はてなキーワード: ロラゼパムとは
死にたくなった。こういう気持ちは初めて。母ちゃんにすご太っててダメだと言われた。何度も言われた。
たしかに太ってる。120キロある。ここ1年で更に増えた。ダメだと言われる。
土曜日に妻の七回忌やってきた。その日も繰り返し繰り返しダメだと言われ続けた。
聞き流そうって、ここ6年頑張ってきた。
いつか減量しようと思ってきたけど、うつ病がますます悪くなってきて、もううつ病も30年だし、許してはもらえない。
いつも言われる。母ちゃんは自覚がないから、そんなに言ってないと言うはず。
でも誰に嫌われても自分は言わなければならないっていつも言っている。孫にも去られた。それでも正しさを求め続けている。
おれは母ちゃんに頼っている。妻が死んでもうどこにも行き場がない。そう思って母ちゃんのところに電話すると、いつも言われる。
もう本当に限界だ。死のうと思う。この決心は本当に固くなってきた。
言わないよ。先生が大変だもの。俺はもういいの。妻が死んで、十分頑張ってきた。6年も。
死ぬと分かってから7年、13年も頑張ってきた。うつ病も30年頑張ってきた。
それなのに俺の太った体を見て、醜いと言ったんだ。それ以上の言葉はないだろう。
俺は俺の歴史を大事にしたい。静かに終りを迎えたい。2025年。もう十分だ。
俺にはハッキリ分かった。妻の命は母ちゃんにとって大したことではなかった。
なんだかいろいろ消化できて晴れやかな日がくればいいと思うが、それは俺ではない。
母ちゃんは俺の妻に対抗心がある。強烈な。死んでもなお、あれはああだとこうだと自分本位のことを口にする。
悲しみがどこから来てどこへ行くのか、考えもしない。
きっと式次第に凝って、自分の式をやる。俺のではなく。
だから大丈夫。俺の七回忌やっても、また100歳になってない。
ばあちゃんは100歳まで生きた。母ちゃんは110歳まで行く。
俺の分まで生きてくれる。
こういう終わり方だったんだな。
俺みたいなののために働いて疲れ果てて。
自殺する人も、何かやりようがあるだろうって思っていた。
そんなのどうしようも無くなる日が来るなんて思わなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20260107144223
今回の実家滞在は、何もかもダメと言われ続けた。でも七回忌法要ではうるうるしてしまって、苦しんだ妻を思い出したよ。家に帰るとまたダメダメって言われて。妻をフッと思うこともできなかった。
分かってないなあ。母は俺の脳内にあるんだよ
俺はレクサプロ満量、ミルタザピン満量、ロラゼパム満量もらってるよ。トラウマ治療って言ったって、今までと変わらない
自分を疑わない、固執、執着、ストーカー的、強迫性障害との関係を知りたい
分離不安?
正しさへの疑いを持てないのはなぜか
ACとか毒親とか読んだんだけど、自分の人生と照らし合わせると思い当たることはたくさんあるが、それでいていわゆる脱皮みたいなことができても、親がいる自分があるということに変わりはないのでは。
洗脳されている自分が消滅するとその先に何も無いように感じるよ
医療は万能ではないというのが30年の付き合いの実感だよ。幻覚のようにこれまで信じてきたものが幻だった、存在しなかったと気づいたら?(ビューティフル・マインドのセリフ)があるし
姉は姉で、俺と似た感じで崩壊して離婚、一家離散になった。離婚にならないためには、ちょっとしたことを言わないだけなんだけど、言うということが姉のアイデンティティになっていたので、不可避だったと思う
まあでもこれまでも自分で暴露とかやれることはやってきたよ。アメリカでもカウンセリングは縮小傾向で、理由は良くならないからと聞いている。
自己満足でスッとするというのと治療的に効くというのは違うしね。10年くらい前だと禅のマインドフルネスに移行していたと聞いた。
セッションに終りがあるからで予算的にも通りやすいからだという。でも効くと証明された訳では無い
外に出て頑張って建築士にもなって成功したけど、うつ病になったら手に届く存在になって戻ってきてくれたから嬉しいという面があると思うよ
セッション映画の教師は、なぜ若者を、途方もない年下を罠にはめるのか
それで俺は死のうと思ったんだよね。居なくなるということがいいんじゃないかと思った。俺にとっても
俺は就職してせいぜい10年くらいしか自分の人生を持てなかった。うつ病で持続できなくなった。
奥さんに頼ってなんとか両親を遠ざけてきたけど死んでしまった。俺は無防備になった
昨日シークさんに言われたから、トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること (健康ライブラリーイラスト版) Kindle版
白川美也子 (監修) 形式: Kindle版という本を買ったんだよ。
俺はジャスコとけんじワールドをやったよ。3年ずつ。ジャスコ相模原は今でも残っている。両親も見に行ったそうだ。そんな暇あるのかと思ったけど。両親にとっては俺に関係するものを見に行くことくらいしか社会的なものが残されていないのかも知れない。親父は銀行員なのに、仕事をちゃんとやっていない。俺のことにうつつを抜かしている暇はないはずなのに。母ももちろん同じ。専業主婦で空っぽなのは明らか。
親父も母も両方とも、社会的なつながりを持とうとしないのは、つまらないからなのか、言う通りにならないからなのか、地味に働くことができないからなのか
親父からは、仕事ってこういうものなんだよなって話を一度も聞いたことがない。青森に懲罰人事で行かされたときも、銀行には青森支店があるのに、そこじゃなかった。銀行の融資先でそこに常務としていった。完全にお払い箱にされた。でもなあ、なんでそこで仕事ってちゃんとやらないといけないよなあって思わなかったのだろう。青森は雪が多くて大変だけど、そこに生まれて生きている人がいる。そこを根こそぎかっさらってやろうと思わずに、なぜ小学生の俺に依存したのか。仕事がそんなに嫌だったのか。
やっぱ、子作りなんて猫でも犬でもできるよな。
俺は転属先で建築に没頭して、現地の女性に手を出してた。親父は俺が女だったんだよね。
姉は反発してたからね。俺はもともと受け入れる方だし。ほんの少しのところで男娼だよ。
オヤジ、ダメな男だよね。依存を捨てて女を楽しませないとならないのに、どこにどう行くのか、オヤジは。永遠の迷路。
仕事はしないし、重要人物にもならないし。仕事を、ささいなことをやっていれば、自然とそこに欠かせない人物に成れる、誰でも。それをどこに行かされてもなぜやらなかったのか。なぜ失敗ばかりしていたのか。
オヤジが飛ばされたのが、俺が4年生になるときだから俺が9歳で、オヤジは39歳くらいか。その若さで飛ばされるんだから、当時はリストラの時代とは程遠いし、きっとろくでなしだったんだろうな、会社で。ちょっとしたことで仕事でつまづくとすぐ人に振っていただろうし、それは家族作業していてもわかる。根気がいる作業はまず俺に振ってくる。だから会社でも用無しになったのだろう。それで飛ばされて初めて、どうしたらいいのかってなって、それでも家族で会食を無上の楽しみにしていて、仕事をしていない、はっきりと分かる。3年耐えてたけど、営業職には戻れなくて、検査部に行かされてた。毎週支店に泊まって検査してて、監査なんて手抜きでいいのに、何をやっているのか。
オヤジは出向イコールクビって、2回言ったんだ。行く場所で決まるなんてことはないだろう。行った先でどれだけ自分が伸びるかなのに。俺の社外出向をそういったんだ。どういう仕事感なのけ。
会社で何もしないでて、だんだん居場所がなくなるのに、なぜ仕事をしないのか。やり方が分からないときほど、これをこなせるようになる、という機会なのに。
母は、お父ちゃんは仕事が早いのって言ってた。見たこともないのに。銀行の仕事がどういうジャンルになってるかも当然知らない。オヤジはひょっとしてとんでもない嘘つきだったのか
俺の頃は仕事できない人は割とすぐ外に出されるから。そうでない人も居たけど。穀潰しが居たから、今になると分かるけど、設計部にいるのに図面がかけないとか
公務員試験浪人して高卒で市役所の正規職員になったんだが、ガキの頃から学校が苦手で(大きな音や、耳情報の処理が苦手でガヤガヤした所が疲れる)、なんの対策もとれないまま社会に適合できず成長してしまった。
後に知ったことだが、俺は当時から社交不安障害を発症していた。俺が人と対峙する時に感じる動悸や緊張感、大勢を前にするとパニックになり喋れなくなるのは性格の問題ではなく、普通に病名がついた。面接は緊張したし喋るのは苦手だが、最悪一回きりなので、ハキハキ喋れたのと、愛想は良いので面接ウケがよかった。
仕事が始まると毎日ひどい緊張感に襲われた、まず職場が色んな音がして頭が真っ白になった。あちこちから声が聞こえるし、着信音も聞こえるし、向かいの席に座ってる先輩の声も聞き取れないし、人の視線もあちこちから感じるし、脳が処理しきれず酷いストレスに見舞われた。
その状況で、仕事の口頭説明をされたり、市民からの電話の問い合わせも何言ってるのか聞き取れず(これは俺の耳情報の処理が苦手な特性もある)、次第に職場に居るだけでストレスが大きく膨れ上がってきて、仕事に行くのさえ怖くなってきた。
自分でも異常な精神状態だと思い、家族に相談してみるも「最初はみんなそんなもん」「そのうち慣れる」「周りに気を使いすぎなんじゃないか」と言われた。同期が生き生きしてるのを見ると、絶対そんなもんじゃないのはわかっていたので、家族が宛にならないことを悟り精神科の門をたたいた。
予約1か月待ちで、その間の地獄を耐え抜きながらようやく受診すると、社交不安障害の診断とロラゼパムの処方が下りた。
その頃にはもう文章が頭に入らなくなっていたのと、物忘れがひどく激しくなっていたのと、もう朝目覚めずに死にたいと思っていたのと、出来るならもう誰にも会わず一人で静かに暮らせるなら暮らしたい。と、脳機能も精神状態も最悪な状態だった。
処方されたロラゼパムは、1日3回飲めるように出されたが、飲むと気持ち不安がなくなる気がする程度ではあったが劇的な効果はなかった。俺は職場に居る間とにかく不安で、電話も怖くて、職場の人に声かけられるのも不安で、何か職場で作業するのも不安で、人と話すのも不安だったので、ロラゼパムに依存し、事あるごとに飲んでいた。
ある日、業務知識として読んでおくように言われた、平易な文章で書かれたパンフレットを読んでも文章が頭に入らなかった時、俺はもう駄目なんだと思った。そして仕事を辞めた。
今はなるべく人付き合いの浅い民間企業で働いてるが、市役所に比べれば将来性はないが、当時に比べればストレスは激減したし、休みもとりやすいし、快適に過ごしてはいる。
あれからもう10年以上経つが、今からあの頃に戻れたとしても、俺はまた同じような症状が出る気がしてならない。何故ならいまだに耳からの情報処理が苦手だし、対人ストレスを強く感じやすいからだ。
あの頃の自分が、あの職場でやっていけるようにするためのアドバイスが、未だに思いつかない。
もっと歳をとれば思いつくんだろうか。と、毎年思っている。
20:30 就寝
4:40 起床
4:50 ランニング
6:30 出勤
8:00 始業
12:00~13:00 昼休み(10:00頃から強烈な眠気に襲われるので数分で食事を済ませデスクで昼寝)
17:00 終業退勤
18:30 帰宅、晩飯の準備、風呂(勉強したいが眠すぎて手がつかない)
(上へ戻る)
8時間寝るようにしてるし体も動かしてるのに日中たまらなく眠くなって困ってるんだがいい解決方法あった同志いませんかね……。
ちなみにストレス感じるとすげえ眠くなる。
【追記】
・ランニング後朝食は食べてる
・ランニングしてから仕事への集中力が高まったのと、もともと社交不安障害でロラゼパム服用していたが、ランニングしだしてから社交不安が寛解し薬が不要になった。それ以降ランニングが習慣になってる為、ランニングを止める予定はなし。
将来の不安について聞かれるが、正社員で勤務していた時は仕事を抱えるのが嫌すぎて毎日明日が不安だった。不安がない日が無くて生きててとても辛くて、出来の悪い頭で土日もずっと仕事の事を考えていた。
派遣になってからは責任もなく、その日のうちに終わらなかった仕事はプロパーが残業して片付けるので進捗構わず定時で帰ってる。人間関係も「派遣さん」として扱われるので、良くも悪くも距離感があってとても楽だ。正社員で働いてた時は、人付き合いが嫌いな上で適応しようと胃を痛めていたので、それがないだけで幾分幸せを噛み締めることが出来る。
そのお陰で、正社員時代に社会不安障害を発症してしまった為、依存していた「ロラゼパム」を断薬できるようになった。今は一切薬を飲んでいない。日中の眠気に悩まされることもなくなった。
収入が大幅に減り可処分所得が無くなったが、休みの日に図書館で本を借りて読んだり、映画に没頭したりしている。最近はプログラミングの勉強を趣味として始めた。( 偏差値30ぐらいの高卒でそろそろ三十路なのでプログラマになれるとは思ってない)、この間中古のチンコパッドにUbuntuを落とした。CUIで「ギャッ!英語!」となったので、中学基礎レベルの英語の勉強も始めた。あまりお金をかけなくても楽しめる事は探そうと思えばいくらでもあることに気づけた。視野と世界が広がる感じがした。
俺は社会的責任を追うと途端に身動きが取れなくなるゴミなので、この先も派遣社員として働き続けると思う。結婚は元々する気はなかったので、問題はない。
年配派遣社員を沢山見てきたので、まあなんとかなるだろうと楽観視している。食いっぱぐれたら生活保護も視野にいれたい。
命許す限り、生活を楽しもうと思う。
転勤族の子で、各地を転々とし、両親は最終的に東京に家を買った。親は、本人達は認めないが平均より裕福で、たくさんのことをさせてくれた。大学に通わせてくれたし、海外経験もさせてくれた。
私は地方都市に就職する。鉄道使うより飛行機の方が東京に早く着く街だ。就職する街には東京と直通便がある空港がある。
なぜ地方に就職するかというと、混雑が向いてないし、東京という街を活用できてないからだ。繁華街に行くとどうも体調が悪いなと思ったら、軽いが感覚過敏であることが分かった。特に音と光。ノイズキャンセリングイヤホンをしないと疲労がすごい。IMAXで映画を観ると耳が遠くなる。薬を飲む前はあらゆる待機ランプに目張りをしていた。冬でも日差しの強い日はサングラスをかけている。あと色。教材の色がうるさくて集中できないという理由で進研ゼミからz会に変えたことがある。香水もだめ。においのする柔軟剤のことを恨んでいる。WAISでは自閉症スペクトラムとは言えないと診断されたので、感覚過敏だけがあるスペクトラム者なのか、全く違うのかよく分からない。HSPなる概念にめちゃめちゃ当てはまるが、あれは今のところ精神医学の概念とは言えないし、私の嫌いなスピ系と界隈が近いので自分がそうだとは言いたくない。とりあえずエビリファイで症状?は緩和されたので、なんでもいい。症状があって対策がある。それでいい。それでもサングラスはするし渋谷は歩けないし人酔いはするしノイズキャンセリングイヤホンは手放せないので23区を離れるけれども。
満員電車も嫌いだ。実家は日本で1番混んでる路線が最寄りだ。昨日久しぶりに満員電車に乗って視界が真っ暗になり何も聞こえなくなって車内で座り込んだ。つくづく向いてないんだなと思った。
地方を転々としていたので、地方とひとくちに言っても本当に色々あることを知っている。私の基準としては大学のある街は人の行き来があるせいか排他性が薄い。ということで国立大学のある街の、中心街から電車で20分の空の広い郊外に住むことにした。家は職場から徒歩5分のとこを借りる。近くに本当にでかい、なんでもあるショッピングモールがある。映画館もある。
同級生、特に生まれも育ちも東京の人からはあまり理解されなかったが(というか東京生まれ東京育ちの人は東京京都大阪以外はみんな村だと思っている傾向がある)、悪くない選択だと思う。いや、大都市でどれだけいい会社に就職しても通勤や生活がつらくてすぐ辞めるのが目に見えているので、地方に就職するしかなかった。地方の、大都市に支社や支店がある会社に勤めるとそちらに飛ばされる可能性があったので、そういうののない地方の中小企業に決めた。英語が人よりできるので海外と取引する部署。営業も事務も向いてない自覚があるが、壊滅的に数学ができないので理系に進めなかったのだ。理系になりたかったな。
自分なりにいい所を選んではみたつもりだが、内定式で直属ではないが上司にセクハラ野郎がいることが分かった。「色気が足りない、お酒を飲むともっとセクシーになれるよ」と若い女性社員に酒を注いだり、若い女性社員が上着を脱ぐと「僕のために脱いでくれてるのかと思った」などと言う。社長もそれに対して笑ってるので、私は早々に辞めるかも知らんと思っている。大学の先輩にこの話をしたら「セクハラに対して絶対に笑わないこと」と教えてくれた。他にできることあったら教えてください。飲み会は強制参加ではないらしい。学歴はそこそこあるしTOEICは900とったし転職は難しくはないと思うけれど、就活もう一回はしばらく嫌だなあ。
小説を書いている。たまに土曜出勤がある職場だが、勤務時間に通勤時間を加えたものを拘束時間として考えると、通勤時間がドアツードアで往復90分の大手企業と余暇時間はそんなに変わらない計算になる。小説を書く時間にあてたい。職場から帰ったら即寝て、2時から3時頃起きてすっきりした頭で小説書いて、出勤して寝る。休日は映画観る。初めてのボーナスで実家の猫にキャットタワーを買う。できそうだったらだけど、取引先のある国に転職するのもありかなと思っている。
生きていきたい。
たくさん助言を頂けてびっくりしています。ありがとうございます。
セクハラを録音しておくというアドバイスを複数いただいているのですが、社長がセクハラを容認する態度をとっている場合、どのようにして録音を活用すれば効果的か教えていただけると嬉しいです。
飲んでる薬――エビリファイ1mgです。これが感覚過敏用で、冬季の気分の落ち込みにジェイゾロフトを、眠りやすくするために頓服でロラゼパムを処方されています。
海外で困りごとはなかったか――気楽な語学留学だったこともあり、特になかったです。自分に3食餌付けするのが大変といえば大変だったかな。自炊してたので。某国の静かな地方都市に滞在したのですが、そこでなぜか異様にストレスなく暮らせたことで自分の感覚過敏に気付けました。親に感謝しています。自分に語学力か学力がもっとあれば真剣に移住を考えていました。
子供の頃に周りの大人に怒鳴られていなかったか――怒鳴られたことはおそらく1度もないです。怒られたこともほとんどないです。長女なのもあってか、ずっと優等生でした。成人付近で崩れましたが。7歳頃に周りの子からいじめを受けていた経験はありますが、当時のことはよく思い出せません。
自分自身出来の良い方ではないとは思っていたが、今年の給与改定のタイミングで役員から、お前はもっと頑張らないといけない、と言われたり、
自分の仕事量の見積もりミスで、納期前に15時間労働を3週間続けることがあったりした。
社会人になったら大変なこともあるし、自分が好きで、小さな会社に入ったんだし、これくらい頑張らないといけないんだ、
同期や周りの先輩たちはもっともっと頑張ってるんだから、自分もまだまだ頑張らないといけない、
研究室の修論発表の時期のほうがよっぽど辛かったしな!これくらいは全然大丈夫大丈夫
だと思ってきたが、
先輩の丁寧な説明がなぜか頭に入ってこなくなったり、
モニタを見つめて次に何をしたらいいのか30秒くらい頭が固まったり、
作業中になんでか動悸がしてきたり、
夜寝にくく朝は何故か早く起きたり、
家事が一切できなくなったり、
大好きだったゲーセンも行かなくなったり、
しまいには、27年生きてて初めて出来た、大切な相手にはずっと仕事が辛い仕事が辛いとしか言えなくなってしまった。
違うと思うけど、と思って、ついに精神科に行ったら、鬱の傾向がありますねと言われて、トラゾドンという薬とロラゼパム、という薬を出された。
大の大人が、お医者さんの前で仕事がつらいつらいと言ってボロボロ泣いてしまった。なんて情けない。
きっと世の中には私なんかより遥かに大変な働き方をしている人もいるはずで、
残業月100時間とか、200時間とかやっている人達もいるのに、
世間的にはいい大学だと言われるところに頑張って行って、辛い就活もなんとか乗り切ったのに、こうなってしまった。
どこで間違えてしまったんだろうか。
なにが悪かったんだろうか。
誰か教えてください。
誰か助けてください。
私はどうしたらいいんだろう。
[個人用レポ]
午前3時頃
不安感などは一切無く、あくまでも自分の中ではほぼいつも通りで健康な状態で寝る三時間前にロラゼパム0.5mgを二錠服用(合計1mg)
ダルさや倦怠感は無い。しかし時間が経過する毎に落ち着きを徐々に感じてくる。
自分が分かるように言えば、天体観測で流れ星を待っている時のようなあの最高の落ち着き感
効果としての最高濃度になるのが二時間後らしいので丁度今辺りだと思うが、上記のような落ち着きが最大濃度における落ち着きか?
「飲むとボーっとする」という話も聞くが、その可能性はボンヤリとあるが、意識はハッキリしているし眠気のようなものも感じず作業は普通に行えているので問題なしか。
3mgが一日の上限なので、1.5~3mgをそれぞれ試したら自身の体はどうなるか気になるが、あまり連日服用すると依存してしまうのでしばらく日数を空けてからやろうと思う。
それにしても、やはりいくら文章上での効果を知っても実体験しないと効果の意味がしっくり来ない。
病院で処方されたものの一切手を出さないまま現在まで放置していたが、色々と話を知り試してみたがなるほど、こんな気分になるのか。
一応、メンクリにも通っている。
とはいえ、癇癪持ちと気づいたのはほんの数時間前で医者とも話せていない。
何故、癇癪持ちと気づかなかったかというと、我慢していたからで、また、普段は怒るということがないため何かおかしい、なにか嫌な気分だと思っていたからだ。
周りのちょっとしたことでボルテージが上がっていくのが分かり、奥歯を噛み締めているのが分かる。口を開けば唇が震えている。いつ「あぁ!?」とキレるか分からない(キレたことはない)
とにかく、今は怒り(今までは嫌な気分と思っていた)を抑えることに必死でスマホを見たりして気を逸らそうとしている。
今日は昼間から妻と出かけていて、癇癪スイッチが夕方から入ってしまった。
だからあまり話しかけないで欲しいと言ったのだが、妻はケンカになるような事を言わなければ済むと思っているのか食事のときも、一緒にいるときも普通に話しかけてくる。
内容は全くトゲのない普通の内容なのだけど、自分にはいちいちシャクに触り、怒りのボルテージがガンガンに上がるのが分かる。
誰か助けてくれ
(追記)
無事、帰宅。
すぐにシャワーを浴びて、ルネスタとロラゼパムとカルシウムを飲んでベッドにいる。
多分、目が覚めたらこの気分も楽になると思う。
皆様、お騒がせしました。
死にたい死にたいと思ってしまったり(こんなことは考えたくない)
自分でしゃべっている言葉と頭の中で考えていることが違う(頭の中では自分を責めている)
自分の額を殴る。
仕事ができない。(物理的に無理。仕事の内容を喋れない。しゃべる仕事です)
薬でなんとかなることもあるから病院に行けと言われたのが昨日。
今日1日休みをいただき、予約なしで診てもらえる心療内科・精神科を探し、ドキドキしながら院内へ。
初診ということで、問診票を書く。
精神状態を見られるのだろうと思って、マークシートレベルのものを覚悟(そして期待)していたのだが、
症状に関しては「今困っていることを書いてください」これだけ。
他の症状はともかく、死について考えてしまう・・・ということを、書くべきか、10分近く考えていたと思う。
ここで隠しても仕方ないと、小さく、「死を考える」と書いた。
待合室。
5,6人が診察を待っている。
患者さんは、フツーの人たちに見えた。
何が彼ら・彼女らをここに向かわせたのか、まるで見当もつかなかった。
風邪をひいたから病院に来るのと同じ、社会生活の一環として、ここにいるような佇まい。
1人くらいは、身なりもどうにもならないような人が居るんじゃないかと何か期待していたが、そんなことはなかった。
自分は、社会に適合できていないと感じていたから、勝手に疎外感を感じてしまった。
さて、ほどなくして、看護師さんに呼ばれ、初診ということで、診察前に色々聞かれた。
両親の年齢、兄弟、家族のいる県、症状について(いつごろからか。問診票に書かれたことを少し詳しく)
死についても、慣れているのか、適度な距離感を保ちながら話すことができた。
もうしばらく待って、診察。
ふつう、「どうされましたか?」と聞かれるものだと思うのだけれど、そうではなかった。
いきなりの実家で面食らう。ほかにも、一人暮らしはいつからか、とか、仕事は何年目か、とか、
その後、問診票にも書いた「困っていること」について。
医者とはいえ、初対面の人に、あまり打ち解けて話すといったこともできず、たどたどしく
症状を伝えたと思う。
最終的に、死にたくなるようなことがあれば、もう一度病院に来てくれと言われ、
薬を処方されておしまいだった。
話してみてわかったことは、ここまできても、自分は「大丈夫」そうに見せようとしてしまうということだった。
わかってほしいのか、ほしくないのか、まったく。
医者は病名は言わなかった(し、この程度では病名はつけられないだろうと思う)が、
その後は、薬局に行って薬をもらい、代金を支払って帰った。
夜になって、夕食のようなものを口にして、薬を飲んだ。
薬について調べたりするうちに、残りの時間は過ぎていった。
疲れた一日だった。
少しばかり、ホッとしている。
そのあとは、おねしょ防止のクスリを転用してたりするけど、イミプランというトフラニールとかいう三環系のクスリの登場まで、クスリらしいクスリってなかったそうだ。
それで最近、向精神薬の依存を批判した医療ジャーナリストの本を手に取ったんだけど、SSRIとかデパスとかの依存になりやすいクスリの大批判をしてたのね。
それで思ったんだけど、オレは抗うつ剤とか安定剤とかを使い出して、15年以上になるのかな。正直言って治んないんだよ。麻薬だろうがなんだろうが、いまの暗黒生活にほんの少しでも光があたって、人並みに活動できるようになるんだったら、クスリの依存なんかどうでもいいと思ってるのね。精神疾患の人って寿命は短いらしいから。統合失調症なら20数年短くなるらしいよ。
それで角度を変えて見てみて、アヘンの起源を調べたら、メソポタミア文明からだったんだよ。そのころから社会生活のストレスを緩和するためにクスリとしてアヘンは使われてたんだよ。いまのように工業技術で濃縮されたりしてないだろうけど。いちおう文明社会になったので、麻薬はダメですよ、医療用で限定ですよってなって、タバコも禁止に近い。そうすると、その隙間を埋め合わせるかのように、三環系抗うつ剤とかSSRIとかが登場して、合法で使えるようになってるんだよね。それで、トヨタの役員じゃないけど、アメリカでは麻薬成分が入っている鎮痛剤というのがアメリカのセレブでは流行っているらしく、ヒース・レジャーとかホイットニー・ヒューストンとか、フィリップ・シーモア・ホフマンとか、全部が全部ではないだろうけど、ほかの麻薬といっしょに使うかとか、酒をガンガン飲んで鎮痛剤も使うとかして、中毒死してってると思うんだよね。(麻薬中毒ではない人もいるのかな)
オレ自身の生命体としての能力として、何もしなきゃますます能力が落ちて、最終的に死ぬだけだね。第二次大戦の戦記とかを見ると、生命力のない個体って、無残に死ぬだけなんだよ。感染症になったり捕虜とかになってね。明日を生きるために、クスリを飲んでなんとか持たせますよ。バルプロ酸とアモキサンとロラゼパムくらいなんだけど。これくらいで済んでいるだけまだマシじゃん。クスリ飲むなと批判する人って、飲まないでがまんして、何もできない人生を10年とか過ごさせて、それで責任とれんの?って、まあ取れないじゃん。ドーピングでもなんでも、人間は活動できてナンボなんだよ。ほんとのチョビっとしかクスリ飲んでないやつが離脱するのはできると思うよ。でも、オレみたいのは違うんだよ。なんとか直らないかなと思っているうちに15年以上も過ぎちゃった。その間にクスリをやめてみたこともあるよ。1年とかのオーダーで。収穫なかったよ。悪い収穫だけで。断食とか変な修行もやってみたよ。なんともならなかったよ。
オレが戦時中に生きてたとしたら、零下20℃くらいのノモンハンとかのソ連の国境地帯に行って、爆弾もって突撃して敵の戦車のキャタピラーに爆弾を差し込んでお前も自爆してこいって言われて、そうしてるよ。そのくらいしか社会の役にたてないんだから。2年も3年も軍にいて、軍の運営に役立つ人間になんかなれっこないんだから。体力がないから、仮にオレが多少の知恵人でも徹夜で仕事できないんなら軍にいらないってなるよ。軍属でもむろんいらないってなるだろうし。謀略立案するアタマなんかないし。