興浜北線&興浜南線の廃線跡
両線はその名のとおり、「興」部と「浜」頓別を結ぶ「興浜線」の先行開業部分として開通しましたが、日本国有鉄道(国鉄)再建法の施行により1981(昭和56)年に第1次特定地方交通線として廃止承認され、興浜北線は1985(昭和60)年7月1日、興浜南線は2週間後の7月15日に廃止されました。
雄武駅~北見枝幸駅間における一部区間の工事は1966(昭和41)年から始まったものの、両線の廃止承認に合わせて工事も凍結・中止されました。廃止から40年近くが過ぎた2023(令和5)年5月と2024(令和6)年4月の某日、興浜北線と興浜南線の廃線跡を巡りましたので、その時の様子をご紹介します。
▼興浜北線の起点は浜頓別駅。駅跡にはバスターミナルなどが整備されました。
▼浜頓別駅~頓別仮乗降場間の廃線跡。蒸気機関車の車輪を模したモニュメントが置かれています。
▼浜頓別駅~頓別仮乗降場間の廃線跡。
▼頓別仮乗降場跡付近から浜頓別方面を望む。浜頓別駅から2.7km地点。1956(昭和31)年開業。
▼豊牛駅跡。浜頓別駅から7.0km地点。1936(昭和11)年の興浜北線開通に伴い開業。
▼今も残されている駅舎は、1973(昭和48)年の駅無人化と同時に建てられたもの。
▼中を覗くと、廃止後は資材置き場として活用されている(た)ようで…。
▼廃止当時の時刻表も残されています。
▼線路があったと思しき場所は笹藪に覆われています。
▼豊浜仮乗降場跡付近。浜頓別駅から10.3km地点。1956(昭和31)年開業。
▼斜内駅跡。浜頓別駅から12.4km地点。1936(昭和11)年の興浜北線開通に伴い開業。
▼斜内駅~目梨泊駅間の廃線跡。神威岬付近に残されている路盤。
▼目梨泊駅跡。浜頓別駅から17.7km地点。1936(昭和11)年の興浜北線開通に伴い開業。
▼目梨泊駅~山臼仮乗降場間の廃線跡。橋台が残されています。
▼山臼仮乗降場跡付近から北見枝幸方面を望む。浜頓別駅から19.8km地点。1956(昭和31)年開業。
▼問牧駅跡。浜頓別駅から23.1km地点。1936(昭和11)年開業。駅跡にはコミュニティセンター。
▼問牧駅~北見枝幸駅間の廃線跡。問牧川橋梁です。
▼問牧駅~北見枝幸駅間の廃線跡。
▼問牧駅~北見枝幸駅間の廃線跡。枝幸町中心街は「興浜線通」として道路に転用されています。
▼北見枝幸駅跡。浜頓別駅から30.4km地点。1936(昭和11)年の興浜北線開通に伴い開業。
▼駅跡に建てられた石碑の裏側には、駅の歴史が刻印されています。
▼駅跡は公園として整備されている他…。
▼バスターミナルも建てられています。
▼ターミナル内には、興浜北線現役当時の写真などが展示されています。
▼駅跡近くに残る「一級食堂」。駅前食堂としての風格が感じられます。
▼場所は変わって興浜南線の起点だった興部駅跡。公園やバスターミナルなどが整備されました。
▼興浜南線の廃線跡はしばらく名寄本線(の廃線跡)と並び、興部跨線橋付近で分かれます。
▼興部駅~沢木駅間の廃線跡。
▼興部駅~沢木駅間の廃線跡。一部区間は農道に転用されています。
▼廃線跡から少し離れてしまいましたが…。
▼遠くに橋梁が見えます。車で近づくことはできません。橋の手前はオニシ沼、奥はオホーツク海。
▼2023(令和5)年5月訪問時は熊被害報道が頻発。未対策だったため橋まで到達することを断念…。
▼約1年後の2024(令和6)年4月訪問時に念願が叶いました。
▼御西川橋梁。興浜南線の廃線跡で最大のハイライトです。
▼訪問日当時はあいにくの曇天で、そのままの画像だと橋梁の色すら判然としないので…。
▼露出・彩度高めの加工写真となりますこと、ご容赦下さい。
▼付近の路盤に上ると、橋梁上にはレールも残されていることが分かります。
▼橋梁の直下には…。
▼犬釘が落ちていました。
▼さようなら、御西川橋梁。
▼沢木駅跡。興部駅から8.3km地点。1935(昭和10)年の興浜南線開通に伴い開業。
▼沢木駅~元沢木仮乗降場間の廃線跡。踏切跡に制御機器などが入った箱が残されています。
▼沢木駅~元沢木仮乗降場間の廃線跡。
▼元沢木仮乗降場跡付近。興部駅から10.3km地点。1955(昭和30)年開業。
▼元沢木仮乗降場~栄丘駅間の廃線跡。元沢木川橋梁の橋台が残されています。
▼栄丘駅跡付近。興部駅から13.4km地点。1948(昭和23)年に仮乗降場として開業、1956(昭和31)年に駅へと昇格。
▼雄武共栄仮乗降場跡付近。興部駅から16.2km地点。1955(昭和30)年開業。
▼雄武共栄仮乗降場~雄武駅間の廃線跡。橋台が残されています。
▼路盤が残された区間が続き…。
▼雄武駅跡に到着です。興部駅から19.9km地点。1935(昭和10)年の興浜南線開通に伴い開業。
▼駅跡にはバスターミナルや道の駅などが入る地域交流センターが建てられました。
▼展望台まで上ると雄武町を一望することができます。興浜南線の廃線跡もはっきりと分かります。
▼1階にあるバスの待合スペースには…。
▼興浜南線現役当時の写真などが展示されています。
▼どれも素敵な写真ばかり。
▼これなんか、オホーツクの冬の厳しさや当時の活気が感じられて、すごく気に入ったなあ…。
▼雄武トンネル(雄武側)。興浜線の未成区間に残る遺構です。
▼雄武トンネル(北見枝幸側)。
▼未成区間に残された路盤はしばらく続きます。
▼興浜北線と興浜南線の廃止によって、「オホーツク縦貫線」の夢は絶たれてしまいました。
訪問日:2023年5月・2024年4月
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