はてなキーワード: 畜産業とは
職業差別って言葉けっこう安易に使われてるけど、差別はもともと人種や性別や性的指向みたいな生得的な属性に対する不利な扱いや否定的評価を言うもので、職業に無条件に拡大適用できるわけではないよ。職業は一定の行為を伴うもので、その行為に対しては規範的判断が可能だから。
かつて奴隷商人という職業があったけど、その仕事を否定することは奴隷制への規範的判断であって職業差別ではない。倫理的原理に基づく合理的批判であり、他者への強制ではなく自己の立場の主張であり、人格否定ではなく行為や構造への批判である場合、職業に対するものであっても差別ではない
現代でもたとえばヴィーガンは畜産業や漁業を肯定しないし、アーミッシュやジャイナ教徒は軍隊を是認しないし、アニマルライツを奉じる人は恐らくペット業者を許容しないでしょう。その職業が伴う行為に対する倫理的な否定的評価は差別とは呼ばない
「肉を食べる人のおかげでヴィーガンでいられる」という主張への反論
「肉を食べる人がいるから自分はヴィーガンでいられる」という主張は、一見パラドックス的な皮肉に見えますが、論理的には成立していません。この考え方には複数の誤解が含まれています。
まず第一に、ヴィーガンという選択は「多数派に依存しないと成り立たない」とする前提そのものが誤りです。現代の食料供給は多様化しており、穀物や豆類、野菜、ナッツ、代替タンパクなどを通じて十分な栄養を取ることが可能です。つまり、ヴィーガンは肉食者に依存して成立しているわけではなく、独立した倫理的・実践的な選択なのです。
次に、「他人の犠牲があるからこそ自分の理想が成り立っている」という論点は、あらゆる倫理的行動を無効化する危険な相対主義につながります。それを言ってしまえば、環境に配慮する人、ゴミを減らす人、公正な労働条件を求める人も「他人が配慮していないからこそ自分がいい顔できる」と言われかねません。だが、実際にはそうした少数の行動が変化の原動力になるのです。
さらに、ヴィーガンの中には「想像力が足りない」と批判されることもありますが、むしろ逆です。動物が感じる苦痛や、畜産業が環境に与える影響を想像し、そこに倫理的配慮を働かせているのがヴィーガンという立場です。
想像力が「自分一人で終わっている」のではなく、「他者の痛みにまで届いている」からこそヴィーガンでいようとするのです。
科学においても、現代の畜産が温室効果ガス排出・水資源消費・森林破壊に与える影響は多くの研究で示されています。それに基づいて食の選択を見直すのは、むしろ科学的思考に立脚した行動です。
食事の前に、我々が口にする「いただきます」という言葉。何気なく言っているようで、この一言には深い意味が込められていると感じる。
単に食事を始める合図としてだけでなく、その背景にはさまざまな存在への感謝の気持ちが凝縮されている。
まず、神に対する感謝がある。自然や命が我々に与えられ、食べ物がテーブルに並ぶこと自体が奇跡的な出来事だと感じる人も多いだろう。
何かを食べるという行為は、生きるために他の命をいただくことであり、その命の源に対する感謝を表す意味でも「いただきます」と言うのはとても重要だ。
自然界での食物連鎖を考えると、食事は神からの恵みであることに気づく。この命を無駄にせず、ありがたく頂戴するという謙虚な気持ちを持たなければならない。
次に、生物への感謝も込められている。肉や魚、野菜や果物、すべての食材にはそれぞれ命が宿っている。
命をいただくということは、生き物がその一生を全うして私たちのために犠牲になったことを意味する。
食材となるために育てられ、収穫されるまでの過程や努力、さらには命のつながりを思うとき、そのありがたさが一層深く感じられる。
食事をするたびに、その命を大切にし、無駄にせず食べ尽くすことが重要であることを再認識させてくれる。
家庭で、または飲食店で料理を作ってくれる人々は、単に食事を準備するだけではなく、その食材をどのように扱うか、どんな調理法で味を引き出すかを考え、愛情を込めて作っている。
彼らの手間暇をかけた努力と心配りが、食卓に豊かさと喜びをもたらしている。
「いただきます」という言葉は、単に料理を作った人への感謝の気持ちを伝えるだけでなく、その人がどれだけ心を込めて料理をしたかを意識させてくれる。
さらに、食べ物を手に入れるために働く生産者たちにも感謝の気持ちを向けるべきだ。
農家や漁師、畜産業者、さらには流通業者や販売店など、食材が手に届くまでには多くの人々の手が加わっている。
食事を通じて、これらの人々の働きと貢献に感謝の気持ちを込めることも、「いただきます」が持つ意味の一つだ。
そして、最後に「いただきます」という言葉が示すのは、食事そのものに対する感謝だ。
食事はただの栄養摂取だけではなく、心と体を満たし、日々の力となる大切なものだ。
その大切な食事を、無駄にせず、心を込めていただくという気持ちが「いただきます」という言葉には込められている。
「いただきます」は、食事をするために関わるすべての存在—神、生物、作り手、生産者、そして食事そのもの—に対して、感謝を表す最も美しい言葉だと言える。
食事はただの生理的な行為ではなく、命のつながりや人々の協力によって成り立つものであり、そのすべてに感謝を示すことで、食事の一瞬一瞬がより尊いものとして感じられるようになるだろう。
そんな働き終わった畜産業じゃあるまいし
これ東京に謎の憧れを持っているトンチキだけでなくて、公的な役職がある人も口にするから、
研究や大学云々あわせて日本はなるべくして今の状況になったって感じ
夏野氏
「あと、言いにくいが、税金払ってない人の2倍の投票権を税金払っている人に与えていいと思う。どちらにしろ東京の人の票の重さは鳥取の半分以下だし。最高裁も2倍までいいと言ってたらしいしね。」
「国民に高いコストを払わせてお世話になっているくせに当然の権利のようにTPP反対デモしている農民を見ると、事実上倒産しているくせに解雇に反対するJALの組合とかぶる。どちらも既得権益を守ろうとしているだけで、決して弱者ではないことに注意」
「30年くらい先を見越すと、都会か地方か、ではなく、人口減少下のニッポンである一定の人口密度以下の場所に住むということはそこの公共サービスを維持するために莫大な税金が必要となり、ものすごく贅沢なことになるという認識を持たざるを得なくなる。」
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𝕏(Twitter民)
「人口密度の高い地域の電気や水道水、食料はどこの地域からのものでしょう?どれだけの恩恵を人口密度の低い地域に頼ってますか?
利用者が少ないからとせっかく築きあげてた鉄道は廃線になり、どこの地域にもあった学校も統廃合でスクールバス通学、最低賃金格差、人口減少に向かわせた政策です。」
「他人より稼げているのは社会システムによる富の分配の偏りの恩恵で、能力より役割ですよね。所得が少ない人は税金払ってないというのなら法治国家そのものが崩壊しますよ。教授は食料作り出せないでしょ。低収入農家をバカにしないで。」
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夏野氏「はあ。」
ただそれはそれとして、自然と生き物相手にする商売はかっこいいけどシンドイと思います(事実)
昭和の初期にみんなそう言ってやめた。60年前以上前の日本と現代の日本は本質的に何も変わっていない
サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ (1962年 昭和37年)
<ざっくりとした内容>
主人公は中卒で学がなく非正規社員で経理。支社でまともに仕事をしているのは彼だけ。語学が堪能なのも彼だけ。
あとは酒飲んで上司にゴマすって出来たら東京本社に行きたいな〜とお気楽に過ごしてる。上に詰められた時だけ仕事をしている振りをする。
主人公はこんな仕事を投げ出したくなるが、両親にホワイトカラーであることに感謝し留まるように諭されたり、自営業(畜産業)で破滅的な状態になった友人に「サラリーマンは席座ってるだけで給与が出てお気楽で良いよな」とか言われてしまう。
最終的に主人公は不正の片棒を担ぐことを頑なに拒否し、北海道へ島流し(ただしイチから関係や組織を作れる?風な希望に満ちた終わり)
私はパートナーがゴンドームを嵌めている間に考えているのは植民地時代のマレーシアのプランテーションについてです。