塚のLandscape 85
練馬区中村 良弁塚
良弁塚である。良弁塚は、南蔵院の発展に中興として貢献した僧良弁が延文2年に建立した塚で、建立時に経筒が埋納されたという。
この塚は鉄柵で囲まれており、柵越しに内側を覗くことしかできない。「大乘妙典納經供養塔」である。埋納された経筒に因むものだろう。大分剥離が進んでいる。紐で崩落を防いでいる。樹木が茂って見にくいが、左奥に「史跡良弁塚」と刻まれた石碑がある。
柵越しに見た大型の庚申塔である。道標を兼ねており、側面に「是より左ハ上ねりま道」と刻まれている。
六臂の合掌像である。元文五年、庚申の年の造立である。邪鬼の顔は彫り込まれていないように見える。どうしてだろうか。
台石に大きな二鶏が浮彫されている。よく見ると、鶏の背後には浮彫の草も見える。丁寧な仕上げである。
石幢七面六観音勢至道しるべである。七面のそれぞれの面を舟形に彫り窪め、准提、十一面、馬頭、千手、聖、如意輪の6つの真言系観音と勢至菩薩が彫られている。台石は東西南北の道標になっている。練馬区指定有形文化財。
青面金剛である。
六臂の合掌像である。左縁に明和の年号が読み取れる。
邪鬼と三猿である。邪鬼の顔は少年のようである。頭上に何か載せているのか。手首を内側に曲げ、猫の箱座りのようにも見える。
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地蔵尊のLandscape 46
台東区松が谷 祝言寺
台東区松が谷の寺に珍しい地蔵尊があると聞いた。早速お参りすることにした。途中、東上野五丁目の路傍に大きなマンションが建っている。ここはかつて同潤会アパートが建っていた場所である。
これは6年前、撤去される直前に撮影した上野下アパートである。街の表情としての味わい深さは比ぶべくもない。
松が谷一丁目の路傍、祝言寺の門前である。
参道の先にどっしりとした山門がある。
この山門は螺旋階段が設けられている楼門である。
階上には石造の十六羅漢が祀られている。
境内に入ると左手に鉄鍋を被せた石造物が目に入ってくる。
鍋かぶり地蔵尊である。長い時間の中で姿形がはっきりしなくなってしまったようだ。眼病治癒に霊験があるという。
鍋である。地震の時にたまたま地蔵尊の頭に落ちて来たこの鍋が被さり、難を逃れた事から「鍋かぶり地蔵」と呼ばれるようになったという。祝言寺から本覚寺に向かった。
松が谷二丁目の路傍、本覚寺の門前である。
山門をくぐると右手に日限祖師堂がある。
境内を進み本堂に向かって左に「蟇大明神」が鎮座している。「蟇大明神」はイボ取りの神として知られる。商売繁盛のご利益もあり、演劇関係者や花柳界の人たちにも信仰が篤いという。
願掛けには境内の日限祖師堂で売っている陶製の蟇を供える。堂内には夥しい蟇が納められている。
近代的な本堂の前にこのような貼紙があった。ステンドグラスが完成し、自由に見てよいという。
拝見した。合掌。
浅草地下街で懐かしい焼きそばを食べて帰ろうと思い足を伸ばしたが、外国人客がどっしり座ってビールを飲んでいた。こんなディープな浅草、猥雑な空間にまで外国人が訪れるようになったことに驚き、焼きそばは諦めて帰途に着いた。
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- 地蔵尊
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神社のLandscape 219
松戸市上本郷 明治神社
松戸市上本郷の路傍、明治神社の鳥居が見える。この一の鳥居は平成18年の建立である。
参道入口脇にある電話ボックスの傍に転がっている石は、力石か。
参道を進むと、防災用だろうか、新しい手押しポンプ井戸がある。
文化年間に奉納された手水鉢の向こうに庚申塔が祀られている。
青面金剛が3基並んでいる。
右端の青面金剛である。途中で折れてしまったが、補修されている。ショケラ持ち六臂の三眼像である。
邪鬼と二鶏である。鶏は大型で立体感がある浮彫となっている。宝暦年間の作。
中央の青面金剛である。六臂の合掌像である。こちらも三眼である。元文年間の作。
左端の青面金剛である。六臂の合掌像。険しい表情をしている。造立年が刻まれた左縁が欠けてしまっている。寛永だろうか。
これは寛政年間に造立された青面金剛文字碑の三猿である。それぞれ自由なポーズである。
こちらは天保年間の文字碑の三猿である。右端の不見猿は目を隠す指先だけを彫っている。このような表現の仕方もあるのだ。
二の鳥居の扁額である。二の鳥居は両部鳥居であった。
社殿の左側には、雷神宮や南無大神宮などの石祠が並んでいる。その奥には大変大きな切り株があった。樹種が気になるところである。
切り株近くの地面を見ると、無数の貝殻がある。貝塚の上に神社が作られたのかなどと思いながら歩いていたら、このような看板があった。
縄文前期から晩期の遺跡であるという。上の写真の貝殻はやはり貝塚の一部であったのだ。古代の人々が長く生活していた場所は、神社が建つに相応しい場所だったのだろう。
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神社のLandscape 218
吉川市 高久蕎高神社、中曽根香取御嶽神社
吉川市高久一丁目の路傍、高久蕎高神社の鳥居である。
境内には子安稲荷社、天神社、山王社の摂社が並んでいる。
手水鉢の前では恵比寿天が参拝者を迎えてくれる。
社殿の左手には水神宮、八大龍王の石祠の隣に青面金剛が祀られている。
六臂の合掌像であるが、面長である。素朴で、親しみを覚える像である。
団子鼻の邪鬼である。この神社の祭神は龍神であり、すぐ近くを流れる中川の水難よけという意味で創祀された神社なのであろう。続いて、吉川市中曽根一丁目にある中曽根香取御嶽神社に向かった。
中曽根香取御嶽神社である。すっきりとした境内である。隣は畑である。
鳥居に掛かる扁額である。2匹の龍が縁をぐるりと巡っている。
常夜灯の台石である。唐獅子の浮彫であるが、何となくユーモラスである。
参道の両側にある大型の幟建石は天保年間に奉納されたものである。
社殿の左手には末社である稲荷社、八幡宮、天満宮の社が並んでいる。
末社の手前には庚申塔などの石塔群がある。
これは馬頭観音だと思うが、造立年などは分からない。
これは何だろう。側面には普門品供養とあるのだが・・・ 文政年間の作である。
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青面金剛のLandscape 267
三郷市彦糸 実相院・東福院
三郷市彦糸一丁目の路傍、彦糸公民館である。
公民館の右手の門柱である。「実相院」とある。左手の門柱には「東福院」とある。東福院と実相院は、三郷市彦糸にあった寺院で、既に廃寺となっている。ここ彦糸公民館に東福寺と実相院所縁の物が残されている。
観音堂には観音菩薩が祀られている。二つに割れてしまったが、金属で補強されている。寛文年間の造立である。
地蔵堂の左には石塔等が並んでいる。
力石も並んでいる。
最も大きな石には六十八貫目とある。
地蔵堂の前にある石には文字は無いようだが力石だろうか。
青面金剛も祀られている。六臂の合掌像である。
右縁が欠けており、造立年を読み取ることはできなかった。
公民館を後にして、彦成通りを歩いていると、路傍に庚申塔があった。
台石は平成14年のものだが、庚申塔は文政年間の造立である。
さらに彦成通りを南に歩いていくと、地蔵堂の前の屋根の下に青面金剛が並んでいる。
二基とも六臂の合掌像である。
邪鬼は瞑目しているのか。
これは何だろう。藁を編んで作られている。初めて見るものだが、線香を乗せるものなのだろうか。うーむ、路傍学会の興味は尽きない。
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青面金剛のLandscape 266
吉川市道庭 長福寺
吉川市道庭一丁目の路傍、長福寺の門前である。境内は駐車場として利用されている。奥に見える建物は本堂である。
長福寺は、かつて上野寛永寺の隠居寺だったといい、菊の紋章が刻された瓦が使われている。
山門脇の千躰供養塔である。境内には千躰庚申塚がある。
千躰庚申塚である。
千躰庚申塚の前に普門品供養塔と三十番神宮碑が並んでいる。右端の三十番神宮だけが屋根で護られている。
塚の中央に聳える青面金剛である。ショケラを持つ六臂の剣人像である。かなり彫りが深い像である。
邪鬼である。どこかの国の政治家みたいな顔をしている。
この像の台石である。嘉永元年とあるが、上に建つ像は現代的であり、彫り直されたものではないだろうか。
隣にある大青面金剛碑の側面を見ると、庚申の文字がびっしりと彫り込まれている。
向かって右側からみた千躰庚申塚である。江戸時代中期から昭和にかけて建立された400基余りの庚申塔が祀られている。
左側から見た千躰庚申塚である。倒れた碑もある。
文字碑が多いが青面金剛像もいくつか見られる。ショケラ持ちの剣人像のようだ。
色々な庚申塔があるものだと眺めていたら、庚申塔の上に蜻蛉が留まった。様々な時代の庚申塔を堪能し、次の訪問先に向かった。
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青面金剛のLandscape 265
練馬区貫井界隈 青面金剛
練馬区貫井界隈の青面金剛を訪ねた。
貫井四丁目、三叉路に石塔が見える。
左端は青面金剛、中央は頭巾を被った地蔵尊だろう。
青面金剛は六臂の合掌像である。風化が進み、細部は不明瞭になっている。側面には寛政の文字がある。右隣の地蔵尊の造立年は分からないが、頭部は後年補われたものではないか。
貫井四丁目を目白通り方面に歩いて行くと、須賀神社の朱色の鳥居と境内の檜が見えてきた。
須賀神社の主棟鬼飾りである。
神社のブロック塀が途切れた所に青面金剛が祀られている。
右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持つ六臂像である。右隣に生えているのは露地植えのポインセチアである。
下部は手前にブロック塀があるため、上から覗き込むように撮影した。邪鬼は両腕を突っ張り、主尊の重みに耐えながら正面をにらんでいる。元禄年間の作。
近くで見かけた街区表示板である。縦型の広告付きである。
貫井一丁目の路傍にはコシヒカリの自動販売機が設置されていた。
西武池袋線中村橋駅近くの中杉通りである。
路傍に小堂がある。
堂内には六臂の青面金剛が祀られている。左下には「上祢馬村貫井施主講中」とあり、この庚申塔は造立当時から貫井の人々の信仰対象であり続けたことが分かる。屋根で大切に護られている像は傷みも無く、美しい。宝暦年間の作。
傍らの石灯籠は文化年間に奉納されたものである。
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青面金剛のLandscape 264
板橋区大原町 長徳寺
板橋区大原町の路傍、長徳寺の山門である。
山門をくぐると、左手に石塔が並んでいる。
一番左手の馬頭観音である。台石には大きく前野村講中と刻まれている。頭上に馬を載せ、三眼忿怒相の馬頭観音は馬口印を結ぶ八臂像である。彫りは丁寧で美しい。天保年間の作。
六臂の合掌像である。三猿は菱形パターン。
青面金剛だろうと思っていたが、よく見ると頭上に馬がいるではないか。さらに光背の右側には「奉造立馬頭明王庚申講中」とある。馬頭観音を主尊とする庚申塔であった。宝永年間の作。
上の庚申塔の奥にも一回り小さな庚申塔が祀られている。光背の上部が欠けているが、右側に庚申、講二世安樂などの文字が刻まれている。天明年間の作。
山門から本堂に向かう参道沿いにも石塔が並んでいる。
六十六部行者に結縁したことを記念する供養塔の台石には盃状穴が穿たれている。
この六十六部供養塔の手前には力石が置かれている。
重量を印された力石が並ぶ中、この石は寿命石と名付けられていた。どのような意味があるのだろう。
文化年間に奉納された弁財天像である。琵琶を奏でている。
長徳寺の参詣を終えて、本蓮沼駅に向かって歩いていると、ブロック塀に気になるものを見つけた。町名がほとんど読み取れないが、琺瑯の町名看板である。ここは板橋区泉町である。何故か町名だけが消えてしまった。この看板の寄贈者は見覚えがある。
2017年3月18日号で報告した北区上十条の路傍で発見した琺瑯看板である。寄贈者は同一である。この寄贈者の看板が2枚とも文字が薄くなっているのは、それだけ古い看板ということなのだろうか。
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橋のLandscape 24
板橋区仲宿 板橋
板橋区仲宿、旧中山道の先に橋の欄干が見える。
板橋である。橋の傍らには「距日本橋二里二五町三三間」「日本橋から十粁六百四十三米」と記された標柱が建つ。外国からの観光客が石神井川を眺めていた。
板橋は、仲宿から本町の間の石神井川に架けられた、地名「板橋」の由来とされる橋である。コンクリート製ながら、欄干に木目模様を施し木橋の雰囲気を醸し出している。
川は平水時には随分低い所を流れている。訪れた時の水は驚くほど透明度が高かった。
江戸名所図会の板橋の駅である。多くの人々の往来に加えて馬の姿も見える。名所図会には「往来の行客常に絡繹(らくえき)たり。東海道は川々の差し支へ多しとて、近世は諸矦を初め往来繁ければ、傳舎(はたごや)、酒舗軒端を連ね、繁昌の地たり。」とある。いかにも繁盛している様子が描かれている絵である。江戸四宿の一つとして栄えた板橋宿を徘徊してみた。
これは大正6年建造の米穀店の二階部分である。雨戸は鉄板の引戸となっている。この引戸は敷居鴨居ではなく、両側の妻壁の間に渡された鉄筋をガイドとする吊戸となっている。
煉瓦製の壁横にあるのはお米の自動販売機である。もう使われていないようだ。
自動販売機が並ぶこの建物の右側は大谷石積みである。
二階の窓柵を支える持ち送り金物である。凝った意匠である。どのような建物だったのだろう。
仲宿の旧中山道から少し東に入った路傍に文殊院がある。古くから信仰を集めていた延命地蔵尊の境内をひろげて建立されたという。山門の左に見えるのが地蔵堂である。
堂内に祀られている延命地蔵尊である。合掌。
江戸時代、娼妓が死に、引き取り手がない場合、宿場内の決まった寺に投げ捨てるのが習わしで、墓を建てることなどありえなかったというが、文殊院には「遊女の墓」がある。台座に「盛元」とある。妓楼の店名である。
墓石の側面に遊女の戒名が刻まれている。戒名のついた遊女の墓は、極めて珍しいという。繁栄した宿場の影の部分なのかなどと思いながら帰途に着いた。
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- 橋
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地蔵尊のLandscape 45
台東区橋場 お化け地蔵
台東区橋場二丁目の路傍、トラックの隣に練塀が見える。
ここは、薬学、医学、科学など広範な分野で才を発揮したが、商売は失敗続きで、最後は小伝馬町で獄死した平賀源内の墓所である。源内は総泉寺に葬られた。寺は昭和四年に板橋区へ移転したが、墓はこの地に残った。昭和六年、源内の出身地である旧高松藩の当主によってこの練塀が整備されたという。
墓は覆い屋根に護られている。角塔状で笠付き、上下二段の角石からなる墓である。
上段角石に「智見霊雄居士」と刻まれている。戒名である。
平賀源内の墓をお参りした後、台東区橋場二丁目を歩いていると、建物の影がかかっているが、大きな地蔵尊が見えてきた。
近づいて見ると、大きな地蔵尊の前に小さな地蔵尊も祀られている。
隣の建物は松吟寺という禅宗の寺院であった。
地蔵尊前の常夜灯は寛政二年に建てられたという。
お化け地蔵である。お化けの由来は、現地の説明板によると、大きな笠をかぶり、その笠が人知れず向きを変えたから、あるいは高さ三メートル余の並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承があるようだ。
台石は随分傷んでいる。関東大震災によるものだろうか。
享保年間に建立された地蔵尊は関東大震災で二つに折れてしまったが、コンクリートで背後部を頑丈に補強されて、直立状態を保っている。災難をくぐりぬけて、今もここで建ち続けていることこそが「お化け」という呼称に相応しいのではないか。願いが大化けになるとの噂が広がり、近年、願い事に訪れる人が増えているという。
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- 地蔵尊
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