「暮らしの古典歳時記」
特に大晦日の話題というわけではないけれど、歳末の歳にかこつけて、歳時記について。
といってもいわゆる歳時記は俳句をたしなまない身ではどうにもならない。
とりあげるのは吉海直人「暮らしの古典歳時記」というエッセイ。

同じようなノリだったら、前著を読んでも良いと思う。かたぐるしくない蘊蓄ばなしである。
本書も前著も、著者が勤める大学のホームページのコラムに書いたことがもとになっているそうだ。
⇒同志社女子大学>研究活動>教員によるコラム
このコラムはネットで公開されていて誰でも読めるから、本を買わないで読む人もいるかもしれない。
「歳時記」というからには、季節に合わせたテーマをとりあげるわけだが、なかなか多彩な分野がとりあげられている。古典というのは、長い歴史の中で残ってきたものだから、それだけの厚さがあるわけだ。
古典といえば、私などは下っても江戸時代だと考えてしまうが、著者はもう少し広くて、漱石はもちろん、宮沢賢治や島崎藤村の話も本書でとりあげている。
どういうものがとりあげられているかは目次を見ればわかると思うけれど、蘊蓄ばなしとしていくつかここに例示してみよう。
まず、正月の話題で、鏡開きの日が、東京と関西で違うのはなぜかというのがある。もともとは1月20日だったものが、徳川幕府三代将軍・家光の忌日が4月20日だったため、月命日の20日を避けたからという。しかし将軍のおひざ元ではない関西では、昔の風習がそのまま継続したのだという。

毎年報道される近江神社のかるた大会、映画(漫画)「ちはやふる」でおなじみのもの。
もっとも、雅に押さえるといっても、競技だったらどんな早わざが行われているんだろう、それも見てみたい気はする。もとが優雅なものでも、競技になったとたん、とんでもない荒業になる。羽根つきとバドミントンとか、まりつきとバレーボールとか、いつから命がけの争いごとになったんだ。
はじめに | |
第一章 新・歳時記 | |
ねずみの基礎補知識/ 新暦になって正月が寒くなった!/ うぐいすの話/ 愁ひつつ岡にのぼれば花いばら(蕪村句集)/ 「夏は来ぬ」をめぐって/ 蛍の文学史/ 秋風の解釈/ 謎だらけのイチョウ/ 冬至と日本人の知恵/ 新しい元号/ 新元号「令和」の出典について | |
第二章 記念日あれこれ | |
記念日あれこれ/ 正月三日はかるた始め式/ 鏡開きは十一日か十五日か/ いちご記念日(一月十五日)/ 節分(立春の前日)の「鰯の頭」と「柊鰯」/ 二月が二十八日のわけ/ 五月十四日はけん玉の日/ 五月二十七日は百人一首の誕生日?/ 七月七日はカルピスの誕生日/ 八月十三日は「君が代」記念日/ チキンラーメン誕生秘話―八月二十五日―/ 「敬老の日」と「老人の日」/ 十月十日は何の日?/ 十一月五日は津波防災の日(世界津波の日)/ 十一月十一日は何の日?/ 時は元禄十五年師走半ばの十四日/ クリスマス·イヴは十二月二十五日?/ 大晦日の疑問 | |
第三章 花島風月を楽しむ | |
猫の慣用句」/ 「豚に真珠」をめぐって/ 「白熊のやうな犬」とは/ 古典文学と雀/ 都鳥幻想/ 「七つの子」の謎/ 夕方鳴くのは「からす」か「かえる」か/ 蜘蛛の文学史/ 蜘蛛の巣は物の怪の象徴!/ 和泉式部と「鰯」、あるいは紫式部と「鰯」/ 童謡「赤とんぼ」のノスタルジー/ すばるからの連想/ 「案山子」は「かがし」?/ 落語「鼓が滝」 | |
第四章 生活の中の古典文学 | |
藤村と林檎/ 「おにぎり」と「おむすび」の違い/ 「卵」と「玉子」の使い分け/ 『源氏物語』と和菓子/ 「桜飯」―所変われば品変わる―/ 百人一首はおいしい/ 「うまい」と「おいしい」/ 「正露丸」の意味/ 絆創膏の呼び方/ くしゃみからの連想/ 人丸は防火の神様?/ 現代に生きる菅原道真/ 「桃栗三年柿八年」の続き/ 本名と号の組み合わせは不可?/ 三行半の真実/ 右と左の話/ 大和魂について | |
第五章 京都文化 | |
近衛の糸桜/ 銀がないのに銀閣寺/ 鞍馬の文学散歩/ 貴船神社で何を祈る?/ 京都における秦氏の重要性/ 小野墓の逸話 | |
あとがき |
童謡「七つの子」は、私が子供の頃も、七羽の子供なのか、七歳の子供なのかどっちだろうという話があったけれど、作詞者(野口雨情)は「七羽でも七歳でも歌ってくださる方がなっとくされりゃ、それでよござんしょ。」と言ったのだとか。
ちなみに鳥類学者は、カラスは一度に4つぐらいしか卵を産まない、の寿命は10年ぐらいで7歳だったらとっくに成鳥になっている、とどちらの解釈もできないという。
こういう無責任な歌詞をめぐって、「真剣な」検討をすることは、結構、面白いものである。
一番気に入った話は、和泉式部の鰯好きのこと。
これについては該当部分を転載しよう。
和泉式部と「鰯」、あるいは紫式部と「鰯」
鰯は昔から庶民の食べる安価な魚で、平安朝の貴族が口にするのは卑しいとされていました。ところが紫式部は大の鰯好きで、夫宣孝に見つからないようにこっそりと隠れて食べていたとのことです。実はこの話、もとは紫式部ではなく、和泉式部の鰯好きとして語られていました。それは『猿源氏草紙』という御伽草子に出ています。和泉式部は鰯が大好物で、夫保昌の留守中に焼いて食べていました。
ある日のこと、夫が出かけたので、いつものように鰯を焼いて食べていたところ、突然夫が戻ってきました。慌てて隠しましたが、帰宅した夫は部屋中に焼いた鰯の匂いがしていたことから、和泉式部が鰯を食べたことを見抜きます。そして、卑しい魚がお好きですねと冷やかしました。すると和泉式部は即座に、
日のもとにはやらせたまふ石清水
まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
と歌で反撃しました。この歌は『八幡愚童訓』にある、
日の本にいははれたまふ石清水
まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
を利用したもので、決して和泉式部のオリジナルではありません。しかしながら「石清水八幡」に「鰯」を掛け、さらに「参る」に参拝する意味と食べる意味を掛け、それを食べるのは当然だと切り返している点、見事としか言いようがありませんね。だからこそ和泉式部にふさわしいのです。これにはさすがに夫の保昌もたじたじとなり、歌を返すこともできません。そこで和泉式部の肌が潤ってきれいなのは、鰯を食べているからだとお世辞をいいます。この一件以後、和泉式部は堂々と鰯を食べることができるようになったということです。
式部の歌を載せたので、もう一つ、小野篁歌字尽というもの。
春椿 夏は榎に 秋楸 冬は柊 同じくは桐
令和二年を閉じる話題としていかがでしたでしょうか。
本書は、肩の凝らない読み物、気楽にどうぞ。