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Landscapes by the roadside

路傍学会


地蔵尊のLandscape 74

荒川区東尾久界隈の地蔵尊
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 荒川区東尾久三丁目の路傍にモダンな形をした満光寺の朱塗りの山門がある。
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 山門をくぐり、左に進むと、地蔵尊と板碑型石塔が並んでいる。
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 地蔵尊である。上部に日輪、月輪があり、右縁に「奉造立地蔵菩薩庚申供養為講中二世安楽也」と刻されている。地蔵尊を主尊とする庚申塔であった。正徳年間の作である。
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 この地蔵尊の左にある板碑型の石塔も庚申塔である。承応年間の造立で、古いものだ。
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 満光寺から西へ歩くと消防署の先に阿遮院がある。阿遮院は、尾久で最古の寺院と言われている。長い参道の奥に山門が見える。
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 山門の脇塀は煉瓦積みである。煉瓦塀の前に地蔵尊が2体建っている。
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 左は寛文年間、右は宝暦年間の造立である。右の地蔵尊の顔はモルタルで修復されている。どのような過去があったのだろう。
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 阿遮院前の通りは「大門通り」と呼ばれている。阿遮院にあった大門に由来する通り名のようだ。都電を越えて大門通りを進むと、東尾久六丁目の路傍に銭湯がある。その名も大門湯である。
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 消防水利保全委員の琺瑯看板が取り付けられていた。湯船の湯を防火水槽として利用することが想定されているのだろう。
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 さらに進むと子育地蔵尊と刻された石柱があり、その後ろに地蔵堂がある。
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 大門通りの子育地蔵尊と呼ばれている地蔵尊である。優しい風情である。造立年は分からない。
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 大門通りの子育地蔵尊から西へ向かい、いくつか角を曲がると、20141210日号で報告した下尾久石尊がある。その時は、堂の左手にあった庚申塔は家庭ごみに埋もれ、その姿を見ることが出来なかった。
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 8年以上経ってようやく拝むことができた。「元禄十一戊寅年 奉供養庚申講為二世安楽也 十一月吉祥日」と刻されている。
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 下尾久石尊から石門通りを歩いて行くと、堂宇がある。
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 ガラス越しに見た子育地蔵尊である。
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 子育地蔵尊の扁額である。この額の揮毫者は、東尾久三丁目の満光寺の住職であった。
 この後、冬の尾久の原公園を散策してから帰途に就いた。
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