fc2ブログ

Landscapes by the roadside

路傍学会


界隈のLandscape 128

千葉市 京成稲毛駅~千葉県庁 房総往還
  稲毛・千葉1
 房総往還を歩く旅である。831日号の続きで、京成稲毛駅から歩き始めた。
  稲毛・千葉2
 千葉市花見川区稲毛東四丁目の路傍に総二階建ての民家がある。むくり屋根の立派な構えである。
  稲毛・千葉3
 稲毛東三丁目、総武線の手前に石碑が建っている。御野立所と刻されている。案内板によると、明治15年、明治天皇が近衛師団対抗演習視察の際に休憩を取った場所だという。
  稲毛・千葉4
 小中台五丁目、仲よし公園の路傍にクスノキの大木が聳えている。この辺りは陸軍高射砲学校の跡地であり、その当時からのクスノキかもしれない。
 この後、房総往還は園生十字路で右折して、県道72号となる。
  稲毛・千葉5
 稲毛区役所入口交差点から穴川神社の杜が見える。
  稲毛・千葉6
 末社がならんでいる。
  稲毛・千葉7
 覆屋の中には石祠が祀られていることが多いと思うのだが、玉石が祀られているものもある。これが御神体か。
  稲毛・千葉8
 穴川神社の参拝を済ませ、往還へ戻る途中、老人ホームの庭先に塚が見えた。
  稲毛・千葉9
 出羽三山供養塔が並ぶ中、慶応年間に造立された仙元大菩薩の碑がある。この塚は、富士塚なのだろう。
  稲毛・千葉10
 穴川十字路である。横断歩道は無く、歩行者は歩道橋の長い階段の上り下りを強いられる。人に優しくない街である。
  稲毛・千葉11
 歩道橋の上から千葉都市モノレールの軌道が見える。
  稲毛・千葉12
 穴川三丁目からは房総往還は、国道126号となり、上空をモノレールが通る。
  稲毛・千葉13
 轟四丁目の路傍、赤い柱で支えられた屋根の下に石塔がある。
  稲毛・千葉14
 回り込んで正面を見ると、文字が刻まれているが、よく読めない。資料によれば、「右ハながのま村よなもと道 左ハそんのふ村小中台道」と刻まれているという。「そんのふ」は「園生」だろうが、他は分からない。この道標は、「縄しばり塔」と呼ばれ、風邪を引くと石塔を縄で縛り、平癒を祈願し、なおったら縄を解いて御礼をするという。
 風邪に効く道標に見送られて旅を続けた。
  1. [ edit ]
  2. 界隈
  3. / trackback:0
  4. / comment:2

青面金剛のLandscape 404

さいたま市桜区西堀 青面金剛(その2)
 1022日号に続き、さいたま市桜区西堀の青面金剛を訪ねる旅である。
  桜区西堀21
 さいたま市桜区西堀六丁目、マンションの敷地の角、ブロック造の壁の凹んだところに庚申塔が祀られている。
  桜区西堀22
 読みづらいが「奉建立庚申諸願成就」と刻されている。
  桜区西堀23
 三猿はちんまりしている。右の不聞猿の足は欠けてしまっている。延享年間の作。
  桜区西堀24
 近くにある自治会館の壁に防犯看板が取り付けられていた。
  桜区西堀25
 西堀九丁目、城北信用金庫裏手の路傍に、屋根に護られた石塔が並んでいる。
  桜区西堀26
 右から、馬頭観音、青面金剛、庚申塔、二十三夜塔である。この前の道は鎌倉街道であったという。
  桜区西堀27

 右端の馬頭観音である。38臂の坐像である。宝暦年間の作。

  桜区西堀28

 青面金剛坐像は六臂の合掌像である。邪鬼の姿は見えない。右側面に「よの道」と刻されている。こちらも宝暦年間の作。

  桜区西堀29

 西堀十丁目、日向不動堂の門前である。

  桜区西堀30

 境内に入ると真島日向守城址の碑が建っている。この地は北条時政の謀略によって討たれた畠山重忠の家臣真島日向守の城址と伝えられている。

  桜区西堀31

 本堂の前には力石が2つ置いてある。右の石には日向の文字が見える。

  桜区西堀32

 本堂横の堂の中に地蔵尊が祀られている。

  桜区西堀33

 台石を見ると不聞猿、不見猿が彫られている。地蔵尊を主尊とする庚申塔だったのだ。

  桜区西堀34

 どっしりとした、いかにも頼りがいのある地蔵尊である。合掌。

 この後、南与野駅まで歩き、埼京線に乗って帰途に就いた。

  1. [ edit ]
  2. 青面金剛
  3. / trackback:0
  4. / comment:4

界隈のLandscape 127

北区滝野川 種子屋街道(その2)

 前号に引き続き種子屋街道を辿る旅である。

  種子屋街道21
 北区滝野川六丁目、日本農林社の先の路傍に小振りな洋館が建っている。
  種子屋街道22
 表札に「株式会社 亀の子束子西尾商店」の金文字が輝いている。明治40年以来、亀の子束子(たわし)を製造販売している会社である。
  種子屋街道23
 滝野川六丁目の路地を覗くと稲荷湯の看板がある。
  種子屋街道24
 狭い道を進むと稲荷湯がある。
  種子屋街道25
 現在の建物は昭和5年に建てられたもので、国の有形文化財に登録されている。
  種子屋街道26
 入り母屋造りの玄関の上に破風が二段重なっている。
  種子屋街道27
 稲荷湯の隣にある二軒長屋である。今年6月、稲荷湯の入浴前後に誰もが立ち寄れる憩いの場所、銭湯文化を伝える空間として生まれ変わった。
  種子屋街道28
 今月はおでんも提供している。
  種子屋街道29
 稲荷湯近くの民家である。近所のご婦人の話によると、この建物は稲荷湯よりも古く築100年以上だという。この界隈は戦災を免れており、戦前の建物がまだ残っていると伺った。
  種子屋街道30
 近くの袋小路の奥には井戸があった。
  種子屋街道31
 街道に戻り、埼京線方向に向かうと路傍に滝野川種苗がある。明治5年に創業した会社で、種苗の販売のほかに、園芸資材などの販売及び造園工事業も営んでいる。
  種子屋街道32
 種子屋街道は板橋区板橋一丁目で埼京線を渡る。踏切に「赤羽線」と記されている。「赤羽線」は、池袋駅と赤羽駅を板橋駅経由で結ぶ路線の正式名称だが、東北新幹線の上野駅延伸の見返りに建設された通勤新線と直通運転が始まった1985930日以降、通勤新線と共に「埼京線」と呼ばれるようになった。
  種子屋街道33

 踏切を越えると「むすびのけやき」の大きな提灯がある。

 2015225日号で、板橋区本町の縁切榎を報告したが、板橋区のホームページを見ると「「縁切榎」で悪い縁を切り、この「むすびのけやき」でおみくじを結んで開運祈願をしてみてはいかがでしょうか。」とある。良いご縁がありますように。

 この後、赤羽線の板橋駅まで歩き、種子屋街道の旅を終えた。
  1. [ edit ]
  2. 界隈
  3. / trackback:0
  4. / comment:2

界隈のLandscape 126

豊島区巣鴨 種子屋街道
  種子屋街道1
 豊島区巣鴨三丁目、2019316日号で報告した真性寺の江戸六地蔵である。
  種子屋街道2
 この真性寺の山門脇にこのような看板がある。「明治中期には巣鴨のとげぬき地蔵から板橋区清水町にいたる約6㎞の間にタネ屋問屋が9戸、小売店が20戸も立ち並びさながら、タネ屋街道になっていました。」とある。中山道は、とげぬき地蔵に参詣にくるおばあちゃんの原宿と呼ばれているが、かつては、大根・人参などの根菜類や、茄子・胡瓜などの果菜類、小松菜・ほうれん草などの葉菜類といった農産種子の一大集散地を形成していたようだ。その痕跡を辿ってみたい。
  種子屋街道3
 とげぬき地蔵を祀る高岩寺である。この地に明治24年に移転してきたという。いつも参詣者で賑わっている。
  種子屋街道4
 庚申塚交差点には、猿田彦大神が鎮座している。
  種子屋街道5
 西巣鴨二丁目の路傍に延命地蔵尊と刻された石柱がある。路地奥に赤い幟が見える。
  種子屋街道6
 脇道を入ると延命地蔵尊が祀られている。5基の石柱が見えるが、中央が延命地蔵尊である。大分傷んでいるが、半跏坐像の地蔵尊が浮彫りされている。造立年は分からないが、江戸初期のものと推定されている。その左は地蔵尊庚申塔である。これらの石柱は、都電庚申塚停留所の場所にあったものという。
  種子屋街道7
 西巣鴨三丁目の路傍にある長屋店舗である。左の理髪店の屋根は右側部分と繋がっており、一連の長屋を改築したものであることが分かる。
  種子屋街道8
 こちらの看板には「~紙店」と記されている。紙店も最近目にすることが減った店舗でないか。どのような業種が並んでいたのか気になる長屋店舗である。
  種子屋街道9
 紙店の先に東京種苗の店舗がある。弘化元年に創業した種子問屋である。後に見える建物は、大正大学の鴨台観音堂である。
  種子屋街道10
 鴨台観音堂はさざえ堂とも呼ばれている。さざえの殻のように渦を巻いていて、内部は往路と復路が交わることがないように二重の螺旋階段になっている。千住博の壁画があったが撮影禁止であり、紹介できない。
  種子屋街道11
 大正大学の南門広場である。赤いバスは豊島区が運行している「IKEBUS」である。
  種子屋街道12
 種子屋街道の歴史を紹介するパネルが設置されている。
  種子屋街道13
 明治通りを越えた滝野川六丁目の路傍に日本農林社がある。嘉永5年に創業した種苗業者である。
  種子屋街道14
 日本農林社の1階前にも、滝野川界隈の種子屋を紹介するパネルがある。
 種子屋街道の旅は次号へと続く。
  1. [ edit ]
  2. 界隈
  3. / trackback:0
  4. / comment:0

路傍祠のLandscape 55

さいたま市桜区町谷、中島 路傍祠
  町谷・中島1
 さいたま市桜区町谷一丁目、新大宮バイパスの路傍にある中華料理チェーン店の裏手に路傍祠が見える。
  町谷・中島2
 祠内には青面金剛と青面金剛碑が祀られている。
  町谷・中島3
 青面金剛は剣、ショケラを持つ六臂像であるが、セメントで補修された跡が痛々しい。
  町谷・中島4
 片腕を顎の下に入れてもがく、躍動感ある邪鬼である。
  町谷・中島5
 優れた彫りであるだけに傷みが残念。隣にある石碑によれば、安永に造立された青面金剛で、平成17年に改修されたという。
  町谷・中島6
 中華料理チェーン店のすぐ近くに慈眼寺がある。
  町谷・中島7
 ブロック塀が窪んだところに庚申塔が祀られている。
  町谷・中島8
 二臂の合掌像で、元禄年間の造立である。
  町谷・中島9
 きっぱりとしたお顔である。
  町谷・中島10
 足元には可愛い狸もいた。
  町谷・中島11
 新大宮バイパスを北上し、脇に入ると、中島三丁目の路傍に小さな祠がある。祠の前には白玉石が敷かれている。
  町谷・中島12
 祠内には六臂の青面金剛が祀られている。分厚い石材を用いた重厚な庚申塔である。
  町谷・中島13
 邪鬼は少し情けない表情である。
  町谷・中島14
 台石の正面に不聞猿、左右の側面に1匹ずつの猿がいて、三猿である。享保年間の作。
 祠前には白玉石が敷かれ、飲物が供えられて、今も地域の方々に大切にされている庚申塔だなあと思いながら、次の訪問先へ向かった。
  1. [ edit ]
  2. 路傍祠
  3. / trackback:0
  4. / comment:0

青面金剛のLandscape 403

さいたま市桜区西堀 青面金剛
  桜区西堀1
 さいたま市桜区西堀一丁目、西堀橋の袂に石塔が見える。後に見えるのは新幹線の高架橋である。丁度、東北新幹線の緑色の車両が通過している。
  桜区西堀2
 4基の石塔が並んでいる。右端は板碑であるが、字を判読することは出来ない。中央の2基が庚申塔である。右側が天和、左側が延宝年間の造立である。
  桜区西堀3
 左端は三菩薩像塔で、道標を兼ねている。3面に地蔵菩薩、妙見菩薩、如意輪観音菩薩が浮彫りされている。「北 よの あきは 道」と読める。文化年間の作である。
  桜区西堀4
 西堀橋から北上すると西堀二丁目の路傍に上ノ宮薬師堂がある。
  桜区西堀5
 参道の左手、水子地蔵、幸福観音に並んで銅葺きの小堂がある。
  桜区西堀6
 堂内には青面金剛坐像が祀られている。台石には「奉再営青面金剛塔」と記されている。側面には「安永三年」とある。安永三年(1774年)に再建されたのだろうが、では、オリジナルはいつ造立されたのだろう。
  桜区西堀7
 六臂の合掌坐像である。邪鬼は猫のように横たわっている。
  桜区西堀8
 青面金剛の奥には六地蔵も祀られている。造立年などは分からない六地蔵に見送られて、次の訪問先へ向かった。
  桜区西堀9
 西堀六丁目、土合小学校前に路傍祠の背面が見える。
  桜区西堀10
 回り込んで見ると、祠内には青面金剛が祀られている。
  桜区西堀11
 右手に剣、左手にショケラを持つ六臂像だが、現代的な彫りで、深みが無い。
  桜区西堀12
 邪鬼は狛犬のような顔をしている。側面を見ると「文化」とあるが、とてもそこまで古いものとは思えない。
  桜区西堀13
 路傍祠を後ろから覗いてみると、この青面金剛の裏に少し背の低い石柱の頂部が見える。恐らく、後ろの石柱がオリジナルで、何らかの事情で改刻されたのだろう。
 何故、改刻されたのだろうかと思案しつつ、次の訪問先へと向かった。
  1. [ edit ]
  2. 青面金剛
  3. / trackback:0
  4. / comment:0

青面金剛のLandscape 402

さいたま市南区関 東福寺
  東福寺1
 さいたま市南区関一丁目、東福寺の参道である。東福寺は明治4年に廃寺となったが、その後、檀家の人々によって再建されたという。
  東福寺2
 参道の右手、屋根の下に2体の青面金剛が祀られている。
  東福寺3
 右側の青面金剛である。四臂像である。猿は2匹だけで、不見猿はいない。定型的なスタイルが確立する前の青面金剛である。延宝年間の作。
  東福寺4
 左の青面金剛は、六臂の合掌像である。
  東福寺5
 褌姿の邪鬼と三猿である。右の不見猿は片足伸ばしている。細部までしっかり彫り上げられている。寛政年間の作。
  東福寺6

 本堂寄りの小屋根の下には、2童子を従えた不動明王が祀られている。天保年間の作。

  東福寺7

 墓地の手前には、板碑が祀られているが、中央の板碑はさいたま市の文化財に指定されている。鎌倉時代末期の優れた作例として貴重なものという。

  東福寺8

 板碑を眺めていたら蜻蛉が飛んで来た。

  東福寺9

 東福寺の西に神明神社が鎮座している。

  東福寺10

 境内に入ると右手に力石がある。神明石と刻されている。

  東福寺11

 左にも力石がある。重量が刻まれている。

  東福寺12

 神社の東には神明神社古墳があるが、草が繁り形は良く分からない。

  東福寺13

 これは今年の1月に撮影した神明神社古墳である。草が無いと墳丘の形が良く分かる。直径33m、高さ4.5mの円墳という。

  東福寺14

 神明神社の参拝を終え、東福寺の前を通り、北へ向かうと路傍に大型の石塔がある。

  東福寺15

 石尊大権現である。小さな鳥居も見える。農業に必要な水を得られるよう祈願したものという。寛政6年の建立。

 いつの世も水は大切なのだと思いながら次の訪問先へむかった。

  1. [ edit ]
  2. 青面金剛
  3. / trackback:0
  4. / comment:4

建物のLandscape 47

港区東新橋 旧新橋停車場
  旧新橋停車場1

 港区東新橋一丁目、昭和通りの路傍に旧新橋停車場の駅舎が見える。

  旧新橋停車場2

 20034月に復元された「新橋停車場」の駅舎である。明治51014日に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎の外観を再現したものである。

  旧新橋停車場3

 駅舎の裏側にはプラットホームも再現されている。屋根はあえて造らず、当初の姿をイメージできるよう柱とフレームでデザインされている。

  旧新橋停車場4

 「東京名所之内新橋ステンション蒸気汽車鉄道図」である。駅舎とホームが描かれている。貨車の姿もあるが、明治6年には新橋横浜間で鉄道貨物輸送が開始されたという。

  旧新橋停車場5

 ホーム脇には0哩(ゼロマイル)標識がある。明治3年に測量の起点となる第一杭が打たれた地点である。「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の指定史跡となっている。

  旧新橋停車場6

 昨日は、150年前に鉄道が開業した日であるが、これは昭和45年に発行された「別冊週刊読売 鉄道100年の記録」の表紙である。当時、路傍学会が380円で購入したものだ。引っ越しする際に古い雑誌は処分してきたが、手放さずにいた1冊である。50年振りにページをめくってみると、当時の鉄道事情がわかり、面白い。蒸気機関車が次々に姿を消し、新大阪から西へ延びる山陽新幹線の工事が進められていた時代である。

  旧新橋停車場7

 これは駅弁に関する記事である。50年以上前の駅弁は150円から300円で、200円のものが多い。今思うと安く感じるが、当時の金銭感覚としてはどの程度だったのだろう。

  旧新橋停車場8

 「東京蒸気車馬人力繁栄図」である。現在の田町から品川の間は、築堤の上を蒸気機関車が走っていた。2019年、高輪ゲートウェイシティの工事現場で築堤の石垣が発見された。

  旧新橋停車場9

 昨年6月、身を屈めて通行する高輪橋架道橋への架設通路からみた北側の高輪築堤の石垣である。

  旧新橋停車場10

 こちらは今年の5月に撮影した仮設通路の南側である。仮設通路から高輪築堤の石垣を見ることが出来た。石垣は台場の築造技術を用いて積み上げられたという。波除杭も見える。

  旧新橋停車場11

 これは最近撮影した通路の北側である。敷き鉄板に覆われ、重機が動いている。

  旧新橋停車場12

 こちらは南側である。覆工板と敷き鉄板で覆われている。石垣は埋め戻されたのかだろうか、それとも除去されたのだろうか。

  旧新橋停車場13

 高輪築堤は史跡に指定され、部分的に保存されるという。150年前の昨日、蒸気機関車が走った築堤を取り込んで、今後どのような街づくりが行われるのか楽しみである。

  1. [ edit ]
  2. 建物
  3. / trackback:0
  4. / comment:2

界隈のLandscape 125

成田市 下総松崎駅~成田(その2)

 下総松崎駅から成田を目指す旅の続きである。

  下総松崎・成田21

 成田ニュータウン中央通りを越えて進むと、成田市山口の路傍にポリタンクを利用した人形がある。交通安全を呼びかけるものだろう。後ろに成田線の架線が見える。

  下総松崎・成田22

 その先に鎮座している雷神社である。神社の案内によると、舒明天皇がこの地を通った際に、山頂の古松より一つの雷鳴が響き、天皇はこの雷鳴に深く感じ、その古松の下に一祠を建てたのが、この神社の始まりだという。長い歴史を持つ神社である。

  下総松崎・成田23

 雷神社の前を流れる小橋川を渡った先にある民家の棟飾りである。トタンを加工した棟飾りには、ひらがなの「ま」が見える。屋号に因むものだろうか。

  下総松崎・成田24

 近くの民家の庭先に琺瑯看板が見える。右側の黄色の琺瑯看板は、飼料の看板である。

  下総松崎・成田25

 成田市郷部の路傍に石柱が見える。「こま木山道」とある。20211219日号で報告した酒々井町伊篠の松並木付近で見られた護摩木山の石碑と同様の石碑であろう。明治11年の建立。

  下総松崎・成田26

 護摩木山の石碑の先の墓地に並ぶ石仏は供養塔か。

  下総松崎・成田27

 郷部交差点の手前にも護摩木山の大型の石碑が建っている。明治11年に埼玉の講が建立したものである。

  下総松崎・成田28

 郷部の交差点を渡り、西参道三の宮通りに入ったところに石橋地蔵尊が祀られている。地蔵尊の前に板状の石がある。かつて小橋川に「いしばし橋」が架かっていて、その名の由来となったのが、この石であるという。石橋地蔵尊も、その石橋の傍らに祀られていたものという。

  下総松崎・成田29

 西参道三の宮通りを進むと、観音堂がある。明治2年に廃寺となった神光寺の境外仏堂で、聖観音を本尊としている。

  下総松崎・成田30

 境内の奥に青面金剛が祀られている。六臂の合掌像で、割られた跡がある。元禄年間の作である。

  下総松崎・成田31

 観音堂前の坂を下る途中で東方向を見たところである。画面左に見える鉄塔はNTT東日本の鉄塔である。NTTの東に新勝寺がある。

  下総松崎・成田32

 郷部橋で成田線を越えて、西参道を進む。

  下総松崎・成田33

 途中に郵便差出箱1号(丸型)があった。1970年に「角型」が登場し、このタイプの生産、設置は終了しているが、最近は保存される傾向が強まっているという。

  下総松崎・成田34

 参道を進むと、薬師堂の前に来た。20211222日号で訪問して以来である。我孫子で水戸街道と分岐した成田道と成田街道はここで合流となる。ここから表参道を歩く。

  下総松崎・成田35

 昨年解体に着手した大野屋旅館は姿を消してしまった。あの望楼を載せた姿が懐かしい。

  下総松崎・成田36

 この後、新勝寺を参拝し、帰途に就いた。

 次の機会には寺台を訪れてみたい。

  1. [ edit ]
  2. 界隈
  3. / trackback:0
  4. / comment:0

界隈のLandscape 124

成田市 下総松崎~成田
 我孫子で水戸街道から分岐する旧成田道を辿る旅である。
  下総松崎・成田1
 724日号で到達した下総松崎駅から歩き始める。駅は明治34年の開業という。
  下総松崎・成田2
 駅前にはタイル貼りの水飲みがある。いつ頃作られたものだろう。
  下総松崎・成田3
 駅近く、県道18号の路傍に道標が建っている。「東 なり田、しば山」と刻されている。裏側には「西 あじき りゅうケ崎」で、南はというと「青面金剛」と刻されていた。
 東へ進もう。
  下総松崎・成田4
 成田市松崎に入ると上り坂である。歩道は九十九折になっている。
  下総松崎・成田5
 坂を上りきると、印旛沼が望める。心地良い風が吹いてきた。
  下総松崎・成田6
 T字路の左にたばこ店がある。老舗の風情が漂う。
  下総松崎・成田7
 たばこ店から南へ進むと、三差路に石塔が並んでいる。
  下総松崎・成田8
 その中に青面金剛がある。六臂の合掌像であるが、細部は不明である。
  下総松崎・成田9
 青面金剛を過ぎてしばらく進むと、古美術店の店先にこんな像があった。布袋尊が背伸びをしているかのようである。
  下総松崎・成田10
 古美術店の先からは成田湯川駅を望むことが出来る。駅前に商業施設は無く、広い駐車場がある。こうした立地の駅では必須のものなのだろう。
  下総松崎・成田11
 坂道を下り、左折すると、石仏が祀られている。
  下総松崎・成田12
 左端は明和年間に造立された二十三夜供養塔である。
  下総松崎・成田13
 中央の地蔵尊は、十九夜講、十五夜講が文政年間に造立した三界万霊塔である。この旅が無事に終えられるよう手を合わせた。
  下総松崎・成田14
 成田への道は、成田ニュータウン中央通りの交差点のその先へ続いている。
  1. [ edit ]
  2. 界隈
  3. / trackback:0
  4. / comment:0

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY>>


プロフィール

路傍学会長

Author:路傍学会長
路傍学会へようこそ!
 東京東部を拠点として、路傍の風景について学際的に考察するブログです。

路傍学会訪問者

月別アーカイブ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

QRコード

QR

« 2022 10  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -