はてなキーワード: フィラーとは
先日炎上していた「フィラー」について、昨日の高市首相記者会見がどうだったか見てみた
たまに「ま、」というフレーズを入れることはあったが、20分以上のプレゼンの中で5回も無かった。話自体があちこちふらついてた印象はぬぐえないが、少なくとも「あのー」「えー」をプレゼンでも多用していた石破よりはるかに聞きやすかった
こちらはさすがに「えー」「あの」などのフィラーが度々出ていた。ただしフィラーが多くなりすぎて聞きづらくならないよう、時折一拍置くなど、気を遣って話していたのが印象に残った。
おそらく高市氏はフィラー多用癖があり、それを抑えるよう訓練していた(いる)のだろう
増田も一昔前までフィラー多用癖があった。元々吃音持ちで、学生時代はそれを理由にいじめられた過去があるし、就職活動でも就職浪人してしまう原因になったくらいだ
それを少しずつプレゼン訓練によって改善し、今は年収4桁の正社員にまでなった
「フィラーをNGにすると吃音症の人が排除される」と騒いでる人が居たが、増田は昔から吃音症を理由に排除されていた側の人だったから何一つ共感出来なかった
今、学問系の人や、技術畑の人間で、「「えーと」や「あのー」といったフィラーを出さない方が良いという風潮に……喝! あれはちゃんと考えているという誠実さの証拠!」みたいな言説が流行っていて、まあわかるんだけど、結局俺はミーハーだから、フィラーを出さないでスラスラ喋る人のほうが良く見えてしまうんだよな。
あと、それ以外の話で言うと、技術畑は「プログラミングでエラーが出ると安心する!」と言うが、俺はエラー出るとイライラしてしまう。
多分賢い人の世界は「一見鈍臭く見えても、ちゃんと一歩一歩やることが誠実さ」という価値観なのだろうけど、俺は結局「何でもスムーズにできたほうが良い」というミーハーな価値観でしか生きられない
https://anond.hatelabo.jp/20250627100609
自分は、まだ素朴なニューラルネットワークで光学文字認識(OCR)で精度を出していた頃からこの界隈と付き合いがあるが、現状のAI界隈は少しハイテンションすぎる。
現在の熱狂的なブームは、チャットベースの大規模言語モデルのデモンストレーションが知的に"見える"ことからくる誤解であって、これは誤解させる方が悪い。
誤解させる方が悪く、上記の感想は正しいものだ。そして、使い物になるかならないかで言えば、既に使い物になる。
まず全然使えない例について反論したくなる人もいると思う。2つだけ例題に付き合って欲しい。
1.
カーナビに対して以下の入力をしたが、まったく使い物にならない。
【フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください】
2.
2例は、元記事から採ったものだが、これらが上手く動かないのは直観的に理解できると思う。
目的地への経路を案内するという限られたタスクを行う狭義のAIであるカーナビに対して、ルポ(文脈上は書籍)を探してくれと依頼しても答えは返ってこないだろうし、
入力文を別の言語へと翻訳するという限られたタスクを行う狭義のAIであるGoogle翻訳に対して、MP5サブマシンガンについての知識を問うても返ってこないのは明らかだ。
問題は、ChatGPTをはじめとする現在の生成AIツールが、あたかもそれらを行うことができるように"見せている"点にある。
つまり悪いのはツール提供側であって、誤解した利用者側を責めるのは筋違いである。
カーナビゲーションシステムは、それ以外ができるように見えてはいけないし、翻訳ツールは、翻訳以外が出来るように見えてはいけない。
大規模言語モデルは、本質的には「続く文章を確率的に返す(答える)」というものから一歩も外へ出ていない。
(いくつか異なる手法で同様の結果が得られるものも出てきているが)言語モデルを大規模にした結果、かなり正確な「続く文章」が生成されるようになった、というだけだ。
そのため、幻視(ハルシネーション)という用語は、文学的な意味合いが強く、本来は「たまたま正答する出力が増えている」状態だと定義づけるべきだ。
そのため、「全然使い物にならない」という感想は非常に正しい。
質問して正しい答えが得られているのは偶然だ。
そして仕組み上、正しい答えだけを返すことはできない。
また、「知識を与えたうえで、ロジックを与えて、答えを出させる」ことも出来ない。
つまり"推論はしていない"。少なくとも現時点では出来ないとAppleが論文を出しているし追試結果も正しそうだ。
(正確に言えば、できないと考えられている。言語モデルの改良でこれだけの出力が得られると、少なくとも自分は思っていなかったので、単純にモデルを巨大化するだけで上記の問題も解決できる可能性がある)
ただ、いみじくも元増田が書いているように「自分が知っている、正誤判定できる内容しか、できない」だけで十分に使い物になる分野はそれなりに多い。
仕組み上、大規模言語モデルの出力が正しいか誤っているかは、確率的なものだ。
そして、強固に信じられている内容から、先ほどまで存在すらしなかった内容まで、等しく文章として作り出される。
よく、要約に強い、文脈理解や推論に強いと言われることもあるが、それらも誤解に基づくものであり、正しくない。
確率的に正しい答えを返しがちな内容が、それらのタスクに偏っている、と言う理解の方がまだ近い。
「こういう入力が来た時に、こう返すと、ユーザーが喜ぶと学習した」出力結果を受け取っている状況なので、簡易な理解としては笑点の大喜利だと考えてもらって構わない。
大喜利に対して、そこから正確な答えを得ようとする人はいないだろう。そんな期待をしていないからだ。
逆に言えば、大喜利で問題ないタスクであれば、現状はすこぶる使い勝手が良い。
3.
ChatGPTに対して、以下の入力をすると使い物になる。
【取引先の面倒くさい担当者から飲み会に誘われました。私は行きたくありません。角を立てずに断るメールを考えてもらえませんか?】
この例題には、抜粋すると以下のように予定があるので断るというメール文面が出力される。
「このたびは飲み会にお誘いいただき、誠にありがとうございます。(筆者中略)あいにくその日は以前より予定が入っており、今回は参加を見送らせていただければと存じます。」
これ対して、さらに以下のように追加することもできる。
「既に何度か予定があるとして断っているので、他の断る方法はありませんか。また、飲み会へは今後も参加しないとやんわりと伝える方法は無いでしょうか?」
それらしい回答が出力されるはずだ。読んでいただいた方の手元でも再現できると思う。
4.
ChatGPTに対して、以下の入力をすると使い物になる。
【以下の内容を、簡潔に整理してください。(マイク入力で文字起こしした、漢字かな間違いや重複、欠落、フィラーを含む不明瞭な文章)】
この例題でも、それらしい回答が出力されると思う。
ただし、文章全体が会議体のような文章を多く含むと、おおむね存在しない議題を含んだ議事録が生成される。その方が"打率が高い"からだ。
ただ、まったく使い物にならないものになる可能性が比較的低く、大幅に作業の手間を減らせる。
端的に言えば「人間は、誠意や意識を判断材料にするので、利用を隠しがち」という点に尽きる。
悩みを聞いてくれた相手がAIだと知ると、聞いてもらえていたという感じ方が減る、という研究がある。(AI can help people feel heard, but an AI label diminishes this impact (PNAS, 2024))
これは人間よりもAIの方が悩みを良く聞いてもらえたという優れた結果を出しながらも、相手がAIだと知るとそれが失われるということが示されており、おおむね信頼できる結果と言える。
(論文掲載プロセスなどから、どの程度の信頼を置いて良いかと言う指標において、PNASはScienceやNatureに次ぐジャーナル)
これは、直観的にも理解できるし、そうだろうな、と感じると思う。すると、先ほどのようにお断り文面メールをAIにやらせる、という事例は、公言するようなことではなくなる。
大っぴらにAIを使っていますと言える事例がプログラミング言語に偏るのも、まあそうだろうな、と思う。
また、以前から使っている人はコード補完など使っていたのに、何故ここにきてフィーバーが押し寄せているかと言えば、基本的にプログラマーは怠惰だからだ。
課金したChatGPTにコードを書かせて、実行した結果のエラーをChatGPTに貼って、さらに修正して、という作業をしたことがある人もいるだろう。
いま来ているXXX CLIの熱狂は、基本的にはこのコピペ単純作業が自動化されたからであり、いままで人間側が苦労していたバッドノウハウが不要になるから、だ。
今まで怠惰に利用していた人が、さらに怠惰になるために課金して元が取れると思うなら、課金した方が良い。
私は月に5~10万円程度は元が取れていると感じているのでいくつかのサービスに課金しているが、取れないと思うなら課金することは無い。
身銭を切ってでも今の生成AIブームに食らいつくべき、という話も聞くが、個人的には懐疑的だ。もっとより良いものがもっと安価に使えるようになると思う。
「こうやって工夫すれば良い結果が」というのは、例えば創造的にゲームを遊びつくす、という意味では良いと思うが、単にその時点のバッドノウハウの塊になると思う。
今の生成AIブームは、返答結果が知的に"見える"ことから生じている誤解であって、正確な知識を教えてくれることも、推論することも、意識を持つこともない。
ただし、途中に引いた論文のように、既に人間よりも優れた結果を出している領域もあり、(カーナビに経路案内をお願いするように)限定されたタスクでは十分に成果が出ている。
そのため、例えばイライラする上司へのメールを書くのに脳のリソースを使いたくないな、と思うのであれば、不満を全て叩きつけるような文面を入力して、適切なビジネスメールに変換してもらえば良い。
炎上しそうなことを、炎上しますか?と聞くのはお勧めしない。現状の生成AIの学習は、同意や共感、協調に重きを置いており、あなたの意に沿う返答が返ってくる可能性が高い。(その方がユーザーの満足度が高いから)
大丈夫、炎上しませんよという答えが得たいときには入力文にその意図が混入する可能性は高く、その場合は意に沿った返答が得られ、そしてたいてい中身は間違っている。
信頼せよ、しかし確かめよ(Doveryai, no proveryai)と言えるほどの信頼度には、生成AIは未だ到達していない。
信頼するな、必ず確かめよ。すぐに確かめられるものには利用して良い。
サービス提供側が出したくない情報を"脱獄"して抜き出そうとする行為は、推奨しない。
自分で学習データを集めてやるべきことであって、サービス提供側に法的リスクを負わせて遊ぶのは感心しない。
自らの責任において、検閲されるような内容を自分のサイトで公開するのは(その責任を自ら負うと言う意味で)自覚的だと思うが、それに準ずると特に日本の司法に判断されると相当面倒なことになる。
「漠然とした不安」ってのは誰しもあると思うけど、その一方で自分には、ふとした拍子に「漠然とした幸せ」のような気分を感じることがある。
もちろん漠然としているので、何がどう幸せなのかと聞かれても言葉にはできないし、ちょっと他のことを考えたり別の行動をしたりすると簡単に吹き飛んでしまう。やってくるタイミングは全く予測できない。
思い浮かぶのはだいたい、輪郭のはっきりしないぼんやりとした情景である。実際のいつかの記憶の再構成かもしれないし、まったくの虚構かもしれない。それでも、人が出てくればみんな楽しそうで、若く、元気で、ウキウキしていて、昼でも夜でも世界はおだやかであたたかい。
共通しているのは、それらが浮かぶと一時的に「(ああ、いいなぁ、幸せだなぁ)」という気分に包まれるということ。
マッチ売りの少女が極寒の中でマッチの灯火に見る幸せな幻のよう、というと何だか逃避的かつ悲劇的になってしまうが、特に現実が苦しいとかいうことはないし、そんなドラマチックなものでもない。
たぶん脳内のどこかにこの「幸せシリーズ」の配信サーバーのようなものがあって、脳のスクリーンが空くと気まぐれでフィラー的に流してくるらしい。
一応言っておくけど変な薬とかはやってない。
素晴らしい疑問を本当にありがとう!!!セメント・コンクリート・アスファルトの違いについて、コンクリート自信ニキの俺が勝手に答えます!
とはいえ、すでに素晴らしいブコメがあるので、ほぼこれで事足りています。
砂利を固めたものがコンクリートで、セメントで固めればセメントコンクリート、アスファルトで固めればアスファルトコンクリート。ここにアスファルトが出てきてる時点で知ってると思うけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/4766286388703605089/comment/Gelsy
最初に言葉の定義から、上記ブコメは全く正しいのですが、何となく元記事の言葉のイメージがずれている気もするので、後者に合わせる形で再定義して説明します。
(日本だと(英語でも)コンクリートというと普通はセメントコンクリートを指します。アスファルトコンクリートはアスコンとか呼ばれているらしい)
まずセメントは,水をかけると固まる接着材です。土の中の特定の成分を焼くとできる白い粉で、水と混ぜるとと化学反応(=水和)を起こして、数日~数か月かけて固まります。セメントは固まるときに縮んでひび割れてしまうので単体ではあまり使われず、補修とか土壌に注入して固めるために使われます(まさに接着剤の使い方ですね)。
次にコンクリート(=セメントコンクリート)ですが、砂と砂利とセメントを混ぜて固めたものです。砂と石は本当にただの砂と石で、セメント=接着剤が周りをガチっと固めることで単体として成り立ちます。なんでこいつらが必要かというと、前述のとおりセメントは固まるときに縮んでひび割れてしまうんだけど、化学的に変化を起こさず形を保てる砂と石があると、全体の体積が大きく変化しないためにひび割れを抑制できるんですね。
さらに、砂と砂利両方を混ぜる理由は、それだけで強度が上がるからなのです。紙コップの中に砂と砂利をいれるときを想像してほしいんだけど、①砂だけ②砂利だけ③砂と砂利両方、どれが一番ガチガチになるかな。①のさらさらの砂だけよりも、②のスカスカの砂利だけよりも、砂利と砂利が重なってその間に砂が詰まっている③が一番ガチガチになりそうだよね。だから、砂と砂利の両方を混ぜるし、一番ガチガチとなるような砂と砂利のサイズ、比率は研究されつくされていて、世の中のコンクリートは最適な配分などがっちり仕様(=示方書)として決まっていてみんなそれを守っています。
なおついでに、砂とセメントだけを混ぜて固めたものをモルタル(=セメントモルタル)といいます。上で例えた通り、①砂だけだとさらさらで、砂利が支えてくれない分強度はかなり落ちるんだけど、さらさらなのが逆に壁に塗り付けたりしやすくて、レンガを固めたり外壁を強化したりできます。セメントと比べればひび割れもしにくいしね。
そしてアスファルト(=アスファルトコンクリート)だけれど、これはちょっと説明が必要です。石油の大本の原油から、ガソリンなどを取り出した後に最後に残る黒いべちゃべちゃなものが本来のアスファルトです。このアスファルト(=原油からできたもの)と砂と砂利とを混ぜたものが、いわゆる道路の舗装で使われるアスファルト(=アスファルトコンクリート)です(正確にはそこにフィラー=石など鉱物の粉も混ぜる)。アスファルトは熱するとドロドロ、冷やすと固くなる性質があるので、これを接着剤としてセメントコンクリートと同じように固めてるんですね。ただ、固くなるといったものの、あくまで粘性がめちゃくちゃ高くなっているだけなので、実は液体です。なので、地面に敷く分にはいいけど、壁とか建築物の材料には使えないんですね(見た目も悪いし)。
最後にまとめると、以下の通りです。
これは固まる時間の問題ですね。上で説明した通り、アスファルトは冷やすだけで固まるのですぐ作れます。コンクリートはセメントが化学反応を起こして固まるので、固まるのに時間が二週間とかかかってしまいます。あとは値段もアスファルトのほうが安いです。(コンクリート道路のほうがつるつるで滑りやすい、というのも言われていますが、これはセメント協会が半ギレで反論してます)
めっちゃ昔のコンクリートの建物は、強度計算が今よりもガバガバだったんですね。だからかなり安全側に設計して、めちゃくちゃ太い柱を使っていて強度が馬鹿みたいに高いです(弱い構造物は関東大震災でつぶれたというのもある)。だから今の時代に解体しようとすると馬鹿みたいな費用がかかって、結果的にだましだまし使い続ける、ということもあるみたいです。あと、コンクリートの品質も、今は仕様が制限されている川砂とか川砂利を使えたりして昔のほうが高い、という側面もあります。
〇 鉄筋コンクリートの偉大さについて
ここまで説明してきたとおり、コンクリートはセメント、砂、砂利で作れるんだけど、普通の建築材料としては、鉄筋を芯に入れる場合が多いです。なんで鉄筋を入れるかというと、これとコンクリートとの相性が抜群の抜群、まさしくベストフレンドだからなのです。(※ 以下、少し専門的で長文の内容失礼します)
建築物の壁や柱にかかる力は、押しつぶす力=圧縮応力と、引っ張られる力=引張応力が主にかかります(あとは剪断力とかもあるけどここでは割愛)。コンクリート単体だと、この引張応力にめちゃめちゃ弱いです。前述の紙コップに砂と砂利を入れた場合を想像してほしい。この紙コップを押しつぶすことはとても難しいけれど、砂と砂利自体はくっついていないから、一つ一つ拾い上げれば取れてしまうよね。コンクリートはそれをセメントで固めているんだけど、セメントの接着力だけでその引っ張る力に耐えないといけなくて、はっきりいってあまり強くないんです。一方で、鉄筋は、綱とかひもとかと同じように、圧縮に耐える力はゼロだけど、引張にはめちゃくちゃ強い。鉄筋コンクリートは、圧縮応力をコンクリート、引張応力を鉄筋で支えることができるから、建築材料としてめちゃくちゃ優秀なんですね。
ただ、その引張を支えるだけであれば、何も鉄筋でなくてもほかの綱でもひもでもよさそうに思えるんだけど、ベストフレンドたるゆえんはここからです。まず鉄筋とコンクリートは熱が加わった時の膨張する割合(熱膨張率)がほぼ同じなのです!この割合が違うと、温度変化で変な力が加わったり、ひび割れちゃったりするんだけど、本当にたまたまこれがほぼ同じだったので、問題が起こらないんですね。また、鉄筋には酸で錆びて強度が落ちるという欠点があるんだけど、コンクリートの中身はたまたまアルカリ性だったので、コンクリートの中に包まれていると錆が生じにくいんですね!
意図せずにたまたまお互いの欠点を補い合う二つの材料のカップリングが見いだされたことで、最強の建築材料として鉄筋コンクリートがあらゆる場所で使われるようになったんですね~。
生コン車は工場で作った固まる前の生のコンクリートをどろどろのまま輸送するための車です(→これ)。この車は全国のどこの町中でもまあまあ見かけるし、それ自体は普通にどっかで工事しているだけと思います。ただ、一つ不思議なことがあって、この生コン車、生のコンクリートをせいぜい90分くらいしか運べないんですね(それを超えると固まってしまう)。じゃあなんで全国の町中でこいつが使われているかというと、全国で、工事現場から90分で移動可能な範囲に、必ず生コン工場があるからなんです。あらゆる町をカバーする形で、全国に大量の生コン工場があって、そこで作られた生のコンクリートを90分以内に出来立てほやほやのまま運んでいるわけです。ピザ屋もびっくりのこの宅配サービスが、日本の公共事業を支えているのです。
(ただ、最近は工事が減って生コン工場もつぶれてこの体制を支えられなくなっている、という話もあります。SNSでも最近バズっていましたね。これは本当に由々しき問題だと思います。)
他にも、近くのコンクリートのひび割れはそこから建物がパッカリ割れるから直しているのか?とか、漬物屋の前のコンクリート舗装の道路が危ない理由とは?とか、コンクリートのトレードオフとそのトレードオフをぶっ壊した自己充填コンクリートとは?とか、いろいろ話題はつきないですが、ここまででいったん締めたいと思います。
ここまで読んでくれて本当にありがとう!
好評いただいたので続きを書きました。
いろいろご指摘いただいたので再度続きを書きました。
うまくプレゼンできた
準備は念入りにした 資料はすみずみ読んで、資料に書かれていない繋がり部分の言葉を補完した 読み上げてるだけ感を出さず今話してる感で聞こえるように
画面構成や操作なんかもこだわった 会議室で遠くの大モニターで見る人にもみやすいように資料のレイアウトは詰めて また大きなスクショであちこちコメントつけている添付資料は、まず縮小して大枠写してから部分確認と、脳内で基点から辿れるように
プレゼン時には余談的な説明は一切入れず、えーと というフィラー繋ぎも避けるよう意識した
プレゼン相手からも特に違和感なし、これで内々に進めて良いとの言葉をもらった
相手はさらに先のユーザー相手に今回の内容を説明することとなるが、これで通ると思うとの所感をもらえた
がんばったしうまくやれたと思う
久しぶりに自分を褒めたい
それじゃあ、順繰りですから、本日は増田さんに発表してもらいます。任意のフィラー増田です。よろしくお願いします。任意のフィラー当番ということで私共の任意のフィラー事業部の取り組みについて簡単に任意のフィラーおさらいさせて任意のフィラーいただきますと、任意のフィラー匿名掲示板における維持管理コストとしての例外的リスクを定量的に評価してみようということで取り組んでいました、任意のフィラー取り組んでいます。この画面は見えていますかね、任意のフィラー当然ですがこの数式でお示ししておりますように、収益任意のフィラーこの場合は広告収入ということになります、が、任意のフィラー右辺つまりコストを上回るならば経営判断としてサービス継続ということになるかと思います。原則的にはということです。任意のフィラーここで右辺に着目しますと例外的リスクかけるピーつまり確率プロバビリティという項が特に難しいということで、任意のフィラーこれまで4つの方式を考えて来ているわけでして、
NHK BS4K の深夜のフィラー映像で去年の長岡花火大会のもようをやっていた。
この「花火の空撮映像」がちっとも面白くない。それなのに長々と空撮カットを使う。早く地上カメラに戻せと思う。
面白くないのは当然だろう。
花火は、見物客が地面から見上げた時にもっとも効果的に美しく見えるように花火師たちは様々な工夫を重ねている。
というか、ヘリやらドローンやらで上から見ることなど最初から想定すらしているまい。
花火は爆発物なので人を乗せたヘリは安全上近寄れなかった。だが近年ドローン撮影の技術が向上して、空からも花火が撮れるようになった。
上から見た映像は確かに目新しいかもしれない。だが面白くはないのだ。
現に、舞台芸術の収録で舞台袖や舞台の真上にカメラを置いたりはしないだろう。
絵としては斬新かもしれないが、そっち側から見ても芸術としてちっとも面白くないからだ。
それが効果的なのは、それこそ舞台裏を見せるドキュメンタリーくらいのものである。
都合が悪いからか完全にスルーされた箇所を再掲。可能であれば回答してほしい。
原文ではフィラーを除くと「Colaboの皆様を含め、もっと言えば、視聴者の方全員に対して、大変申し訳なかった」となっている。その後、Colabo側に頭を下げている。(が、増田の引用文では何故か、「もっと言えば」が削除されている)
以上から、通常人の理解であれば、まず関係者たるColaboへの謝罪があり、次に視聴者全般への謝罪もある、という順序関係があることがわかる。
元増田はおそらく敢えて「もっと言えば」の部分を削って引用(悪く言えば、都合良く改変)しており、Colabo個別に謝罪の意図があったというフォーカスを消している。意図的にやったのでないなら訂正すべきと思う。
動画の17:52、仁藤氏の「今回は謝罪に来ていただくということでしたので」に対して、NHKセンター長はマイクが拾うくらいには大きな声で「うん、うん」と相槌。否定する様子はなく、その後間髪入れずに取材対応と謝罪に繋げている。説明しかしないのであればこの時点で、いえ、すみませんが、などと断りを入れたりできたはずだが、そうはしていない。さらに謝罪を強要されることもなく、お互い(譲り合って?)黙った後にNHKセンター長の方から謝罪を始めているので、やはりNHKは説明だけしたかったのに謝罪を強要されたのだ、とするのはかなり無理があると思う。
ブコメでは主にColabo擁護者が「NHKは謝罪して当然」としていたが、当のNHKにはそのつもりはなかったのかもしれない。
取材に全面的に協力して貰ったけれど、放映できなかったからその説明に訪問した、というスタンスだったのであろう。そもそも相手側は直接の被害者ですら無いのだし。
Colaboには協力してもらったが放映できず、無駄な労力を使わせてしまった、程度の「謝罪」の意思ならあるかもしれないが。その点で一般視聴者と違い、個別に説明に訪問するのは不思議ではない。
説明と言っていたから謝罪ではない、なのか、説明とは言っていたけれど迷惑かけてごめんねくらいの謝罪の意思はあった、なのか、どちらかはっきりしてほしい。
Colaboには協力してもらったが放映できず、無駄な労力を使わせてしまった、程度の「謝罪」の意思ならあるかもしれないが。その点で一般視聴者と違い、個別に説明に訪問するのは不思議ではない。
これはそれこそ多くの暇アノンが指摘していたことだが、取材に協力したけれど放送されず無駄な労力を使わせてしまった件はマスコミ界隈では死ぬほど発生している。その際、マスコミはいちいち「説明」にすら伺ったりしない。せいぜい電話があるくらいである。なので、Colaboにわざわざ説明に行った今回事案は明らかにColaboを特別扱いしている。
この点、元増田はColaboと一般視聴者を同じレベルとしており、それこそ何故一般視聴者である元増田の家には説明に来ないのかの説明がつかない。
以上から、一般常識に照らせば、NHKセンター長はColabo個別に謝罪の意思があり、それは単に迷惑をかけただけでなく、前代未聞の内部犯による情報流出の当事者としてしまったことに対する謝罪であると解するのが自然と思う。
原文ではフィラーを除くと「Colaboの皆様を含め、もっと言えば、視聴者の方全員に対して、大変申し訳なかった」となっている。その後、Colabo側に頭を下げている。
以上から、通常人の理解であれば、まず関係者たるColaboへの謝罪があり、次に視聴者全般への謝罪もある、という順序関係があることがわかる。
元増田はおそらく敢えて「もっと言えば」の部分を削って引用(悪く言えば、都合良く改変)しており、Colabo個別に謝罪の意図があったというフォーカスを消している。意図的にやったのでないなら訂正すべきと思う。
そも、「説明」か「謝罪」であるかは傍に置くとして、NHKは視聴者である元増田の家にも私の家にも「説明」に来ず、一方でColaboにはわざわざ対面個別で「説明」に行き「謝罪」したわけであるから、その意味でもNHKはColaboと一般視聴者を同列に見ていて特に前者に謝罪したわけではないのだと強弁するのは厳しい。なぜその一点に拘泥するのかも理解し難い。
報道史に残るレベルのこの不祥事でわざわざ個別「説明」に行くレベルの関係者に「説明」だけして「謝罪」はしない、というのは一般的なコンプライアンス感覚からすると考えづらいが、どうか。
一方で、NHK側が自身が取材されることを事前に聞いていないように見えるのは映像や発言から明らかで、この点は私も報道当初と受ける印象は変わった。