神社のLandscape 246
草加市氷川町 草加神社
草加市氷川町の路傍、昭昭霊徳と大きく刻まれた草加神社の幟建石が見える。明治38年に、豪商浅古半右衛門が建てたものである。
二の鳥居を潜り境内に入ると、左手に富士登山記念碑がある。碑の上部には丸瀧講の紋が彫り込まれている。
その先にある国旗掲揚塔である。平成の御大典記念である。
重厚な屋根を戴く手水舎である。
手水鉢である。左に「雪城」とあるが、書は「中沢雪城」という江戸時代後期に活躍した書家の手によるものである。続く「俊卿」は名である。
拝殿前の絵馬掛は小屋状になっている。多くの人の草加総鎮守への願いが風に揺れていた。
拝殿前には8個の力石が奉納されている。
覆殿で保護されている本殿は二間社流造りで、天保年間に造営されたという。見事な彫刻が随所に施されている。
この胴羽目板は獅子舞だろう。
こちらの胴羽目板は観瀑図か。
この蟇股には沢潟と鳥、下に蓑亀がいる。
手挟みは牡丹で、籠型に彫り抜いている。この本殿は草加市の有形文化財に指定されている。
一の鳥居の右手は児童遊園となっており、蒸気機関車が展示されている。多くの子供たちが遊んでいた。地域の方々に親しまれていることが伝わってくる神社であった。
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神社のLandscape 245
久喜市栗橋北 栗橋八坂神社
久喜市栗橋北二丁目、利根川堤下の栗橋八坂神社である。周辺では土木工事が進められており、お参りしにくくなっている。
鳥居の直前まで工事エリアとなっている。
鳥居の左手の玉垣に沿って進むと地蔵堂があるが、何故か格子が鋸で切断されている。心無い者の仕業か。
境内に入ると、力石がある。享保の文字が見える。
清めようと手水舎に向かうが、コロナで使用できない。
手水舎の近くには鯉御籤が吊り下げられていた。
拝殿に向かうが、様子がおかしい。仮宮とある。
後ろを見てみると、本殿が無い。
境内に掲げられている写真である。画面上部は利根川の流れ、中央にあるのが栗橋八坂神社である。神社の周辺はスーパー堤防の工事区域で、背後まで盛土されているのがわかる。スーパー堤防の工事により神社は移転の準備を進めているのだ。
社殿、石碑や力石は移転できるだろうが、樹齢300年を超える御神木をはじめとする鎮守の森の木々はどうなるのだろうか。路傍学会の興味は尽きない。
堤防の坂道を登ってみた、今ある境内の後ろの高台で建築工事が進められている。大きな屋根も見える。これが移転先だろうか。
坂の途中から見た栗橋宿である。利根川の土手沿いでは移転を余儀なくされた建物もたくさんあったのだろう。
堤防の上から眺めた坂東太郎の流れである。橋の向こうは中田宿である。いずれ訪れてみたい。
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界隈のLandscape 52
大田区 南蒲田界隈
大田区西蒲田にある東急プラザ蒲田の屋上である。「幸せの観覧車」という名の観覧車がある。2014年にリニューアルされた、都内で唯一の屋上観覧車である。かつて都内のデパートの屋上には遊園地があったが、随分減ってしまった。
JR蒲田駅東口の駅前からも観覧車が見えた。高層ビルが増えて見にくくなったが、蒲田のランドマークなのである。
区民ホールが建つこの一画は、松竹蒲田撮影所の跡地である。
第一京浜に架かる歩道橋からの眺めである。目指す場所は、画面奥に見える大きなビルの手前にある。
歩道橋近くにはメタリックな尖ったビルがある。
南蒲田二丁目の路傍にある緑色に塗られたトタン張りの薬局である。目を引く建物である。
目指してきた建物である。かつて南蒲田二丁目には蒲田新地という二業地が広がっていた。この入母屋屋根を戴く立派な建物は、見番として使われていたのだ。
軒裏の意匠にもこだわりが見える。
蒲田新地では妓屋24軒、待合21軒を数えたという。近くに映画の撮影所もあり、繁盛したのではないか。その痕跡を探してみた。しかし、ごく普通の住宅街となっていて、なかなか見つからない。これなどはそれらしい雰囲気を漂わせている。
この建物は待合から旅館を経たのかなどと思いたくなる。
窓の目隠し板が想像をかき立てる。
これもそれらしく見えてしまう。
この一画のNTT柱には二業地に由来する「二業」と書かれているが、1本だけ「二葉」と記されたものがあった。取り替えた際に「業」を「葉」と間違えてしまったのだろう。
これは普通の住宅のように見えるが・・・
軒の下を見ると、普通の住宅には不釣合いなほどに凝った、粋な造作である。
かつての花街も今ではごくありふれた街となっていて、それらしい建物があっても当時のものであるか否か、想像の域を出ることはできず、これは間違いないというようなものは見つけることができなかった。
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琺瑯看板のLandscape 44
久喜市 栗橋宿界隈
久喜市栗橋中央二丁目、栗橋宿の路傍、古店舗がある。文化年間に創業した薬舗である。明治40年代の建築という。
2階には細かな格子戸がはめ込まれている。
側壁はトタン張りである。塞がれた戸のようなものが見える。
軒下には薬舗の証となる琺瑯看板がある。
蕎麦店の前に猫が座っている。看板猫か。
明治中期創業の燃料店である。戦後は味噌、塩等食料品も販売したという。
ここの軒下を覗くと塩小売店の琺瑯看板がある。塩が専売制であった時代は販売許可を得る必要があった。
江戸末期の建築という建物には重厚な棟瓦が載っている。
栗橋北二丁目の路傍に古店舗がある。栗橋宿の提灯が見える。
いつ頃の玄関灯だろうか。ガラス球が付いていたのかもしれない。明治初期創業の砂糖問屋で、明治32年に建築された店舗である。
この店舗に隣接する金物センターの壁面に取り付けられている琺瑯看板である。コーキング材の宣伝看板だろうか。歴史ある宿場町で興味深い琺瑯看板を見ることができた。
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- 看板
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青面金剛のLandscape 300
板橋区 徳丸 中尾観音堂、西台 京徳観音堂
板橋区徳丸二丁目の急な坂道を降りていくと仏堂の屋根が見える。
坂の途中に階段がある。中尾観音堂への階段である。
階段を上ると、本堂の右手には地蔵尊が祀られている。
本堂左手前にも小堂があり、石仏が祀られている。
4基の青面金剛である。左から宝永、享保、宝暦、宝暦年間の作が並んでいる。
左から2番目、享保年間の像の邪鬼である。主尊と同じような顔立ちである。邪鬼、三猿のバランスが良い。
左から三番目の像の邪鬼と三猿である。大きく足を広げた青面金剛に踏み付けられた邪鬼はしかっめ面をしている。三猿ははしゃいでいるように見える。
中尾観音堂の参拝を終えて、次の観音堂に向かった。
板橋区西台三丁目を、京徳観音堂を目指して歩いていると、路傍に小屋根に護られた石仏が見えてきた。
中央の六臂の合掌像は宝永年間の作である。ゆったりと構えた像である。左の石塔は風化が激しいが、よく見ると庚申塔の「庚」の字がかろうじて読める。右は文化年間の馬頭観音である。
青面金剛の瑞雲や槍の刃先などには墨を入れた跡が見える。このような像もあるのか。
青面金剛の右手先には京徳観音堂の石段がある。
38段の石段を登り終えると本堂前で小僧さんが迎えてくれた。
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- 青面金剛
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界隈のLandscape 51
久喜市 栗橋宿界隈
久喜市栗橋東三丁目、栗橋宿の路傍に小堂が建っている。
堂内に祀られているのは焙烙地蔵である。関所破りで火焙りの刑に処された人を供養するために造られたという。
路傍の電柱に栗橋宿のバナーが風に揺れているが、宿場町らしい風情はあまり感じられない。
栗橋東三丁目の路傍に畳の老舗がある。明治初期の創業で、建物は昭和27年の建築である。
こうした情報は「日光街道栗橋関所・栗橋宿を元気にする会」が制作した看板に記されている。元気にする会の看板は、宿場町の古店舗に取り付けられている。
街道から西に深広寺が見える。
境内には伊豆から運んだ大石で作られた21基の六角名号塔が並んでいる。6面からなる石塔で、「南無阿弥陀仏」の名号が刻まれている。
近くのワインハウスを昼頃通りかかった。ドアノブにはこのような物が・・・ スペインの風が吹く宿場町である。
歩いていると練塀が見えた。
回り込んで見ると、蔵が建ち並ぶ大きな屋敷であった。
街道を挟んで渋い床屋がある。
営業していない古店舗も散見された。
栗橋宿を元気にする会の看板によれば、この店舗は明治中期創業の回漕業で、昭和初期から燃料店となったという。
店先には屋号が記された天水桶がある。防火用であろう。
日本橋から七番目となる宿場町はかつての繁栄を今に伝える建物が残っているものの、栗橋宿の東を流れる利根川ではスーパー堤防の工事が進められ、宿場内の寺院が移転したり、栗橋関所番士屋敷跡が埋もれるなど、宿場町の姿は急速に変貌している。
栗橋駅の近くには静御前の墓があった。静御前は、義経を追って奥州に向かう途中、義経の死を知り、文治5年に当地で亡くなったと言われている。掃苔し、帰途に着いた。
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塚のLandscape 102
久喜市小右衛門 一里塚
久喜市小右衛門の路傍に小堂が建っている。
字堤外から移築された弁財天堂である。弁財天堂が建っているのは一里塚の上である。この一里塚は、8月16日号で報告した幸手宿と次の栗橋宿の中間の小右衛門村にあり、日本橋から13番目の一里塚になる。現地の説明板によると、塚の高さは西側から約2m、東側(道路側)から約0.6mあり、5間(約9m)四方の遺構は、塚の形態と当初の広さを残し、当時の姿を偲ぶことができるとある。
西側にある墓地から見ると一里塚の高さがわかる。
墓地の一画である。手前に分厚い石材から彫り出された青面金剛が祀られている。
六臂の合掌像である。きりりとした構えである。
邪鬼と三猿である。左の不言猿は立ち上がって口を押えている。このような体勢の猿は珍しい。
一里塚に隣接して真光寺がある。かつては大伽藍が聳えていたが落雷で焼失してしまったという。
境内の片隅に水準点が設置されている。
境内に並ぶ石碑の中に「開校百年記念 愛敬学校 聲門学校」の碑がある。明治6年、真光寺を仮校舎として愛敬学校が設立され、明治8年に聲門学校と改称したという。現在の栗橋南小学校の前身である。
境内に祀られている石仏である。両手で宝珠を持つ救世観音であろうか。手を合わせて栗橋宿へと向かった。
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- 塚
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橋のLandscape 27
荒川区荒川 常磐線架道橋
荒川区荒川三丁目の路傍、昭和の空気漂う喫茶店である。こういう店ではナポリタンを注文したい。
この店の左の道を進み、角を曲がると常磐線のガードがある。
社会のルールを守らない住民がいるようだ。
東日暮里三丁目である。下町らしい路地がある。
近くの家の電力量計のケースである。窓の下にあるプレートをよく見ると昭和25年製とある。70年も前の製品である。
この電力量計の先にもガードがある。第2織戸スラブガードである。
東日暮里三丁目には銭湯もある。正統派スタイルである。
銭湯の前の路地の突き当りにある長屋である。いつ頃建てられたものだろうか。端正な佇まいである。いずれこの辺りもゆっくり歩いてみたい。
常磐線に戻ろう。日織戸ガードである。これは鉄橋である。どれ位の橋長でコンクリート橋と鉄橋を使い分けるだろう。
第4号ガードである。数字のみの表示である。ガードの名称はどのようにして決めているのだろう。
これは二ノ坪ガードである。奥に見えるガードが低く、狭くなっている。幅員の差で生まれた僅かなスペースを緑化している。
ガード脇の擁壁には「棄つべからず」とある。いつの時代に書いたのか。
二ノ坪ガード近くの銭湯のコインランドリーである。どこか懐かしい雰囲気である。
東日暮里二丁目18番付近の路傍である。動物たちの運動会の様子(?)が描かれている。先日報告した第二三の輪橋架道橋と同様に落書き対策で制作されたのだろう。
明治通りに架かる第3三河島ガード下の壁面にも綺麗な壁画がある。一連の壁画は東京藝術大学の卒業生グループのデザインであるという。三河島駅から明治通り間の架道橋とその周辺を訪ねる旅であった。三ノ輪橋駅から都電に乗り帰途に着いた。
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神社のLandscape 244
草加市清門町 田中稲荷神社
東武伊勢崎線の新田駅から「そうか公園通り」を歩いていると、草加市金明町、ファミリーマートの駐車場の片隅に成田山への道標と3基の石塔が見えてくる。道標には「是より東十六里」とある。成田山までの距離である。
左の板碑型の庚申塔は延宝年間の造立。中央の六臂の合掌青面金剛は享保年間の作である。
右端の石塔であるが、風化が進み文字は読みにくい。読める文字を拾っていくと、どうやら庚申塔である。貞享年間のものである。これらの庚申塔は周辺の宅地開発によってここに集められたものであろう。
草加市清明町、朱色の鳥居が見える。
正一位稲荷神社の扁額が掛る。田中稲荷神社である。
鳥居の左手に石仏が並んでいるのが見える。
2基の青面金剛と、疱瘡神を祀る石祠である。
左端の青面金剛である。金剛鈴を左手に持ち、右手でショケラを持っている。右手持ちのショケラは珍しいのではないか。
細部まで丁寧に彫られた像である。よく見るとショケラの乳首まであるではないか。
三猿は楽しそうに笑い転げているように見える。宝暦年間の作である。
疱瘡神の左の青面金剛である。こちらは右手でショケラを持ち、金剛鈴を左手で持っている六臂像である。
邪鬼は渋い顔である。この三猿も何となく楽しそうである。安永年間の作。
青面金剛の背後の植え込みの中に石祠がある。木があり近づけないが、中には琵琶を抱えた弁財天が祀られている。下半身は宇賀神と習合した姿と見るべきか。
境内には力石もある。説明板によると、地元有志が寄贈したものとある。
昔の若者たちの力自慢に使われたものである。
なお、この神社の社号については清門稲荷神社とする資料もあるが、力石の説明板に田中稲荷神社と明記されていたので、これを使用した。
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青面金剛のLandscape 299
板橋区西台 善長寺
板橋区西台二丁目、善長寺の門前である。
境内に入ると、本堂の左手奥に六地蔵をはじめ多くの石仏が並んでいる。手前にある六地蔵を見ると、一番右の像が小さく見えるが、この像だけ蓮台が無い。六地蔵には宝暦から安永の年号が刻まれている。この中に青面金剛も祀られている。
大分風化が進んだ青面金剛である。像の中程に斜めに折れた跡がある。細部は良く分からないが、ショケラを持つ剣人像だろう。
蘚苔類に覆われているが、ずんぐりとした邪鬼である。三猿は筋骨隆々で逞しい。右側面に「
西 ねりま道」、左側面に「東 江戸道」とあり、どこかの路傍で道標として建てられていたものである。
もう1基青面金剛が祀られている。こちらは六臂の合掌像である。
足元をよく見ると、三猿の上には岩と見紛う邪鬼がいる。
石仏の前に置かれているベンチである。これまで、どの位の人々が腰を下ろしたのだろう。
西台二丁目の路傍に営業を終えた蕎麦店があった。中華そばも出していたようだ。いつ頃まで営業していたのだろうなどと思いつつ、帰途に着いた。
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- 青面金剛
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