はてなキーワード: 満州とは
戦後の資料。"帰国したばかりのある復員兵が、米兵といちゃつくパンパンに憤り彼女らの頭を片端からぶん殴って回った後、故郷に帰って最初に行ったのが貸席で、そこで15、6の娘のひもときをやって「生きてて良かった」と終戦の喜びを噛み締めた。"という誇らしげな記述。こんなゲンナリが多いです。
日本の総人口の約1割りが入植した満州で、軍部に捨てられて自力帰国する時、まさに「いざという時」に日本の男どもがやったことは、襲い掛かるロシア兵に「どうぞどうぞ」と、女達を差し出して物陰に隠れ、帰国後は福岡に堕胎専門所を作り、女に泣き寝入りを強制したこと。
https://www.jiji.com/sp/article?k=2024092401116&g=int
在日中国大使館は24日、日本に住んでいたり、中国の大型連休を利用して日本を旅行したりする自国民に対し「現在の情勢を踏まえ、警戒を強めるように」と注意喚起しました。
なんか今月中には「日本人に殺された中国人男児エピ(大嘘)」でもでっち上げて世界中の親中国に嘘っぱち慰霊の像をおっ建て終わってそうだなあの鬼畜チャイナ政府
来年のクソチャイナの歴史教科書内容がどう粉飾されるんだか楽しみだな(棒)
てか時事通信が見出しの男児に「日本人」って敢えて付けない日本語不自由っぷりにクソチャイナとグルか?って勘繰りたくなる
日本人って東南アジア系の人々をほんのり見下してるじゃん。今でもさ。
それってまあ植民地だったからだよ。今の大人でもさ、じーちゃんばーちゃん世代はそういうデカい日本で暮らしてたわけだから、ナチュラルな差別意識残ってたわけでしょ。
日本に来る東南アジア系の人がいくら頑張ってても、いくら頭良くても、いくら金持ってても、心の奥底で「でもこいつら植民地だったところの国出身だからな」っていうのがある。
技能実習生とかそんな感じじゃない?
「二等国民にしてはよくやってるじゃないか。我々一等国民も見習わなきゃな。二等国民に負けてはいられないぜ。二等国民より弱い一等国民どうした?www」というふうな表現がしっくり来る感情があるのではないか。
日本人がアメリカ人に抱いてる感情もそれと同じ感じだよ。あと一応これってアメリカ人限定で、イギリス人だとちょっと和らぐしカナダ人やオーストラリア人ならだいぶ和らぐでしょ。
フランス人とかイタリア人なら、あぁん?フランスかよとかイタリアかよみたいな。
でもアメリカ人だとなんというかちょっと「ひえっ」ってならん?まあ、ならんなら別にいいけど。
一方で中国人は日本人に日清戦争と日中戦争で連敗してボコボコにされて満州とられたから、なんかいちおう中国は戦勝国でGDP抜かされてるけど日本とは対等みたいなとこあるでしょ。
「中国?強いよね」みたいな。
団塊世代って言い換えれば敗戦第一世代で、その団塊ジュニア世代が氷河期世代(いうならば敗戦第二世代)でしょ。まあそりゃ力出ないわな。
表参道って、神社の前の参道という意味なわけなんだけど、そこに西洋が溢れているっていうのがもうなんか象徴だよね。
昔ワシントンハイツっていうのがあったんだけど、それって明治神宮の隣に作ってたわけよ。
戦後あのへんは米兵とかが闊歩してたわけね。そんでその周辺が最先端!イケてる!すごい!ってなってた。
その間、「怖いから九州で貿易とかはやってね」って避けて江戸がいいとこ取りだけしようとしてたから、九州勢ブチギレ。
地図見ればわかるけど、九州らへんの海をすいーーっと外国船が通ってたんだよ。自分たちの国で嫌だって言ってんのに外国船が堂々と通ってるのウザいじゃん。
しかも江戸から離れてるから外国船やりたい放題やってるわけ。「まあいうて土人でしょ。江戸には多少気使うけどね」みたいな。
脅威度がレベチだったし江戸幕府頼りないからいろいろあって薩英戦争(鹿児島)とか馬関戦争(山口)になったりしてた。
江戸も弱いから、海外から九州ウザいからなんとかしろって言われても「知らんし」って言ってたわけ。
海外もそれで「なんやこいつら」って感じ。「はーーーー。めんど。しゃーなし九州ボコるか。江戸の部下ってことは弱いやん?雑魚狩るかー!雑魚!」っていうノリなわけ。
そして実際戦争してみたら「えっ?強くね?」ってなったから西洋も「実際に戦ってくるコイツらがJapanのボスだな」って判断して江戸幕府をないがしろにした。
まあいろいろあって、それで明治政府ができたわけだな。長州閥とかいろいろあるけど、全部江戸が日和ってたせいだよ。田中久重とかも佐賀だぞ。
そんで西洋に追いつけ追い越せの気持ちで一挙に頑張ってたわけよ。
外国人にへーこらしてソーリーソーリー言ってるわりに、同じ日本人に向かっては偉そうな口叩くのって、幕末の江戸幕府的だよね。
江戸にもいたけどよ、そういうやつ。
別に日本人に文句言うのはいいけど、日本人カスって言うからには海外にもカスって同時に言ってないと話が合わない。
日本人カスって言いながらアメリカ人や中国人にはペコペコしてるとか江戸だぞ。こいつら自己保身のために魂も何もかも売り渡して、アメリカや中国の二等国民になろうとしてるだけだからな。
概念として、全体的に江戸幕府的だよね。明治も別に何もかも優れた黄金時代じゃなかったけど、少なくとも勢いはあったよね。
お前らも早く武士になった方がいいぞ。お前も勢いを作ってくれ。
6月頃から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしんは明治に生まれ、大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である。
これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。
全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしんの本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語にありがちな主人公の聖人化とはむしろ逆行していた。
いや、もちろん少女時代の奉公先での過酷な試練は、おしんのイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしんは最初の奉公先である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀の豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしんが佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである。特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険な死産を経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代におしんが笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。
後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。
佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だから憎まれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。(NHKアーカイブより)
さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧に理解してこその発言である。プロとしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしんの死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である。自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしんの東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である。
これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋・加賀屋で奉公した際、大奥様から見込まれ、お茶や料理、裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたからである。
しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業をサポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那と結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀の本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用人である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるものと安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店は詐欺にあい、あっけなく倒産してしまう。
田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17で上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんをしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのである。おしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカの言葉「ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底を理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからのおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売にセンスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服の需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家の資金で東京で事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしんの佐賀地獄はここから始まる。
それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京、山形と転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三からは手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優・田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘っていたのである。しかしおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしんの本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。
やがて伊勢に根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋を軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である。
竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋をアメリカ式のレジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである。
魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業の原動力となったのは次男の仁である。おしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社をリードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。
こうしてみてくると、おしんは実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域に根付いた商売をしたかっただけである。
極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域の実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正、戦前、戦後とその時代時代でおしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうとき、おしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的な人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。
もちろん、おしんにはおしんの商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることである。おしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理と人情に生きようとする人なのである。
大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員の健康、福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場で結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢で魚屋の店舗を構えることになったときもおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。
またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前の土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしんの人生最大の恩人は16歳のときの初恋の相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。
おしんの物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。
この前中学生と話してる時に
WW2でソ連がソ日中立条約を破って日本に攻めて来たって言い出して噴麦してしまった。
まずソ日中立条約の原因となったのはハルハ河の戦いは日本がソ連に卑怯にも奇襲したからだし
ソ日中立条約でも日本は中立の条件を破って非武装中立地域で関特演を実施してソ連に圧力をかけたじゃん
その時点でソ連は「日本は条約を破棄したんだ」って思うのは当然だよ?
縦しんば破るつもりがなかったとしてもソ連が攻め込んだ北海道や満州地域では
日本の統治化では大規模な奴隷制農業(20世紀の話ですよ)が敷かれてて数十-百万人の現地人の犠牲者が出てたって歴史の授業でも習うじゃん
「軍需産業はこんなにも儲かってないし何なら倒産だってしてる!こんな力のない業界が戦争を煽れるわけないだろ」というやつ
でもね、斜陽産業だろうが赤字だろうが人は大勢働いてて営業マンは頑張って仕事を取りに行ってて、なんなら無茶な営業すら仕掛けたりもして、結果的に世の中への影響が大きかったりするんですよね
赤字覚悟で価格破壊仕掛けて赤字のまま転覆してる飲食業なんていくらでもあってそれが結果的に日本の飲食業界の低賃金体質の原因でもあるし、新規参入が価格を押し下げてる運送業界も典型だし
過去の戦争事例で言えば、大日本帝国の満州運営は一度たりとも「黒字」になったことはない
回収できる見込みのない投資ばかり先行して、だけど軍と軍関連は「事業拡大」し続けて、結果、本体である日本本土を巻き込む破綻に繋がった
言いたいこととしては「カネがない、赤字、儲からない、だから、その産業に影響力がない」は説得力が皆無でバカ丸出しな理屈なので、もう少しマシな反論してくれないと陰謀論に対抗できないっすよ
そのへん頑張って頭ひねって欲しい