はてなキーワード: おせちとは
ワイはおせちの残りの鯛でうしお汁作ったやで
※ ネタバレないよ。全部くだらない自分語り。自分語り乙とでも書いてくれたら嬉しいです。あとちょっとdisります。
Fate/Grand Order(FGO)というゲームのメインストーリーが、10年という歳月をかけて完結した。
もちろん、これからもおまけエピソードやアフターストーリーが展開されていくことと思われるが、一度わたしたちの冒険は終わったのである。
このゲームは非常に奇妙な成り立ちをしている。オンライン接続が必要なソーシャルゲームなのに、他のプレイヤーの存在をあまり感じない。
オンライン要素といえば、他の人が育てたキャラクターを借りて、パーティを強化することができるくらい。
借りる時の名前や自己紹介文を面白おかしくして、くすっと笑ってくれたらいいなと願う。
ちょうど必要としていた装備を付けている重課金者の最強キャラを貸してもらって、心の中でお礼をする。そんなもんだ。
あとは買い切りじゃなくて、キャラクターの入手がガチャなこと。それも結構な闇鍋の。
(もちろんガチャをあまり引かなくてもクリアはできる、効率が悪いだけ)
だから、わたしはこれまで、FGOのことをソーシャル(笑)ゲームと呼んでいた。一般的なソシャゲに程遠いからである。
このゲームは、ゲームと銘打っているにも関わらず、ゲーム部分も可笑しい。
もちろん攻略が難しい敵がいて、編成を考えるのが楽しいという戦略性こそあるものの、確殺できるパーティが決まればあとは同じ動作を何日も繰り返すだけ。
どこのクエストに連れて行っても簡単にクリアできるテンプレパーティも確立されている。
編成が本当に好きな人以外はテンプレパーティを3つくらい用意して、相性に合わせて使っていればいい。
じゃあ、なんでここまで面白いのか。それは全てシナリオに委ねられている。
立ち絵が切り替わるだけの紙芝居方式のシナリオが、文字だけで人の心を動かす。
その上、シナリオで活躍したキャラのすべてが良い見た目と声をしているから、つい欲しくなる。そうやって経済が回っている。
FGOは「ゲームを盛り上げて続けさせるための工夫としておまけに用意されたのがシナリオ」ではなく、「シナリオを読むための修行がゲーム」だった。
だから、わたしはFGOのことを、ソーシャル(笑)ゲーム(笑)なので、シナリオが読みたい人だけここを通るがいいと言って勧めてきた。
でも、わたしを最後の最後で感動させたのは、ゲーム(笑)で、FGOやっぱ終わってほしくないなって思わせてくれたのは、ソーシャル(笑)だった。
レイド期間中の3日間、「FGOはもうサービス終了してしまうかもしれない。集めた素材も、意味がないかもしれない。でも、みんなと一緒に戦って思い出作りがしたい」と思って、三徹したあの時間。
少しホーム画面に戻ってみたら、自分の育てたキャラクターが1万回借りられていて、「クリスマスなのにお前たちも馬鹿だなあ」なんて思った瞬間。
終わってほしくなかった。借りられた回数も、それによる報酬も、みんなが倒したから減ったボスのHPも、ただの数字だ。
でも、その数字が増えたり減ったりするのがひどく悲しくて、嬉しくて。もう徹夜したくない寝たいと思っているのに、解放されたくはなくて、このまま31日になればいいって思った。
それが27日に終わってしまって、寂しさと熱狂が冷めない中で、迎えたラストバトル。
かっこよかった。かっこよかったよ。やってることは変わらなくて、ボタンを押して必殺技を打つだけなのに。
Live2Dの横向きの立ち絵(実装コストがすごく高いらしい)が動くくらいなのに。
仕様上これが録画しなければ二度と見られないんだと思う反面、それが誇らしくて、今でもその光景が忘れられない。
まあ、シナリオでも感動したんだけどね。最速の人たちと並ぶようにクリアした後、三が日までFGOのことを考えては、飯食って感想ツイートして飯食って考察ツイートして飯食って毎日2時間くらい号泣して寝るって生活をしてたくらいには、感動したんだけど。
FGOが大好きだった。今も大好きだ。毎年クリスマスとお正月に、激ウマイベントを睡眠時間を削ってやっていたのが、好きだった。
本当に作業だったけど、あの作業が大好きだった。彼氏はできたり別れたりしたけど、FGOがいたおかげでリア充を呪ったことはなかった。
イベント開始18時にキャラクターを貸してくれた、話したこともないフレンドが、深夜の3時くらいでもまだ直近ログイン0分だったのが好きだった。
寝て起きても、こやはんとにやはん(有名なFGO配信者)が周回配信をしていて、「寝て起きてもまだやってる」とコメントするのが好きだった。
紅白歌合戦だのガキ使だのを横目に見ながら、スマートフォン片手に親戚とおせちをつつく瞬間が好きだった。
FGOと迎える年越しが、好きだった。今年はそうやって年を越せなかった。
完結したけどこの後どうなっちゃうんだ〜〜〜!?!??!という期待と不安。
こんなゲームなので10年間で次々と脱落していき、周りに誰もクリア者がおらず、ネタバレを語り合うこともできないまま、孤独に迎えた年の瀬。
最後に、走馬灯みたいな映像と制作陣のインタビューが50分を占めた年末の生放送で、カノウプロデューサーが「2026年も期待しててください」と言った衝撃でフリーズしたまま迎えた2026年。こんなにうれしくて、切なくて、満たされたことはなかった。
FGOがソーシャルゲームでよかった。お前のソーシャルは、ソーシャル(笑)じゃないよ。
お前はちゃんとゲームだったよ。戦闘システムがないノベルゲーのほうが売れるなんて言って、ごめん。お前はこのシステムで、こう生まれてきて、よかったと思う。
ありがとう、FGO。幾度となく完全体のモルガン(最強キャラの一角)を貸してくれた数十人の廃課金のフレンドたち、ありがとう。
わたしのキャラクターを借りてくれた人、ありがとう。配信してくれた人。攻略情報をくれた人。考察を投稿してくれた人。
どんなに苦しい情報が後から出てきても、ハッピーエンドの二次創作をしてくれた人。逆にかわいい子の絶望顔を描いてくれた人も。
キャラクターを、礼装(装備)を描いてくれた絵師。何度も泣かせて笑わせてきたシナリオライター。キャラクターに生命を与えてくれた声優。
ディライトワークス。ラセングル。アニプレックス。TYPE-MOON。坂本真綾。わたしと、何度も年を越してくれて、ありがとう。
元旦。
最近になって、ようやく「普通の生き方」みたいなものを、ほんの少しだけ知れた気がする。
父は中卒の警備員。
10年前に他界したけど、生前はギャンブル中毒で借金まみれだった。
親戚付き合いもほとんどなく、父方・母方どちらとも疎遠。
だから、正月に「実家に帰って家族でご飯を食べる」みたいな経験は一度もない。
クリスマスもなかった。
毎日はただの繰り返しだった。
それが“普通”だと思っていた。
今年で3年くらい経って、職位も上がり、
年収は850万。手当を含めると900万近くになった。
これは一般的に見ると「多い方」らしい(ChatGPT情報)。
家に入れていたのは月5万円くらいで、
ある日、父の財布を見たら10万円くらい入っていて、
「金あるくせに……」と本気で恨んだことを今でも覚えている。
正直、見える世界はかなり変わった。
周りの人たちはおしゃれだし、顔もいい。
今は1万円近くするところに行っている。
おかげで髪質も良くなって、
少しだけ自分に自信が持てるようになった。
高校には通っていたけど、
父が亡くなって家計が厳しくて、
でも最近、マッチングアプリでも始めてみようかな、と思っている。
遅いかもしれないけど。
他の人から見たら、
「それ普通でしょ」と言われるかもしれない。
でも自分にとっては、
今年は本当に色々変わった一年だった。
来年は、誰かと付き合えたらいいな。
👩👩👩「おせちもいーけど♬」
「お正月に食べるなら、おせちか?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……正直に申し上げます。これまで、プロレスや野球、さらにはサンタクロースまで、あなたの突飛な比較に付き合ってきました。しかし、今回は看過できません。「おせちか、ダイアン津田か」? 食べるんですよ? 物理的に摂取する話をしているんですか? それとも比喩ですか? どちらにせよ、正月の神聖な食卓に対する冒涜です。
B: 落ち着いてください。もちろん、カニバリズムを推奨しているわけではありません(笑)。これは「正月の朝、何を心に取り込み、何を味わうか」という、精神の栄養学の話です。おせちは確かに美しい。黒豆、数の子、栗きんとん……それぞれに意味がある。でも、それってどこか「保存食」の冷たさを感じませんか? 重箱に詰められた、動かない、冷えた伝統。
A: その「冷たさ」が良いんじゃないですか。火を使わずに神様をお迎えし、保存のきく料理を家族で囲む。そこには先人の知恵と、一年の平穏を祈る静かな時間があります。そこにダイアン津田が入り込む余地なんてありません。食卓で「ゴイゴイスー!」と叫ばれて、喉に餅が詰まったらどうするんですか。
B: むしろ、詰まった餅を吐き出させるくらいの衝撃が、今の日本のお正月には必要なんです。おせち料理は、確かに縁起物です。でも、今の時代、黒豆を食べて「マメに働く」なんて、ちょっと社畜精神が過ぎると思いませんか? そんな呪いのような縁起物よりも、津田さんの「理不尽に耐え、泥臭く這い上がるエネルギー」を摂取する。彼の生き様を五感で味わう。これこそが、激動の1年を生き抜くための最高の「心の栄養」ですよ。
A: 意味が分かりません。食卓は五感で楽しむものです。おせちの彩り、お屠蘇の香り、家族の穏やかな会話。そこに津田さんという「雑音」を置くことが、どう栄養になるんですか。彼は「珍味」ですらありません。ただの「刺激物」です。正月の胃腸には負担が大きすぎます。
B: 刺激物、結構じゃないですか。おせちは甘すぎたり、しょっぱすぎたり、味のコントラストが固定されています。でも津田さんは、いつキレるか分からない、いつ泣き出すか分からない。その「味の予測不能さ」こそが、退屈な正月にスパイスを与える。お重の隅にちょこんと座っている津田さんを想像してみてください。
A: 想像したくありません(笑)。重箱のテロですよ。数の子の隣で彼が顔を真っ赤にして叫んでいたら、せっかくの高級食材も台無しです。おせちには「形式美」がある。津田さんには「形式」も「美」もありません。あるのは「露出」と「騒音」だけだ。
B: 形式美は、時に人を窒息させます。正月の朝から、行儀よくおせちをつつく。その背筋を正すような感覚が、今の若者や疲れた大人には重すぎるんです。でも、津田さんが食卓にいる(あるいは画面越しに食卓を支配している)だけで、「ああ、こんなにグチャグチャでいいんだ」「叫んでもいいんだ」と、心が解放される。これは、どの縁起物にもできない「魂の除夜の鐘」なんです。
A: 除夜の鐘は、煩悩を払うために叩くものです。津田さんは煩悩そのものでしょう。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、最近のおせちが「見栄え」や「映え」ばかりを追求し、本来の「家族で囲む喜び」から離れつつある、という点ですね。
B: そうでしょう? カタログから選んだ数万円の冷凍おせちを解凍して食べるのと、生身の津田さんの叫びを浴びて「よっしゃ、今年もバカやって生きよう!」と笑うのと、どちらが「初日の出」に相応しいエネルギーに満ちているか。
A: ……議論の筋道が見えてきました。つまり、おせちが「過去から引き継ぐ安定」なら、津田さんは「未来へ突き抜ける混乱」だと。第2ラウンドでは、もし「おせちの具材」として津田さんを解釈するなら、彼はどのポジションに位置し、私たちの1年をどう予祝(よしゅく)してくれるのか、そこを詰めましょう。
B: いいですね。田作り、チョロギ、そして津田。新しい伝統の誕生ですよ。
(続き)
A: さあ、あなたが提唱する「おせちの具材としての津田」という概念ですが、冷静に考えて無理があります。おせちの具材は、すべてが「静止画」として完成されているんです。エビは長寿、栗きんとんは金運。彼には一体、どんな意味を付与できるというんですか?
B: 彼は「田作り」ならぬ「場作り」ですよ。五穀豊穣を願う田作りに対して、津田さんは、冷え切った親戚同士の集まりや、ぎこちない家族の会話という「場」を、その叫び一発で耕してくれる。彼がそこにいるだけで、正月の「沈黙という名の重圧」が霧散するんです。
A: 場を耕す……。それは単に「荒らしている」だけでは? 数の子の「子孫繁栄」に対して、津田さんはどうです? 彼は常に「独りよがりな叫び」で周囲を困惑させている。一年の計を立てる元日の朝に、そんな無計画なエネルギーを摂取したら、12月まで行き当たりばったりの人生になってしまいますよ。
B: それこそが最高のご利益(ごりやく)じゃないですか! 私たちは、あまりに計画を立てすぎ、正しさに縛られすぎている。おせちを食べて「こうあるべき」という伝統を胃に流し込むのもいいですが、津田さんの「予測不能な生命力」を浴びて、「予定通りにいかない1年」を面白がる余裕を持つ。これこそが、現代における最強の「開運」ですよ。
A: ……なるほど。おせちが「規律」を食すものなら、津田さんは「解放」を食すものだと。確かに、おせち料理はどれも味が濃くて、保存性を高めるために「固め」に作られています。それに対して津田さんの芸風は、常に「柔らかい」というか、どこからでも崩れるし、どこからでも突っ込める。
B: そうなんです。おせちは「過去」を詰め込んだ箱ですが、津田さんは「今」しか生きていない。あの、その場しのぎの「すぐ言う~!」や、冷や汗をかきながらの「ゴイゴイスー!」。あの刹那的な輝きを正月に取り込むことで、私たちのカチコチに固まった「日常」が、一気に生命力を帯びてくる。
A: 認めましょう。もし、家族全員がスマホをいじりながら無言でおせちを突いているような正月なら、いっそ津田さんという「猛毒」を投入して、全員を強制的に笑い(あるいは困惑)の渦に巻き込んだほうが、よっぽど「正月らしい」のかもしれない。
B: そうでしょう! 綺麗に並んだ伊達巻を食べるより、津田さんの乱れた髪と、必死な形相を眺めるほうが、よっぽど「人間っていいな」と温かい気持ちになれる。おせちという「形式」を食べるか、津田さんという「命」を食べるか。
A: 私はやっぱり、静かにおせちを食べていたいですが……でも、お重の端に、隠し味として「津田的な混沌」を少しだけ忍ばせておくのも、悪くない気がしてきました。
B: 来年の正月は、重箱を開けたら津田さんが飛び出す……そんな「びっくりおせち」が日本のスタンダードになるかもしれませんね!