神社のLandscape 216
台東区清川 玉姫稲荷稲荷神社
台東区清川二丁目を歩いていると、路傍にこのようなシールがあった。この界隈にけしからん輩がいるのだろう。
清川二丁目の路傍、玉姫公園の隣にある玉姫稲荷神社の鳥居が見える。大きな石鳥居の裏側を見ると昭和15年に玉姫稲荷神社復興会が建てたとある。関東大震災からの復興を成し遂げた会だろうか。
鳥居脇にある常夜灯には波が浮彫されている。縁起の良い波ではないか。
境内に入ると右手に摂社が見える。口入稲荷神社である。もともと新吉原で仕事を斡旋する口入宿にあった稲荷社だが、店主が見た夢に従って玉姫稲荷神社に遷したという。
拝殿前には宝珠型の燭台がある。下にはカラフルな着物を着た白狐が並んでいる。
拝殿の右に細い参道がある。
この参道の先にある狐穴である。穴の中には多くの白狐が納められている。
玉姫稲荷神社の手水鉢では、龍の口から勢いよく水が流れ出ていた。
拝殿前には漫画「あしたのジョー」の矢吹丈と白木葉子のパネルが立て掛けてある。神社の隣りにある玉姫公園は、矢吹丈と丹下段平が初めて出会う場所である。
泪橋の交差点である。ジョーの所属する丹下ジムは泪橋近くにあったのだ。
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塚のLandscape 82
船橋区飯山満町 大宮神社
参道を進むと右手に富士塚が見えてくる。
山頂には石祠が建ち、いくつもの石碑が見える。ネットフェンスに囲まれており、近づくことはできない。
「亀岩蓬莱」とある。亀岩は富士山の八合目にある地面を這うような亀の形をした大きな岩で、富士講の講者から大切にされてきた場所である。
これは「宝永山」の碑である。この他にも富士山の地名などを示す石碑が建てられている。忠実に富士を再現しようとしているのである。信仰の深さが伺われる。
山頂の石祠の裏側には昭和3年の建立と記されている。
麓近くの洞窟である。中にいるのは、食行身禄だろうか。
富士塚の手前には蒟蒻神社の碑がある。明治時代にこの周辺の村々で盛んにコンニャクの栽培が行われたことに由来するという。
文政年間に奉納された手水鉢へは蛇口から給水する。メッキの光沢も少なくなり、歴史が感じられる蛇口である。
境内末社の向拝橋梁の前に狛犬がちょこんと載っている。このように設置されている狛犬は初めて見た。
拝殿の虹梁とその上の蟇股、柱は青く彩色されている。青い神社は見たことが無い。青く塗ることにどのような意味があるのだろうか。
拝殿には特段の装飾物は見られないが、本殿には凝った彫刻が施されている。
裏側から見た脇障子である。十牛図がテーマだろうか。
参拝を終えて、神社の西側の道路を歩いていたら、末社の社殿の後ろに小さな稲荷社が並んでいるのが目に入った。ひっそりとこのような形で祀るのは何故なのだろうか。路傍学会の興味は尽きない。
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- 塚
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琺瑯看板のLandscape 39
板橋区板橋 琺瑯看板
板橋区板橋の子易神社を参拝するため、東武東上線の下板橋駅で下車した。途中、板橋一丁目の路傍で琺瑯看板を見つけた。
折れた痕跡がある。一度外されて折り曲げられたのだろうか。
さらに歩を進めると、板橋二丁目でもう1枚琺瑯看板を見つけることができた。このお宅の玄関前で植木鉢を置いているのは、リヤカーのフレームである。こういう活用方法もあるのだ。
看板の寄贈者は今も元気に営業中である。
道の先に子易神社の看板が見えてきた。期待感が高まる。
子易神社である。鳥居は明治26年の建立。
鳥居をくぐり、両側に大きな岩が積まれた参道を登って行く。石垣は昭和6年から7年にかけて整備されたものという。
手水鉢の上に板が立て掛けられているのは、ゴミが入るのを防ぐためだろうか。
参拝を終えて参道を降りて行くと、地蔵菩薩御堂が見える。
元禄8年に造立された地蔵菩薩は胸突地蔵とも、身代り地蔵とも呼ばれている。御堂の扉はきっちりと閉ざされていて、地蔵菩薩の顔を拝むことができない。側面から覗けないものだろうか。
優しい横顔を少しだけ拝むことができた。
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青面金剛のLandscape 263
杉並区高井戸東 松林寺
杉並区高井戸東三丁目、人見街道の路傍、松林寺の門前である。
禅寺らしい凛とした佇まいの山門である。
姿勢を正して山門をくぐると、左手に石仏群がある。
上の写真の正面に見える青面金剛である。左右の青面金剛は構成が似ている。
上の写真の右側の青面金剛である。二臂像である。右手に剣、左手に索を持っている。日月の下を縁どる線が面白い曲線を描いている。
邪鬼の下に大きな二鶏が浮彫されている。延宝年間の作。
上の写真の像の左手の青面金剛である。上部中央には大きく卍が刻まれている。六臂の合掌像である。
この像も邪気の下に大きな二鶏が浮彫にされている。同じ石工の手によるものであろう。側面に天和年間の文字が見える。
山門脇の石柱である。傷みが激しいが、恐らく青面金剛像なのではないか。詳細は分からない。石柱部分に比べて笠の傷みは少ないのは何故だろう。
中央は庚申塚碑である。右の像は馬頭観音だろうか。
読みにくいが正面に「西ニ向テなが肆田みち」とあり、左側面には「左 なかのミち」とある。道標だったのだ。裏面に明治の文字が見える。
江戸から明治の石塔を堪能することができた。留蓋瓦の跳ねる獅子に見送られて帰途に着いた。
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青面金剛のLandscape 262
船橋市飯山満町 倶利伽羅不動尊
船橋市飯山満町三丁目、新京成薬園台駅近くの路傍に見える樹林は、倶利伽羅不動尊の杜である。
山門を入ると石塔が並んでいる。木漏れ日で見にくいが、右から2番目に青面金剛が祀られている。
六臂の合掌像である。
口を開けて経を唱えているのか。
邪鬼は顔だけを彫り出したのではないか。三猿は楽しそうな雰囲気である。宝暦年間の作。
これは青面金剛の右隣の新四国八拾八箇所霊場を示す弘法大師である。
玉垣に沿って歩くと左手に池が見える。
すぐ傍に地図がある。上の写真の右に見える坂道を下り、池を回って倶利伽羅不動尊に向かう。
窪地の最奥部、石垣の穴から水が湧き出ている。前原川の水源である。昔は龍が祀られ、その龍の口から湧水が流れていたという。行者等の修行場でもあったようだ。
先に見える石段を登ると倶利伽羅不動尊である。
正面の堂の中に倶利伽羅不動尊が祀られている。ガラス戸が閉ざされていて、直接倶利伽羅不動尊を見ることはできない。
ガラス越しに撮影してみた。ガラスが曇っていてクリアーに撮ることは難しい。剣に巻き付く龍の一部分がぼんやりと見える。新京成電鉄のパンフレットによると、ここに祀られている倶利伽羅不動尊は、石造の丸彫りで、寛文年間の作とある。
堂の屋根を見上げると主棟の上に鳩が留まっている。よく見ると瓦のようである。この鳩にはどのような意味があるのだろうか。
倶利伽羅不動尊は補陀洛山光明寺の飛地というので、光明寺を参詣した。
掲示板に描かれたイラストをその途中で見かけた。センスの良い人がいるものである。
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青面金剛のLandscape 261
三郷市鷹野 徳島稲荷神社
三郷市鷹野一丁目、大場川沿いの路傍に徳島稲荷神社の社号標と社殿が見える。
徳島稲荷神社である。参道は前面道路から入り直角に曲がって拝殿に至る。鳥居は昭和61年に建立されたものである。
参道の左側に5基の石塔が並んでいる。
左から2番目の青面金剛である。ショケラを持つ六臂の剣人像である。気迫が漲っている。
丸顔の邪鬼は不機嫌そうである。
中央の青面金剛である。険しい表情のショケラ持ちの剣人像である。
邪鬼は仰向けの面白い姿勢なのだが、彫りが不明瞭なのが残念。
右端の青面金剛である。凛とした像である。
邪鬼は神妙な面持ちである。寛政年間の作。
参道の右側に祀られている大黒天に金運アップをお願いし、帰途に着いた。
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界隈のLandscape 31
新宿区神楽坂 神楽坂界隈
JR飯田橋駅のホームである。大きくホームがカーブしているため、列車とホームの間が30㎝以上も離れてしまう所がある。これまでも路傍学会で報告してきたが、その隙間を無くすため、ホームを新宿寄りに移設する工事が進められている。
牛込橋からみた新ホームである。2020年の完成予定である。今回は、飯田橋駅を報告することが目的ではない。飯田橋駅から神楽坂に向かうことが目的である。
これは広重の「東都名所つくしの内牛込神楽坂之図」(国立国会図書館コレクションより)である。坂の上から牛込御門を望み、当時の界隈の雰囲気を伝えているように思える。以前、太田記念美術館でこの絵を見てから、神楽坂を訪れたいと思っていた。
まず、ピンコロ舗装の路地を覗いて見ると、若い二人連れが店を探していた。
この路地を歩いていくと、待合風の建物の軒先にこのような物が吊り下げられていた。風鈴ではないと思うが、燈明? 香炉だろうか? 路傍学会の興味は尽きない。
神楽坂は坂と階段の街である。階段の上には和風ホテルの暖簾が見える。
このホテルの先にもピンコロ舗装が続く。味のある路地である。
その先には路傍学会も何度か足を運んだ居酒屋がある。静かに酒を楽しむ店である。
店を出て神楽坂に向かうと目の前は毘沙門天である。
坂を少し下った所から牛込見附の方向を眺めてみた。街路樹が繁茂し、視界は不良である。今日は休日であり、坂をそぞろ歩く人々の姿は広重の絵に似ているかもしれない。
この近くの路傍に広重の絵をはめ込んだ神楽坂の碑があった。この辺りで描かれたのだろう。
坂の途中から見番横丁に入ると、すぐに伏見火防稲荷神社が祀られている。玉垣の親柱には「東京神楽坂組合」の文字が見える。玉垣に左端に彫られた「松ケ枝」は、神楽坂五丁目にあった大料亭で、創業者は代議士のお妾さんであった。現在はマンションとなっている。
稲荷社の隣は東京神楽坂組合稽古場である。カメラを構えていたら小気味いい三味線の音が流れてきた。稽古場の隣が見番となる。
見番横丁からさらに細い路地に入ると、その先は階段になっている。熱海湯という銭湯に向かう階段である。芸者が入浴した後、お座敷へ出かけたことから、芸者小道という別名もあるという。狭い路地沿いにいくつかのお店がある。日が暮れたら素通りはできないだろう。
熱海湯の前を過ぎて歩いているとある店の看板が目に留まった。「飲食他」の「他」って何だろう。「他」のことを考えながら帰途に着いた。
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青面金剛のLandscape 260
杉並区久我山 久我山稲荷神社
杉並区久我山五丁目、人見街道を歩いていると、三叉路に庚申塔が見えてきた。
現地の解説板によると、この庚申塔は、当初からこの分岐点に造立されたものであるという。享保の昔から人々の往来を見守ってきたのである。
六臂の合掌像である。顔は傷んでしまった。
左側面には「これよりひだり ふちうミち」とある。
右側面には「これよりみぎいのかしらミち」と刻まれ、井の頭池にある弁財天信仰者の道しるべとなっていたのである。この庚申塔の左の道を進むと井の頭線の久我山駅がある。
井の頭線久我山駅の北側、杉並区久我山三丁目の路傍に見える森は、久我山稲荷神社の杜である。
久我山稲荷神社の一の鳥居である。
石段を登ると朱の二の鳥居がある。両部鳥居である。
境内の西側に弘化5年に建てられた富士山仙元大菩薩の碑が建つ。昔はここから富士が望めたのだろうか。
綺麗に掃き清められた静かな境内である。
参集殿前には力石が立派な台の上に置かれている。台の左上に載っているのは無患子の実である。この神社を訪れたのは、庚申塔を拝見するためである。神社の由緒を見ても「境内に元禄十六(一七〇三)年の庚申塔がある」とあるのだが、見当たらない。境内の隅々まで見たが分からない。
諦めて石段を降りると、祭礼の提灯の裏手、社号標の奥に小さな祠を目にした。
おお! 青面金剛が祀られているではないか。
六臂の合掌像である。主尊の左側に元禄の文字が読み取れる。
傍らに建つ木札である。この庚申様に村人は砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願していたという。庚申塔を発見でき、ほっとして帰途に着いた。
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神社のLandscape 215
杉並区宮前 大宮前春日神社
杉並区宮前三丁目、五日市街道の路傍、大宮前春日神社の鳥居が見える。
鳥居の前には「大宮前鎮守」の大きな石碑が建っている。これは町名変更によって失われてしまう旧町名の「大宮前」を後世に伝えるために造立されたものという。
手水鉢の水は、参拝者がコックをひねって出し止めする方式である。節水が肝要である。
社殿の前には神使である鹿像が鎮座している。
台石には水に流れる紅葉である。明治27年の建立である。
手前の鹿には角が残っているが、前脚は折れてしまった。
こちらの台石も紅葉と鹿である。
明治時代に建築された拝殿には見事な彫刻がある。
向拝虹梁の上からは大きな龍が睨みを利かせている。
向拝虹梁下の持ち送りにも紅葉と鹿である。蝉の抜け殻が見える。こんなところまで登ってきて、羽化したのか。
向かって右の手挟は昇り龍? 足が見える。すると獅子?
左は下りである。顔は龍のようだが、獅子であろうか。
参拝を終えて鳥居に向かうと、鳥居脇に力石が並べてある。杉並区の登録有形民俗文化財。
七十貫を超える大きなものもあった。どんな人が持ち上げたのだろう。
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界隈のLandscape 30
台東区池之端 池之端界隈
台東区池之端一丁目、不忍通りから少し入った所に鳥居が見える。
鳥居の前から南の方向に目を向けると、蔵と樹木が見える。横山大観記念館の裏手になる。
平成5年に建立された鳥居の扁額である。「忍岡」と「向丘」の間の下に「総鎮守境稲荷神社」とある。忍ケ岡と向ケ岡の境に鎮座していることから境稲荷と称されたという。この扁額の文字は、寛延3年の火災後、拝殿に奉納された半井大和守筆の額字を写したものである。
本殿の裏には弁慶鏡ケ井戸と呼ばれる井戸がある。この井戸は源義経が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行の喉を潤したという。一時埋められたが、昭和15年に掘り出され、戦災時には被災者の飢渇を救ったという。
手押しポンプからは今も水が出る。井桁は竹簀子で塞がれている。
近づいて見ると、このような文字が。塞がれていると、どうなっているのかと、覗いて見たくなるものなのだ。
池之端二丁目の路傍、両山堂印刷所である。数年前に訪れた時は、右にあるマンションの所に味のある大谷石造りの建物が並んでいたのだが・・・ 残念。レッテルの印刷を得意とする会社なのだ。
瀟洒な玄関である。蹴上部にはスクラッチタイルが使われている。
玄関ドアの左にある表札である。住所は「池之端七軒町」となっている。旧町名である。
両山堂印刷所から細い路地を進むと、七倉稲荷神社の玉垣が見えてくる。左側の道路を進み、玉垣の外れまで来ると・・・
ここが台東区と文京区の境界線である。
境稲荷神社は昔の村の境であったが、七倉稲荷神社は区の境なのだ。
鳥居近くの玉垣には、先ほど拝見した両山堂印刷所の名が刻まれていた。
不忍通りの池之端二丁目交差点を東に入ると都電の車両が留まっている。現地の説明板によると、この車両が停車している場所は「池之端七軒町」という停留場であったという。両山堂印刷所の表札に記されていた町名も七軒町だった。
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