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Landscapes by the roadside

路傍学会


青面金剛のLandscape 359

さいたま市南区鹿手袋、四谷界隈の青面金剛
  鹿手袋1
 さいたま市南区鹿手袋四丁目、左に見えるのはJR 武蔵野線の高架橋である。
  鹿手袋2
 高架沿いの道を東に進むと、石灯籠の建つ一画がある。
  鹿手袋3
 石段の左手、小屋根に護られた馬頭観音がある。奥には祠が見える。
  鹿手袋4
 表面の剥落が進んでいるが、天明年間に造立された馬頭観音である。
  鹿手袋5
 祠内に祀られている青面金剛である。剣、ショケラ持ちの六臂像である。傷みの少ない像だが、剣と左手の色が異なっている。後補されたのだろう。
  鹿手袋6
 着物の文様も細かく彫り込まれている。寛政年間の作である。
  鹿手袋7
 鹿手袋六丁目の路傍に宝泉寺の山門がある。
  鹿手袋8
 山門をくぐると、左手に庚申塔と青面金剛が祀られている。
  鹿手袋9
 六臂の合掌像である。
  鹿手袋10
 邪鬼は指先まで細かく彫られているが、顔が傷んでいるのは残念。
  鹿手袋11
 青面金剛の右手に祀られている六地蔵である。皆暖かそうな毛糸のショールを纏っている。檀家の方の手編みだろうか。
  鹿手袋12
 宝泉寺から南へ歩くと、四谷三丁目の路傍に四谷観音堂がある。
  鹿手袋13
 影で見づらいが、手水鉢の後ろに青面金剛が祀られている。
  鹿手袋14
 六臂の合掌像である。宝永年間の作。
  鹿手袋15
 青面金剛の右側に祀られているこちらの六地蔵は、ショールではなく赤い衣に身を包んでいた。風邪など召しませぬように。
 さいたま市南区北西部の青面金剛と六地蔵を巡る旅はまだ続く。
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  2. 青面金剛
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看板のLandscape 57

台東区、豊島区、葛飾区、江戸川区のエンゼルマーク
  エンゼルマーク1
 浅草界隈を歩いていたら、台東区入谷二丁目、金竜小学校の向いにある建物が目に入った。パラペットにエンゼルマークが取り付けられている。
  エンゼルマーク2
 大分錆が浮いている。元は牛乳販売店だったのだろう。このエンゼルマークを見てから、路傍学会のアーカイブスを調べてみた。
  エンゼルマーク3
 これは20188月に撮影した豊島区駒込四丁目の牛乳販売店である。
  エンゼルマーク4
 このマークでは天使の顔が見える。
  エンゼルマーク5
 こちらは江戸川区西小岩四丁目で今も営業を続けている牛乳販売店である。
  エンゼルマーク6
 円形の枠は錆びているが、天使は綺麗である。
  エンゼルマーク7
 葛飾区高砂二丁目にある牛乳販売店である。
  エンゼルマーク8
 白色のペンキが塗られていて、細部は分かりにくくなっている。
  エンゼルマーク9
 これは202056日号で紹介した台東区台東三丁目の元牛乳販売店である。
  エンゼルマーク10
 エンゼルは全体が錆びてしまっている。
  エンゼルマーク11
 球形の乳酸菌飲料の看板の裏側には明瞭なエンゼルマークが残っていた。
 森永のエンゼルマークは、明治38年の誕生以来7回変更されているという。今回報告したマークは昭和26年から昭和61年まで使われたものだ。現行のデザインへ変更された時に白く塗装されたのではないだろうか。アーカイブスの写真を改めて見ながら、牛乳販売店は随分と姿を消したなあと感じた。ガチャガチャと牛乳瓶が擦れる牛乳配達の音も聞かなくなった。
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界隈のLandscape 91

印西市木下~小林界隈(その2)

 1月23日号の続きである。

  木下・小林21

 平岡交差点で国道356号は分岐する。利根川堤防を離れて右へ進む。

  木下・小林22

 しばらく進むと道は二股に分かれ、旧道と思しき道を進むと路傍に3基の石塔が建っている。

  木下・小林23

 享和年間の十九夜塔、安政年間の二十三夜塔である。手前の塔は風化が進み判読できない。近くには墓石のようなものもあり、やはりこの道が旧道なのだろう。

  木下・小林24

 馬場入口バス停近くから眺めた小林の市街地である。

  木下・小林25

 小林交差点で国道を離れ、小林駅方向へ行く右の道を進んだ。

  木下・小林26

 成田線を越えて、光明寺を目指し、急勾配の坂道を上る。

  木下・小林27

 光明寺の本堂である。

  木下・小林28

 境内の奥に石塔が集められた一画がある。左奥の社は金比羅大権現である。

  木下・小林29

 剣とショケラを持つ六臂の青面金剛である。邪鬼はぺしゃんこである。

  木下・小林30

 この像は左右の側面には童子が浮彫りにされている。享保年間の作である。

  木下・小林31

 小振りな青面金剛だが、どこか愛嬌のある像である。ショケラも可愛い。

  木下・小林32

 六臂の合掌像と、剣を持つ六臂像が並んでいる。左の青面金剛が左手に持っているのは何だろう。

  木下・小林33

 右の像の邪鬼である。すっかり諦めた風情である。

  木下・小林34

 右手で剣を持つこの青面金剛は、左手に生首を持っている。印旛、手賀沼周辺で見られる「生首持ち型青面金剛」と呼ばれるものである。宝暦年間の作である。

 ここに集められている青面金剛は、ほとんど傷みの無いものばかりで、見応えがあった。

  木下・小林35

 また、急な坂道を下り、小林駅から帰途に着いた。

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  2. 界隈
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界隈のLandscape 90

印西市木下~小林界隈
昨年の1013日号に続く歩き旅である。成田線木下駅から歩き始めた。
  木下・小林1
 街道筋を離れて歩いていると、路傍に石塔が並んでいる。
  木下・小林2
 奥に見えるのは、上町観音堂である。銅造十一面観音菩薩が祀られている。
  木下・小林3
 参道入口脇には青面金剛が建っている。六臂の合掌像である。
  木下・小林4
 側面には、江戸道、鹿島道、佐倉道と刻され、道標を兼ねている。元禄年間の作である。
  木下・小林5
 手水は手押しポンプで汲み上げる珍しい方式である。
  木下・小林6
 観音堂から緩やかにくねる道を通り、成田線の踏切を越えると渋い建物がある。
  木下・小林7
 運送会社の車庫だったのだろうか。
  木下・小林8
 道を進むと、側壁にキンチョールの看板。いつ頃のものだろう。
  木下・小林9
 正面である。看板のラインが洒落ている。
  木下・小林10
 老舗の蕎麦店である。入ってみたかったが、昼食にはまだ早いのでスルー。
  木下・小林11
 蕎麦店の先にある旅館である。江戸時代の旅籠から続く旅館である。最盛期の木下宿には50軒余りの旅籠、飲食店が軒を連ねていたという。
  木下・小林12
 旅館の先で利根川の土手に上がると木下河岸跡である。木下河岸は、利根川下流へ向かう旅客や銚子、九十九里方面からの鮮魚荷物などで大変賑わったが、鉄道の開通、河川改修などにより衰退したという。
  木下・小林13
 道はこの先、小林へ向かうが、歩道が無い! 国道は車優先なのだ。土手下の道を歩いて行くことにする。
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  2. 界隈
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青面金剛のLandscape 358

越谷市大林、南荻島界隈の青面金剛
  大林・南荻島1
 越谷市大林、旧日光街道の路傍、香取神社の参道がある。
  大林・南荻島2
 参道を進み境内に入ると、帰還御礼のタイル文字が付いた石柱がある。傍らには力石もある。帰還御礼は、出征した兵士が帰還したことへの御礼だろう。
  大林・南荻島3
 参道脇に青面金剛が祀られている。
  大林・南荻島4
 六臂の合掌像だが、細部は分からなくなっている。邪鬼は正面を向いて肘を張っている。享保年間の作。
  大林・南荻島5
 南荻島の路傍に墓地がある。
  大林・南荻島6
 その墓地の墓石の左隣に馬頭観音が祀られていた。大正五年に造立されたものである。
  大林・南荻島7
 南荻島の玉泉院である。
  大林・南荻島8
 境内には、元禄年間に造立された六地蔵が祀られている。
  大林・南荻島9
 玉泉院から東に進むと、石塔が並ぶ一画がある。
  大林・南荻島10
 その中の青面金剛である。輪飾りの裏白でよく見えないが、六臂の合掌像である。天明年間の作。
  大林・南荻島11
 これは、牛馬商が大正三年に造立した馬頭観音である。
  大林・南荻島12
 馬頭観音から南下した路傍に庚申塔が建っていた。天保年間の造立である。
  大林・南荻島13
 元荒川沿いに歩いていると五社稲荷神社の参道入口に出た。入口脇には水神の祠がある。
  大林・南荻島14
 長い参道の中程に幟が建っていた。
  大林・南荻島15
 社殿の後ろに祀られている猿田彦大神である。参拝を済ませてから北越谷駅まで歩き、越谷市大林、南荻島界隈の青面金剛を巡る旅を終えた。
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  2. 青面金剛
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青面金剛のLandscape 357

柏市藤心、塚崎界隈の青面金剛
 青面金剛を求めて、東武逆井駅から歩き始めた。  
  藤心・塚崎1
 柏市藤心二丁目の路傍に青面金剛が祀られていた。
  藤心・塚崎2
 六臂の合掌像である。
  藤心・塚崎3
 左縁の元号が刻された部分が欠落しており、造立年は不明である。
  藤心・塚崎4
 柏市塚崎、水田沿いの道に寿量院入口がある。
  藤心・塚崎5
 道を辿ると寿量院の山門がある。
  藤心・塚崎6
 山門前には鶏魂供養之塔がある。鶏肉店の店主が昭和52年に建立したものである。このような供養塔は初めて見た。供養塔には鶏の置物が供えられていた。
  藤心・塚崎7
 本堂に至る石段の右手に石仏が並んでいる。
  藤心・塚崎8
 その中に二手の青面金剛がある。右手には剣を持っているが、左手に持っているのは何だろう。2018725日号で報告した松戸市上矢切にある神明神社の二手像と良く似ている。造立も同じ正徳年間である。同じ石工の手によるものだろう。東葛地域に見られる二手青面金剛と同様に、邪鬼を踏みつける右足の膝は少し曲がり、足先は左に開いている。
  藤心・塚崎9
 六地蔵の説明である。路傍学会はもっと六地蔵を拝んでおくべきだった。少し後悔しつつ次の訪問先へ向かった。
  藤心・塚崎10
 塚崎の県道8号の路傍に鳥居が現れた。神明社の裏参道である。
  藤心・塚崎11
 裏参道の石段を上った先にある手水鉢である。薄くなってしまっているが「奉納庚申待成就」と刻されている。庚申待ちの大願成就を祈願して、寛文年間に奉納されたものである。
  藤心・塚崎12
 本殿前の大榊は、昭和10年に千葉県の天然記念物に指定されている。
  藤心・塚崎13
 天水桶には蛙のおもちゃが浮いていた。
  藤心・塚崎14
 神楽殿は神々しい。以前の神楽殿の古材を活用して建て替えられたようだ。
  藤心・塚崎15
 表参道を上った所にいる狛犬である。厳しい表情である。明治41年の奉納。表参道の石段を下り、伊勢神宮の荘園「相馬御厨」があった縁で創建されたという歴史ある神明社を後にして、次の訪問先へ向かった。
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  2. 青面金剛
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地蔵尊のLandscape 67

港区白金台 今里地蔵尊
  今里1
 港区白金台三丁目、狭い道の先に赤い祠が見える。
  今里2
 三叉路に祠が建っている。
  今里3
 手前に建つ石柱には元禄今里地蔵尊と刻されている。これは大正時代に地元の商店が建てたものである。「今里」は、この界隈の旧地名である。明治期には屠殺場があり、ここから肉を仕入れていた店は店名に「今」の字を付けたという。浅草のすき焼き店「今半」などがその例である。
  今里4
 扉が開いている。毎月4のつく日に開帳されるという。
  今里5
 今里地蔵尊である。小振りな像である。
  今里6
 おおっ!地蔵尊には小判が供えられているではないか。
  今里7
 今里地蔵尊の右側の道を進むと、少し下った先に階段が見える。
  今里8
 階段の左側の擁壁の上に水路の断面が2つ見える。これは三田用水の跡である。三田用水は、世田谷区北沢で玉川上水から分水し、港区高輪に至って、そこから木樋で港区芝に至る水路である。ここは白金の台地と高輪・三田・芝の台地の鞍部となっており、水路は高度を保つために築堤で越えていた。用水の利用停止後、築堤の大部分は壊されたが、その付け根の部分が断面を露出させるかたちで残されている。三田用水は、1970年代まで恵比寿ガーデンプレイスに建っていた「ヱビスビール工場」でも使われていたという。
  今里9

 階段の上から見ると築堤はかなりの高さで築かれていたことが分かる。水路の通っていた位置を示すための色違いのタイルがその先の路上に並べられている。

  今里10

 階段の先では、水路敷は駐車場として使われている所がある。

  今里11

 宅地として利用されている所もある。水路の幅の建物である。建物の手前にあるのは、用水に架かっていた「今里橋」の遺構である。

  今里12

 近くに建つ芝白金団地の表札には、旧町名である「芝白金町今里町」が記されている。

  今里13

 目黒通りを渡って白金台四丁目に入ると、急に下がる道がある。

  今里14

 坂道を下り始めると石積みの擁壁があった。

  今里16

 さらに下ると、大谷石と煉瓦を組み合わせた擁壁が現れた。

  今里15

 奥を覗いてみると、重厚な煉瓦積みの擁壁が続いている。この辺りの窪地には、明治の中頃まで下水を集め、浸透させる「悪水溜」と呼ばれる池があったという。この擁壁が悪水溜の護岸であったかどうかは分からない。

 今回は思いがけず、東京の凹凸を巡る散歩となった。

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  2. 地蔵尊
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界隈のLandscape 89

荒川区町屋~尾久界隈の庚申塔
  町屋・尾久1
 荒川区町屋一丁目の路傍、尾竹橋通りから少し入った所に小さな公園がある。かつて町屋の一本松と呼ばれた松があったが、戦災で枯死し、2代目となる木が植えられている。
  町屋・尾久2
 松の根元に庚申塔が祀られている。文字は大分薄くなっているが、寛文年間に造立されたものである。
  町屋・尾久3
 公園には赤ちゃんとお母さんのブロンズ像がある。「愛」というテーマである。
  町屋・尾久4
 一本松の近くにある園芸資材などを販売している店舗の看板である。「のらもじ」としてメディアに取り上げられたことがあるらしい。確かにユニークな字体である。
  町屋・尾久5
 尾竹橋通りを北上して、隅田川をさかのぼると、尾久の原公園の北側に馬頭観音の幟がはためく一画がある。正面に祠が二つ、左右に石仏が並んでいる。右の祠の中には荒川区最古の庚申塔が納められているという。ここは馬捨場跡とされるが、スーパー堤防工事によってここへ移転されたものである。
  町屋・尾久6
 馬を供養するために建てられた馬頭観音である。
  町屋・尾久7
 隅田川をさらにさかのぼる。東尾久八丁目の路傍に、華蔵院旧薬師堂墓地がある。
  町屋・尾久8
 墓地内に六地蔵が祀られている。
  町屋・尾久9
 一番手前の地蔵尊は、庚申講中が宝永年間に造立したものである。
  町屋・尾久10
 墓地の近くに華蔵院がある。
  町屋・尾久11
 華蔵院の境内に入ると、五輪塔の前に石柱がある。逆光で読みづらいのだが、「奉庚申供養九橋講中二世安楽祈所」と刻されている。享保年間の造立である。
  町屋・尾久12
 この後、小台大通りを南へ歩いていると、西尾久一丁目の路傍に鳥居が現れる。山谷の神明社である。勝負の神様、お産の神様としても知られている。
  町屋・尾久13
 鳥居の後ろに庚申塔と地蔵尊が並んでいる。
  町屋・尾久14
 火災に遭ったのだろう。かろうじて三猿は姿を留めているが、紀年銘を読み取ることはできない。
  町屋・尾久15

 この後、田端駅まで歩き帰途に着いた。

 今回は、荒川区北部を散策し、目に留まった庚申塔を報告したが、まだまだ見落としたものがありそうである。また、ゆっくり歩こう。
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煉瓦のLandscape 23

品川区北品川~南品川 品川宿界隈の煉瓦(その2)
  品川煉瓦21
 品川区北品川二丁目、旧東海道から品川神社へ向かう北番場参道通りである。
  品川煉瓦22
 正徳寺山門横の畳店の前には、使い込まれた自転車とリヤカーが停まっていた。
  品川煉瓦23
 この参道を脇に入ると煉瓦塀が見える。煉瓦塀の上に見えるのは、正徳寺の本堂の屋根である。静かなたたずまいの路地である。
  品川煉瓦24
 路地の奥には猫がいた。
  品川煉瓦25
 品川宿を離れて南品川四丁目を行くと、路傍に天龍寺の山門が見えてくる。
  品川煉瓦26
 山門の左側に煉瓦塀が続いている。時の流れがしみ込んだ深い表情を見せる煉瓦である。
  品川煉瓦27
 この煉瓦と正徳寺の煉瓦は、大井町にあった東京毛織工場の煉瓦を再利用したものであるという。
  品川煉瓦28
 山手通りを西へ進み、東海道線のガードをくぐった所に官営品川硝子製造所跡がある。
  品川煉瓦29
 近代硝子工業発祥の地である。背後は工事用のパネルで囲われている。右側にはJRの線路がある。
  品川煉瓦30
 パネルに沿って歩くと、このような看板が取り付けられていた。ここがリニア新幹線の工事現場なのだ。シールドの発進立坑があるらしい。
  品川煉瓦31
 ゲートが開いていたが、中の様子はよく分からない。緑色の巨大なマシーンは何だろう。
  品川煉瓦32
 近くの歩道橋から見ても立坑は見えない。手前は、変電施設の工事をしているらしい。
  品川煉瓦33
 官営品川硝子製造所跡まで戻り、JR線路沿いの狭い道を進むと、東海寺の墓地に史跡沢庵墓と刻された石柱が建っている。
  品川煉瓦34
 沢庵の墓である。国指定史跡。
  品川煉瓦35

 東海寺墓地から立坑を望むことができた。丁度、シールドトンネルのセグメントを搬入していた。沢庵和尚も自分の墓の隣に深さ90mもの穴が掘られて、驚いているのではないか。

 品川宿の煉瓦を辿る旅は、現代版煉瓦ともいうべきシールドトンネルのセグメントで締めくくりとする。この後、大崎駅まで歩き、帰途に着いた。
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  2. 煉瓦
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煉瓦のLandscape 22

品川区北品川 品川宿界隈の煉瓦
  品川煉瓦1
 品川区北品川一丁目、京浜急行の品川第二踏切である。ここを通る道は旧東海道である。現在京急の連続立体事業が進められており、いずれこの踏切も姿を消すことになる。品川宿の入口の風景も変わることだろう。
  品川煉瓦2
 旧東海道を進むと、善福寺の山門が見える。
  品川煉瓦3
 山門の先には本堂がある。本堂には大分傷みが進んでいるが、伊豆の長八の鏝絵がある。
  品川煉瓦4
 これは本堂正面右側の龍である。
  品川煉瓦5
 山門の裏手に煉瓦が敷いてある。
  品川煉瓦6
 その煉瓦を見てみると、刻印があった。分銅にハである。この刻印は、この煉瓦が川崎市にあった美幸煉瓦製造所で制作されたものであることを示している。
  品川煉瓦7
 山門を出た参道脇の蔵造りの建物の右に煉瓦塀がある。
  品川煉瓦8
 旧東海道を南下すると、北品川二丁目に法禅寺の参道がある。本堂の左側に見える公孫樹は品川区指定の天然記念物である。
  品川煉瓦9
 山門前、品川小学校発祥之地碑の背後には煉瓦塀がある。
   品川煉瓦14
 本堂の左側面は一部が煉瓦積みとなっている。
  品川煉瓦10
 本堂の右側面は全面が煉瓦積である。
  品川煉瓦11
 本堂と庫裏も煉瓦積で結ばれている。画面左に本堂の防火扉も見える。防火対策は徹底している。
  品川煉瓦12
 境内には煉瓦造りの堂宇もある。幕末の品川台場の築造の際に、御殿山の土取場から宝篋印塔、五輪塔とともに出土した板碑が納められている。
  品川煉瓦13
 品川宿の煉瓦を訪ねる旅はまだ続く。
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