はてなキーワード: ソフトテニスとは
2026年に相次いで発生した2つの学校行事関連の輸送事故を、経緯(事故の背景・手配の実態)と法的責任の観点から比較します。どちらも「安さ・便宜・理念優先」で正規の安全基準を回避した結果、生徒の命が失われた痛ましい事例です。
北越高校(新潟県)の男子ソフトテニス部生徒20人を乗せたマイクロバスが磐越自動車道でガードレールなどに衝突。17歳男子生徒1人が死亡、26人が重軽傷。
学校側が蒲原鉄道(正規バス事業者)に依頼。「貸切バスは高いので安く」と要望。蒲原鉄道の営業担当者が会社名義で白ナンバーのレンタカーを契約し、「知人の知人」である68歳無職男性(若山哲夫氏)を運転手に丸投げ。
運転手本人の免許確認ゼロ、虚偽申告(営業担当者本人の免許だけ提示)、無断転貸。運行管理・適性確認は一切なし。複数回同じ手口を繰り返していた。
同志社国際高校(京都府)の修学旅行生18人らを乗せた抗議船2隻(平和丸・不屈)が転覆。17歳女子生徒1人と船長1人が死亡、14人が重軽傷。
ヘリ基地反対協議会(市民抗議団体)が運航する抗議活動用の小型船を「平和学習」として利用。学校は数年にわたり同団体に依頼し、常習化。
事業登録のない船を使用。使用料(1万5,000円程度)を支払いながら「ボランティア・カンパ」と主張。波浪注意報下での出航、引率教員不在、学生を「海保制圧回避の盾」として利用していた疑い(仁藤夢乃氏の過去投稿など)。
学校側の思惑で正規輸送を避け、無許可・無管理のグレー輸送に頼った。生徒の安全確認が杜撰で、運行主体の責任放棄が事故を悪化させた。
◦ 白バス事故は部活動遠征の移動手段として発生。プロのバス事業者が安さ対応で白ナンバー車両+外部ドライバーを手配。
◦ 辺野古事故は修学旅行の平和学習として発生。抗議団体が抗議活動用の船を学習目的に転用し、数年常習+対価受領の実態があった。
• 白バス:正規バス事業者(蒲原鉄道) — 運行管理のプロとして道路運送法の義務を負う。
• 辺野古:市民抗議団体(非事業者) — 海上運送法の事業登録なしだが、常習・対価で「実質事業」と認定されやすい。
• 白バス:白バス行為(無許可団体輸送)+虚偽契約・無断転貸。会社名義・業務時間中の常習的手配で、プロが自ら違法を主導。
• 辺野古:海上運送法違反(無登録運航)。対価受領+数年常習依頼で事業性が高く、学生を抗議活動の手段として利用した疑い。
• 白バス:無償主張でも契約虚偽性と転貸の事実が残るため違法。
• 辺野古:使用料受領+常習で「ボランティア」主張が崩れやすく、事業登録義務違反が強く問われる。
白バス:
プロ事業者が安全基準を意図的にすり抜けた「業務上過失+運行管理者義務違反+使用者責任」。国交省立ち入り調査中。
ただし常習性・対価により刑事責任(業務上過失致死傷+海上運送法違反)が追及されやすい。学校の丸投げにも違法性があるため、活動団体への追求が集中しずらい構造。
両事故とも「正規ルートを避けた杜撰な手配」が生徒の命を奪いましたが、白バス事故はプロ事業者の裏切り行為が鮮明なため、法的責任の追求が容易です。一方、辺野古事故は非プロ団体の常習的な無登録運航+政治的利用の組み合わせで、責任の所在を問いにくい構造です。
2026年5月6日、福島県郡山市の磐越自動車道で発生した北越高校男子ソフトテニス部員を乗せたマイクロバス事故(1人死亡、複数重軽傷)は、学校側の「安さ優先」とバス手配会社の杜撰な対応が重なった痛ましい事例となった。https://www.asahi.com/articles/ASV564DRGV56UGTB003M.html
事故車両は白ナンバーのレンタカーで、運転手は蒲原鉄道(新潟県五泉市)の社員ではなく68歳無職の「知人の知人」。
北越高校側は蒲原鉄道にバス手配を依頼したが、「貸切バス(緑ナンバー)は高いのでレンタカーで安く」と要望。蒲原鉄道の営業担当者はこれに応じ、会社名義でレンタカーを法人契約。運転手として外部の68歳男性を紹介した。
問題の核心はここにある:
レンタカー契約時、実際の運転手(68歳)の免許証は一切提示せず、営業担当者本人の免許証だけを提示。
レンタカー会社には「営業担当者が運転する」前提で契約したのに、実際は第三者に運転させた。これはレンタカー貸渡約款で明確に禁止される虚偽申請+又貸し(転貸)行為。
運転手の事故歴・健康状態・二種免許の有無すら確認せず。営業担当者と運転手は「直接の面識なし」だった。
偶発的なミスではなく常習的な慣行だったことが浮き彫りになっている。
蒲原鉄道は会見で「会社として全面協力ではなく、あくまでお手伝い」「実費のみ」「個人的対応」と主張しているが、これは極めて薄弱だ。
白ナンバー車両で有償・事業性の旅客運送をした場合、無許可運行に該当。無償だったとしても、会社業務として手配・運行管理を怠った点で運行管理者としての義務違反が問われやすい。専門家からは「白バス行為のほう助」として刑事責任の対象になるとの指摘が出ている。1
被害者救済が蒲原鉄道や学校側への民事請求に依存する事態を招いている。
バス事業者として安全確保義務を怠った使用者責任(民法715条など)が発生する。
警察も運転手への逮捕状請求と並行して、手配経緯の捜査を進めている。
正式な緑ナンバーバスを使えば運行記録・ドライバー教育・保険基準が厳格に適用されるのに、それを避けた結果、安全が犠牲になった。過去の白バス事故でも共通する「安さ優先のチェーン」が、再び悲劇を招いた。
まず、車の送迎について、保護者が持ち回りで子供たちを連れて行く、そして「何かあっても学校は何も責任を負いません」という書類に署名して出せ、と
いや、出さないよ
どこの誰が運転するとも、どんな車かも、免許持ってるかも確認してない、保険の適用範囲もわからない、そんな状態で怖くて署名なんかしないよ
自分ち以外全員出してるし今まで出さない人はいなかった、って聞いてびっくらこいた
もし車に突っ込まれて片足なくなっても保険金が出るかもわからないって怖くないのか?
聞いてみたら「今まで何もなかったので」
先生もボランティアで休日潰して引率してくれたり給料も出ないのに指導してくれるんだから全然出す
お茶とおにぎりとミニ弁当、冬は水筒にお湯入れて暖かいインスタント汁を準備して、グリーンピースはNGで〜、いや先生の好きな弁当買わしたれや
嫌やろ、どんな保存状態だったかも、好きでもないおかずが入ってるかもしれない弁当もらうの
他にもOGのレクリエーション企画する係(3年間固定)とか、とにかく取り決めが細かい、責任が不釣り合いに重い
これが強豪校ならわかるよ
うちは軽い気持ちで入ったし、1年生の他の保護者も説明についていけなくて引いてる
説明聞いてるうちに何となくわかったけど、これは学校側が求めてる訳ではなく、保護者が勝手にしてる自治が過剰なんだ
「昔からこれでやってたから」で非効率と負担だけが負の遺産として積み上がってる感じ
とりあえず車以外は半年くらい言う通りにするけど、やらなくていいようなことは辞めてもいいか提案する
子供には悪いけどダメそうなら部活変えるなり、民間のクラブに入るなりしてもらおう
こんなのやってられないわ
ソフトテニスはダブルスなので、ペアを組んでいる人に申し訳なく感じる。
ただ部活の話になると「〇〇大会とか出た?(なんか上位陣の戦い)」とか「補欠だったとか?」と言われる。
違う。出たくもない大会に出て負けていただけだ。
ここで「一度も勝ったことがない」と言えば、「またまた〜w」と言われる。
自分は運動神経は良かった方で、入った高校の体力テストでも上位の方だったが、中学の頃の試合では勝てなかった。
ソフトテニスの大会は負けてもすぐには帰れない。負け審というものがあり、負けたペアが別の試合の審判をやる。
審判は難しい。ただでさえ自分よりも弱い奴らに試合の結果を左右されるなんてかわいそうだなとも思った。
大会で他の学校の人が「〇〇中(私の学校)はザコだな」と言っていたらしい。それを直接聞いたらしい子はムカついていたが、私は別に何とも思わなかった。
実際私含めて他のペアも試合で勝ったところをほぼ見たことがなく、部活全体として弱小なのは事実だった。
さすがに3年の最後の試合で1年生ペアに負けたのは悲しくなったが、相手校の練習の質や在籍人数を考えれば負けても仕方がない。
顧問は終わり際にやって来て何も言わない。
基礎トレーニングというものをやっていなかった。というか、練習の仕方がわからなかった。
だからかランニングと素振りをした後はすぐに練習試合をしていた。
当時は筋トレや戦略を考えたりとかも思ったが、別に部員みんなが試合に勝ちたくて部活をやっていたわけではない。
真面目に基礎トレをする部員は2人くらいで後はサボっていた。
みんなにとって私は頑固なマジメくんに見えていたかもしれない。
楽しくソフトテニスをする。それだけでいいのが、公式試合で勝つことに目的が移ってしまった気がする。
いちいち煽るのはソフトテニス部を思い出す
「中学受験すれば?」と親に聞かれ、当時小学生の何も知らない自分はなんとなく「やる」と答えてしまいました。「お前がやると言い出したんだ。最後までやれ」と圧をかけられ、凄く嫌がりながらも中学受験をさせてもらいました。案の定結果はボロボロで、適当に受けた適当な中高一貫校に入学する事になりました。思えばここから始まりだった気がします。
部活動はソフトテニス部に入部しました。中高一貫校なので高校生の先輩もいました。そんな先輩方に体操服を引きちぎられたり、羽交い締めにされて「携帯のパスワード教えろ」と言われ勝手に中を覗かれたり、その他諸々、所謂いじめを受けて、それが無理で1年で辞めました。
辞めてからは新しく吹奏楽部に入部しました。吹奏楽部はブラック部活とは良く言う話ですが、うちの吹奏楽部も似たようなものでした。部活動は平日はもちろん休日も朝から夜まであり、中学生の朝練は当たり前、お昼を食べる時間は15分、理不尽な事で怒られたりもしました。合奏中ミスをすれば女性の先輩に胸ぐらを捕まれて女子トイレに連れ込まれ正座をさせられてペチペチされながらこっぴどく叱られました。今思えば異常ですが、(自称)メンタルの強い自分はなんだかんだ上手くやっていたと思います。高校に上がり、自分達が先輩になった時にはそんないらない伝統やルール、文化は廃止させていきました。
ソフトテニス部でイジメられた時も、吹奏楽部でボロカスに怒られた時も、涙を流す事はありませんでした。むしろ、自分にも非があったとも思いますし、先輩の機嫌も悪かった、仕方が無かったと捉えています。そんな自分が突然、涙を流した事件がありました。
高校三年生になり、大学受験を視野に入れる歳になりました。部活動は12月末まであったため、勉強と部活の両立をしていました。部活動の同期は徐々に病んでいき、気付かぬうちに自分も病んでいました。病んだ同期は、部活の練習で使用する教室の机に置いてあった赤の他人の教科書をグシャグシャに丸めて捨てたり、リスカ痕を僕らに見せつけては笑顔で「今日も切ってきたよ!」と報告したりしました。それを見た僕らも「またかよ!笑」「今回はどんな形?」と、リスカを心配する素振りもなく楽しく話していました。僕らは壊れていました。日々死にたいと思い、明日が来ない事を毎日祈り、眠れない夜が続きました。それでも怖くて死ねない自分が情けなくて仕方ありませんでした。
とある日、急に毎日微熱が続いたので親に相談しました。「気の持ちようだ」と言われましたが、どうしても勉強と部活をサボりたかった自分は病院に連れて行って貰えないか交渉しました。何故か親は頑なに断り、「甘ったれてんじゃねーよ!」と怒られました。諦めの悪い自分は、夜寝れてない事、もしかしたら心を病んでいるかもしれない事、辛くて学校に行きたくない事を打ち明けました。きっと心配してくれる、休ませてくれると願いました。
「原因それじゃん。夜は無理矢理でも寝なよ」
「学校は行くから、病院に行かせて欲しい。本当に寝れないし、熱も出てる」
「だから無理矢理でも寝ればいい」
初めて親に怒鳴りました。母の言葉を遮るように叫びました。ここから先はあまり覚えていませんが、母は変わらず何度も何度も何度も何度も何度も何度も同じ事を言い続けていました。「無理矢理寝ろ」 と。話にならないと思い自分の部屋へ逃げました。
自分の怒声を聞いた父が部屋へやってきて、「どうしたの?」と声をかけてくれました。自分は夜に眠れず、病院に連れて行って貰いたいことを打ち明けました。ですが父の返答は驚くものでした。
「○○(自分の名前)の気持ちも分かるけど、怒鳴っちゃあだめだよ。」
自分は一瞬、理解が追いつきませんでした。この人は心配にし来たのではなく、怒鳴った自分を注意しに来ていました。怒鳴ってはいけない事くらい高3にもなればわかります。母も父も、僕の味方ではありませんでした。
自分は「わかった。1人にさせて」というと、父は何か言いたげでしたが、言わせる前に「いいから出てってよ!」と叫ぶと、僕の事を心配しながら出ていきました。
父が扉を閉めると同時に、涙が溢れました。頭の中は真っ白で、何故泣いているのか理解できませんでした。自分はその状況にゲラゲラ笑いました。涙を流しながら、声高らかに笑い転げました。感情が、文字通り「死んだ」瞬間でした。その日は夜通し涙を流しながら笑っていました。泣き終えた後が怖かったんだと思います。朝になりリビングに行くと母が居ました。母は「父が心配してたよ。可哀想に」と言いました。その言葉を聞いた時にはもう何も思いませんでした。
この人達は僕の味方でいるつもりで、僕を理解しているつもりかもしれませんが、僕に金をかけているだけで、全くそんなことはありませんでした。結局、当時の僕の事を思ってくれている人はいませんでした。
その日からはどんなに面白い動画を見ても笑う事は無く、何をされても苛立つことも無く、泣く事も、楽しいと思う事もありませんでした。屍のように生き、大学受験も見事に失敗し、適当な大学に入学する事になりました。大学受験をせずに適当な専門学校へ行った姉に「そんだけ金かけてもらって大学落ちてんの?笑」と言われましたが、なんとも思いませんでした。僕をイジメていたソフトテニス部の先輩は超有名国立大学に合格しており、理不尽な事で怒っていた吹奏楽部の先輩達は指定校推薦で超有名私立大学へ入学していました。僕の高校卒業後の部活動は、秩序の無いただの動物園のような場所になっていました。自分は今まで何をしてきたのか。全てがどうでも良くなりました。惨めな人生だなぁと心の底から思いました。
今では大学での出会いや吹奏楽団での出会い、バイト先での出会い等で息を吹き返しました。人から大事にされる事がこんなに嬉しいなんて知りませんでした。父や母も、なんだかんだ大学通わせてくれてますし、なんと奨学金無しで通っています。本当に感謝です。
第三者からみれば僕の経験など大した事ではないかもしれません。ですが、もし似たような状況に置かれている人がいればこれだけは伝えたいです。戦わずに逃げる事も戦略です。僕は逃げる事が出来ず追い込まれました。死ぬくらいなら全てを投げ出して逃げてしまいましょう。
大丈夫です。
当然反省とか悪いとも思ってない
みたいなことを言い出して、原因はなんだ?ってなったら私だということになったらしい
そして一気に、なんやアイツ 嫌いやわ〜と思った
相手は幼稚園から一緒で、同学年18人の過疎小学校を経て同学年80人の過疎中学校へも一緒にあがった友達だった
家も隣 といっても100mは離れてるけど
違う小学校から来た子も含む同じ部活の子達と普通に仲良くなったし一緒にも帰る
問題にするならここにして欲しい
弟とも殴り合いの喧嘩がよく起こる
気に入らないことを気に入らないって言ってしまう
ちなみにそんな感じなので中学入ってからも何度も先輩にトイレに呼び出されたりしている
私がそれに対して「行かねーよそっちから来いって言っとけ」と言う度に、呼び出し係にされてるバレー部の女子達がキレられているらしく、それもウケる
ちなみに待ち伏せとかあるのかな〜と最初の方は思っていたけど、全くない それもウケる
担任の先生に冗談で、「バレー部3年の内申下げといてよ〜 トイレに呼び出しよ〜?やばくないですか?」と言ってみたけど、まあ何もないでしょう それも別にいい
元々、通える高校がこの地域には3つしかないので内申なんかないのと一緒である
同じ部活の子達と帰るようになってしばらくして、下駄箱に手紙が入っていた
「最近なんで仲良くしてくれないの?」な内容だった
もっと長くて、なんていうかねちっこい感じの
もう私のことなんかどうでもいいんだね みたいな
当然ながら私はこれが気に入らなかった 内容も手法も
なので次の日に即言った
「何アレ?うざいけやめてくれん?直接言えばいいやん」
あの手紙見て、
「ごめんね!また仲良くしよ!」的なことを
こっちから言い出すと思ってないとそんなにビックリできんやん。ってことはそう思ってたんや怖。と思った
そこからまた、別に私的には何事もなく、同じ部活の子達中心に付き合う日々がしばらく続いたという話
それが、相手にとっては何事もなくなかったらしいという話
言い方がキツい、その後無視とかしたんじゃないか、周りの他の子がその流れを見て相手の子を腫れ物のように扱ったんじゃないか くらいかな〜〜〜
まじでそれ以外の心当たりない っていうか厳密には心当たりですらない
相手の言い分として考えられること、だわ
言い方がキツいのは、そうでしょう。そう言われたらそうですねと言えます。しかしそこは謝りません。そもそも手紙が不快だったので。お互い様でしょう。
無視は、そうですね。あっちからも話しかけてきませんしね。こっちから話しかけないかんの?学校って意外に話さない人とは話さないですよね。クラス違うんで班とかで必要なときもないしね。あれば普通に話すつもりだから、むしろ同じクラスだったらいじめだとか言われずにすんだんじゃね?って感じ。
周りに影響の部分は、知るかよって感じですね。
めっちゃ憶測だけど、そもそもあっちが吹奏楽部の子達をちょっと下に見てて、あわよくばこっちに入りたいと思って変な作戦仕掛けてきたのが爆死してどこにも行き場なくなったんでしょ?って思ってる
はーーー 私はいいけど田舎で親が徳が高いとされてる仕事してるから、噂が面倒だなって思って
「気が弱い子を狙って………」って、まあ被害者側からしたらそう見えるだろうし、実際そういうパターンもめっちゃあるんだろうけど、
正直今回の自分のこと、ただの喧嘩で済むはずの話が、相手がしょぼ過ぎて喧嘩にならずにその後勝手に死んでいったとしか思えないんですけど
狙ってるんじゃなく、これまでずっと安定してやばかったキレやすい私の人格とか性格の事を、対戦相手が気が弱い子になってからはじめて見えるようになった人が騒いでるだけで、こっちからしたらいつもの事なのよ
気が弱い方はそのままのあなたでいて、が許されて
こっちは相手の気が強いのか弱いのかで態度変えなきゃいけないのか?
ただの 中学で部活が別れて疎遠になった友達、だったのが、自爆のくせにいじめの主犯扱いしてきた嫌な奴、に勝手に進化したって気分よ
こっから私にもしっぺ返しが来るんじゃないかって思うよね〜〜〜〜〜
なかったよ〜〜〜〜〜 そんなもんよな
※ちょっとだけフェイクを入れてます。衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。
何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束の時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。
ADHDの特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身がADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳を相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそも、こちらから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である。内密な話を勝手に打ち明けた担任も担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。
我が家の家庭環境はかなり難があったと思う。おそらく両親は二人とも認めないだろう。父は特に。
父は家庭にあまり関わらなかったことを良しとしてか、家庭問題に関して自身には微塵も責任がないと思っている。そして母に全てを丸投げして逃げたのにも関わらず、逃げたことを認めることはしなかった。
自分の落ち度を認めたくないのは誰だってそうだ。自分だってそれは嫌だ。でもいい加減認めてくれないと始まらないと思う。
これを見た人はどう思うだろうか。私のことを言い訳がましいやつだと思っているだろうか。変なヤツが自身の落ち度を家庭環境のせいにして責任逃れしているだけと思うだろうか。たしかに今までの人生は自分の落ち度だ。自分に返ってきているのが何よりの証拠だ。言い訳しても何も変わらない。そして何もかもが手遅れでどうしようもないことを自分自身、誰よりも知っている。
どうしようもない。私の精神はもう壊れてしまった。全てに対して。
ADHDだとカミングアウトされたらまたキレられるのだろうかと不安で、担任に打ち明けて以降は自身のADHDを誰にも話したことはない。そして誰かに意を決してそのことを打ち明けたとしてもきっとこう言われるのだ、「お前の努力が足りないからだ」と。「お前が努力して時間を守れるように、やるべきことをこなそうとする意思を見せないからダメなんだ」と。少し鬱気味だからそう思ってるだけかもしれない。
ADHDというのは脳の障害の一種だ。まとめると、「衝動的な行動」「集中力の欠如」の2つの特徴を併せ持つ障害である。ドラえもんにおけるジャイアンとのび太がその例だ。先天的な要素と後天的な要素のいずれも絡んでいるらしいが、あまり解明されていない。
ADHDは脳の機能に欠損があるだけであって、数学が苦手とか国語が苦手とかそんなのと変わらないものだと思っているが、身体的な障害と違って外からは気づかれにくいためよく誤解される。
「五体満足のくせに障害?舐めたことを…」と思われることも少なくない。打ち明けただけでも忌避され、疎まれ、蔑まされる。
「誰でもできていることができないことなんてあるものか。お前の努力が足りないだけだ。できなければ人の10倍努力しろ」みたいな根性論は、当人にとっては無い腕で箸を掴めと言われているようなもので気分的にもあまりよろしくない。この例えはちょっとマズかったかもしれない。気を悪くさせてしまった方がいたら本当に申し訳ない。
母から認めてほしかったなあと今でも思う。朝起きて、母が何も作ってくれないからと自分で朝ごはん作って6時過ぎには家を出て、朝練に行って練習して、それから学校の授業を受け、部活でクタクタになりながら片道1時間の道のりを自転車で帰り、家に着くのは夜の8時ごろ。それから自身の夕飯を作り、眠たい目を擦りながら勉強して。
それでも何も褒められず、むしろ他の家の子と比べられてはよく貶されていた。
「○○君は、○○ちゃんは頭がいいのに。部活で活躍しているのにあんたは何一つも取り柄がないね」と。
父は「その経験も大人になれば必要なスキルだ」と偉そうに言うだけで、無関心だった。
学校の宿題を終わらせても、自分の時間などなかった。宿題を終わらせて自室で本を読んでいると、たちまち母が怒鳴り込んできて「宿題は?まだ終わってないでしょ!」と決めつけて本を取り上げられ、ある時は捨てられることもあった。宿題が終わっていることを見せても、「それなら予習をやりなさい」とひたすら勉強を強要された。
この人は私の努力を認めてはくれないんだと思った。ただ認めてほしかった。こんなに頑張ったんだよと証明したかった。
虐待もあった。兄は毎日のように、母から布団叩きで何回も叩かれていた。毎朝のようにその光景を見ていたが、それを止めれば自分も叩かれる。庇うと自分まで損害を受けるのだ。理不尽極まりなかった。
「お兄ちゃんは社交的なのにあんたは社交性のかけらもないね」「空気が読めないよね」と兄弟間で何かと比較された。兄も同様に「△△(私のこと)は頭がいいのにあんたは馬鹿だよね」と言われていた。おかげで兄弟仲もかなり冷えた。兄の失態を擦りつけられることもあった。
しばしば外で立たされることもあった。母は何かひとつでも気に入らないことがあると、真冬だろうが子供を外に放り出した。そして私たちは訳がわからないまま外に追い出された。
思い返せば「連帯責任」というのがあった。兄の連帯責任で私も巻き添えを喰らって外に放り出された。
少なくとも自分は親から言われたことは渋々ながらも大体はやっていた、と自負しているが、「言うことを聞かない」からと外に出されたこともあった。
母に対して理屈で押し通そうとすると逆ギレされて「私の言うことを聞け!聞けないなら出て行け!」と言われて外に出されることもあった。母の説教は長くて、しかも声に圧があって怖かった。母は意地でも自分の命令に従わせようといつも怒鳴り散らしていた。
そして父は母のヒステリー気質にたびたびキレて母を殴ることもあった。
父と母はよく喧嘩していた。
変な始まり方から喧嘩することもあった。妙なイチャつきあいから小突き合いへと変わり、そして殴り合いに発展していくのだ。
見ている方はしんどかった。そして茶番はよく私たちにも飛び火した。「離婚する!私に着いてくるのか、父に着いていくのか決めろ」なんて言われたり、「あんたたちのせいで喧嘩したんだ!責任取れ!」といちゃもんをつけられたりするのは日常茶飯事だった。その茶番を何十回と目撃した。普通の家庭はこんなことってあるのだろうか。
母はよく私たちにキレるくせに、なぜか父への恨みつらみを吐くのも私たちに向けてだった。正直言ってしんどかった。「あんたたちが成人したら離婚する!あんたたちがいなければすぐ離婚するのに」とよく言っていた。
私は子供に喧嘩の責任があるみたいな母の言い方に内心苛立っていた。
父は「お前の教育(しつけ)がなってないから子供達が言うことを聞かないんだ!」とたびたび母に怒鳴っていたらしい。母はそのことに対してかなり腹を立てていたようだ。
しかし父は自分からそういうことを言う人間ではない。家庭にはあまり興味がない人なのだ。
おそらく母は父からそう言われる前に、「子供達が言うことを聞いてくれないんだけどどうすればいいの!」としつこく迫っていたのだろう。
そして、母はしつけと称して私たち兄弟を外に追い出したり、叩いたりしていたに違いない。要はしつけの仕方がどういうものかきっと分かってなかったのだと思う。
母曰く、かつては子供たちに優しく言っていたが、私たちがあまりにも言うことを聞かないので暴力で教えるしか方法がなくなった、だそうだ。実際殴られてたし、その頃は意味がわからなすぎて理不尽だと思っていた。それが十数年続いた。言葉の暴力も、体罰もざらだった。母はよく布団叩きを使って子供たちを叩いた。母は自分から叩いているくせに「あんたたちを叩くせいで私の手が痛くなるのよ!腹が立つ!」と言っていた。
正直言ってその言葉にはムカついた。千回は叩かれただろうか。冗談ではなく一度に100回叩かれることもあったし、毎回平均20発くらい叩かれてたから20発×50回くらいと考えたらそのくらいが妥当と思う。
母は外面はかなり温厚なので、このことを母の知り合いに告げたらきっと驚くだろう。
父も父で暴力が激しかった。ひとたび怒りに触れると手がつけられなくなり、子供でも容赦なく殴った。トイレの扉を壊したり、何かと荒々しい人だった。
おまけにパチスロ中毒で、負けて帰ってくるといつも荒れていた。
暴れる父を止めようとして足蹴にされたり、腹を殴られて吐いたりすることもあった。
他人に対してはとことん無理解な人なので、人の機嫌を損ねるような発言をして人付き合いが上手くいかない人だった。アスペも混じっているのだろう。
「一番尊敬しているのは両親です」と言う人がいるが、そんな人が羨ましくさえ思う。
私は高校進学も自分で決めたわけじゃないし、大学に至ってもそうだ。母から夢を一方的に押し付けられ、自分の夢は一蹴されて応援すらしてもらえなかった。
今なお人生の目標がないから生きてて楽しくないし、「お前は絶対他人に迷惑をかける」と言われていたから、バイトするのも怖くて仕方なかった。「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と。バイトに入ってからは迷惑をかけっぱなしで自分の能力の低さに愕然とした。
母からはいつも努力の過程は認めてもらえず成果だけを褒められる、そんな感じだった。バイト先の店長もそんな感じだったが、私の成果がてんでダメだったので褒められるどころかよくダメ出しされていた。
むしろ店長からは憐れみと嘲笑の目で見られていたのかもしれない。「この出来損ないをここの環境で使える人間に仕上げてやろう」というしょうもない情けをかけられていた。
いつしか努力しても無駄だとさえ思うようになった。努力しなくても成果の出るものは勝手に出るし、出ないものは努力しても全く出ない。
私は中高とソフトテニス部に所属していた。よく自主練していたがどんなに頑張っても相変わらず下手だった。
「お前の努力が足りないからだ」とさえ言われた。みんなと同じ分量頑張っているのに?チームのキャプテンからは「チームの足をひっぱっている」とさえ言われた。部活は楽しい反面、私が下手なせいでいつも煙たがられて誰も練習相手になってくれず、部活中は壁打ちすることも多かった。同級生のみならず、一部の後輩にも馬鹿にされていた。そしてはぶられていた。人生とはつくづく楽しくないものだ。
馬鹿にされても笑って何も感じてないように装って、実際は嫌で嫌でたまらないのにつまらないイジリに耐えて耐えて何が楽しいのかわからなかった。
ひたすら耐えるだけの人生だった。
こんなところにいない方が楽だし、私がいない方が世の中のためになる。
もう失敗しきってるんだ。人生これからと言われてももう頓挫してるんだ。立ち上がることすらかなわない。こんなダメ人間にどうしろと。
どうせ何やっても失敗するというのに。
中学生の時、一時期「空腹時に自分の腹が鳴る音」を異常なまでに忌避していた
正確に言うならば「自分のお腹の音をクラスメイトに聞かれること」だ
育ち盛りの時期だったからという要因もあるかもしれないが、朝しっかり朝食を食べてから学校に行っても、3時間目の途中からだいたい空腹になった
それを隣の席の人、周辺のクラスメイトに聞かれるのをとにかく恐れていた
理由は多分「恥ずかしいから」「内心で笑われるから」だろう 当時私のクラスでのカーストは激低だった
陽キャだったらお腹の音が鳴っても笑って誤魔化せたんだろうが、ド陰キャの私にはどうしてもできなかった
3、4時間目の授業はいつもほぼ上の空の状態で聞いていた 自分の胃袋と格闘していたから
一度、四時間目の小テストの時間にめちゃくちゃ大きな腹の音が響き渡った 隣の席の人は気を遣ってか(そもそも興味無いのか)ノーリアクションでいてくれたが、
授業が終わった後にクラスのカースト上位でソフトテニス部の美人な女の子が「さっきテスト中に誰かめっちゃお腹鳴ってたよね~」と笑っているのを聞いてから更に拍車がかかった
お腹が鳴りそうだったらとにかく腹を引っ込ます 休み時間の間にとにかく蛇口から水道水を飲む
校内の飲食物の持ち込みは禁止されていたが、当時発売されていた「ぐーぴたっ」というお菓子をわざわざお小遣いで買ってはこっそり制服のポケットに仕込んで、トイレの個室でこそこそと食べたりもした
中間テストの時の4時間目、どうしても耐え切れなくなった時のことをよく覚えている
とにかく大急ぎで適当に理科のテストを解いては答案を裏返しにして、「具合が悪いので保健室に行ってきます」と教室から逃げ出した
テストが終わってから教室に戻ると、試験監督をしていた先生に「体調大丈夫だった?」と心配されてしまい、とにかく申し訳なかった
学校が終わると一旦家に帰宅して、「カップ焼きそば」と白ご飯をかき込んでから塾に行った(塾が終わって帰宅してから晩御飯もしっかり食べた)
そんな生活を続けていたせいで中学3年生の春に身体検査で体重を図ると、体重が10キロ以上も増えていて目を剥いた
とにかくあの時の自分は「腹の音を聞かれる」というのを異常に恐れていた
腹の音を聞かれるくらいだったら裸を見せた方がマシぐらいに思っていたかもしれない
その内中学を卒業して高校生になり、大学生になり、静かな教室で講義を受けていてもあれほど恐れていた腹の音が鳴らなくなった
育ち盛りが終わったからだろうか、というかもう気にしなくなったのかもしれない
友達と談笑している時にお腹の音が鳴っても、「お腹空いちゃったわ~」とへらへらと笑うことができるようになった
今思い返してみると不思議だ
キラキラネームじゃないけれど、普通に読んだら別の読み方になる名前って言えばいいのかな。
子供の頃、私は『いい子』だった。
親や先生に褒められることが好きで、どちらかといえば大人しいタイプ。
ある日、売店で購入しなければいけない文房具があったが、すっかり忘れてしまっていた。
ご察しの通り、間違った名前を書いてくれたんだ。
その時、今までそれなりに懐いていた先生をまるっきり信用できなくなった。
『いい子』でいる努力は薄れ、宿題も後回しにするタイプになったのだ。
ちなみに、名前を書いてくれた文房具は先生の前では笑顔で「ありがとう」と「忘れててごめんなさい」を言い、友達や親に見つからないように泣きながらこっそり公園のゴミ箱に捨て、翌日新しく購入し、自分の汚い字で名前を書いた。
な
通常の診察とは別に矯正の治療は日曜日に行ってくれる、田舎には珍しい歯医者だった。
当時ソフトテニスクラブに入っていたので日曜は当然部活である。
月に1~2回、日曜日は「歯医者なので休み、又は遅刻します」ということを律儀に伝え、毎日部活に明け暮れていた。
ある日、歯医者の治療スケジュールが決まったので、いつものように職員室へ行き、顧問に伝えると「日曜日にやってる歯医者がどこにあるか知らんけどね」と言われた。
アホな私は律儀に「あ・・・、ここから車で40分行った先の◯◯の方にあります」と答え、職員室を後にしたのだが、よくよく考えてみると嫌味を言われたことに気づいた。
その時の言い方や雰囲気にずっと引っかかりを覚えていたが、基本自分の中では『いい子』でいるのでまさか先生にそんな悪意?を向けられるとは思っていなかったため気づくのに数日かかった。
その後、部活をサボるようになり、何度も部活仲間に声をかけられたが無視して、最終的に辞めたのだった。
高校は出席日数ギリギリで卒業し、大学は行かずフリーター、今は正社員で細々と生きている。