地蔵尊のLandscape 63
港区芝公園 金地院六地蔵
昨年12月9日号で港区芝公園にある蛇塚について報告したが、今回は、芝公園にある金地院を訪ねた。
港区芝公園三丁目の路傍、金地禅院の寺号標が建っている。参道の奥に金地院の本堂が見える。参道に伸びている影は東京タワーの鉄骨の影である。
ここで振り返って見上げると東京タワーがぐいっと聳えている。江戸の切絵図を見てみると東京タワーはかつての金地院の境内に建っていることがわかる。
山門の石柱には「金地禅林」「世外勝境」と刻まれている。この石柱は大正14年に、三井家が寄進したものである。
本堂の屋根の上には金色に輝く路盤宝珠が載っている。
墓地に向かうと小堂に並んで六地蔵が祀られている。
穏やかなお顔の地蔵尊である。合掌。いつ頃造立されたのだろうかと、あちこち見ても紀年銘はどこにも無かった。
六地蔵の手前の小堂である。火灯窓がある。格子の間を覗いて見た。
石造の閻魔大王である。この堂は閻魔堂であった。
閻魔堂の右奥には、盛岡藩、八戸藩の大名家、南部家の墓が並んでいる。少し荒れた感じがする。
金地院を後にして麻布台に向かった。麻布台二丁目、行き止まりの道の右手に芝生の広場が見える。
日本経緯度原点の看板がある。我が国の経度、緯度を決める原点である。画面右手の花崗岩の上に原点が設置されている。かつてここには東京天文台があったのだ。
これが日本経緯度原点である。東日本大震災で原点は東へ27㎝移動したという。
経緯度原点の前にはアフガニスタン大使館がある。少し時間があったので、大使館繋がりでロシア連邦大使館へ向かった。
麻布台二丁目外苑東通りの路傍、ロシア連邦大使館前である。歩行者検問実施中の看板があるポリスボックスの前にカラーコーンが置いてある。カラーコーンの下には路傍学会が見たいものがあると思うのだが・・・ ポリスボックス前に立つ若いおまわりさんにカラーコーンの下に見たいものがあり、写真を撮りたいので、移動しても良いかとお願いしてみた。
カラーコーンを動かすと、やはりあった。正確には三角補助点53号の附属予備点で、几号が水平面に刻印されている。撮影後、カラーコーンを元に戻した。ややあきれ顔のおまわりさんに礼を言って帰途に着いた。
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青面金剛のLandscape 312
野田市 中野台庚申塚、東正寺
野田市中野台の路傍に石塔の建つ一画がある。
手前にあるのは丸彫りの猿田彦神である。
その奥にも猿田彦神がある。彫りの深い横向きの猿田彦神である。文化年間の作。
猿田彦神の台座の三猿である。不聞猿は穴に隠れている。
かなり大振りな庚申塔と猿田彦大神碑である。
猿田彦大神碑の三猿である。じゃれ合っているかのように見える。
これは寛政年間に造立された青面金剛碑の不聞猿である。法被を着て、烏帽子を被っている。側面を見ても不見、不言猿はいない。1月24日号で報告した野田市野田にある香取神社の青面金剛碑では、烏帽子を被った不聞猿の台座の下に、もう一つ台座があり、そこに不見猿、不言猿が浮彫りされていた。この石塔にももう一つ台座があって、そこに彫ってあったのかもしれない。
これは庚申塔の背後に祀られていた馬頭観音である。享保年間の造立。
野田市内を散策していて、下町交差点近くにある東正寺前を通りかかった。
玉垣越しに並んでいる庚申塔が目に入った。
これは寛政年間に造立された青面金剛碑の三猿である。法被を羽織って、御幣を持っているのだろうか。踊っているように見える。愛嬌のある三猿である。
六臂の青面金剛の不聞猿である。左側面に不見猿、右側面には不言猿がいる。安永年間の作。
中央の像は青面金剛童子である。
右手に剣、左手に金剛鈴を持つ六臂の坐像である。庚申塔の三猿には実に様々な様式があることを再認識する野田市探訪となった。
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青面金剛のLandscape 311
習志野市 実籾、屋敷界隈の青面金剛
習志野市実籾一丁目、東金御成街道の路傍に大原神社の森が見える。
神社の角、擁壁の下に青面金剛が2基並んでいる。
右側の青面金剛である。六臂の合掌像である。正徳年間の作。
左の青面金剛である。彫り窪めた中にショケラ持ちの六臂の剣人像が浮彫りにされている。
主尊は、正面を向き畏まった邪鬼の肩の上に立っている。
面白い邪鬼もあるものだと思いながらふらふらと歩いていると、屋敷五丁目の路傍に鳥居の背後に並んでいる石塔が目に入った。
庚申塔の間に青面金剛がある。右の庚申塔は天保年間、左の庚申塔は明治の造立である。
これは三面の青面金剛である。ショケラを持つ六臂の剣人像だが、肩からの腕の出方が独特である。元禄年間の作。
屋敷一丁目の路傍、広場内の塚の上に建つ石塔が見える。
青面金剛王である。この塚は庚申塚だろうか。天保年間の造立である。
青面金剛王碑の建つ広場の向い側、屋敷二丁目の路傍に樹林内へ上っていく階段が見える。上ってみた。
急な斜面を登っていくと石鳥居がある。
鳥居の上、木の根元に青面金剛が祀られている。木洩れ日で見づらいが、ショケラを持つ六臂の剣人像である。
側面である。造立年は分からないが、上部に馬加村の文字が見える。
習志野市実籾、屋敷界隈の青面金剛を巡り、京成大久保駅へ向かう途中、路傍に馬頭観音が4基祀られていた。これは一番左の馬頭観音である。次榮号十二才とある。大切な馬だったのだろう。
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神社のLandscape 254
野田市上花輪 上花輪香取神社
野田市上花輪の交差点から西方を見ると鬱蒼とした森が見える。鎮守の森か。行ってみよう。
脇の道に入りうろうろしていると大きな鳥居の前に出た。鳥居の左に香取神社の社号標がある。この鳥居は明治26年に建立されたが、関東大震災に遭い、昭和8年に再建されたものである。
参道の両側には石塔が並んでいる。
参道右手の庚申塔である。
一番手前にある庚申塔の三猿である。烏帽子を被り、首を傾げている。文化年間の作。
青面金剛が並んでいる。右は金剛鈴を持つ六臂の剣人像である。左は六臂の合掌像である。
右の青面金剛の邪鬼、三猿である。邪鬼は上体を傾けて恨めし気の顔である。三猿の両側に二鶏が浮彫りにされている。
参道の左側には猿田彦大神碑が並んでいる。
上の写真の手前の碑の三猿である。リラックスしているように見える。
奥の碑の三猿である。野田市野田の西行院参道にある庚申塔の三猿によく似ている。西行院の庚申塔は文化五年、1808年の造立。この香取神社の猿田彦大神碑は明治三十五年、1902年の造立である。100年近い差があり、同一の石工とは考えにくい。西行院の庚申塔を見て模倣したのだろうか? うーむ、路傍学会の興味は尽きない。
社殿の前には門があり、ここで参拝するのだ。下総野田愛宕神社と同様の参拝方法である。
境内の左奥には富士塚がある。山頂の石碑の文字は読み取れなかった。山腹には厳島神社や粟島大神の碑が見える。
麓に並べているのは力石だろうか。
山頂近くには青面金剛が祀られている。逆光で見にくいのだが、よく見ると4臂像である。右縁に寛文の文字が見える。古い青面金剛である。
境内の右奥には紀元2600年記念の国旗掲揚塔がある。その手前にある焼却炉はロボット兵の胴体のようにも見えるなあ、などと思いながら、次の訪問先へ向かった。
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神社のLandscape 253
川口市峯 峯ヶ岡八幡神社
川口市峯の路傍、大きな幟建が一対建っている。峯ヶ岡八幡神社の参道である。
参道入口の傍らに切断された石柱が置いてある。1枚目の写真の画面手前の砂利敷のところには一の鳥居が建っていたが、東日本大震災で危険な状態になったために、解体されたという。
進むと参道は右に折れ、弁天池を渡る。
さらに進むと大きな欅がある。
欅の先には寄進された石灯籠がずらりと並んでいる。
石段をいくつか越えると両部鳥居がある。平成20年に建立されたものである。金属製の鳥居である。
鳥居の前には、厳しい眼差しの狛犬がいる。明治2年に奉納されたもので、150年以上に渡ってこの神社を守っている。
社殿に掛る扁額は明治20年に奉納されたものである。
拝殿前にはこのような看板がある。DISTANCEを気にせず参拝できる日が1日も早く訪れることを望みたい。
元禄10年に再建された本殿には見事な彩色が施されている。青く見える木鼻は獏鼻だろう。
蟇股には龍と麒麟がいる。
社殿の右手には樹齢600年の御神木の公孫樹がある。御神木の根元を取り囲むように並んでいる石の中には力石もあった。
参拝を終えて歩いていると馥郁たる香りが漂ってきた。路傍の蠟梅からの香りだった。
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青面金剛のLandscape 310
我孫子市下ヶ戸 下ヶ戸八幡神社
我孫子市下ヶ戸の路傍、西音寺の参道近くに階段がある。
階段を上ると西音寺の本堂の脇の先へ道が続いている。
道の先にある鳥居の前に庚申塔などの石塔が並ぶ。この道は八幡神社の参道だった。
鳥居の先には静謐な空気が流れている。
これは末社の稲荷社だろう。
社殿の左手には庚申塔が並んでいる。
この中の青面金剛である。彫り窪めた中に、ショケラを持つ六臂の剣人像が浮彫りにされている。
踏み付けられている邪鬼は困惑の表情である。文政年間の作。
2基の大型の青面金剛である。
左の像である。険しい顔である。上部が欠けてしまった。
邪鬼はユーモラスな表情である。邪鬼の下では鬼が2匹、手を合わせている。賑やかで面白い庚申塔である。享保年間の作。
右の像である。これも迫力のある像だ。一つの傷も無い綺麗な像である。髑髏の首飾りをしている。
二童子の間の邪鬼は古代メキシコの彫刻のようで、如何にも力がありそうである。三猿の両側に二鶏がいる。元文年間の作。
参拝を終え、手水鉢を見ると蛇口の水はまだ凍っていた。
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神社のLandscape 252
野田市野田 下総野田愛宕神社
野田市野田、交差点の向いに下総野田愛宕神社の鳥居が見える。
境内に入ると力石がごろりごろりと転がっている。かなり古いものもあるようである。
社殿前には門があり、この門前で参拝するのだ。
門前の狛犬はきりりとした顔立ち。文政年間の奉納である。
社殿に直接参拝できないので、格子戸から撮影させていただいた。文政8年に再建された社殿は素晴らしい彫刻に覆われている。
縁下組物持送は波に亀の籠彫で、隅行は龍である。
腰羽目板の彫刻も見事である。これは獅子舞をする唐子である。
社殿の背面にも全面に彫刻が施されている。左から、龍を頭に乗せる仙人、弾琴の弁天と龍、神功皇后の三韓征伐である。
社殿の背後から真っ直ぐ伸びる敷石がある。敷石の先には愛宕権現の本地仏である勝軍地蔵尊が祀られている。右の堂は、別当寺の西行院の本堂である。
社殿の左手奥に塚が見える。
富士塚だろうと思い近づいてみると、塚の上には左から、稲荷神社、秋葉神社、三峯神社が祀られていた。
隣接する西行院の参道である。庚申塔が幾つも並んでいる。
上の写真の左手にある庚申塔の三猿である。くつろいでいるように見えるではないか。嘉永年間の作である。
文化年間の青面金剛碑の二鶏である。庚申塔の二鶏は抽象化されたものが多いが、この庚申塔の二鶏はかなり大きく、写実的である。ひよこまで表現されている。
この庚申塔の台石の三猿である。母猿が子猿を抱きかかえているのか。色々な表現方法があるものだと思いながら、次の訪問先へ向かった。
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神社のLandscape 251
江東区永代 永代界隈の神社
2019年7月31日号で江東区永代にある紀文稲荷神社を報告したが、今回は永代界隈のその他の神社について報告したい。
永代二丁目の路地脇に鳥居が見える。
出世稲荷神社である。
社殿前には榊が供えられている。永代の出世とは縁起が良い。出世には縁が遠い路傍学会はもこの神社にあやかりたいものである。
永代二丁目、出世稲荷神社の近くの路地に別の鳥居が見えた。
於芳稲荷神社である。大変間口の狭い神社だ。これほど細長い鳥居は初めて見た。於芳(おほう)という名の由来は分からない。
社殿はステンレス製の覆屋に厳重に護られている。
近くのお宅の玄関にある琺瑯である。夜間、玄関灯を灯しているお宅なのだろう。
さらに、永代二丁目の路地を歩いていると赤い鳥居に出会った。向こう側に抜けられるようだ。
南側から見た参道である。左手に社殿がある。社殿前の石鳥居は昭和43年の建立。
徳寿神社である。
木鼻の獅子も赤く塗られている。
巽橋を渡って永代一丁目に入ると、佃煮店がある。
佃煮店の奥の路地である。
路地の奥に伏見稲荷神社が鎮座している。小さな鳥居が奉納されている。江戸は「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われただけあって、狭いエリア内で数多くの稲荷社に参拝することができた。狭い路地を丹念に訪ねれば、まだあるのではないだろうか。
永代一丁目の米店の店先にはリヤカーが立てかけられていた。
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地蔵尊のLandscape 62
江東区深川 法乗院ゑんま堂
江東区深川二丁目、清住通りの路傍、法乗院の山門が見える。
山門越しに見た法乗院の本堂である。
左手に見えるのはゑんま堂である。
ゑんま堂に祀られている閻魔大王である。全高3.5m、全幅4.5m、重量1.5tの寄木造りである。日本最大の閻魔大王像という。平成元年の造立。
大王像の前には「家内安全」、「交通安全」、「夫婦円満」、「合格祈願」、「ぼけ封じ」など19の祈願が別個に記された、賽銭の投入口がある。希望する祈願に賽銭を入れると、朗々とした声のありがたい話を聞くことができる。
ゑんま堂の柱には本地仏地蔵菩薩とある。ここに示されているということは、この堂内に地蔵菩薩も祀られているはずだと思い、改めて見てみると・・・
閻魔大王の左手の上に金色の地蔵菩薩が立っている。
閻魔大王は、日本では地蔵菩薩の化身とみなされているのだ。
閻魔大王の左には不動明王も祀られている。
本堂やゑんま堂の周りの柵の柱には錫杖の頭部があしらわれている。阿弥陀如来だろうか。
清州通りを挟んだ深川一丁目児童遊園にある国旗掲揚塔である。昭和12年の建立である。
もう使われることはないのだろう。
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- 地蔵尊
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神社のLandscape 250
足立区竹の塚 蓬莱稲荷大明神
足立区竹の塚二丁目、旧日光街道増田橋交差点から西に入った路地脇に赤い幟がはためいている。
正面に回ってみた。鳥居があるが、その奥は樹木が鬱蒼と茂り、よく見えない。
蓬莱稲荷大明神である。上の写真で内部が見えなかったのは、鳥居の奥は小高くなっており、見通しがきかなかったからだ。
昭和10年に建立された一の鳥居には「九世 山澤林蔵」と刻されている。二の鳥居は蔦に覆われており、文字を探すことができなかった。この稲荷社は、山澤家の屋敷神が起源なのかもしれない。
扁額である。緑青色の文字が良い。
由緒書きである。蓬莱稲荷大明神のおかげでこの地域は平穏無事なのである。
境内では社殿をはじめ、手水鉢や樹木などは蔦に覆われ、まっくろくろすけが出てきそうな雰囲気である。
拝殿前には参拝を感謝する札がある。
しかし、その上にある賽銭を入れる穴の下の掲示を見ると、不心得者がいるようだ。
向拝虹梁の左右には小さな狐様が載っている。
横の駐車場から見た境内である。駐車場より一段高くなった所からカイズカイブキが勢い良く空に向かい伸びている。
蓬莱稲荷大明神の塚は古墳に由来するものだろうか、などと考えながら旧日光街道を渡り六月一丁目を歩いていると、路傍に社と石柱が現れた。
石柱には成田道と刻されている。
台石のみ残されているものもあるが、道路に沿っておかれている石碑は何だろう。墓石かもしれない。蓬莱稲荷大明神から続くこの道は成田へ続く古い道だったのだろうか。東に向かって歩いてみた。
六月中学校の校舎が見えてきた。公立中学校の校舎も画一的なデザインから脱しつつあるのだろうか。この先で、古道の雰囲気は無くなり、帰途に着いた。
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