。羽生選手は、もちろん未だ生まれていないが、この曲をどこで聴いて、どんな思いだったのだろう。

大河ドラマファンの私だが、「天と地と」はあまり憶えていない。見ていないわけではないと思うけれど、川中島の霧のように、ぼーっとした記憶である。


その思いの中味はわからないけれど、長い間、人前では演技をしていなかったはずなのに、見事なでき。他の選手を圧倒していた。

さて、大河ドラマといえば、年末最後の日曜日といえば、大河ドラマはレギュラーシーズンを終えて、総集編を放送するのが通例である。しかし、今日は「麒麟がくる」の第38回の放送、予告によれば、丹波攻略が始まるところだ。

大河ドラマが越年するのは歴史上初。過去に11月に終了したドラマ(「天地人」2009年)があるが、まさか越年するとは。
新型コロナ禍で収録がストップ、そして放送の再開まで2ヵ月半のお休みだったが、総放送回数は、当初の予定どおり44回で、最終回は2月7日になるという。
そしてその翌週2月14日は、次の大河ドラマ「青天を衝け」があわただしくスタートする。

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放送回数は予定どおりの44回だから、年明けからは6回という計算。
最終回が光秀の死だとすれば、その前が本能寺だろうか。そしてその前に俗説にしたがって信長に足蹴にされたり、家康饗応のときに魚が腐ったりするのだろうか。そうだその前に煕子が死なないといけない。

煕子の死はきっと光秀に大きなショックを与えるように描かれるのだろうな。
それと濃姫は信長とともに本能寺で亡くなるのだろうか。そういう記録はないらしいが。
俗説では、丹波攻略で、母を人質に出して和睦をはかったのに、信長の攻撃で母が殺されるというのがあったが、これは来年の話か、それとも不採用か。


私の当初の予想では、あまり史料の残らない光秀のことだから、もっと大胆に話を作るのかと思っていたが、光秀を優しい善人にしたこと以外、あまり史実に付け加えてはいないように思った。
比叡山焼き討ちなどはもっと残虐な造形をしたらとも思ったが、全体に恬淡とした表現だったと思う。
やはり主人公はあまり悪者にしたくないのであろう。

来年の渋沢栄一は悪者にしようがなさそうだ。
期待は再来年、北条義時が「草燃える」のときのような、謀略家になるかどうかだが、三谷幸喜脚本ではそうはなりそうもないなぁ。


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据え置き型モバイル・ルーター

家人の実家にはインターネット環境がない。老義母の家でネットというようなものとは無縁だからしかたがないのだが、以前からちょっと不便だと思っていた。
ここへきて、新型コロナの影響で、家人が実家へ行くのもままならなくなって、ビデオ通話ができるようにしたいと考えた。
同じようなことを考える人は多いらしく、Amazon Echo showを使うと、ICTに弱い人でも簡単にできるということで、ネットにはそういう記事がたくさんある。

私は以前から自宅のEcho showで、外から家の中の様子を見られるようにしているのだが、これをそのまま家人の実家へ移設することにした。
そこで問題になるのがネット環境である。

年寄りだけの家で普段はネットを使うことはないから、新しく回線を契約するのはC/Pが悪すぎる。そこであまり使っていないデータSIM(BIGLOBE SIMのシェアSIM)を使ってモバイル・アクセスポイントを設置しようと考えた。
余っているスマホがあるので、それでテザリングしても良いのだが、その状態のままにしておくのはちょっと怖い。今までの経験では、少しの間テザリングをするだけで、端末は結構発熱するし、スマホの誤動作なども気になる。何といっても、家人の実家で何か問題があったとしても駆けつけられない。安定動作が何より重要である。

P_20201218_152908-crop.jpg そこで良い機器はないかと調べていると、据え置き型のモバイル・ルーターというものが見つかった。NEC Aterm HT100LNというもの。こういう製品はそれなりの需要がありそうに思うのだけれど、他には見当たらない。

私の家のルーターもたまに不調になって再起動することがあるが、この機器も電源を抜いて挿し直すぐらいなら、ICTに不慣れな人でもできるだろう。スマホのテザリングではそういうわけにはいかない。

ということでこの機器を買うことにした。ネットの通販をいろいろあたってみたが、在庫なしとか取り寄せと表示しているところが多く、ひょっとしたら新型コロナ特需かなと思ったが、年末までには手に入れたいので、1~2日で出荷というところを見つけて、値段も12,300円と比較的安かったので、そこで注文した。(注文して2日で到着)

簡単なマニュアルがあって、それによると「Aterm らくらく設定」というスマホ・アプリがあって、それを使えば簡単らしいので、それをインストールして作業にとりかかった。
それによると製品添付のQRコードを読み取ればすぐに使えるというようなことが書いてあるのだが、なんとカメラが起動しない。
しかたがないから、この機器にWiFi接続して手作業で設定することにした。

初期のSSID、キーは製品ラベルに書いてあるから、スマホのWiFi設定でそのSSIDを見つけてキーを入力して接続。このとき大事なのはルーターのIPアドレスである。これは出荷時に設定されているプライベート・アドレスである。
このアドレスにブラウザからアクセスすれば、設定メニューが表示されるようになっている。

最初はパスワード設定画面。(管理者のIDはadmin)。

大事なのはAPNの設定。挿してあるBIGLOBE SIMのAPNを指定する。

設定画面にいろんなネットワーク・サービス事業者のリストがあって、事業者名をいれたらAPN名は適切なものを埋めてくれる。


ということでネット環境ができたので、Echo showが接続するWiFiアクセスポイントとしてこのルーターを指定、家人の実家へ行ったときにまごつかないようにキーを覚えさせておく。
これで、このルーターとEcho showを持って行って電源につなげば、直ちにEcho showが使えるはずだ。
もちろんスマホやタブレットにもこのアクセスポイントを保存しておく。

多分、実家から戻ってきてから、家人がビデオ通話などで使うと思うのだが、どのぐらいの通信量になるだろう。
もし通信量が多いようなら、BIGLOBE SIMの料金プランを変更(3GBプラン→6GBプラン)にするつもり。月額+550円である。

気になるのはネットワークセキュリティだが、家人の実家で盗まれて困る情報もないので、あまり神経質に考えなくても良いと思うが、タダ乗りされて通信量が膨れ上がると困るから、その対策はしたほうが良いだろう。

ステルスにするとEcho showが掴んでくれない。これには何か方法があるかもしれないけれど。
MACアドレスフィルタリングが有効だろう。


あとは安定した動作をするかどうかだ。このルーターとEcho showの両方が。

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イブの事故

昨日、私はY市については仕事納め。次の出勤は年明けとなる。
職場のみなさんに挨拶をして、早々に退社した。

そして、クリスマス・イブでもあったから、帰宅を急ぐ人がいつも以上に多かったにちがいない。

20201224_IMG_5636-crop.jpg 雨が降る中、K鉄Y尾駅へ着いたら、いつもの列車の一つ前の列車が未だきていないという表示。これはラッキーかも、一本早いのに乗れそうだな。

違いました、そのいつもより一本早い列車がくる少し前に、人身事故で運転停止になっている。つまり事故からあまり時間がたっていない。

人身事故だったら運転再開まで1時間ぐらいかかるから、最悪のタイミングじゃないか。

ぼーっと待つのもイヤなので、タクシーでJR俊徳道まで行こうと考えて、タクシー乗り場へ行った。既に長蛇の列である。

タクシー乗り場のそばにはKFCがあるのだが、こちらも長蛇の列。KFCのクリスマス・チキンとかを予約していた人が、品物の受け取りで並んでいるようだ。同じ並ぶにしてもずいぶんな違いだ。


待てども待てどもタクシーが来ない。列に並んでいた人は、ここはいつもはタクシーがたくさんたまってるんですけどねぇと言う。
20分ぐらい待っていたが、その間に来たタクシーは2台だけ。列の私の前にはまだ20名以上、少なくとも10台ぐらいは待たないと乗れそうにない。

そうしていたら私の後ろに並んでいた人たちが、JR八尾へ行こうと歩き出した。
そうか、その手(足?)があったか。
いくら待ってもらちがあかないから、私もJRへ行くことにして歩き出した。
途中同じ会社の人とすれ違う。

「K鉄とまってますよ」
「6時20分に運転再開と言ってるからそれを信じて駅へ行きます」
「もうちょっとかかるんでは。私はJRへ行きますわ」


しばらく歩いていたら、JR八尾駅へ行くバスが来た。ちょうど停留所もそばだったので、この際バスに乗ることにした。
結構混んでいる。やはり同じように考えた人が多いようだ。

雨も降っているので、お迎えの車もでているのだろう、けっこう渋滞。歩くのとたいしてかわらない時間でJR八尾駅へ到着。
18:25八尾発の列車に乗ることができた。

ネットにはたくさんのボヤキが書かれている。
言いたくないけれど、イブに人身事故って、もうちょっと何とかならんかったんか。

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コロナ厳戒下での会食

P_20201223_145548.jpg 昨日はキタにほどちかい福島で会食。

場所を指定してきたのは相手だが、以前、新型コロナの自粛要請では、北区・中央区が対象で、隣接の福島区は対象外というときがあった。つまりキタはあぶなくて、福島はそれほどではないということかもしれず、とにかくキタを避けて福島にしたということかもしれない。

用件だが、その知りあいが役員をしている営農組合のホームページを作りたいというので、その相談。
P_20201223_145541-crop.jpg 打ち合わせは福島のホテルH神の喫茶店T。
長時間の打ち合わせはどうなんだろうと思っていたら、なんと店が先回りして、2時間までならお咎めなしという趣旨のことが書かれていたので、安心して打ち合わせができた。

午後3時から喫茶店で話をしていたのだが、その流れで近所で少し飲むことになった。

行ったのはこのあたりで有名なおでんの店、まだ4時半ごろだったけれど、既に開店を待つ人の列が長い。
ありがたいことに、店も並ぶ客に配慮してか、早めの開店。私たちもほぼ待ち時間なしで案内された。
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というか、平日のこの時間に来ているというのはどういうことなんだろう。以前、5時までに入ったら安くなるんですよと誘われて、早退して行った店もあったけれど。
また、おでんといえば、ここも結構な人気店のようだが、個人的には随分前、先輩に連れられていったお初天神近くにある店が忘れられない。聖護院大根を使っていて透き通ったお出汁で、本当に上品な店だった。


さて、この店も、新型コロナ厳戒で、入店前に体温計でチェックがあり、グループの人数に合わせてアクリル板で仕切られた区画へ案内される。それで興ざめするというようなことはないからこの対応は悪いとは思わない。
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前からそうだったのかわからないが、焼酎湯割りを頼むと、小さなとっくりに焼酎を入れて、保温ピッチャーに湯を入れて供される。自分で濃度を調製するという意味だろう。これはありがたい。


クリスマス間近だけれど、場所柄か、周りはクリスマスの飾りつけも目立たない。また、例年のような人出ではないようにも思った。(人気店には集中していたようだが)
さて、今日はクリスマス・イブ本番だが、人出はどうだろう。

Christmas-calendar-ja.png
教会暦における降誕祭の日付の概要。教会暦の一日は日没から始まり日没に終わるためクリスマスは24日の日没から25日の日没までとなる。カトリックの典礼暦は常用時と同様に午前0時に日付が変わるが、復活祭やクリスマスなどの祭日の典礼は前日の晩の祈りから始まる。(Wikipedia「クリスマス・イブ」
ところで、クリスマス・イブというのは、今日の日没から明日の朝までをいう。

イブとはeveningと同根で夜のことであり、前夜という意味は持たない。どうして12月25日の前日の夜をイブというのかといえば、キリスト教の典礼を律する教会暦はユダヤ暦に由来するもので、一日のはじまりは日没とされている。
つまり教会暦では、常用の暦の12月24日の日没から12月25日、つまりクリスマスが始まるわけだ。イブは前夜祭ではない。

12月23日を「イブのイブ」などと言う人がいるようだが、あきらかな間違いである。


今年こそ全D志社のメサイアを聴こうと思っていたのだが、新型コロナ禍で中止になってしまった。
それがわかっていたから、大塚国際美術館ツアーの往復のバスの中でウォークマンで聴いていた。

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USB Audio Player Pro

先日書いたように、MQAフォーマットの楽曲の本来の品位での再生にはハードウェア・デコーダーが必要だが、ソフトウェアでのデコード(MQAではコアデコードという言い方もあるらしい)でも、88.2kHzの品位は得られる。リンク先記事ではAudirvana plusというソフトウェアでWindows PCでやったことを書いた。

ただ、このAudirvanaというソフトウェアは1万円以上もするので、まだMQA-CDもMQAデータもあまり持っていないのに、しかもハードウェアも用意しなければ本来の音質にならないというのでは、ちょっと敷居が高い。

UAPP-icon.png そう思っていたら、スマホでもMQAが再生できるものがあるらしいので、ひょっとしたらスマホ(Android)で動作するMQA再生アプリがあるかもしれないと思って探したら、ありました。
"USB Audio Player Pro"(UAPP)というアプリ。

すぐに見つかったが、無料の試用版は見当たらない。値段は850円。

Google playでの購入の場合、気に入らなければインストール後一定時間内なら、払い戻しができる(一定時間がどのぐらいかは商品によって違うらしいが、10分やそこらなら間違いなく払い戻し対象になると思う)。なので、とりあえず動作確認のために850円で購入した。


Screenshot_20201217-203901833.jpg スマホをSACDプレイヤー(USB-DACとして使用)につないでテストする。
オーディオプレイヤーとしての動作は問題なかった。ありがたいことにストリーミング再生も可能で、私の場合は自宅のNASからの再生もスムーズに行えた。

さて問題のMQAの再生である。
MQAフォーマットのデータを再生しても、USB-DACの表示は44.1kHzのままである。やっぱりできないのかと思っていたが、アプリのメニューには"MQA playback"という項目がある。どういうものかわからないがこれをタッチすると、MQA playbackの機能追加のポップアップが出て、追加で460円が必要という。

これが払い戻しの対象になるかどうかわからないけれど、とにかく買わなければ話にならないので、ダメモトで460円で購入。

P_20201217_203924-crop.jpg
追加機能のインストール後に同じソースでテストすると、今度は88.2kHzの表示となる。

なおUSB-DACをつながないと44.1kHz再生になるようだ。


スマホで再生といっても、DA変換はUSB-DACがするわけだから、特に音が貧弱だとも思わない。もちろんスピーカーの駆動はちゃんとしたオーディオアンプを使っている。

あと問題は、MQAレンダラーと呼ばれるハードウェアをつないだら、MQA本来の音が出るのかどうかである。このジョン・ウイリアムスなら176.4kHzがちゃんとでるかどうかである。これは実際にハードウェアを手に入れなければ検証のしようがない。

Windows PCのAudirvanaの場合は確認されているようだ。


このアプリはDSDにも対応しているようなので、DSDの再生もテストした。

私のスマホはネイティブでDSD対応しているようだが、そうでないスマホでもできるのかはわからない。

おやおや、エラーになる。USB-DACの表示は"Unsupported"である。

考えてみれば、PCでのDSD再生はfoobar2000を使っているが、この場合はメーカー(DENON)のドライバーをインストールしている。しかしスマホにそんなドライバーをインストールしたということはない。
Screenshot_20201217-230032178-crop.jpg DSDは無理なのかなと思っていたところ、DSDについては3種類の対応が用意されていた(メニューの設定>USBオーディオ>DSD再生モード)。

DSDネイティブ再生、DSD to PCM変換、DoP(DSD over PCM)の3種類

USB-DACがDSD対応しているのでPCM変換はしゃくなので、DoPに設定すると、無事にDSDとして認識され再生できた。

さらに言えば操作性がとても良い。私が言うのは再生の都度ごとの操作のことではない。
アプリの設定で、"Limit sample rate"(USBオーディオ設定中の項目)を、接続するUSB-DACの性能に合わせておくと、音源がそれよりも高品位でもそのリミットに納めてくれる、それはアタリマエだけれど、驚いたのはDSD再生(DoPモード)で、USB-DACが対応している2.8MHzを超える品位の場合は、176.4kHzのPCMで出力すること。そして2.8MHzまでのものは、ちゃんとDSDで出力される。

もちろんSACD以上の品位である5.6MHzとか11.2MHzという音源はネットでサンプルとして提供されているものしか持っていないのだが、それらで確かめた結果である。


このアプリ、ハイレゾに対応しているし、ストリーミング再生もできる。しかも値段が安い。
これならWindows PC用のAudirvana plusを買わずにスマホで再生すれば良いわけだ。

それにしても、同じようなソフトが、Windows用とスマホ用でこんなにも値段が違うとは。

かつての大型計算機のソフトはものすごく高価だったと思う。それがPC用になると比べる必要もないほど安くなり、そしてスマホ用となるとそのPCよりもはるかに安いわけだ。
ソフトウェアの価格というのは、開発費/販売数で決まるともいうが、スマホはそれだけの数が出るということだろうか。(PCとオーダーが違うとも思えないが)


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ブレーキとアクセル

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「ブレーキとアクセルを同時に踏むな。」

「そういうご批判があることは承知しておりますので、同時に踏むことはありません。
急ブレーキと急アクセルを使うようにしております。」


「それで安全運転ができるのか。」

「ですので、急ハンドルも併せて使用することといたしております。
そうでガース。」


政権批判みたいになったけれど、そういう意図はなくて、ただの言葉遊び。
どう読むかは読者次第です。


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嗚呼レジ袋

レジ袋が有料化されて、コンビニやスーパーで買い物をして、何円かを出してレジ袋を買う贅沢ができないヘタレの私は、買ったものをどうしようと悩んだこともあった。
普通の買い物は家人がするので、わたしはお昼の弁当とかサンドイッチのようなものをちょっと買うだけで、それだと袋の持ち合わせがなくても大した問題にはならない。

ではあるけれど、そうしたお昼のものも通勤カバンにいれるのは抵抗があるので、やはり何か袋を持っておくのは悪くない。レジ袋があればそれで良いのだが、レジ袋有料化から日も経って、ゴミ袋として使用してきたから払底し、しかたがないから、小さいエコバッグを入れておくことにした。

そんなとき、仕事帰りに家で食事の用意をするのが面倒で(家人が実家へ行っていた)、スーパーで握り寿司を買って、さあエコバッグの出番だと、それを取り出して、寿司のパックを入れようとしたら…

あらあら、まっすぐには入らない。
どうしても斜めになってしまう。

その結果は想像するだけでイヤになる。刺身とおにぎりを買うようなものだ。
(実際は写真のようになった。それほどひどい状態ではないけれど)

P_20201203_190642-crops.jpg

普段の買い物のためのエコバッグはそれなりにしっかりできているけれど、それが嵩張るようだと通勤カバンに忍ばせるという使い方にはちょっと。大したことはないわけだが、使わないものをカバンに入れるということがムダな気がするわけだ。
だから、できる限り小さく軽い、そう、レジ袋そのものをたたんでカバンに忍ばせるのが一番いいと思う。
レジ袋が悪いわけではない。それを大量に配って、それが不法投棄されるのが悪いわけである。

もっともプラスティックゴミに占めるレジ袋の割合はせいぜい数%とかで、レジ袋の有料化は象徴的な意味だという話もある。


さて、そのレジ袋、スーパーなどで買うと大で5円、小で3円とかいう価格になっている。これを普通の消費者が買うと、100枚で100円とか、バイオプラスティック製とかだと200円とかいう値段がついている。
スーパーで買うよりはこちらのほうが安いから、100枚買っておけば、一生もつように思う。

福引などの季節だけれど、ハズレのときにティッシュをくれることが多いけれど、10枚ぐらいのレジ袋がもらえたら良いような気もする。


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充電式カイロ

2020-11-19_115040.png 先日、充電式カイロを購入した。

充電バッテリーの容量は6000mAh、45°、50°、55°の三段階で温度調節ができる。45°だと5時間ぐらい継続して発熱するらしい。ほかにLEDライトも付いているけれど試すと光が散乱して懐中電灯のようには使えない。

もっともどのぐらいの温度になるのか実測(輻射式のあまり精度の出ないものだけど)してみたところ、一番高いポジションだと64°は出ていた。周囲温度によるとは思うけれど、これは高すぎる。火傷しそうだ。
インジケータ1つにすると、45°ぐらいになったり、50°になったり、不安定だが、インジケータ3点灯よりは低い温度になるようなので、このポジションで使うべきだろう。


そして、カイロにあまり関心のない私の物欲をくすぐったのが、スマホへの充電機能。つまりモバイルバッテリーとしても使えるということ。
モバイルバッテリーは今までにもいくつか買っている。スマホが充電切れにならないか心配なとき、つまり長時間の旅行中などには携行しているが、そもそも道中などで充電切れを起すことはないので、あまり使うことはなかった。

そんなときにカイロとしても使えるモバイルバッテリーというのがあることを知って、その方が冬には便利だろうなぁと思っていた。ただ出始めは、モバイルバッテリープラスで値段は少々高かったように思う。
そのまま忘れていたが、通販サイトでのCMやDMで、その存在を思い出して、ネットで調べるとずいぶんいろんな製品があるようだ。バイブレーターが付いてるとかいろいろあるけれど、余計なものはないほうが壊れにくいだろうから、値段を中心に検討して、1,780円(税・送料込)の冒頭の製品を購入した。

あと軽さも大事。コートのポケットに入れて重たく感じないのが良いと思う。重さの多くはバッテリーだろうから、容量が大きい製品はどうしても重たくなるのでバス。

温度設定が3段階あるが、多分インジケータランプ1つが45°、3つが55°なんだろうと思うが(温度差をあまり感じない)、結構熱い。スマホのCPUをぶん回しても発熱するが、やはり発熱体を使った製品はずっと熱い(アタリマエか)。

そうそう、この製品はバッテリー容量6000mAhで140gである。エネルギー密度は42.86mAh/gである。前の記事に書いたモバイルバッテリーは56.5mAh/gだから専用品よりも密度は低いけれど、まあまあの密度だと思う。
あとは暴走とか耐久性とかが問題だ。

私はカイロはあまり使ったことがない。いわゆる使い捨てカイロも数回使ったかどうか(それも何かのオマケか試供品だったと思う)。
であるけれど、こうやって買った以上、今年の冬は常用してみようか。


【追記】

何度か使ってみて特に問題はないのだけれど、カバンなどに入れているとスイッチが圧迫されて勝手にオンになっていることが2,3度あった。
オンにするのは長押しだけれど、カバンの中では長押し状態になりやすいようだ。スイッチにはもう少し工夫が必要だろう。


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初期交響曲のSACDも買ってしまった

先日、アダム・フィッシャー/デンマーク国立室内管弦楽団による交響曲集のうち4枚のSACDを買ったことを書いたけれど、なかなか良かったので、追加で初期交響曲を収めた4枚のSACDを購入した。第1集、第2集、第3集、第4集の4枚である。

今度もそれぞれ990円(税込)という格安価格で出ていた。今回はNAXOSではなくHMVで。


P_20201205_230958-crop.jpg

第1集(1764-1767)
 第1番 変ホ長調K.16
 第4番 ニ長調K.19
 ヘ長調K.19a
 第5番 変ロ長調K.22
 ヘ長調K.76 (42a)

第2集(1767-1768)
 第6番 ヘ長調K.43
 第7番 ニ長調K.45
 ト長調K.45a
 変ロ長調K.45b
 第8番 ニ長調K.48

第3集(1769-1770)
 第9番 ハ長調K.73 (75a)
 ニ長調K.81 (73l)
 ニ長調K.97 (73m)
 ニ長調K.95 (73n)
 第11番 ニ長調K.84 (73q)
 第10番 ト長調K.74

第4集(1771)
 第12番 ト長調K.110 (75b)
 ハ長調K.96 (111b)
 第13番 ヘ長調K.112
 第14番 イ長調K.114

  アダム・フィッシャー(指揮)
  デンマーク国立室内管弦楽団
実は、第1集を聴いたときに、この程度なら買わなくてよかった、まとめて4枚も買わなければ良かったとちょっと後悔した。
それでも気を取り直して、第2集以降を続けて聴いていたら、俄然、モーツァルトの魅力がプンプンしてくる。まるで、第1集を聴いて満足しなかった聴衆に、これならどうだと言わんばかりである。

なぜ最初、気に入らなかったかというと、第1番=K.16の演奏がちょっと変なのだ。
初期交響曲の中では、一番よく聴くのはK.16=第1番だろう。何といっても1番ということだけで多くの人の興味を惹く。

その点ピアノ協奏曲は第1番は習作でこちらはほとんど興味が惹かれない。全集にも収録されていることはまずない。

前にこの演奏の評で、K.551第4楽章のC-D-F-Eのモティーフが、音価通りに演奏されず、どれも休符がついているように演奏されていると書いた。K.551では、それが曲の造型を際立たせたという意味では成功かもしれない。

ところが、K.16(そのC-D-E-Fのモティーフが使われていることでも有名)でも、冒頭から音価どおりではなく、休符が付いている演奏である。それもかなり、音価が半分になっていると思うぐらい極端。さすがにやりすぎではないかと思った。
特に冒頭の2つの2分音符は、四分音符と四分休符で演奏しているように聞こえる。もちろんアクセントが置かれて。

良く聴く演奏では、最初の2音はレガートで演奏して、第2小節の8分音符をスタッカート気味にして対照するのが多いように思う。


Symphony1-K16_10010100-crop.png

それで、まとめて4枚も買ったのは失敗かなと思ったが、気を取り直して続けて他の曲を聴き、そして第2集へと進むと、あ~ら不思議、やっぱりモーツァルトだなぁ、ちょー気持ちいい。

というわけで、この4枚もなかなか良かった。 これで12枚のうち8枚を購入したわけだが、あと4枚、第5集、第9、10、11集を買えば、全部揃うことになった。
さっさと揃えてしまおうか、それとも、しばらく様子を見て、格安で出るのを待つか。
(第9集以降は、マッケラス/スコティッシュのSACDで補完できるから、第5集だけ買うというのも良いかも)

前にも似たようなことを書いたけれど、SACDの音が気持ちよくなってきて、CDをSACDで買い直しているような感じになってきた。

先日、MQA-CDのことを書いたが、MQA-CDを本来の音で聴くためには、対応機器(デコーダ)が必要なようだ。先日の記事ではAudirvanaというソフトでハイレゾ再生したと書いたが、ソフトデコードでは88.2kHzまでしかできないらしい。普通のCDプレイヤーでも再生できる(ただし音質はCD)というので、廉価版のSACDと誤解していたが、高音質を楽しむには、SACD以上の機器が必要になるようだ。SACDの多くはCDとのハイブリッドだから、MQA-CD同様、通常のCDプレイヤーでも再生はできる。MQAの機器をそろえるのも大変なので、これからもSACD中心でハイレゾを楽しむことになりそうだ。


ハイレゾ鑑賞、交響曲は目途がついたわけだけれど、弦四、弦五、ピアノとバイオリンのソナタ、管楽セレナード、こういうのはまだSACDが出ていないようだ。

(出たらうれしいけど、すべてについていくのは大変だなぁ)


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大塚国際美術館 お土産編

大塚国際美術館のお土産は、ミニチュアの陶板画を買おうと決めていた。
ネットなどでは結構な値段のものが売られているようだが、ここではミニサイズのものは陶板のみで2,550円、額付きで3,300円、木目額はもう少し高い。

いろいろ悩んだけれど、色合いが鮮やかなゴッホの「オーヴェルの教会」と、やはり世界一有名な絵である「モナリザ」の2点を購入した。フェルメール「真珠の耳飾の少女」はこの絵が好きな余り、ミニ陶板での再現にはかえって不満があって見送った。欲張ればきりがない。

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ミニ陶板は美術館トイレにも


P_20201214_204106-crop.jpg もちろん図録も買ったが、これは全作品を収録したものではなく、100点だけをとりあげてあるもの。適度な分量で悪くない。
代表的な作品はほぼ収録されていると思う。


またミュージアムショップの土産の定番のクリアファイルも買った。
他人にあげるお土産としては、ゴッホの「ひまわり」を買っているが、一枚は「着衣のマハ」と「裸のマハ」を重ねたもの。

20201214_IMG_4426-crop.jpg

写真を見れば趣向がわかるだろうが、やっぱり同じようなことを考える人は多いようだ。

私の場合は次の記事で。
Goya:La maja vestida/La maja desnuda

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P_20201214_205739.jpg ただこのゴヤのクリアファイル、「裸のマハ」のほうはファイルの内側になっていて、よこから覗かないと見えない(裏画像は見えるけど)。

裸のほうを内側にしたのは、覗き趣味を満足させようということか。


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大塚ですから、こんなものも買いました。

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大塚国際美術館の陶板画

20201214_IMG_4332.jpg 大塚国際美術館の陶板画というのは、おもしろいと思いつつも、正直、本物とは別だろうと思っていた。

もちろん本物とは違うわけだが、その出来は思っていたような、つまり絵皿などの食器から想像するようなものではなく、本物をかなり忠実に再現していると感じた。

まずシスティナ・ホールのミケランジェロの天井画と最後の審判だが、私が本物のシスティナ・ホールで見た色合いに大変近いと思った。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、修復前と修復後の2つを向かい合わせに展示してある。私は本物の修復後のものを見たことがあるが、たしかにこんな感じだったように思う。

「最後の晩餐」はシスティナ礼拝堂に次ぐ規模の作品である。大きな作品は陶板画で再現する場合も一枚では焼けず、部分部分を焼いて並べてあるのだが、「最後の晩餐」は見たところ30枚の陶板でできている(修復前・後とも)。

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この大作の写真を撮り忘れたので、これはネットで拾ったもの

ただ、システィナ礼拝堂も「最後の晩餐」も、本物とは光の環境が違う。大塚では煌々とライトを当てているが、本物ではそんなことはしていない。

感心したのは、どの作品も原寸大で再現されていること。
この原寸大というのが、図録やネットの写真では味わえない感覚である。つまり臨場感があるわけだ。

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聖テオドール聖堂(カッパドキア)
私は名画の再現ばかりかと思っていたのだけれど、ヨーロッパの著名な教会や遺跡を再現してあるのは素晴らしい。

その典型的な例として、ポンペイの「秘儀の間」を紹介しておこう。
秘儀というのはディオニソスの秘儀のことで、かなりエロいものだったらしいが、その様子を壁画にしてある。これもポンペイで見た憶えがある。
すごいのは、この部屋全体が本物の再現、つまり壁画だけではなく、窓や戸のしつらえはもちろん、床の汚れまで忠実に写し取られているのだという。

20201214_IMG_4127.jpg 20201214_IMG_4348-crop.jpg
「秘儀の間」(ポンペイ遺跡)、その床の汚れの再現

そう言われても本物の床の汚れなんて意識もしていないが。
ポンペイやその他の場所の床や壁のモザイクタイル作品の復元では、タイル一枚一枚を焼いたのではないように思うが、そのタイルのデコボコはきちんと付けられている。

このこだわりはものすごい。
ここは西洋美術というポリシーのようだが、同じ陶板画の技術を使って、高松塚などの彩色古墳の再現とか、寺院の曼陀羅図の空間とかが再現された美術館ができたらおもしろいだろうなぁ。

20201214_IMG_4398-crop.jpg 知り合いに、大塚国際美術館に行くという話をしたところ、ゴッホとか絵の具を分厚く塗っているけれど、そういものまで再現しているんだろうかと訝しがっていたのだが、なるほど、絵によるとは思うけれど、たしかに絵の具の盛り上がりも再現されている。


新型コロナ禍で禁止されてしまったが、今までは作品に触れることも許されていたそうだ。そうだったら絵の具の盛り上がりを指で確かめられたのだけど。

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20201214_IMG_4179-crop.jpg それで思い至ったのだが、展示には古代の壺もある。といっても壺を切り開いて伸ばしたような形で、表面の凹凸は再現されているのだけれど、ちょうど360°パノラマ写真のような形になっている。

壺も同じセラミックだから、そのまま復元すれば良さそうなものだが、わざわざ切り開いているというのは、ここで使われている再現技術を応用するためではないだろうか。

絵画の再現といえば2Dだと思い込んでいたが、どうやらここの再現は3D再現技術だと思う。

美術館全体の標準的な鑑賞経路は4kmぐらいになるそうだが、仮に4mに1点展示したとしても1000点となる。
この美術館は写真撮影は自由であるが、私は図録やネットから拾えば良いと思ってあまり写真は撮らないつもりだったが、気が付いたらついつい撮影していた。
ただ途中からは絵を撮るというより、部屋の様子を撮るようにした。
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5時間滞在というのは休み休み見て廻るという時間だと思うけれど、お茶(ケーキセット)にしたら、もう動く気がなくなって、1階、2階を見に行く気力がなくなった(ゲルニカがあったらしいのだが)。

見逃したことを理由に再訪してみるのも良いか。
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大塚国際美術館でミゼレーレ

P_20201214_153650-crop.jpg さていよいよ大塚国際美術館の中味。

この美術館は、世界の名画を陶板に焼いて展示している、いわばすべてがニセモノというところだけれど、この陶板に焼くという技術がすばらしいらしく、開館(平成10年)を知ったときから、一度は行ってみたいと思っていた。

一度、具体的に旅行のプランを立てたことがあるが、同行するメンバー(余命宣告されていた)の一人が急に容態が悪くなってとりやめになった。


バスは美術館の玄関に到着。そこからそれぞれ間隔をおきながら入館するわけだが、玄関を入るとすぐに長~いエスカレーターがある。41mあるそうだ。
このエスカレーターを上り切ったところが、地下3階だという。
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では玄関は何階なんだろう、地下4階ということか。

これは山の形にそって建設されたかららしい。なんでも瀬戸内の景観を損ねないよう、建設後にもとの山景を復元したという。復元はお手の物のようだ。

美術館の建物は、地下3階から地上2階までの5フロアからなる。有名なシスティナ・ホール(バチカンのシスティナ礼拝堂を再現したもの)は、そのエスカレーターで登り切った正面にある。

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実は大塚国際美術館で一番見たかった、というか入りたかったのはこのシスティナ・ホールである。
本物のシスティナ礼拝堂は、イタリア旅行のときに訪問しているのだが、その時、礼拝堂内で、是非とも聴こうと思ってスマホに入れていた曲がある。米津玄師ではない。
それはアレグリ「ミゼレーレ」。門外不出とされていたこの曲は、モーツァルトが採譜して出版されたために、システィナ礼拝堂以外でも演奏できるようになった。ときの教皇は禁令を犯したモーツァルトを罰することはなく、その能力をほめたとされる。
この有名なエピソードにあやかって、ミゼレーレをシスティナ礼拝堂で聴こうと思っていたのだが、何としたことか、イヤフォンを持っていくのを忘れた。スマホのスピーカーで鳴らすこともできたわけだが、観光客がぎっしりいる場所ではそれもままならない。

鳴らしたら案外喜ばれたかもしれないが。

ミゼレーレは12分以上もある長い楽曲である。これをゆっくりと礼拝堂内で味わうというのはなかなか難しい。それが大塚国際美術館のシスティナ・ホールでは、全く気がねなく浸れるわけだ。

ここでもスピーカーで鳴らしてホールの反響までを楽しめれば良いと思うけど。


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それにしてもこの長い曲を、繰り返し部分も多いとはいえ、モーツァルトは1度聴いて憶えそれを譜面にした、そしてもう一度訪れて、確認・微修正したという。

注意すると館内には宗教曲らしいBGMがときおり聴こえる。あまりに微かな音で、聴こえたり聴こえなかったりなので、何なのかはっきりしないが、ミゼレーレのようにも思える。もっとも似た曲はたくさんある。
美術館側で、バチカンのミゼレーレを再現するような演奏会をやるのもおもしろいのではないだろうか。ここで歌舞伎とかもしているんだし。

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Go to 大塚国際美術館

P_20201214_203750-crop.jpg 昨日、Go to トラベル対象のツアーで、大阪国際美術館へ行った。
京都からバスで美術館へ行き、5時間滞在して、とんぼ返りするというもの。
美術館のことはまたあらためて書くことにして、今日はこのツアーについて。

大塚国際美術館は月曜が休館日で、昨日は休館日だが、逆に休館日にツアー客だけを入れるということで、通常より少人数で鑑賞できるというのがウリである。
だから、美術館で案内などに携わるスタッフの多くが旅行会社の関係者のようだった。

このツアーは全国各地から出発するようで、関西は、京都の他、大阪、神戸から出発のものがあるし、旅行社の人から聴いたところでは、名古屋とか広島とかからも出ているとのこと。
今回は、全部で33台のバスで550人が参加しているとのこと。
このところの新型コロナの感染拡大を受けて、大阪からの旅行は自粛要請がでているけれど、義務付けではないから、大阪発のツアーも中止にはなっていない。ただ、自粛した人もいるのではないだろうか。というのは800名以上で催行とあったのだが、550名で実施されたということは、催行決定後にキャンセルした人が結構いたのかもしれない。
大塚国際美術館は、3月から6月ぐらいまでは新型コロナ禍で休館されていたが、その後は同時入館者を制限して開館しているようだ。美術館のHPによれば、12月は平日は1200名ぐらいの入館者らしい。
だから、今回のツアーの550名というのはその半分ということになる。

P_20201214_075852-crop.jpg ツアー料金は20,000円で、Go to トラベル対象事業なので、自己負担は13,000円、さらに地域共通クーポンというものが3,000円分もらえる。
大阪や札幌を目的地とするGo to トラベルは停止されている中だが、このツアーは無事、Go to トラベル対象事業として実施された。
そして昨日、帰宅してニュースを見ると、Go to トラベルは、12月28日から1月11日までは、全国一斉停止となると報道されていた。おやおや、私は滑り込みセーフといったところか。

Go to トラベルを利用するのは今回が最初。それも日帰りでの利用ということで、金額的には大きな恩恵を受けたわけではない。もう一度の利用機会はあるだろうか。

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「疫病退散」

71VhmccKxML.jpg 島田裕巳「疫病退散~日本の護符ベスト10」について。

本書冒頭にも書かれているとおり、新型コロナ禍という社会情勢を踏まえて書かれた本である。
いえば便乗商法ともいえよう。
アマビエという妖怪が疫病除けとして注目され、新型コロナ接触確認アプリ(COCOA)のキャラクターとしても使われているが、著者はアマビエだけが疫病除けではない、というかもっと由緒正しい疫病除けは、古くからあるという、義憤(?)にかられて書き下ろされたのかもしれない。

もっとも「由緒正しい」といっても、これも実はかなりアヤシイ。たとえば、吉田神道の吉田兼倶が集成した文献(唯一神道名法要集)などもこれらの護符の根拠として援用されているが、もちろんこの文献はアヤシイもので、古来の神話や信心を伝えていると評価することはできないらしい。
ただ、裏返せば、こうしたアヤシイ信仰に由来していたとしても、それを信じ、すがる気持ちは切実なものがあり、それこそ「鰯の頭も信心から」なのだろう。

できれば、そうした史料批判も書いておいてほしい。

元三大師 (角大師、豆大師、降魔大師)
牛頭天王
蘇民将来
天刑星
鍾馗
虎狼狸
アマビエ
摩多羅神
源為朝
ただそもそも護符なんてものは科学的精神とは相いれないものだから、護符の効力がまことしやかに書いてあったら、その典拠のほうを疑いたくなるかもしれないが。

10の護符がとりあげられているが、そのうち私は「蘇民将来」の護符は持っていて、正しい使用法通り、家の玄関に取り付けてある。
そう、前に書いた祇園社の護符・粽である。
この護符を頂いたとき、そいて玄関に取り付けるときも、ご利益があるものだぐらいでそれ以上考えなかったのだけれど、本書では「蘇民将来」の護符と説明されている。
そしてその「蘇民将来」は次の話がもとになっているそうだ。

 武塔天神は、もともと北海の神だったが、嫁を探すために南海を訪れた。このことは、すでに牛頭天王のところでふれた。
 その旅の途中、武塔天神は、将来を名乗る兄弟に出会い宿を貸してくれるように頼んだ。ところが、金持ちの弟である巨旦将来の方は、その申し出を断ってしまう。それに対して、貧しい兄の蘇民将来は宿を貸してくれた上、粟柄のござに座らせ、粟飯までご馳走してくれた。
 そんなことがあってから数年後、武塔天神は、嫁取りに成功したらしく、8人の子どもとともに蘇民将来のもとをふたたび訪れた。そして、「あのときの礼がしたいのだが、子どもはいるか」と、武塔天神は蘇民将来に尋ねる。
 蘇民将来が、妻と子どもがいると答えると、武塔天神は、「茅の輪を腰に着けておけ」と命じた。その上で、その夜、茅の輪を着けていない者を殺して滅ぼしてしまった。 武塔天神は、「私は素戔嗚尊だ。これから疫病が流行したときには、蘇民将来の子孫だと言い、茅の輪を腰に着けていれば、それを免れることができる」と告げたのだった。


なんだかユダヤ教の過ぎ越しの祭みたいな話だが、関連はあるのだろうか。

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ところで、本書によると、八坂神社の「蘇民将来之子孫也」とか「蘇民将来子孫家之門」の護符は、その裏には「急急如律令」という言葉が書かれているとのこと。

自宅の厄除け粽を裏返して確認してみたが、その文字はなかった。護符と粽では違うのかもしれない。

ネットには表側の写真ばかりなので、裏側の写真を掲載しておこう。


本書によれば、ここにとりあげる10種の護符で主なものは尽くされているそうだ。ただ他にもローカルなもの、マイナーなものというのはいろいろあって、たとえば會津の「赤べこ」ももとは疱瘡除けのお守りだったそうだ。

そういえばたいていの神社・仏閣でお守りが売られているから、本書でとりあげられていない護符だってあるかもしれないと思って、ネットで「疫病除け」で検索したが、なるほど新型コロナをあてこんで盛んに販売されているようだが、ざっと見たところ、本書でとりあげられていない護符は見当たらなかった。

お札とかはもっといろいろある。落語に出てくる「ここに秋葉さんのお札を貼りなはれ。火除け・魔除けになって、穴が隠れる」の秋葉さんのお札は、疫病じゃないから検索にひっかかってこないようだ。同様、安産とか良縁、学業なんかもひっかからない。
役割分担はしっかりしているようだ。


さて、来年は丑年。
新型コロナ禍の中で迎える新年、年賀状のデザインには牛頭天王でも使おうか。

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休刊日

本日は月例の休刊日。

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出処:50 Adorable Pics To Celebrate Squirrel Appreciation Day

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令和2年の山茶花

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12月11日撮影
ことしもサザンカが咲いた。

前にも書いた憶えがあるが、我が家の庭木では一番華やかなもの。また、枝ぶりも好きである。
今日は、記録の意味で、サザンカの写真集。

右およびすぐ下の写真は昨日12月11日に撮影したもの。
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12月11日撮影

サザンカの開花はもっと前から気づいていて、折々に写真をとっていたので、以下に、順に掲載。


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11月23日撮影。花は見えない
まずは11月23日、蕾がふくらんできたことに気付いて撮影。

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11月23日撮影。蕾がたくさん膨らんできた



続いて11月27日、一輪開花した状態。
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11月27日撮影

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11月27日撮影。すっかり開花した一輪をクローズアップ
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最後に、12月1日、12月7日撮影のものを並べて。

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12月07日撮影。てっぺんを残して全体に開花
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12月01日撮影。つぎつぎに開花
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去年の山茶花より少し開花は早いようだ。
いつも2月ぐらいまでは花が楽しめるのだが、今年はどうだろう。

最後に今日の様子。

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12月12日撮影

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MQA-CD

NHKの「らららクラシック」という番組で、今年の1月に、ウィーンフィルがムジークフェラインザールで、ジョン・ウィリアムス指揮で同氏の映画音楽を演奏したことを知った。

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その音のすばらしさはテレビを通してもはっきりわかる。ネットで調べると、そのコンサートをライブ収録したCDやblu-rayが発売されている。なのですぐにCDを買った。

この記事を書くためにあらためて調べると、来年にはSACDも出るらしい。知ってたらそれを待ったかも。

さて、今日はその演奏のことではなく、このコンサートを収録したCDのことについて。
これはMQA-CDというタイプなのである。

MQAという規格があることは知っていて、何でも普通のCDプレイヤーで再生すると、16bit/44.1kHzの普通のCDとして再生されるが、MQA-CD対応プレイヤーで再生すると、あら不思議、ハイレゾで再生されるのだという。

楽曲配信サイトのe-ONKYOでは、ダウンロードするフォーマットを指定できるが、それにはハイレートのPCM、DSDに加えて、MQAが指定できる場合がある。

ネットで調べると、MQA-CDはPCでリッピングすることもできて、そのデータを再生すればハイレゾで再生できるという。

これはやってみなければ。
まずは普通にCDのリッピングを行う。使ったのは"Exact Audio Copy"という定番のソフト。
リッピングに普通のCDより時間がかかるようだから、ハイレゾのデータだろうと期待させる。
ところが私がいつも使うプレイヤー"foobar2000"で再生したところ、CDプレイヤー(USB-DACとして使用)の表示は44.1kHzである。あれっ、普通の音源じゃないか。

wavで取り込んだデータの総量は740MBあり、これは通常のCDのサイズを超えている。リッピング時にハイレゾデータを取りこぼしているわけではないようだ。

ネットで調べると、"MQA tag restorer"というソフトがあって、データにMQAのタグを付けて機器にMQAと認識させるものだという。wavデータではタグを付けられないらしいので、flacへ変換して、MQA tag restorerを使ってみた。
今度もfoobar2000での再生ではUSB-DACの表示は44.1kHzである。

正直、44.1kHzの普通のCDでも素晴らしい音が出てくるので、まぁいいかとも思っていたけれど、やはりしゃくなのでもう少し調べた。
MQA-CDをリッピングしたら、簡単にハイレゾで再生できるという記事はたくさんあるのだけれど、私と同じように、リッピングしたデータをPCで再生しても44.1kHzでしか出ないという書き込みもある。
どうやら、簡単だと書いてあるのは、リッピングしたデータをMQA再生に対応したUSB-DACに流す場合のようだ。こんなのは全然簡単じゃない、ハードウェアを買わなければできないじゃないか。

スマホの中にはMQAを含むハイレゾ再生ができるものがある。


P_20201209_164136.jpg 落胆していたのだが、44.1kHzでしか再生できないという書き込みに関連して、"Audirvana Plus"というソフトで再生するとハイレゾで再生できるという情報があった。このソフトは有料=10,868円(税込)とかなり高価だが、試用版(1ヵ月)があるので、試してみることにした。
すると、USB-DACの表示は88.2kHzとなった。
出てくる音も心持ちのびやかになったような気がする。

ただAudirvanaの画面を見ると不思議なことに、各曲には24bit/176.4kHzという表示がある。そして再生中の曲には32bit/88.2kHzと表示されている。

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一体、どれが本当なんだろう。
なおCDのジャケットには、

*96kHz/24bitの音源を176.4kHz/24bitのMQAフォーマットに収録しております。

と書いてある。

以上、いろいろやってみてわかったことは、

MQAというフォーマットを本来の音質で再生するためには、MQAのデコーダーが必要

というアタリマエのことだったわけだ。

ところで、MQAが再生できないか、手持ちのプレイヤーソフトを試しているとき、SONYの"Media Center for PC"というソフトを使うとUSB-DACの表示は176.4kHzと出るのだが、これは信用できるのだろうか。あまりCD音との違いを感じないのだが。

MQAを本当にデコードしているのか、それともflac(16bit/44.1kHz)としてデコードして、出力時には176.4kHzにしているのかも。
このCDは、16bit/44.1kHzでも本当に良い音(ウィーンフィル、フェラインザールの音)なので違いはわかりにくいが。


さて、今もっているMQAデータは1枚だけだが、Audirvana Plusを買うべきだろうか。
ただし、Audirvana Plusを標準のプレイヤーにすることはできない。理由は、このソフトではリモートにあるデータ(つまり我が家の場合NASにあるデータ)をストリーミング再生できないらしいから。

やってみたら、ネットワーク上のデータはローカルにコピーする旨のメッセージが出た。
そんなことはやってられない。

foobar2000にMQAのデコーダーが追加されたらうれしいな。

「foobar2000でMQAを再生する」という記事もあったが、それはMQA対応DACを使う場合の設定についてだった。



【追記】

Audirvanaでもストリーミング再生は可能だった。
本来の使い方であるライブラリーをNASのパスに設定しておけば、ダウンロードを求められることなく、ストリーミング再生できる。
しかしAudirvanaはフォルダービューがない。わたしのように、ジャンル-作曲者-アルバムというように階層フォルダで楽曲を管理している者には大変使いにくい。


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「鳥肉以上,鳥学未満」

川上和人「鳥肉以上,鳥学未満」について。

「諸君は、柔らかい胸と弾力のある太もも、どちらがお好みだろうか」

910t0Zdq_FL.jpg 本書の引用、そのままである。全体にこういう調子である。
映画やアニメ派生のギャグも多い。
脳味噌の話では、脳は完全な食品で、レクター博士が惹かれるのは無理はないというような趣旨の記述もある。

ちなみに冒頭の質問だが、わたしはあばらが見えるような胸が好きである。一部に誤解があるようだが、大きな胸への憧れはない。柔らかい胸と弾力のある太ももなら、後者を選ぶ。
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そういえば、手塚治虫「火の鳥ー宇宙編」には、鳥から進化した知的生命体の住む星(フレミル星)に地球人類が行き、そこでフレミル星人の女と結ばれるという話があった。もちろん結婚してめでたしめでたしではなくて、この男、だんだん妻の脚腰が鳥の脚に見えてきて、ついに妻をばらして食べてしまう。

鳥から進化したなら卵生だろう。ミルクが出るとしてもピジョンミルクのようなもので口から出すだろうから、手塚の絵のようなふっくらした胸にはならないように思うけど。
また鳥だったら総排出口だけど、フレミル星人はどうなんだろう。


プロローグ ニワトリが先か,卵が先か
 
1 ツバサをください
胸肉は,フライの後で
縁の下だからって,力持ちとは限らない
二の腕の気になる季節
おいしい手羽には骨がある
ノー・テバハシ・ノー・バード
 
2 アシは口ほどに物を言う
もももすもももふとももとは関係ない
おいしいスネのかじり方
真っ赤じゃないけど,モミジだな
 
3 一寸の鳥でも五分はホルモン
捨てるトリあれば,拾うガラあり
時には肝を食らう魔物のように
心広ければ体胖なり
胃は口ほどにモノを噛む
 
4 そしてトリもいなくなった
ボンジリ隠して尻隠さず
サブイボと呼ばないで
ロクロ,ロクラー,ロクレスト
画竜点睛
 
エピローグ 卵が先か,ニワトリが先か
というわけでエロ、グロ本である、わけでは全然ない。
見事なまでに鳥肉を食べきる本である。
それはモミジから脳天までのすべてである。

モミジはきいたことはあるが食べたことはない。脳天については、そこを食べるという話は聞いたこともない。
ただしスズメなら姿焼きで食したことは結構あるから、脳味噌の味はある程度検討はつく。


子供の頃、親が今でいうデパ地下で買ってくる鶏の手羽先や脚の照り焼き(甘辛煮?)に舌鼓を打ったことを覚えている。KFCなどない時代である。当時は鶏肉のことを「かしわ」と言っていた。
すき焼きも鶏肉でやることが多く、玉ひもというのはごちそうであった。

それがブロイラーの登場ですっかりすたれてしまった。このごろは鍋にしたいぶつ切りにすら、なかなかお目にかかれない

そのブロイラーは若鳥である。若鳥は親鳥とは骨が違う、成熟していないのだそうだ。
本書のふざけた語り口の例示という意味も含めて、その部分を引用しておこう。

若さゆえのあやまち
 鳥の上腕骨は、中空になっていてガランドウである。ギャランドゥではなく、伽藍堂である。このような骨を含気骨と呼び、鳥の特徴の1つとなっている。鳥の肺には気嚢という空気袋が多数連なっており、体の各所に配置されている。その1つである鎖骨間気嚢は上腕骨の中に入り込んでいるため、この骨は中空になっている。
 気嚢は、骨の内部に入ることで表面積を広げて体内の熱を放出するラジエーターとして役立っていると考えられている。鳥は汗をかくことができないが、その一方で飛翔という激しい運動で生じた熱を体外に逃がす必要がある。そうでないとオーバーヒートして体の内側から棒棒鶏ができあがってしまう。もちろん、上腕骨が中空になることは、軽量化にも大いに貢献する。含気骨の構造は飛期に適応した鳥の進化を映す鏡とも言え、もちろんニワトリにも受け継がれている。空を飛ばず海に潜るペンギンでは、上腕骨の中空化が進んでおらずずっしりしていることから、これが飛翔のための構造ということがよくわかる。
 幸いにも我々は食卓を彩る鳥の唐揚げから上腕骨を入手できるのだから、その進化の極みを実感してもらいたい。夕食のチキンカレーをとびきり上品に食べ、肉の中からいそいそと上腕骨を取り出そう。骨端が太い方が肩の関節だ。その近くを見ると、内側に陥入する穴があるはずだ。これが気嚢が入り込む穴である。  そう、そこそこ あれ? 穴がない?
 まぁしょうがないな。気を取り直して、骨を半分に切断してみたまえ。すると中身が中空になって……いないねぇ……
 いや、私が嘘をついたわけではない。たまに嘘をつくこともあるが、今回は嘘ではない。実に嘆かわしいことに、一般人にとって最も身近な骨とも言える鳥肉の上腕骨では、含気骨の構造を確かめることができないのだ。なぜならば、市場に出回っている鳥肉はそのほとんどが若鳥だからだ。


語り口はふざけているけど(といって腹立たしいわけではない、ちゃんとした大人ならこれで混乱することもない)、さすがに鳥の専門家、知らなかったことがたくさん書かれている。いくつか拾ってみる。

渡り鳥は渡りの前に体を改変するという。
脂肪を蓄えるがそれは体の中心部、末端は軽量化のために減らす。脚の骨は細くなるとある。
納得できる話だけれど、言い換えれば普段の鳥は渡りができる体力は持っていないということである。脂肪を蓄えるのはまだしも、脚を細くするというのは、どんな生理的メカニズムが働いているんだろう。
とにかく、ふぃっと飛んでいくというような気分で渡りはできないのだ。やはり渡りは大変なこと、命がけのことのようだ。

またこんなことも書かれていた。
鳥が歯を失ったのは軽量化のためと説明されるが、これでは納得できない。なぜなら、鳥はそれよりも重たい砂肝を発達させている。嘴は歯の代わりではなく砂肝が歯の代わりである。嘴は手の代わりと言えるようだ。
なお、歯が砂肝に変わって体内に納められたのは、本書でたびたび指摘される「荷重の中心化現象」、過重が中心にあるほうが動きが機敏になれる、である。

ところで、私は前にも書いたようにあばらの部分が好きなのだが、そんな旨味はあまりない笹身も好きである。ただしそれは刺身に限る。
これは胸肉だと思っていたのだけれど、胸のあたりにあるけれど、胸肉ではないそうだ。
胸肉は翼を振り下ろす(つまり体を上げる)動作に使い、ささみは翼を引き上げる動作に使うものだそうだ。飛翔には振り下ろす動作が重要で胸肉は強大だが、ささみはそれに比して小さい。だから筋肉量も少ない。

sirabee161118KFC-4.jpg なにげなく食べている鳥肉だけれど、なるほど鳥学へのアプローチとしてなかなかおもしろい。そういえば、かつてケンタッキーが全部のピースをセットした9ピースバーレルという商品を売り出したことがある。

ケンタに1羽まるまる食べられるパック登場


KFCのオリジナルチキンは、1羽を5種類9ピースにカットしてあるそうだ。

キール(胸肉)、ウィング(手羽・左右)、リブ(あばら・左右)、サイ(腰・左右)、ドラム(脚・左右)

今は売ってないようだが、いつか売り出されることがあったら、買ってみても良いと思う。(一緒に食べてくれる助っ人が必要だけど)

ところで、著者の肩書は次のとおりだそうだ。

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 森林研究部門 野生動物研究領域 鳥獸生態研究室主任研究員 戰略研究部門 生物多様性研究拠点併任

長っ!

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券売機のデザイン

少し前のことだけれど、駅の券売機で、ICOCAのカードを採り忘れそうになった。

私はICOCAができたときすぐに作ったアーリーアドプター(early adopter)であるが、改札機をタッチして通る以外の使い方はあまりしたことがない。

ICOCAで決済できる自動販売機や店頭販売はたまに利用する。新幹線の駅ホームの自動販売機で飲み物を買ったのが、憶えている限り最初の改札機タッチ以外の使い方だった。ドトールコーヒーや松屋ではICOCAが使えるが、行く機会は少ないが、行けばICOCAで決済することが多い。


さて、問題なのは駅で切符を買う場合にICOCAで買うという場合。
改札機タッチで今まで何も気にしてこなかったが、この頃、回数券を買うようになってから、以前は券売機で現金で買っていたのだけれど、面倒なのでICOCAで決済しようと考えた。

kenbai-ht50-1.jpg 初めて券売機でICOCAを使うときに、いったいどこにICOCAを入れるんだろうとしばらく迷った。
ICOCAのチャージ専用機の場合、カードを挿入するスリットがある。ここにICOCAを挿入してチャージ額を指定して現金を入れる(スマートICOCA=クレジット連動型ICOCAならクレジットチャージを選んで額を指定するだけ)。

ところが券売機の場合はICOCAを挿入するスリットがないのである。
券売機にはいろんな型があるらしいから、私が普段利用している駅の券売機に限ってのことだけれど、スリットは2つあって、一つは紙幣用、もう一つは「カード・定期」と表示されている。だからICOCAもここに挿入するのだろうかと思ってそうしてみたけれど突っ返される。
よく見ると、右下、硬貨投入口のすぐ下に「ic」と表示された場所がある。ここへICOCAを置けば良いのである。

というわけでICOCAで切符(回数券)を買うようになったのだけれど、変に慣れてきたところで、こんどはICOCAの取り忘れをやりそうになった。

自販機のようにタッチすれば良い場合は手に持ったままだから取り忘れはアリエナイ。カードを挿入するタイプの機器の場合、処理が終わればカードが押し出されてくるのが普通だから、取り忘れることはあまりないだろうし、取り忘れたら警告音も鳴ると思う。
ところが、上述の券売機の場合は、カードは置いた場所にそのままあり続ける。
購入した切符が出てきたらそれで目的を果たした気になるから、カードのことを忘れてしまうのかもしれない。
なぜ、カード・リーダーライターを置かせるようなデザインにしたのだろう、垂直面に設置して決済時に手でもったカードをタッチさせるようにしたほうが良いのではないだろうか。

お前はアホかと言われそうだが、私にはアフォーダンスを考えないデザインだと思える。
私は取り忘れそうにはなっても、実際には忘れたことはないが、忘れる人は全くいないのだろうか。

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「避けられた戦争」

プロローグ
転機はいつか?/マクマリー說の波紋/ポスト冷戦下の新しい研究動向/歴史教科書におけるギャップ/学術書と一般書のギャップ/オルターナティヴの歴史研究と史実/本書のアプローチ
 
第一章 ヴェルサイユ会議と日本
 1 第一次世界大戦の講和構想をめぐる対抗
膨大な犠牲者を生んだ第一次世界大戦/ロシア革命政府の「平和に関する布告」/ウィルソン大統領の「一四カ条」
 2 ヴェルサイユ講和会議の召集
第一次世界大戦の終結/ヴェルサイユ講和会議の始まり/日本代表団の準備/日本の対華二一カ条要求と米国の反発/米国と中国の参戦/ヴェルサイユ講和会議における山東問題/人種平等条項の否決/新外交と旧外交の並存
 3 日本社会の反響
国際連盟協会の発足/近衛文麿の「新外交」批判/講和会議参加後の近衛文麿の変化/民族派の台頭と「新外交」批判/北一輝のヴェルサイユ体制論/『日本改造法案大綱』の影響/日米開戦論のベストセラー化/日米開戦論登場の意味/日露戦後の米国における対日開戦論の登場/第一次世界大戦後の米国における日米開戦論
 4 日米両軍による戦争計画の実相
米軍の対日戦争計画/「オレンジ・プラン」の特徴/一九〇七年の帝国国防方針/一八年の国防方針改定/関東都督府の改組
 
第二章 ワシントン会議と日本
 1 米国における共和党政権の誕生とワシントン会議の提起
ヴェルサイユ条約否決の衝撃/戦争違法化運動の始まり/ワシントン会議の提案/日本のワシントン会議にむけた準備
 2 ワシントン会議での対立と合意
海軍軍縮問題/日英同盟の解消/中国における門戸開放原則と既得権益/山東問題の処理/対華二一カ条要求関連をめぐる対立
 3 米国はなぜ「門戸開放」にこだわったのか
門戸開放政策の英国起源/米西戦争と「反帝国主義論争」/二種類の門戸開放政策/門戸開放政策と満州/ドル外交と中国/米国による「勢力圏分割」外交
 4 ワシントン会議に対する日本社会の反応
徳富蘇峰の反発/大川周明の批判/幣原喜重郎の反論/渋沢栄一の軍縮賛成論/石橋湛山の小日本主義
 5 日本における軍部権限抑制論の台頭
大正デモクラシーと軍部抑制の模索/第一次世界大戦後の軍縮ムードの高まり/軍令と軍政の構造的矛盾/吉野作造の帷幄上奏批判
 6 ワシントン条約に対する日本軍部の反応
海軍軍縮条約をめぐる海軍内部の対立/日本陸軍の軍縮対応/一九二三(大正一二)年の国防方針改定/ワシントン体制は存在したのか?
 
第三章 米国の日系移民排斥と反米感情の噴出
 1 一九二四年移民法の成立
米国における日系移民/ヨーロッパにおける黄禍論の台頭/米国流の黄禍論/米国西海岸での排斥法の制定/一九二四年移民法と東南欧系移民差別/一九二四年移民法と日系移民
 2 一九二四年の米国移民法に対する日本社会の反発
日本における抗議の動き/上杉慎吉の日米必戦論/徳富蘇峰の怒りと自制/アジア主義の起源/黄禍論を批判する白禍論/欧米協調とアジア主義の間/第一次世界大戦後の大アジア主義/一九二四年移民法への反発/樋口麗陽の対米戦争自制論/孫文の「大アジア主義」講演の含意
 3 国際協調派の苦悩
幣原外交と日系移民排斥/国際派知識人の反発/鶴見祐輔の米国講演/浮田和民の日米非戦論/一九二〇年代の日米関係/米国政府関係者の憂慮
 
第四章 中国の国権回復と米英ソ日の対応
 1 中国の政権分立と国権回復運動の始まり
辛亥革命後の中国と政権分立/中国共産党の結成と第一次国共合作/北伐の開始と国民政府による全国統一/第一次世界大戦参戦と国権回復/ロシア革命と旧ロシア利権の返還/修約外交と革命外交の並走/ワシントン条約と国権回復
 2 米英の帝国縮小戦略への転換
五・三〇上海事件の発生/新任公使マクマリーの主張/米国宣教師団の警告/北京関税特別会議の開催/英貨ボイコットの激化と英国の政策転換/ポーター決議案とケロッグ声明/南京事件の発生/中米新通商条約の調印/マクマリー覚書の発見/マクマリー覚書の意味
 3 第一次幣原外交と中国の国権回復運動
護憲三派内閣の成立と幣原喜重郎の外相就任/中国の軍閥戦争と幣原外交/郭松齢事件と関東軍/上海での五・三〇事件と日本/北京特別関税会議と日本/南京事件と幣原の不干渉政策/幣原の弁明/武力不介入の意図/不介入政策と第一次若槻内閣の崩壊/第一次幣原外交の功罪
 4 中国の国民革命と日本社会の反応
日本人の中国国民革命イメージ/大アジア主義者のディレンマ/北一輝と中国の国権回復運動/大川周明の場合/日本陸軍の「支那通」とは?/中国軍閥との癒着/国民党通は例外的/石橋湛山の満蒙特殊権益の放棄論/吉野作造の「対支膺懲」反対論/国民政府承認の提案
 
第五章 山東出兵と張作霖爆殺事件
 1 田中義一内閣の成立
陸軍エリート田中義一/田中の対中国政策/在郷軍人会の創設/愛国団体の中核としての在郷軍人会/政治家としての田中義一/森恪の登場/政友会の若槻内閣批判/幣原外交批判/田中義一内閣の顔ぶれ
 2 田中外交と対中国政策
第一次山東出兵/東方会議の開催/「対支政策綱領」の意味/「田中上奏文」の真相/「対支政策綱領」の日本と英米の溝/田中義一と蒋介石の非公式会談/平行線に終わった会談
 3 済南事件と中国の「排日」運動激化
第二・三次山東出兵と済南事件/済南事件の影響/済南事件の事後処理/日貨ボイコット運動の激化/幣原喜重郎の田中外交批判/吉野作造の山東出兵批判/男子普通選挙と天皇の政治利用の強まり/無産政党の対支非干渉運動/不戦条約の成立
 4 張作霖爆殺事件と田中内閣の総辞職
北伐軍の北京入城と田中政権/石原莞爾の満蒙領有論/河本大作の張作霖排除論/陸軍内世代対立の深刻化/張作霖爆殺事件の勃発/田中首相の反応/元老、西園寺公望の見解/陸軍の抵抗/昭和天皇の叱責/張作霖爆殺事件処理の否定的影響/満州事変への連続性/張作霖爆殺事件の反響/張作霖爆殺事件の教訓/石橋湛山の満蒙特殊利権論への批判/吉野作造の国民政府承認論
 
第六章 ロンドン海軍軍縮条約から満州事変へ
 1 浜口雄幸内閣の成立
浜口雄幸とは/浜口内閣の特徴
 2 ロンドン海軍軍縮会議と統帥権論争
ロンドン海軍軍縮会議の開催/条約批准をめぐる統帥権干犯論争/昭和天皇とロンドン海軍軍縮条約/議会での批准審議/主要新聞の動向/美濃部達吉の文民統制論/政党政治の危機/浜口首相に対するテロ/大川周明のロンドン海軍軍縮条約批判/池崎忠孝の『米国怖るるに足らず』/北一輝の対米戦回避の勧め/宇垣陸相の日米対立緩和論/浜口首相の最後/三月事件の発覚/青年将校層の「昭和維新」志向/軍部独裁体制論の矛盾
 3 第二次幣原外交と中国
第二次若槻内閣の誕生/幣原外交と中国の統一/東支鉄道問題と中ソ戦争/中国の関税自主権承認/満州での対立激化/松岡洋右の「満蒙は日本の生命線」論/中村大尉事件と万宝山事件/森恪の満州視察
 4 満州事変とリットン調査団
柳条湖事件の勃発/若槻内閣の不拡大方針/関東軍の満州全域占領と中国の国際連盟提訴/一〇月事件と国際連盟の調査決定/若槻内閣の崩壊と犬養政友会内閣の発足/スティムソンの幣原外交への期待/スティムソン声明の発表/犬養内閣の構成と対中構想/上海事変の勃発/血盟団事件と五・一五事件/リットン調査団報告の作成過程/リットン調査団報告の内容/日本の国際連盟脱退
 
エピローグ 戦争を避ける道はあった
 1 戦争を避ける二回のチャンス
日本が戦争を避けるポイントは?/中国の関税自主権の承認/在留邦人の安全確保/在中利権の一部返還/民主政治の未成熟/軍部に対する文民統制の強化/「新外交」時代認識の普及/戦争体験の受け止め方の差
 2 現在の歴史認識への教訓
植民地支配の反省欠如/アジア太平洋戦争の原因説明/主体的反省の欠如/一般的反省の歴史認識への適用/日中の歴史対話の接点/日韓歴史和解の困難さ/「脱植民地化」の歴史認識の芽生え/韓国における「東アジア史」の開発/「脱近代」的歴史認識の推進
 
あとがき
今日は日米開戦の日。というわけで、

油井大三郎「避けられた戦争
   ─ 一九二〇年代・日本の選択 」

をとりあげる。

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もっとも本書は日米開戦以前、満州事変へ至るまでの歴史を辿り、それを避けられるような政策転換ができなかったのかを検討しているから、日米開戦の今日(米国ではまだ12月7日)より、9月18日(1931)のほうがとりあげるにふさわしい日かもしれない。

本書の多くの部分は、国の進路をめぐる政府と軍部の争いの期間に多くあてられている。おそらく、完全に軍が国を抑えてしまってからは、戦争を避けることはできなくなったという思いがあるのだろう。

別書にも書かれていたことだが、必ずしも軍だけが一方的に文民政府を攻撃したわけではない。有名な統帥権干犯問題は、浜口雄幸内閣、そして幣原外交をつぶすために、政友会が言葉尻をとらえるような形で言い立てたという面がある。文民側が権力奪取のために統帥権を利用したという面もあるわけだ。

これについては、「憲法の無意識」で紹介されていて、本ブログでも、以前、書評記事を書いた。また統帥権が大日本帝国憲法で政府にゆだねられなかった事についても同書の説明を紹介した。


なるほど統帥権干犯を問題にしたことは党利党略かもしれないが、その前提として、この国には、政府と軍という形の、権力の二重構造、というより分裂構造があり、これがヴェルサイユ会議から満州事変へ至るまでの、政府の国際関係調整の足枷となるわけだ。

本書では、その体制とともに、外交についての意識が二分されていたことも繰り返し述べられる。それを第一次世界大戦までの帝国列強が力を競う「旧外交」と、剥き出しの帝国主義を転換して帝国を縮小し(植民地からの撤退など)、国際協調を重視する「新外交」と表現している。

もちろん日本にもこうした海外の外交政策の基調が変わっていることを熟知する政治家もいる。その代表が石橋湛山で、満蒙特殊利権論を批判し、満州にこだわるより、中国全体との交易の方がはるかに利益が大きいと主張した。

これについては私も前から不思議に思っていたことで、イギリスなどの政策を見ていれば、領土という陣取りゲームをするより、どこにも植民地など持たない戦後日本が、戦前以上の発展を遂げることができたその経済体制を良しとする人はいなかったのかと思っていたが、やはりちゃんと世界のことも経済のこともわかっている人はいたわけだ。

しかしそういう意見も、陣取りゲームしか関心のない軍(経済戦では軍の出番はない)には響かなかっただろうし、文民の間でも党利党略の間に埋没したのだろう。マスコミも別の道があることを報道するより、陣取りゲームのほうが目に見えてわかりやすいから、そちらばかり報道したかもしれない。

本書は最後に「エピローグ 戦争を避ける道はあった―戦争を避ける二回のチャンス」を掲げている。目次を掲載したから、その2回のチャンスが何であったかはわかるだろう。

そして、現在の政府に欠けているのは、この歴史認識であると指摘する。
著者のような歴史認識は自虐史観とレッテルを貼られる。私も欧米に有色人種を蔑視する風潮がなかったとは思わないが、欧米が日本を戦争に追い込まないように再三シグナルを送ってきていたことも事実のようだ。
そのシグナルに気付かない、あるいは気づいたとしても無視してきた、言い換えれば戦争を避ける努力をしてこなかったという歴史がありながら、列強の日本圧迫によって戦争に追い込まれたと解釈して恥じないというのはいかがなものだろう。

難しいことはわからないとしても、自分たちが攻撃されたと見せかけて、防衛のために闘ったという嘘を繰り返しただけでも(天皇に対しても嘘をつく!)、恥ずべき犯罪、武士道に悖る行為と言わざるを得ないだろう。
(武士は卑怯なものという説もあるが)

右に細かい目次を載せたから、内容が十分推察できると思う。関心の湧いた方はどうぞご一読を。
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フィッシャー/デンマーク国立室内管弦楽団のモーツァルト

素人なので、いいかげんな感想になるけれど、フィッシャー/デンマーク国立室内管の演奏について思うことを。

まず思ったのが、マッケラス/スコットランド室内管弦楽団と、ちょっと似た感じだということ。
物理的には、スコティッシュもデンマークのどちらもいわゆる室内管弦楽団という編成ということが同じ。具体的な人数はわからないが、弦パートはどちらも、せいぜい20人までといったところだろうか。
そしてどちらも、ピリオド楽器を使う楽団ではないというところも同じで、それが音色が似通っているということにもつながっているのだろう。

ただし、ティンパニはバロック・ティンパニだと思う。以前、大フィルのモーツァルトを聴いたことがあるが、普通の編成でもティンパニはバロック・ティンパニだったと思う。


となると演奏の違いは指揮者の違いということになる。
これは、フィッシャーの方が、やや思い入れが強くて、曲がうねる感じになる。

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いくつかの曲をとりあげてみよう。
まずK.183 ト短調の交響曲。
この交響曲は、次のK.201とのカップリングでマリナー/アカデミーのLPでよく聴いた。実はこの中期の交響曲を聴いたのはこのLPがはじめてで、かなり驚いた、そして気に入った。
さて、フィッシャーの演奏だが、SACDだからだろうか、ダイナミックの差がかなりある。そして、それよりもテンポのゆれが大きい。この曲の場合、激しい部分は速く、そうでない部分はゆっくりとしていて、急→緩ではタメがあって、緩→急ではフライングするような感じ。

K.201は、マリナーはすごく甘い音を出していたけれど、フィッシャーはそれほど甘くは響かせない。ただし伸縮自在という点は、K.183とも通ずる。これはこの指揮者の感性なんだろう。

K.550は激しい。
第三楽章で思ったのだけれど、弦楽器が弓を強く当てたときのギリッと言う音まで気持ちよく感じる。

2020-12-04_232900rr.jpg K.551は実に派手派手しい演奏である。
第四楽章ではっきりとわかるが、C-D-F-Eの有名なモティーフもそうだが、長音は伸ばし切るのではなく、最後に休符がついているぐらいに切られている。冒頭ではそれほど目立たないが、激しくなってくるとかなりブツ切れという感じになってくる。それがこの曲の造り―さまざまなモティーフが複雑に組み合わされている姿をくっきりと見せるようだ。
ただ、こういう風に音価いっぱいに演奏しないで切れるのはどうなんだろう、好き嫌いが出そうだ。

全体の傾向として、この指揮者は強弱とともにテンポをゆらせる。
それがト短調では効果的になるが、へたをすると下品な演奏になるかもしれない。

それにしてもこういう指揮にしっかりとついていくオーケストラも大したものだ。

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初期・中期の交響曲が〈ハイレゾ〉で聴きたくなって

前に、チャールズ・マッケラス/スコットランド室内管弦楽団のSACDを2つ(4枚)購入したことを書いた。

マッケラスのモーツァルト
マッケラスのモーツァルト交響曲(その2)


その記事で「こうやってSACDを買っているが、SACDで全集が出たりしたら、やっぱり購入するんだろうか」と書いているけれど、やはり欲望が抑えがたくなってきた。とりわけ気に入っている初期・中期の交響曲であるK.134、K.183あたりをハイレゾで手に入れたい。

それでネットを調べていたら、マッケラス/スコティッシュではなく、アダム・フィッシャー/デンマーク国立室内管弦楽団が全集を出していることが分かった。全集としてそろったものは普通のCDのみだけれど、バラ売りはSACDもある。

交響曲全集といえばLP時代はベーム/ベルリンフィルのものが定番のようなもので、私も全集を持っている。これもSACD化されているのだけれど、持っているLPと同じ演奏のものを買うのはもったいないし、何よりリマスターとかでない、新しい録音のものが欲しいので、LP時代のものはパス。


P_20201128_195653-crop.jpg

第6集(1772-73)
 第19番変ホ長調K.132
 第20番ニ長調K.133
 第21番イ長調K.134
 第26番変ホ長調K.184

第7集(1773)
 第27番ト長調K.199
 第22番ハ長調K.162
 第23番ニ長調K.181
 第24番変ロ長調K.182
 第25番ト短調K.183

第8集(1774)
 第29番イ長調K.201
 第30番ニ長調K.202
 第28番ハ長調K.200

第12集(1788)
 第40番ト短調K.550
 第41番ハ長調K.551 「ジュピター」

アダム・フィッシャー(指揮)
デンマーク国立室内管弦楽団
というわけで、フィッシャーが手頃な価格で売られていたら良いなぁと思って、Amazon、Tower、HMV、楽天(NAXOS)を見ていたら、NAXOSが、一部盤に限りだけれど、異様に低い値付けをしていることに気づいた。何と1枚990円(税込)である。ショップによって違うが、普通は2,000円ぐらいだから半額である。
それで、第6、7、8集、そして最後の第12集の4枚を購入することにした。合計3,960円(送料込)。ただし在庫なし、取り寄せとなっていたので、10月20日に注文したものが、11月28日にようやく届いた。

なおCDだと12枚がそろったボックスが5,000円ちょっとだから、SACDはやはり高い。であるけれど音の違いはこの値段差以上のものがある。


この全集(といって私は全集をそろえたわけではないが)は、作曲時期順に収録されている。
別に変ったことじゃないじゃないかと言われそうだが、多いのは第1番から第41番まで番号順に収録してあるものや、ケッヘル番号順つまりK.16~K.551という配列である。

だから新しい研究成果を基に交響曲番号が前後したり、ケッヘル番号が前後したりしている。(もちろん最新のケッヘル番号なら昇順になる)
各盤のジャケットには作曲年が表示されている。

交響曲は、8歳の時の作品(K.16=第1番)から、32歳(K.551=第41番)まで、最晩年とはいかないまでも、生涯の長い時期にわたって書かれていて、通して聴けばモーツァルトの成長が感じられると思う。
その点、もう一つの生涯にわたって作曲したジャンルであるピアノ協奏曲は、初期の習作的なものを除けば、17歳のときのK.175=第5番から、35歳のときのK.595=第27番まで、いずれも完成された感がいっぱいで、順に聴いて成長を感じるというようなものではないと思う。逆に言えばピアノ協奏曲は全集を買ったとしてどれを聴いても良い買い物をしたと思えるもので、交響曲の全集は、この頃はこんな曲を書いていたんだなぁという感慨を持てるものという感じがする。

モーツァルトの中期といえば一体何歳なんだろう。ジャンルによっても違うのかもしれないが、交響曲に関して言えば、ト短調K.183を書いた17歳はどう考えても初期とは思えない。
しかし、グリム男爵の1778年7月27日付のレオポルト宛の手紙によれば、「彼が出世するためには、才能は今の半分でよろしい。そのかわり、いまの倍は世知にたけていてくれたらと思います」というわけで、22歳でもまだまだ子供だったようだ。


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229回忌

今日はヨアンネスの229回忌。
例によって、K.626をじっくりと聴く日である。(というか他の日には聴かないようにしている)

今年は新しいCDなどは買っていないけれど、ちゃんとしたSACDプレイヤーを買って、オーディオセットの音が見違える(聞き違える?)ようになったので、その環境で。
当然、SACDで収録されている演奏を聴く。

KV626_Jansons_SACD.jpg

モーツァルト:レクィエム ニ短調 K.626
      (ジュスマイヤー補筆完成版)

 ゲニア・キューマイアー(ソプラノ)
 ベルナルダ・フィンク(コントラルト)
 マーク・パドモア(テノール)
 ジェラルド・フィンリー(バス)

 オランダ放送合唱団
 ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団

 マリス・ヤンソンス(指揮)

 録音時期:2011年9月14-16日
 録音場所:アムステルダム、コンセルトへボウ
 録音方式:ステレオ(DSD/ライヴ)
 SACD Hybrid
    CD STEREO/ SACD STEREO/ SACD 5.0 SURROUND



【追記】

上のSACDは未明に音量を落として聴いた。
しかし、ある程度の音量がないと、本来の音にはなっていないようで、ちょっと物足りない思いをした。そこであらためて、午後にもう1枚のSACDを聴くことにした。

JohButt_KV626_SACD.jpg こちらの演奏のほうが小編成ではないかと思う。
録音風景の写真がリーフレットに掲載されているが、それを見ると、あまり広くない教会での収録のようだし、コーラス全員の名前が掲載されている―4パート各4人(ソリストも入れて)。オーケストラの名前も全員掲載してある。


モーツァルト:レクィエム ニ短調 K.626
 (デイヴィッド・ブラック校訂1793年初演復元版)

 ジョアン・ラン(ソプラノ)
 ローワン・ヘリアー(アルト)
 トーマス・ホッブス(テノール)
 マシュー・ブルック(バス)

 ダニーデン・コンソート

 ジョン・バット(指揮)


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Microsoft 365 Personal charged successfully

先日の"Microsoft 365 personal?"の記事の続報。

よくわからないけれど、ハードウェアにバンドルされていた"Office 365 サービス"(PC 1台のみにMS Officeをインストールできる)ライセンスが、いつの間にか"Microsoft 365 personal"(何台のPCにもMS Officeをインストールできる)に変更されていて、しかも、通常年間12,984円のライセンス料が、私の場合6,384円でOKというような表示になっていた。

本当にこれで良いのか少々訝しく思っていたが、問題のライセンス更新日の翌日(一昨日12月2日)に、Microsoftから、本記事のタイトルと同じ件名のメールが届いた。

2020-12-03_101049m.png

更新料の決済が完了したことの通知である。
そして、そこには、"Recurring billing will happen every year at ¥6,384 including taxes."と書いてある。
もしMicrosoft 365 personal年間契約者に型どおりのメッセージを送っているなら、\6,384ではなく、\12,984になっているだろう。つまり、メッセージがMicrosoft側の手違い・間違いでなければ今後毎年 6,384円でライセンスを更新できるというわけだ。
2020-12-02_222950m.jpg

念のため、Microsoftアカウントのサブスクリプションの画面でも確認したが、そこにも毎年{\6,384}、次回の請求日:2021/12/01とはっきり書かれていた。


これで、少々不調になっている現在のPCを、Officeなしで買い替える決心がついた。

ところで、このMicrosoftのメール(送信者:Microsoft Store 〈[email protected]〉) 、どうして英語なんだろう。金額表示は円だけれど。


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理髪店の変更

P_20201202_125321.jpg 昨日、久しぶりに散髪した。
久しぶりといってもいつものこと、私は多くても2ヵ月に1回ぐらいしか散髪には行かない。学生のときには半年に1回ぐらいだったから、これでも頻度が高くなったと、自分では思っている。

以前、散髪屋さんに聞いたところでは、男性の散髪の頻度は1~1.5ヵ月に1度とかだそうだ。ただし新型コロナ禍で散髪屋に行くのを控える人も増えて、もう少し頻度は下がっているとも。


私は、おしゃれとかファッションという観点でのヘアスタイルにはこだわりはない。身だしなみとしては少しは考えるふらい。
何より髪が伸びてくると鬱陶しく、頭もすっきりしない。それに洗髪時間が長くなり、シャンプーも多めに必要だ。さらに洗髪後の髪の乾きも悪い。
かといって、長くなるまでの時間稼ぎで坊主にするというような勇気はない。

散髪屋が言うには、坊主頭はかえって手入れが大変らしいが。


P_20201124_113949-crop.jpg さて、昨日は今まで行ったことのない散髪屋。
前にいつも通っていた理髪店が閉店し、閉店のお知らせで、近所(歩いて2~3分)にある系列店が案内されていて、そちらへ行った次第。(後のテナントは美容室だけど…)

こちらの店は、前の店に比べて少し狭いがおしゃれな感じ。待合室と処置室(といってよいのかな)が仕切られていて、ゆったり待てる感じがする。
実は、家から歩いて3分ぐらいのところに、散髪(男性のカット:1,800円)もできる美容院があるのだけれど、どうも美容院というのは敷居が高い。ちょっとそちらへ行ってみようかという気もあったのだけれど、店の駐車場にたくさん車が停めてあって、待ち時間が長くなったらイヤだなぁとも考えて、素直に前の店の系列店へ行くことにした。

この店は、前の店とどうよう、どちらかといえば廉価の店である。こういう店は処置時間が短くて、ヘアスタイルにはかまわない、とにかく長いのをなんとかしたいという私には向いている。顔剃り、洗髪をいれても、20分もかからない。

気になったのは系列店といっても、システムが違うだろうから、料金はいくらだろうということ。
顔剃り、洗髪込で料金は1,700円。前の店が同じコースで2,000円だったから、こちらのほうが安い。
なんだ、これなら前の店じゃなくて、ずっとこっちの店で良かったじゃないか。

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一休寺いろいろ

一休寺の紅葉を見に行ったことで、紅葉以外のこともいろいろ書いてきた。
今日は、その最後に、これもまた紅葉とは関係のない、拾い集め記事。

はじめは紅葉とも関係がないわけではないけれど、紅葉を一段と美しく思わせる苔の写真。
数年前から人気が出たからだろうか、以前より心なしか丁寧に手入れされているように思う。

P_20201122_135417.jpg

さて次はこのお寺に葬られている有名人。
能の観世流の人たちと並んで、六角承禎(義賢)の墓がある。

訪問したこの日放送の「麒麟がくる」は、朝倉・比叡山と信長のにらみ合いの場面。このときに六角承禎も信長に対抗していたhずだが、残念ながらこの重要な戦国大名は名前だけの出演だったようだ。


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次は罪のない一休とんち話の見える化。

P_20201122_135259_vHDR_Auto-crop.jpg P_20201122_135250.jpg
こんなところにお賽銭が

そして最後は、本当の一休禅師の有名な歌から。

P_20201122_140009-crop.jpg
アニメ「一休さん」の決まり文句(あわてない、あわてない、一休み、一休み)はこの歌に由来かな。
このあたりは紅葉はまだまだのようだ

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一休寺宝物館

宝物館という名前は一休さんには似つかわしくないと思う。

かといって秘宝館が似つかわしいとは言わないけど。


この寺へ来たら、たいていは宝物館にも入っているのだけれど、前田利常の書状とかが記憶にあったけれど、あらためてよく見ると、一休禅師の手になるものが多く展示されている。

「酬恩庵法度」というのも一休禅師が定め、その手で書かれている。

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「酬恩庵法度」

P_20201122_134724-crop.jpg 一休さんが正月にしゃれこうべを持って歩いた話は有名だが、それと関連があるのかどうか、骸骨のお面というものが展示してあった。

また、意外だったのは、一休さん愛用の一節切。
一休さんが音楽にも達者だったとは初めてきいた。

P_20201122_134714-crop.jpg

ここには、とんち小僧の一休さんでも、奇人のオトナの一休さんでもない、ちゃんとした僧の一休禅師が展示されている。

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六二郎。六二郎。

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