はてなキーワード: 社会人とは
私はずっとそれを繰り返してきた。
世間では「人間関係リセット症候群」と呼ぶらしい。病名ではないと聞くが、まさに私の人生を表す言葉だ。
最初のリセットは、中学校に進学する時だった。幼稚園から小学校までずっと一緒で、文字通り幼馴染と呼べる友人たちが何人かいた。
学区の関係で、その中学校へ進んだのは私と数人だけ。残りの友人は別の学校へ。
彼らとは、何の迷いもなく連絡を絶った。当時はまだ携帯電話を持っている人も少なく、意識せずとも自然消滅のような形だった。
前回のリセットで「生き残った」幼稚園から中学校まで一緒だった友人たちとの連絡を、あっさりと絶った。
この頃には携帯電話を持つのが当たり前になっていたから、アドレス帳から彼らの連絡先を消し、電話やメールも無視した。すると、やがて連絡は来なくなった。
高校では、また新しい友人が何人もできた。彼らと過ごす日々は新鮮で、過去の人間関係を振り返る暇もなかった。
大学進学で県外に出た時も同様だった。
高校で仲良くなった友人たちの連絡先は、すべて消去した。
メールアドレスを変え、電話は着信拒否。誰からの連絡も受け付けないようにした。
大学では緩いサークルに入り、学部の友人、サークルの友人など、たくさんの新しい人間関係が築かれた。
また新しい土地だ。
大学でできた友人たちの連絡先も、躊躇なくすべて消した。
大学までは親に払ってもらっていた携帯電話も、自分で契約し直し、メールアドレスも電話番号も新しくした。
これで、完全に過去との繋がりは途切れた。
その数年後、私は前職を辞めた。
どうにも職場と合わず、心身に不調が出ていたから、次を決める前に辞めてしまったのだ。
その時、親身になって相談に乗ってくれた先輩がいた。
会社を辞めた後も気にかけてくれ、食事を奢ってくれたり、次の就職活動でエントリーシートを一緒に考えてくれたりもした。
しかし、再就職が決まった時、私はその人の連絡先を消去し、携帯電話を番号ごと新調した。
なぜ、私はこのような振る舞いをしてしまうのだろうか。
まずもって、面倒くさいという気持ちも大きい。
人間関係を維持することには、常に労力が伴う。
連絡を取り合い、相手の状況を気遣い、時には衝突を避けたり、妥協したりすることもある。
リセットすることで、その労力から解放され、一時的に楽になる。
そして、私は共感性が低いのだと思う。
表面上、人間関係を取り繕うことは得意だ。相手の求める言葉をかけ、適切な振る舞いをすることはできる。
だが、本当の意味で友情を重んじたり、誰かの恩に報いたりするという気持ちが、私にはよく理解できない。
なぜそこまで深く関わる必要があるのか、正直なところ意味がわからないのだ。
人間関係は、私にとって代替可能なものだと考えているのかもしれない。
古い関係が切れても、また新しい場所に行けば、新たな人間関係が築ける。
そう信じている節がある。
結婚は、私にとってある種の保険のようなものだったのかもしれない。
その時、一人でいることへの漠然とした恐怖があったのだ。
結婚という形をとることで、最低限の「繋がり」を確保したかった。
そして、子供の存在は、その保険をより強固なものにしてくれた。
結婚し、子どもも生まれた今、さすがにもう、そう簡単にリセットすることはできないだろう。
すべてを置いていって、遠くの知らない土地で新しい生活をしてみたいという欲求が私の中にいるのを、素知らぬ顔で蓋をしているのだ。
中学のとき不登校なりかけみたいな感じだったけど、高校皆勤だった 中学不登校気味だったのは高校の友だちには誰にも話してないけど、なんかその極端さを社会人になって壁ぶち当たったときとかに思い出してふふふとなる まあただ学校登校し始めて3年間幸運にも平日に休むほどの風邪を引かなかったってだけだけど、私の根拠の無い自信のルーツかもしれない
最近はアイドルに彼氏がいてもいいじゃんというオタクが増えてきた気がする。しかし自分には見当違いの意見に思えて仕方ない。
アイドルの彼氏バレは情報流出であるから彼氏がいても良いとかじゃなく然るべき罰を受けるべきではないか。
嫌悪感があるのは彼氏がいるという事ではなく流出経路がファンからの盗撮や彼氏側からの流出、アイドル自身の匂わせでの流出などであるからだ。アイドルが自ら彼氏できましたと発信するならば問題は無い。でも実際そんな事例はあまりにも少ない。彼氏がいても問題ないのであればアイドルは彼氏が出来た時点でファンに報告べきだろう。そうすれば男といる写真が撮られたくらいで一々スキャンダルにならない。大多数の事務所やアイドルがそうしないのは何だかんだいってイメージの低下やアイドルは潔白であるべきと思っているオタクを逃したくないからだ。
問題は彼氏バレの経路がほとんど流出という部分にあり、そこにアイドルの彼氏持ちの可否というめんどくさい事が絡むからややこしいが、れっきとした情報流出だ。本来公表する予定のないものを意図しないタイミングで公表するのだから罰則はあるべきだ。
ファンに盗撮されるケースでは、当たり前だがファンは推しているアイドルがいるという事に気づいている訳だ。そこで男とではなくメンバー等と歩いていたとして公表していない仕事の話をしていたらどうなる。プライベートの事言いふらすファンが悪いとでも言うのか。プライベートであろうと社会人がうっかり会社の情報を聞かれ外に漏らしてしまったら罰則がある、当たり前のことだ。芸能人である以上プライベートでファンと遭遇し認知される事案は避けられないし常に気を使うべきだ。
彼氏がインスタのストーリーに上げたり友達に自慢したことなどからバレるケースはどうだ。アイドルと付き合ってると自慢したくて仕方ないような男が近くにいるのが問題だ。口が軽い男といると付き合っていること以外も言いふらす可能性がある。別れた彼氏から晒されるパターンもあるし、何を流出させられるか分からない。身内に自慢や腹いせで晒すような奴がいて問題ないのかは疑問だ。
アイドルは彼氏が出来た時にファンに報告する覚悟がないなら彼氏の存在を隠すべきだ。流出による彼氏バレなどあまりにも迂闊すぎる。
FIREしたら狂い始めている。
スペックとしては、そこそこの企業でかなりのポジションに行った40歳後半の男性。
偶然にも創業時メンバーだったのでもっていた自社株を売っぱらったら結構な資産ができたのでFIRE。
妻、子供2人。一人は大学入試終えて、もう一人もまあ大丈夫そうなので一息って感じ。
ドがつくほどの文系ライフを送ってきたので、後輩や部下に強く当たったことは一度もない。パワハラ問題やらセクハラ問題とも無縁(これは俺というより企業風土がよかったから)。
というか、後輩にどう接したらいいのか、どうやったら傷つかないのかおっかなびっくり接し続けた社会人生活だった。呼び捨てにするのすら怖いレベル。
そんな俺が、「人に指令できないストレス」で狂いかけている。マジで。威張りたいとか、尊敬されたいとか、本当にそういう感覚ではない。
俺の言葉に重みがないとか、そういう話でもない。リスペクトはいらない。ただ、なんというか、俺が生きる社会生活の座組の中に俺がいない、それが思ったより大分ストレスになっている。
人とのコミュニケーション不足というわけではない。別に家族仲は全く悪くないし、友人も結構いて、年甲斐もなく毎週末は遊びに出かけている。
俺に足りないのは、権力だ。権力。アレほど馬鹿にしていた人を動かす力がないことが、ストレスになっている。狂いそう。
食事をしに行った時に、オペレーションが上手く行っていないとイライラして仕方がない。接客の態度が気になって仕方がない。
webサイトのデザインがダサいのが、気になる。人と人のコミュニケーション一つとっても、「こうすれば相手を不快にさせないのに…」と口を出したくてたまらない。
あらゆる他人の商売が上手くないのが、気になって仕方がない。「こうすればもっとよくなる!俺に指示させろ!」という気持ちが湧いてきて仕方がない。
自分がかつて蔑んでいた、アドバイスおじさんそのものに成り果てようとしている。今ならあのおっさんたちの気持ちがわかる。
権力。ああ、権力がほしい。別に物事が成功するかしないかではないのだ。プロジェクトが上手く行こうが行くまいがどうでもいい。
他人に何かをさせたい。俺の指揮下で、やる気を出し、成果を出すべく動いてもらいたくてたまらない。
権力ってのは、資産だったんだ。工事現場の監督と、その辺を通りがかった俺では、発言力が違うのは当たり前のことだ。権力資本が俺はその瞬間低い。
そして、FIREしたから、それが日常全てになった。社会人だった時には、あったものが、ない。金はある。時間もある。友達もいる。家族もいる。俺は恵まれているのだ。一般論で言えば。
でも、俺の資本、発言力資産、権力資産、立場資産、なんというかそういう資産が0になることをFIREする時は想定していなかった。この資産の喪失を誰も教えてくれなかった。
つらい。とてもつらい。俺の話を聞いてほしいわけじゃない。俺を褒めてほしいわけじゃない。
他人を動かしたい。俺の指示のもと、動かしたい。誰か俺の言う事を聞いてくれ。このままだと、ゴミみたいなクレーマーになりそう。
朝晩の気温差も落ち着いてきて、街を歩く人の服装からもだんだんと初夏の気配が感じられるようになってきた。
でもこの季節になると、私は少しだけ胸が痛む。
大学を出て、希望に満ちた社会人になったはずだった。けれど実際はただ忙しくて、苦しくて、泣くような暇さえなかった。
わたしは何のために働いているの?
朝起きて、職場に行って、気を張り詰めて働いて、帰ったらシャワーを浴びて、倒れるように寝る。気付けば生理が止まっていた。体重はどんどん減っていって顔色は土みたいになり、目の下の隈は隠せなくなった。
謝って、そのままトイレに駆け込んだ。鏡を見ると自分の顔がまるで知らない誰かみたいだった。
私は便器の水をぼんやり見つめていた。何分そうしていただろう。どうして生きているんだろう?と、ただそれだけが頭に浮かんでいた。
わたしは、死のうとしていた。
不思議な夢を見たのは、その夜のことだった。
夢の中の私は学生で、実家に居た。私の傍には猫がいた。小学生のときからずっと一緒に居て、本当に仲が良かった。
優しい猫だった。
夢の中での彼は昔と変わらない優しい目をしていて、すり寄ってきた。
私はただ泣いた。ずっと泣いていた。
現実では涙を流す余裕なんてなかったのに、その夢の中では何時間も泣いていた気がする。
「もう生きるの疲れた」と夢の中の私が呟いたとき、彼が私の脚に身体を巻きつけて止めた。振り返ると、じっとこちらを見ていた。そして、彼は喋った。
男性の声にも女性の声にも聞こえるような声で、まっすぐな声だった。
私は彼を抱き上げて彼のゴロゴロという喉の音を聞いていたら心が安らいで、生きようと思った。
目が覚めたとき、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。でも、すっきりしていた。ぐっすり眠れたと思ったのは何日ぶりだっただろう。起きたのは早朝だった。けれど眠気はなかった。
久しぶりにごはんを炊いて、味噌汁を作って、卵焼きを焼いた。しっかり朝ごはんを食べたのは、本当に久しぶりだった。
その日、仕事のことを先輩に相談した。手伝おうか?と言われて、ほっとして、また泣いた。
弱さを出すことが怖くなくなったのは、「生きたい」と思えたからだった。
いま私は、後輩に仕事を教える立場になっている。毎日がすごく楽しいわけじゃない。大変なことも多い。苦しい日もあるけれど、あの日の夢が、私を今日まで連れてきてくれた。
この時期は、当時の私のように苦しんでいる人も居るのではないかと思う。
新卒で、現実に打ちのめされて、心が折れてしまった人が居るかもしれない。
そんな人に、私は伝えたい。
「生きて」と。
そして、生きたいと思えたなら、周りに助けを求める勇気が出てくるはずだよ。
それを伝えたくてこれを書いた。
それが彼に、
俺は診断おりてるし社会生活無理なので企業とかに就職もできないけど、薬もそんな効かないしADHDとASD程度じゃ生活保護も受けれないし他に誰かが助けてくれるわけでもないし、しょうがないから自分ができることしてなんとか工夫して生きてる。
私は子供だと思う。
もう社会人なのに自分のことしか考えられないし自分が損をするのは許せない。親は今の私の年齢の時には私を生んでいたというのに。
今は同棲しているのだけど、家事を私だけやっているという状況がイライラして仕方ない。普段は私はなにもしていなくて、お弁当も夜ご飯も作ってもらって食器まで洗ってもらっている、相手の帰りが遅くて私が作る時は別にいい、一緒に帰ってきたのに私だけが動いているとどうしようもなくイライラする 相手が家事しているときに私はやらないのにね
相手に不満があるわけでもないし、嫌いでもないんだけど、どうしてもイライラする時がある
先日一つ下のいとこが子供を産んだ (私は一人っ子なのでそのいとこが一番身近)
信じられない
心からすごいと思う
絶対妊娠したくなくて18からピルを飲み、出産経験ないのに今はミレーナを入れている私はどうすればいい
元々自然に排卵もしないし生理も定期的に来ないから、ミレーナいれてからは無月経で快適最高生活であと5年は享受したい 排卵してないから妊娠を希望するなら計画的にと言われている まあミレーナの期限的にあと3年で考え時なんだけど、入れ替えるか抜去するか時期も変わってくるからライフステージのことも考えなければならないのに、後3年程度で自分が子供を育てられる気がしない 自分が子供だから でも妊娠出産適齢期なんだよな~とも悩む
プラスで子供にお金をかけたくない、というよりかは、まだまだ自分のために生活したい、お金を使いたいという気持ちが大きい 顔面の気になるところをメンテナンスしたり、舞台やミュージカルもたくさん見に行きたいし、ほかの人や物や自分の将来(こどもとか)にお金をかけるくらいなら自分自身にお金も時間もかけて、もっともっと今の人生を生きやすくなりたい 些細なことで落ち込んだり外的要因で気持ちの浮き沈みが無くなるくらい
実際1か月の給料は生活してたら消えるし、ボーナスもこないだ引っ越ししたら全部なくなって今は口座には12000しか入ってない
でもこう思ってしまうのは悪いことだと考えてしまって、生きづらい 見えない なきなき
皆どうやって生きてるの?
老人に関わる仕事してなくても
これだけ老人が多ければ、すでにわかってる
今の老人の何もできなさとぬるい環境でテキトーに生きてた努力不足感ハンパない
ほんとなんもできない
重税がかかるのはわかりきってる
特に国内の顧客相手に労働者をやる業種なら暗い未来しかないのは丸わかり
(得できるっていうかあんまり重税がかからないのは貧困若手層、障害者、非課税世帯だからそれだけが勝ち組)
いわゆる健康で、それなりに稼げて社会人生活できるやつが1番損する
国外に出てるなら出たほうがいいけど
体調を崩している中で、図書館に行ったり、漫画リエゾンを読んだりして、増田自身が今までいじめられたことが何度かあったことを思い出していた。
おおよそ各コミュニティごとにいじめられていたと言っても構わない。
同僚は今までいじめとかもなかったと言っていたが、私立中学とかなら、ある程度の足切りあるもんな、と思っていた。
医師に薬なくてもいいと思いますけど…、と言われたが、薬を試すために心理検査三万円を払ったのだ。
とはいえ増田はあまりADHDもADDも困っていることはなかった。先延ばしにはしない。確定申告も料金も早めに終わらせる。タスク溜まるのが嫌な方だ。
薬はASD向けにはないそうだ。本当はこっちをどうにかしたい。
集団行動苦手だ。団体で移動するときとか、近くの人と話したりしだしてペアになっていくとき、孤立しないかひやひやする。
中学校のときや社会人になってのいじめの原因というかきっかけのようなものがあるとするならこれ、というのはある。
でも個人に対して嫌だなと思われたとしても周りを巻き込んで省いたりするものなのか、とびっくりした。
部活の同期や部署の同期にいじめられる。先輩後輩からの心配の目。うまくやれない自分が悪いのか。
https://www.tachibana-akira.com/2023/11/14951
リエゾンでもみいちゃんと山田さんでも発達障害の子の話が出てくる。
発達障害かどうかはわからないが、もう手立てはない、おしまいだ。と思っていたが、とりあえずASDが案内されるカウンセリングをしようと思う。高いとか言ってられない。
どっかのコメントで発達障害は働くのが無理だとあった。でも裕福ではないし、才能も特技もないから会社という集団に属さないといけない。
嫌われるのはきつい。
異性が増田の同性に聞こえるように、増田に嫌われてるっぽいんだよね、と言われたのはきつかった。
3人のときに絶対増田と隣になりたくないと思ってる人もいて、後輩は一番後ろを歩こうとするし、なんなんこれ超ストレスなんだが、と思って摂食障害になった。
一部の部署の同期から間接攻撃を受け、上司や先輩からパワハラを受けていた。
やり返す気力もなく、亀のように縮こまっていたら、本当に動けなくなって適応障害で休職になった。
最初一緒にいた子は性格きつそうな子が横入りしてとっていった。
仕事ができない。
持続的なコミュニケーションが苦手だ。
増田が得意寄りの発想力とか行動力とかは他の人で代替できると思う。
どうしたらいいんだ。
いじめられないように、普通にしようと流行りを調べて、おかしなことはしないようにしている。
そもそも地元と違う文化圏に入って行ったのも間違いではある。余裕がない。
親も頼れない。
40代のWeb系エンジニアです。20年くらいやってますがコーディングレベルとしては中の下くらいのスキルで、ドメイン知識、対人スキル、社会人力みたいなのの組み合わせで日々やってます
半年ほどAIを使ったコーディングを業務に取り入れてきて、見えてきた変化と、それをもとにした近未来の予想です。
■ 1. 仕事の中身が大きく変わるので、一定数の人が離れていく
今後、プログラミングの仕事は、いわゆる「手を動かす仕事」からは大きくずれていくと思います。
具体的には、AIに意図を正確に伝えること、出力されたものを検証・評価すること、その過程で適切にリカバリすること──といった、編集的・設計的な仕事に寄っていく。
この変化は、コーディングそのものに楽しさや充実感を感じていた人にとっては、想像以上に大きい。
「AIの使い方に慣れないから辞める」というより、「この形の仕事には喜びを感じられないから、別の道を選ぶ」という人が、一定数出てくる気がしています。3割くらいは耐えられないのでは。
この変化が一番つらいのではないかと思っています。私も耐えられない側で、このような作業をやりたくない内心をうすうす感じています。
■ 2. 必要な人数は減る。離脱と淘汰によって自然に減っていく
開発スピードは速くなり、検証コストは下がり、バグの初期検出率も改善している。
このまま進化が続けば、同じ規模のプロジェクトに必要な人数は、今時点で1/1.5 〜 2くらい?1年後とかは、1/5程度まで減っても変じゃないのではないかと。
とはいえ、それは急激なリストラではなく、1で述べたような自然な離脱や、「この働き方はできない/したくない」という人の自主的な転換によって、ゆるやかに実現されていくのではないかと見ています。
■ 3. プロジェクトの数は増える
生産コストが下がることで、これまで着手すらされなかったアイデアが、実際に形になりやすくなっている。
思いつきがそのまま試作できるようになるので、プロジェクト単位で見ると数は増える。
必要な人数が減って、プロジェクトが増えるので、必要な人数がどれくらいになるのかはわかりません。
正直なところ、初学者がどう育つのか、まったく見当もつきません。
「自分はこう学んできた」という過去の経験が、ほとんど役に立たない感覚があります。
ただ、いまは他人の育成を冷静に考える余裕もありません。
生き残れるのか。
小説の編集部が複数あるような大手出版社で働いている編集者です。
元々はWeb小説で活動していた方で、弊社での書籍化よりも前に他社からデビュー済みでした。
ネット連載中の作品が、独特な設定や構成で注目を集めており、当時のトレンドにも合致していて非常に面白かったため、「ぜひうちで本にしませんか」とお声がけしたところ、書籍化が実現。
結果として、予想を上回るスマッシュヒットとなりました。業界内での評価も高く、名の知れた作家たちからも絶賛の声をいただきました。
ここまでは本当に良かったんです。
でも、問題は書籍化以降の作家さんの対応です。正直に言ってしまうと、非常に扱いづらい。いや、面倒くさい。
最近の読者は、作品に対して建設的な感想を述べたり、良い点を積極的に見つけようとする人が多いです。
そのため、批判的なレビューは少数派ですし、ある程度売れた作品になれば多少の酷評が混じるのも仕方のないことだと思っています。
ところが、うちの作家さんはそれをどうしても受け入れられない。
自分で検索して低評価のレビューを見つけるたびに、「この人は頭がおかしい」「日本語が読めてない」と激昂。
「出版社の力でこのレビューを削除できないのか」と要求されたこともあります(無理です…)
編集者としては、とにかく作家のモチベーション維持が最優先なので、「ですよね、頭おかしい人たちですね、文盲ですよね」と適当に相槌を打ちつつも、心の中では
(いや、このレビュー、わりと的を射てるな…)
と思ってしまうこともしばしば。
それでも、現時点で多くの人に「面白い」と思ってもらえるだけの力を持っているのは確かです。
ここから作家としてさらに成長していくには、そういった欠点を自覚し、克服するか、もしくは欠点を補えるだけの長所をさらに伸ばす必要があると思っています。
でも、うちの先生はネガティブなレビューには激しく反応するだけで、内容を冷静に受け止めようとはしません。
むしろ、好意的なレビューですら自分に都合の良い部分だけを拾って読んでいるような節さえあります。
うちでの二作目の準備中のこと。前作で見られた弱点がさらに顕著になってきており、さすがに長所だけではカバーしきれないと判断し、修正をお願いしました。
すると、返ってきたのは聞き取れないほどの早口による罵詈雑言。命の危険すら感じました。
後になって思い返してみると、「編集者ごときが俺の傑作に口を出すな!」という趣旨のことを言っていたようです。
その一件で、もうどうにでもなれという気持ちになり、原稿をそのまま受け取ってしまいました。売り上げや読者の反応がどういった結果になるのか怖くて仕方がありません。
詳細はわかりませんが、最近は他の作家ともトラブルを起こしているらしく、あの性格ならあり得るな…と納得しつつも、頭を抱えています。
作家というより、社会人としてどうなんだ?と思ってしまう場面も多く、前にいた出版社では一体どれだけ甘やかされていたんだろうと疑問すら感じます。
そんなこんなで、すっかり心が折れてしまいました。
現在進行中の本が出たら、上司に掛け合って担当を外してもらおうと決意しています。
私には猛獣の世話は無理でした。
あの記事は自分も何かおかしいと漠然と思っていたが、ここまでは知らなかったし、増田を見なかったらもう少し奨学金に対して偏見を抱いてしまっていたかもしれない。
なんとなく「奨学金の返済に苦しむ社会人たち……」みたいなエピソードはよく聞くから、給付型奨学金のことは見逃していたし、国費留学生の具体的なデータ(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1338568.htm)も知らなかった。
このデータにどういう検索ワードでたどり着けるかやってみたが、「留学生 奨学金 デマ」で検索しても結構下の方だった。
留学生の中で最もマジョリティは経済力もあり人口も多く英語も日本語も上手な私費で来た中国人留学生だ。つまり国費留学生制度をやめるとそれこそ留学生はほぼほぼ中国人で占められてしまう
ううむ、真実にたどり着くというのも、かくも難しいものなのか。
選挙には毎回行っているが、この程度のリサーチ力の人間が、本当に行っていいのかなんか不安になる。いつの間にか変なのに騙されて変な政党に投票してしまわないだろうか。
で、日本の場合はそういう礼儀の型だけでマウント取ってる人が一定数いる。挨拶ひとつで「社会人失格」とか言ってくるタイプ。でもさ、だいたいそういう人に限って仕事自体は大してできなかったりするんよね。やたら丁寧なだけで、判断遅いしレスも遅い。
がんだと聞かされた時、最初に思ったのは「わしより先に逝くのか」ということだった。
病気は年を取れば誰にでもあるもんやと思っていたが、医者から「半年もたないでしょう」と言われた時には、頭が真っ白になった。
言葉にできるような感情じゃない。怒りとか悲しみとか、そんな区切りのあるもんやない。ただ、すべてが止まった感じだった。
わしは何もできん。
昭和の男やからな。「男は仕事、女は家庭」…そんなもんが通用せん時代やと知ってても、染みついた習慣はそう簡単には変えられん。
だが、かみさんが倒れてから家のことをどうしたらええか、ほんまにわからんかった。
情けない話やが、冷蔵庫の中に何が入ってるかも、どこに何が置いてあるかも、知らんかったんや。
そんな時に、あいつが帰ってきた。
息子や。あいつもまだ若くて、やっと社会人として動き出したばかりだったのに、仕事を辞めて戻ってきた。
あの一言が、わしの胸に染みた。
ありがたかった。正直、心強かった。
でも、同時に悔しかった。
覚悟はしていたが、実際にいなくなると…ぽっかり心に穴が空いた。
何をしても虚しく、何も手につかん日が続いた。
でも、息子が全部やってくれた。手続きも片付けも…本当に全部。
わしは、ただボーっとしてるだけだった。
そのうち、息子が「これからは一緒に家事をしよう」と言い出した。
料理も洗濯も、最初は訳がわからんかったが、あいつが教えてくれて、二人で分担するようになった。
「父さんもちゃんと今を生きないといかん」…そう言われた時、ようやく、現実に戻ったような気がした。
犬まで連れてきた。
「散歩が必要やから、運動にもなるやろ」と言われ、しぶしぶ連れて歩いてたが、今思えば、あれがなかったら完全に引きこもってただろう。
犬が尻尾を振ってくるだけで、「生きててもええんかな」と思えた。
…そうこうしてるうちに、親父(わしの父)が死んだ。
それを見て思った。「こんな風にだけはなりたくない」と。
本人が望んでいるのかどうかもわからん。ただ、医者の判断で命だけがつながれている。
わしは…あんな風に生かされるのは嫌やと思った。
「70歳くらいでぽっくり逝きたい」って、よく冗談みたいに言ってたが、本音だったんや。
でも、それでも、親父には長く生きてほしかった。
でも、自分の親にはな…長くいてほしいもんなんや。気持ちがついてこん。
あいつは自分の会社を起こし、独立してからも、よく話をしてくれた。
わしが新聞ばっかり読んでるもんやから、時事の話をしてくれて、経済の話もよくふってくれた。
…あまり詳しいことは答えられんかったけどな。
でも、一緒に飲みに行くのが楽しかった。
あれが週一の習慣になって、気づけば数百回。
まさか、あいつとサシでそんなに飲むことになるとは、思わんかったわ。
結婚して出て行った後も、昼間は家に来て、飯を一緒に食べてくれた。
「父さん一人にするとボケるから」って、あいつなりに気を使ってくれてたんやろう。
孫の面倒もよく見た。遊び相手にされてたが、それがありがたかった。
自分にはなかった人生を、ちょっとだけやり直せるような気がしたんや。
それから15年。
ある時から、急に、頭の中がうまく働かんようになった。
気がついたらズボンが濡れてたり、信号に気づかんと道を渡ろうとしたり。
「ああ、これが認知症か」と思った。
自分で気づいた時には、もう手遅れやった。
ただ、息子に電話を何度もかけたことは、うっすらと覚えている。
「なんかおかしい」「犬はどこに行ったんや」
でも、あいつも大変だったと思う。
一時、電話が繋がらなくなって、必死で外に出て行こうとしたこともあった。
今思えば、申し訳なかったと思う。
あいつはよく見舞いに来てくれた。
屁をこいたり、酒をねだったりして、迷惑をかけた。
ほんまにすまん。
でも、楽しかったんや。
孫と会えた正月も、どれだけ同じ話を繰り返しても、みんなが笑ってくれて、本当に幸せやった。
…だが、今はもう、ほとんど動けん。
食べる気力もなくなって、点滴に頼るだけの毎日。
拘束されてるのも、どうしてかわからん。
ただただ、怖い。
「助けてくれ」と何度も言ってるが、誰も助けてはくれん。
みんな、優しい顔をして、でもどうにもできんという顔をしてる。
わしは、もう十分やと思ってる。
かみさんに先立たれ、息子に迷惑をかけ続け、楽しいことよりも辛いことの方が多くなってきた。
この先、何を楽しみに生きていけばええんやろうな。
「食えなくなったら終わり」
今が、たぶんその時なんやろ。
…わしは、もう逝ってもええんとちゃうか?
初めて会った時は飲み屋に行った
あんまり可愛くなかったけど話が合って、そこから何回か会って体の関係ができて付き合った
まあ自分もモテなくて童貞卒業したのも遅かったからまあ妥当な感じだと思ってた
でもまあ可愛い子とセックスしたいなああわよくば乗り換えたいなあみたいな感じでマッチングアプリ続けてた
なんか続けていくうちに自分は割と顔がいいらしいことに気づいて何人か可愛い子とやれた
でもまあすぐ嫌われて終わったんだけど
このことを彼女が知ってたのかは知らない
彼女は五年生まで姉と二人暮らししてたが、6年になった時姉が実家に帰ったので広い家に一人で住んでた
自分は放置系の研究室で理論系の研究をしてたので頭で考えればいいから結構な時間を彼女の家に転がり込んで一年過ごしてた
彼女がベランダでタバコ吸ってる時自分はクズだったので飲んで空いた酒の缶をアパートが面してる川に投げて捨てたりしてた
当然彼女に怒られた
酒はやめろと怒られていたが飲み続けた
彼女は成績優秀だったのでそんな自分が寄生するみたいな生活してても無事国試にうかった
そして遠距離になった
まあバスで2時間くらい、交通費は往復5000円くらいだったから会いに行ってた
その間可愛いセフレができたりしたけど彼女と会うのが楽しかったりしてセフレを切ったりした
あんまり可愛くなかったし可愛いセフレとやったりしたから彼女とはセックスレスになった
でもまあ楽しかった
自分がその時新しい病気を発症したとき、じゃれて朝起こした時にその病気が移るといわれたのはショックだった
他にも何個か不満なところはあったけど楽しかった
1,2ヶ月に一回はあった
クリスマスをその彼女と過ごしたあと、25日の日曜日の夜、一ヶ月ほど連絡に絶っていた遠距離の彼女から連絡が来た
そこからいろいろあって別れ話になった
向こうが泣いて、自分も泣いた
それで別れた
セックスレスになる前の一つしか使ってないコンドームも入ってて申し訳なくなった
彼女にはかなりの素を見せていた
でもあんなに素は出せない気がする
これからどう生きよう