はてなキーワード: 後退的とは
私はTERFらしい。自分でそう認識しているのではなく、「こいつTERFじゃねえか!」と他者から言われたのである。
TERFとは、トランス排除的ラディカル・フェミニスト(Trans Exclusionary Radical Feminist)」の略語、とのことらしい。私は別に、トランス(ここでは仮に、身体的性別と自認性別が異なっている状態と定義する)の存在を否定していない。
しかし、ある時増田で「異性の社会的地位を得たいと考えて、トランスではないのにトランスであると誤認して幼少期に性転換治療を行うと、取り返しのつかないことになるので、十分な判断力がついてからの治療をすべき」と述べたところ、TERFだ!こんなやつの言うことは聞くに値しない!といったコメントがつき、それまで語っていた別の話すら否定されるということがあった。
その増田では、私がかつて感じていた生きづらさについて書いていた。
その一例として、小学生の頃、「男の子なら勉強していても文句言われない、女のくせにって言われない!」と、男の子に生まれたらよかったのにと思っていたことがある。これは私がいた地域が、「女性は勉強をするものではない」という社会観念・構造を持っていたが故に抱いた感情だ。もしかすると、私と同じ社会で育った男の子の中には、「女の子ならオシャレしていても文句言われない!」として、女の子に生まれたかったと思っていた子もいたかもしれない。
ただ、私もその男の子も、トランスジェンダーではない。ただ、「決められたジェンダーロールに縛られたくない」という気持ちがあるだけの、シスジェンダーである。
もちろん、性別に違和を持つトランスジェンダーの子もいたかもしれないが、今回その子は議論の対象ではない。「社会構造が原因で、異性のジェンダーロールを得たいと考え、それが異性への変身願望であると誤認したシスジェンダー」の存在が、議論の対象である。
しかし、私の意見は「TERF」、すなわちトランス排除的であると判定された。
ここで話はがらりと変わるが、最近のアニメで「見た目は女性的だが、性自認も身体も男性」というキャラクターに対して「彼女はトランスジェンダーだ!トランスと認めろ!」という意見をたまに見かける。
彼らの主張をバカ正直に受け取ると、「シスジェンダーのままで、ジェンダーロールに縛られない行動をしてはいけない」ことになる。これはとても「後退的」な主張で、古典的な「男らしさ、女らしさ」の強化をしているだけに他ならない。上のアニメの例で言えば、「女らしい」行動をすれば(身体の性別が男性であれば)トランスであり、また「トランス女性は女性」(TERFとレッテルを貼る人たちがよく言う言葉)なのであれば、「女らしい行動をする人は皆女性である」ということになる。「女らしい」行動をする「男性」の存在は、認められないという結論になる。
つまり小学生の頃の私は、女であるままに勉強をしたりはできず、男にならねばならなかったということになる。そんなバカな話があるか。
やめろ。
意見としてはそれだけなのだが、きっとそれでは納得してもらえないので、理由を述べたい。
まず、これまでなぜ男女でスペースが分けられてきたのかといえば、人間が高度に発展して羞恥心というものを獲得したからである。
また、男女でスペースが分けられている場所というのは、トイレであったり更衣室であったり、「衣服を着脱する」≒「プライベート性が高くなる」場所であることが多い。
こうした場所は、その性質上、密室に近い状態になり、そのため性犯罪が発生しやすい。そして、誰が性犯罪に手を染めるのかは外観から判断が難しい。
そのため、性犯罪に使用されやすい「陰茎」を持った人と持たない人で空間を分けて、ある程度犯罪が起こりにくいようにしよう、ということになった(と私は認識している)。
もちろん、男性から男性への加害は、これでは減らすことはできないが、その話はまた別の問題なのでここでは触れないでおく。
で。その陰茎がある状態で、女性スペースに入れろ、性加害はしないから!性加害する人間とそうでない人間が区別できるのか!という主張がなされる。
陰茎を持った人全員が性犯罪者でないことは自明の理である。それでも、陰茎を利用した犯罪が類型的に発生しやすい場所があるから、そこは一旦陰茎の有無で分けている。
ついでにいうと、事実として女装(トランスかどうかは問わない)した人物が性別で分けられた場所で性犯罪(性器の見せつけなども含む)をしているという報道がある以上、女性側としてはやはり陰茎の有無で一旦スペースを分けてほしい。
そして、スペースを分けるということは、「あなたは陰茎を持ってるから入らないで」と言えるということである。
これは心理的にも、実質的にも大きな安心感を得られる。「陰茎を持つ人が女性スペースに入ることはおかしい、間違っている」という前提があり、「普通は」これを守るという共通認識が生まれ、実際に陰茎を持つ人が入ってきたら追い出すことに正当性があると判断される。
「男性的な女性が入ってきたらどうするんだ!?」と言われるが、そもそもその人は女性なので何の問題もないし、男性的であれ女性的であれ「陰茎を持つのでは?」という疑いがある場合は口頭で確認すればいい。
「嘘かどうか分かるのか!?」わからない。だから、「女です」と言われたら女性スペースを使わせるより他ない。ただ、嘘をついて女性スペースに入っていたならそいつは犯罪者だし、そいつを「犯罪者だ」と言えることが重要なのである。
刑法があるからといって、詐欺も殺人もなくなるわけではない。「詐欺罪」や「殺人罪」に問えるだけだが、「罪に問える」ことは社会的にとても重要だ。抑止力もそうだし、「これは悪いことだ」と、「社会が許さない」と意思表示していることになる。
男性という呼び方では曖昧になってしまうので、ここでは「陰茎を持つ人」という呼び方をしてしまった。あまりいい気分にはならなかったと思うが、正確性を期するためなのでご容赦いただきたい。
なお、書いていて思い出したのは、JKR女史の「生理のある人?他に呼び方がなかったっけ?」という趣旨の言葉だ。そう、他に言葉があるし、私は正直「性別なんだから外性器の区分で分けろよ」と思う。性別と性自認は別のもの、という考え方である。だって性別違ったら出るホルモンも違うんだし、生物学的な分け方は厳然として存在するんだし。
ここまで色々書いたが、端的に言って「陰茎ない人用スペースなので陰茎ある人は入らないでください」が結論である。私は他称TERFだが、トランスジェンダーの存在は認めているので、外科的手術で陰茎がなくなった人は、陰茎ない人用スペースに入っても問題はないと考えている。
ただ、他人の身体をジロジロ見たり、あまつさえそれをブログに書いたりする行為は、普通に性犯罪だと思うので、やめろ。
TERFとレッテルを貼れば、それはナチスばりの人種差別主義者であり話は聞くに値しない、という活動をしている人がいた。今もいるかもしれない。
私はTERFって言われるだろうなと思っていたし、女性の権利を守って何が悪い?と思っていたので、ダメージは少なかったが、それでもこの強烈なレッテル貼りには目を瞠った。また、上述のことは、TERFと呼ばれた時から一貫してずっと考えていたことだが、表明するのに躊躇した。
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。