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国民年金及び厚生年金保険制度の薀蓄集7(加給年金)

1.老齢厚生年金における加給年金

 加給年金とは、賃金における扶養手当又は家族手当に相当するような年金です。老齢厚生年金における加給年金額は、平成26年度では386400円(平成26年度の年金額減額改定_3月31日)となっています。同加給年金の支給要件は、以下の通りです。

(1)被保険者期間の月数が240月以上。ただし、中高齢の期間短縮措置に該当している場合には、その期間。
(2)受給権者が権利を取得した当時(受発日)に、その者によって生計を維持されていた配偶者又は子がいること。受発日に240月を満たしていない場合、退職改定時に240月を満たしていること、その者によって生計を維持されていた配偶者又は子がいること。
(3)配偶者は、65歳未満であること。
(4)子は、18歳(に達する日以後最初)の3月31日には達していないこと、又は、障害等級1級又は2級の障害の状態にあって20歳に達していないこと。

 なお、生計維持要件とは、受発日当時、受給権者と生計同一で、かつ、将来にわたって年収が850万円未満の条件を満たすことをいいます。

 
2.加給年金が停止される場合

 加給年金とは、賃金における扶養手当又は家族手当に相当するような年金と書きました。したがって、加給年金の対象になっている配偶者本人が、自らの年金を受給できるようになると、加給年金の方は支給停止となるという考え方をしています。その年金とは、被保険者期間240月以上(老齢満了)の老齢厚生年金、障害厚生年金、障害基礎年金、同共済年金です。

 ここから、繰上げ支給の老齢基礎年金については、受給していても加給年金は支給停止にはならないことがわかります。また、加給年金が繰上げ支給の老齢基礎年金を受給している配偶者についても支給されることから、当該配偶者が65歳に到達すると、振替加算も普通に行われることになります。 

 さて、夫が定額発生、又は、65歳老齢基礎年金受発以後に再婚した夫婦の場合、加給年金及び妻の振替加算は発生するのでしょうか? この答えは、要件(2)から導かれます。この場合には、加給年金は支給されないので、妻が65歳になっても振替加算はつきません。

 振替加算請求手続は、典型的な事例では、次のように行われます。妻が夫より年下の場合、妻が特別支給の老齢厚生年金の裁定請求をする際に、住民票、戸籍謄本及び所得証明等を添付して提出してあれば、65歳時の裁定請求はがきを提出することで振替加算の支給が自動的に処理されます。また、65歳になって初めて年金を受給する妻の場合、老齢基礎年金の裁定請求時に住民票、戸籍謄本及び所得証明等を添付して提出すると、振替加算の処理が行われます。妻が年上の場合には、妻が65歳到達の後に、夫の定額発生、又は、65歳老齢基礎年金受発となることが多いのですが、このときは、夫の定額発生時、又は、65歳老齢基礎年金受発時に加算開始届並びに住民票、戸籍謄本及び所得証明等の提出が求められることになります。

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健康保険料 健康なら安く?

 19日の日本経済新聞電子版に、厚生労働省が特定健診の数値改善に対して健康保険の保険料を減額する施策を検討しているという記事が掲載されておりました。記事詳細は以下の通りです。

=== 日本経済新聞電子版 平成26年9月19日 ===

 厚生労働省は特定健診(メタボ健診)の数値が改善した人などを対象に公的医療保険の保険料を安くする仕組みを作る。健康づくりに励んでもらうきっかけにする。糖尿病などの生活習慣病にならない人を増やして医療費の伸びを抑えたいと同省は期待している。

 厚労省は審議会を開いて新しい制度の仕組みを19日から議論する。来年の通常国会に保険料を安くできる法案を提出する。健康保険組合側のシステム対応が必要なため、2016年度以降に実施する健保が多そうだ。対象は大企業の健康保険組合、自営業らの国民健康保険、中小企業の全国健康保険協会(協会けんぽ)で、各健保が希望すれば保険料を安くする仕組みを導入できる。今の仕組みでは、健康保険組合の加入者は健康な人もそうでない人も同じ保険料率となっている。

 メタボ健診で血圧、血糖などの数値が良くなった人が候補となる。もともと健康な人は数値の改善が難しいので、代わりにお金やスポーツクラブの利用券などの給付を検討する。例えば、1年間病院に行かなかったら1万円分を支給する方法などが考えられる。メタボ健診を受けない人の保険料は変わらない。お金や利用券の給付も受けられないようにして、メリハリをつける。

=== 転載 終わり ===

 健康保険などの社会保険の考え方は、記事も指摘しているように「健康保険組合の加入者は健康な人もそうでない人も同じ保険料率」で保険料を負担し、相互扶助の支え合いを基本にしています。ここに民間の保険会社が行っているような、一定期間保険事故を起こさなかった被保険者の保険料を割り引く仕組みを導入しようというものです。健康状態の改善又は健康の維持に積極的に努めている被保険者について、一定の金銭的な利益を享受させることを約束することによって、健康の維持及び増進の意欲を刺激し、結果として医療費を削減しようという意図を持った施策です。

 何ら対策を打たない場合、毎年1兆円程度増加していくことが予想される社会保障費(社会保障費概算要求及び新厚生労働大臣_9月3日)について、苦しい台所事情から、こういった施策が検討され、実施の運びとなることは十分に予想できます。浅草社労士自身も、公的年金について、現役世代と変わらない働きができる高齢者に対して国が認定書を発行し、この認定を受けている高齢者については、継続雇用制度ではなく、正社員として雇用しなければならないこととする一方、該当者は公的年金の受給が完全に停止するという仕組みの提案を行っています(年金与太話_2013年6月26日)。

 このような類の施策の根底にある発想は、社会保障費の急増による政府債務の増大を何とかしなければならないという思いであることは否定できません。にもかかわらず、ここで注意しなければならないことがあります。それは、財源がないのでとにかく給付を削減するという、いわば困窮に根ざした発想ではなく、国民を幸福にするためにその健康増進をはかるという豊かな発想でなければならないということです。表面的には、同じような施策をやっているようにみえて、困窮からの発想か、豊かな心から生み出された発想か、国民は容易に見破るはずです。豊かな心から発想していれば、ただ金銭的利益を享受してもらうということだけではなくて、努力して健康を改善した被保険者や年金を受給しないで現役並みに働き続ける高齢者に対して、社会全体からの感謝の氣持ちも自然と伝わって行くのではないかと思われます。制度を運営する国の側にしても、豊かな心から発想していれば、当然に感謝の氣持ちを伝える仕組みを第一に工夫しておくものではないでしょうか。

腕時計端末と天才の継承

 代表的IT企業のApple社が、重陽の節句の9日、腕時計型端末「Apple Watch」を発表したと伝えられています。日本経済新聞電子版によれば、「Apple社が新分野の製品を発表するのは2010年のタブレット『iPad(アイパッド)』以来4年ぶり。腕時計型端末は韓国サムスン電子やソニーなどが先行しているが、デザインや機能で『アップルらしさ』を前面に打ち出して追い上げる。」(米アップル、腕時計型端末を発表)とのことで、記事でも指摘されている通り、腕時計型端末の発想は、同社が一番手というわけではないようです。

 腕時計端末の他、新型iPhoneの発表もあったこの日の発表会を受けて、Apple社の株価は一時は4.8%高まで上昇しましたが、最終的には0.4%安で引けた模様です。単なる材料出尽くし感からの売りかもしれませんが、天才的経営者を失ってから、同社の勢いが衰えつつあるのではないかという感想をどうしても抱いてしまいます。Apple社の株価は、Steve Jobs氏が亡くなった2011年10月頃は55ドル前後(株式分割調整後価格)、その後も2012年は100ドル前後まで株価が上昇を続けました。その後は下落局面に入り、2013年になって60ドルを割って底打ちした後、再上昇過程が始まり、現在は再び100ドル前後の水準を保っています。

 それにしても、天才的リーダーをいただいた組織が事業継承していくことの困難さは、想像に難くありません。このことを考えるとすぐに思い浮かんでくるのが、幾人かの戦国大名の名前です。日本の戦国時代は、正に大きな変革の時代の一つだったことに異論のある人は少ないと思います。その変革期に颯爽と登場した天才肌の戦国大名は2人いると思っています。1人は織田信長、もう1人は、上杉謙信です。両者の経営理念とでも言うべきものは、「天下布武」を掲げて天下人を明確に目指した信長と、あくまで「義戦」を信条にしながら生涯会戦無敗を誇った謙信とでは全く異なります。

 ところが、この2人には、戦国時代に「平」氏を称していたという共通点があります。このことは、平氏が武家の一方の棟梁であったとはいえ、端から「征夷大将軍」の地位は望まないという宣言に等しいものです。今となっては想像の域を出ることは困難ですが、信長にしてみれば、天下を統一してその権力を握るのに、旧来の慣習や「征夷大将軍」の地位など打破する対象でしかなかったのかもしれません。一方、保守派の謙信にしてみれば、伝統的な秩序は守られるべきものであり、自ら征夷大将軍に取って代わることは思いもよらないことだったのかもしれません。

 また、従来にない画期的な戦術や施策を合議などに頼らずに湯水の湧くがごとくに思いつく点も2人の共通点です。信長についていえば、諜報戦の有用性に氣付くことで最大の危機を乗り切った「桶狭間の戦い」、鉄砲の連射戦術を用いたとされる「長篠の戦い」、領域内の産業振興を目的にした「楽市楽座」の創設など枚挙に暇がありません。謙信に関しては、信長に見られるような革新性は思い浮かびませんが、彼の無敵の戦術は1人毘沙門堂にこもって考えたものと伝えられ、会戦においては戦国最強、生涯無敗を誇ったことは、正に天才のなせる業の典型です。天才のみが思いつく閃きを継承することなどどう考えても不可能なことです。

 この2人とは対照的に映るのが、甲斐の武田信玄です。武田家は、甲斐源氏嫡流の名門で、源氏を称する以上、天下に号令をかける武家の棟梁「征夷大将軍」を目指し、領土拡張が武田軍の戦いでした。信玄自身、優れた武将、政治家、かつ教養人でありましたが、武田家はしっかりとした組織集団でもあり、戦術や施策について合議制の仕組みを整えていたようです。つまり、リーダーが交代したとしても、その後を安定させることが可能な仕組みが構築されていたということです。このことは、最終的に天下人に登りつめた徳川家康が滅亡した武田家の遺臣を多く召抱えて、信玄の政治手法や組織作りを大いに手本にしたという説があることからも伺えます。

 面白いことに、謙信時代に天才肌のリーダーのカリスマに頼っていたと思われる上杉家は、謙信が没した後も戦国時代を生き抜き、一方、合議制など組織が生き残るための合理的な仕組みが構築されていたはずの武田家は、織田信長の天才に敗れ去った戦いをきっかけに滅亡する運命をたどることになります。とはいえ、上杉家においても、後継者の景勝の周りには、優秀な武家の子弟達が集められ、親元を離れて景勝と寝食を共にしながら教育を施されるなど、権力の継承と次世代育成のための施策は講じられていたようです。

 結論としては、天才肌のカリスマリーダーが君臨する組織は、そうではない組織に比べて事業継承の困難さがとかく強調されがちなものですが、そんなことは元々自明のことですので、それなりの組織であれば、組織自体の自衛本能が働いて事業継承の準備をそれなりに進めていくものです。それなりの準備というのは、第一に人材の育成、第二に仕組みつくりということになるのでしょう。天才肌のカリスマリーダーが組織から退くときまでに、この2つがそれなりにできていれば、生き残るための「人事は尽くした」ということになるのではないでしょうか。

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社会保障費概算要求及び新厚生労働大臣

 国の来年度予算案の概算要求が、8月29日、各省庁から提出されました。高齢化によって「社会保障費」が膨らむことと、成長戦略を実現するための別枠を設けたことなどから、一般会計の要求額は、初めて100兆円を超え101兆円台後半に達することになりました。今回の概算要求では、政府の成長戦略の実現に向けて、最大でおよそ4兆円の要求を受け付ける「優先課題推進枠」が設けられ、各省庁はこの枠をほぼ上限まで使うため、今年度予算を上回る要求が相次ぎました。このうち、厚生労働省の要求額は、高齢化によって年金や医療などの「社会保障費」が膨らんで過去最大の31兆6688億円となり今年度予算を3%上回っています。以前の記事で、麻生副総理兼財務大臣が「今までと同じように毎年1兆円ずつ伸びていくことを放置しておくわけにはいかない」と述べ、予算編成の過程では、高齢化などで増える分を含めて社会保障費を厳しく精査していく考えを示していることを紹介しました(政府 社会保障費抑制の方針_7月23日)。今後の予算編成の行方が注目れます。

 平成27年度予算の概算要求における社会保障費以外の注目点は、以下のような点のようです。
(1)国土交通省関連は、東京オリンピック・パラリンピックに向けた道路などの整備や防災対策など、今年度予算を16%上回る6兆6870億円の概算要求となったこと。
(2)政策の実行に充てる経費は、地方交付税の要求16兆972億円などを合わせた76兆円近くに上りこと。
(3)国債の償還や利払いのための「国債費」の要求額は、今年度予算より2兆円余り多い25兆8238億円となったこと。

 また、安倍総理は、本日9月3日午後、第2次安倍政権で初めてとなる内閣改造を実施しました(安倍改造内閣発足へ)。麻生副総理兼財務相を始め多くの主要閣僚が留任となる中、厚生労働大臣は、第1次安倍内閣で官房長官を務めたことがある塩崎恭久衆議院議員(63)に交代です。塩崎新厚労相の主要な履歴は、次の通りです。

塩崎 恭久
昭和25年(1950年)、愛媛県松山市生まれ、自民党衆議院議員第6期目。その間、衆議院法務委員長、内閣官房長官(第73代)、拉致問題担当大臣等を歴任。

東京都立新宿高等学校卒業後、1年間の浪人生活の後、東京大学に入学。
1975年、東京大学教養学部教養学科アメリカ科を卒業し、日本銀行に入行。
1982年にハーバード大学大学院(ケネディスクール)を修了し、行政修士号を取得。同年、父親、塩崎潤氏の経済企画庁長官就任に伴い、日銀を退職し父の秘書官に転じる。後に日銀に復職。
1985年、父の総務庁長官就任に伴い再び日銀を退職し、再度父の秘書官を務める。
1993年、父 潤氏の引退を受け、第40回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区から自由民主党公認で出馬し、初当選。
1995年、小選挙区比例代表並立制の導入に伴う選挙区調整により、参院への鞍替えが決定。第17回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から出馬し当選。
1997年、大蔵政務次官に就任。
1998年頃から安倍晋三氏、石原伸晃氏、根本匠氏に塩崎氏を加えた政策グループNAISを結成し、社会保障・福祉政策を中心に議論及び提言。また、金融危機に伴う1998年の金融国会では、石原伸晃氏や民主党の若手議員らと連携。金融再生トータルプラン、金融再生法の策定に奔走し、政策新人類と呼ばれて注目される。橋本内閣の下でも日本版金融ビッグバンを提唱し、バブル崩壊後の日本の金融再生に取り組む。

2000年、参院議員を任期途中で辞職。関谷氏の地盤を引き継ぎ、第42回衆議院議員総選挙に愛媛1区から出馬し当選(変則コスタリカ方式により関谷氏が参院へ転出)。同年末の第2次森内閣不信任決議案をめぐる、いわゆる「加藤の乱」では、当時加藤派に所属していたため加藤紘一氏に同調するも、加藤氏の思うように内閣不信任決議案への同調者が集まらず、倒閣運動は頓挫。塩崎氏は石原氏と共に加藤氏を強く非難し、無派閥に。
2005年、5年間の無派閥生活から加藤の乱による加藤派分裂により堀内光雄氏や古賀誠氏ら反加藤グループにより結成された堀内派に入会。同年、第3次小泉内閣で外務副大臣に就任。
2006年、自民党愛媛県連会長に就任。同年の自由民主党総裁選挙では自身の当選同期である安倍晋三氏を支持。安倍氏が総裁に選出された後、塩崎氏は安倍内閣に内閣官房長官(拉致問題担当大臣を兼務)として初入閣。

麻生内閣発足後、2008年の国籍法改正をめぐっては、法改正を強く推進し改正法成立に尽力するも、国籍法改正反対派からは激しい非難にさらされる。
(出典:Wikipedia)

 なお、午前中に発表された自民党党内人事で、焦点だった新幹事長には、「税と社会保障の一体改革」三党合意当時に自民党総裁だった谷垣禎一前法相が就任することとなりました。