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烏有洞+

なんでもない日々となんでもないこと。

北海道#77 7月下旬、フサスグリの実 @阿寒湖畔

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おはようございます。ゆっくりとした台風の予報円の最新情報を見ながら、出張計画の修正を図らなければならない状況ですが、今日は報告書を作成して、夜の便で東京に向かいます。

さて、今朝の写真は7月下旬の北海道旅で訪れた阿寒湖畔にあるアイヌコタンで見かけたフサスグリの実です。漢字で書くと「房酸塊」。フサスグリはヨーロッパ西部~アジア北西部を原産とされるスグリ科の植物。スグリのは150ほどの品種があるといわれおり、日本にも在来のスグリがあるのですが、このフサスグリ(アカスグリとも言われる)は、明治初期1873年に移入されたそうです。主に北海道などの寒冷地で栽培されています。

きらりと艶のあるこの実は、目を楽しませてくれます。フサスグリという名の通り実は房になるのですが、実の時期の終わりだったのでしょうね、もう実がまばらでした。実の時期は6月下旬から8月上旬ぐらい。赤い実は酸っぱいので、ジャムなどにしたり、果実酒にしたりします。

こんな実が見られるのであれば植えたくなるんですけど、東京なんかは暑くてダメでしょうね。寒冷地向きですもんね。旅先で楽しみます。今日も一日がんばろっと。

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北海道#76 阿寒湖でザリ丼&ワカサギ丼 @阿寒湖

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こんばんは。月曜日の夜、皆様いかがお過ごしでしょうか。台風10号の進むのが遅いため、今週の出張がどうなるのやら気にるところです。さっと抜けてくれればいいのですがねえ。

さて今日は、北海道旅entryの続きです。旧・雄別炭鉱付近を後にした後は、まりも国道を北上、阿寒湖に参りました。阿寒湖、久しぶりですね。今回は娘のrequestです。阿寒湖に来たらやっぱりコレ、、、夏の味覚・ザリガニを食べます。大正時代に食用として米国から移入したウチダザリガニ(英語名はSignal crayfish)、、、。現在では特定外来生物に指定されて迷惑もの扱いされているザリガニです。そのウチダザリガニをむき身にして天丼にしたものが、阿寒湖畔の食堂で頂くことができます。レイクロブスターという名前を付けられていまして、この丼もレイクロブスター丼という名前が付けられていますが、、、なんだか名前でロンダリングしているような気がしてしまうし、私は愛情をこめてザリ天丼と呼びたい。今回頂きましたザリ天丼も美味しかったですよ。エビ天とは違う、若干の泥臭さと濃厚な味、これが好きになるとはまります。ご馳走様でした。

私、米国駐在中に「夏にザリガニを食べる」というのが気に入りまして、夏になるとザリガニを求めていろいろと探します。夏になると、*KEAのミールにないか探してみたり、海外に出張したり、、、。ちなみに阿寒湖で頂けるウチダザリガニも夏の味覚です。漁期は5月上旬~11月下旬。私がOregonで頂いてたザリガニも同じ種、Signal crayfishですよ。そりゃ好きなはずだ、、、。

まぁ在来生物の生態系を侵食するという意味では、このウチダザリガニも日本では駆除対象でしょうし、水産資源として活用するというのならば、徹底的に管理されなければならないと思います。もう外部との接触がない閉鎖系での養殖っていうのがいいと思うのですけどね、、、。

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妻はワカサギ天丼でした。普通はそっちを選択しますか?大学生の頃、後輩のY君、W君、K君らとワカサギ釣りをして、大量に釣れた時に丼にしようということになり、ちゃんと調べずにワカサギの卵とじ丼にしたら、、、とても美味しくなかったことを鮮明に覚えています。ちゃんと調べて食べましょう、、、。ワカサギは天ぷらにした方が丼として美味しいです。ちなみに娘は普通にうどんを選択していました。

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北海道#75 古潭雄別歴史資料室 @釧路市

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おはようございます。今日は土曜日、お盆明けの1週間はしんどかったですねえ。さて週末です。今週末は関西にとどまります(週中に弾丸東京出張がありましたしね。)。

さて今朝は、北海道旅entryの続きです。釧路市丹頂鶴自然公園からセコマに寄り、そして釧路市(旧阿寒町)にある古潭雄別歴史資料室に参りました。ここは昔大きな炭鉱があった場所です。特に雄別地区は大きく、9,000人以上もの人々が住んでいた町でした。

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1919年に創業、翌年には鉄道の敷設と炭鉱の開発が開始され1923年に鉄道が完成。炭鉱の操業が開始されます。1964年、最大出炭量を記録しますが国のエネルギー政策の転換で石炭から石油に代わっていく中で、石炭需要が落ち込んでいきました。1969年に茂尻鉱坑内爆発事故があり出炭を中止。翌1970年2月に雄別炭鉱の三山は閉山することになりました。閉山によって当時作業員3737名が解雇されました。当時は高度成長期であったため炭鉱以外の求人も多くあり、多くの炭鉱従事者が転職していったといわれています閉山前に家族も含め6000人ほどの人口があった雄別地区は再就職による転出で、閉山後1年で人口が0人となっています。

町一つがおおよそ半世紀だけ存在し消えたんですよね。一つの炭鉱町が消えて約半世紀。今はその記憶を、旧・阿寒町にある古潭雄別歴史資料室が残してくれています。

2年前は旧・赤平炭鉱に息子を連れて行ったのですが、今回は娘を消えた炭鉱町に連れてきました。せっかく北海道旅に来たなら、ぜひ炭鉱関連施設を見せたいですね。国の政策によって生活が大きくかわることや、近代化とは何なのか?の一端を皮膚感覚で感じてもらいたいなぁと思うのです。

北海道#48 旧赤平炭鉱立坑を見学に行ってきた
https://euyudo.blog.fc2.com/blog-entry-2480.html

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炭鉱といえば友子制度なんですけど、最近はあまり知られていないでしょうね。炭鉱夫は友子と呼ばれる作業集団を組織しました。これは技能継承の組織であり、また相互扶助組織の意味もありました。新入り鉱夫は、友子に加わる前に3年3月弟子を務め技能を習得し、「取立式」で親分・子分の盃を交わし、「友子」となって初めて一人前の鉱夫として認められます。この取立免状があれば、他の鉱山でも使ってくれるというものです。(技能が備わっていることの免許証のようなものです)ヤマではこの親分・兄分・子分の三人を単位として、これが集まって山中友子を構成します。友子の鉱夫はお金を出し合い、怪我・災害・炭鉱の閉山の際には互いに助け合い、また冠婚葬祭の行事の費用に充てました。相互扶助組織であり、日本の労働組合成立以前の労働組織でした。

取立式では上記の写真のような、取立免状が書かれます。展示されていたところの兄分のところみると朝鮮国生まれとされる人の名前もあったりしますね。

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北海道#74 仙鳳趾の牡蠣を焼きで @釧路

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おはようございます。先週の日程がきつかった、、、という話を書いていましたが、大阪勤務からの東京出張を17日、18日に行って、その足で金~日と釧路・阿寒・川湯温泉の道東旅、そして東京に戻ってweekdayで大阪、また火曜日に東京出張が入ってからの、弾丸Thai出張(木曜日終日タイに滞在で深夜便で戻ってきた)、関空に到着とともにその足で新大阪で部下さんにピックアップしてもらってからの車で徳島、香川出張をして夜遅くに大阪に移動して、、、そしてそこからの長野へ行って、、、という過密スケジュールで日曜の夜に大阪に戻ってきまして、、、という日程でしたもので、、、。ここまでキツく詰まった影響で夜はblogに行きつけずでした。いやぁ、さすがに日頃から「体力おばけ」と呼ばれてはいても、詰め過ぎですね。

さて、今朝のentryは先日、釧路の炉端焼きで頂いた、仙鳳趾(せんぽうし)産の牡蠣です。仙鳳趾は釧路町の東で厚岸湾に面しており湾の西の端にあたる場所です。その為、潮の流れが強く、身の締まった牡蠣が育つようです。火を通しても小さくなりづらいので、ぷりぷり感をを楽しめる牡蠣として、当地でも愛されている牡蠣です。私たちは炉端焼きでしたので、焼きで頂きましたが、ほんとぷりぷりで、口に広がる海の味がたまらん美味しさでした。「むふー」ってなりますよ。

もともとお隣の厚岸の牡蠣はブランド牡蠣として、全国区どころか世界的に有名な牡蠣となっていますが、厚岸のお隣の仙鳳趾、そしてさらに隣の昆布森の牡蠣とともに昆布が生息するプラクトンの豊富な海に育つ牡蠣として、今後も美味しい牡蠣として認知されていくこと間違いなしです。そのうち海外でも食べられるようになるんじゃないか?と思っています。

さぁ、今日は7月31日、7月最終日。頑張ろっと!

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北海道#73 佐野碑園にも立ち寄りました @釧路

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おはようございます。昨日は一昨日のhikingの影響でしょう、終日足の筋肉が張っていました。まだ影響が残っています。

さて、昨日は別のentryを書きましたが、北海道entryの続きです。「まるひら」さんの近くに今日のentryの佐野碑園があります。ここには寛政年間に新潟・寺泊から釧路に移り、代々「場所請負人」をしていた佐野氏(屋号は「米屋」を称していた)を顕彰する碑が建っています。碑石の建立は昭和10年(1935)8月の事で「釧路港開港三十五周年」を記念して設立されています。佐野氏は昆布漁業振興のほか、道路開削や川湯の硫黄採掘事業も行い、釧路地方の発展に貢献したとされています。

「安政四年、釧路漁場請負人・越後国三島群寺泊村平民米屋孫右衛門、自費南部地方ヨリ五戸十五人ヲ募リ釧路ニ移住セシム」という記録(開拓使事業報告)があり、これが釧路地方における和人永住の嚆失と書かれていたりしますが、これは誤った認識で、遅くとも文化元年(1804)には、厚岸に国泰寺の設置されており、その頃の厚岸や釧路にはすでに幕府、松前藩役人や国泰寺の僧侶や場所請負の会所における番人・漁夫たちの越冬居住による和人が生活していることがうかがえます。アイヌの人々は長くここに居住していたことは想像に易いですし、和人の居住も遅くとも1800年代初頭まで遡れるだろうことは想像に易いですね。

そのような釧路地方史の中で、注目したいのは、安政元年(1854)の箱館(函館)開港を契機に、清国に対する輸出産品としての昆布の生産拡大に対応する漁場開発が盛んになったこと、外国船への燃料供給のための石炭採掘などでグローバル経済の中に組み込まれ発展していくにあたって、クスリ場所請負人だった佐野氏の地域経営というのが、釧路の発展の一幕にあったことです。佐野氏というのが経済人であり、支配下に置いた労働力であった漁民やアイヌからの随分と乱暴な取引をしていたことが「釧路史誌」に残っていますが、それとて当時にはよくあった経済活動の一つだったといえます。そして明治維新という大きな社会変革の中で、開拓使が明治2年に請負制度を廃止しました。元請負人達はこれに猛反発し、やむを得ず開拓使も妥協して「請負人廃止ニ付、当分漁場持ト唱フベシ、其外ハ従前通リ」として権利を与えています。既得権益を守ろうとするのは守旧派からすれば当たり前の事なのでしょう。

しかし地域に隆盛を誇った経済人とて、前述の制度廃止に加え明治4年の流氷害による昆布不漁などで経営が破綻していきます。

「まるひら」さんに訪れることがあるのであれば、少しだけこの碑園にも立ち寄り、当時の事を想うのもおすすめです。

北海道#72 まるひらに行きましたよ、そりゃ @釧路市
https://euyudo.blog.fc2.com/blog-entry-3052.html

Category : 北海道
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北海道#72 まるひらに行きましたよ、そりゃ @釧路市

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おはようございます。あまりにPCを見過ぎて眼精疲労だろう状況に陥っています、眠い眼で自宅ではないところでこれを書いています。

さて、昨日タンチョウを書きましたが、今回の道東旅は「まりも国道」を北上していったのですが、次に訪れたところもあまり萌えて頂けるような感じではないので、順序をずらして、釧路entryを書きます。釧路に行ったら、まぁラーメン行かなきゃですよ。いやなんだよ、おまえスパカツ行かねえのかよ、とか竹老園じゃねえのかよ、いやいや、ここはジョイパックチキンだろ、と言われても、、、。そりゃいずれもね、名物ですからわかるんですよ。でもやっぱり私はここはラーメンで行きたい。「酒とソラの日々」のさえき奎(けい)さんのところを見られている方は、絶対そう思うような気がするんですがね。

前回は「まるひら」さんを諦めて、「銀水」さんだったんで今回は「まるひら」さんへ。まぁ麺切れで食べられない、なんていう悲劇を避けるため、朝一から行けるように、まるひらのすぐ近くに宿をとったわけですよ、その目的のために。今回泊まったのはゲストハウスで以前は北電の保養所だったところ。そこから歩いて行ける場所なのですが、本当に住宅街の中なんですよね、所在地が。

朝一の朝ラーで、まるひらさんに。私は迷わずの醤油。そして妻と娘は迷わずの塩。ここのお店、醤油と塩、あとはサイズ違いという潔さ。いやぁ、ほんとスープが旨いし、麺もうまい。優しい味なんだよねえ。滋味って言葉を体現していると思うんですよ。ほんと。朝一行ったのに店は満席よ。ほんと。

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塩もうま!

まぁ見た目から美味しそうでしょうけど、やっぱり釧路に行かれることがあるのでしたら、実食をお勧めします。ご馳走様でした。

↓銀水で頂きました↓
北海道#61 僕は塩特製チャーシュー麺で @釧路
https://euyudo.blog.fc2.com/blog-entry-2559.html

Category : 北海道
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北海道#71 釧路市丹頂鶴自然公園に行きました @釧路市

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おはようございます。今週もバッタバッタしているのですが、どれぐらいバッタバッタしていたか、来週のblogで書いてみたいと思います。そうでないと先の事を書くと先に疲れちゃうから、、、。

来ました!北海道entry!前振りの通り、今日から北海道entryです。釧路空港に到着して、カーシェアで車をピックして移動開始。空港をでて3分から5分で到着するのが釧路市丹頂鶴自然公園です。まだ夏休み前の平日ということもあり観光客は数組だけで、ゆっくり回ることができました。1958年(昭和33年)8月に5羽のタンチョウが放されて開園し、1970年にはタンチョウの人工ふ化にも成功しています。常時10羽ほどは飼育されているそうです。実はこの園、絶滅の危機にあるタンチョウを保護増殖することを目的とした園なのです。

タンチョウは、日本を含む東アジア、極東ロシア南部に生息するツルで、日本では北海道・道東に生息しています。もともとは日本でも他のエリアにも生息していたようなのですが、飼育観賞用や食用にされ過度に捕獲されたことが明治期にもそれが続きました。明治半ばには保護をする動きもでてきたのですが、結局食い止められず、一時は日本でも絶滅したと考えられてたのですが、大正期に釧路周辺で十数羽の生存が確認されました。そこから保護・給餌活動が本格的に始まり、生息数が回復しつつあるとのことで、道東から道北に、そして明治期には見られた道央にも広がりを見せているそうです。

文献でよんだのですが、「鶴を食べる」というのはあるそうで、塩漬けにした鶴などが美味とされていたようですけど、鶴にも種類が色々いますよね。美味で好まれたのはナベヅルだそうで、タンチョウは肉が硬くてあまり美味しくない、とされており、観賞用がメインだったようです。

釧路市丹頂鶴自然公園、娘と妻は初訪問かな(息子は今Canadaにいるので居りません、、、)。まぁここでタンチョウを見せなくても釧路湿原周辺を走っていると畑の中にタンチョウを見かけることもままあるんですがね。まぁ鳥類好きの娘には見せておこうかなと思いましてね、、、。この後、まりも国道を北上していくので、釧路市内に戻ってくるのは、今回の旅程の後半です。

↓前回の北海道entry↓
北海道#70 お土産・バターサンド @会社
https://euyudo.blog.fc2.com/blog-entry-2689.html

Category : 北海道
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北海道#70 お土産・バターサンド @会社

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こんにちは。お土産シリーズです。先日・同僚のI君が北海道・函館に遊びに行ってきたようでそのお土産。六花亭は帯広だけど?なんて突っ込みはなしにしておきました。
北海道は定番のお土産がたくさんありますが、バターサンドは定番中の定番。美味しいですもんね。そういえばバターサンドにはラムレーズンですが、これがいいんですよね。ラムレーズン好きの私としては、最近自作しています。すきなラムとレーズンを買ってきて漬けるだけ。それをトッピングするだけですからね。もともとラムレーズンのアイスに追いラムレーズンで満足度upって食べ方が一番好きです。

そういえばI君、J*Lが安いチケットを売りだたじゃないですか、あれを活用して行ってきたみたいです。5月分で私もトライしたのですがなかなか空席がなくて結局5月は無理でした。

↓前回の北海道entry↓
北海道#69 ニシパの恋人 トマトジュース
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2649.html

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北海道#69 ニシパの恋人 トマトジュース

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こんばんは。先日、今年度最後の終日の会議がありました。東京でやるもので、、、ということで今週は東京スタートで、金曜の夜にはまた東京の自宅に戻っているという、、、まぁ単身赴任している身には自宅に帰れるのでいいのですが。。。先日の会議は終日の会議で、、、時代にそぐわないことをやっているような気がしてなりませんが、、、まぁ私が主催する会議じゃないので、文句は言うまい。私のとこでは、終日会議はやらないって決めてます。来週からも期末に向けて、毎日のように締め切りの作業や報告やらが盛りだくさんです。ひえー。

さて今晩の写真は、同僚のR君が会社でくれたもの。なんだかふるさと納税の返礼品だとか。会社でちょっと遅くなった時にくれました。ありがとう。トマトジュース好きなんですよね。私は食塩無添加のトマトジュースの方が好みですね。ニシパって、首長、長老、紳士って言った意味の言葉ですよね。なんだかよくわからんnamingだけど、美味しけりゃいいか。絶対ゴールデンカ*イに乗っかってるよなぁ、、、。

トマトジュースが「製品化」されたのは米国で1923年の事です、ちょうど100年前。最初は色目が悪くて受けが悪かったようですけど、その後の改良で1929年に赤色のトマトジュースが世に出回るようになって広まったんですね。日本では90年前の1933年に現在のカ*メがトマトジュースを販売しました。意外と古くから受容されたんですね。この当時はトマトの品種が今とは異なっており青臭さが残るため、食塩を加えてトマトの甘味を引き立たせてトマトの青臭さを感じにくくするのが主流だったというのが、食塩入りのトマトジュースの由来です。今は美味しい品種がたくさんありますからねえ。

前回の北海道entry↓
北海道#68 そばの蜂蜜 @新得町
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2616.html

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北海道#68 そばの蜂蜜 @新得町

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こんにちは。今朝は(季節はずれにも関わらず)そばの花の写真をupしましたけど、そばの花があれば、その花の蜜を取るためのミツバチの巣箱も置かれます。写真は新得町に立ち寄った時に見かけたもの。巣箱には蜂蜜がたくさん含まれた巣ができますので、他の動物に獲られちゃわないように、電気柵が設けられていました。触っちゃうとビリっと電気が流れますよ。まぁ電気柵などせずに置かれているものも多いでしょうね。北海道やら長野など蕎麦エリアだとドライブしていると見かけます。

蕎麦蜂蜜は、独特の風味を持っていて味が濃いです。好みが分かれるかな。料理に使われるときコクを出したい肉料理やらに使うと相性がいいですね。gingerbreadを焼くときにも使われます(味濃いもんねえ)。

蕎麦の蜂蜜といえば、Ukraineからの蕎麦蜂蜜の輸入は減ったでしょうね。蕎麦の生産は、1位Russiaが89.2万t、2位China50.4万t、そして3位がUkraineで9.7万tです。USは4位で8.6万tです(出典:2020年FAO)。圧倒的にRussiaなんですけどね。RussiaとUkraineはそば食文化があります。kasha(каша)=お粥や、Blini(блины)ブリヌイ、パンケーキが有名ですね。Russia-Ukraineの戦争が早く終わってくれることを切に願いますし、Ukraineからやってくる蜂蜜を平和に頂ける日が一日も早く戻ってほしいです。

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北海道#67 新得に行って蕎麦

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おはようございます。今日も一日いろいろあるのですが今日は大阪と奈良です。お正月の挨拶回りは昨日は結構多くの方を見かけましたね。そんなもんなのでしょうね。

さて、今朝のentryは蕎麦つながりで昨年の北海道旅で書き残していた「新得に蕎麦食べにいった」ということですね。行ったのは2022年8月5日でしたので新そばにはちょい早ぐらいでしたか。蕎麦の花がきれいに咲いていましたね。

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新得町は十勝エリアの蕎麦の産地として有名です。22年11月時点での人口は5,544人(出典:広報しんとく、2022年12月号)。あぁトムラウシ温泉行きたい、、、。私、これまでにも何度も新得に蕎麦を食べに行ってます。もちろん蕎麦の産地と言えば、北海道。その北海道の中では、幌加内町や深川市、旭川市、音威子府村などが生産量が多いのですが、新得の蕎麦もいいですよ。

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新そばでなくても、香り豊かな蕎麦を頂きました。おいしいんだよね。そういえば蕎麦粉って一番粉、二番粉、三番粉があります。一番粉はそばの実を挽いて一番最初に出てくる粉です。玄そば(茶色の外皮が付いたそば)から外皮を除いて「抜き実」にしてそれを挽くと、外側じゃなくて中心部の胚乳が最初に砕けて出てくるんです。ほとんどがでんぷんで白い粉です。いわゆる「更科そば」ってこの蕎麦です。二番粉は、一番粉の後に出てくる粉で中層の粉。一部内層や外層部も含まれるので、少し色が付きます。一番粉と二番粉を混ぜて作るのが「藪そば」。三番粉は外層の部分ですので色が濃い。蕎麦の香りとしてはこれが一番豊か。これを「藪そば」と呼んだり、「田舎そば」と呼んだりもします。ちょっと混乱しますね。香りが豊かなのでこれが好きって方も多いですよね。全部一緒にという全層粉を使うと「挽きぐるみ」となります。

今朝は、またまたそばの話でした。

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もっと広大な感じのところで写真撮れたらよかったんですけど、、、時間がなくて、、、。

↓前回の蕎麦の話↓
北海道#66 音威子府産の蕎麦
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2613.html

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北海道#66 音威子府産の蕎麦

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こんにちは。今日は妻が出勤していったので、子供たちとお昼を過ごして、夕刻に大阪に帰ります。明日から出勤ですけど、挨拶回りなどがあるので、結局通常モードになるのは3連休後でしょうね。

さて、今朝はうどんのような小麦割合の安くて国産ではないだろう蕎麦の話を書きましたが、今回は北海道産の蕎麦ですね。自宅から遠くないところの小さな蕎麦屋さんで供されているお蕎麦で、音威子府産のお蕎麦です。「何よりも新蕎麦!」というほどの強い新蕎麦信奉者ではないのですが、それでも「新そば」と言われると心が動きますね。蕎麦が上がるまでのちょっと間は、蕎麦前を頂いて、、、なんて言い休日なんだ。(頂いたのは、12月3日、ひと月前だね)

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音威子府は北海道上川地方北部の村で天塩川温泉がありますね。22年11月時点では人口は667人です。(出典:広報おといねっぷno.579,2022年12月号)。まぁ私的には魅力ある村なんじゃないかなぁと思うんですけど、それは人それぞれ感じ方ですからねえ。

↓前回の北海道ネタ、北海道旅のネタを終わらずに、、、↓
北海道#65 夕暮れ 
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2570.html

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北海道#65 夕暮れ 

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こんばんは。今日は金曜日の夕方です。今日は都心で夕方を迎えるのですが、きれいな夕日は見られるかなぁ。写真は7月末の北海道旅の時、十弗近くでみた夕暮れです。こんな広い空を見ると気持ちいいですよねえ。よい週末を!

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北海道#64  オタフンベチャシにも立ち寄ったんです @浦幌町

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おはようございます。今日はまた朝から東京に移動をいたします。本当出張が、、、多いですわ。

さて北海道への入植の話を一つ前に書きましたけど、出身県別でいくと1882(明治15)年から1935(昭和10)年では、青森、秋田、新潟、宮城、富山の順です。入植の背景や場所はそれぞれですね。意外と自分に縁を感じる場所が北海道にはあるかもしれませんよ。

今朝の写真は釧路から移動して、十勝と釧路の支庁界近く国道38号直別から道道直別共栄線を厚内方面に太平洋に出たところにあるオタフンベチャシです。写真が電線が入ってへたくそなのは、道路沿いからは写真を撮りにくいところだったんで、、、残念。チャシはアイヌの柵なんですけど、オタ・フンベは砂・クジラの意味です。壕で囲まれた平坦面は21m×7m。頂上の標高は約27m。チャシがあるということは戦があったんですね。このチャシでは、厚岸のアイヌが白糠のアイヌを攻めたときの攻防戦の話が残っています。

人のいるところに歴史ありですよねえ。

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北海道#63 鳥取神社にある鳥取開村記念碑 @釧路

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こんばんは。今晩も北海道旅の続きです。

大学・大学院の6年間を過ごした鳥取は私にとって故郷のような場所でして、鳥取の名を見ると妙に惹かれるんですよね。20代に釧路に遊びに行った時も、わざわざこの鳥取神社を訪れたものです。今回もお邪魔しました。

この地に鳥取の地名があるのは、鳥取県からの集団移住者があったからで、明治17年6月に41戸207名が、そして翌明治18年5月に第二次64戸306名(計105戸513名)が別途前原野に入植ことが始まりです。北海道の入植地の歴史を紐解くと必ずと言っていいほど食料に窮する状況に追い込まれるのですが、この鳥取の入植地も同様で、明治18年の秋に阿寒川が氾濫して農作物の収穫が皆無となり、その後もたびたび水害が起こっています。阿寒川の溢水氾濫防止として、排水溝を掘削をし切替工事(大正6年に完成通水)を合わせて行ったことで、阿寒川の洪水を克服、一方、釧路川についても昭和6年の新釧路川の完成通水をもって水害克服をしてきた歴史があります。

治水の歴史って、環境破壊の歴史でもあるのですが、人が住むということは環境改変はついて回ります。問題はどのあたりで環境と(不便も含め)折り合いをつけるかなのですが、合意形成の方法がいまだに未熟なんですよね。未来世代も含める必要があるので、現時点だけでのbenefitのみだと判断材料が足らないんですよね。

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北海道#62 春採台地竪穴群を見に行ったけど、、、@釧路

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おはようございます。今日は夕方まで事務所で仕事をしてから会食。会食の機会が増えてきています。

さて、今朝の写真は何の写真?ん?って感じですね。夏の北海道旅の続きです。まだやります。

釧路にある春採湖を望む高台なんですけど、この台地には竪穴式住居跡が200ほど確認されていて国の指定史跡です。この集落は擦文時代後期12,3世紀頃のものだそうです。(擦文時代は擦文土器を使った時代区分です。擦文時代って今の高校生とかは学ぶんでしょうかね?)今でも窪みが残っているのですが、私が見に行った場所が悪かったのかアクセスがしにくくなんだかよくわからんなぁっといった雰囲気。写真の右側あたりがくぼんでいるので、遺構の一つなんでしょうけど、やはり冬場の草が枯れた時期に行くべきですね。ちなみに、春採湖は海跡湖の一つで、現在も春採川を通じて海水が入りこむ汽水湖です。

釧路に行ってここに行こうって思う人はあまりいないかなー。マイナー好きな私好みでございます。

朝からよくわからない写真で「もやっ」とスタートです。

北海道#61 僕は塩特製チャーシュー麺で @釧路
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2559.html

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北海道#61 僕は塩特製チャーシュー麺で @釧路

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こんにちは。今回も夏の北海道旅の続きです。十弗から鉄道で釧路湿原に向かったH君親子と現地で合流して、釧路湿原を楽しんで、鹿の親子なんかを見ながら釧路湿原から釧路に戻ってきました。まずは昼ごはんを食べなきゃね!ということでラーメン一択。

釧路でラーメンっていったら、blogでお邪魔しているさえき奎(けい)さんとこの記事【改訂版】 「ラーメンについて大いに語ってみる 第1回」 そもそもあんたって誰なのよ?(ロング・インタビュー その8)を参考にまず「まるひら」に行こうとしたんですけど、時間が間に合わず、銀水へ向かいました。銀水もギリギリセーフ(麺がギリギリで我々の後の客で打ち止め)でした。よかったぁ。

私はといえば「塩」が食べたくて、塩特製チャーシュー麺に致しました。塩はsimpleなので、まったく味にごまかしが効きません。とか言いながら、まぁ特製チャーシューのせちゃぁそっちに引っ張られるか。いいのよ、御託は。ラーメンなんだから美味しそうと思ったものを食べれば。そしてお味は、、、正解!うまい!

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そして息子は、basicな醤油チャーシュー。息子の醤油一択も潔くていいわぁ。息子はどんなお店でも大体「醤油味」ですね。

釧路ラーメンの名店はほかにもあるようなので、次回(来年も行くつもり)は、まるひらとか行きたいなぁって思っていますよ。

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北海道#60 釧路湿原に行きました

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こんにちは。昨日は土曜日。息子は学校、娘は塾、妻は同級生とランチ。そう、自宅に戻ってきても一人でした(あはは)。今日も息子は習い事、娘は模試で、午後は少し妻と散歩するかな、、、。北海道ネタをまとめてやっていますが、これ「夏、7月末の」北海道旅のものですー(すみません、ネタが古くて)。北海道旅を四季ごとにできるほど時間とお金に余裕があればいいんですけどね。

さて、釧路市内を横目に釧路湿原にやってきました。夏、7月30日のことでした。釧路湿原にやってきたのは20年以上ぶりかな。同級生Hが釧路で林業の仕事に携わっていた頃だったなぁ。20年たってもほぼ変わっていない風景がそこにあり、人間の時間の物差しを再認識させてくれますね。

展望台から見ているとツルを見ることができました。(この後、鶴居村まで行くんですけどね、鶴居村ではツルは見ることできませんでした)

釧路湿原は日本で最大の湿原で泥炭地を主とする低層湿原です。かつては海だった場所で6000年~4000年前に湿原になりました。かつての海は、釧路湿原の東端にある達古武湖、塘路湖、シラルトロ沼の奥まで入っていて、これら湖沼は、砂嘴や砂州の発達によって堰き止められて形成されたようです。こういう湖は海跡湖と呼ばれます。


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ノロッコで来るっていうのもいいなぁ、と思いつつ、やっぱり車が便利だもんねえ。

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北海道#59 尺別の近くの海岸にて

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おはようございます。このentryは前日、伊丹空港で書いています(予約投稿)。これから大阪→東京に移動します。週明け東京で仕事がありますので、今週末も週末を東京で過ごします。

さて、今朝のentryは根室本線の走る尺別近くの海岸の風景。このあたりの海岸は本州南部と違って砂浜が黒いと感じることと、やはり海が寒そうです。ほんの少し立ち寄っただけでしたが、海をみて波打ち際にいって寄せる波から逃げてと、息子がまだ小さい頃に行った海を思い出しました。米国駐在をしていたころのNorthwestの海岸によく似ています。息子と二人で海を見るのは初めてかな、大きくなったなぁ。

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そしてハマナスが美しい花を咲かせていました。

尺別には、映画「ハナミズキ」のロケ地・紗枝の家が保存されています。ストーリーは、そんなんある?的なラブストーリーですけど、紗枝(新垣結衣さん)の「かわいい」を撮った映画ですわな。それだけでいいってことだよ。

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北海道#58 浦幌神社のおみくじ @浦幌神社

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こんばんは。北海道entryの続きです。十弗から釧路に向かうかなり序盤、浦幌神社に立ち寄りました。十勝エリアですから、ジャガイモも有名ですよね。都道府県別でのランキングではジャガイモの生産量は圧倒的に北海道が1位です。2021年のデータですけど173万t(78.6%)。2位は鹿児島8.5万t(3.9%),3位は長崎8.4万t(3.8%)です。道内で栽培されているジャガイモの品種は約50品種ほど。知らない品種がほとんどです。何種類ぐらい挙げられますか?

浦幌神社ではおみくじが「ジャガイモ」の形をした御籤がありました。神社の御籤にはいろいろあるものですね。普通の御籤はもちろんありますが、増えているのは土人形の裏におみくじを入れてあるタイプの御籤ですかね。我が家でもいくつかその土人形が子供たちのデスクの上に並んでいます。

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こちら、浦幌神社のじゃがいも御籤は掘り出すタイプと写真のように収穫後、調理時の姿のものの2種類ありました。どちらでもいいんだけどー。

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北海道#57 十弗駅から  

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こんにちは。予約投稿で朝焼けを窓から望みながらこれを書いていますが、最近梅田北側の工事がどんどん進んできて、任地宅からの風景が大きく変化してきていますね。新しいビル群が出来上がってきています。Pete HamilがManhattanをnostalgiaの首都であると書きましたけど(「マンハッタンを歩く」)、都市というのは変わり続けるという単純な事実からくる喪失感を与えてくれます。大阪は東京やほかの国の都市までではないにしろ、やはり変化し続けています。

お昼のentryは北海道entryの続き。写真は十弗駅から釧路方面に行くH100形気動車です。DECMOと呼ばれている気動車ですね。その由来はモーターで走行する電気しきディーゼルカー Diesel Electric Car with MOtorsからとったもの。2018年から導入されている車両です。新しい!

この日、H君親子はこれで釧路に向かい、私と息子は車で釧路に向かって、釧路湿原で合流ってことになりました。気動車いいですね。ただ全員がこれで移動するとなるとその後の移動に制限がかかってしまうので、二手に分かれての移動となりました。

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いやぁ、十弗から釧路湿原も結構ありますね。十弗駅は無人駅です。

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北海道#56 beer 1989 @十弗

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金曜日の朝です。おはようございます。今日の夜にまた東京に移動します。昨日は金沢おでんでバイの事を書いたり、富山の昆布食の話を書いたので、そろそろ「夏の」北海道entryの続き書かなきゃ冬になっちまうと思いまして、今朝は、、、beerネタです。

H君親子と行った北海道旅の後半です。7/29,30と泊まった中川郡豊頃町の十弗駅近くのA*rB&Bで頂きました。当地・豊頃町の大麦麦芽を使ったEnglish IPA。緑茶も入っているんですよ。苦味と甘味のバランスがいいbeerでした。ALC%:6.5なので、めちゃめちゃstrongというわけではありません。こちらはhost familyさんも親切な方なので、また泊まってみたいですね。豊頃町は人口3000人ほどの町です。お越しになればわかりますが耕種と畜産が半々ぐらいでしょうかね。作目は小麦、ジャガイモ、てん菜、豆類、蔬菜類ですね。畜産はもういたるところに、、、。豊頃町は帯広から近いので、次回来るときは、帯広から入るかなぁ。

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A*rB&Bなので、kitchenが使えるというのがありがたい。好みの食材を買ってきて調理。南蛮(唐辛子)と肉の炒め物。お酒が進むー。

朝からこんな写真をblogにupしちゃって、、、金曜だからいいか。

↓これの続きなんです((´∀`))
北海道#55 十勝石を拾いに @上士幌町
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2490.html

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北海道#56 釧路ザンギドッグ? @品川駅

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おはようございます。東京は今日は台風15号の影響で雨が降っています。2週連続の台風、嫌だねえ。木曜日の早朝に大阪に戻っていましたが、用事があるので金曜日の朝一で東京に戻ってきております。

写真は、木曜日の朝の新幹線移動時に品川の駅ナカ・コンビニで買って朝食です。釧路ザンギドッグとな。お味の方は普通に頂けましたよ。「ザンギは釧路発祥の「鶏の唐揚げ」で、、、」。おお、これは「ザンギは唐揚げか?」に火をつけそうな危険な記載ですね。私ならそんな怖い記載はしません。

ザンギは北海道に行ったら、まず食べる一品ですね。好きなんですよ、ちょっと濃いめの味付けが。(蛸ザンギも好きです。)このザンギという呼び名ですけど、発祥の店とされる釧路の焼鳥店の取材記事などでは「炸鶏(ザーギー)」が由来だそうだとか。もともとブロイラーのぶつ切りを使って調理したことが始まりだとかで「骨付き」が元来の姿ですね。

他にも中国・四国地方等で「ザンギ、ザンキ」の呼び名が使われたりもしているようですが、どこからやってきたんでしょうね。

↓北海道旅のentryの途中だったんだけど
北海道#55 十勝石を拾いに @上士幌町
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2490.html

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北海道#55 十勝石を拾いに @上士幌町

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こんばんは(日付かわったのでおはようございます、ですね。)一昨日は弾丸・富山出張でした。北陸新幹線が延伸するともう少し楽になるのでしょうかねえ。そして今日(日付が変わったから昨日)は弾丸・香川出張でした。とほほー。

さて、北海道旅entryの続きです。上士幌町では、十勝石拾いを楽しみましたよ。十勝石というのはいわゆる黒曜石(Obsidian)ですね。歴史の勉強をしたら石器時代のところで必ず学ぶやつです。このエリアは黒曜石が産出することで有名ですよね。このあたりの子供たちは必ず石拾いを経験しているとか。教科書にのっている石が近所の河原で拾うことができるとなれば、そりゃそうですよね。

Gaius Plinius Secundus(大プリニウス)によるNaturalis Historia(博物誌)には、Obsiusという人が発見したことが記載されており、英語のObsidianは、これに由来しています。

博物誌では、下のような記載となっています(ラテン語です)。
In genere vitri et obsiana numerantur ad similitudinem lapidis, quem in Aethiopia invenit Obsius, nigerrimi coloris, aliquando et tralucidi, crassiore visu atque in speculis parietum pro imagine umbras reddente.
- Gaius Plinius Secundus, Naturalis Historia 36.196.1-

英語版だと下記のproject gutenbergで読むことができます。
The Natural History of Pliny, Volume 6 (of 6) by the Elder Pliny
CHAP. 67.—OBSIAN GLASS AND OBSIAN STONE.
https://www.gutenberg.org/ebooks/author/50041

Pliniusが生まれたのは、西暦23年乃至24年といわれており、現在の北イタリア・Como湖周辺の出身です。Como湖はきれいな湖ですよねえ。7,8年前に出張で行った時のことを思い出します。

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北海道#53 トロッコ遊び @上士幌町

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おはようございます。今日は朝から富山出張なので4時起きで動き始めました。早めに準備が整ったのでblogにたどり着けました。

さて北海道entryの続きです。層雲峡側から銀河の滝をこえて、上士幌町に抜けるべく走り、国道沿いに旧国鉄士幌線・第三音更川橋梁の周辺で配線跡にトロッコ遊び用の線路を少し引いて、配線跡を楽しめるようにしていたので、立ち寄ることにしました。配線跡を見たい、というのもありますし、子供にとっては遊びですし。

士幌線は帯広駅で根室本線から分岐し上士幌町の十勝三股駅までを結んでいた路線。1925年開通で、1987年に廃止されました。水量によって湖に浮き沈みするタウシュベツ川橋梁が有名なのですが、今回は訪れず。

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トップの写真のごとくトロッコ用に線路を引き直し、自転車でトロッコ遊びをするというもの。大人も子供も楽しめました。国道沿いに近いところですけど、熊がいますからね、周りに気をつかいながらの遊びとはなりますが。

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川沿いなので、ハンノキがたくさん生えていました。高校生の頃、ハンノキの球果の化石を追いかけていたころを思い出しました。

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キノコの群生しているを見るとついつい写真を撮りたくなってしまいます。

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北海道#52 ビールで乾杯 @層雲峡

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おはようございます(といっても深夜ですけどね)。金曜日ですね。今日一日乗り切れば週末です。お盆休み疲れが出ているためか、寝て起きてを繰り返しています。あかん!

さて、今日も北海道旅の続き。黒岳登った後、層雲峡のキャンプ場2泊目。晩御飯を作る前からビールがうまい!一日の登山が終わったらやっぱりビールでしょう。そして北海道に居ても、いなくても結構な頻度で飲んでいるのが、クラシック。

旭川周辺のスーパーで売っていたクラシックは限定ラベルかね、ゴールデンカムイ缶でした。漫画もTVも見ていないんですけど人気ですよね。作品が好評で、なんだか舞台となった場所がえらい人気だとか。五稜郭では兵糧庫が毎年8月限定の特別公開されますが、ここがクライマックスの舞台だとかで、にぎわっているそうです。兵糧庫は幕末の函館奉行所開設の頃(約160年前)に建設されたものです。妻曰くはなんだか描写がXXXとか言っていたので私は読まず見ずじまいになるかもなぁ。


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アイヌの歴史にかかわる作品では、池澤夏樹さんの「静かな大地」が何度も読んでいる作品かな。単身赴任の家にも持ってきています。

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北海道#51 大雪山・黒岳久しぶりー

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こんばんは。今日は午前は資料作成、午後は会議と一日がかりになってしまいました。とほほ。

さて今夜の写真は、北海道旅の続き。厚岸の牡蠣を食べた翌日、層雲峡側から大雪山・黒岳に登った時のものです。黒岳を登るのは15年か20年ぶりか、、、もう忘れちゃったなぁ。前回は9月に登ったのでずいぶん紅葉が進み始めていて寒かったのですが、今回は8月でしたので、まだ多くの花が残っていましたよ。花が好きなので、写真を撮りつつ登りましたのでずいぶんとゆっくりペース(我が家とH君とこの子、子供2名は元気で、おっさん二人の方がえっちらおっちら)で登りました。

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イワギキョウ。英名はmountain harebell。山頂付近にたくさん咲いていましたよ。

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コマクサ。これも見るとうれしくなりますよねえ。和名は花の形が駒=馬の顔に似ていることに由来するけど、英名はありません。なのでKomakusa。

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エゾコザクラ。こちらも英名はないのかな。学名だけ。Primula cuneifolia。サクラソウの仲間ですからプリムラですね。かわいらしくて、たまらーん。

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チングルマ。和名のチングルマは、実の形が子供の風車=稚児車から転じたもの。いやぁ、標高の低いところでは、ほとんどわさわさの実になっていましたが、雪が残っている高所にはチングルマのお花畑が残っていてよかったー。

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ミヤマリンドウ。個体によっては薄青色からずいぶん紫色によったものまで多様です。

いやぁ、もっともっとたくさんの花にも出会いましたけど、花のハイライトでした。今日も気分よく寝られるかな。

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北海道#50 厚岸の牡蠣焼いちゃいました @層雲峡のキャンプ場

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こんにちは。北海道旅の続きです。赤平の炭鉱見学の後、翌日に黒岳を登るため層雲峡のキャンプ場に向かいました。最近はキャンプが随分と流行っていますからね、ここのキャンプ場もかなり整備されていました。今回の北海道旅はH君と息子さん、我が家も親子という4人組での旅で、キャンプ場の予約などH君がやってくれていたのでとても助かりました。キャンプ場に行く前に地元のスーパーで食材を買って行きましたので、夜ご飯はキャンプ場で頂きました。写真はキャンプ場1日目に頂いた厚岸の牡蠣(スーパーで買ってきた)。厚岸の牡蠣といえば全国区で有名というより海外なんかでも有名なので、今回の旅でも食べるかな、と思っていました。焼き牡蠣、おいしいんですよねえ。厚岸では夏でも寒流の影響で海水温が上がりにくい海域があることから、一年を通して牡蠣を頂くことができますが、明治期の乱獲、昭和58年の大量斃死を経て、垂下式の養殖がメインとなって今に至っています。

厚岸で牡蠣が獲られるという最も古い記録はオランダ人によるものです。1643年(寛永20年)にオランダ東インド会社(VOC=Verenigde Oost-Indische Compagnie)のMaerten Gerritsz. de Vries(1589-1647)が率いるCastricum号が厚岸に寄港し、その航海記録がオランダの国立総合公文書館に保存されていました。その記録には、アイヌの生活と豊かな厚岸の自然が記されており、またアイヌの村人が牡蠣とハマナスの実を届けたとの記載があります。(厚岸市のwebsite他の記載にありますが、残念ながらNationaal Archief,Netherlandのonlineで探索したのですが見つけることができませんでした。航海日誌の日本語訳は国立国会図書館あるのでまた読んでみたいと思っています。)

あぁ厚岸の牡蠣の蘊蓄纏めてたらまた牡蠣が食べたくなってきました。

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北海道#49 空知川露頭炭層を見てきました @赤平

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おはようございます。東京は昨夕から夜にかけて台風の影響で雨が降り風も強かったですが、今朝は静かです。今日も暑くなりそうですよ。

さて今朝の写真は、蝦夷御用御雇。文字通り空知川に面したところに出ている石炭層の露頭です。赤平炭鉱見学の後に立ち寄りました。看板などが掲げてあり、観光資源として見せようとしているのかなぁとも思いますが、何せ看板からその場所が結構距離があって、ん?というぐらいしか見れません。写真もzoomしています。まぁそれでも地層好きの私には十分なのですが。

この空知川露頭炭層ですけど、安政4年(1857)に、松浦武四郎(1818-1888)によって発見され、その後、明治6年(1873)に榎本武揚(1836-1908)らのよる炭層調査で赤平の炭層も再発見、翌年開拓使に招聘されたBenjamin Smith Lyman(1835-1920)によって確認されています。松浦武四郎キター!榎本武揚キター!ライマンキター!って感じです。幕末・明治期の北海道歴史をたどっていると出てくる方々です。松浦武四郎が初めて北海道(当時は蝦夷地と呼ばれていた)を訪れたのは、弘化3年(1846)のことで、その時は松前藩医・西川春庵の下で訪れ択捉島、樺太にも足を延ばしています。安政2年に訪れた時は幕府の蝦夷御用御雇で、2回目のことでした。アイヌの地名を収集していることが、今の地名保存に繋がっているとも言えます。

あ、露頭の話から、ずれてしまった。

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北海道#48 旧赤平炭鉱立坑を見学に行ってきた

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こんにちは。お盆休みですが、妻は出勤、息子は部活、娘は夏期講習と東京にいますが、今日は一人ぶらりです。

さて、北海道旅の続きです。キウス周堤墓群を後にして赤平に向かいました。今回赤平を訪れたのは旧住友赤平炭鉱立坑を見学するためです。現在は赤平市が管轄しています。炭鉱関連の工具や資料、図面、写真などが展示されたガイダンス施設を先に見学させて頂いてから、ガイドツアーをお願いいたしました。ガイドのMさんはこちらの炭鉱で実際に働いていらっしゃった方で、立坑櫓の中の保存された施設を丁寧に教えて頂きました。今回の北海道旅の一番の目的はこれで、息子に炭鉱を実際に見せたかったんですよね。

赤平の炭鉱の歴史は、1895年に歌志内の空知炭礦の疎水坑が空知川に向けて開設されたことから始まりました。その後、1918年に茂尻炭礦、1937年には豊里炭鉱、1938年に住友赤平炭鉱、赤間炭鉱と大手4炭鉱が開坑しています。これには鉄道開発が大きく寄与しており、大正2年(1913)に下富良野線(現在の根室本線)が開通し道央圏の幹線鉄道が整備されたことで沿線地域の開発が進みました。

今回訪れた旧住友赤平炭鉱は昭和13年(1938)に開鉱し、平成6年(1994)に閉山。最盛期の出炭量は年間190万トン、約5千人が働いていました。この炭鉱は赤平市及び歌志内市にまたがる1,800haの砿区に埋蔵量4億トンを保有し、合計23層の炭層からなっており、現在もこのエリアの地下には膨大な石炭層があります。しかし海外と比べて採掘コストの高さ、国のエネルギー政策の転換から1994年の当炭鉱の閉山によって赤平地域における約100年の歴史を閉じました。

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今回見学させて頂いた立坑は昭和38年(1963)に完成。総工費約20億円。高さ43.8m、深さ650m。

施設では機材が残されており、中には昭和56年(1981)に発生した北炭夕張新炭鉱ガス突出事故によって閉鉱となった夕張新鉱で使われていた機材がその後、この赤平で使われ、現在保存されているというものもあったりします。当時小学生だった私にとってこの事故は強烈な印象をもって鮮明に覚えています。

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ここで採掘されていた石炭はカロリーも高く、良質な石炭だったそうです。仕事で石炭の現物を見る機会はないことはないのですが、実際に旧炭鉱を訪れるのは2回目です。子供たちなら尚更、石炭や炭鉱に接することなどないですし、本で学ぶのとは違いますから、また子供たちを連れてきたいと思っています。


↑赤平市が作ったyoutube

前回はこれ↓
北海道#47 キウス周堤墓群に行ってきた
http://euyudo.blog29.fc2.com/blog-entry-2469.html

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