「くそじじいとくそばばあの日本史 長生きは成功のもと」

大塚ひかり「くそじじいとくそばばあの日本史 長生きは成功のもと」について。

71uydyhm3bL.jpg 昨日とりあげたタイトルに「長生きは成功のもと」がつかない方が先、こちらが続編である。

「長生きは成功のもと」までがタイトルとは気づかなかったので、同じタイトルの本だがどちらが先かなと思って、奥付で出版年を確認した。先に出たほうが2020/10/7、「長生きは成功のもと」は2022/3/28だった。


続編もすごい爺婆が登場する。そちらは目次の章タイトルで推測してもらうこととして、本書にとっては雑談みたいなものだが、大坂の陣での堀の埋め立ての件で、また新しい知見が披露されていたので書いておく。
 その後、徳川方の主導で和議が成され、豊臣方は大坂城の城破(城割)を講和条件としてのむことになります。
 城破とは、敗者が勝者に服従の意を示し、それを世間にも知らせるために城郭を破却することで、破却は命じられた側が自ら行い、城郭施設の堅牢な土塁・堀などは「部分的に破壊する儀礼的、象徴的な行為」を以て城郭の破却と見なす慣習でした(伊藤正義「破城と破却の風景―越後国「郡絵図」と中世城郭」……藤木久志・伊藤正義編『城破りの考古学』所収)。
 豊臣方はこうした儀礼的な城郭破却と考えていたところ、徳川方がすべての堀を埋めたため、大坂城は裸城になってしまった。そのため翌一六一五年の夏の陣ではわずか数日で落城、豊臣家は滅亡することになるのです。
普通言われるのは、徳川の騙し討ちだが、豊臣方も、堀の埋め立てはむしろのぞんだことという説もある。上に引用(叉引き)した話に従えば、騙されたに近いことになる。何かのテレビ番組で聴いた憶えがあるのだが、豊臣方が約定にしたがって堀を埋めようとしたとき、徳川方がお手伝いしましょうと言って、どんどん埋めたとか。それが事実なら、儀礼的破却が完全破却にすりかえられたという理解になる。

そして豊臣上層部はそれを黙認した。騙されたのは(徳川にも豊臣にも騙された?)集まっている牢人どもということなのかもしれない。


はじめに 長生きは成功のもと!
……長生きリスクをチャンスに変えた爺婆たち
1 「長生き」は最高の政治戦略だ
……家康があと一年早く死んでいたら徳川政権はなかった
徳川家康
2 卑弥呼はばばあだった?
……七十代後半で政権トップに君臨していた
  推古天皇と蘇我馬子の爺婆コンビも
卑弥呼、推古天皇
3 鎌倉初期、一族を繁栄・安泰に導いた
  女地頭がいた
……九十一歳まで生きた、源頼朝の乳母・寒河尼(寒川尼)
寒川尼
4 本格始動は六十代後半以後、安倍晴明
……日本最強の陰陽師の老獪さ
安倍晴明
5 不安じじい藤原定家と『百人一首』の謎
……病苦が大業を成す後押しをした
藤原定家
6 結局、最後に勝つのは長生き
……「天皇の父」となったダークホースじじい
  後崇光院の逆転人生
後崇光院伏見宮貞成
7 憎悪を吐き出し、老い支度
……七十に及んで『三河物語』を書いた
  大久保彦左衛門の恨み節
8 恋もふぁっしょんも年甲斐なくて幸せなばばあ
……六十近くで二十歳そこそこの若者たちとセックス
源典侍―源明子(藤原説孝妻)
9 世界でもまれな爺婆の色事を描いた江戸の春画
……長生きすればカップルも楽しい
白倉敬彦『春画に見る江戸老人の色事』
10 伊能忠敬の遅咲き人生
……隠居後、諸国巡りで地図作りの大仕事
伊能忠敬
11 シーボルトの見たスーパーじじいたち
……かくしゃく老侯・島津重豪、
  アイヌに同情した最上徳内、神医・土生玄碩
12 江戸の同性愛じじい、男色をしてみたかった
  老士、長寿の秘訣など
……西鶴『男色大鑑』、『耳袋』から「老耄奇談の事」
13 老いて人を笑わせる「力わざ」発揮
……清少納言の父と、戦国生まれの落語の元祖
清原元輔、安楽庵策伝
14 八十過ぎて歌合参加の平安女流文学者たち
……すべてを手に入れた赤染衛門、リア充ばばあ大弐三位
15 こじらせの天才馬琴、八十過ぎて大活躍の
  京山、執念の出版と遺書執筆の牧之
……「こじらせじじい」たちの三つ巴
さて、大塚ひかり先生といえば「快楽でよみとく古典文学」である。本書にもその線のお話しが収録されている。
 白倉氏の紹介する春画の中には、老いて弱くなった男性器を、夫婦で工夫してなんとかしようとしている微笑ましいシーンも少なくありません。その一つが勝川春章の『さしまくら』(一七七三ころ)の老夫婦像です。
 ここでは、婆が「茶碗を取って来ましょう」と言って仰向けに寝て、茶碗を下腹部へ当て、「さあ、縒りを掛けなされ」と爺に言うと、「合点じゃ」と爺は、〝陰茎の頭〟を持って、ネジ巻きよろしく左に縒りを掛けます。一方の婆は自分の性器に茶碗を強く押しつけてひねると、〝皺陰戸〟(皺くちゃの性器)が〝ぱつかり〟と広がる。ここに爺が、縒りを掛けていた〝しなびまら〟の先端を押しつけ、ぱっと手を放す。その拍子に、
〝ひょろくとはゐる〟
 しなびたちんに縒りを掛け、ぱっと手を放すことで、その反動でスクリューのようにくるくると回転した爺のちんを、茶碗を押しつけて広げておいた婆のまんに入れるわけです。
「ひょろひょろ」という擬態語も滑稽で、爺婆の涙ぐましいまでの創意工夫に、思わず笑いがこみ上げてきます。
 それでなくても、爺婆二人して満面の笑み、幸せそうなにんまり顔をしているのですから、こっちもつられて笑顔になってしまう仕組みです。

大塚先生は大喜びみたいだけれど、そしてたしかに滑稽ではあるけれど、やっぱり物悲しくなる。ここまでするか!?
で、春章のこの絵をネットで探したが見つからない。それだけでなく『さしまくら』というのもよくわからない。日文研の艶本資料データベースの春章にもこの草紙の名前が見当たらない。
それはともかく、以前、車浮代「春画入門」の記事で、「浮世絵では、春画というジャンルにもっとも質が高い作品が多い」ということを紹介したけれど、この爺婆の性交シーンって、熟女好きでもムリムリ。
というか、こういうやりかたで本当に挿入できるのだろうか。ムリじゃないか。

随分昔、何かの本に載っていた艶笑話を思い出した。やはり爺婆のセックスである。朝の起掛けに爺が婆に今ならやれると大急ぎで抱きつく。めったにない朝勃ちがその朝は起こったので、このチャンスを逃すとまたしばらくできないからというような話だったと思う。
(いや私も他人のことは言えないが)


もう一つ、史実ではもちろんないけれど、清少納言の末路の話。
 まぁ紫式部なんかは四十代で死んだと言われていますし、清少納言は六十くらいまでは生きていたと言われるものの落ちぶれてしまい、赤染衛門の家集には、清少納言の家に雪がひどく降って、境界の垣も倒れたという情景を詠んだ歌があります。時代が下ると落ちぶれ描写もエスカレートして、鎌倉時代の説話によると、老いて尼姿も男か女か分からないような状態で、兄弟の清原致信が源頼光らに襲撃された際、同宿していた清少納言も法師(男)と間違えられて殺されそうになったので、前を広げて〝開〟(女性器)を出し、尼(女)であることを示したともいいます(『古事談』巻第二十五七)。このあたりは、女の地位が低下した当時、和泉式部や小野小町といった、男をものともしない才女や美女の零落説話が盛んに語られたのと同趣の悪意ある作り話でしょう。
もちろん作り話だと思うけれど、小野小町も老婆になって深草少将に思いを遂げさせなかったことで苦しんでいるという話が作られている(卒都婆小町)が、清少納言には、そんな文学にもならない悪意が向けられたわけだ。鼻持ちならない女(とみんなが思っている)を懲らしめてやれ(そうしたらウケルだろう)ということだろうか。それにしても、没年もはっきりしない人をわざわざ長生きまでさせて貶めますか。

来年の大河ドラマ「光る君へ」には清少納言も登場する。演じるのはファーストサマーウイカさん。この女優は「超人間要塞ヒロシ戦記」(このドラマは面白かった)でスカベリア姫国の姫役ではじめて見た人。少し時期がずれるから史実どおりにやると紫式部との直截のからみはないだろうけど、いろんな形で式部に影響するに違いない(⇒山本淳子「私が源氏物語を書いたわけ」


お話しにでてくる爺婆は別として、本書(前著も含めて)がとりあげる爺婆は、いずれも歴史に名を遺す、偉人に類する人たちであろう。だから書名「くそじじいとくそばばあの日本史」となるわけだ。
この爺婆が、同時代の人にどう思われていたのか、老害といわれていた人もいるに違いないが、案外、長生きだけで十分尊敬される時代だったから、良い老後(中?)を過ごしたのかもしれない。
だけれど、百歳が珍しくないこの頃、長生きだけでは世間の尊敬は集められないだろうな。
(私の死亡予定日はプロフィールに記載)

関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

六二郎。六二郎。

ついに完全退職
貧乏年金生活です
検索フォーム

 記事一覧

Gallery
記事リスト
最新の記事
最新コメント
カテゴリ
タグ

飲食 書評 ITガジェット マイナンバー アルキビアデス Audio/Visual 

リンク
アーカイブ
現在の閲覧者数
聞いたもん