建物のLandscape 59
これまで4回に渡って日本橋人形町や日本橋蛎殻町にあるレトロ建築を報告してきたが、今回はその続編である。
階段にこのビルの歴史がしみ込んでいる。昭和5年の建築。
大原第5ビルから大伝馬本町通りを歩いていくと、日本橋大伝馬町の路傍に蔦屋重三郎の書肆「耕書堂」跡を示す説明板がある。蔦屋重三郎は来年の大河ドラマの主人公である。
喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴らを見出し、東洲斎写楽を世に送り出したことで知られる江戸のメディア王はこの辺りに店を構えていたのだ。
蔦重の店跡からさらに大伝馬本町通りを進むと、江戸屋の看板が目に入る。
江戸屋は、享保3年(1718)創業の刷毛屋である。大正13年に大工職人が自由な解釈で建てた洋風建築という。国の登録有形文化財となっている。
刷毛屋の前から振り返るとスカイツリーが見えた。
刷毛屋の向いのビルに大きな提灯に灯りがともっている。「べったら市」「宝田恵比寿神社」とある。調べてみると宝田恵比寿神社はすぐ近くだ、行ってみよう。
日本橋本町三丁目、宝田恵比寿神社である。宝田恵比寿神社は徳川家康の江戸入府以前から宝田村(皇居外苑)の鎮守として祀られていたが、江戸城拡張に伴い、宝田村が日本橋に移転した際に遷座したという。「べったら市」は、江戸中期の中ごろから、この宝田恵比寿神社の門前で10月20日の恵比寿講に供えるために、前日に市が立ち魚や野菜、神棚などが売られるようになったことを起源とし、この神社の周辺には、たくさんのべったら漬の屋台が並ぶという。
宝田恵比寿神社の裏側には飲食店が集まった一画がある。
人形町一丁目に下見板張の店舗が建っている。
上の店舗の奥に老舗豆腐店がある。正面を銅板貼りとして軒を立ち上げ、陸屋根風に見せる昭和初期の看板建築である。光線が悪く良く見えないが、戸袋の亀甲貼りなど、細部に凝った銅板貼りの装飾がみられる。
老舗豆腐店の近くには2階部分に銅板を貼った看板建築もあった。店舗脇の通路は立入禁止となっており、近々取り壊しになるのかもしれない。
人形町から新大橋通りを渡ると日本橋蛎殻町一丁目である。新大橋通りの路傍に老舗シャツ店のモルタル看板建築があったのだが・・・ その場所にマンションが建っているではないか。
これは2022年2月19日号で報告したシャツ店である。2階窓を列柱風の装飾とするなど、看板建築の中でも凝った外観意匠のモルタル塗り看板建築であったのだが。
蛎殻町の南、霊厳橋の上から亀島川の畔に第2井上ビルの姿が見える。
個性あるテナントが入居し、人気ビルとなったリノベーションの好例という。昭和2年の建築である。
この後、日比谷線の茅場町駅まで歩いて帰途に就いた。
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建物のLandscape 58
栃木市万町の旧例幣使街道を歩いていると、古い商家の店先に「文女・歴女立寄処」の貼紙があった。ここは栃木出身の山本有三の自筆原稿などを展示している「山本有三ふるさと記念館」である。江戸末期に建てられた見世蔵を改修したものである。文学、歴史好きな女子が訪れるのだろう。
文女・歴女立寄処から100m程北へ歩くと見世蔵がある。弘化2年(1845)に上棟された提灯店である。栃木県指定の有形文化財となっている。
提灯店の先にあるこの建物は、文久元年(1861)に建築された見世蔵であるが、下野新聞の支局として使われている。
万町交番前交差点の角にある大型の町屋は肥料店である。栃木を歩いていると、肥料店が数多くあることに気付く。先に見た下野新聞社の支局の建物も元肥料店であった。
万町交番の西に「嘉右衛門町重要伝統的建造物群保存地区」がある。この保存地区は日光例幣使街道に沿って形成された敷地割りが残り、街道沿いに発展した在郷町の歴史的景観を伝える約9.6haのエリアである。
伝建地区に入って間もなく舘野家住宅がある。木造だが、ベランダや連アーチ窓が配された洋風建物である。舘野家は、肥料、履物を商っている。
近くの薬舗で見かけた貼紙である。たくあん漬けの素というものがあるとは知らなかった。これを使えば上手く沢庵を造ることができるのだろう。
「嘉右衛門町」はこの地を開発した惣名主・岡田嘉右衛門の名前を採ったもので、以後、代々の名主は嘉右衛門を襲名し、名主、本陣を務め、代官職も代行したという。
岡田記念館は、岡田嘉右衛門の屋敷を一般に公開した施設である。訪れた時は休館日であった。岡田家伝来の宝物が見たかったのだが、残念。
岡田記念館の門である。これまで琺瑯製の電話番号票を数多く紹介してきたが、ここの電話番号票は陶製である。しかも「電話一番」とのみ記されている。これが名主の証というものだろう。
岡田記念館の先にある肥料店である。肥料の琺瑯看板が打ち付けられている。
この先にも現役の肥料店がある。
ここにも肥料の琺瑯看板があった。最近目にする機会がめっきり減ってしまったので、琺瑯看板を見ると嬉しくなる。
観光案内施設の先にはサッポロビールの琺瑯看板があった。
旧例幣使街道を進むと、三差路に庚申塔が祀られている。字は読みにくくなっているのだが、傍らの説明板によると「右 日光おざく道 左 三日月道」と刻されているという。道標を兼ねた庚申塔で、寛政12年(1800)の造立である。
庚申塔の先に味噌蔵がある。江戸中期に油屋として創業し、江戸末期に味噌屋に転業した老舗である。
味噌蔵の先で嘉右衛門町重要伝統的建造物群保存地区は終わる。
栃木を歩く旅はまだ続く。
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建物のLandscape 57
3月上旬、JR東日本の「たびキュン早割パス」を使ってみた。新幹線・特急列車などの自由席を含むフリーエリア内が1日乗り放題で、あらかじめ座席の指定を受ければ、新幹線・特急列車などの普通車指定席に2回乗車可能というお得な切符である。
世界遺産に登録されてから訪れていなかった中尊寺に行くことにした。
一ノ関駅で「はやぶさ」から乗り換えて平泉駅に着いた。東北新幹線開業前は急行列車も停車する駅であった。まだ冬の東北では観光客は少ないだろうと思っていたら大間違い。普通列車は大変な混雑であった。
平泉駅からまた混雑したバスに乗って到着した中尊寺参道入口である。この先、月見坂と呼ばれる急な坂道が続く。
月見坂を登り終えると「東物見台」がある。東物見台から北上川の流れや東北本線を望むことができた。
物見台から中尊寺本堂、薬師堂などを過ぎると金色堂と刻された石柱がある。写真に写っている建物は昭和40年に建築された覆堂で、その中に金色堂がある。
金色堂は、奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年に建立したもので、平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。覆堂内は撮影が禁止されているのだが、須弥壇にぽっかり空いた空間があった。金色堂の建立900年を記念して東京国立博物館で開催されている特別展「中尊寺金色堂」に出品されているためである。
金色堂の北西奥に旧覆堂がある。現覆堂が出来るまで、700年以上金色堂を守ってきた。
芭蕉が見たのはこの覆堂内にあった金色堂である。
これは川瀬巴水の絶筆となった「平泉金色堂」である。描かれているのは旧覆堂である。この版画を見ると、現在の覆堂は旧覆堂を模して建てられたことが分かる。
中尊寺から毛越寺へ向かう途中に平泉文化遺産センターがある。世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」の魅力を、パネルや映像などで紹介している施設である。
センターの入口近くに展示されているパネルは、中尊寺が、みちのくの入口である「白河の関」と外れに当たる「外の浜」の中央に位置していることを示している。
明治初年に撮影された覆堂の写真が展示されていた。屋根は草葺であった。
こちらは昭和5年の金色堂である。かなり傷んでいる様子である。昭和37年から昭和43年にかけて解体修理が行われ、今日見る姿に復元された。
平泉文化遺産センターから毛越寺に向かった。
「大泉が池」を中心とする「浄土庭園」と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡、特別名勝の二重指定を受けている。
毛越寺の山門前からは、藤原四代、義経主従の追善と先祖供養のために、毎年8月16日に灯される大文字送り火の跡が見えた。
この後、平泉駅から帰途に就き、日帰りのみちのく旅行を終えた。
後日、東京国立博物館を訪れた。中尊寺金色堂建立900年を記念して開催されている特別展を見るためである。30分程待って入場すると、8KCGの技術を用い原寸大で再現された金色堂に驚かされたほか、金色堂の須弥壇に安置されていた国宝阿弥陀如来座像などなど、平泉の文化の粋を堪能することができた。
館内は撮影禁止であったが、この金色堂の模型だけは撮影が許された。
今年2月、東京ステーションギャラリーで開催された「みちのくのいとしい仏たち」で、村の人が刻んだ暮らしに寄り添う素朴な仏像を見ることができた。このチラシは、岩手県八幡平市の兄川山神社に伝わる山神像で、今でも林業従事者にあつく信仰されているという。
平安文化の粋ともいえる煌びやかな仏像は素晴らしいが、東京ステーションギャラリーで見た、ささやかな祈りやつぶやきの対象となる素朴なみちのくの仏像も素敵だなと思いつつ、中尊寺の山号を冠した地酒をいただいた。
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建物のLandscape 56
小島公園の南にある出桁造の家は工事用シートで囲まれていた。間もなく解体されるのだろう。また街の風景が変わる。
出桁造の南の角にある中華料理店と電気店である。インドネシア料理のナシゴレンで有名な料理店である。この日は残念ながら休業日であった。拙ブログに電気店の店名に似たハンドルネームの方が時々コメントを投稿してくれる。
小島一丁目にモルタル仕上げの看板建築がある。
レリーフの下にモルタルで請負工事の種類が書かれている。「請負山田、各工事一式、コンクリート、鉄筋鉄網、煉瓦工事、化粧タイル張、人造塗、左官職」とある。「人造塗」とは「人研ぎ」のことだろうか?
小島一丁目を歩いているとこのような建物があった。矩形窓の上にアーチがあり、表現主義の影響を受けているのだろうか。
アーチの建物の近くにはギャンブレル屋根の家があった。
小島一丁目の向いの鳥越一丁目に建つ看板建築である。昭和3年の建築という。
西へ歩くと台東三丁目に2017年9月24日号で報告した佐竹商店街がある。
商店街の西側にドンと医院の建物がある。既に医院としては使われていないようである。昭和6年の建築である。
玄関脇にはエンタシスのポーチ柱がある。
矩形窓の上にはアーチがデザインされている。
医院の北側に出桁造の店舗がある。1階の軒の上に君子蘭の鉢が置いてある。
上の出桁造の向いのアパートに取り付けられていた琺瑯看板である。管理人の許可なく入ってはならないのだ。
この後、御徒町駅まで歩いて帰途に就いた。
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建物のLandscape 55
2020年7月にトキワ荘公園内にオープンしたトキワ荘マンガミュージアムである。手塚治虫をはじめとするマンガの巨匠たちが住み集い、若き青春の日々を過ごした伝説のアパートを、マンガやアニメ文化を次世代に継承し発信する拠点として復元したものである。
木の階段を上がると2階には漫画家の部屋や共同の炊事場、トイレなどが忠実に再現されている。
この部屋のテレビからは三木のり平のアニメCM「何はなくとも江戸むらさき」のセリフが流れてきた。このCMを覚えている人はどれ程いるのだろうか。
訪れた時には、特別企画展として「ふたりの絆 石ノ森章太郎と赤塚不二夫」が開催されていた。若き二人の暮らしぶりや貴重な直筆原稿を見ることができた。
トキワ荘マンガミュージアムからトキワ荘通りを歩くと、戦後マーケットを改装した「昭和レトロ館」がある。昭和の暮らしが感じられる展示や昔の街並みを再現したジオラマ等がある。
レトロ館の先にはトキワ荘で描かれた漫画に登場するラーメン店がある。ラーメンでもと思ったが、満席で入れなかった。
ラーメン店の向いの路地にトキワ荘跡地を示す案内看板がある。
路地の奥にはトキワ荘の模型が置かれていた。トキワ荘は昭和27年12月に上棟式が行われ、昭和57年12月に解体されたという。
南長崎三丁目に建つアパート「紫雲荘」は、仕事量が増え、トキワ荘だけでは手狭になった赤塚不二夫が仕事場兼寝室として借りていた。パラペットの形が良い。昭和34年の建築である。
南長崎二丁目の路傍には、米穀店をリノベした「トキワ荘通りお休み処」がある。この通りはトキワ荘だらけである。
トキワ荘を離れて、新宿区中落合を目指した。
これは昨年撮影した妙正寺川である。
昨年ここを訪れた理由は、赤塚不二夫が設立したフジオ・プロダクションが旧社屋を取り壊すという新聞記事を目にしたからだ。
昨年9月29日から10月30日まで「フジオプロ旧社屋をこわすのだ‼展『ねぇ、何しに来たの?』」が開催された。取り壊し後は新たな建物が建つ予定と聞いていたので、旧社屋の跡地はどうなったのか気になって見に来たのだが・・・
アレ? まだ逆立ちをしたバガボンのパパがいるではないか。何かの事情で解体が遅れているのか? 「良い年を迎えるのだ!」とパパに見送られて帰途に就いた。
それでは皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。
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