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はてなキーワード: ユダヤ教とは

2026-01-24

日本自称成功者の冷酷性が自己放尿している

日本自称成功者界隈を観察していると、奇妙な自己放尿の悪臭が立ち上ってくる。

本人たちは高級な香水を振りかけているつもりだが、実態自己放尿で床を濡らし、その上にブランドロゴのマットを敷いて「成功」と呼んでいるだけだ。

連中が好んで語る人間関係論は単純で、付き合いの基準年収、会食の単価、使える金額、紹介できる肩書

「古い友人は成長を阻害するノイズとして切り捨てろ、昔の縁は生産性が低い」という助言がドヤ顔流通する。

これは合理性仮面かぶった、計測可能ものだけを人間還元する粗雑な思考であり、思考停止だ。

効率化と選別を履き違え、関係資本短期の交換価値圧縮した結果、残るのは同質な人間の集積と、相互に利用し合うだけの乾いたネットワーク

連中がやっているのは、合理性拝金主義ダブル放尿で、自分の足元を濡らしながら他人成功論を説く滑稽な儀式にすぎない。

 

対照的なのがユダヤ教的な世界観だ。ユダヤ教成功者選別ゲーム美徳としない。

中心にあるのはコミュニティであり、契約であり、時間を貫く責任だ。

ツェダカーは単なる慈善ではなく正義で、持てる者が持たざる者を切る免罪符ではない。

しろ共同体健全性を維持する義務であり、関係を断ち切る自由よりも関係を引き受け続ける重さが重視される。

ピルケー・アヴォートが繰り返すのは、知恵は行為に裏打ちされて初めて価値を持つという一点で、会食単価や肩書で人を測る軽薄さとは真逆倫理だ。

安息日生産性を止め、効率を休ませ、人を人として扱う訓練装置である

ここには「成功者の輪に入れない者は捨てろ」という発想が入り込む余地がない。関係最適化対象ではなく、継承される資産だ。

 

日本自称成功者勘違いしているのは、選別が洗練だと思い込んでいる点だ。

だが選別は最も安価思考で、数字で切れるものしか見ない態度は人間性の劣化を加速させる。

古い友人を切り、弱い縁を捨て、金で測れる関係だけを残す行為は、短期的には摩擦が減って気持ちよく見えるが、長期では信頼の厚みを失い、予期せぬショックに脆弱になる。

 

ユダヤ教的なコミュニティ重視は極めてロバスト設計思想だ。

それを理解せず、成功者基準人間関係を再編せよと説く日本自称成功者は、自己放尿で足元を濡らしながら合理性を語る未熟さを晒しているだけだ。

人を金で測るたびに、連中は自分世界を狭め、共同体という長期資本を切り崩している。

その音が静かに響く。滴るのは知恵ではなく、思考停止の自己放尿の液体だ。

2026-01-21

anond:20260121161530

先進国出生率2以上を達成しているのはイスラエルだけだね

ここは超正統派っていうユダヤ教のすごい信者出生率5とか6とかでカバーしてるんで

正直今の自由主義と両立するなら宗教に頼るしかないと思う

 

どうすればいいんだろうね?

環境問題と違って、まだ世界は「子供が減るなら減ればいい。その方が地球環境にいい」みたいな話をしてて

足元の持続可能社会崩壊に気付いてないんだ。

グレタ・トゥーンベリ少子化版みたいな活動家が生まれればいいのかな

2026-01-14

anond:20260114184139

俺は仏教神道以外の宗教を本気で信仰しているやつら全員が嫌いだよ

イスラームキリスト教ユダヤ教も大嫌いだ

2026-01-10

俺は宣言する。今年は無用自己放尿はしないと

ストア派格言人生訓として消費する連中は、だいたい「コントロールできるか否か」で思考を止めて自己放尿する。

浅い。あまりに浅い。それは哲学ではなく、精神安定剤用法用量だ。エピクテトスが言っていたのは慰めではない。行為選択最適化条件だ。

そして最適化には、必ず目的関数評価軸が要る。俺はその評価軸を三つに拡張する。

制御可能性、人生に対する効果量、そしてユダヤ教善悪。この三つを同時に満たさな行為は、例外なく無用自己放尿である

まず制御可能性。これは単なる「自分で決められるか」ではない。介入したとき因果の鎖がどこまで自分責任として回収できるか、という問いだ。

世論他人感情組織空気歴史の流れ。これらに口を出すこと自体可能だが、結果を引き受けられないなら制御不能だ。

制御不能もの情動を全投入するのは自己放尿に等しい。朝起きたらおもらしでビショビショだ。

次に効果量。ここが大衆には決定的に欠けている。人生における行為は「どれだけ状態空間を変えるか」で考えろ。

効果量とは、スキル、信用、自由度時間健康といった基底変数に対する偏微分である

SNSでの発露は効果量はほぼゼロ、むしろ負だ。自分は何も積み上げず、時間集中力を溶かし、敵意だけを増やす。これは哲学堕落ではない。自己放尿だ。

そして第三の軸、ユダヤ教善悪。ここを理解せずにストア派を語る者は、必ず冷酷さと倫理区別を誤る。

ユダヤ教善悪とは、快・不快でも、同意不同意でもない。行為が秩序を生むか、責任を引き受けるか、世界を持続可能な方向に押すかという判断だ。

自分気持ちよくなる正義は、たいてい善ではない。責任を取らない善行は、ほぼ確実に悪だ。これは感情論ではなく、共同体の存続条件の話である

ここで三軸を同時に考える。制御可能で、効果量が正で、善が正。この条件を満たす行為は驚くほど少ない。

学ぶこと、身体を鍛えること、沈黙すべき場面で沈黙すること。

逆に、制御不能効果ゼロ倫理的に負。これが最悪だ。

これは単なる自己放尿ではない。倫理と理性のダブル放尿である自分だけでなく、周囲の床まで濡らす。

ストア派は「感情を捨てろ」とは言っていない。怒りは境界侵害シグナル、恐怖はリスク兆候快楽依存前兆だ。

それらをそのまま行為に変換するのは、センサー出力を直接アクチュエータにつなぐような設計ミスである暴走する。

哲学とは、感情行為の間に厳密な評価関数を挟む技術だ。

現代人は逆をやる。まず感情を出力し、後から理屈を貼り付ける。しかもそれを「誠実さ」と呼ぶ。

違う。それは責任回避自己放尿だ。自分行為世界に与えた影響を測らず、善悪の帳簿もつけず、制御不能対象に全力で介入する。その結果、人生は何も進まない。床は濡れ、臭いけが残る。

から俺は宣言する。無用自己放尿はしないと。

制御できないものに怒りを投資しない。効果量がゼロ行為時間を賭けない。倫理的に負の行為快感を得ない。結果を引き受けられない行為はやらない。

これは高潔さの宣言ではない。最低限の設計仕様だ。

世界感情トイレではない。そこで漏らすな。引き受けろ。そして乾いたまま次の一手を打て。それだけだ。

2025-12-18

宗教を信じる科学者は、時期はいろいろにせよさすがに高度な教育を受けている以上どこかでなぜ他の宗教があることも知ったはずなのに、その宗教を信じ続けるのだろうか?

この世界にその創造等に関わるなんらかの超越的な存在がいると信じるのはわかる。

でも既存宗教はその超越的な存在に該当する存在に関して設定が多すぎる。

なぜ三位一体であることを信じるのか?なぜムハンマド神託したことを信じるのか?

自分が信じる以外の宗教を知った途端その人の宗教観は(まともな知性を持つならば)相対性を持つことになる。

まり宗教とは誰かの超越者観でしかないことを悟る。それと完全に一致する考え方を持つことなどあるのだろうか?

特定宗教が説いていることの一部について「自分が思っていたことと同じだ」と納得し肯定するのならおかしくない。

しかしそれは自分が信じていることに特定宗教と重なる部分があるとしかいえず、それではその宗教を信じている、宗教信徒である、とは言えない。

アインシュタインユダヤ教を信じ切ってはいなかったそうだが、カトリック等の科学者ルメートル等確かにいる。

超越者についてどんな仮定を置いてもそれは自由だろうが、とにかく突き詰めれば宗教というのは一人一派になるはずでないか?ということだ。

dorawiiより

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2025-12-14

ユダヤ教徒イスラム教徒に来てほしくない…

オーストラリアシドニーユダヤ教祭りが開かれていて、そこをパキスタン人が銃撃して12人死亡。

こういうの日本で起きてほしくない。でもユダヤ人イスラム教徒日本に入ってきたら日本国内で争う可能性があるわけでしょ。

やすぎる…どっちも入ってきてほしくない。オーストラリアってユダヤ教国でもないしイスラム教徒国でもない、なのにこういうことになってる。日本が後追いみたいにこうなるのいやすぎる。

2025-12-12

クリスマスから年始まで、ピザ屋が開いてない!と思う人がいるかもしれない。確かに欧米ピザ屋の店員は、今頃から休暇の予定で頭がいっぱいで、12月は穏便に済ませたいと思うかもしれない。しかし、安心してほしい、🇮🇱はユダヤ教だし、🇷🇺は正教なので、開いているはず。むしろ、この時期、🇮🇱の裁量が大きくなって、特大ピザ割引セール「大出血サービスなんてあるかも。

2025-12-10

最近は、以前と違い、あらゆるSNSフォロワーゼロいいねゼロなんです。これはどういう神の試練なのですか?

まず、あなたが感じている孤独不安は、とても自然ものです。SNSで反応が減ったとき自分価値まで揺らいでしまうことがありますよね。

ユダヤ教では、「なぜ神がこれを与えたのかを確実に知ることは人間にはできない」と教えています

タナフにも次のような言葉があります

「主の道は人間には測りがたい」(イザヤ書 55:8–9)

まり、「反応が減った=神が罰している」とはまったく限りません。

しろタルムードでは、試練は以下の三つの目的のどれかであることが多いと言います

1. 人の内にある力を引き出すため(タルムードベルホット 5a)

2. 心の方向を静かに見直させるため

3. 新しい段階に行く準備としての間

SNSで反応がないという状況も、もしかしたら外の声が静かになったことで、自分自身の声を聞く時間なのかもしれません。

タナフの詩篇にはこうあります

「人は外見を見て主は心を見る」(サムエル記I 16:7)

フォロワー数やいいねは外側の表面であって、あなた価値を測る基準ではありません。

ユダヤ教的に言えば、次のような方向性がありえます

あなたが今感じているつらさは、神の罰ではなく、むしろ 成長や方向転換の静かなプロセスかもしれません。

2025-12-05

anond:20251205085910

ユダヤ教西洋なのか?東洋なのか?」 という二分法をそのまま受け取るのではなく、タルムード的に前提そのものを問い直す必要があります

ユダヤ教本来地理的にも思想的にも「中間領域(ミドルワールド)」にある伝統です。

東洋哲学に「複雑を複雑のまま受け入れる」という傾向がある、という一般論があるのは確かです。

たとえば道家の「道は語れば失う」や禅の矛盾思考など。

対してユダヤ教特にラビ伝統)は:

まり「複雑 → 単純」の西洋とも違い、「複雑 → 受容」の東洋とも違う。

タルムードは明らかに複雑ですが、複雑を複雑のまま放置しません。

複雑な議論を:

1. 質問で切って

2. 反論さらに切って

3. 前提を疑い

4. 答えが出なくても、その「未解決」までも体系化する

これは西洋の理性主義と似ているようで違い、東洋の受容とも違う。

タルムード的特徴はまさにこれ:論争そのもの価値とする。

ユダヤ教は東でも西でもなく、それ自体で一つの「道」である

ユダヤ思想根本質問 → 論争 → 多層解釈実践というサイクルで、どちらの文明圏にもない独自スタイルです。

特徴 東洋西洋ユダヤ
複雑さへの態度 受容 整理・単純化 分解し議論し、複雑さも残す
真理観 調和 一元 多元(エルーシュ:「両方とも神の言葉」)
学問の基本 体験直観論理・体系 論争・質問解釈

ユダヤ本質的第三の道です。

2025-12-01

anond:20251128222924

別に黒人でもエロいやつはエロいよ。

でも別に白人だとかアジア人だとかを無理矢理黒人化することは性癖押し付けであって正しいことではないよ、って話。

増田黒人でシコる分には構わんよ。

 

ラッパーで言うならニッキーミナージュとかはギリエロさを感じるけど、ドチーぐらいになるとうーんってなる。アイススパイスエロい

女優で言うなら、ゼンデイヤエロく感じる時があるが、ウーパーゴールドバーグオモロいが勝ってしまう。

モデルでいうなら、ニャキムガトウィッチは黒すぎてようわからんが、ナオミ・キャンベルはわかりやすく美しい。アノックヤイは可愛く見えるが、歳下だから可愛く見えるのかもしれん。

これもめちゃくちゃ好みがそんな感じ、という話であって、全人類こうなるべき、とはならん。逆に目障りだ。

黒人ゲイナードがケツ振ってても無理すんなよとはなるが、リルナエックスのPVでいい身体してんじゃんと思ってしまったのは内緒だ。

そういうものを受け入れていく空間はあっていいと思うが、あるべきだとか、認めるべきだとか、お前はコレを食えだとか、僕の涙の黒人ゲイユダヤ教チンポを喰らえだのは“いい”という文字言葉尻を捕まえすぎだと思う。

 

他人が『まぁこラインならイケるんじゃね?』と設けているもの無視して“正しい”で進めてくるのは間違いだし

もっと言うなら二次創作一次創作した奴らの心理的エールにはなるが、厳密には『あんま大々的にやられてもそれ俺らの著作物からな。覚悟しとけよ。』という話になる。

これは無理矢理キャラ同士でセックスさせたり、ゲイにしたり、触手動物ゴブリンに襲わせたり、ちびキャラにしてちび可愛い生活描写したりしてる奴らも含めて。

人格排泄?黒人化?箱化?お前ら異常性癖すぎるだろ…

ま、応援気持ちだと思って目を瞑ってやるがな…

基本的見解じゃねえかね。

 

から増田黒人でシコる分には構わんと思う。

細川バレンタインだって『俺の好みはお尻がパウン!なんだよ、乳首レーズンでも構わない。お尻がパウン!』って言ってたし。

ただ他所様の著作物を無理矢理黒人にするまでは勝手にやってりゃいいが、それを“正しいことをしてやった!”とするのは、変態紳士としての態度ではないし、正しいってことは元ネタ様にも喧嘩を売ってるってことか?

となる。

 

黒人ナードガールが頑張ってフリーレンの格好してるのはちゃん可愛いと思う。

anond:20251201133556

あなた感覚はとても正しいです。「愚者が勝っているように見える状況」は、タナフもタルムードもすでに鋭く描いています

実は、ユダヤ思想愚者が勝つ現象を前提として語るのです。

以下は、ユダヤ視点からのなぜ愚者が勝ってしまうのかとそれにどう向き合うかの答えです。

🔥 1. タナフはすでに言っている

愚者はすぐに騒ぎ、名を売る」箴言 12:16

これは、まさに炎上狙いのインフルエンサーの行動そのもの

さら

愚者自分の愚かさを楽しみ、賢者は静かに歩む」箴言 15:21

タナフは「愚者は派手で、注目を集める」と明言しています

🔥 2. タルムード:世は必ずしも正しく報いるとは限らない

有名な言葉があります

「なぜ繁栄するべきでない者が繁栄するのか?」Berakhot 7a

賢者たちもまさにあなたと同じ疑問を持っていました。

タルムードの答えはこうです:「この世は不完全であり、正義はしばしば遅れて現れる。」

まり

という立場です。

🌊 3. 愚者が勝つように見える理由:声が大きいだけ

愚者言葉を増す」コヘレト伝道の書) 10:14

声が大きい者が勝ったように見える。

アルゴリズムSNSの速度、スキャンダル消費の文化

タルムード的に表現すると

「騒ぎは本質ではなく、泡のように消える」Pesachim 116b

派手なものほど長持ちしないというユダヤ認識は一貫しています

🕯 4. ユダヤ思想の逆説:静かに積み上げる者が最終的に勝つ

賢者の実りは時を経て現れる」箴言 12:14

「本物の影響はゆっくりと根を張る」Avot 1:1

SNSでは愚者が勝つように見えるかもしれない。しかユダヤ思想では、

と線を引きます

⚔️ 5. では、どうすればいいのか?

ユダヤ思想の答えは過激なまでに明確です:

愚者競技場に降りる必要はない。」Avot 4:14

インフルエンサーのように騒ぎで勝つ競争は、そもそも賢者土俵ではない。

賢者がやるべきは次の3つ

1. 言葉責任を持つこと(Avot 1:17

2. 小さな共同体で深い影響を生むこと(Avot 2:5)

3. 長期的に残る価値を築くこと(Shabbat 31a)

まり短期勝利 vs 長期の価値という戦いなのです。

🌱 6. ユダヤ歴史のものが答え

派手な帝国も、流行も、騒ぎも消えた。その中で、静かに学び、積み重ねたユダヤ教の伝統けが残った。

タルムードは何度も言います

「騒がしい者は消え、学ぶ者は残る。」Sotah 13b

🎯 結論愚者が勝つように見えても、勝ってはいない

炎上で得た注目は、価値ではない。静かに積み上げた知恵と行いこそ、最終的に現れる力である

タナフもタルムードも、そして歴史も、この一点で完全に一致しています

2025-11-29

こんな夢を見た。

2025年12月のある真夜中、モスクワ崩壊した。何が起こったか世界は知りえなかった。12時間後、北京政府地球から侵略者に備えると宣言し、シベリアに軍を派遣した。しかしその軍は跡形もなく崩壊してしまった。その12時間後、北京崩壊した。

まだ世界は何が起こったか理解できなかった。その中で朝鮮の太っちょは側近を連れシベリアに向かった。彼はロシア中国に何があったか少し知っていた。太っちょがシベリアにつき、何者かに接して24時間後、朝鮮軍は全長20kmを超える三機の漆黒モノリスの助力を得て南進した。南進開始より48時間経たず、南の国家崩壊し、太っちょは朝鮮半島の統一宣言し、アメリカのトラ大統領中国周辺の各国首脳を、ピョンヤンに招くと伝えた。

崩壊したモスクワでは、朝鮮半島とは別の深紅モノリスより現れた仮面人物により新生ロシア政府の成立が宣言された。ウクライナに即時の現状維持での停戦を求めたが、ウクライナはそれを拒否した。そして、言ったはずだ!同志になれと!!なぜそれが判らなかったのだぁ!!!とのメッセージとともにキエフもまた崩壊した。キエフ崩壊してから24時間モスクワからリヴィウに、今度は蒼鉛のモノリスが向かった。時を同じくして、何かを知っていたローマ教皇バチカンに集めた枢機卿を引き連れてウクライナに向かった。モノリスリヴィウにつき、中からでてきた初老男性がプッチン以下をウクライナに引き渡した。ローマ教皇一行はモノリスから人物の前に跪き、神よとあがめたが、その人物は、神とは違うのだよ!神とは!と答えた。NATO各国も初老男性接触しようとしたが、すぐさま蒼鉛のモノリスとともに消え去り、詳細を得ることはできなかった。

数日後、トラ大統領中国周辺国家の首脳は日本に集まり事前協議をした後、横田基地より米軍機に乗りピョンヤンに降り立った。朝鮮の太っちょが議長となり、各国首脳とモノリスから現れた人たちの会談が開かれた。主を失った中国は、当面周辺各国が進出し、難民流出を押しとどめ、分割統治が行われることが決まった。日本は現地人の対日感情が悪いということで、何ももらえなかった。朝鮮軍の南進によって捕虜となっていた在韓米軍モノリス人物好意で、モノリスによって丸ごと横田基地に運ばれることに決まった。トラ大統領一行もモノリスに同乗し、その技術力に目を見張った。

横田基地に帰還したトラ大統領一行により、詳細の発表が行われた。失われた十部族が帰ってきたのだと。十部族地球帰還に際し、無人シベリアを帰還地としてロシア交渉していた。おりしもウクライナ戦争で不利になったプッチンが、台湾進攻を企てていたプーとともに、十部族の持つの技術を奪取しようとしたが、返り討ちにあったのだと。

その横で日本女性首脳は踊っていた。

敵か味方かわからない十部族について世界各国は動揺した。それを静めるため、太っちょとトラ大統領の計らいで、後日十部族の長たちが国連演説することとなった。

数週間後、白銀モノリスで、十部族の各長が国連に到着した。降り立ったのはすべて女性であった。そして、その長達によって驚くべき歴史事実公表された。

ユダヤ一神教の神とは、宇宙航行種族であったこと。航行種族地球発見以来、詳細な人類史の記録があること。知性の萌芽を見つけた宇宙航行種族は、宇宙の法を教えようとしたが、ユダヤ民族以外は受け入れなかったこと。十二部族他民族に滅ぼされかけたので、従った十部族だけ緊急に航行種族ルナベース保護されたこと。ローマ帝国成立後、航行種族は介入を止め、観察に徹したこと

イエスは十部族と関連があった人物であったが、規則を破り、他民族にも宇宙の法を広めようとしたこと。6壺のワインと、5000人分のパンUBERで注文したが、代価を払わなかったこと。そのため罰として、地上で処刑されるとき見放し、のちに復活させて収監したこと大陸の東の孤島に収監する前にローマから逃げるパウロに会わせたことが、偶然カトリック教会の礎になったこと。現地妻との間にできた子供誕生祝いのコップを贈っているが、それは聖杯ではなく収監先の津軽焼のお土産であること。

この時イエスの拘束された写真が表示されたが、聖骸布とは似ても似つかぬ、丸顔に無精ひげのおっさんであった。

そして、マホメットとは十二部族とも航行種族とも何の関係もないことが語られた。

世界パニックに陥った。ローマ法王はまだ沈黙を続けている。イスラム圏では、それでもイスラム教を信じるもの棄教するものとの争いになった。

まだ公表は続く、七十人訳聖書誤訳について、旧約聖書舞台現代イスラエルではなく、紅海東岸イエメンサウジのある場所であること。

十戒を下した場所特定され、出エジプト記ルートも従前言われたエジプトからではなく、アラビア半島内での逃避行であったことが明示された。

(そりゃ国家成立後70余年掘り返してみてもユダヤ遺跡なんか見つかるわけないわ、各国の聖書考古学者は嘆き、その人生を後悔した。)

イスラエルにいるユダヤ人とは血統的に十二部族とは関係がないこと、それ以上にパレスチナ人の方が残された二部族血統が近いこと。

ローマ帝国の滅亡により、帰還が1000年遅れたこと。そしてローマ帝国の滅亡の轍を再び踏もうとしたため帰還予告を送ったこと。

ファティマの預言とは、十部族の帰還の予告であった、百年待っていて下さい、きっと逢いに来ますから。その時までに文明崩壊をさせないようにという警告も含めていたことであった。なぜファティマが選ばれたか?それはたまたま部族の地上関係者の居住地の近くだったに過ぎない。

日本神話とギリシャ神話インド神話はそれぞれ実際に起こったことを神格化したに過ぎず、アトランティス現在ドニャーナ国立公園にある。

そして、所定の場所を掘ればそれなりの遺跡が出るとのことだった。

バベルの塔は、塔ができたことにより、いろいろな言語を話す人たちが集まってきたが、落雷で壊れ、その時の混乱が大げさに伝わったものだった。

ノア洪水はかつて地中海は干上がっていたが、そこに黒海より水が流れ込んだ時の出来事であったとか。

(まぁ、昔だから距離とか偉業とかは口伝で正確ではなく、記録が定まったときには大げさになってるだろうと、各国の歴史学者は妙に納得した。)

ムー大陸ノストラダムス予言に至っては、チャーチワード詐欺でありまた、詩集他人勝手拡大解釈したものバラされた。

カルト宗教陰謀論信者たちは、それでもこれらを信じた。)

航行種族より十部族にも公開されてない史実があるらしい、それは総会後の雑談でもたらされた。

インダスシュメール?あれはねぇ、ちょっとした失敗らしいの、前だから詳しくは教えてもらえなかったの。

でね、ピラミッド航行種族転送装置を、現地人が真似て作ったもの。真似だから動かないし、時代を経るごとに大きくなっちゃたらしいの。

巨石遺跡や隙間のない石垣は、現地人がやってくれたら法を学んでくれると言われたからやったらしいけど、結局学んでくれず、放置されちゃった名残りだって、等々。

部族はすでに月の裏側ラグランジュポイントシオン公国を築いており、地上ではシベリア基地を持っていたので、約束の地放棄する方針であった。

そしてルナベースには航行種族の系外へのワープ施設が設置されているとのことだった。(ちなみにこの施設、一回動かすのに13バクトゥンかかるらしい。)

その発表後、ローマ法王は真実の隠匿を認め、カトリック教会解散宣言し、マラキの予言通り、最後法皇となった。カトリックより分派した宗教は、カトリック以上にそれぞれの存在意義を失った。

中東は大混乱に陥った。まず、イスラエルはその存在意義を失った。イスラエルを離れるもの、一個人として残るものと様々であった。

パレスチナ人は、今更ユダヤ教に改宗してどうする?と血統と信教の板挟みに陥った。

サウジイエメン国内にある聖書遺跡約束の地の扱いに苦慮する羽目になった。

イランでは原理主義たちが棄教者たちを虐殺するに至った。

欧米では宗教意義を失った移民と現地民との間の軋轢が高じ、無政府状態に陥った地域もあった。

各国の陰謀論者たちは歓喜したが、思い至らなかったこと、関係者ではなかったことを悔やんでいた。

台湾は将来の中華統一を目指して、関係各国と粛々と交渉を始めている。

太っちょは、十部族の一番弟子統一英雄大朝鮮帝国初代皇帝自称し、認めたくないものだな自分の有能さを、とにっこにこである

日本では、少し?物価高になったが、相も変わらず、日常が続いている。

かくして天国の門は開かれた。七つの大罪を背負うものは地上に留め置かれ、七つの徳を成したもの昇天する権利を得た。

なお、日本女性首脳はまだ踊っている、あぁ時間(とき)が見えると。

おしまい。』

2025-11-26

タルムード現代価値観直交

以下は、タルムード価値観現実社会で広く認められている価値観比較したもの

タルムードユダヤ教内部の法・倫理体系であり、現代社会宗教文化を横断した価値観を持つため、当然のことながら直交(衝突または独立)する部分がある。

1. 個人主義 vs. 義務中心の世界観

タルムード世界では、人間はまず義務を負う存在

ミカ 6:8 「主があなたに求められることは…正義を行い、慈しみを愛し、慎み深く歩むこと。」

それに対し、現代西洋社会を中心に、

が強調されるようになった。

2. 家族共同体中心 vs. 個人の自立

タルムードでは、家族共同体を中心とした価値観が強い。

出エジプト記 20:12 「父と母を敬え」

現代社会では、

タルムード「人は共同体なしに生きることはできない(ピルケイ・アヴォット)」

現代自分独立して生きることが成熟

3. 義務的な施し(ツェダカ) vs. 自由意志の寄付

タルムードでは、ツェダカ(慈善)は義務。貧者を助けるのは道徳ではなく法律

申命記 15:7 「あなたの手を閉ざしてはならない」

現代社会では、寄付は良い行いだが義務ではないことが多い。

4. 伝統継続性 vs. 変化・流動性

タルムード継続性を重視する。

一方、現代社会では

5. 行為中心 vs. 内面中心

タルムードでは、重視されるのは行為善悪は何をしたか判断される。

現代社会では、

まとめ

テーマタルムード価値観現代社会価値観
自由 vs 義務義務中心 自由中心
個人 vs 共同体共同体家族個人
慈善 法的義務任意
社会の変化 伝統を維持 変化を歓迎
倫理の軸 行為中心 内面意図中心

2025-11-09

弱者男性批判する人たちに、ユダヤ教からなにかツッコめることはありますか?

弱者男性という社会的レッテルやそれをめぐる議論に、ユダヤ教視点から何か言えるかということですね。

1. ユダヤ教では人の価値地位や力ではなくツェレム・エロヒム(神の像)

まず最も基本的観点として、ユダヤ教はすべての人間が神の像(ツェレム・エロヒム, צֶלֶם אֱלֹהִים)に創られたと教えます創世記 1:27)。

この考え方からすれば、人を強者/弱者とラベル付けして価値づける発想そのものが誤りです。

一人ひとりが神の像を宿しており、その尊厳社会的成功能力では決まりません。

したがって、弱者男性批判する言説に対してユダヤ的に言えばこうツッコめます

あなたが『弱い』と決めつけているその人も、神の像を宿している。あなたは神の像を軽んじていないか?」

2. タルムード倫理他人の恥を暴くのは血を流すことと同じ

タルムード(バヴァ・メツィア 58b)はこう教えます

「公の場で他人を辱める者は、血を流す者に等しい(מלבין פני חבירו ברבים כאילו שופך דמים)」

SNS上などで弱者男性などとレッテルを貼り、嘲笑したりすることは、まさにこの教えが戒める行為に当たります

相手社会的血を流してしまうようなものです。

3. ピルケイ・アヴォット(先祖言葉)の教え:「誰が強い者か?」

ピルケイ・アヴォット(賢者言葉)4章1節にこうあります

「誰が強い者か? 自分欲望を制する者である。」 (אֵיזֶהוּ גִבּוֹר? הַכּוֹבֵשׁ אֶת יִצְרוֹ)

ユダヤ的には、真の強さとは他人支配する力や経済力ではなく、自分内面制御できるかどうかです。

まり弱者と呼ばれる人の中に、もっとも強い魂を持つ人がいるかもしれない。

4. まとめ

ユダヤ教視点から見ると、こうツッコミを入れられます

「人を弱者と呼ぶのは、あなたが神の像を見損ねている証拠ではないか?」

「本当の強さは、他人を嘲ることではなく、自分の欲を抑えることだ。」

2025-11-07

神の似姿に創られた存在、と言いますが、箴言ではきっぱりと愚者に対しての扱いを言ってますよね?

箴言ミシュレイ)では、確かに愚者(כְּסִיל/kesil)に対して厳しい言葉がたくさんあります

たとえば次のような節があります

愚か者に答えるな、その愚かさに従って。さもないと、お前も彼のようになろう。

しか愚か者に答えよ、その愚かさに従って。さもないと、彼が自分を賢いと思うであろう。」

箴言 26:4–5)

このような節は、一見「神の似姿としての人間」という考えと矛盾しているように見えます

しかし、ユダヤ伝統的な解釈では、これら二つの概念矛盾せず、むしろ補い合うもの理解されています

ユダヤ思想では、「ツェレム・エロヒム(神の似姿)」とは人間本質的尊厳を指します。

それは、生まれながらに神の創造によって与えられたものであり、誰も失うことはありません。

一方、箴言で語られる愚者とは、道徳的知的選択の誤りを繰り返す人を指します。

まり愚か者とは存在否定ではなく、行動や態度の批判なのです。

ラビ・アヴィグドール・ネーベンツァール(現代エルサレム学者)はこう説明します:

トーラー人間を決して切り捨てない。愚かさを切り捨てるのだ。」

箴言は知恵文学であり、感情的非難ではなく、人間の行動を正しい道に導くための現実的アドバイスです。

例えば、箴言14:7にはこう書かれています

愚か者の前を離れよ。そこには知識言葉がない。」

これは「愚か者は神の似姿ではないから関わるな」ではなく、「あなた自身が愚かさに引き込まれないように、距離をとりなさい」という心理的倫理的アドバイスです。

まり箴言は人の尊厳否定せず、愚かさの影響を避ける智慧を教えています

タルムード(ペサヒーム 113b)には次のような教えがあります

「三種の人とは交わるな……しかし、すべての人を平和の心で迎えよ。」

まり、行動上は距離をとる必要がある相手でも、心の中ではその人の内なる神性(ツェレム・エロヒム)を忘れないという態度を求めています

ラビヒルレルも言いました(アヴォット 1:12):

「人々を愛し、彼らをトーラーへと導け。」

それは、「愚かさを嫌っても、人を嫌うな」という倫理です

教え 内容 目的
神の似姿(創世記1:27) すべての人間存在価値尊厳の土台
愚者への警告(箴言 行動・言動に対する現実的指針 自己防衛・知恵
タルムード調和 人を嫌わず、愚かさを避ける 愛と現実バランス

まりユダヤ教は愚かさを厳しく戒めますが、愚かな人そのもの否定しません。

彼(または彼女)にも神の似姿がある。

しかし、その行動が有害なら、その影響を避けつつも、心では憎まずにいる。これが箴言と神の似姿を両立させる視点なのです。

尊敬する人物失望した時

Q: 私は最近、ある気付きがありました。

それは、最初から愚者クズであると私が思っている人間発言には動揺しませんが、私が尊敬している人間攻撃言動などをしたときにより大きな失望を感じるということです。

私は最近、ある物理学者ツイートで「idiotであるなら、少なくとも有用でいろ」という発言がありました。

この人は尊敬していたのですが、他人をidiotと言ったり、有用というまるで人を道具扱いする言動を見て失望したのです。

このような事象に対し、ユダヤ教はどうサポートする?

ーーー

あなたの感じた「尊敬する人が攻撃的な言葉を使った時の失望」は、人間関係の中で非常に普遍的体験です。

そして、ユダヤ教の教えには、このような感情にどう向き合うか、またどう自分の中で整理するかについて多くの知恵があります

ユダヤ教では、すべての人間は「ツェレム・エロヒム(צלם אלוהים)」神の似姿に創られた存在だと教えます創世記 1:27)。

まり、誰もが神的な価値を持つと同時に、不完全さをもつ存在です。ラビたちは「賢者であっても、時に罪を犯す」と語ります(コヘレト・ラッバ)。

あなた尊敬する物理学者も、知性において優れていても、人格言葉においては未熟な部分があるかもしれません。

ユダヤ教的な視点では、その人の一部の欠点が、全体の価値を打ち消すわけではないと考えます

あなたが感じた違和感他人をidiotと呼ぶ」「有用であることを人の価値とする」これはユダヤ教で非常に重く扱われるテーマです。

ラションハラー(悪口・悪意のある言葉)」は、タルムードで「三人を殺す」と言われています

悪口は三人を殺す――話す者、聞く者、そして語られる者」(アラヒン 15b)

まり、その発言は話した人自身にも悪影響を及ぼすのです。

ですからあなた失望は、実に深い倫理的感受性の現れです。ユダヤ的に言えば、あなた言葉の聖さに敏感であるということです。

ミシュナ「アヴォット(先祖の教え)」ではこう述べられています

「人をすべて、善意の側から判断せよ」(アヴォット 1:6)

まり、もし可能であれば、「彼は苛立っていたのかもしれない」「彼なりの不器用表現かもしれない」と、一度は善意で捉えてみる姿勢を持つように、と教えます

これは相手行為を免罪することではなく、「自分の心を恨みや幻滅に支配されないようにするため」の精神的防御でもあります

ユダヤ学者ラビ・ナフマン・ミ・ブレスラフはこう教えました:

他者の中に欠点を見たなら、それは自分の中にある何かを映している鏡である。」

あなたがその物理学者言葉に強く反応したのは、「人の尊厳を守る」というあなた自身の大切な価値を裏切られたと感じたからです。

それは痛みでもあり、同時に、あなたが深く倫理的思慮深いである証拠でもあります

ユダヤ教的に言えば、このような経験は次のように整理できます

1. 人は誰でも不完全である(ツェレム・エロヒムの一部)

2. 言葉には霊的な重みがある(ラションハラーの禁止

3. 可能なら善意で捉える(ダン・レカフ・ズフート

4. 自分価値観を再確認し、他者に頼らず内なる光を保つ

anond:20251106235348

この主張は「自己肯定ナルシシズム自己愛)」という混同を指摘していますが、ユダヤ教立場から見ると、少し異なる方向から答えが与えられます

ユダヤ教では、人間存在のものが神によって創られた尊厳あるものとされます

「神は人を御自身のかたちに創造された」(創世記 1:27)

まり自分肯定するということは、自分存在が神の創造の一部であり、神の像を宿す者として価値があることを認める、という意味になります

これは「自分の顔が美しい」や「自分特別だ」というナルシシズムとは違い、「神が私を創ってくださったゆえに、私は価値ある存在だ」と認める謙虚自己肯定です。

ラビアキバピルケイ・アヴォート(先賢の言葉)にてこう述べています

「愛されているのは人間である。なぜなら人は神の像に造られたからだ。

さらに愛されているのは、神の像に造られたことが知らされていることである。」(アヴォート 3:14)

この教えは、行動の善悪だけでなく、人間存在のものがすでに神に愛されているというメッセージです。

ただし、その愛を裏切らないようにトーラー律法)に基づいて行動する義務がある。ここで倫理・行動の肯定が加わります

自己肯定するとは、神があなたを創り、あなたの中に神の像を置いたことを認めることだ。

それは傲慢ではなく、感謝表現である

そのうえで、自分の行動を倫理的に整えることが、神の像にふさわしく生きる道である。」

ご参考までに、ラビ・シュネル・ザルマン(タニヤ)もこう書いています

自分卑下することは罪である。なぜならそれは神の創造否定することになる。」

2025-11-05

anond:20251105191903

とても興味深いテキストですね。

内容としては、現代的なニヒリズム虚無主義)を感じさせます

人生意味はない、努力も業績も最終的には消える、誰も自分を見ていないという主張は、ある種の哲学的冷徹さをもって書かれています

ユダヤ教的な観点から見ると、これは根本的に人間世界に対する視点が異なると言えます。以下に、ユダヤ思想との対比を示します。

1. 誰もお前を見ていない vs. 神は見ている

この文書根底にあるのは、他者視線から自由になることで救われるという思想です。

一方、ユダヤ教では他者よりも神の視線が中心にあります

「人は心を見ることができないが、主は心を見る」(サムエル記上 16:7)

まり、たとえ人間あなたを見ていなくても、神はあなた内面と行いを見ている。

この認識は、ユダヤ的な倫理観の根幹です。

人の目を気にすることから自由になるのはよいが、それを誰も見ていないから何も意味がないと結論づけるのではなく、神が見ているからこそ自分の行いには意味があると捉えるのがユダヤの方向です。

2. 努力意味を持たない vs. 努力のものに聖性がある

この文書は、努力も結局消えるという無常観を述べます

ユダヤ教も確かに人間人生ははかないと認めますが、それを無意味とは見ません。

「われらの手のわざを確かにしてください」(詩篇 90:17

ラビ・アキヴァなど多くの賢者は、「行為の結果が見えなくても、行為自体が神の意志の一部である」と教えます

タルムードアボット 2:16)ではラビ・タルフォンがこう言います

あなたはすべての仕事を終える義務はないが、それを怠る自由もない。」

たとえ努力の結果が風化しても、その努力の瞬間は永遠価値を持つのです。

なぜなら、それは神の創造継続参与しているからです。

3. すべては無に帰す vs. 無の中に隠された神の目的

文書最後には無意味を受け入れたときに人は自由になるとあります

これは禅や現代哲学の影響にも似ています

ユダヤ思想でも、「アイン(אין)=無」という概念重要です。カバラでは、「アイン・ソフ(אין סוף)」=「限りなき無限なる神」として語られます

しかしその「無」は、意味の欠如ではなく、意味の根源です。

まり無意味ではなく、意味理解を超えたもの

人間には意味が見えなくとも、神の次元では秩序と目的存在すると考えます

4. 意味求めない自由 vs. 神との関係における自由

ユダヤ教では、意味求めないことは自由ではなく放棄とみなされます

自由とは、神の像に似せて創造された存在として、自らの責任を引き受ける自由です。

「見よ、今日、私は命と善、死と悪をあなたの前に置く」(申命記 30:15)

ユダヤ教における自由は、何でもできるではなく、正しいことを選ぶ力です。

したがって、意味求めない自由よりも、意味を創り出す自由が尊ばれます

✡ 総括

この文章洞察は、一面では他者の期待から自由になるという点で真理を含みます

しかし、ユダヤ視点では意味否定は救済ではなく、神との関係の断絶です。

真の救いは、意味を見出せない時にもそれでもなお意味があると信じるところにあります

「たとえ彼が私を殺しても、私は彼に望みをかける」(ヨブ記 13:15)

2025-11-04

狂った世界に一度行って戻ってくると、如何に人類が互いに似ているかがわかる

俺は錯乱して主観現実が狂った時に、「俺の認識操作して世界を安定させる」という世界線に行った

俺の認識が狂うと世界が狂うので、周囲の人達は俺の認識うまい具合に利用して安定させようとする

このような価値観世界のどこへ行っても存在しないだろう

そのパラレルワールドからこの世界に戻ってくると、宗教が多様だとはいえ類似点はかなり多いと思える

例えばユダヤ教仏教には「足るを知る」といった共通アイデアがあるし、倫理を説く宗教には「黄金率」という類似概念がある

狂った異世界人間コミュニケーションを取るのは不可能と思ったが、この世界人間たちとコミュニケーションを取って友になるのはずっと簡単だと思うわけである

相違点ばかりではなく、類似性に目を向ければ、世界にはまだ救いがある

かにキリスト教には悪魔概念があるが、ユダヤ教にはない」と言うと、倫理根本が全く異なるという印象を与えるが、

創世記」「箴言」「十戒」といった経典共通しているという点に着目すれば、まったく未知の言語を話すわけではないというのがわかる

異世界ではこの前提が成り立たなかった。言葉情報を伝える手段ではなく、個々の狂気を増幅する装置になっていた

誰も同じ対象を見ておらず、共通現実仮定するという発想すら存在しなかった

したがって、会話は成立しない。発話は発話として受け取られず、各自幻覚体系に吸収されて終わる

その点、この世界人間たちはまだ「同じ世界を共有している」という最低限の合意を持っている

誤解や対立はあっても、意味が伝わらないわけではない。それは脆いが、なお機能している構造

俺がこの世界で人と対話できるのは、彼らがまだ現実共通参照点として扱えるから

まり、ここではまだ話すという行為現実を維持する機能を持っている

それだけで、この世界異世界よりも圧倒的に救われているといえる

2025-10-31

anond:20251031130014

なるほど、意図がよくわかりました。

あなたが言いたいのは、「もし情弱ビジネス的な構造宗教の中にあるとすれば、それは信者を増やすことを目的とする宗教に現れやすい。ユダヤ教そもそも布教目的にしていないから、そういう構造とは無縁だ」

ということですね。

まったくその通りです。あなたの指摘は非常に的を射ています

ユダヤ教本質的に「布教宗教」ではありません。

たとえばタルムード・イェバモート 47aでは、改宗希望する人に対してまず三度止めるよう教えています

これは「ユダヤ教を選ぶのは重い責任と掟を受け入れることだから、軽い気持ちではだめだ」という意味です。

また、ユダヤ教では「義人である異邦人ゲルトーシャブ)」も神に受け入れられる存在とされ(参照:バビロニアン・タルムードサンヘドリン 105a)、全人類ユダヤ教徒になる必要はないと考えます

まりユダヤ教信者を増やすための仕組みを持たない宗教です。

そのため「情弱ビジネス構造不安を煽って加入を促し、献金依存を生む仕組み)」とは本質的に異なります

ユダヤ教倫理観では、商取引宗教行為も「エメト(真実)」と「ヨシャル(誠実さ)」に基づくべきとされますミシュレー〔箴言11:1「偽りの天秤は主に忌み嫌われる」)。

anond:20251031125739

すべての宗教じゃないぞ

情弱ビジネス布教をする宗教限定される

ユダヤ教布教目的にしないので、単に歴史的に積み上げられた知恵

anond:20251031054948

この主張は「例外を設定することが理論妄想化させる」と言っていますが、特にタルムード思考観点から見ると、まったく異なる理解の体系が存在します。

ユダヤ教おいて、「例外」や「条件分岐」は論理破綻ではなく、むしろ真理をより正確に掘り下げるための手段とされます

タルムードはその典型で、単純な法則提示した後に、無数の「例外」や「場合分け」が登場します。たとえば:

シャバットに火をともすことは禁じられている」

— では、もし病人を助けるためなら?

— では、命に関わらないが苦痛を和らげるためなら?

— では、機械自動で火をともす場合は?

このように、例外を探ること自体トーラーを「生きた法」とする営みなのです。

神は人間に理性を与え、「境界線思索」を求めたとされます創世記 2:19)。例外検討することは、神の創造多様性に応答する行為です。

タルムード議論はしばしば結論が出ません。

なぜなら、ユダヤ思考では、「例外」は理論を壊すものではなく、現実の複雑さを正直に反映させるための器だからです。

例:「人は自由意志を持つ」と「すべては神の計画である」は矛盾して見えますしかし、ラビたちはこの二つを「両立させよう」とします。

神の完全な知と人間部分的自由、その間にこそ真理の緊張があるのです。

あなた提示した主張では、「例外」は理論を守るための防衛反応とされますが、ユダヤ教ではむしろ逆です。

例外を問うことは、理論現実に照らして再検証する道徳的責任です。

律法を学ぶ者は、ただ行うために学ぶ」(アボット 4:5)

まり理論(法)は現実に生きる人を導くものであり、もし法が現実を傷つけるならば、例外を探すことが義務です。

これを「ピクアフ・ネフェシュ(命の保全)」と呼び、たとえ安息日であっても命を救うためなら律法を破ることが許されるとします(タルムード・ヨマ 85b)。

例外を設ける」ことは、理論の腐敗ではなく、真理を現実に根づかせる努力です。

しろ例外を認めない」理論こそが、生命倫理から遊離した「妄想」に陥ります

律法は命のために与えられた。死をもたらすためではない」(エズキエル 20:11 に基づくラビ解釈

2025-10-29

高知能ほど倫理性が低い」という研究引用してナチ正当化する人に、ユダヤ教観点から指摘できることはありますか?

ユダヤ教観点からは、知性と倫理は切り離せないものであり、知識や知能が高いほど、その力を正しい方向に用いる責任がより大きくなる、と考えられています

タルムード(Horayot 10a)に次のような教えがあります

「学識のある者の罪は、学識のない者の罪よりも重い。」

まり知的能力を持つ者は、その分だけ倫理的・霊的責任を負うという考えです。

「知能が高いほど倫理性が低い」という主張は、ユダヤ的には逆説的に「知恵を正しく用いない罪」を指摘されることになります

創世記 1:27 にこう書かれています

「神はご自身のかたちに人を創造された。」

この教えは、人間価値が知能や能力によって決まるものではないことを明確にしています

ゆえに、知能や遺伝特性に基づいて人間の優劣や価値を決めようとする思想ナチズムのようなもの)は、神の創造根本理念のもの否定するものです。

タルムード Avot 3:9 にラビ・ハニナ・ベン・ドサがこう言っています

「行いが知識を上回る者の知識は保たれる。だが、知識が行いを上回る者の知識は続かない。」

これは、「倫理」に支えられない知識は、結局は破壊的になるという警告です。

ナチス・ドイツ科学技術組織知能を持ちながら非人道的行為を行ったことこそ、このタルムード的警告の典型です。

ミカ書 6:8 に書かれています

「主があなたに求めておられるのはただこれだけ、正義を行い、慈しみを愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むこと。」

ユダヤ教倫理の中心はここにあります

知能や力の有無ではなく、「正義」「慈悲」「謙遜」をどう実践するかが人間価値を決めるのです。

ユダヤ教的に見れば、「知能が高いか倫理性が低い」という理屈不正義を正当化することは、次の点で誤っています

1. 知性は倫理から切り離せない(むしろ責任を増す)

2. すべての人は神の像に似せてつくられた(優劣はない)

3. 知識が行いを伴わなければ破壊に至る

4. 正義と慈悲こそが人間に求められる価値

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