未払い賃金と消滅時効
未払い賃金(多くの場合「未払い残業代」)の請求期限を、現行2年から5年に延長することが検討されているという記事が平成29年11月19日の日本経済新聞電子版に掲載されておりました。記事では、専らサービス残業を減らし、長時間労働の抑制につなげるのが狙いという文脈で語られておりましたが、本年5月26日に国会で可決成立した改正民法(未施行)に関連して「賃金債権」の時効期間が2年から5年になるのではないかという問題提起が一部の学者および専門家からも投げかけられていた論点です。
1.賃金債権の消滅時効の考え方
まず、これまでの民法における債権の消滅時効がどのようになっていたかということですが、次の通りです。
(1)債権の消滅時効は、10年。これが大原則。(民法167条1項)
(2)しかし、1年から3年の短期消滅時効にかかる債権が多く存在し、賃金債権の消滅時効は民法上1年と規定されていました。
1年:民法174条
1箇月以下の期間によって定めた使用人の給料に係る債権、自己の労力の提供・演芸を業とする者の報酬・供給物の代価に係る債権 等
2年:民法172条、173条
自己の技能を用い、注文を受けて物を製作し、または自己の仕事場で他人のために仕事をすることを業とする者の仕事に関する債権
生産者・卸売商人・小売商人売却した産物・商品の代価に係る債権 等
3年:民法170条・171条
医師・助産師・薬剤師の診療・助産・調剤に係る債権 等
(3)ただし、労働基準法115条は、賃金債権の消滅時効を2年、退職金債権については5年と定めており、一般法の民法に対して、労基法の規定が優先されることになります。
従って、これまでは、一般的な賃金債権の時効は2年と考えられてきました。ですから、未払い残業代が問題になった事案では、2年さかのぼりの金額が請求されることになっていたのです。
2.改正民法で債権時効は?
それでは、今回の改正民法は、消滅時効に関してどのようになったかといいますと、次の通りです。
(1)短期消滅時効は全廃され、債権の種類を問わず、主観的起算点(権利行使できることを知った時)から5年または客観的起算点(権利行使できる時)から10年のいずれか早く満了する方の期間ということになりました。(改正民法166条1項)
(2)契約に基づく債権については、基本的には主観的起算点から5年の時効期間が適用されると考えられます。
この債権の消滅時効に関する原則を素直に賃金債権に当てはめると、賃金債権についても消滅時効は5年ということになります。そこで、問題になるのが、賃金債権の消滅時効を2年と規定した労働基準法115条との整合性です。これまで、労基法115条は、労働者を保護するために民法よりも労働者にとって有利な消滅時効期間を定めた規定であると解されてきましたが、改正民法ではこの関係が逆転しています。
しかし、この問題に関しては、「民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」においても言及されておらず、現行の労基法115条がそのまま適用され続けるものと考えられています(「民法改正が人事労務に与える影響」廣石忠司専大教授 東京都社労士会会報11月号)。
今回の日経紙の記事は、厚生労働省が、長時間労働の問題とも絡めて、改めて消滅時効期間の延長を検討していることを伝えているものですが、実際消滅時効が2年から5年に延びた場合、経営に与える影響は大きく、今後活発な議論とともに慎重な検討が必須ではないかと考えます。
3.不法行為も消滅時効
不法行為による損害賠償請求権は、被害者またはその法定代理人が損害および加害者を知った時から3年間行使しないときは時効によって消滅し、不法行為の時から20年経過したときも同様と定めています(民法724条)。そして、後者の20年については、判例上、時効の中断・停止を認めない除斥期間とされてきました。この解釈に対しては被害者救済の観点から問題があるとの指摘があったためか、今回の改正では、不法行為の時から20年の期間も時効期間であることが条文上明記されました。
また、人の生命・身体にの侵害による損害賠償請求権について、消滅時効を延長するための特則が設けられ、不法行為であっても主観的起算点から5年とされています(改正民法724条の2)。
=== 日本経済新聞電子版 平成29年11月19日 ===
厚生労働省は働き手が企業に対し、未払い賃金の支払いを請求できる期間を延長する方針だ。労働基準法は過去2年にさかのぼって請求できるとしているが、最長5年を軸に調整する。サービス残業を減らし、長時間労働の抑制につなげる狙いだが、企業の負担を増やす面もある。厚労省は専門家や労使の意見を幅広く聞いて結論を出すことにしている。
厚労省は年内に民法や労働法の学識経験者らによる検討会を設置。そこでの議論を踏まえ、来年夏をメドに労働政策審議会(厚労相の諮問機関)で労使を交えた具体的な時効の議論を進める。法改正が必要となれば、2019年に法案を国会に提出し、20年にも施行することにしている。
検討会では、請求可能な年限を何年にすべきかについて一定の結論を出してもらう。長時間労働の抑止効果や企業の人事労務管理の負担増などを点検。未払い賃金の時効期間を議論することで、有給休暇の取得が進むかどうかについても議論したい考えだ。
労働政策研究・研修機構によると、未払い賃金の時効は英国とフランスで2年、ドイツは3年となっている。一般的な債権の時効より短めだという。日本は民法で1年とするが、労基法は労働者保護の観点を強くして2年に延ばしている。
ただ5月に成立した改正民法では、賃金の支払い請求ができる期間を1年から5年になることを決めた。労基法を民法の基準に合わせるかが議論のポイントになる。
(以下省略)
=== 転載終わり(下線は浅草社労士) ===
(追 伸) 東京都建築士事務所協会の会報誌「コア東京」に、「改正民法と賃金債権の時効」と題して、浅草社労士の拙稿が掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。
1.賃金債権の消滅時効の考え方
まず、これまでの民法における債権の消滅時効がどのようになっていたかということですが、次の通りです。
(1)債権の消滅時効は、10年。これが大原則。(民法167条1項)
(2)しかし、1年から3年の短期消滅時効にかかる債権が多く存在し、賃金債権の消滅時効は民法上1年と規定されていました。
1年:民法174条
1箇月以下の期間によって定めた使用人の給料に係る債権、自己の労力の提供・演芸を業とする者の報酬・供給物の代価に係る債権 等
2年:民法172条、173条
自己の技能を用い、注文を受けて物を製作し、または自己の仕事場で他人のために仕事をすることを業とする者の仕事に関する債権
生産者・卸売商人・小売商人売却した産物・商品の代価に係る債権 等
3年:民法170条・171条
医師・助産師・薬剤師の診療・助産・調剤に係る債権 等
(3)ただし、労働基準法115条は、賃金債権の消滅時効を2年、退職金債権については5年と定めており、一般法の民法に対して、労基法の規定が優先されることになります。
従って、これまでは、一般的な賃金債権の時効は2年と考えられてきました。ですから、未払い残業代が問題になった事案では、2年さかのぼりの金額が請求されることになっていたのです。
2.改正民法で債権時効は?
それでは、今回の改正民法は、消滅時効に関してどのようになったかといいますと、次の通りです。
(1)短期消滅時効は全廃され、債権の種類を問わず、主観的起算点(権利行使できることを知った時)から5年または客観的起算点(権利行使できる時)から10年のいずれか早く満了する方の期間ということになりました。(改正民法166条1項)
(2)契約に基づく債権については、基本的には主観的起算点から5年の時効期間が適用されると考えられます。
この債権の消滅時効に関する原則を素直に賃金債権に当てはめると、賃金債権についても消滅時効は5年ということになります。そこで、問題になるのが、賃金債権の消滅時効を2年と規定した労働基準法115条との整合性です。これまで、労基法115条は、労働者を保護するために民法よりも労働者にとって有利な消滅時効期間を定めた規定であると解されてきましたが、改正民法ではこの関係が逆転しています。
しかし、この問題に関しては、「民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」においても言及されておらず、現行の労基法115条がそのまま適用され続けるものと考えられています(「民法改正が人事労務に与える影響」廣石忠司専大教授 東京都社労士会会報11月号)。
今回の日経紙の記事は、厚生労働省が、長時間労働の問題とも絡めて、改めて消滅時効期間の延長を検討していることを伝えているものですが、実際消滅時効が2年から5年に延びた場合、経営に与える影響は大きく、今後活発な議論とともに慎重な検討が必須ではないかと考えます。
3.不法行為も消滅時効
不法行為による損害賠償請求権は、被害者またはその法定代理人が損害および加害者を知った時から3年間行使しないときは時効によって消滅し、不法行為の時から20年経過したときも同様と定めています(民法724条)。そして、後者の20年については、判例上、時効の中断・停止を認めない除斥期間とされてきました。この解釈に対しては被害者救済の観点から問題があるとの指摘があったためか、今回の改正では、不法行為の時から20年の期間も時効期間であることが条文上明記されました。
また、人の生命・身体にの侵害による損害賠償請求権について、消滅時効を延長するための特則が設けられ、不法行為であっても主観的起算点から5年とされています(改正民法724条の2)。
=== 日本経済新聞電子版 平成29年11月19日 ===
厚生労働省は働き手が企業に対し、未払い賃金の支払いを請求できる期間を延長する方針だ。労働基準法は過去2年にさかのぼって請求できるとしているが、最長5年を軸に調整する。サービス残業を減らし、長時間労働の抑制につなげる狙いだが、企業の負担を増やす面もある。厚労省は専門家や労使の意見を幅広く聞いて結論を出すことにしている。
厚労省は年内に民法や労働法の学識経験者らによる検討会を設置。そこでの議論を踏まえ、来年夏をメドに労働政策審議会(厚労相の諮問機関)で労使を交えた具体的な時効の議論を進める。法改正が必要となれば、2019年に法案を国会に提出し、20年にも施行することにしている。
検討会では、請求可能な年限を何年にすべきかについて一定の結論を出してもらう。長時間労働の抑止効果や企業の人事労務管理の負担増などを点検。未払い賃金の時効期間を議論することで、有給休暇の取得が進むかどうかについても議論したい考えだ。
労働政策研究・研修機構によると、未払い賃金の時効は英国とフランスで2年、ドイツは3年となっている。一般的な債権の時効より短めだという。日本は民法で1年とするが、労基法は労働者保護の観点を強くして2年に延ばしている。
ただ5月に成立した改正民法では、賃金の支払い請求ができる期間を1年から5年になることを決めた。労基法を民法の基準に合わせるかが議論のポイントになる。
(以下省略)
=== 転載終わり(下線は浅草社労士) ===
(追 伸) 東京都建築士事務所協会の会報誌「コア東京」に、「改正民法と賃金債権の時効」と題して、浅草社労士の拙稿が掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。
2017年11月20日 18:00 | 経 営