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Landscapes by the roadside

路傍学会


界隈のLandscape 159

さいたま市緑区上野田~岩槻区本町 日光御成街道(その3)
 4月26日号の続きである。
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 さいたま市岩槻区加倉、日光御成街道を歩く旅を続ける。
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 岩槻区加倉一丁目、浄国寺の山門である。
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 参道の左手に青面金剛が並んでいる。3体とも六臂の合掌像である。
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 中央の邪鬼と三猿である。三体とも邪鬼は肘を突っ張り正面を向いている。そして三猿は菱形パターンである。三体ともに元禄年間の作。
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 これは左端の青面金剛である。彫りが浅く見づらいが、上手でショケラを掴んでいる。
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 中央の青面金剛も上手でショケラを掴んでいる。
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 岩槻区本町二丁目の路傍に岩槻郷土資料館がある。資料館の建物は、昭和5年に建てられた岩槻警察署の旧庁舎で、国の登録有形文化財である。
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 アーチや丸柱が美しい。岩槻の歴史を学ぶことができる。
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 近くの左官屋の軒の上では鍾馗様が睨みを利かせている。

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 歴史ある宿場町らしくあちらこちらに蔵造りの建物がある。

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 出桁造りの商家も散見することができる。

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 街道を逸れて「裏小路」と呼ばれる小径を歩くと板塀が続く一画がある。

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 この旧家の門である。表札は外されている。

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 「裏小路」を歩いていると茅葺屋根が見えてきた。

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 路地を入ると遷喬館という藩校がある。埼玉県で保存されている唯一の藩校であるという。

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 遷喬館の裏手に煉瓦で造られた煙突がある。

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 明治四年に創業した酒造会社であった。酒造資料館をゆっくりと見学して、岩槻城下をもっと歩きたかったのだが、雷鳴がとどろき出して、にわかに暗くなってきたので、慌てて岩槻駅へ向かった。次の機会にゆっくり訪れるとしよう。

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建物のLandscape 50

銀座一丁目界隈のレトロ建物

 レトロな建物を訪ねて銀座一丁目界隈を歩いた。

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 中央区銀座一丁目、昭和通りの路傍にスクラッチタイル貼りのレトロなビルがあったのだが、黒いネットに覆われている。もしや解体なんてことは・・・・ 

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 1階ドアの貼紙には「建築物等の解体等の作業に関するお知らせ」とある。やはり解体か? その下をみると「visvim銀座店店舗新装工事」とある。改修工事が行われているようだ。

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 201998日号で報告した「奥野ビル」と同じく昭和7年に竣工したビルである。リニューアル後にまた来てみたい。

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 改修工事中のギャラリーから銀座柳通りに出て新富町方向に歩くとレトロな建物がある。1階には洒落た飲食店が入っている。

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 パラペットのレリーフは何をモチーフにしているのだろう。

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 どうした訳か、3階の中央の窓は付柱の中心からずれた位置にある。

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 銀座柳通りを進み、都心環状線の手前を左に入ると趣の有るビルが2棟並んでいる。

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 この鈴木ビルは、馬蹄形の屋根窓があり、建物右側の出窓や建物左側のテラコッタ、茶褐色のスクラッチタイル、1階と2階の間の幾何学模様のタイルなど昭和初期らしいモダンなデザインである。

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 丸柱はテラコッタで仕上げてある。

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 これは柱に取り付けられたレリーフである。

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 昭和4年の竣工で、元々は甲子屋倶楽部と呼ばれ、芝居小屋、稽古場として使われていた建物であったという。東京都選定歴史的建造物に指定されている。

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 鈴木ビルの右側のビルである。右から書かれた屋号が時代を感じさせる。

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 3階の4連の半円アーチ窓にある放射状の窓桟が美しい。このスクラッチタイルを纏った建物は昭和3年の竣工で、元は乳製品の問屋だったようだ。

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 照明も凝った造りである。

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 消火栓の前には諸車物品を置いてはならぬのである。

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 日除けの巻き上げ機も年季が入っている。

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 この後、銀座柳通り歩いて築地方面へ向かった。

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界隈のLandscape 158

さいたま市緑区上野田~岩槻区本町 日光御成街道(その2)

 4月23日号に続き、日光御成街道を歩く旅である。

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 前号で報告した薬師堂の北に東宮下の氷川神社が鎮座している。

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 両部鳥居を潜ると右手に青面金剛が祀られている。

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 六臂の合掌像だが、表面が削られたのか、細部は不明瞭である。

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 左下手にショケラを持っている。横を向いたショケラは兎のようにも見える。正徳年間の作である。

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 向拝虹梁の上の彫刻は、躍動感のある雉である。

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 拝殿の扁額は石製である。御神灯の間に社号が彫り込まれている。

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 社殿の右手に塚がある。富士塚かと思ったが、石祠には阿夫利神社の文字があった。

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 東宮下三丁目で、旧街道は県道65号と分かれる。

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 県道と分かれた先の路傍に石柱がある。判読が難しいが、江戸道、岩槻道、慈恩寺道、原市道、川口善光寺道などと刻まれているようだ。正徳年間に造立された道標である。

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 岩槻区加倉一丁目で旧街道は、国道122号に合流する。合流する交差点で、人形の街らしくわらしべ人形が出迎えてくれる。

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 わらしべ人形の先に久伊豆神社が鎮座している。路傍に建つ幟建石に御大典記念と刻されている。昭和の御大典であった。鳥居の手前、右手に建つ社号標の側面に御即位大典記念とある。こちらは大正の大典であった。

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 手水鉢の奥に青面金剛が2体祀られている。

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 2体とも六臂の合掌像である。右は元禄、左は享保年間の作である。

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 右側の青面金剛である。上手にショケラを持っている。

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 これは左側の青面金剛である。ショケラは下手で持っている。ショケラを持つ手にも変化があって面白い。

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 拝殿の扁額である。中央に久伊豆神社、両側に稲荷社、宗像社、籠神社、水神社とあり、いくつもの神様が祀られている。参拝し、次の訪問先へ向かった。

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界隈のLandscape 157

さいたま市緑区上野田~岩槻区本町 日光御成街道
 319日号の続きである。
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 前回の終了地点であるさいたま市緑区上野田から今回の歩き旅をスタートした。
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 見沼区膝子の路傍に一里塚が見えてきた。江戸から8里、岩槻へ1里の位置にある。街道の両側に設けられていたが、明治初年に西側の塚が取り払われ、東側のみ残っている。
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 塚上には弘法大使像と六地蔵が祀られている。
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 一里塚の先を東に入ると膝子八幡神社がある。竹林の奥に両部鳥居が見え、参道の左手に石塔がある。
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 石塔は庚申塔であった。弘化年間の造立。
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 街道に戻ると、樋口橋交差点近くの路傍に筆塚が建っている。使い古した筆を供養するため筆を埋めて築いた塚であるが、弘化元年生まれの絵師・森田久蔵の絵筆が納められているという。
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 東宮下一丁目で、旧街道は県道105号と分かれる。
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 分岐点の先で街道を離れて東へ進むと、畑の向こうに鳥居が見える。
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 東宮下の八幡神社である。
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 境内には力石が納められていた。
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 鳥居の左手には青面金剛が祀られていた。
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 剣、ショケラを持つ六臂の青面金剛である。傷みの無い、綺麗な像である。
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 邪鬼は握った拳を合わせている。安永年間の作。
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 青面金剛の近くの祠内には不動明王が祀られていた。
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 八幡神社の北、東宮下二丁目の路傍に薬師堂が見える。
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 境内の六地蔵に参拝して、次の訪問先へ向かった。
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界隈のLandscape 156

春日部市米崎、米島、永沼、藤塚界隈

 412日号の続きである。

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 春日部市米崎、県道42号の川辺小学校近くの路傍に愛宕神社がある。

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 参道入口にある国旗掲揚塔は、紀元2600年記念で建てられたものである。

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 参道脇に庚申塔が建っている。

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 日輪、月輪の瑞雲のデザインが面白い。万延年間の作。

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 境内には力石も納められていた。

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 東武南桜井駅から南へ300m程の春日部市米崎の路傍に地蔵尊と馬頭観音が祀られている。

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 三面六臂の馬頭観音である。寛保年間の作。

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 元文年間に造立された地蔵尊は首が折れたが修復されている。

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 この近くにある新聞店である。スタッフ募集の幟の後ろに埼玉新聞の琺瑯看板があった。

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 春日部市永沼と水角の境界と九尺排水路の交差部である。道路の左右に石塔が見える。

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 左側に建つのは地蔵尊であった。元禄年間の造立。後ろに右側たつ青面金剛碑が見える。

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 地蔵尊と同じ方向を向いているのは、疫病や悪霊が村に入るのを防ぐためだろうか。

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 上の道を400m程進むと、墓地のはずれにも大型の青面金剛碑が建っている。これは文政年間の作である。

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 春日部市中心部へ向かう途中、藤塚に路傍祠があった。

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 中には地蔵尊が祀られている。

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 右側の柔和なお顔の地蔵尊に見送られて帰途に就いた。

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界隈のLandscape 155

佐倉市上志津界隈
 4月16日号の続きである。
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 佐倉市上志津にある西福寺から東へ歩くと天御中主神社が鎮座している。神社を含むこの一帯は、志津城跡と考えられ、中世には志津氏あるいは千葉氏系統の豪族の館があったとされている。
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 現在の社殿は寛永三年に創建されたと伝えられ、この社殿も八幡神社と同様に大きな覆屋に守られている。
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 この社殿にも見事な彫刻が施されている。
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 これは夫婦円満、長命の縁起の良い謡曲「高砂」の一場面である。老夫婦の持ち物は、熊手は九十九、箒は掃く(百)で 、お前百までわしゃ九十九までを表わしているという。鶴、亀の姿も見える。
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 こちらは養老乃瀧である。孝行息子が滝の水を汲んでいる。右下に彫物師の名が刻されている。茨城県の職人である。
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 社殿の裏山の上には浅間大神碑が建っている。平成十二年二月には、この裏山から中世の常滑焼の大甕が出土し、中から人骨、古銭、カワラケなどが見つかっている。この辺りが城館だった頃のものという。
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 天御中主神社の北方、県道155号の交差点に石塔が並ぶ一画がある。
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 手前に馬頭観音、奥に二十三夜勢至菩薩塔、青面金剛が並んでいる。
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 青面金剛は剣、ショケラを持つ六臂像である。大型の邪鬼は不機嫌に正面を睨んでいる。
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 主尊は険しい表情だが、何故かショケラは微笑んでいる。嘉永年間の作。
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 明和年間に造立された馬頭観音は、しっかりと手を合わせている。
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 大正二年に造立された馬頭観音には馬頭が付いている。建てたのは「運送連」である。大正時代には馬が運送の主力だったのだろう。
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 上志津小学校の前の路傍である。小屋根の下にいるのはアマビエである。なかなかコロナは収束してくれない。
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 上志津小学校近くの小径を進むと赤い屋根の小堂がある。
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 堂内に庚申塔が祀られている。
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 日月の瑞雲が面白い。延宝年間の作である。
 この後、ユーカリが丘駅まで歩き、帰途に就いた。
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界隈のLandscape 154

佐倉市上志津界隈
 佐倉市西志津、上志津界隈を訪ねた。
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 京成志津駅前の3匹のチーバ君に見送られて歩き旅をスタートした。
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 西志津四丁目、広場の隣の路傍に青面金剛が見える。
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 文政年間に造立された青面金剛碑の間に六臂の合掌像が祀られている。
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 邪鬼は這い出そうとしているのか。その左下に一鶏、右下に一猿がいる。明和年間の作である。
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 上志津十字路から坂道を下り、八幡神社を目指して歩いていると、八幡神社の参道入口に背を向けるように建っている小さな神社が見えた。祠内には鷲宮神社と刻された石柱があった。
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 鷲宮神社の背後に八幡神社の石段がある。
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 石段を上り、長い参道を歩くと大きな覆屋に守られた社殿が見えてきた。
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 社殿の屋根は茅葺である。社殿は精緻な彫刻で覆われている。
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 向拝虹梁の上には、神功皇后と重臣の武内宿禰が生まれたばかりの応神天皇を愛おしむ姿を見ることができる。
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 本殿の扉は、蔡順の孝行の心を知り、非道な盗賊が米と牛の足を与えて去って行ったという、二十四孝の「蔡順」が彫り込まれている。
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 左の胴羽目には、煙立つ民のかまどの賑わいをうたった仁徳天皇の歌がテーマである。
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 背面では、天照大神が岩戸に隠れ、世界が真っ暗になった「天の岩戸開き」の場面を見ることができる。上部の彫刻も見事である。
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 右の胴羽目のテーマは何だろう。
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 近くにある西福寺の境内には出羽三山供養塔を集めた一画があり、梵天が建てられていた。以前、八千代市勝田地区にある梵天塚を報告したが、隣接するこの地区でも出羽三山信仰が盛んなようだ。
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 本堂に至る参道の左手には秩父観世音供養塔が並んでいる。
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 反対側には子安観音が並んでいる。明治、大正、昭和、平成の紀年銘が読み取れ、連綿と信仰が続いていることが分かる。
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 訪れた時、サトザクラが咲いていた。普賢象だろうか。
 志津界隈の旅はまだ続く。
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神社のLandscape 313 

千葉市中央区 総武線と京葉線の間にある神社(その3)
 4月8日号の続きである。これまで千葉市中央区総武線と京葉線の間にある神社を2回報告してきたが、まだ神社がある。
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 千葉市中央区神明町の路傍に神明神社が鎮座している。
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 境内に入ると左側の玉垣に沿って力石が並べられていた。
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 右側にも力石が並んでいる。これだけの力石があるのは壮観である。この神社では地元企業とNPO法人によって力比べをする「さし石さんが大会」が開催されているという。
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 拝殿の扁額である。板を彫り込んで神明宮と記されている。
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 神明神社の斜め向かいにある出桁造の商家である。空襲を免れたのだろうか。
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 軒下の電話番号票である。
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 都川近くの王子神社である。
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 境内には力石が置いてある。漁師が力比べをしたのだろうか。あるいは荷役人夫だろうか。多くの力石があった神明神社にも近く、力比べが盛んな地域だったようだ。
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 大橋で都川を渡る。都川の河口部にはかつて寒川湊があった。
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 大橋を渡ると港町交差点に昨年1211日号で報告した君待橋之碑が見える。君待橋は、大橋の上流に架かる橋である。以前も書いたが、この橋の袂で千葉常胤一族が源頼朝を出迎えた時、頼朝が橋の名を尋ねると、常胤の息子が「見えかくれ八重の潮路を待橋や渡りもあえず帰る舟人」と詠んで答え、この歌から君待橋になったという説がある。

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 近くにある公園は、この故事に因む「君待公園」という名である。
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 公園の近くの長州一丁目の路傍に龍蔵神社がある。
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 境内の手水鉢である。文字が薄くなっているが明治時代に奉納されたもののようだ。盃状穴が4つ穿かれている。この穴の意味するところは何だろう。
 この後、千葉中央駅まで歩いて帰途に就いた。
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神社のLandscape 312

春日部市飯沼 飯沼香取神社

 前号では春日部市東中野の香取神社を報告したが、今号は飯沼の香取神社である。

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 春日部市飯沼の路傍、少しわかりにくいが、飯沼香取神社の参道入口がある。

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 入口から直角に曲がった位置に鳥居がある。その鳥居の右手、入口の正面に祠がある。

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 格子の間から青面金剛が見える。

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 覗いてみると、剣、ショケラを持つ六臂像であった。

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 邪鬼は頭を踏み付けられている。安永年間の作である。

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 社殿前の2本の大木は枯死してしまったようだ。右の大木の「ひこばえ」を見るとシラカシであった。

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 拝殿前の石段脇に力石が納められている。

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 社殿の後ろには富士塚がある。塚上には浅間宮の碑が建っている。

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 富士塚前の石祠の中に祀られている道真公に見送られて次の訪問先へ向かった。

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 春日部市飯沼と米崎の間にある県道42号の交差点である。横断歩道の先に青面金剛と石柱が建っている。

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 信号が変わるのを待っている間、ふと横を見ると、飯沼側にも青面金剛碑が建っていた。文化年間の造立である。ここが村境だったのだろう。

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 米崎側に建つ青面金剛は、六臂の合掌像である。天明年間の作であるが、路傍にあるにもかかわらず傷みが見られず、綺麗な像である。

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 邪鬼は神妙な面持ちである。

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 青面金剛の手前に建つ石柱は、川辺村道路原標である。

 中葛飾郡川辺村は米崎村、飯沼村、赤碕村、水角村、中野村、米島村、新宿新田が合併して、明治22年に誕生した村である。川辺村は、その後周辺の村々と合併し庄和村となり、さらに合併を重ねて現在は春日部市となっている。

 膨張した春日部市をさまよう旅はまだ続く。

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神社のLandscape 311

春日部市東中野 東中野香取神社
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 春日部市新宿新田の路傍に祠が見える。
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 祠内には不動明王が祀られている。不動明王の頭の上には迦楼羅の姿が見える。
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 祠の前では桜の花びらに囲まれて、馬頭観音が印を結んでいた。
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 馬頭観音から200m程歩くと天満宮がある。
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 手水舎の屋根が傾いている。これでは安心して手を清めることは難しいのでないか。
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 境内の奥にポツンと無縫塔が建っている。近づいてみると「大僧都」の文字があった。かつての別当寺の住職の墓だろうか。
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 社殿の左手には富士塚がある。高さは1mにも満たないこじんまりとしたもので、塚上には浅間神社碑がある。
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 富士塚の近くに立つこの石像は、柄香炉を持つ聖徳太子だろうか。
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 天満宮参道入口近くにあるコンビニの店先に青面金剛が祀られている。
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 剣、ショケラを持つ六臂像である。明和年間の作。
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 天満宮のおよそ1㎞南に東中野香取神社が鎮座している。
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 鳥居の右側には、文化三年に造立された青面金剛碑が建っている。また、左側には庚申塔が祀られていた。
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 扁額を見ると、縁に狐が浮彫りにされている。
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 境内では末社らと並んで青面金剛が祀られている。
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 六臂の合掌像であるが、顔が削り取られている。
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 えぐり取られているようで、痛々しい。日月の瑞雲は交差するように表現されている。
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 邪鬼の顔も損なわれている。延享年間の作である。
 可哀想な青面金剛だと思いながら次の訪問先へ向かった。
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