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Landscapes by the roadside

路傍学会


界隈のLandscape 140

江戸川区北小岩 小岩市川関所跡
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 江戸川区北小岩三丁目、京成本線の江戸川駅で下車した。改札口の前の道は佐倉道(成田街道)である。
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 歩き始めて間もなく、北野神社の鳥居がある。
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 境内に納められている力石である。薄れかけた説明板によると、この力石は三ノ宮卯之助が持ち上げたもので、東京で唯一現存するものという。あれ? 以前報告した浅草の合力稲荷神社の「足持石」と刻された力石も卯之助が持ち上げたものと記されていたと思うのだが。
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 社殿の屋根を見上げると、留蓋瓦の上で獅子が跳ねていた。
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 北野神社を過ぎるとT字路があり、車庫の脇に石柱と説明板が建っている。
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 正面には「右せんじゅ岩附志おんじ道 左リ江戸本所ミち」と刻されている。この佐倉道と元佐倉道が合流する地点に、小岩御番所町世話人忠兵衛が安永4年に建てたものである。

この界隈は御番所町と呼ばれ、旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、鮨屋、あめ屋、豆腐屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたという。

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 この道標の東に見えるのは江戸川の土手である。

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 土手の階段を上ると「小岩市川の渡し跡 小岩市川関所跡」の説明板がある。江戸を守るために江戸川には橋が掛けられず、小岩市川の渡しの小岩側に小岩市川関所が置かれた。

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 江戸名所図会「市川渡口 根本橋 利根川」の小岩側部分を拡大したものである。文字がかすれているが、画面左側の建物の上に「御関所」とある。この関所を通るには名主の発行した手形や通行証明書が必要で、関所では陸路の「入鉄炮に出女」だけでなく、船の往来も監視したという。

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 関所があった河原を歩いていたら、小岩菖蒲園の片隅に「ムジナモ発見の地」と刻された石碑があった。明治23年に牧野富太郎がこの地で食虫植物のムジナモを発見した記念碑である。大正10年に国の天然記念物に指定されたが、その後洪水で流失したため解除されている。4月から始まる朝ドラの主人公は、牧野富太郎がモデルだという。ドラマの中でムジナモの発見譚が取り上げられるだろうか。路傍学会は未だムジナモを見たことがない。いつか見てみたいものだ。

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 関所跡から慈恩寺への道標が建つ元佐倉道へ戻る。

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 元佐倉道を南へ歩くと間もなく宝林寺が見えてくる。


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 門前には2014118日号で報告した石像が並んでいる。

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 境内には常燈明がある。これは小岩市川の渡しにあった常燈明で、成田山を信仰する千住総講中によって、天保10年に建てられたものである。昭和9年の江戸川改修に当たり、宝林寺に移されたという。

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 法林寺の先には門前に題目塔が建つ本蔵寺がある。小岩市川関所役人を代々つとめた中根氏の館の跡といわれている。

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 やがて元佐倉道は国道14号に合流する。渡船ではなく、市川橋を渡り千葉県へ向かった。小岩市川関所跡界隈を巡る旅はまだ続く。

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神社のLandscape 303

八千代市勝田台の神社(その2)

 1月21日号の続きである。

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 八千代市下市場一丁目、成田街道の路傍に八坂神社がある。

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 境内の右手に6基の子安観音が並んでいる。

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 これは大正時代のもの。嬉しそうに乳をあげている。

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 一番手前は平成12年に造立されたものである。明治、大正、昭和、平成の子安観音を見ることができる。

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 社殿には牛頭天王の額が掲げられている。明治以前は牛頭天王社だったが、その後名称祭神が変わったようだ。

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 社殿前の力石である。重量がKgで表示されている力石は初めて見た。

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 八坂神社から成田街道を東へ歩くと、勝田台北一丁目の路傍に台町稲荷神社の鳥居がある。

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 石段を上がると、庚申塔の先に子安観音が見える。

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 3基の子安観音が並んでいる。これまで報告した白旗神社、八坂神社でも多くの子安観音を見ることができた。勝田台では長く、熱心に子安講が続けられていることが分かった。

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 建物を迂回すると社殿が現れる。

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 社殿の右手には出羽三山供養塔がある。まだ新しい梵天も建っている。

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 梵天の後ろの出羽三山供養塔は、平成30年に建てられたほやほやである。ここも梵天塚のようである。この地域では出羽三山信仰が力強く息づいていることを改めて認識することができた。

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 この後、京成勝田台駅まで歩き、帰途に就いた。

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塚のLandscape 121

八千代市勝田台 梵天塚
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 八千代市勝田台南二丁目に八勝園市民の森がある。その市民の森の外れに石塔が見える。
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 文化年間に造立された庚申塔である。樹木が茂りうまく撮れなかったが、左側面には「左下いちば道」、右側面に「右うすゐ道」と刻されている。
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 塔の台石の上に三猿が置いてある。楽しそうである。花瓶に使われているのは路傍学会が好きなスコッチの陶器ボトルである。三猿はスコッチに酔って赤くなったのか。
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 市民の森前の道を下ると田園風景になる。
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 勝田のT字路の路傍に石塔が並んでいる。
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 庚申塔に挟まれて青面金剛が祀られている。傷みも無く、堂々たる青面金剛である。安永年間の作。
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 不機嫌な邪鬼の前には清酒「鬼ころし」が供えられていた。
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 青面金剛の先に、大正9年に造立された馬頭観世音がある。
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 建てたのは運送連である。大正時代はまだ馬が運送の主力だったのだろう。
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 馬頭観世音にお参りしてから台地に上がると、勝田台五丁目の路傍に石塔が並び、塚が築かれている一画がある。
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 並ぶ石塔は出羽三山供養塔である。勝田地区では、男は一生に一度、40歳以上になると「奥州まいり(出羽三山登拝)」をすることになっていて、帰村すると梵天塚に梵天を納め、石碑を建てるという。

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 供養塔の後ろに青面金剛が見える。剣、ショケラを持つ綺麗な六臂像である。

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 邪鬼が体を大きく捩っているので、主尊の足元に三猿が入りきらなくなり、主尊の右側に押し出されてしまった。このような配置は珍しい。

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 両側面に一童子が彫られている。延享年間の作である。

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 この塚が梵天塚で、神の依り代である梵天を納める塚である。ここはかつての村境であった。

 出羽三山登拝の伝統にふれた後、次の訪問先へ向かった。

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神社のLandscape 302

柏市船戸 船戸天満宮

 118日号の続きである。

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 柏市船戸、船戸会館前の路傍に幟建石がある。道路の向いにも幟建石があった。神社の参道のようである。

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 この道を歩いて行くと千木、鰹木が載った神社の屋根が見えてきた。

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 船戸天満宮である。

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 鳥居の左、玉垣に沿って青面金剛が並んでいる。

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 右端の青面金剛である。剣、ショケラ持ちの六臂像である。傷みの少ない綺麗な像である。文化年間の作である。

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 右から2番目の青面金剛は六臂の合掌像である。

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 口を開き、経を唱えているのか。

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 邪鬼は渋い顔である。宝暦年間の作。

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 右から4番目に建っている青面金剛である。

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 こちらも六臂の合掌像である。口をへの字に結んでいる。

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 邪鬼は猫のような仕草である。邪鬼の大きさに比べて三猿は随分と小さい。これほど大きさが違うのは珍しいのではないか。

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 鳥居前の狛犬である。笑顔で参拝者を迎えてくれる。

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 境内の裏には利根川沿いの広大な水田が広がっている。画面を横切る高架橋は常磐自動車道である。高架橋の上に見えるトラスはつくばエクスプレスの利根川橋梁である。

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 天満宮の参拝を済ませ、宇宙船を思わせる柏たなか駅まで歩いて帰途に就いた。

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神社のLandscape 301

八千代市勝田台の神社
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 八千代市勝田台南三丁目、国道16号から少し下った道の路傍に愛宕神社が鎮座している。
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 参道に沿って出羽三山供養塔が並んでいる。造立年を見てみると、奥から昭和15年、昭和26年、昭和33年、昭和56年、平成6年となっている。以前も報告しているが、この界隈は出羽三山への信仰が盛んな地域で、「男は一生に一度は三山(サンヤマ)に行くもの」という意識が根強くあるという。
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 子供の頭にちょこんと前足を置いた狛犬は愛らしい。昭和34年に奉納されたものである。
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 愛宕神社から国道16号を通って下市場へ向かったが、京成線を跨ぐ橋に藁製の蛇が括り付けられていた。人畜に危害を与える悪霊や悪疫が村に入るのを防ぐために置かれた、辻切りであろう。塞神と記された紙が挟まれている。
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 成田街道と国道16号の交差点近くに白旗神社が鎮座している。
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 石段の上で覆屋の下に社殿が建っている。
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 左側の胴羽目の彫刻である。
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 右の胴羽目の彫刻である。左右で養老の瀧を表現しているようだ。
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 社殿前には子安観音が並んでいる。安産、幼児の成長を守護して下さる。
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 白旗神社の隣の建物である。この出っ張ったところはトイレだろう。こういう建物に惹かれてしまうのである。
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 下市場一丁目、坂道を上がった路傍に石塔が並ぶ一画がある。
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 その中の青面金剛である。表面がざらついている。以前は彩色されていたのかも知れない。寛延年間の作。
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 この区画の北側は一段高くなっており、出羽三山供養塔が建てられている。ここは梵天塚のようだ。
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 ここで最も新しいものは平成12年の参拝記念で、今も三山信仰が続いていることを窺わせている。

 勝田台の神社を巡る旅はまだ続く。
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青面金剛のLandscape 416

柏市船戸 医王寺

 115日号の続きである。

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 柏市船戸、県道7号の交差点近くに大型の石塔が建っている。

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 回り込んで見ると庚申塔であった。天保年間の造立である。左に見える小型の石塔は、十九夜念仏供養塔である。こちらは寛政年間の造立。

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 庚申塔から医王寺へ向かうと、途中に金比羅神宮があるが、その前に大黒天の供養塔がある。寛政年間のものである。柏市界隈では大黒天に出会う機会が多い。

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 船戸会館前の交差点角に石仏が並んでいる。

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 右端の青面金剛である。全体に彫りが浅く、下手はだらりと伸びている。素朴な印象の青面金剛である。

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 お顔も良い。宝永年間の作。

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 右から3番目の青面金剛である。緊張感のある六臂の合掌像である。元文年間の作。

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 右から4番目の馬頭観音である。神妙な面持ちで安全祈願である。宝暦年間の作。

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 船戸会館前交差点から北西へ進むと山門が見えてくる。

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 医王寺の山門である。

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 境内に入ると六地蔵が佇んでいる。衆生をお救い下さる。

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 山門の左手に石仏が見える。

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 うーむ、火災にでも遭ったのだろうか。左縁に享保の文字が見えるが、剥落が激しく、詳細不明である。

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 山門近くにも2基の庚申塔が建っている。左は延宝年間に造立された庚申塔で、中程で折れた跡がある。右は、地衣類がはびこり良く見えないがが、2童子を従えた、剣、ショケラ持ちの六臂像である。

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 境内ではもう蠟梅が良い香りを漂わせていた。

 この後、船戸天満宮へと向かった。

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青面金剛のLandscape 415

柏市船戸山高野 薬師堂
 昨年末、柏市、野田市を流れる利根運河近くに祀られている青面金剛を報告したが、今回は国道16号以東の利根運河と常磐高速自動車道に囲まれたエリアを訪ねた。
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 柏市船戸山高野の路傍に石仏が並ぶ一画がある。

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 六地蔵、庚申塔、不動明王、如意輪観音などが並んでいる。その中に青面金剛が祀られている。

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 右手に剣、左手にショケラを持つ六臂像である。険しい表情である。

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 邪鬼は諦観の表情か。寛保年間の作である。

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 石仏群の背後に船戸山高野薬師堂が見える。

 薬師堂からのどかな田園風景の中を南へ歩く。

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 大青田の路傍に鳥居が見える。

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 香取神社である。

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 鳥居を潜ると参道の両側に庚申塔が並んでいる。

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 社殿に向かって左側に祀られている青面金剛である。剣、ショケラ持ちの六臂像である。顔が少し傷んでいる。享保年間の作。

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 こちらは右側に祀られている青面金剛である。これも剣、ショケラ持ちの六臂像である。主尊は口を開けているように見える。寛保年間の作。

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 邪鬼は、怒った達磨のような顔である。

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 この邪鬼の下に三猿が陽刻された台石があり、三猿は2段になっている。おそらく別の庚申塔の台石に載せたのだろう。

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 拝殿の壁に打ち付けられていた鳥の彫刻である。鶴だろうか。

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 境内のはずれには、不動明王を載せた成田山講中と刻された石柱がある。天保年間の造立である。

 この後、船戸地区へと向かった。

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地蔵尊のLandscape 74

荒川区東尾久界隈の地蔵尊
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 荒川区東尾久三丁目の路傍にモダンな形をした満光寺の朱塗りの山門がある。
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 山門をくぐり、左に進むと、地蔵尊と板碑型石塔が並んでいる。
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 地蔵尊である。上部に日輪、月輪があり、右縁に「奉造立地蔵菩薩庚申供養為講中二世安楽也」と刻されている。地蔵尊を主尊とする庚申塔であった。正徳年間の作である。
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 この地蔵尊の左にある板碑型の石塔も庚申塔である。承応年間の造立で、古いものだ。
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 満光寺から西へ歩くと消防署の先に阿遮院がある。阿遮院は、尾久で最古の寺院と言われている。長い参道の奥に山門が見える。
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 山門の脇塀は煉瓦積みである。煉瓦塀の前に地蔵尊が2体建っている。
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 左は寛文年間、右は宝暦年間の造立である。右の地蔵尊の顔はモルタルで修復されている。どのような過去があったのだろう。
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 阿遮院前の通りは「大門通り」と呼ばれている。阿遮院にあった大門に由来する通り名のようだ。都電を越えて大門通りを進むと、東尾久六丁目の路傍に銭湯がある。その名も大門湯である。
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 消防水利保全委員の琺瑯看板が取り付けられていた。湯船の湯を防火水槽として利用することが想定されているのだろう。
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 さらに進むと子育地蔵尊と刻された石柱があり、その後ろに地蔵堂がある。
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 大門通りの子育地蔵尊と呼ばれている地蔵尊である。優しい風情である。造立年は分からない。
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 大門通りの子育地蔵尊から西へ向かい、いくつか角を曲がると、20141210日号で報告した下尾久石尊がある。その時は、堂の左手にあった庚申塔は家庭ごみに埋もれ、その姿を見ることが出来なかった。
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 8年以上経ってようやく拝むことができた。「元禄十一戊寅年 奉供養庚申講為二世安楽也 十一月吉祥日」と刻されている。
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 下尾久石尊から石門通りを歩いて行くと、堂宇がある。
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 ガラス越しに見た子育地蔵尊である。
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 子育地蔵尊の扁額である。この額の揮毫者は、東尾久三丁目の満光寺の住職であった。
 この後、冬の尾久の原公園を散策してから帰途に就いた。
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青面金剛のLandscape 414

春日部市南 大池親水公園近傍
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 春日部市緑町三丁目、大落古利根川の土手を歩いていると、畑の向こう、スーパーの車の後ろに2本の欅と2本の傾いた松が見える。
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 土手を下りて見ると、小さな社がある。
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 傾いた松はアカマツで、参道の両側に生えている。2本の欅は社の両側に生えている。
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 社には「川守稲荷大明神」とテプラで表示されている。水害を防ぐために祀られているのだろう。
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 アカマツの根元に青面金剛碑が建っている。紀年銘は見当たらない。
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 春日部市南二丁目の路傍にある床屋のウィンドウに、ボーっと生きていると怒る5歳児の人形が往来を眺めていた。
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 春日部市南五丁目にある大池親水公園である。古くからある池を中心に整備された公園である。
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 公園のはずれからネットフェンス越しに六地蔵らしきものと石塔が見える。行ってみよう。
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 空き地とブロック塀の間の袋小路に石塔類が並んでいる。どうしてこのような所に集められているのだろう。

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 列の中程に青面金剛が2体祀られている。手前は、明和年間に造立された剣、ショケラ持ちの六臂像である。その奥は六臂の合掌像で、正徳年間の作である。

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 ブロック塀との間隔が狭く、全体像を写すことは難しい。左縁が欠けているほかは、大きな傷みは見られない。

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 隣の地蔵尊にはフリースのジャンパーが掛けられていた。風で飛ばされないかと心配になる。

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 六地蔵は皆頭巾と前掛を着けている。大切にしている方がいるのだ。

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 撮影を終えて振り返ると、空き地の向こうに公園の池が見えた。直に見えなくなるのだろう。

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界隈のLandscape 139

土浦宿~稲吉宿 水戸街道(その2)
 水戸街道歩き旅。1月4日号の続きである。
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 この建物の擁壁を見ると、真鍋宿は坂道に成立した宿場であることが分かる。

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 上の建物の向いにある建物も坂の途中に建っている。かなり大型の木造建物である。

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 「蠶」の字が読めなかった。帰宅して調べると「蚕」の旧字であった。藤本蚕業は、上田市塩尻を代表する蚕種製造業者で、大正13年に土浦に支店を開設したという。この建物の中には蚕種を孵化させる部屋もあるそうだ。蚕糸業を支えた産業遺産としての価値もある建物であろう。鏡像が歪んでいる板ガラスも貴重ではないか。

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 電話番号票である。局名の無い、縦型である。

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 坂上から振り返ると、真鍋宿は坂道の宿であることが分かる。若者が自転車を押しながら坂を上がってくる。

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 坂を上ると国道125号に合流するが、若松町交差点の手前で国道から離れる。

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 陸橋の下を通ると松並木が現れる。説明板によると、街道には旅人を暑さ、寒さから守るために松が植えられたが、今並木が残るのはこの地区だけという。

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 松並木を進むと、街道の両側に一里塚が残されている。日本橋から20里目となる。

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 板谷六丁目の路傍に石柱が建っている。「石岡経水戸 約四十四粁」「土浦経東京 約七十六粁」と刻されている。裏面を見ると「電燈建設記念」とある。昭和4年に電燈が作られた記念に建てられた道標である。

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 中貫で旧街道は国道6号と交差する。右か左か、どちらを進むべきか迷ったが、左側の跨道橋を進んだ。

 跨道橋を越えると中貫宿である。ここを歩いて驚くのは、立派な構えの屋敷が多いことだ。豊かな宿場だったのだろう。

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 中貫宿の本陣である。1864年、天狗党の焼打ちで焼失後、すぐに再建されたものである。

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 正面の唐破風造りの玄関が立派である。今も住宅として使われているので、門から眺めさせもらった。

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 本陣の蔵には大黒天と恵比寿天が見える。よく見ると彩色されている。鏝絵だろうか。

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 近くに清酒の琺瑯看板があった。

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 宿場のはずれ近くに馬頭観音がある。明治35年の造立である。

 この先で、街道は国道6号に合流し、かすみがうら市に入る。

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 下稲吉で国道から離れると稲吉宿に入る。最寄り駅までの距離を考えて、今回はここまでとし、神立駅までとことこ歩いて、帰途に就いた。

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