はてなキーワード: 両津勘吉とは
かわいくてたまらないんじゃないかとソワソワしているが、なんか2人とも冷静なんだよね。
そんなにやすやすと会える距離にいないから、もっと会いたいとか言ってきてもいいのに言わないし、会いにも来ない。おじいちゃん、76歳なのに東海道の宿場町を巡る旅を定期的にやってるくらいバイタリティがあるのに、来ない。1回だけ宿場町旅のついでに孫を見に来た。滞在時間2時間。飯食って酒のんでちょっと一休みして帰った。
正直そんなおじいちゃん(実父)、大好き。
おじいちゃんみたいになりたいんだよ、ほんとに。好きなことだけやって、嫌われないかとか気にせず、自由で、しかし博識で、なのに下品で、両津勘吉みたいなおじいちゃん。
今も現役で自営業を続けていて、うちの世帯年収より稼いでるおじいちゃん。うちの世帯年収が低いんだけど、それにしてもすごい。
おじいちゃんは民主党の党員で、市議会選挙とか出てたけど、そんなことよくわからなくて初めて投票できる歳になって自民党に投票したよ、小泉さんかっこいいじゃんっていったらおじいちゃんもおばあちゃんも絶句してた。絶句してた理由はあんなに何度も選挙してて親の支持政党すらわからんやつが投票したんか、の顔。うん。当時なんも知らんかった。自民党がいいとか民主党がいいとかではなく、親の行動にここまで興味ないんかい!という親の顔。心に刻んだよ。だって本当に興味なかったんだもん。親の行動興味ないよ〜。当時は当時でほら、恋とかしてたし。
そっか。
親も興味ないのか!孫!
なるほど。
なら分かるな。
好きなんだけど、情報はスルーしちゃうんだよな、たぶんな。こっちの感情(好き)が優先だからな。
興味ない、は違うな。興味はもちろんある。
自分の世界が強めなんだろうな。おじいちゃんも、わたしも、おばあちゃんも。
それだけなんだろうな。
恥ずかしげもなく流行りのフレーズをこれでもかと言えれるんだよね。
バイキングで蟹とローストビーフとメロンを山盛りにしてる原価率しか見えてない下品な客がたまにいるけどあんな感じ。
本当に一切の恥も何も無くただひたすらに一番の売れ筋を積み上げてくる。
普通はやらないよ。
「自分たちの個性を出したい」とか「俺が好きなものがもっと評価されて欲しい」とかのエゴが働くから。
でも彼らは違う。
「一番の売れ筋で勝負してそれでメジャーになることで評価されたい」っていう物凄くしょーもないエゴで動いてるんだ。
それこそ「好きな食べ物は高い食べ物」と語る両津勘吉の如き生き様だ。
大抵のミュージシャンはそんなことしない。
自分たちはアーティストであり、自己表現を売ると思い込んでるから。
ミセスは違う。
何のプライドもなく金で体を売り歩く売女のような生き様をメジャーのステージでしている。
金で手にした高価な機材や人員からのサポートを全力で受けながら、一番の売れ筋をやる。
気持ち悪いよ。
資本主義の極みだ。
でも曲は本当にいい。
円高(そんな時代あったな)なのに輸入おもちゃが安くならずイラついた両さんが
「完全失業率100%にします」 「給食を充実、家庭の食事は廃止」などの公約打ち立てて
政見放送ではパンク風の衣装で学歴や補導歴をさらけ出すという異色キャラで登場して
落選と同時に職を失い、涙ながらに大原部長にすがりつくってやつ。
あれって有権者は「面白いけどちゃんとした人に入れたい」って全く支持しなかったのが
最大の深み(ネタ)だったんだな。
時は流れて今は「なんか面白かった奴(ネタ枠)」に票がそれなりに集まって本当に当選する事例があるなんて。
あなたの一票、
両津勘吉に入れたりしてないよね?
赤:谷本和優@静岡 緑:阿部文貴@東京 白:川本洋平@埼玉 青:味水達也@京都
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02 『火花』
・04 釧路湿原
・05 ホセ・メンドーサ
・03 ヒロミ
・04 マタタビ
・05 黒ひげ危機一発
・06 文化(庁
・08 石楠花《しゃくなげ》(色にたそがれる
・09 [近似値]23
・12 [ポチャッコ][今から見えてくる人:人物名]ヒポクラテス
・13 155
・19 広瀬香美 ひろせこうみ
・21 是枝裕和 これえだひろかず
・22 [あと1つ]近世
・25 [3択]およそ 3 300キロメートル
・26 えら
・27 リア王
・29 ジャングリア(沖縄
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・30 ビール
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(日曜本放送)このあとは「BS10からのお知らせ」→ジャパネットたかたテレビショッピング→ジャパネットたかたのテレビショッピング
増田はうさぎと亀有公園前派出所というタイトルの童話を知っているかな。
むかしむかし、東京都葛飾区の亀有公園前には、とても珍しい競争が開かれました。そこに参加したのは、性急なうさぎと、のんびり屋の両津勘吉でした。この競争の目的地は亀有公園前派出所で、どちらが先にたどり着けるかを競います。
競争が始まると、うさぎはピョンピョンと俊敏に跳ね、すぐに両津を引き離しました。両津勘吉は「まあ、のんびり行っても大丈夫だろう」と思いながら、道中にあるお菓子屋に立ち寄ったり、友達とおしゃべりをしたりして、寄り道を楽しんでいました。
一方でうさぎは、「あんな鈍くさい両津に負けるわけがない」と自信満々でした。しかし、亀有公園前にこだわるのは両津だけではありませんでした。途中でうさぎは、派出所の警官たちに呼び止められ、速すぎて危険だと注意されました。
その後、うさぎはうんざりしながらも時間を費やし、仕方なく最寄りのカフェで一休み。すっかり油断してしまい、カフェで眠り込んでしまいます。
一方、両津勘吉は亀有公園で子供たちとサッカーをしているうちに、ようやく競争を思い出してゴールを目指しました。ゆっくりではありましたが、確実に前に進みました。
目を覚ましたうさぎが再び派出所を目指したときには、時すでに遅し。両津勘吉は、派出所の前で歓迎の拍手を受けていました。凄腕のスピードではなく、持ち前の楽観的なペースでしっかりと目標にたどりついた両津が、今回は勝者となりました。
この物語が教えてくれるのは、「急がず、焦らず、最後までやり遂げることの重要性」です。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選
↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマ数めっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう
みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェやKindleの50%還元セールでいろいろ読み返してました
選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響は考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。
ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的なメモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。
月2回刊で始まった少年ジャンプの創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号が20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。
そんな中、大家・永井豪が描いたこの作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部の方針は明確であったことである。
過剰ともいえる性描写、教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部の意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである。
頭文字Dや湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー、番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。
思うに、我々の脳には義理と人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志が最初であった。
ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクターの一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的な人間でも、腕っぷしと強靭な精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。
ジャンプが国民的マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治のデビュー作は間違いなくその一つであろう。
当初は型破りな警察官・両津勘吉のドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代のサブカルチャーや政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本の風景を余すことなく取り込んだ作品となった。
浮世絵が江戸の庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語は昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流の庶民の日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所の日常にしみじみと感じ取るのだ。
もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義や兄弟愛をベースにした極めて現実的な作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョーの下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる
───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人的能力)の要素を意識的に再生産していることである。車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ。
同時代の作家に比べ、寺沢武一のデビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラの世界観から引用した本格的なSFのアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングやセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載をはさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。
登場人物も読者も無垢な10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家は絶対にコンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊のサイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデアも寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである。
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情・努力・勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージを単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民的作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから?嶋田のSNSの使い方が下手だから?
キン肉マンはマンガとしてではなく文化的に重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙がクオリティに関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガに熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。
鳥山明の訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。
本作は後にDBやドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である。
言語以前の本能の領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間は鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというものは存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。
Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかしたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現したかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。
それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツのひとつに過ぎなかったサッカーをメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。
元増田を書いたとき、ブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである。
自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である。1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプの原風景だった。
強くてカッコいい大人の男が弱肉強食の戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガが流行る時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。
かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。
きまぐれオレンジ☆ロードは申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子の日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常に需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。
まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかのキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずにはいられない。
鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピやナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れで無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。
鳥嶋和彦の意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガを金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。
11年に渡る孫悟空の冒険をもって、鳥山明は日本のマンガ文化が世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身が手塚治虫、赤塚不二夫、つげ義春、萩尾望都、藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである。
車田正美はリンかけで過去のジャンプ作品の再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身の作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。
彼はギリシャ神話と宇宙、子供向けと大人の女性向け、劇画とプラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美の世界を前人未踏の領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。
ある一定の世代の人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまらん作品という評価が下されることがあり、そこには50%の事実と、50%の誤った認識が含まれている。
荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間が果たして何人いただろう?
幽波紋と、理不尽な能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものである。キャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引きの領域に落とし込むことに成功したのだ。
我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出しで表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガの世界に誘ったのである。