「歴史探偵 開戦から終戦まで」(その2)
半藤一利「歴史探偵 開戦から終戦まで」の2回目。
昨日は、第一章から第三章までをとりあげた。
「第四章 櫓太鼓や墨田川」は主に相撲の話で、どちらかというとほのぼのとした随想が集められている。
「開戦と終戦まで」というのとは随分はなれるので、ここで紹介してもなぁと思ったのだけれど、これがなかなか面白いので、やっぱり2回目の記事にすることにした。
著者は大変な相撲ファンのようで、相撲への思いや蘊蓄が語られるわけだが、やはり戦争中や戦後すぐぐらいの時期の話が中心。
ちょっとびっくりしたのは(著者も調べて驚いたと書いている)、相撲興行は、戦争中も昭和20年6月7日から一週間、場所も空襲で焼け落ちたあとの両国国技館を片付けて行われたのだという。
これは、まだ降参していないぞと海外向けのPRで、海外向けにラジオで実況中継もされたそうだ。
そして戦後の相撲の復活も早かったという。本書では米国人が熱狂する様子もうかがえる。転載しておこう。
GIの熱狂ぶりを紹介したので、他の外国人の見た相撲についても本書から転載しておこう。
相撲の話をしててもやっぱり戦争のことは頭をよぎるようで、四股名から軍艦の名前を連想して次のように書いている。
書名から想像するものとは随分違った本だったが、そして少し古いし、随想のようなものなのだが、感じるところ多である。
昨日は、第一章から第三章までをとりあげた。
「第四章 櫓太鼓や墨田川」は主に相撲の話で、どちらかというとほのぼのとした随想が集められている。
「開戦と終戦まで」というのとは随分はなれるので、ここで紹介してもなぁと思ったのだけれど、これがなかなか面白いので、やっぱり2回目の記事にすることにした。
著者は大変な相撲ファンのようで、相撲への思いや蘊蓄が語られるわけだが、やはり戦争中や戦後すぐぐらいの時期の話が中心。
ちょっとびっくりしたのは(著者も調べて驚いたと書いている)、相撲興行は、戦争中も昭和20年6月7日から一週間、場所も空襲で焼け落ちたあとの両国国技館を片付けて行われたのだという。
これは、まだ降参していないぞと海外向けのPRで、海外向けにラジオで実況中継もされたそうだ。
相撲と野球は長く日本の二大人気スポーツだが、一方は「国技」で一方は「敵性競技」というわけだ。
第一章 提督たちのリーダーシップ | |
はじめに/四十年のサイクル/リーダーシップは国の個性がでる/明治のリーダーたち/ニミッツとミッドウェイ/アメリカ海軍の組織/日本型リーダー大山巌/東郷平八郎と日本海海戦威厳と人徳/評判の悪い指揮官/ミッドウェイの南雲長官/牟田口廉也とインバール/リーダーの八つの条件/日本海軍の対米戦略/山本五十六の決断/真珠湾作戦の真の意味/目的があいまいなミッドウェイ/終わりに | |
第二章 昭和天皇とヒトラー | |
鴎外記念館/ベルリンの壁/明治のドイツ留学生、桂太郎/昭和のドイツ贔屓/歴史の中のドイツ/一九四五年のベルリン/SSの本部跡を訪ねる/昭和天皇のドイツ観 | |
第三章 ドイツのなんということもない話 | |
「最初に敗北ありき」/廃墟のベルリン/となりへ国際電話/ヒトラーという名の男/キャベツ頭のこと/犬のくそ/金色のプレート/二つの教科書/スターリン特注の円卓/ブラス四六〇万人/壁を跳ぶ男の話/ブランデンブルク門/同志、禁煙だぞ/『坊っちゃん』と対面/ドレスデンへの旅/ジャガイモ/食いたかった料理/『最後の授業』/一度はおいで/ロンメル将軍の息子/コーヒー好き/娼婦と日本人/歴史のいたずら/浦風なりけり | |
第四章 櫓太鼓や隅田川 | |
○出し投げ/○内掛け/〇張り手/×引き分け/○寄り切り/●股くぐり/●キン出し /○ふんどし/〇四股名/○肩すかし/○吊り上げ/○中入り/●張り倒し/○立合い/●差し違い/○弓取り式/●焼け出され/○すくい投げ/○突っぱり/○押し出し/○横綱力士碑/○四天王/○封じこめ/●稽古不足/○千秋万歳/○呼び戻し | |
〇すくい投げ
敗戦日本、柔道や剣道から忠臣蔵まで禁止されたとき、GHQはなぜ相撲をあっさり許可したのだろうか。
二十年十月には、天井が破れた国技館で、米軍慰問のため相撲をみせろといってきた。そしてGIたちは日本人が初めてみる缶ビールを片手に、もう一方の手で大和撫子を抱きながら、戦後の相撲をいの一番に見物した。
本場所が再開したのは翌十一月。 まこと早い立直りだが、マッカーサーの日本統治政策のおかげかもしれない。九月末に天皇と会ったマッカーサーは、日本人の価値概念の根幹をつぶすことなく、外形的な改革で、日本の占領統治をしようと心にきめた。天皇を象徴として残す、ついでに天皇杯をおしいただいている大相撲も残すことも。まさか、とは思うが……。それに肉体がいくら大きくても、ハダカじゃ危険はあるまいと思ったのか。
いずれにせよ相撲はハッケヨイと残って、天下泰平で、アメリカ産の野球と隆盛をわけ合うことになる。FENではいまじゃ野球なんかメじゃない。この進駐軍放送(なつかしい言葉だね)を聞くかぎり、野球が日本の国技、相撲はアメリカの国技じゃないか、と空恐ろしくなる。
寄り切り=フロント・フォース・アウト。突き出し=スラスト・アウト。 上手投げ=アウター・ハンド・スロー。 すくい投げ=スコップ・スロー。叩き込み=スラップ・ダウン。切り返し=バック・ツイスト。うっちゃり=バックワード・ティボット・スロー。
何だか舌を噛みそうな言葉が、どんどんラジオから流れているのを、アメ公は、さながら戦争中の日本人が相撲放送に熱中したように、キャッキャッといいながら聞いている。
「玉龍インサイド・レッグ・トリップ(内掛け)、千代の富士セイフ、セイフ(残った)、キープ・ファイティング(はっけよい)キープ・ファイティング……」
聞いているこっちは、とうの昔にアウトだよ。
敗戦日本、柔道や剣道から忠臣蔵まで禁止されたとき、GHQはなぜ相撲をあっさり許可したのだろうか。
二十年十月には、天井が破れた国技館で、米軍慰問のため相撲をみせろといってきた。そしてGIたちは日本人が初めてみる缶ビールを片手に、もう一方の手で大和撫子を抱きながら、戦後の相撲をいの一番に見物した。
本場所が再開したのは翌十一月。 まこと早い立直りだが、マッカーサーの日本統治政策のおかげかもしれない。九月末に天皇と会ったマッカーサーは、日本人の価値概念の根幹をつぶすことなく、外形的な改革で、日本の占領統治をしようと心にきめた。天皇を象徴として残す、ついでに天皇杯をおしいただいている大相撲も残すことも。まさか、とは思うが……。それに肉体がいくら大きくても、ハダカじゃ危険はあるまいと思ったのか。
いずれにせよ相撲はハッケヨイと残って、天下泰平で、アメリカ産の野球と隆盛をわけ合うことになる。FENではいまじゃ野球なんかメじゃない。この進駐軍放送(なつかしい言葉だね)を聞くかぎり、野球が日本の国技、相撲はアメリカの国技じゃないか、と空恐ろしくなる。
寄り切り=フロント・フォース・アウト。突き出し=スラスト・アウト。 上手投げ=アウター・ハンド・スロー。 すくい投げ=スコップ・スロー。叩き込み=スラップ・ダウン。切り返し=バック・ツイスト。うっちゃり=バックワード・ティボット・スロー。
何だか舌を噛みそうな言葉が、どんどんラジオから流れているのを、アメ公は、さながら戦争中の日本人が相撲放送に熱中したように、キャッキャッといいながら聞いている。
「玉龍インサイド・レッグ・トリップ(内掛け)、千代の富士セイフ、セイフ(残った)、キープ・ファイティング(はっけよい)キープ・ファイティング……」
聞いているこっちは、とうの昔にアウトだよ。
GIの熱狂ぶりを紹介したので、他の外国人の見た相撲についても本書から転載しておこう。
このために仕切り直しをジッと見ているのが楽しい、といったら、いかにも通人を宣伝しているようで面映ゆいが、相撲の醍醐味は少なくとも、仕切り直しのくり返しから刹那の立上りの一瞬にある、ことだけは確かである。
フランスの詩人ジャン・コクトオの戦前に日本を訪れての旅行記『日本印象記』をみると、立合いのすばらしさが見事に語られている。
「浄めの塩を、土俵に振りまいてしまうと、両力士は股をひろげ、両手を腿にあて、悠々と力をこめて、交互に片足ずつ踏みしめる。この熊踊りが、かれらの筋肉を準備する。
かれらは向いあって身をかがめ、絶好の一瞬を、
〝バランスの奇蹟〟を、
気合の投合を、待つものらしい。
かれらは互いに、きっかけを狙い、息をはかり、緊張したかと思うと、ふと言い合わしたように力をぬき、ポーズを崩し見向きもせずに、土俵を下りる。行司は、これらの〝実りのない試み〟に充分に間をあたえる。
不意に電流が走る。
巨大な肉体が打合い、掴み合い、叩き合い、蹴合い、地面から抜き合う、と見る間に、カメラマンの稲妻一閃、人間の巨木がマグネシュームの雷に根こそぎされて、土俵の下にころげ落ちる」
詩人はさすがにうまいことをいう。バランスの奇蹟、気合の投合とは、 愚物のわれが千万言を弄するより、よほど説得的である。そういえば米大リーグの名選手ピート・ローズも「盗塁のコツは相撲の立合いを見習うといい」と感嘆していったという。天才の見る眼は同じということか。
私もさすがにコクトー、相撲を詩的に力強く表現していると思う。ピート・ローズも相撲を見たことがあるんだろうか。そういえば、当たりの強さではアメリカン・フットボールが最高と信じていた米国人も相撲の当たりに舌を巻いたという話もきいたことがある。フランスの詩人ジャン・コクトオの戦前に日本を訪れての旅行記『日本印象記』をみると、立合いのすばらしさが見事に語られている。
「浄めの塩を、土俵に振りまいてしまうと、両力士は股をひろげ、両手を腿にあて、悠々と力をこめて、交互に片足ずつ踏みしめる。この熊踊りが、かれらの筋肉を準備する。
かれらは向いあって身をかがめ、絶好の一瞬を、
〝バランスの奇蹟〟を、
気合の投合を、待つものらしい。
かれらは互いに、きっかけを狙い、息をはかり、緊張したかと思うと、ふと言い合わしたように力をぬき、ポーズを崩し見向きもせずに、土俵を下りる。行司は、これらの〝実りのない試み〟に充分に間をあたえる。
不意に電流が走る。
巨大な肉体が打合い、掴み合い、叩き合い、蹴合い、地面から抜き合う、と見る間に、カメラマンの稲妻一閃、人間の巨木がマグネシュームの雷に根こそぎされて、土俵の下にころげ落ちる」
詩人はさすがにうまいことをいう。バランスの奇蹟、気合の投合とは、 愚物のわれが千万言を弄するより、よほど説得的である。そういえば米大リーグの名選手ピート・ローズも「盗塁のコツは相撲の立合いを見習うといい」と感嘆していったという。天才の見る眼は同じということか。
相撲の話をしててもやっぱり戦争のことは頭をよぎるようで、四股名から軍艦の名前を連想して次のように書いている。
……享保九年(一七二四)というから吉宗や大岡越前守の時代。 深川八幡境内にて相撲の興行があった。
「その番附の前頭の初めに奥州の人にて、 成瀬川土左衛門といふあり。東京にて水死人のことを俗に土左衛門といふは、水のために膨張したる形の、成瀬川の肥満に似たるをもつて名づけたりといふ。さもあるべし」
と、大正五年刊の中根香亭の『塵塚』にある。
成瀬川関にはとんだとばっちりだが、力士の名に国名や山や川の多いのはなぜだろうと考えたことがある。軍艦でいえば、国は長門・陸奥・大和・武蔵というように戦艦、山は重巡洋艦で愛宕・鳥海・足柄・羽黒、川は名取・那珂・五十鈴・多摩と軽巡洋艦。力士もまず大きくて強そうな名というところで、山や川をつけたのだろうが、隠された意味に、『万葉集』の歌にある国ほめ、土地ほめ的な要素があると思っている。
生まれた土地をほめ、自然をほめ、国をほめる、つまり八百万の神々に疫病などからのがれ、五穀豊穣であらんことを祈る。だから、国技館のアナウンスは「横綱玉の海、愛知県蒲郡市出身、片男波部屋」と出身地をよびあげ、その土地へのはるかな祝福を送っている。そういえば、軍艦もむかしは国の護りだった。
「その番附の前頭の初めに奥州の人にて、 成瀬川土左衛門といふあり。東京にて水死人のことを俗に土左衛門といふは、水のために膨張したる形の、成瀬川の肥満に似たるをもつて名づけたりといふ。さもあるべし」
と、大正五年刊の中根香亭の『塵塚』にある。
成瀬川関にはとんだとばっちりだが、力士の名に国名や山や川の多いのはなぜだろうと考えたことがある。軍艦でいえば、国は長門・陸奥・大和・武蔵というように戦艦、山は重巡洋艦で愛宕・鳥海・足柄・羽黒、川は名取・那珂・五十鈴・多摩と軽巡洋艦。力士もまず大きくて強そうな名というところで、山や川をつけたのだろうが、隠された意味に、『万葉集』の歌にある国ほめ、土地ほめ的な要素があると思っている。
生まれた土地をほめ、自然をほめ、国をほめる、つまり八百万の神々に疫病などからのがれ、五穀豊穣であらんことを祈る。だから、国技館のアナウンスは「横綱玉の海、愛知県蒲郡市出身、片男波部屋」と出身地をよびあげ、その土地へのはるかな祝福を送っている。そういえば、軍艦もむかしは国の護りだった。
軍艦のネーミングについては、日本海軍艦艇入門というページに詳しい。
書名から想像するものとは随分違った本だったが、そして少し古いし、随想のようなものなのだが、感じるところ多である。