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Landscapes by the roadside

路傍学会


青面金剛のLandscape 335

川口市戸塚南 東福寺
  29東福寺
 川口市戸塚南二丁目の路傍、松の大木が見える。
  30東福寺
 回り込んでみると、東福寺の山門前に出た。
  31東福寺
 参道を進むと山門前の左右に金剛力士像が建つ。さらに行く手を阻むように子育て地蔵尊が建っている。不届き者の入山は罷りならぬということか。
  32東福寺

 山門の左には閻魔堂があるが、内部を伺うことはできない。その右側には六地蔵が並んでいる。

  33東福寺

 境内に入ると左手に宝篋印塔が二基並び、その奥に庚申塔が見える。

  34東福寺

 二体の青面金剛が祀られている。

  35東福寺

 右側は、右手に金剛鈴、左手にショケラを持つ六臂像である。後手は肘が直角に曲がる、川口でよく見られるタイプである。ショケラはなまめかしいポーズである。宝暦年間の作。

  36東福寺

 左側は、彫り窪めた中に六臂の合掌像が浮彫りにされている。

  37東福寺

 下部の三猿はかなり立体的である。元禄年間の作。

  38東福寺

 これは出羽三山供養塔である。寛政年間の造立。

  39東福寺

 参詣を終えて、観音菩薩に見送られて次の目的地に向かった。

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路傍祠のLandscape 50

目黒区南部界隈の路傍祠
  67桜森稲荷神社
 目黒区平町一丁目の路傍、玉垣に囲まれた桜森稲荷神社である。この界隈は「坂みちのある住宅地」として「めぐろ風景55」に選ばれているという。
  68桜森稲荷神社
 桜森稲荷神社である。かつてこの一帯に桜が多かったので、この名が付いたという。鳥居の左にコンクリートブロック製の小堂が見える。
  69桜森稲荷神社
 堂内に二体の青面金剛が祀られている。
  70桜森稲荷神社
 右側の青面金剛である。六臂の合掌像である。気迫に満ちている。享保年間の作。
  71桜森稲荷神社
 左側も六臂の合掌像である。均整のとれた像だが、細部は不明である。文化年間の作。
  72鉄飛坂庚申塔 帝釈堂
 目黒区平町二丁目、鉄飛坂の上、木の陰に瓦屋根が見える。
  73鉄飛坂庚申塔 帝釈堂
 帝釈堂である。
  74鉄飛坂庚申塔
 堂前には青面金剛が祀られている。六臂の合掌像である。紀年銘は見当たらない。
  75鉄飛坂庚申塔
 ガラス越しに帝釈堂の中を覗いてみた。4基の石塔が祀られている。右から2番目は「南無妙法蓮華経」と刻された題目塔で、他の3基は庚申塔である。右から3番目の像を拡大してみると・・・ 
  76鉄飛坂庚申塔
 帝釈天像が彫られていた。明治14年の造立である。この後、堂前の急な鉄飛坂を下り、次の目的地へ向かった。
  77自由が丘 琺瑯看板
 目黒区自由が丘の緑小通の坂道を歩いていると、左手の塀の中程に琺瑯看板がある。
  78自由が丘 琺瑯看板
 琺瑯看板の周りはモルタルで固めてある。「自由ケ丘」とある。1965年に「自由ケ丘」は「自由が丘」に改称されているので、それ以前の看板である。寄贈者の証券会社は今も営業を続けている。
  79熊野神社
 琺瑯看板の南側に自由が丘熊野神社が鎮座している。その一の鳥居の左側の玉垣の外れに路傍祠がある。
  80熊野神社
 祠内には青面金剛が祀られている。大分摩滅しているが剣、ショケラを持つ六臂の青面金剛である。文政年間の作。
  81熊野神社
 傍らには招き猫も供えられている。今回は目黒区南部界隈の路傍祠を巡ってみた。アップダウンが多く、かなり汗をかいたが、帝釈天像など珍しいものを見ることができた。この後、自由が丘駅まで歩き、帰途に着いた。
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界隈のLandscape 67

台東区谷中 キッテ通り
  15三浦坂
 台東区谷中二丁目、道の先は三浦坂である。以前紹介した猫カフェは坂の中程にある。この角を左折する道は「谷中キッテ通り」である。
  16真島稲荷神社
 キッテ通りに入り、路地を覗くと、奥に赤い鳥居が見える。
  17真島稲荷神社
 真島稲荷神社である。
  18真島稲荷神社
 崖線の中に埋め込まれるようにして鎮座し、背後からは崖線の竹が覆い被さっている。
  19谷中キッテ通り 地蔵尊

 真島稲荷神社の参道の先にあるお宅の前には地蔵尊が祀られている。

  20谷中キッテ通り

 キッテ通りにもお洒落な店舗は増えてきている。これはビストロ。

  21谷中キッテ通り

 キッテ通りという名前は、「谷中に来て」という想いの「キテ」と、切手の「キッテ」を掛けたものという。

  22台東谷中郵便局

 切手はこの郵便局に由来するのだろう。

  23谷中崖線

 キッテ通りの東側には崖線が迫り、その上には家が建ち並んでいる。

  24谷中 擁壁

 東の路地に入ると擁壁の連なりが見える。谷中とは谷の中の街という意味か、などと思いたくなる。

  25谷中キッテ通り 天水桶

 プランターに転用した雨水桶には埴輪のミニチュアが置いてあった。

  26谷中キッテ通り

 これは服の他に雑貨、インテリアなども取り扱う店である。ライフスタイルショップと言うのだろうか。キッテ通りは伝統あるものと新しいものが同居する通りである。

  27いせ辰

 キッテ通りの三崎坂角には、元治元年に創業した江戸千代紙、おもちゃ絵の版元が営業している。

  28いせ辰

 店先では風鈴が涼し気な音を響かせていた。

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路傍祠のLandscape 49

中野区北部界隈の路傍祠
  01鷺宮 西武線踏切路傍
 中野区鷺宮一丁目、西武新宿線踏切近くに路傍祠がある。
  02鷺宮 西武線踏切路傍
 少し傾いた祠の中には青面金剛が祀られている。
  03鷺宮 西武線踏切路傍
 六臂の合掌像である。風化が進み、細部が不明である。正徳年間の造立である。千羽鶴もある。
  04野方4丁目 西武新宿
 西武新宿線は中井駅と野方駅の間で地下化工事が進められている。野方四丁目の踏切から沼袋駅方向を見たところである。線路脇では掘削工事が進行している。
  05野方4丁目 庚申塔
 西武線から少し北上した野方四丁目の路傍に青面金剛が祀られている。
  06野方4丁目 庚申塔
 六臂の合掌像である。
  07野方4丁目 庚申塔
 顔付近にモルタルで割れを修復した跡が見える。側面には蓮華蓮葉が浮彫りされていた。元文年間の作。
  08野方4丁目 庚申塔 ドラえもん
 ドラえもんも供えられている。
  09沼袋4丁目 庚申塔
 西武線から北上すると沼袋四丁目に路傍祠がある。
  10沼袋4丁目 庚申塔
 大谷石製の祠の中に青面金剛が祀られている。
  11沼袋4丁目 庚申塔
 ショケラを持つ六臂の剣人の座像である。右縁に多摩郡江古田村と刻まれている。
  12沼袋4丁目 庚申塔
 この青面金剛は邪鬼の上にどっしりと腰を下ろしている。邪鬼は苦しそうである。
  13沼袋4丁目 庚申塔
 三猿の両側に二鶏が線刻されている。なかなかの優品である。正徳年間の作。今回は中野区北部界隈の路傍祠を訪ねた。市街地の中にあって、今も周囲の方々に大切にされていることが確認できた。
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  2. 路傍祠
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国旗掲揚塔のLandscape 41

渋谷区代々木 代々木公園
  01ブルーインパルス
 新宿区霞ヶ丘町、大江戸線国立競技場駅A1出口付近に人だかりができている。駅の出口前だけではない、国立競技場周囲の立入禁止エリアに沿って多くの人が集まっている。
  02ブルーインパルス
 1240分頃、「来たーっ!」と叫ぶいくつもの声が聞こえると小型ジェット機の編隊が現れた。
  03ブルーインパルス
 そして、少しばかりスモークを出したと思ったら競技場の屋根の陰に入ってしまった。
  04ブルーインパルス

 それからおよそ10分後、五輪マークを描き始めた。

  05ブルーインパルス

 競技場の上空に五輪マークが描かれるものと思っていたが、撮影位置が良くなかったようだ。

  06ブルーインパルス

 そんなことを考えていたら五輪マークはどんどん薄くなる。たった今、本番で五輪マークを大空に描くブルーインパルスのテスト飛行が行われたのだ。明後日の本番では色付きの五輪を描くという。密を避けて、どこで見るかな。

  掲揚塔②

 束の間、大空に浮かんだ五輪を眺めた後、渋谷区代々木一丁目、代々木駅前にやって来た。これは201939日号で報告した代々木駅前の国旗掲揚塔である。昭和3910月吉日に、オリンピックを記念して地元町会が建てたものである。

  掲揚塔④

 掲揚柱には錆が浮いていた。

  掲揚塔⑤

 掲揚ロープも切れ、長い間使われていない状態であった。

  07代々木駅前

 今日、再び現場を訪れてみると、掲揚柱は真新しいステンレス製のものに取り換えられているではないか。

  08代々木駅前

 ロープも新品である。明後日の開会式に間に合わせたのだろう。前回の五輪記念で建てられたものだけに、2回目の五輪を契機に復活されることを望んでいたので大変嬉しい。気をよくして、炎暑の中、西早稲田に足を伸ばした。高田馬場一丁目の国旗掲揚塔が気になったからだ。

  09高田馬場

 明治通りの路傍の階段を上った先に国旗掲揚塔はある。

  五輪記念⑤

 20193月の国旗掲揚塔である。昭和391024日、オリンピックの閉会式の日に地元町会が建てた国旗掲揚塔である。掲揚柱は失われ、機能を果たせる状態になかった。

  10高田馬場

 今日見た国旗掲揚塔である。2年前と同じである。周辺の樹木が生い茂り、忘れ去られた感が漂う。それぞれ地元町会が建てたものであるが、代々木駅前との違いは何だろう。前回の五輪を記念して建てられた国旗掲揚塔は多数あるが、それらは今どのようになっているのだろう。そして、今回のオリンピックは、レガシーとして東京に何を残すのだろうか。

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  2. 国旗掲揚塔
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青面金剛のLandscape 334

中野区沼袋 実相院
  31実相院
 中野区沼袋四丁目の路傍、実相院の山門である。
  32実相院
 山門の奥に石仏が並んでいる。
  33実相院
 石仏の先に建つ石灯篭である。竿に龍が纏わり付いている。
  34実相院
 地輪である。龍がこんがらがっている。
  35実相院
 本堂の軒下には数多くの吊灯籠が吊り下げられている。
  36実相院
 墓地の入口には石塔が並んでいる。
  37実相院
 右側の3体は青面金剛像である。
  38実相院
 左から二番目は、勢至菩薩である。優しいお顔である。阿弥陀三尊のひとつで、観世音菩薩とともに阿弥如来の脇侍となるが、単独で祀られることもあるのだ。元文年間の作である。
  39実相院

 勢至菩薩の右にある青面金剛である。六臂の合掌像である。左上手に持っているのは何だろう。鍵だろうか。正徳年間の作。

  40実相院

 右から2番目の像の三猿である。主尊を頭で支えているように見える。元禄年間の作。中央部二体の青面金剛の三猿はこのパターンである。

  41実相院

 向かいにも六地蔵などの石仏が並んでいる。

  42実相院

 その中の青面金剛である。武刕多麻郡沼袋村と刻されており、地元の方々が正徳年間に造立したものだが、傷みが酷く、細部は不明である。

  43実相院

 一番手前の傷んだ像は不動明王であろう。

  44実相院

 参詣を終え、参道脇の地蔵菩薩に見送られて帰途に着いた。

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神社のLandscape 275

松戸市大橋 胡録神社
  01胡録神社
 松戸市大橋の路傍に胡録神社の社号標が建っている。
  02胡録神社
 一の鳥居である。奥に社殿に至る急な石段が見える。
  03胡録神社
 石製の扁額である。
  04胡録神社
 石段を上ると、勤めを終えた狛犬がぽつんと座っている。
  05胡録神社
 これは延宝年間に地元の人が奉納した手水鉢である。
  06胡録神社
 子連れ狛犬である。ニカッと笑っている。
  07胡録神社
 こちらは玉持ちの狛犬である。これも嬉しそうである。明治39年の作。日露戦争の勝利を喜んでいるのだ。
  08胡録神社
 社殿の右には末社が祀られている。
  09胡録神社
 末社の前にはコンクリートの台座の上に力石が鎮座している。
  10胡録神社
 力石の後ろの石祠には縫いぐるみやお人形が納められている。
  11胡録神社
 疱瘡神の前にある三尊像は何だろう。
  12胡録神社
 帰路、近くの畑に咲いていたネギ坊主のような花である。
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  2. 神社
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青面金剛のLandscape 333

我孫子市新木野 長福寺
  56長福寺
 我孫子市新木野一丁目、成田街道(国道356号)の路傍に、長福寺の山門がある。
  57長福寺
 境内に入る。右が観音堂、左は大師堂である。
  58長福寺
 大師堂の向拝虹梁の上や木鼻、懸魚などに竜、唐獅子、亀、千鳥などの彫刻がある。
  59長福寺
 これは左側面である。胴板部には十六羅漢像が彫り込まれている。
  60長福寺
 これは右側面の胴板部で、上の写真と同様に羅漢が彫刻されている。この大師堂の彫刻は後藤藤太郎の手によるものである。7月11日号で報告した葺不合神社本殿の彫刻も藤太郎が手掛けたものである。
  61長福寺
 観音堂の右には石仏群が祀られている。
  62長福寺
 並ぶ石仏の中に青面金剛もあった。六臂の合掌像である。
  63長福寺
 邪鬼の周りは丁寧に深く彫り込まれている。傷みの少ない綺麗な像である。紀年銘は読み取れなかった。
  64長福寺
 国道寄りの境内には水準点があった。

  65長福寺
 帰り際に山門の柱を見るとこのようなプレートがあった。昭和6年、東京浅草の光照睦講中により建立されたものである。
  66長福寺
 これはもう一方の門柱である。浅草の岩田留次郎、喜三郎が制作したものである。岩田喜三郎は7月10日号で報告した新木太子堂の龍の鏝絵も手掛けている。
  67我孫子市新木野 成田街道
 街道はこの先、成田へと続いている。いずれ歩いてみたい。
  68成田線 新木駅
 新木駅から成田線に乗り、帰途に着いた。
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神社のLandscape 274

我孫子市新木 葺不合神社
  41葺不合神社
 我孫子市新木、成田街道(国道356号)の路傍に葺不合(ふきあえず)神社の一の鳥居がある。
  42葺不合神社
 鳥居の左手に庚申塔がある。
  43葺不合神社
 ふくよかな六臂の合掌像である。享保年間の作。
  44葺不合神社
 一の鳥居をくぐると参道は石段を下る。
  45葺不合神社
 二の鳥居の先では石段を上り、社殿に至る。二の鳥居から拝殿が見える。扁額には天中宮とある。もともと弁天堂として建てられた建物である。
  46葺不合神社
 内陣の正面には天女の彩色画が見える。
  47葺不合神社
 各間の小壁には彩色された草花鳥獣の彫刻が配されている。
  48葺不合神社
 海老虹梁は見事にうねっている。
  49葺不合神社
 拝殿の背後にある本殿の覆屋である。
  50葺不合神社
 横から見た拝殿である。柱間三間の前一間通りは建具が取り払われて吹放ちとなっている。
  51葺不合神社
 本殿は一間社流造の小振りな社殿だが、全体に装飾彫刻が施されている。これは八岐大蛇を題材とした胴羽目彫刻である。十束剣を振るう素戔嗚尊である。
  52葺不合神社
 本殿周辺には白山神社、三峰社などいくつもの境内社が鎮座している。これは妙見菩薩である。
  53葺不合神社
 参拝を終えて次の目的地へ向かおうとして、ふと一の鳥居の脇を見ると、木の葉の影に青面金剛が見えるではないか。
  54葺不合神社
 近づいて見ると、二童子を従えたショケラを持つ剣人である。
  55葺不合神社
 写真では見づらいが、上の邪鬼と下の三猿との間に二鶏が線刻されている。元文年間の作である。最後に珍しい青面金剛を見て、見どころの多い神社を後にした。
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界隈のLandscape 66

我孫子市新木 成田街道界隈(その2)
  21地蔵院
 将門の守本尊を祀る観音寺から成田街道(国道356号)を成田方向に進むと、我孫子市新木の路傍に地蔵院が現れる。明治6年に廃寺となったものの、信徒等によって護持されている。
  22地蔵院
 延命地蔵菩薩を祀る堂である。
  23地蔵院
 ガラス越しに中を覗いてみると、延命地蔵菩薩の背後にはびっしりと千躰地蔵尊が並んでいた。
  24地蔵院
 地蔵堂の向いには石塔が並んでいる。
  25地蔵院
 その中に青面金剛もある。
  26地蔵院
 ショケラを持つ剣人である。力強い像である。
  27地蔵院
 邪鬼も迫力がある。
  28太子堂
 観音寺から東方向に歩いていると、左手に黄土色の建物が見えてきた。狭い階段を上ってみた。
  29太子堂
 新木太子堂である。
  30聖徳太子像
 堂内に奉祀されている聖徳太子像である。柄香炉を持つ太子十六歳孝養像であるが、柄香炉は失われている。。
  31太子堂 阿弥陀如来坐像
 堂内には、厨子に納められた木造阿弥陀如来坐像もある。
  32太子堂 鏝絵
 扁額の後ろにはダイナミックな龍の鏝絵があった。
  33太子堂 六地蔵
 六地蔵に見送られて成田街道を歩く旅に戻った。

 〇東京都公園協会が情報を求めています

 下の3枚の写真は、公益財団法人東京都公園協会が所有している古写真です。昭和3035年頃に東京都内で撮影されたものですが、撮影場所が不明です。

  34公園協会古写真

 この写真には電柱複数に張り紙があり、拡大すると「月〇デパート 木村百貨店」「質 まつや」という文字が見えます。

  35公園協会古写真

 この写真には木立の奥の店の看板に「鮮魚 魚清」などの文字が読み取れます。

  36公園協会古写真

 都内の集合住宅です。あそこでは?など、お気づきの情報をお寄せ下さい。

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  2. 界隈
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