初夏の大阪出張の時にふと東京駅で買った本「食堂つばめ」。日本に帰ってきてから、あまり本を買っていなかったのですが、その日はほぼ即決で本を買いました。
食堂という言葉にめっぽう弱い私は、普通ならば買うか買わぬかで日ごろは悩むのに、新幹線の時間もあるしよし買っちゃおうという、いい言い訳を見つけたのであっさり購入いたしました。(あかんよー、そんな買い方してたら、ともう一人の私のささやきが、ちょっと小さかったのでしょう。)
「あるはずのない食堂車で、とびきり美味しい玉子サンドを食べる。」なんて美味そうなお話なんだ、と思いながら読み進んで、大阪に帰りました。とびきり美味しい玉子サンド、、、。なかなか出会えない一品。
中学生の頃はよくお昼ごはんに、購買部のパンを買っていたけど、玉子サンドは選びませんでした。その頃の購買部のパンというのは、朝一番に購買リストを持っていって、そこに書いてあるパンがお昼には準備されていて引換券と交換するというものでしたけど、時々希望のパンがなくて玉子サンドに強制的に変更になっていた、そんなときだけ玉子サンドを食べましたねえ。あぁ、今考えるとあのパンの値差はどうやって調整してたのかな、忘れてしまったなぁ。
そしてそのころもいまもサンドイッチといえばこれかな。一つは「そとサンドイッチ」(外食?のサンドイッチ)であるDONQのサンドイッチ。家でも食べられるサンドイッチというものを、なんと外で食べる!これぞ贅沢というもの。外でしか食べられない「XX料理」を外で食べるのはまあ仕方ない、でも家でも食べられるものを外で食べるというのは子供ながらになんて贅沢!って思っていましたね。
そしてもう一つは、やっぱり「うちサンドイッチ」。ちょうどその帰阪のとき、母が作ってくれたのは「うちサンドイッチ」である「ハムときゅうりのサンドイッチ」。シンプル!美味い!やっぱりサンドイッチはこうでなくっちゃ!シンプルだけどね。ご馳走様。
出張でどこかに行っていない限り、ほぼ毎日のように通勤電車に乗っていまして、この時間をどのように使うのか。音楽を聴いている人もいれば、スマホをいじっている人もいたり。学生さんも結構多いので、勉強している子たちも結構見かけます。
私はこのごろ東西線を使って通勤をしているのですが、この時間は概ね読書の時間です。その日によって、読んでいる本はばらばらで、いつもかばんには数冊の本が入っています。皆さんはいかがですか?
さて、どれぐらいジャンルがばらばらかというと、先日は、こんな本を読んでいました。フレデリック・ルノワール「神」。今年翻訳出版されたばかりなので、まあ読んでみようということで読みました。こういうインタビュー形式の本で難しい本は電車で読んでいても問題はありません。ですが、その後ろにある、又吉直樹「鈴虫炒飯」は本が大きいので結構邪魔だし字面もかなりインパクトがあるので、周りの目が少し気になります。
そして、時々読んではいけない本に出会ったりもします。それが、昨日読んでいたなぎら健壱「酒にまじわれば」。この本は、朝日新聞の日曜版だったかに連載されていたときに時々よんでいた内容で、まとめて読むのは初めて。お酒にまつわるエッセイなのですが、面白くて思わず、、、にやり。ふきだしそうになります。これを我慢しようとすると、またにやり。周りからみると相当な不審者ですね。僕が前出の又吉さんなら、職務質問されても文句は言えないでしょう。周りの目を気にし始めると、さらに挙動不審になっておかしな人になる。いや、本なんですよ、本。本が面白いんですよぉ、、、と思いながら本に目を戻すと、私の本にはカバーがかかっています。そうだ、この本は買った本だし、カバーをかけてもらったのでした、通勤で朝からなぎら健壱さんの本を読んでいるのもどうか、、、と思ったし。周りの人にあの人エッチな小説でも読んでるんじゃないの、、、って思われていやしないだろうか、、、それならばいっそカバーをするんじゃなかった、、、でも、、、朝からなぎらさんも、、、。自意識過剰になる一瞬です。
さて、明日は何の本を読んでいこう。
「くださいな。」
秋といえば、さつまいも。やきいものシーズンの到来です。木枯らしが吹く頃になるとやっぱり、焼き芋が恋しくなります。やっぱり、ここは川越でしょ!ということで11月4日に川越に行ってきました。
「栗(九里)より(四里)うまい十三里」なるさつまいも。焼き芋は、栗(九里)よりうまいかあ、焼き栗も上手いもんなぁ。いろんなところで引かれているけれども、宮川政運著「俗事百工起源」(慶応元年)に、「文化三、四年に薩摩芋を焼て売し看板に、八里半と書て売し処、大きに売れたる、其こころは、此の風味よろしき故、栗の味ありとて、栗に近しと云へる謎を看板に書しものなり、其後また十三里芋と書し看板も有し、是れ八里半の上にて、くりよりうましと云へることなりしか」と。
文化年間(1804~)のはじめに、栗(九里)に近い八里半、栗(九里)より(四里)うまい十三里といって焼き芋を売っていたのかぁ。少なくとも210年ぐらい前には、江戸で焼き芋が食べられていたんですね。
川越に来たのだったら紅赤の焼き芋でしょう。川越藩領でサツマイモを産するようになったのは、江戸の焼き芋と同じぐらいの歴史で、明治時代までは「川越いも」といえば青づる・赤づるの二種類だったそうですが、明治31年(1898)、浦和で「紅赤」が発見されると、この芋は川越地方でいち早くとり入れ、今では川越いもといえば「紅赤」といわれるほどになっています。
おいしい焼き芋の季節、到来です!
こういう町並みがいいですよねー。
私が芋煮という言葉を知ったのは大学生になってからでした。
東北出身の後輩が「芋煮会はやらないんですか?」という質問をしてきた次の瞬間、私の頭の横に出てきたふきだしの「?」のマークを感じ取ったとしか思えないタイミングで「え?もしかして芋煮会知らないんですか?」の言葉に、私の脳は一生懸命その言葉を検索したものの、出てきませんでした。
「えええ、芋煮会しらないんですかぁ。」という落胆とも驚愕ともとれるような言葉がかぶせられ、撃沈、、、。その後、芋煮会というものについて後輩が熱く語ったことは言うまでもありません。もう、芋煮会を知らないだけで、蛮族扱いでした。そう、私の育った町、大阪のニュータウンには芋煮会はございませんでした。それ以降、私は、芋煮には特別な配慮をしてきたつもりです。(どんな?)
まあ、そんな思い出のある芋煮会に週末行きました。ちょうど日曜日のお昼頃に家の前で、子供たちの自転車の練習をしていたら、通りがかりのおじさんが「XX会館前で芋煮会やってるよぉ。」と教えてくださったので、そのままhobby bikeに乗って会にお邪魔しました。地元の小さな商店街主催の芋煮会ですが、町内会の人たちが集まって、そこはまさに「昭和的風景」が広がっていました。こういう会が残っているのは、いいですね。
そして、芋煮のおいしいこと!!お昼ごはんの後にもかかわらず、たっぷり頂きました。子供たちもたっぷり食べていたし、おいしかったーといっていたので、良かった良かった。ご馳走様でした。帰り際に、おばさんたちが「また来年ねー。」って言っていたことが印象的です。こういう秋の深まり方、素敵ですね。
Portlandからもって帰ってきたbourbonが残り少なくなってきました。かなり小さな蒸留所のbourbonなのですが、なかなかいいお酒を作っていてついつい飲んで応援したくなるようなお酒です。見つけてきた私より、妻のほうがはまっているような気がするのはお酒のせいではないような気もします。私も妻もwineも好きで、bourbonを含むwhiskyも好きですね。あの香りの複雑な組み合わせと変化はもう、長く人を魅了しているのが良くわかります。
whiskyのあの樽の香りの成分として、whisky lactone(ウイスキーラクトン)というのがあります。発見されたのはかなり新しく1970年でSuomalainenらによります。この成分は、β-methyl-γ-octalactone とか quercus lactoneとも呼ばれ、このquercusというのは、オークoak treeQuercus albaのラテン語名に由来します。素敵な名前をつけるなぁ、、、なんて思ってしまいます。そして、1996年には前駆体がオークから単離され(Tanaka, T.; Kouno, I. (1996)) 、この香り成分が樽からやってくるであろうという推測は、化学的にも支持されています。この香りの成分はstereoisomer立体異性体があり、天然中には(4S,5S)-cis-体と(4S,5R)-trans体が存在します。それぞれに少し異なった香りを人間は感じるようですね。
まあ、もちろんそれだけの香りがwhiskyのあのふくよかな香りを作っているわけではないのですが、whiskyを飲んでいるときに、この五員環lactoneを想像することで、おいしいお酒がさらにおいしく、心地よく酔える人もいるかもしれませんね。(えええ?って声が聞こえそうですが、、、いますよね、いますよね?)
朝ラーを食べて新幹線に乗り込んだ後はLunch Meetingの中身を考えながら移動。車窓のスピードの速さをあまりこれまで意識をせずにのっていたのですが、外の紅葉の様子を少し見ようとしたためか流れる風景の速さを意識し始めると、新幹線って、やっぱり早いんだなぁということを、実感します。そんなことを考えているうちに、新幹線は浜松に到着しました。駅を出て、浜松支店のNさんと合流して、10分ほど車で移動してLunch Meeting。
Nさんはかなり体格のいい方で、車に乗るなり「何食べる?食べ放題にする?」って、、、ランチですよ、、、。Nさんがジャバザハットに見えてきました。。。
結局、おすすめのハンバーグ屋に、ということで静岡県に店舗をいくつも構える「さわやか」に行くことになりました。近くに賀茂真淵記念館があるので、こちらの方が気になるといえば気になったのですが、まあ、今回は仕事で時間もありませんので、賀茂真淵を横目に「げんこつハンバーグ」を食べに行きました。
ここのげんこつハンバーグ、げんこつより大きいハンバーグが熱々の鉄板にのせられてでてきまして、中を焼くために、御客の前で二つに切って中に火を通すという方法、なので上の写真のように普通サイズのハンバーグ2つ分になります。特製ソースがかかって湯気が上がって、ソースがじゅわじゅわいわなくなってきた頃が食べごろ!という趣向です。うーん、見た目に訴えかけるにくい演出。火が通る間、お店の宣伝で書いてある文章の「肉食系じいちゃん」の文字が、、、お年寄りでの肉をどうぞ!ということなんでしょうね。
たっぷり食べて、満足、満足。ご馳走様でした。
さわやかのげんこつハンバーグ
http://www.genkotsu-hb.com/
朝ご飯を食べなかったわけではない。そこに朝ラーメン(略して、朝ラー)があったから。
寒さを運ぶ雨が降る朝、出社して移動前にT君に依頼事項を連絡してから、新大阪駅から新幹線に乗るべく駅に向かいました。最近の新大阪駅はきれいになってお店も充実してきたので目移りするものですが、まあ、朝ごはんも食べてきたし、、、さっさと構内に入りました。まだ30分弱ぐらい時間に余裕があるなぁと思い待合場所にでも行こうか、と思い構内を歩いていると、、、ラーメン屋の朝定食の看板が何かを訴えいる。「朝からどう?ラーメン。」
アメリカ駐在中は出張に行くと、朝からステーキを食べる「朝ステ」をやっている連中を見かけ、いつの間にか私も「朝ステ」をやっていました。そして日本、出張先の朝です。比較的日常の中の(ほんのちょっとした)非日常です。ここは、少し気持ちが高揚しているのでしょうね。「朝ラーかぁ。いいねえ。」
ほんの数分前に、朝ごはんも食べた後だし、、、と思ったその理性の前言をあっさり撤回して、看板に惹かれ「驛麺」の扉をあけるとすでに朝ラーを食べている人たちの鉢からの香りが、私に「朝ラー、一つ。」と言わしめておりました。理性が食欲の前に屈した瞬間でした。
この朝ラーは、中華麺にうどん出汁という組み合わせで油っぽさがないので、すっきりとしてさらさらっといけました。朝から立ち食い蕎麦を食べる人の心をつかむようなラーメンでした。ご馳走様でした。
新大阪を後にして、浜松へ!
11月14日、15日は大阪に出張にいっておりました。新大阪駅前は、東京ほどは冷え込んではいなかったものの、ビルを出た途端にビル風が体を冷やすので、先に出られていた方から指定された会食のお店がおでん屋であったのでよかったぁ。その日は西天満のおでん屋でおでんを食べて、その後梅田で2軒目にいってから、実家に帰宅したら、喜八州の草もちを母が進めてくれたので、夜中に草もちを食べてしまいました。特茶飲んでるんじゃなかったっけ、、、。
喜八州は、大阪の十三の駅前に店を構える和菓子屋で、私は高校の最寄駅が十三ということもあって、よく高校生の頃は焼き草もちやら、きんつばやらを買って食べていました。焼きたての草もちは蓬の香りと甘みに満ちていて、一つ食べると十分腹持ちもしていいおやつでした。
夜中に草もちを食べていて、そういえば酒席のときに大阪出身の上司T氏が「喜八州といえば酒饅頭やろ。」といっていたことを思い出しました。酒饅頭を買って帰ろう、T氏とは翌日15日夕刻に会議もあるし、、、。ということで、酒饅頭を買って夕刻会社に戻って皆さんで頂きました、、、。
「あったかかったらもっとええのになぁ。」と笑いながら無理なことを言うT氏。ここ東京ですよ。。。確かに酒麹の醸す香りが熱気とともにやってきたら、この時期には最高でしょう。想像しただけでたまらん。。。
「ほな、次の会議、大阪でやりまっか?」
喜八州
http://www.kiyasu.jp/index.html
ひとくち;おでん屋・西天満
https://sites.google.com/site/kitahitokuchi/Home
先日行ったお店にて。美味しかった。。。
帯状疱疹で安静にしておくようにといわれたので、ベッドで本を読んでそのまま眠りに落ちていたのですが、やっぱり日ごろから寝ることに慣れていない為か、夜中に目が覚めてしまい、リビングに上がって雑誌を手にしてしまいました。その雑誌の特集にbistroがでていたのですが、そこにbistroの語源がロシア語だということを書いていました。本当かなぁ。この説は有名だそうで物語は、以下のようなもの。「ナポレオン戦争末期、1814年3月31日に連合軍はパリに入城。そのときに連合国側にあったロシアの兵士らが、食事をするときに「急げ」という意味合いの言葉が語源となった」というもの。
でも、Bistroという言葉の使用が19世紀後半まで現れないのは、不自然に感じますね。その時期に流行ったのならどこかに残らないかなぁ。その言葉、当時は使われなかった?!
ナポレオン戦争の後のフランスは、ルイ18世、シャルル10世による王政に戻りそのシャルル10世は1830年の7月革命により王位を追われ亡命。(レミゼラブルでいけば、ジャン・バルジャンが出所してから学生たちの革命が起こる直前2年前ごろにあたります。この7月革命は成功したのですが、銀行資本家の支持によるものであったため、学生たちにとっては納得のいくものではなかった、というのがあのバリケードに繋がっていきます。)
その後に王位についたルイ・フィリップも1848年の2月革命で王位を追われフランス第二共和制が成立し、その第二共和制の大統領に選ばれたルイ・ナポレオン(ナポレオン・ボナパルトの甥)がクーデターにより第二共和制に幕を引きナポレオン3世として皇帝に就任(1852年、第二帝政)。ここからが19世紀後半のフランスなのですが、ロシアとフランスはどんな関係だったのでしょうか。
その時期はフランスも産業革命期を向かえる一方、ロシアはいまだ農奴制で産業化が進まない状況にあった時期です。東地中海に位置する衰退期のオスマン帝国をめぐって、ロシア、フランス、イギリスがつばぜり合いをやっていたころです。そしてとうとう、1853年から1856年クリミア戦争が勃発します。ロシアの南下を阻止したいイギリスとフランスがオスマン帝国と同盟を結び開戦。近代化が遅れたロシアは苦戦し、最終的に1856年パリ条約で事実上敗北しました。(ナイチンゲールが活躍したのはこの戦争)その後ロシアは農奴開放に向かっていきます。そんな19世紀後半にフランスでロシア語が引用されて、広く使われるようになるかなぁ。
フランスでもこのbistro、ロシア語源を否定する説もあるようですね。まあbistroについて調べて、世界史で満腹、ええじゃないか、ええじゃないか。
*ええじゃないか、の騒動は、江戸末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけてで、ちょうどこの時期のお話です。ご馳走様でした。
先週から右脇から背中に掛けてピリピリした感じをしていたのですが、背中に発疹がみられたので、ああ、多分これは帯状疱疹だな、ということで金曜日午後に仕事を一通り終えてから、会社近所の皮膚科にいったら、ビンゴでした。さらに体が弱っているためか、風邪も引いてしまい散々です。ということで、この3連休は、帯状疱疹と風邪と戦っております。
処方されたお薬は、Famciclovirファムシクロビルです。とりあえずDNA阻害系の薬だということは、わかるけど、、、ということで、チラッと検索。
服用後に体内で代謝され活性代謝物ペンシクロビルに変換されるprodrugで、それがヘルペス群ウイルス感染細胞内でウイルス由来のthymidinekinaseチミジンキナーゼによって一リン酸化されます。それから宿主細胞由来kinaseにより三リン酸化体PCV-TPになり、これが感染細胞内において、ウイルスDNAポリメラーゼの基質の1つであるデオキシグアノシン三リン酸化体(dGTP)と競合的に拮抗することにより(ようするに邪魔をする)、ウイルスDNAポリメラーゼ阻害します。またウイルスDNAポリメラーゼの基質としてウイルスDNAに取り込まれウイルスDNA鎖伸長を阻害します。
なるほど、、、これから増えないようにするんだな、了解。がんばってくれ薬たちよ!
とりあえずね、健康一番なので、安静にします。
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