路傍祠のLandscape 57
本堂前に2基の庚申塔が祀られている。左は板碑型の庚申塔で、明暦年間の作である。かなり古い部類の庚申塔である。
右の庚申塔は、下部に合掌している2猿が陽刻されている。
上部には日輪、月輪が陰刻されている。寛文年間の作である。
庚申塔の左に祀られている不動明王は、明和年間の作である。堀切界隈の庚申塔は、傷みが見られず状態の良いものばかりであった。
堀切界隈の庚申塔は、傷みが見られず状態の良いものばかりであった。箒を持つお猿さんに見送られて帰途に就いた。
間もなく寅が去り、卯がやってくる。
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青面金剛のLandscape 412
鳥居の先に並木が続いている。参道の並木だったのだ。
長い参道の先にようやく社殿が見えてきた。
社殿の左手に、聖徳太子供養塔、庚申塔に挟まれた石仏がある。
聖観音である。稲荷神の本地仏である。下部には稲荷らしく狐が陽刻されている。珍しい石仏ではなかろうか。寛保年間の造立である。この後、香取神社にお参りして次の訪問先へ向かったのだが、帰宅してから調べてみると、拝殿の裏には百庚申があるという。見損じてしまった。大失敗。
西三ヶ尾香取神社から南へ歩くと、上三ヶ尾の路傍の石段の両側に石塔、その先に鳥居が見える。三ケ尾神社である。
左側の石塔である。左から二十三夜塔供養塔、庚申供養塔、青面金剛である。
青面金剛の左側面には不見猿がいる。正面は不聞猿、右側面は不言猿であった。文化年間の作。
石段の右側である。六臂の合掌青面金剛が2体並んでいる。
中央の青面金剛である。綺麗な青面金剛である。元禄年間の作。
この後、東武の運河駅まで歩き、帰途に就いた。
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界隈のLandscape 137
昨年12月22日号で、成田街道を歩いて新勝寺総門までたどり着いた。また、今年10月12日号でも、我孫子で水戸街道から分かれた成田道を通って新勝寺へ参詣したところである。今回は、成田街道の終点である寺台宿を目指す。
新勝寺総門が今回の旅のスタート地点である。
総門の前を過ぎて、街道は、元禄年間創業の酒店「鍋屋源五右衛門」の角を曲がる。
成田市田町の街道は田町商店会と呼ばれているが、商店は減り、往年の賑わいは見られない。カーブの先に祠が見える。
大谷石積の擁壁の上に祠が二つ建っている。左に水子地蔵尊、右に子安観世音菩薩が祀られている。
二つの祠の間に石仏が並んでいる。
青面金剛が祀られていた。きりりとした六臂の合掌像である。明和年間の作。
成田高校の前を過ぎて、左に曲がったこの辺りが、田町と寺台の境である。寺台宿は、成田街道の終点、佐原街道の起点であり、成田方から下宿、中宿、上宿から成っていたという。寺台宿の東参道は、表参道に比べて人通りははるかに少なく、静かである。
永興寺の山門脇に小堂がある。
手前の小堂には大日如来の額が見える。
中央に石造の大日如来、その左には青面金剛、右に素朴な円空仏のような木像が祀られている。堂内の仏像には戒名を記した札が貼りつけられている。供養のために貼るのだろうか。説明板によると青面金剛は享保15年の作である。
寺台宿の鎮守、保目神社である。
保目神社の先に寺台城址を示す標識がある。寺台宿の北にある高台に千葉氏の家臣馬場氏の寺台城があったが、秀吉の小田原攻めの際に落城したという。狭い道を通り、息を切らせて城址へ上がった。
寺台城址からの眺めである。手前が寺台の家並である。
城跡へ上がる途中に南天が綺麗な実をつけていた。難が転じますように。
城址から下りると街道は三叉路になっている。右は香取神宮、鹿島神宮に通じる道である。この東側を流れる根木名川に寺台河岸があり、銚子、江戸方面との舟運で発展したというが、今では城下町、宿場の面影を感じることは難しい。
寺台宿まで歩き、成田街道コンプリートである。この後、新勝寺にお参りした。
境内には、警察の警備本部のプレハブも設置され、初詣の準備が進められていた。
おまけ
表参道で見かけたサンタ猫である。通行人に睨みを利かせていた。
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建物のLandscape 49
葛飾区東堀切三丁目の路傍に銭湯「さつき湯」がある。人がたむろしている。
だんだん人の数も増えてきた。葛飾区浴場組合連合会が主催した銭湯の背景画制作過程見学会に参加する人達だ。
これまで、路傍学会では、営業を終えた銭湯、解体中の銭湯、銭湯絵の発祥の地などを取り上げてきたが、描いている途中の銭湯絵を見たことはなかった。
わくわくして浴場に入る。ここは女湯だけになおさらである。
銭湯絵師が松の幹を描いている。
あっという間に3本の松を描き終え、見学者の質問に答えてくれた。銭湯絵師は中島盛夫氏で、日本に3人いる絵師の一人である。これまでに延べ1万点の作品を描いているという。銭湯絵を仕上げるには10本の筆を使い分けると聞いた。
こちらは男湯側の絵である。銭湯絵の下に小さな絵が貼ってある。
貼ってあった絵は、広重の絵本江戸土産「四ツ木通引舟通」であった。この浮世絵を銭湯絵のモチーフとしているのだ。
この浮世絵は、さつき湯の東側に流れていた曳舟川を往来する曳舟を描いたものである。画中には「前に記せし掘割は その長きこと二里に餘り 末流新宿の川に入る 適ここを過るの旅客舟に乗て往還すれど 元来幅の狭きによりて その舟に縄を掛け陸にありてこれを引く 因て引舟道りと唱ふ 水竿を操り盧をおすより またその客は風雅なり」と記されている。縄を懸けた小舟を引いたことから引舟(曳舟)通りと呼ばれるようになったようだ。江戸市中から下総、水戸へ行く旅人がこの曳舟を利用したといわれている。この曳舟も明治15~16年には、人力車との競争に敗れ姿を消したという。
丁度、舟を引く人を描いているところだ。
手際よく曳舟が完成である。
脱衣室からもガラス越しに富士山が見えるように描かれている。
30分程の見学会であったが、銭湯絵を描く様子を初めて見ることができた貴重な体験となった。
帰り際に「葛飾銭湯」のバッグとタオル、銭湯クーポンを頂戴した。さあて、どこの銭湯絵を眺めながら温まることにしようか。
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青面金剛のLandscape 411
これは右端の文化年間に造立された庚申塔の三猿である。中央の不聞猿は両手で左側の耳を覆っている。
これは左端の庚申塔の三猿である。中央の猿は、右手で左耳を塞いでいる。耳の覆い方も色々である。
参道の左に並ぶ石塔である。
その中に祀られている青面金剛である。六臂の合掌像である。この不聞猿は、左右の耳を塞いでいる。享保年間の作。
右端に甲子講之塔がある。9月11日号で、柏市篠籠田の路傍で文字が不鮮明になった甲子講らしい石塔を報告したが、このような姿であったのではないか。
境内奥には庚申塔が並んでいる。30基余りで、百には及ばない。後には壊れた庚申塔もある。
香取駒形両神社の参拝を済ませて北へ進むと、路傍に普門寺の看板が建っている。
禅寺らしい落ち着いた佇まいである。
寺号標の後ろに庚申塔と青面金剛が祀られている。
六臂の合掌像であるが、あちらこちら欠落している。邪鬼の顔や左の三猿も失われている。
側面も欠け、造立年を読み取れない。残念な状態である。
甲子講の大黒天像である。何とも優しいお顔である。流山の石工清吉の手によるものである。
周りの雑木林には紅葉が残っていた。
まだ紅葉が散らずにいるのに、大黒天の足元ではもう水仙が花を付けていた。
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青面金剛のLandscape 410
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橋のLandscape 33
開通に先立ち「環状2号線本線(築地・新橋間)開通記念ウォーキングイベント」が開催された。
一旦、晴海方向へトンネルを出る。トンネルの先には、11月23日号で紹介した勝どき四丁目のタワーマンションが見えた。
Uターンして、築地虎ノ門トンネルウォーキングの始まりである。
トンネル内の様子である。トンネル内では、東京都の職員がトンネルの設備等について丁寧に説明してくれた。
築地大橋の模型も展示されていた。
途中には、警察署の管理区分も表示されていた。事故処理の対応はここで区分されるのだろう。
出来立てのトンネルは美しい。1日3万9000台の車両走行が見込まれているという。
トンネルはまだ続いているが、今回のウォーキングはここまで。非常口を通って地上へ向かう。
コンラッドホテル近くの地上に出て来た。非常口のドアは跳ね上げ式になっていた。
この後、トンネル内で模型が展示されていた築地大橋へ向かった。
橋長254mの鋼3径間連続中路式アーチ橋。優美なデザインである。2018年、環状2号線豊洲~築地間の暫定開通に伴い開通した。隅田川で最も下流に位置する橋梁である。
築地大橋の橋名板である。前都知事の揮毫である。
これは、2014年3月29日に開催された環状2号線(新橋・虎ノ門間)開通式の様子である。国交大臣、都知事が列席している。この時から8年余りの歳月を経て、明日、環状2号線が全線開通する運びとなった。
築地大橋の袂には築地市場の跡地が広がっている。再開発事業者は、2023年度内に決定されるという。ここには、寛政の改革を推し進めた松平定信が造った池泉回遊式庭園「浴恩園」が眠っている。庭園が眠る土地でどのような街づくりが展開されるのか、路傍学会の興味は尽きない。
カレッタ汐留から見た環2と築地大橋である。環2は江東区有明を起点に、中央区や港区を経て千代田区神田佐久間町を終点とする約14㎞の都市計画道路である。2020年のオリンピック開催に間に合わせるよう整備が進められていたが、築地市場の移転が遅れたため、明日の開通となった。臨海部と都心部を結ぶ交通・物流ネットワークの強化や防災性の強化が期待されている。
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界隈のLandscape 136
12月11日号の続きである。
千葉市中央区今井三丁目、房総往還は南へ続いている。この街道の西に国道357号があるので、交通量はさほど多くない。
今井町のバス停の先の左角に石柱が建っている。
「大がん寺の道」と刻されている。ここから東へ2㎞程の所にある大巌寺への道標である。
蘇我一丁目の路傍の商店である。もう営業を終えているようだが、酒、たばこ、雑貨を商うゼネラルストアである。
蘇我二丁目に蘇我比咩神社が鎮座している。式内社である。
境内には富士塚がある。
街道を進むと、路傍にイギリス積みの煉瓦蔵があった。目地は手間と技術が必要な福輪目地である。福輪目地は東京駅にも使われている目地だ。
通気口の石製の引戸には板の文字が浮彫りにされている。この写真を撮影していたら、何を撮っているのかと、近所の人に尋ねられた。
蘇我三丁目で房総往還は、京葉臨海鉄道貨物線を越える。踏切は「旧国道踏切」である。この房総往還がかつての国道であったことが分かる。
塩田町で見かけた看板である。思いっきり弾くように強打することが肝要ということか。
卓球看板の先に塩田天満宮が鎮座している。唐破風と千鳥破風の重厚な屋根である。
境内には天満宮らしく牛がいる。
塩浜橋を渡って道なりに進むと、右手に赤い社が現れる。夜光稲荷神社である。元禄時代に建てられ、五穀豊穣、安産、火伏せ、疫病退散、家内円満、海上安全、商売繁盛など素直な人には何事も叶えてくれるという。
夜光稲荷神社の先に本行寺がある。その参道脇には水準点が設けられている。
かつて浜野宿は浜野河岸、本行寺門前町で賑わい、遊郭も4軒あったというが、今では平凡な街並みである。
この後、内房線の浜野駅まで歩き、帰途に就いた。
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界隈のLandscape 135
房総往還を歩く旅である。11月2日号の続きで、京成・千葉中央駅から歩き始めた。
千葉市中央区、港町交差点である。交差点の右の角には君待橋之碑が建っている。君待橋は、都川に架かる橋である。この橋の袂で千葉常胤一族が源頼朝を出迎えた時、頼朝が橋の名を尋ねると、常胤の息子が「見えかくれ八重の潮路を待橋や渡りもあえず帰る舟人」と詠んで答え、この歌から君待橋になったという説がある。この橋名の由来については諸説あるようだ。
港町を南へ歩く。
寒川町に入ると寒川神社がある。寒川の総鎮守である。
寒川神社のご利益に「航海安全」がある。昔は、沖合いを航行する船舶は礼帆と称して帆を半ば下げて航行し、社前を馬上で通行するものは武家・町民を問わず下馬をして通行していたという。古くから船乗りの信仰を集めていたのだろう。
寒川町二丁目の路傍にある牛乳店である。左の路地側から出入りする存在感のある面白い看板建築である。
寒川町三丁目の路傍に銭湯がある。大正末期の創業という老舗である。
上の銭湯からいくらも離れていない所にまた銭湯がある。寒川二丁目から三丁目にかけて、房総往還路傍には3軒の銭湯があった。昔、漁から戻った漁師が銭湯に立ち寄ったことから、このエリアには多くの銭湯が造られたという。姿を消す銭湯が多い中、房総往還沿いにかつての漁師町の面影を伝える銭湯が営業を続けているのは嬉しい。
沿道の古店舗にあった電話番号票である。新旧の番号が並んでいる。千葉局である。
営業を終えた商店である。看板をよく見ると、食料品、缶詰、和洋菓子、パン、雑貨とある。米穀店でもあったようだ。何でもそろう昔のコンビニだったようだ。
昔のコンビニの隣の建物である。廃寺のような趣である。高祖日蓮大菩薩と刻された石柱があった。
上の建物の向いに庚申塔が建っている。左側面に「右ハかつさ道 左ハちばてら道」と刻されている。道標を兼ねた庚申塔である。延享年間の造立である。
京葉線の高架橋をくぐると。稲荷町二丁目に入る。
稲荷町二丁目の路傍、石積みの塀に守られて稲荷神社が鎮座している。平安時代後期以来千葉氏は守護神として崇敬し、源頼朝は太刀一振を献上したという。
安政6年に建立された拝殿の向拝の彫刻は見事である。竜が参拝者を見据える。竜の両側の波は繊細かつダイナミックである。
脇障子は鳳凰に松である。見応えのある彫刻を楽しませてもらった。
房総往還を歩く旅はまだ続く。
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青面金剛のLandscape 409
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