三重#5 尾鷲神社にお参りして、、、 @尾鷲
おはようございます。今日は日曜日です。私は月曜の朝一が早いので、出張先へ一足先に移動します。同行するI君も前入りのようですね。
さて、今朝も紀伊半島の旅⑤です。今日も尾鷲の事を書くのですが、、、。三重を近畿に分類するか中部に分類するか、、、これは人によって、そしてそれを聞くタイミングによって随分と答えが変わるでしょうねえ。そこが難しいところ。先日、三重出身者はどう思っているのか?N数1で聞いた極めて個人的な回答では「どっちも。」、、、そうですよねえ。7地方区分では、三重は近畿となっていますけど、実際に三重県北部は中部(東海エリア)との紐帯の方が強いでしょうからその場合は中部の印象です。
そして今回の「尾鷲」。畿内の近く?とはとても思えない場所にあり、言葉も独特のアクセントもあるんですよね(東紀州はアクセントが多様であるということは有名ですが)。より一層他の近畿の府県とは違うなぁ、という印象です。例えば、強調の言葉で、副詞の位置で面白いのがあります。「足がはやい」の「はやい」を強調する「副詞」ならば、「とても・はやい」「ぶち・はやい」「なまら・はやい」「めっちゃ・はやい」「ごっつい・はやい」と、「形容詞」の前につきますけど、尾鷲弁では「はや・きってく」と語尾変化をするらしいのです。むずかしい→「むすかし・きってく」、おいしい(うまい)→「うま・きってく」になります。面白いですねえ。
横道にそれてしまいました。トップの写真は尾鷲神社です。境内に大漁旗が奉納されていてさすが漁師町だなぁという印象です。(大漁旗の写真もあるんですけど、大漁旗って結構名前が入っているので、、、控えておきます。)この神社の創建についてははっきりとした記録が失われてしまっています。その理由は宝永4年(1707年)の宝永地震と安政元年(1854年)の安政南海地震による津波で失われてしまったためだとか。両方、江戸時代の南海トラフ地震です。そうかぁ、南海トラフ地震があるとそのフロントラインですもんねえ。
尾鷲神社はもうすぐそこに海があります。尾鷲の海は多くの海の幸も運んできますが、災害も引き起こす厳しい自然でもあるんですよね。そのことは忘れないよう正しく記録され将来の備えとしないとね。
私が子供の頃にはなかった施設も。三重県立熊野古道センター。ここの建物は美しいですねえ。6,500本の尾鷲ひのきを等断面集積木材構造で構築した建物で、見た目も美しいですね。中の展示物も東紀州の熊野古道やその周辺の自然、産業についてコンパクトに解説してくれている施設で無料なのがうれしいところです。熊野古道では熊が出るようで、当該施設で熊鈴を貸してくれるというサービスもやっているようでした。なんとまぁ。熊野信仰と補陀落渡海についても簡潔に触れられていて、やはりこの尾鷲という町は海とそこに迫る山々に囲まれた場所であるということを考えさせてくれる良い施設だと思いました。
さてさて、今日も一日、元気で過ごしましょう。休日が充実していないとね!