「光る君へ」~2024年大河ドラマ

drama_hikarukimi0511_og2.jpg 2024年のNHK大河ドラマが
「光る君へ」に決定した

紫式部を主人公としたものだそうだ。
期待半分、不安半分、いや不安のほうが大きいかな。

なんといっても紫式部の人生なんて、ほとんど史料がないはずだ。その人生の一時期、紫式部日記が書かれた頃ぐらいならまだしも、受領階級の娘として任国越前に父とともにいたころにどんな暮らしをしたのかなんてさっぱりわからない。いや、その越前にいたことがわかっているだけでも大したものである。

どんなドラマになるのか疑問百出である。
まず紫式部が何歳頃から描くのだろう。
子供の頃から頭が良くて、漢籍を学ぶ兄の傍で話を聞いて、兄より早く覚えたというエピソードがあるが、数少ないネタだからこれはドラマでもとりあげたいだろう。
そして、何歳まで描くのだろう。だいたい生没年ともに不明だし、どんな晩年を過ごしたのか、何も記録がない。

そもそも紫式部を一体どう呼ぶんだろう。名前は?
紫式部という名前は源氏物語の若紫と父が式部省にいたからだという説があるが、その前は藤式部と呼ばれたともいう。そういえば、源氏物語に出てくる多くの女人の名前は物語中で使われたものではなく、読者や研究者が便宜上付けた名前である。

NHKの番組案内サイトでは、懸命に生きて書いて愛した女性の一生に挑戦するとか、男女ともにいきいきとしたたたずまいは、現代に通じるものさえありますとかあるのだけれど、紫式部は自分の才を隠し、しかし隠しても隠し切れず妬まれ、とにかく日常はできる限り目立たぬようにしていたらしい。それを踏まえたらどんな元気な女性を描けるんだろう。
何より、道長との恋愛が一つの軸になるように説明しているが、彰子のもとへ紫式部を送り込んだのが道長としても、恋愛については全くわからない。

このドラマの脚本は大石静とのことで、インタビューでは、記録があまりないので、幅広く自由に×というような話をされていたが、基本はやっぱり押さえてもらわないとと思う。
前に、山本淳子「私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り」の書評記事を書いたとき、この本を素材に小説やドラマにしたら、大河ドラマでも良いのではないかと書いているが、大石氏には、幅広く文献(紫式部関係や「御堂関白記」の史料や研究書)を渉猟して、腑に落ちるような紫式部を造形してもらいたいのだけれど、その力があるかな。自由な発想より歴史のほうがはるかに幅が広くかつ深いというのが私の思いである。

「鎌倉殿の13人」のように、案外、最近の研究でわかってきた義時はこんな人だったかもしれないというような。


まあ、面白いエピソードも伝えられてはいるから(紫式部の鰯好きは本当は和泉式部のことらしいが)、そういうものを散りばめて、おもしろいドラマ(決して歴史ではないだろうが)になればと思う。
ところで、山本淳子「私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り」の書評記事のときに、紫式部は吉田羊がいいんじゃないかとしたが、「光る君へ」では吉高由里子だという。才を隠すようなイメージじゃないんだけれど。

本ブログでは、紫式部については何度か書評記事の形でとりあげた。次に一覧をあげておく。

関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

初回の藤原道兼の描き方はとても褒められたものではありません。
藤原道兼は弟や従者等に乱暴を働き、更には紫式部の母親を些細な事で殺害する粗暴狂癖の人物として描かれています。
しかし、『大鏡』をみると、それとは全く違う人物像が読み取れます。
以下、『大鏡』の当該部分を引用します。
「あはれなることは、おりおはしましける夜は藤壺の上の御局の小戸より出でさせ給ひけるに、有明の月のいみじく明かかりければ、「顕証にこそありけれ。いかがすべからむ。」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽・宝剣わたり給ひぬるには。」と粟田殿の騒がし申し給ひけるは、まだ帝出でさせおはしまさざりける先に、手づからとりて、春宮の御方にわたし奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじく思して、しか申させ給ひけるとぞ。さやけき影を、まばゆく思し召しつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、「わが出家は成就するなりけり。」と仰せられて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿の女御の御文の、日ごろ破り残して御身も放たず御覧じけるを思し召し出でて、「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ。」と、そら泣きし給ひけるは。(中略)花山寺におはしましつきて、御髪下ろさせ給ひて後にぞ、粟田殿は、「まかり出でて、大臣にも、変はらぬ姿、いま一度見え、かくと案内申して、必ず参り侍らむ。」と申し給ひければ、「我をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせ給ひけれ。あはれに悲しきことなりな。日ごろ、よく、「御弟子にて候はむ。」と契りて、すかし申し給ひけむがおそろしさよ。」
この「粟田殿」こそ藤原道兼です。
そして、この『大鏡』の記載からは花山天皇を出家させるために日頃から「御弟子にて候はむ。」(弟子としてお仕えします。)等と約束し、出家当日には噓泣きまでして目的を達成し、目的を達成したら日頃の約束など反故にするという、陰謀を確実に遂行する冷血漢という人物像が読み取れ、ドラマのような、何の目的もなく乱暴狼藉を働く人物とは程遠く、この点において大きな減点事由となります。
それ以外では紫式部が飼っていた鳥が紫式部あ籠を開けた途端逃げてしまうという、『源氏物語』で光源氏が若紫を垣間見た際の若紫の「雀の子こを犬君が逃がしつる、伏籠のうちに籠めたりつるものを。」という台詞を彷彿とさせる、視聴者をして、「これがかの源氏物語の有名な件の元になったのか。」と思わせる描写があり、その点は良かったです。

ご教示ありがとうございます

藤原道兼の人物像について、「大鏡」からも引いて丁寧に教えていただきありがとうございます。
「陰謀を確実に遂行する冷血漢という人物像」とのご指摘、きっとそうなのでしょう。大河ドラマのような瞬間湯沸かし器のような人物では、とても陰謀などはできませんね。危なっかしくて秘事を託せない、となると、花山天皇出家事件などどう描くことになるのでしょうね。それまでに反省して人格を改造するというストーリーにするのかも(ちょっと無理がありそう)。
想像するに、ちやは(紫式部の母)を殺させて、込み入った人間関係を設定するのが作者の意図なんでしょうね。

また教えてください。
ありがとうございました。
プロフィール

六二郎。六二郎。

ついに完全退職
貧乏年金生活です
検索フォーム

 記事一覧

Gallery
記事リスト
最新の記事
最新コメント
カテゴリ
タグ

飲食 書評 ITガジェット マイナンバー アルキビアデス Audio/Visual 

リンク
アーカイブ
現在の閲覧者数
聞いたもん