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Gritty Brits: New London Architecture

Gritty Brits: New London Architecture

Raymund Ryan, Iain Sinclair
、2007年、112ページ
ISBN=9780880390477

> 10+1 DATABASE内「Gritty Brits: New London Architecture」検索結果 (412件)

[論考]

住宅の廃墟に──建築家と住居をめぐる七つの物語 | 五十嵐太郎

On the Domicile's Ruins: Seven Tales of Architects and Domestic Spaces | Igarashi Taro

序─低い声 四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が誕生したという、『二〇〇一年宇宙の旅』のモノリスを想起させる魅力的な思考。[いたるところで〈それ〉は作動している]これらはロージエの起源論、さらにはサマーソンに...

『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145

[インタヴュー]

『建築の解体』へ──六〇年代のムーヴメントをマッピングする試み | 磯崎新日埜直彦

Towards Kenchiku-no-Kaitai: The Effort to Map the Movement of the '60s | Isozaki Arata, Hino Naohiko

『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴するテクストであり、またその後に与えた影響もきわめて大きい。『空間へ』がご自身のお考えを述べているのに対して、このテクストはむしろ当時磯崎さんが見ていた視線の先...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205

[インタヴュー]

五旗会、『現代建築愚作論』、 スターリニズムからの脱却 一九五〇年代における建築運動とその思想性 | 磯崎新日埜直彦

Goki-kai, GENDAI KENCHIKU GUSAKURON, Breaking Away from Stalinism: Architecture Movement and Ideology in the 1950s | Isozaki Arata, Hino Naohiko

戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当時の建築の世界においてモダニズムに対する信頼は揺るぎないものだったと思いますが、しかしそれにほころびが見え始めるのもまたこの時期でしょう。結局のところモダニズムに対する距離感が醸成されてその果てにポストモダニズムというコンセプ...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176

[アメリカ]

03:デリー┼ゲニック、ガスリー┼ブレーシュ、ピーター・トルキン、ジョン・ジャーディーほか:ロサンゼルス──次の世代へ | レイマンド・ライアン

U.S.A Architects: Los Angeles-- To the Next Phase | Raymund Ryan

一九八〇年代、九〇年代のロサンゼルス(以下LA)における、非常に疑わしい修辞として、《ゲティ・センター》に対して費やされたものがある。たしかに《ゲティ・センター》は、ニューヨークのリチャード・マイヤーの経歴においては頂点をなしていただろう。工学とディテールの調和の点で、これは偉業であっただろう。だが、ブレントウッドの丘...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.84-88

[情報空間の地理学 8]

「接続」でなく「切断」を──グローバライゼーションと知識の生産の一元化に抗して | 毛利嘉孝

Not an "Interconnected" but "Monadic" Network: Resisting the Uniformity of Globalization and Knowledge | Mori Yoshitaka

つい先日、「明治初期の知識人の言説における人種の問題」に関する論文を書き英国の大学で博士号を取得した友人が、ニュージーランドの大学に就職することが決まった。彼女はインターネットを通じて公募を知り、メールで願書と既発表の論文を送付し、電話でインタビューを受け(大学側の電話は複数の人間が同時に参加できるような仕組みだったら...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.39-41

[ビルディング・タイプの解剖学 8]

教育と学校 2──クエーカー教と近代施設 | 五十嵐太郎+大川信行

Pedagogy and the School 2: Quakerism and the Modern Institution | Igarashi Taro, Okawa Nobuyuki

本連載は再び学校の問題を論じ、近代施設の円環を閉じることにする。初回にとりあげたジョセフ・ランカスターによるモニトリアル・システムとは、教師(マスター)が助教生(モニター)を使って段階的な監督法を実施し、全生徒の行動を透明に把握しようとする試みだった。では、そこは具体的にどのような空間なのか。教室はなるべく大きな未分割...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.36-38

[非都市の存在論 8]

暗号的民主主義──ジェファソンの遺産 | 田中純

Cryptic Democracy:Jefferson's Legacy | Tanaka Jun

1 サイファーパンクのフェティシズム hIwDM/OfwL7gnVUBBACUhies4/fE/gh3h7g3xNAtQN0In6LuRBxZlwiN /MVOfgcv    LEHPart9UQHrgp8b9w76r2JPqBCw83BSVaaj8ZdHsTQrj7UeRxSdTRCeRNsl3EgQ    R19O...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.18-29

[連載 7]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 7 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 7 | Yatsuka Hajime

16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、さらにそれを発展させたものとしてのCIAMの格子を取り上げた。そしてル・コルビュジエの思想のなかに存在する二重性について、それぞれの系譜をトレースしていこうとい...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190

[情報空間の地理学 3]

新たに想像されつつある「地球」という共同体──インターネット上の「想像的な」政治参加 | 毛利嘉孝

Reimagining the "Global" Community: "Imaginary" Political Participation on the Internet | Mori Yoshitaka

以前フランスの核実験の際に、インターネットを通じて反核キャンペーンを行なうという企画があり、かなりの反響を呼び多くの賛同者が集まった、らしい。東京大学の学生が企画したというこのキャンペーンのことを筆者も電子メールを通じて知らされ、署名するように勧められ、ホームページを覗き、何も書きこまずに閉じた。何ら文面に問題があった...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.39-41

[論考]

ユニヴァーサル・スペースの起源──ミース・ファン・デル・ローエvsハンナ・アーレント | 八束はじめ

The Origin of Universal Space: Mies van der Rohe vs. Hannah Arendt | Yatsuka Hajime

1 ミース・ファン・デル・ローエの作品を美術のミニマリズムと関連づけて論じることはしばしば行なわれてきた。ロザリンド・クラウスによると、古典的なミニマリズム理解とは無時間的で不変の幾何学、つまり「プラトニック・ソリッド」をそこに見ようとするものである★一。それに対してクラウスは、自分を含む、むしろ時間とともに変化する要...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]

D+Sの変タイ建築論──ポストヒューマニズムの身体へ | 五十嵐太郎

Diller and Scofidio's Perversion of Architectural Theory: Toward a Post-Humanist Body | Igarashi Taro

二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放することになった。例えば、人間や物資の運搬技術、身体の規律法、そして量産住宅の工法。マスメディアの普及は戦争で一時的に中断したものの、この期間はコミュニケーション・テク...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260

[映像/写真 1]

建築と映画あるいは映画館の思考 | 北小路隆志

Architecture and Cinema, or Reflections on the Movie Theater | Kitakoji Takashi

この五月に三原港からフェリーで三〇分弱の瀬戸内海上に浮かぶ佐木島で「鷺ポイエーシスI──映画と建築の接線」なる野心的なセミナーが開催された。舞台となったのは鈴木了二設計による《佐木島コテージ》(一九九五)。海辺に面した簡素な要塞といった風貌のこの建築物については九七年度の建築学会賞を受賞したこともあり、知る人も多いと思...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.30-31

[非都市の存在論 10]

エクリチュールの夢魔──漢字という(ス)クリプト | 田中純

The Nightmare of Writing: The (S)crypts of Chinese Characters | Tanaka Jun

1 夢のなかのシナ インターネットを通じた情報交換の増大を背景として、文字コードの国際的な統一化が進行している。この標準化は国際電気標準会議(IEC)、国際標準化機構(ISO)、および国際電気通信連合(ITU)の三機関の協力によって進められており、一九九三年には〈国際符号化文字集合(UCS)〉の一部として、標準規格IS...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21

[非都市の存在論 9]

奇妙な天使たち──〈言葉なきもの(インファンス)〉の都市 | 田中純

Angels of the Odd: The City of "Infans" | Tanaka Jun

あのころ、早くも私たちの街は慢性的な薄暮の灰色のなかにますます沈みがちになり、街を取り巻くあたりは、暗黒の湿疹、綿毛の生えた黴、鉄色の苔で覆われていった。 ブルーノ・シュルツ「魔性の訪れ」★一 1 商品フェティシズムの宇宙 クエイ兄弟の人形アニメーション映画『ストリート・オブ・クロコダイル』(一九八六)では、〈木製の...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.12-24

[論考]

ル・コルビュジエ・ソニエ著『建築をめざして』初版本の謎について | 伊從勉

An Enigma of the first Edition of Ver une Architecture by Le Corbusier-Saugniere | Tsutomu Iyori

目次 はじめに 1-1    共同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2     「ル・コルビュジエ・ソニエ」を独占しようとしたジャンヌレ:オザンファンへの献辞の登場 1-3    ソニエの削除とその後も続いた共同署名「オザンファンとジャンヌレ」 2     『建築をめざして』書の諸版本 2-1...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220

[インタヴュー]

建築家の言説──建築、建築家、書くこと | マーク・ウィグリービアトリス・コロミーナ松畑強

Architects' Discourse: Architecture, Architect, Writing | Mark Wigley, Beatriz Colomina, Matsuhata Tsuyoshi

理論/歴史、実践 松畑強(以下MT)──コロミーナさん、『アッサンブラージュ』誌の三〇号を拝読いたしました。あなたはそこで、いくつか面白い問題を提起されていたと思います。たとえば理論/歴史と実践の違いとか、スペインとアメリカの違いとかです。これらの問題について議論するまえに、まずは『カレール・ド・ラ・シウタ』誌のことを...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.41-46

[建築の言説、都市の言説 5]

ゲシュタルトのユートピア──コーリン・ロウ──透明性の翳り | 大島哲蔵

Gestalt Utopia: Colin Rowe's --Blurring of Transparency | Oshima Tetsuzo

いくぶん道化者で、いくぶん神のようで、いくぶん狂人で……それが透明性なのだ。 (『ニーチェについて』G・バタイユ) コーリン・ロウは多くの顔を持っている。歴史家、アーバン・デザイナー、教育者、現代建築のイデオローグというのがその一部である。戦後のアメリカ建築界は巨匠たち(ライト、ミース、カーン、サーリネンなど)がまだ...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.26-28

[情報空間の地理学 5]

都市をめぐる二つのSF──サイバーパンクとヒップホップ | 毛利嘉孝

On Two Science Fictions of the City: Cyberpunk and Hip Hop | Mori Yoshitaka

サイバーパンクという八〇年代の中期に現われた近未来イメージが、八二年のリドリー・スコットの映画『ブレードランナー』と八四年のウイリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』によって決定づけられたことに異論のある人はいないだろう。そして、この二つの作品が新しい美学を提出したとしたら、それはまさに都市の描写においてであった★...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.35-38

[建築の言説、都市の言説 4]

写真者のテクスト──建築写真術の過剰 | 大島哲蔵

Text for Photographer: An Excess of Architectural Photography | Oshima Tetsuzo

建築を主導した言説に光をあてて、その含意を明らかにするシリーズも四回目を数える。今回は少し違った角度から、つまり「テクスト」を拡大解釈して、建築写真家(二川幸夫氏)が刊行をしている〈GAシリーズ〉をとり上げてみたい。GAシリーズは簡素なテクストが付されているが、それらの比重は相対的に低く、ここでの「本文」はあくまで写真...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.28-31

[非都市の存在論 4]

コンピュータの屍肉──サイバースペースの〈生ける死者〉たち | 田中純

Computer Corpses: The Living Dead of Cyberspace | Tanaka Jun

1 サイバースペースと建築──流体的アナモルフォーズの罠 ヴァーチュアル・リアリティ、サイバースペース、サイバーアーキテクチャーと、どのように呼ばれるのであれ、コンピュータとそのネットワーク上に形成される空間、ないしは空間的構造関係の構築を〈建築〉の課題として語ることが現在のモードであるらしい。そのような前提に立つなら...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.16-27

[知の空間=空間の知 4]

記憶の終着駅型──オルセー美術館の廃墟の記憶 | 松浦寿輝

The Last Stop of Memory: Memories of the Ruins of the Musee d'Orsay | Matuura Hisaki

炎に包まれるオルセー パリを燃やしてしまえ。日に日に「現代化」しつつある一八八〇年代末のフランスの首都に、「現在」への屈折した憎悪を抱えこみつつ暮らしていた奇矯な作家が、文化状況を論じた時評的なエッセーの一節に、ふとこんな呪詛を書きつける。「証券取引所も、マドレーヌ寺院も、戦争省も、サン=グザヴィエ教会も、オペラ座も、...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.2-15

[非都市の存在論 6]

ポスト郵便都市(ポスト・シティ)──手紙の来歴、手紙の行方 | 田中純

Post-PostCity: History of the Letter, Destiny of the Letter | Tanaka Jun

1 啓蒙都市とグラフ理論 トポロジーの一分野をなすグラフ理論が生み出されたきっかけの一つが、〈ケーニヒスベルクの七つの橋〉の問題である。それは一八世紀、東プロイセンの町ケーニヒスベルク(現在のロシアのカリーニングラード)の中心部、プレーゲル川の川中島とその周辺にあった[図1]のような七つの橋を、いずれも一回だけ通って周...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.18-29

[建築の言説、都市の言説 6]

曖昧なる明晰──ヴェンチューリの折衷神話 | 大島哲蔵

Obscured Clarity: Venturi's Eclectic Myth | Oshima Tetsuzo

創造なんて、シェークスピアはなんにもしちゃいない。ただ実に正確に観察して、見事に描き出したってだけだよ。 (『人間とは何か』M・トウェイン★一) 出版と同時に高い声望を獲得し、ポストモダンと呼ばれた包括的な潮流(短命に終わったが)の論拠ともなった ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』★二を、そのトレンドが役割を終...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.30-32

[情報空間の地理学 7]

モーバイル・テクノロジーについて──レイモンド・ウイリアムズとモーバイルプライヴァタイゼーション | 毛利嘉孝

On Mobile Technologies: Raymond Williams and the Mobile Privatization | Mori Yoshitaka

携帯電話の急激な普及。通信衛星の発達。電子手帳の一般化と通信機能の整備。ラップトップ・コンピュータの軽量化。こうした変化によってサイバースペースは新しいフェーズを迎えている。個室でコンピュータ・スクリーンに向かって自閉的にキーボードを叩き続ける「オタク」のイメージは過去のものになりつつある。サイバースペースの端末は軽や...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.36-38

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]

ヴィリリオ/パランからジャン・ヌーヴェルへ──転回点としての一九六八年 | 五十嵐太郎

From Virilio/Parent to Jean Nouvel: Turning Point 1968 | Igarashi Taro

一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が使用されたことにより、人類は「個としての死」から「種としての死」(A・ケストラー)を予感するようになった。 当時まだ一〇代の少年だったポール・ヴィリリオは、この...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224

[建築の言説、都市の言説 7]

ドナルド・ジャッドの純理空間──Texts in Texas | 大島哲蔵

Donald Judd on Reason and Space: Texts in Texas | Oshima Tetsuzo

私は常に建築に関心を抱いていた。 D・ジャッド『Art and Architecture』一九八七 建築はそこで人間が様々な活動を展開するフィールドである。人間の身体性から開口の位置や大きさ、壁の高さ、廊下の幅などが決定するという意味で、私達は落ちぶれたとは言え「建築空間の主人(ホスト)」だった。しかしこの安定したポ...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.28-30

[情報空間の地理学 6]

サイバースペースの「第三の空間」──空間における権力の「再生産」と「交渉」 | 毛利嘉孝

The Power of "Reproduction" and "Negotiation" at the Thirdspace of Cyberspace | Mori Yoshitaka

サイバースペースの考察は「空間」の概念の再定義を要求する。一度でも実際にインターネットに触れた人ならすぐに気がつくことだが、コンピュータの画面に現われる世界は紙芝居にも似た平面的な世界で、「空間」の本来持つべき特性、深み、距離感、物質感をことごとく欠いている。にもかかわらず、それはサイバースペース(=サイバーな空間)と...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.41-42

[非都市の存在論 3]

〈路上〉の系譜──バラックあるいは都市の〈忘我状態〉 | 田中純

The Genealogy of "The Road" : The Shanty, or the "Trance State" of the City | Tanaka Jun

1 Modernologio──〈現在〉の考古学 首都東京を壊滅させた一九二三年の関東大震災は、欧米における第一次世界大戦に対応する歴史の断絶をもたらした。そして、この震災後の日本の一九二〇年代は、独自なモダンな都市の学を生み出している。今和次郎らの〈考現学〉がそれである。よく知られているように、今和次郎ははじめ柳田國...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.16-27

[音 2]

ノートルダムの二重側廊──音楽を創発する建築 | 伊東乾

The Double Passage in the "Notre Dame de Paris": An Architecture Which Had Given an "Emergence" to Music History | Ito Ken

0 パリを訪れる人は多いが、毎日曜朝に執り行なわれているノートルダム寺院[図1nのミサはほとんど知られていない。この都市で音と時間、そして空間を考えるなら、ポンピドゥー・センターやブーレーズ肝煎りのシテ・ドゥ・ラ・ミュジックよりも、私はノートルダムの側廊で耳を澄ませることを勧めたい。そこでは今日も、グレゴリオ様式による...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.40-41

[トーキョー・建築・ライナーノーツ 2]

ペット・アーキテクチャー | 貝島桃代

Pet Architecture | Kaijima Momoyo

ペットということ ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』、そのライナーノーツには、このタイトルの二つの意味が書かれている。 ひとつはペットによる音楽あるいはペットのための音楽という意味。ブライアン・ウィルソンの犬バナナ/ルーイーの鳴き声が録音された、アルバム最後の曲「キャロライン・ノー」は、犬が歌うという点...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.32-34

[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]

ミレニアムの都市(前編)──一九九九年、ポストバブルの東京論 | 五十嵐太郎

The City in the Millenium Part 1: Tokyo Studies in the Postbubble Era, 1999 | Igarashi Taro

情報端末としての建築 電飾、看板、ファーストフード、カラオケ、ゲームセンター、カフェ、居酒屋、ドラッグストア、電化製品の量販店、百貨店、金融ビル、JR線の高架、スクランブル交差点。数々の情報と人々が行き交い、数々のストリートにつながる渋谷のターミナル。そして「二〇〇〇年へのカウントダウンを目指して、渋谷にQFRONTが...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231

[現代住宅研究 2-1]

小さな建物 | 西沢大良

Small Architecture | Nishizawa Taira

1 戦前と戦後 戦後の日本の住宅は、はじめ小さな建物として現われた。住宅に関して、戦前と戦後を分ける指標を実作上で探すとしたら、たぶん建物の小ささに注目することになるだろう。戦前にも《土浦亀城邸》や《谷口吉郎邸》などの小住宅はあったが(共に延一二〇平方メートル程度、木造二階建て)、戦後の住宅の極端な小ささには遠く及ばな...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.12-15

[都市表象分析 1]

演劇と都市計画(ユルバニスム)──生─政治学の時代のアンティゴネー | 田中純

The Theater and Urbanism: Antigone in the Age of the Bio─Politique | Tanaka Jun

1 墓地という劇場  インターネット上に建立された墓、「サイバーストーン」と呼ばれるプロジェクトがある。発案者である松島如戒によれば、その発想の原点には、ヒトを除くすべての生命体は、生を終えたのち、生態系に還元されてゆくのに、ヒトだけが死後、墓というスペースを占有しつづけることが許されるのだろうかという疑問があった。発...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.2-11

[Architecture的/Archive的 3 ]

第3回・archival architectureモデルによるMMO現実感の実現 | ドミニク・チェン

Part 3: Realization of an MMO Environment Based on an Archival Architecture Model | Dominick Chen

用語の整理から始めよう。 MMO現実感(Massive Multi-Layered Online)という言葉は、常にネットワークに接続し、大規模多数の不可視の他者の存在が実世界環境内における現実感生成に多層的に影響を及ぼす状態を想定している。そこで最も直接的に実世界環境に作用する位相として情報技術によって可塑性を与えら...

『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.19-20

[Urban Tribal Studies 7]

リズム・ダンス・ミメーシス | 上野俊哉

Rhythm・Dance・Mimesis | Ueno Toshiya

どんな都市や街路にも特定のリズムがある。同じように巨大都市であり、せわしなさにおいても似ている東京とロンドンだが、それでも街のもっているリズムは異なっている。 このリズムの違いは、それぞれの都市の空間性の違いであると同時に、その都市がもっている時間性、あるいは時間に対する社会的、集団的な身ぶりや態度の違いを指している。...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.232-241

[建築の解體新書 8]

キャラクターと鬼神 | 岡崎乾二郎中谷礼仁

Character and Kishin | Okazaki Kenjiro, Nakatani Norihito

不快な様式……岡崎乾二郎今回は前回の足りなかった部分を補い、中谷氏に対する問題提起という形式をとらせていただきます。 ★ よく知られていることですが、明治二七年、伊東忠太はarchitectureの訳として、すでに定着しつつあった造家という語に対して、次のような異議を唱えています。 「アーキテクチュール」の本義は決し...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.14-28

[都市表象分析 22]

アハスウェルスの顔──都市の生命記憶へ | 田中純

Face of Ahasverus: Toward City's Life Memory | Tanaka Jun

1 無意識都市のダイビング ジョージ・キューブラーは著書『時のかたち』で、通常では単体と見なされる事物の各構成要素がそれぞれ異なる年代に属している場合がありうることに注意をうながしている。長い年月にわたって建造された建築物などがそれにあたる。キューブラーは、あらゆる事物は異なる「系統年代(systematic age)...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.2-12

[建築の還元 3]

表現することの方法と基準をめぐって──純粋化への意志 | 南泰裕

On the Methodology and Criteria of Representation The Will to Purification | Minami Yasuhiro

1  純粋さ、または他者という与件 おそらく多くの建築家や建築をなす者が問うてきたのと同じように、私もまた、「建築にとって何がもっとも重要か」ということを繰り返し問い、考えてきた。この問いはいつも、自身がかかわり、試行している建築的実践への懐疑や内省と交叉するかたちで不意にせり上がり、それぞれの文脈で、おりおりに答えを...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199

[都市の傷痕とRe=Publik 7]

《技術》と建築 | 柿本昭人

Technique and Architecture | Kakimoto Akihito

今から七〇年前(一九三〇年)、エルンスト・カッシーラーは「形式と技術」という論文のなかでこう書いている。 技術は「責務を果たさんとする思い」の支配下にあり、労働における連帯の理想、とりわけ全体は一人のために、一人は全体のために活動するという理想の支配下にある。真に自由な意志共同体がまだ成立していなくても、技術はその仕...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.35-36

[都市表象分析 5]

地図のメランコリー 地図制作(マッピング)の喪 | 田中純

Maps and the Work of Melancholy | Tanaka Jun

1 ゲルハルト・リヒター《アトラス》 ゲルハルト・リヒターの《アトラス》は、現在五千枚を越す写真や図版を収めた六〇〇を越えるパネルからなる作品である。その制作は一九六〇年代初頭から延々と続けられており、規模を拡大するとともに、展示形態も変容している。旧東独に生まれたリヒターは、一九六一年、西独のデュッセルドルフに移住し...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.2-9

[都市の傷痕とRe=publik 6]

《建築》への意志 | 柿本昭人

The Will to "Architecture" | Kakimoto Akihito

一九九九年九月一日、防災の日。名古屋の中心部にある白川公園で奇妙な光景に出くわす。公園内の遊歩道を挟んで、二つの異なる世界。一方は、公園のグラウンドで繰り広げられている防災訓練。赤い消防車が何台か並び、訓練の輪の中心には、火柱が立ちのぼっている。濃紺の制服、薄緑の制服が、号令のもとに移動する。白いテントの下には薄茶の制...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.27-28

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]

批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム | 五十嵐太郎

Rethinking Critical Regionalism: Contexturalism/ Antivanguard/ Realism | Igarashi Taro

野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、小雨が降りしきる視界のすぐれない天候だったせいか、なんとも幻想的な第一印象を抱いた[図1]。おそらく山村を背景にして建物の正面に並ぶ、原木さながらの四本の柱が想...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]

魚座の建築家、フランク・ゲーリー──路上から転がり続けること | 五十嵐太郎

Pices Architect, Frank Gehry: From the Road, Still Rolling | Igarashi Taro

地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく、その三週間後に神戸の街を歩く機会を得た。大阪を過ぎ神戸に近づくにつれて、雨漏りを防ぐ青いビニールシートをかけた屋根が増えるのが見え、電車の窓からも被害の様子が...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253

[建築の解體新書 2]

発明の射程 | 岡崎乾二郎中谷礼仁

Range of Discovery | Okazaki Kenjiro, Nakatani Norihito

はじめに ……机は、やはり木材、ありふれた感覚的な物である。ところがこれが、商品として登場するとたちまち、感覚的でありながら超感覚的な物に転化してしまう。それは、自分の脚で立つばかりでなく、他のあらゆる商品に対しては頭でも立っていて、ひとりで踊りだすときよりもはるかに奇怪な妄想を、その木頭からくりひろげる。 ──カー...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.226-242

[都市の傷痕とRe=publik 2]

建築唯我論 | 柿本昭人

Musings on Architecture | Kakimoto Akihito

小生は仕事の都合で、京都と名古屋の間を、毎週車で往復している。名古屋の街は車無しでは不便きわまりないので、新幹線を使うことはまずない。そのため、新しい京都駅が出来てすでに一年以上たつが、まだ実物を一度も見たことがない。恥ずかしながら、新聞の写真と、早朝川端通りを南向しながら、点滅する赤い警告灯でその輪郭を五条あたりでう...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.42-43

[翻訳]

白く燃え上がる彼方──都市の哲学に関するノート | ダヴィド・D・エキモヴィッチ+田中純

Burning White Beyond──Notes on the Philosophy of the City | David Deyan Ecimovich, Tanaka Jun

〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチメタファーの形でこそ存在する。最も直接的にそれが示すのはハプスブルク帝国終焉の年月と戦争、そしてその余波のうちの社会状況であり、これは騒然とした崩壊過程であって...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262

[CONCEPTUAL 日本建築 3]

第三章──成立編 | 黒沢隆

Toward off shoes floor civilization: A historic review | Takashi Kurosawa

13  一堂一室   Plan was the plot: 'ARCHITECTURE' was brought within proselytism 布教を鍵に文明はもたらされる 面積で世界最大といわれる仁徳陵は、おそらく五世紀はじめにできた。九州政権にすぎなかった天孫族勢力(倭(わ))が瀬戸内海を渡って難波(なに...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.194-207

[建築の還元 1]

関係の切断 | 南泰裕

Severing Relations | Minami Yasuhiro

1 〈交通問題〉としての近代、および建築 ひとつの表現をなすことの、恐らくはきわめて現在的で共同了解的な認識であるに違いないのだが、長い間、私は自らを建築について語る資格がない、と感じ続けてきた。それは例えば、建築が文化の表象や権力の象徴、あるいは科学技術の現代的表現であるといった記述が、すでに言葉の実効力を失っている...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12

[アート・レヴュー 1]

ヴェネツィア・ビエンナーレの建築 | 鷲田めるろ

The Architecture of La Biennale di Venezia | Washida Meruro

今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの国際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセルで行なわれるドクメンタがあるが、ドクメンタでは基本的にひとりの総合コミッショナーが作品を決定するのに対し、ヴェネツィア・ビエンナーレは国別の参加となっており、...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.41-42

[都市の傷痕とRe=publik5]

記憶の建築/忘却の建築 | 柿本昭人

The Architecture of Memory/ The Architecture of Oblivion | Kakimoto Akihito

長引く不況のためなのか。郊外の幹線道路沿いには、更地が目立つ。確かにその場所には建物があったはずなのだが、どうしても思い出せない。車窓から眺めていたせいばかりではない。コンビニエンス・ストア、ファミリー・レストラン、家電の量販店、紳士服店、それともワンルーム・マンションだったか……。数キロ先にはまた同じ建物の連なりに出...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.30-31

[建築の解體新書 5]

建築と古文辞学 | 岡崎乾二郎中谷礼仁

Architecture and Archaic Rhetorical Writing | Okazaki Kenjiro, Nakatani Norihito

躾と添削……岡崎乾二郎1 わが国の学者は日本語で中華の書を読み、和訓と称している。訓詁(くんこ)という意味から出た言葉であろうが、実際は訳である。しかし人々は、それが訳であることに気づかない。古人は「読書千遍、その義はおのずから現われる」と言った。私は子供のころ、古人は「その義」がまだ現われないうち、どのようにして読書...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.13-28

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 5]

アポカリプスの都市──ロサンゼルス/ロンドン/サラエボ | 五十嵐太郎

Apocalyptic Cities: Los Angeles/London/Sarajevo | Igarashi Taro

見つめていたい 盗撮・盗聴がメディアをにぎわせている。それは小型の映像・録音機器の普及に起因しているのだろうが、最近、公開された映画はこうした状況を如実に反映している。『トゥルーマン・ショー』(一九九八)は、ある男の日常生活を本人に気づかれないよう全世界に生放映する人気テレビ番組を描いていた[図1]。巨大なドームに包ま...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.196-207

[非都市の存在論 11]

《言葉》と《建築》──性差という分割 | 田中純

"Language" and "Architecture": Sexual Difference as Division | Tanaka Jun

1 二つの扉 一九八八年七月二三日の深夜、オーストリアのザンクト・ペルテンで屋外展示されていたジョン・ホワイトマンの仮設建築作品「二分割可能(Divisible by 2)」が何者かによって爆破された★一。この作品は首都の誕生」展開催に合わせてシカゴから移設されたものであった。ザンクト・ペルテンは一九八六年にウィーンに...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.15-26

[情報空間の地理学 1]

都市の中のサイバースペース、サイバースペースの中の都市──「デュアル・シティ」を生み出す概念装置 | 毛利嘉孝

SpaceCyberspace in the City and Cities in Cyberspace: Conceptual Tools for Creating "Dual Cities" | Mori Yoshitaka

サイバースペースと都市。この二つの領域は、ここにきてますます交錯しつつある。しかし、このことは、コンピュータ・ネットワークの中に都市的な環境ができつつあるということを意味しているわけではない。むしろ事態は逆で、サイバースペースと都市の関係が論じられれば論じられるほど、サイバースペースの内部に都市的なものが現状のところ存...

『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.36-38

[座談会]

宇宙建築からはじまること | 松村秀一アニリール・セルカン村上祐資

Beginning with Space Architecture | Matsumura Shuichi, Serkan Anilir, Yusuke Murakami

宇宙建築? 松村秀一──全体をざっと読んでみたのですが、結構面白い特集になったと思います。宇宙建築というものは宇宙開発全体のなかに位置づけられているということもあり、地上建築全部を語るのと同じぐらいさまざまな条件があります。なので、初めて読む人にとってはいろいろなことがありすぎて全体としては捉えにくいものになっているか...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.68-77

[翻訳]

Cities. Architecture and Society | リチャード・バーデット伊藤香織篠儀直子

Cities. Architecture and Society | Richard Burdetted, Ito Kaori, Shinogi Naoko

『The Architectural Review』(二〇〇六年九月号)のこの記事は、第一〇回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展アルセナーレ会場の主要展示で取り上げられた一六都市に焦点を当てるものである。これらの都市は、その規模がある程度揃い──いずれも人口三五〇万人以上──地理的に全世界におおよそまんべんなく分布す...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.138-159

[イントロダクション]

地上にしか関心のなかった私にとっての「宇宙建築」 | 松村秀一

Space Architecture' to Me, Concerned with Nothing but Terrestrial Matters | Matsumura Shuichi

1 渡辺保忠の『工業化への道』 残念ながら絶版になってしまったが、私の最初の著作に『工業化住宅・考』(学芸出版社、一九八七)という単行本がある。日本のプレハブ住宅の歴史と現実、そして将来の方向性を論じることに主眼があったが、まだ二〇歳代だったこともあり、随分と欲張って書いた部分があった。そのひとつが古代の建築生産組織に...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.66-67

[翻訳]

余剰人類? | マイク・デイヴィス篠原雅武

A Surplus Humanity? | Mike Davis, Masatake Shinohara

工場も仕事場も仕事もなく、さらに上司もいないプロレタリアートは、雑多な職のごたまぜの只中にいる。彼らは生き残るのに必死で、余燼を通る小道のような生活をいとなんでいる★一。 パトリック・シャモワゾー 一九七八年以来のネオリベラルグローバリゼーションによる構築術の残忍さは、後期ヴィクトリア朝の帝国主義の時代(一八七〇─...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.121-137

[翻訳]

グローバル・シティ | リヴィオ・サッキ横手義洋

La citta` globale | Livio Sacchi, Yoshihiro Yokote

今日、東京は経済発展を遂げた世界で最大の都市cittàである。ここで用いる「都市città」という用語はおそらく不適当で時代遅れの感さえあるのだが、より適当な言葉がないという理由で慣例的に使っている。日本語では「市」というひとつの漢字に、異なる二つの概念、すなわち市場と都市という意味をあてるのだが、これはおそらく偶然で...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.152-161

[技術転用・スピンオフ]

宇宙居住のスピンオフ──Architecture+Visionの試み | アンドレア・ヴォグレアアトロ・ヴィトリ畑中菜穂子

Spin-offs of Space Habitation: Attempt by Architecture+Vision | Andreas Vogler, Arturo Vittori, Naoko Hatanaka

極地環境において人間が生き抜くためには、特別な建築的、技術的戦略が必要となる。さらに精神面を支えるための対策も欠かせない。宇宙環境ほどに苛酷な環境は、地球上のどこにも存在しない。月面上では、極端な温度変化、高真空、低重力、小隕石の衝突、高レベル放射線などが見受けられる。これらの環境条件に加えて、月面への基地の輸送は、最...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.120-123

[設計思想・教育]

キット・オブ・パーツ・システム──自己組織化建設システム | スコット・ハウ村上祐資

Self-constructing Kit-of-parts: The Art of Highly Organized Assembly | Scott Howe, Yusuke Murakami

はじめに 宇宙における建築デザインを追求していくと、極地環境下における生産・建設・管理の問題やデザイン上の規制の壁にぶつかることとなる。キット・オブ・パーツ・システムは、こうした極地におけるデザインを考える上での手助けとなるだろう。 キット・オブ・パーツ・システムとは、ジョイント構法、パネル構法、モジュール構法、展開構...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.149-151

[論考]

50 Years After 1960──グローバル・シティ・スタディーズ序説 | 八束はじめ

50 Years After 1960: Introduction to the Global City Studies | Yatsuka Hajime

0 前口上 既存の環境に学ぶことは革命的である ロバート・ヴェンチューリ 『10+1』のように「シリアス」な雑誌の読者からすれば下らない設問に見えるかもしれないが、あなたが建築を判断する基準は何かと問うてみたい。ナンセンスな設問だから気楽に答えてよいのだが、正しい、だろうか?面白いか?面白くもない建築について語る...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76

[設計思想・教育]

“極限”への挑戦──ラルフ・アースキンによる極地建築のデザイン構想 | オスカル・アレナレス畑中菜穂子

Approaching the Extremes: Ralph Erskine's Conception of Design for Extremes Space Architecture Design Concepts | Oscar Arenales, Naoko Hatanaka

建築家ラルフ・アースキンは、北極圏や極地帯などの厳しい環境条件における住宅設計によって、非常に著名な人物である。それらの地域では、厳しい気候から建築物を守る技術が必要であり、そうした気候条件が建築手法に影響を与える。そのための多くのアイディアを、彼は北欧に伝わる知恵から得ることができた。私が彼から学んだこととは、極限環...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.158-160

[設計思想・教育]

ヒューストン大学SICSAのデザイン思想 | 関戸洋子

The Sasakawa International Center for Space Architecture Design Concepts | Yoko Sekido

アメリカ合衆国南部、テキサス州ヒューストンといえば、NASA。そのNASAとも関連深い、笹川国際宇宙建築センター(通称SICSA=Sasakawa International Center for Space Architecture)がヒューストン大学にある。私は、SICSAに二〇〇五年夏までの約一年間、客員研究員と...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.156-157

[設計思想・教育]

極環境建築における自律分散協調の自己組織的設計思想 | 池田靖史

Self-organized Design for Extreme Environmental Architecture | Yasushi Ikeda

運搬・組み立てシステムとデザイン 極環境の建築では建設地への建築資材の運搬形式と現地での建設作業の簡易性が通常の建築に比べると圧倒的に重要な課題となる。過酷な極環境は資材運搬や建設作業にも困難をともなう。地球周回軌道上の宇宙ステーションを考えてみよう。 宇宙空間へロケットで打ち上げの膨大なコストを考え、可能なかぎり重量...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.152-155

[論考]

景観・法・建築家 | 坂牛卓

Landscapes, Laws, Architects | Sakaushi Taku

「物はなぜゴチャマゼになるのか」というグレゴリー・ベイトソンと娘メアリーの会話がある★一。自分の部屋が直ぐ「ゴチャマゼ」になるのはどうしてか?  と問うメアリーに父親ベイトソンは「片付いた」状態より「ゴチャマゼ」状態の場合のほうがはるかに多いからだと答えるのだが、そこへ至る過程で見逃せないのは、片付いた状態というのは誰...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.112-119

[インタヴュー]

岸田日出刀/前川國男/丹下健三──日本における建築のモダニズム受容をめぐって | 磯崎新日埜直彦

Hideto Kishida, Kunio Maekawa and Kenzo Tange: On Adoption of Modernism-Architecture in Japan | Isozaki Arata, Hino Naohiko

一九二〇年代の建築状況 日埜直彦──今回は磯崎さんの建築家としてのキャリアの最初期について伺いたいと思っています。 すでに『建物が残った』で当時のことについて多少書かれていますが、それを読んでいてもなかなか見えてこないのが岸田日出刀の特異な存在です。彼は戦中戦後の近代建築をリードし、その後の展開に大きな影響を与えたわけ...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158

[論考]

抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム | 石岡良治

From Abstraction to Territories: Gilles Deleuze and the Frame of Architecture | Yoshiharu Ishioka

1 ヴァーチュアル・ハウスと襞の形象 インターネット環境がパーソナルなレヴェルで普及していった一九九〇年代に、さまざまな分野で「ヴァーチュアル・リアリティ(VR)」をめぐる議論が交わされていたことは記憶に新しい。もちろん厳密に考えるならば、ウェブの普及と、諸感覚のシミュレーションをめざす狭義のVR技術が直接関係を持つわ...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191

[論考]

都市の解剖学 剥離・切断・露出 | 小澤京子

Urban Anatomy: Exfoliation, Amputation, and Exposure | Kyoko Ozawa

1 皮を剥がれた建築 建築物をひとつの身体に喩えるならば、皮膚にあたるのは外壁である。建築物が時間の手に晒され続ける限り、傷や病、あるいは老いは、不断にその皮膚を脅かし続けることとなる。しかし、この建築の外皮へ、あるいは内部と外部との境界を巡る病理へととりわけ執拗な眼差しが注がれたのが、一八世紀の「紙上建築」という分野...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.218-224

[対談]

身体の(再)誕生、〈建築〉の場から | 荒川修作小林康夫

(Re) Birth of the Body, from (Architecture) | Shuusaku Arakawa, Yasuo Kobayashi

小林──荒川さんのお仕事のひとつの転回点とでも言うべき《三鷹天命反転住宅》が三鷹ででき上がりつつあります。養老のオープンスペースの実験に続いて、とうとう集合住居が実現したというのは画期的だと思います。この仕事全体の哲学的な基礎とでも言うべきことは、マドリン・ギンズさんと荒川さんがお書きになった『建築する身体』(春秋社、...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.169-183

[論考]

エンプティ・フェイス 近代都市計画の精神病理 | 五十嵐光二

Empty Face: Psychopathology in Modern Urban Planning | Igarashi Koji

一九七九年に王立英国建築家協会で行なわれた「現在の都市の苦境」と題する講演において、〈近代建築の破滅〉について語るコーリン・ロウは、それをひとつの寓話の形として提示している。 彼女の死(近代建築が女性であるのは間違いないところだ)の原因は、その気質の純真さに帰せられよう。タワーとまったく手つかずの空間への常軌を逸した...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.100-107

[翻訳]

広場恐怖症 都市空間の精神病理学 | アンソニー・ヴィドラー川田潤

Agoraphobia: Psychopathologies of Urban Space | Anthony Vidler, Jun Kawata

一九世紀末にヨーロッパの大都市が急成長し、伝統的な都市は  大  都  市  (グロース・シュタット)あるいはメトロポリスとして知られる都市形態に変わった。この変容によって、モダニズムと前衛というきわめて重要な文化が生み出されただけでなく、社会学、心理学、政治地理学、精神分析といった新しい学問分野に基づいた、新しい都市...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.80-99

[インタヴュー]

セルフビルドという構法 マニュアルのない住宅 | 広瀬鎌二今村創平

Doing Self-build: House without Instruction Manual | Kenji Hirose, Imamura Sohei

建築の性能と耐久性の評価 今村創平──今号の『10+1』では、実験住宅という特集が組まれるのですが、日本では、五〇年代、六〇年代に、広瀬先生、池辺陽さん、増沢洵さん、清家清さんといった方々が、多くの実験住宅を作られ、その時期はある意味では、日本における実験住宅の青春期とも言えると思われます。それぞれの方が、明快な方法論...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.80-89

[論考]

ジャン・プルーヴェの工場製・組立住宅における実験的試み | 山名善之

Jean Prouvé's Experimental Built-up House as Factory Products | Yoshiyuki Yamana

二〇世紀という工業化の時代を生き抜いたジャン・プルーヴェ(一九〇一─一九八四)がコンストラクター(建設家)として、マレ・ステヴァンス、トニー・ガルニエ、ボードワン&ロッズ、ル・コルビュジエなどフランス近現代建築史を代表するさまざまな建築家とコラボレートし、数々の建築や家具の「名作」を遺したことはよく知られている。しかし...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.90-97

[論考]

原生建築への招待 食用の建築、つくれますか。 | 陳正哲青井亭菲青井哲人

Introduction to Primal Architecture: Can You Build Edible Architecture? | Chen Cheng Che, Fay Aoi, Aoi Akihito

時は二〇〇四年四月。早くも日本滞在五年を迎えていた。間もなく台湾に帰る。帰国前、何か締め括りになることがないだろうかと思ったとき、藤森先生が実家の茶室の建築を手伝える人を探していた。 藤森研究室に入ってから、先生の作品の施工に参加する機会を逃したことは一度もない。二〇〇〇年一〇月の《椿城》から、二〇〇三年三月の《一夜亭...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.146-153

[論考]

小さな建物を大きくすること 藤森照信の建築における儀式 | デイナ・バントロック松田達

Making Small Buildings Large: Ritual in the Architecture and Construction of Works by Terunobu Fujimori | Dana Buntrock, Matsuda Tatsu

建築は時間を遅らせる機械である★一                  ロラン・ボードゥワン 最近わたしは学部学生のグループがアメリカのある儀式を見学するように手配した。鉄工職人、建築家、クライアントたちは躯体に取り付けられる旗と小さな常緑樹で装飾された最後の鉄骨梁に署名をし、梁はあるべき場所へと持ち上げられていった。...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.142-145

[論考]

世界建築地図の展開/〈伊東忠太+藤森照信〉のその後 近代アジア調査術 | 林憲吾

The Development of the World Architecture Map / After Chuta Ito + Terunobu Fujimori: Modern Asia Research Techniques | Kengo Hayashi

一 近代アジア調査術の誕生 一九八五年、『東アジアの近代建築』という一冊の本が刊行された★一。これは、村松貞次郎退官記念として、藤森照信の主催で行なわれた同名の国際シンポジウムにあわせてのことであった。 巻末に付された近代建築のリストを見るならば、この本は、一九八七年以降、藤森を代表として展開していく「近代アジア都市遺...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.134-141

[論考]

先行建築学のすすめ バイパスとしての藤森式都市建築保存論 | 清水重敦

Lead to Pre-Existing Architectonics: Fujimori-type Preservation of Urban Architecture as Bypass | Shimizu Shigeatsu

建築の保存には理論など不要である。ただ実践あるのみ。折に触れて、藤森照信はこう語っている。確かに、藤森が正面から保存について語った論考を目にすることはほとんどない。 筆者は、日本で建築保存の概念が生まれた明治期の様相について研究をしている。これまで何度か藤森の指導と助言を受けてきたが、藤森が問う内容はいつも、保存の概念...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.120-125

[論考]

モンスターは何を語っているのか? | 坂牛卓

What does the Monster Speak? | Sakaushi Taku

世界中にデコン建築の亜流が建ち始めた。日本も例外ではない。近所の工事現場で龍が天にも昇るような完成予想パースを見た。銀座の一画で津波のようなビルに出くわし、原宿に氷山が崩壊したようなガラスのビルを見た。こうしたモンスターのような建物を見ながら、一体これらの意味するものは何か考えみた。 モダニズムは視覚の時代だった モ...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.106-107

[論考]

二〇世紀日本建築の「悦ばしき知識」──丹下研究室の国土・都市・建築 | 豊川斎赫

Japanese Architecture of The 20th Century: "La gaya scienza": The Research of Regional, Urban, and Architecture in Tange Laboratory | Saikaku Toyokawa

建築にいながら何をやっているんだと或は人から思はれる位、一寸見ると建築とは縁がなさそうに見えるかもしれないような基礎理論を各方面から切り開いて行かなければならない段階に来ているのです。そのような専門的な研究分野を計画技術と呼んでいる。一寸その場で計算尺を使って計算をするようなことはデザインの領域で結構できることだと思う...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95

[作品構成]

アルゴリズム的手法によるフォームの生成 | 柄沢祐輔

The Becoming of form of Architecture through Algorithmic Method | Yuusuke Karasawa

1 アルゴリズムによる思考とフォームの提示 かつてルイス・カーンはフォームを提示することが建築の目標だと語った。私はこのフォームと呼ばれるもの、建築を構成する論理や見えない形象そのものをクリアに提示するためにコンピュータ・プログラムを用いたいと思っている。空間を構成するプロポーションやマテリアルの素材感、ディテールや表...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.167-172

[作品構成]

Can Architecture Heal? | ジェニー・サビン福西健太

Can Architecture Heal? | Jenny Sabin, Kenta Fukunishi

「建築におけるセクション(断面図)の役割は死んだ」──米国、ペンシルヴァニア大学で教鞭をとる構造家セシル・バルモンドの言葉である。同大学建築学部は、二〇〇二年にミース研究で著名であるデトレフ・マーティンを学長に迎えて以来、その教育方針が大幅に変わることとなった。それまで同大の歴史を形づくってきたルイス・カーン時代の教授...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.177-180

[作品構成]

アルゴリズム的思考とは何か | 松川昌平

What is Algorithmic Thinking? | Shohei Matsukawa

アルゴリズム的思考を用いると従来の建築とどう変わるのだろうか? 僕自身これまで、「関数空間/Algorithmic Space」と題していくつかプロジェクトを発表したり、非常勤講師をしている慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで同名の設計課題を出したりしているので、学生や同世代の建築家から上述のような質問をよく受けることがあ...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.155-160

[作品構成]

Natural Computationの景相化 | 田中浩也久原真人

Ommniscape of Natural Computation | Hiroya Tanaka, Macoto Cuhara

自然/コンピュテーション/コンピュータ 「Computing」あるいは「Computation」という思考法は、筆者がこの原稿をタイプしている物理的実体としての「コンピュータ(計算装置)」を超えて、自然界/生態系や社会★一、ヒト★二の現象や運動の総体を、「計算」という観点から捉え返そうとするものであるといえる。そのメタ...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.149-154

[翻訳]

何が(実際のところ)なされるべきなのか?──MVRDVの理論的コンセプト | バート・ローツマ松田達桑田光平

What is (really) to be Done?: The theoretical concepts of MVRDV | Bart Lootsma, Matsuda Tatsu, Kohei Kuwada

MVRDVの仕事はどんな建築家や理論家よりも、民主主義的であると同時に「製作可能(makeable)」であるという西ヨーロッパの社会の伝統に深く根づいている★一。前世紀を通して形成されてきた福祉国家オランダは、交渉に基づいた民主主義特有の形態と、計画への強い信頼を基本としているために、おそらくこの伝統が最も特徴的となっ...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.136-148

[作品構成]

Tooling | アランダ/ラッシュ篠儀直子

Tooling | Aranda/Lasch, Shinogi Naoko

Pamphlet Architecture #27: Tooling by Benjamin Aranda and Chris Lasch Foreword by Cecil Balmond, Afterword by Sanford Kwinter Princeton Architectural Press, 200...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.173-176

[対談]

光と影の形象──写真と建築 | 安斎重男+ジュディス・ターナー+栩木玲子

Figures of Light and Shadow──Photography and Architecture | Anzai Shigeo, Judith Turner, Tochigi Reiko

安斎…僕がサブジェクトに選んでいるのはパフォーマンス、インスタレーションとか彫刻ですが、あなたの場合も自分のサブジェクトにしているものは他人がつくったものというか、建築という他のアーティストがつくったものですね。建築以外のものも撮られることはあるのですか? ターナー…基本的には建築を撮っていますが、とくに最近では「冬の...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.17-23

[情報空間の地理学 2]

世界都市(グローバルシテイ)、要塞都市(フオートレスシテイ)、電脳都市(サイバーシテイ)──サイバーシティ東京の二重性 | 毛利嘉孝

Global Cities, Fortress Cities and Cyber Cities: The Duality of Cybercity Tokyo | Mori Yoshitaka

サイバースペースが不可避に都市の内部に二極化を、すなわち情報にアクセスできる人とアクセスできない人の二つの階層を生み出しているという事実は、特に東京という都市の中では自覚されることが少ない。「ロサンゼルスならともかく、みんながそこそこ豊かな東京では、コンピュータもモデムも買えず通信費も払えないほど貧しい人がいるとは思え...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.38-40

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8]

ミレニアムの都市(後編)──ディズニーランド化×マクドナルド化 | 五十嵐太郎

The City in the Millenium Part 2: Disneylandization vs. McDonaldization | Igarashi Taro

白と灰の融合 一九八九年は東西の冷戦構造が崩壊し、日本では昭和が終わり、時代の変革を象徴づけた年になった。二〇世紀のシステムが終わった年とみることもできよう。この年、アメリカのディズニーワールドでは、マイケル・グレイヴスの設計した《スワン・ホテル》がオープンした★一[図1]。続いて翌年には同じ設計者による《ドルフィン・...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.200-212

[ビルディング・タイプの解剖学 1]

教育と学校──壁のエクリチュールを目指して | 五十嵐太郎+大川信行

Pedagogy and the School | Igarashi Taro, Okawa Nobuyuki

何も様式や意匠だけが建築史のすべてではない。ビルディング・タイプに絡めて、建物という箱を外側からではなく、内側から論じること。つまり、あるビルディング・タイプに付随する特定の家具、装置、あるいはマニュアル(作法)に注目し、それらがいかに人間の身体を規律化しているのか。そして建築的な操作は他の諸学問といかなる横断的な連結...

『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.33-35

[建築の言説、都市の言説 1]

構築者のテクストまたはアーキテクトの罠──六〇年代を牽引したプロタゴニストの遍歴と漂着 | 大島哲蔵

Builder's Texts and Architects' Traps: Charting the Course of a Few Sixties Protagonists | Oshima Tetsuzo

建築家が書いた一冊の本が、膠着状況からいちはやく抜け出し、やがて大家となる著者の思想的基盤をも形成したとすれば、それは歴史的なランドマークとして繰り返しひもとかれ、人がそこに集い議論を交わす「フォーラム」のごとき場所となる。建築家の著した建築論は現実の設計活動と密接に連動し、比較検討され、ある時は混同されながらも、当人...

『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.28-29

[インタヴュー]

アルゴリズム的思考と建築の「新しいリアル」 | 伊東豊雄フロリアン・ブッシュ柄沢祐輔

Algorithmic Thinking and "The New Real" in Architecture | Ito Toyo, Florian Busch, Yuusuke Karasawa

セシル・バルモンドとのコラボレーション 柄沢祐輔──伊東さんはロンドンの《サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン》などのセシル・バルモンドさんとのコラボレーションを経て以来、構成に独特のルールを与える方法を展開しているようにお見受けするのですが、セシルさんとのコラボレーション以後、創作の方法にどのような変化があったの...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.82-93

[インタヴュー]

アルゴリズム的思考の軌跡をめぐって | 磯崎新柄沢祐輔

In the Footsteps of Algorithmic Thinking | Isozaki Arata, Yuusuke Karasawa

コンピュータの黎明期における情報都市の提案 柄沢──磯崎さんは六〇年代のコンピュータの黎明期、まだそれらが十分実用的とは言えない時期にさまざまな建築や都市の提案をされていました。そこでまずお伺いしたいのですが、なぜコンピュータに興味をもたれたのでしょうか。 磯崎新──まず六〇年代に僕が一番関心をもっていたのは、生物学か...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81

[論考]

Google Mapsは建築にどんな影響を与えますか? | 本江正茂

What Impact does Google Maps have upon Architecture? | Motoe Masashige

Google Mapsにまた新しい機能が追加された。これまでの道路地図、航空写真、両者のハイブリッドに加えて、「地形」が表示されるようになったのである。都市の微地形についてはまだまだ不十分ではあるけれども、自転車ロードレースの山岳コースを確認したり、盆地と平野などの都市間スケールでの地勢を把握したりするには十分な表現と...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.140-141

[論考]

都市再生論のなかで建築はどのように見えますか? | 太田浩史

How does Architecture Appear in Urban Renewal Theory? | Ota Hiroshi

一〇〇都市めの中間報告 『10+1』No.31「特集=コンパクトシティ・スタディ」のリサーチで、タイの一〇万人都市ナコン・パトム(Nakhon Pathom=最初の街)を訪れてから五年が経った。その間、日本の三八都市、海外の六二都市を見て回り、それぞれの都市における課題と、そこで要請されている建築の役割を調べてきた。費...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.122-123

[論考]

「全球都市全史学」のミッションとは何ですか? | 村松伸

What is the Mission of the Whole World City Historical Study? | Muramatsu Sin

質問への答を出す前に、なぜ「全球都市全史」というような大風呂敷を広げようと思ったかを述べておきたい。一言で言えば、「五十而知天命」(『論語』)。五〇歳にして天命を知った。こう言えたら、格好いいかもしれない。自分でできることとできないこと、やりたいこととやりたくないことの分別が、五〇歳くらいでつくようにはなった。ぐずぐず...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.120-121

[論考]

モダニズム建築の保存はなぜ難しいのか? | 倉方俊輔

Why is It Difficult to Conserve Modern Architecture? | Kurakata Shunsuke

《都城市民会館》(一九六六)[図1]は、ぎりぎりのタイミングで残されることになった。菊竹清訓の構想力の大きさを印象づけたこの建築も、新たな市の総合文化ホールの建設を機に、解体に向けた動きが着々と進行していた。二〇〇七年二月に市長が取り壊しを正式に発表、九月に議会で解体予算が採択されて、あとは解体工事を待つばかり。そんな...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.114-115

[論考]

モダニズム言語は死滅したのか? | 坂牛卓

Did the Modernist Language Perish? | Sakaushi Taku

モダニズム言語は建築の外からやってきたと言われる デヴィッド・ワトキンはモダニズム建築のコンセプトは建築に外在的な言葉によって語られていると主張した。彼は『モラリティと建築』(一九七七)★一において近代建築が、(1)宗教・社会学・政治的解釈、(2)時代精神、(3)合理性、技術性によって正当化されており、建築に固有の造形...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.148-149

[論考]

空間の開発・環境の制御──一九六〇年前後の浅田孝と高層化研究・人工土地・極地建築 | 菊池誠

Space Development and Environmental Control: Takashi Asada and the High Rise City, Artificial Land, and Extreme Architecture in the Early 1960s | Kikuchi Makoto

都市計画はひとつの工学的な技術体系として(…中略…)物的・実体的な諸施設の配置・構成を手だてとし、個別的・社会的なもろもろの空間や構築物を媒介として、都市社会をコントロールしようとする総合的な制御科学の体系であるといってよいだろう。 浅田孝『環境開発論』 1  爆発するメトロポリス 一九六〇年代に書かれた都市の問題に...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103

[リード]

建築におけるアルゴリズム的思考 | 柄沢祐輔

Algorithmic Thinking in Architecture | Yuusuke Karasawa

「アルゴリズム的思考と建築」という特集を組むにあたって、まず建築におけるアルゴリズムとは何かを正確に定義しなくてはいけないだろう。アルゴリズムとは言葉の正確な定義において算法、算術のことである。それでは、建築におけるアルゴリズムとは一体何を意味するのか。ここで誤解を恐れずに言うならば、それはかつてルイス・カーンが語った...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.70-71

[対談]

グローバル・シティ・スタディーズの諸相 | 今村創平八束はじめ

Aspects of the Global City Studies | Imamura Sohei, Yatsuka Hajime

ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(アラブ首長国連邦)でも小さな国です。中近東は、石油産出国として経済的、政策的に日本ともとても関係が深いのですが、これまで一般的にはあまり馴染みがありませんでした。...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227

[翻訳]

新加被歌的路(シンガポール・ソングラインズ)☆一──ポチョムキン・メトロポリスのポートレート あるいは 三〇年のタブラ・ラサ | レム・コールハース太田佳代子八束はじめ

Singapore Songlines: Portrait of a Potemkin Metropolis... or Thirty Years of Tabula Rasa | Rem Koolhaas, Kayoko Ota, Yatsuka Hajime

風水:もとの場所に居つづける限り地主の繁栄はつづくという古い中国信仰。 シンガポールのグリーンプラン:われわれはブルドーザを適正な場所に導きたい。 リー・クァンユー:シンガポールは多様で変化に富むものすごく大きな世界のなかのちっぽけな場所だから、機敏でなかったり、調整がすみやかにできなければ、消えるしかないだろうし、人...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197

[論考]

「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?1──定義・マニフェスト編 | 藤村龍至

What is the Mission of "Critical Engineering-ism" ? 1: Definition / Manifesto Edition | Ryuji Fujimura

二〇〇〇年以降、東京の都心部では高速で大規模な開発が進み、湾岸地区ではタワーマンションが、バイパス道路沿いにはメガショッピングモールが、それぞれ大量に建設されている。それら都市・建築をめぐる量、規模、変化の速度に対して、社会学者や哲学者は建築家の議論の遅れを指摘するものの★一、現実の都市空間への働きかけとしては「脱空間...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.94-95

[ビルディング・タイプの解剖学 2]

呼吸する機械:病院──近代的衛生観と建築 | 五十嵐太郎+大川信行

The Hospital as Breathing Machine: Architecture and Modern Hygiene | Igarashi Taro, Okawa Nobuyuki

グロピウスに至る近代建築の軌跡を描く、N・ペヴスナーの『モダン・デザインの展開』(一九三六年)を、その弟子のバンハムは厳しく批判している。ベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院(一九〇三年)がきわめて斬新な環境のマシーンとして設計されたにもかかわらず、おそらくそれがヴィクトリア朝の流行遅れの外観を持っていたために、ま...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.34-37

[東アジア建築世界の二〇〇年]

一九世紀の波、二〇世紀の風 3: 第二章 擬洋・欧化・工学 | 村松伸

Chapter 2: Imitating the West, Westernization, and Engineering | Muramatsu Sin

二─一 「洋」を馴らす 上海スタイル 約一五〇年前にできた上海租界のバンド沿いの建物は、現在までに三代替わってしまい、いまは凍結保存の対象であるからもはやこれ以上は変化しないであろう。その第一代はそろいもそろってベランダ植民地スタイルであった。だが、一棟だけ奇妙な建物が混じっていた。《江海関》と呼ばれる上海税関は一八四...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.201-213

[「悪い場所」にて 13]

失踪者と故人のためのサウンドトラック | 椹木野衣

Soundtrack for the Disappeared and the Deceased | Sawaragi Noi

前回、この欄で書いたPSE法については、その後、さまざまな意見提出や署名運動がなされ活発な議論も起こり、事実上の現状維持となったので、その経緯については読者の皆さんもよくご存知のことと思う。それにしてもあらためて感じるのは、こうした趣味や感覚に関わる規制へのリアクションが、反戦や環境問題のような「正義」にまつわる運動よ...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.49-50

[Cinemascape 5]

憶えてしまう映像──ドゥルーズの「任意の空間」について | 舩橋淳

Memory of Images: Deleuse's "Any-Space-Whatever" | Funahashi Atsushi

映画を見るとき、ストーリーを順に追っていたはずなのに、ふと気づけば、そのことを完全に忘れ、美しい映像に身を委ねてしまうことがある。映画館を出ていま見た映画のことを振り返ると、そんな映像のほうが、物語よりも印象深く憶えている。ある人物の顔が忘れられなかったり、ひとつの風景が脳裏にこびりついて離れなかったり、人間の脳へと映...

『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.29-31

[CONCEPTUAL 日本建築 8]

第八章──モダニズム編 | 黒沢隆

Back to the MODERNISM: Through the hard researchs of 'Japonisme' by the Japanese and French estheticians or comparative culturists in 1980's, it was excavated clearly, that Impressionism in painting, Illustration in printed media, DESIGN itself on products, those were revelated deeply from the Japanese arts and crafts at that time. But, it was lapsted out from the memory as time went on. However, each time, that Modern Design specially in architecture, have built the new stage, Japan esthetics appeared again and again, deeper and deeper, finally to Mies (a last period of the prosperous Modern Times, may be). Nevertheless, 'semiologie' --one of core charactor of Japan esthetics--, has been cleared off at the new design activities. | Takashi Kurosawa

43 JAPONISME──「近代」に向かってめくられた最後の頁 Last pages towards the MODERN, which western society had to discover 高階秀爾の若き日の著作に『世紀末芸術』(紀伊國屋新書、一九六三)がある。 あたかも東京オリンピックの前年、破竹の勢い...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237

[技術と歴史 5]

近代建築における素材について──伝統と革新 | 安田幸一

On the Material in Modern Architecture: Tradition and Innovation | Koichi Yasuda

素材と技術革新 安田──今日お話しすることは「ものづくり」の経験から得た素材に関連した話です。これまでさまざまな建築に出会って大きな影響を受けてきましたが、影響を受けてきた建築には共通点があります。もちろん建築構成の斬新さや形態そのものにも魅力を感じますが、特に私が惹かれるのは挑戦的な素材の使い方をしているものからであ...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.212-221

[現代建築思潮]

討議:バルセロナ・オリンピック──都市の成長と発展 | 梅岡恒治岩元真明今浦友恵今井公太郎今村創平日埜直彦吉村靖孝

Barcelona Olympic, The Growth and Development of Barcelona City | Koji Umeoka, Masaaki Iwamoto, Tomoe Imaura, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展をし、どのように計画されてきたかを概観する必要性を感じたことから、オリンピックと関連するひとつの都市を取り上げ、研究することになりました。 そこで、今回はバルセロ...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72

[ポスト・ストラクチャリズムの建築 5]

三次曲面と建築術の行方(承前) | 丸山洋志

Three-Dimension Surface and Future of Architecture | Maruyama Hiroshi

三次曲面を流用した建築(角がとれて、分析的というよりも感応的な形質)に対する、人々の反応は興味深い。もっとも大方の人にとっては、その形質を成り立たせている幾何学的本質などはどうでもよく、むしろ直観的に(建築として)経験しているわけであり、それゆえに正直なものであろう。その形態が感応的であるがゆえに、「私の内部」を大事に...

『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.37-40

[セヴェラルネス:事物連鎖と人間6]

セヴェラルネス──事物転用のためのかたち | 中谷礼仁

Several-ness: Form for Conversion | Nakatani Norihito

電車・舟・住宅 電車が住宅になると何が起きるか。 一九五四年、京都の伏見、もと兵営敷地の一角に、京都市電の廃車体一〇台を利用して「電車住宅」が計画された[図1]。母子家庭の人々のための「住宅」である。「電車住宅」は、幅約二メートル、長さ約九メートルくらいで、建坪にすると六坪程度の極小住宅である。窓が高いため床面の風通し...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.13-24

[連載 8]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 8 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 8 | Yatsuka Hajime

17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われることはむしろ少ない。もちろん、機能主義モデルは彼の専売でもオリジナルでもなく、彼は普遍化できるモデルとして構想している。その意味で彼が東方旅行で見出したさまざまの日...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212

[音響場試論 2]

音響技術の発達と音響場のメディア化 | 安田昌弘

The Development of Acoustic Technologies and Mediatization of the Sound Field | Yasuda Masahiro

近代メディアと社会関係の脱埋め込み化 前回はオスマンのパリ改造に象徴される都市空間の近代化が、パリをブルジョワ的な西部と庶民的な東部に分化し、同時にそこで響く音にもトポロジカルな棲み分けを産み出したことを確認した。今回は、都市空間におけるトポロジカルな音の棲み分けが、メディア技術による媒介を受けながら拡大再生産されてい...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.41-43

[現代建築思潮]

物質と形式──建築における想像力の問題 | 佐々木一晋田中陽輔今村創平今井公太郎日埜直彦

Material and Form: On Imagination of Architecture | Sasaki Isshin, Tanaka Yosuke, Imamura Sohei, Imai Kotaro, Hino Naohiko

ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む  佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ムーロンの『Herzog & De Meuron: Natural History』(Lars M殕ler, 2002.)という著作と本年度から〈10+1web〉...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56

[視覚の身体文化学 2]

色のショック体験 | 榑沼範久

Shock Experience of Colors | Kurenuma Norihisa

1 ジェームズ・J・ギブソン(一九〇四─七九)はけっして〈色の知覚の生態学〉を放棄していなかったこと。それどころか、世界の表面はカラフルであり、色はわれわれが生きていくための情報であると考えていたこと。それにもかかわらず、ギブソンが視覚情報のベースを「光の配列」のみに求めるかぎり、彼の視覚論から〈色の知覚の生態学〉を構...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.33-34

[都市表象分析 25]

狩人たちの物語──都市博物誌の座に向けて | 田中純

Stories of Hunters toward the Society of Urban Natural History | Tanaka Jun

1 写真という仮説形成の場 写真家森山大道が新宿を彷徨いながら行なう撮影行為は、さながら狩りに似ていた★一。荒野のような、あるいはアジールとしての森に似た都市空間で、写真家は犬に変身する。そこがアジールであるとは、裏を返せば、この森林がヴァン・ジェネッブの言う「中立地帯」であって、誰もが通過し狩りをする権利をもつ原生林...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.2-13

[CONCEPTUAL 日本建築 7]

第七章──作庭編 | 黒沢隆

Garden Design: Gardening is important matter in architectural design always. However, garden and building have been continual one-body, specially in Japanese residencial architecture. Furthermore, it is not inner-garden (patio), but the tempered environment of fruitful nature it's own. It may be able to say 'No-wall civilization' in all means. | Takashi Kurosawa

37 犬走り──屋内外を媒介することの実相 INU-BASHIRI (Eaves’ dropper’s lane): To be interflowed between in-side & out-side 縁側は、近世までは動線としても便利に使われたが、主として屋内と屋外とを媒介する役割を負うものだと説いてきた。し...

『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.186-200

[集中連載 2]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 2 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to History of Architectural Theory: The 1930s 2 | Yatsuka Hajime

4 人文地理学的空間 前回にル・コルビュジエが「フランスの植民地事業への支持を隠さなかった」というコーエンのことばを引いたが、フランスの地理学も植民地事業と切り離せない形で発展した★一。地域への関心と対外進出は文字通り裏腹の関係にあったのである。パリに地理学会ができたのは古く一八二一年で、これは身分制護持を行なおうとす...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.194-207

[CONCEPTUAL 日本建築 4]

第四章──工作編 | 黒沢隆

Towards pre-modern construction system: Development of material merchandize from the early despotism ages | Takashi Kurosawa

19  土台   Sill(DODA'I = foot lyer wood): Civilization stage of wooden building 木造建物の「文明」段階 青森の市街南陵に三内丸山遺跡が発掘されたのは一九九四年のことだ。直径一㍍余におよぶ巨大木柱六本の痕跡などもみつかり、C₁₄測定によって縄文...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.220-233

[現代建築思潮]

討議:建築/統計/アーバン・デザイン──ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』、MVRDV「REGIONMAKER」を端緒に | 田村順子吉村靖孝今井公太郎今村創平日埜直彦

Architecture, Statistics and Urban Design: Bjo/ rn Lomborg, The Skeptical Environmentalist and MVRDV "REGIONMAKER" | Lunko Tamura, Yoshimura Yasutaka, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko

報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した回ではローレンス・レッシグの『CODE』を読みましたが、それがインターネットと規制の問題を扱った本であることにもまして、「限られたリソースをどうやって分配するか...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56

[映画とニューメディアの文法 4]

「データベース映画」と著作権 | 堀潤之

'Database-Cinema' and Copyright | Junji Hori

ニューメディア時代においては、記憶メディア容量の飛躍的な増大にともなって、データベース型の映像作品の製作が容易になった。しかし、前回までに見てきたように、単に「静態的かつ客観的」なデータベースではなく、「データベース」という概念そのものへの批判を含み込んでいるような「動態的かつ主観的」なデータベースを指向しない限り、そ...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.31-33

[都市表象分析 21]

チマタのエロティシズム──映画による夕占(ゆうけ) | 田中純

Eroticism on the Street: YUKE in the Cinema | Tanaka Jun

1 闇の官能化 女優杉村春子を偲んだ文章のなかで、映画監督ダニエル・シュミットは、「映画館とは姿を消すひとつの技法である」と語っている。 「暗闇のなかにまぎれ込んでしまえば、目に見えなくなる。独りで映画館に行き、その映画をわがものにする──見終わったあと、それについて話す必要さえなければ。この神秘は決して長くは続かない...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.2-11

[都市の傷痕とRe=publik 8]

《不定さ》を担う建築──あるいは球形の荒野 | 柿本昭人

An Architecture of "Indefiniteness," or Spherical Wilderness | Kakimoto Akihito

二年間にわたった連載も今回で最終回となった。都市がすべての者に対して開かれてあること。そのためには、「非病理的な」建築、われわれをもう一度デラシネとするような建築が必要である。それがこの連載のテーマだった。最終回の今回は、そうした建築を目指した者のひとりとして、バックミンスター・フラー(=BF)を取り上げようと思う。 ...

『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.31-32

[ピクトリアリズムの現在 2]

鈴木理策《サント・ヴィクトワール山》(承前) | 清水穣

Risaku Suzuki Mt. Ste-Victorie, Part Two | Minoru Shimizu

一九一七年のポール・ストランドの言葉を見よう。「写真家の問題とは、己のメディアの限界と同時に潜在的クオリティを、明確に見極めることである。というのも、生き生きとした表現のためには、撮影されたヴィジョンの強度に勝るとも劣らず、誠実さというものがまさにそこで前提となるからだ。つまり、写真家の前にキアロスクーロで表現されてい...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.13-15

[CONCEPTUAL 日本建築 6]

第六章──外廻り編 | 黒沢隆

Out Looking: Roof shape had been important in the exterior of Japanese architecture. Because one-storied building was typical, specially in the residence. However, at the civilian building in mid-town, wall and the openings design appear clearly at once. | Takashi Kurosawa

31 入母屋屋根  IRIMOYA (semi-gabled) ROOF 屋根型の意味作用 日本建築は屋根の建築だとしばしばいわれる。その屋根の代表は入母屋だとも思われてきた。それでは、入母屋は日本に固有の屋根なのだろうか──。 ちがう。仏教とともに朝鮮からもたらされた。その朝鮮には、おそらく仏教以前に中国からもたら...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.188-201

[技術と歴史 3]

技術と装飾 | 鈴木博之

Technology and Ornament | Suzuki Hiroyuki

一九世紀的建築観の転倒 今日は「技術と装飾」がテーマですが、私にとっての装飾と技術との問題は、近代の問題と関わっています。装飾は近代とは二律背反のものであり、さらに装飾と技術も二律背反である、あるいは二項対立であるという考え方があります。それをもう少し考え直してみたい。それはある意味では近代批判、近代の再検討ということ...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187

[現代建築思潮]

討議:中間的/総括的──現代建築思潮研究会二〇〇三─二〇〇五 | 今井公太郎今村創平日埜直彦吉村靖孝

Medium-term Roundup: Contemporary Architectural Trend Studies, 2003-2005 | Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

議論の新しいスタイル? 10+1──「現代建築思潮研究会」はこれから三年目に入りますが、月例で研究会を行なってきたこの二年間を振り返ってどんなことを考えますか。 今村──この会の立ち上げに当たって、僕は「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフを持っていましたし、日埜さんは「批評の体力みたいなものを鍛えていきた...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28

[Architecture的/Archive的 2]

第2回・MMO現実感の接続面(インターフェイス)としての建築物 | ドミニク・チェン

Part 2: Architecture as Interface of Massive Multi-layer Online Reality | Dominick Chen

第一回では建築概念と記憶概念が情報社会の自己組織性や公共性とどのような対応関係にあるか、オンライン・ゲームという概念を召還しながらマッピングを行なうに留まった。今回は具体的な情報空間的建築物の事例を引きながら、そのマップ上の各要素が接続しあうことによって立ち現われるコミュニケーション様式の実体を露出させていこう。 情...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.15-17

[現代住宅論 2]

建築の四層構造 | 難波和彦

Four Layers of Architecture | Namba Kazuhiko

今回はサステイナブル・デザインの理論的根拠について考えてみたい。そのために、まず建築を総合的にとらえるマトリクスを提案することから始めよう。 ローマ時代の建築家ウィトルウィウスは、建築を三つの条件によって定義している。「強・用・美」つまり、強さ、実用性、美しさである。ウィトルウィウスによる建築の定義は、そのまま近代建築...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.225-233

[音響場試論 3]

RW技術の普及とローカル音響場のグローバル化 | 安田昌弘

The Spread of "Read/Write" Technologies and the Globalization of Local Acoustical Fields | Yasuda Masahiro

録音技術の普及 都市を音の響く場として捉え、さまざまな界隈で響く音の空間的な分布を、社会学的、経済学的、あるいはメディア論的な視点から分析し、パリを定点観測の軸として、都市や文化生産(消費)への理解の新たなとっかかりを見出そうというのがこのコラムの狙いであった。初回では音を囲い込み、より精度よく聴き手に向けて送り出す技...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.38-39

[宇宙建築年表]

宇宙建築構想史 | 村上祐資前島彩子杉岡克俊

A Conceptual History of Space Architecture | Yusuke Murakami, Ayako Maeshima, Katsutoshi Sugioka

宇宙建築構想史① Stillborn Concept 日の目を見ることなく埋もれてしまっている優れたコンセプトたち 「Good artists copy, Great artists steal.」(優れたアーティストは模倣するだけだが、偉大な芸術家は単に真似をするだけでなく、それを自分のものとして取り入れ、より優れた...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.141-148

[特別掲載]

21世紀型オリンピックのための博多湾モデル | 福岡オリンピック制作総指揮室磯崎新石山修武早稲田大学石山修武研究室原田大三郎ドロップイン辛美沙Misa Shin & Co.

The Hakata Bay Model for 21st Century Olympics | Isozaki Arata, Ishiyama Osamu, Ishiyama Lab. (Waseda Univercity), Harada Daizaburo, Drop in, Shin Misa, Misa Shin & Co.

福岡オリンピック計画 2005年より、JOC(日本オリンピック委員会)は、名古屋(1988)、大阪(2008)の世界オリンピック大会会場招致の失敗の反省のうえにたって、2016年の第31回オリンピック競技大会には十分に日本への招致の可能性のある都市が立候補するように働きかけを始めた。数都市が名乗りを挙げたが、立候補意思...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.25-48

[図版構成]

AND PREVI? | Supersudaca田村順子

AND PREVI? | Supersudaca, Lunko Tamura

PREVI──リマ・プロジェクト 南米ペルーの首都、リマにおける1960年代後半に行なわれた最も野心的な建築計画は、長い建築史ではもはや誰も知らない、忘れられてしまった幻の計画と化している。それは人間が初の月面着陸に成功した時代に実現した。国連からの資金提供によって実行に移されたこの計画には当時最も注目されていた建築家...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.193-204

[筑波]

ツクバ・オールドニュータウン | 筑波大学芸術学系貝島桃代研究室

Tsukuba Old New Town | University of Tsukuba Institute of Art and Design Momoyo Kaijima Lab.

ツクバヒストリー 01 MONEY STREAM 筑波研究学園都市は国主導で建設された人工的な都市である。高度経済成長期を背景とし、その建設過程には、様々な人々の夢とともに、莫大な費用が掛けられていた。こうしたつくば建設の背景を、当時の新聞記事と予算記録から建設費の流れに沿って捉えてみた。  伊藤麻依子 研究学園都市構...

『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.112-127

[論文]

ティポロジアと積層する都市組織──空間形成の原点を求めて | 黒田泰介

Tipologia Edilizia and Layered Tessuto Urbano: Seeking the Origin of Urban Formation | Kuroda Taisuke

はじめに 都市とは、人間集団の要求や諸活動に対応して、継続的に形成されていく場である。社会、経済、文化から導かれるプログラムの不断のアップデートに対して、それを動かすアーキテクチャー=建築と都市も、その仕様変更を迫られ続ける。 A・ロッシは『都市の建築』(L’Architettura della Citt , Mila...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.162-170

[フィールドワーク]

Body, City and Architecture──Workshop on discernment and conscious acts | ナンシー・フィンレイ東北大学都市・建築学講座フィンレイ研究室篠儀直子

Body, City and Architecture: Workshop on discernment and conscious acts | Nancy Finley, Shinogi Naoko

3つの中心 三次元的に見た時間・空間 Leonardo da vinci"Schema delle proporzionidel corpo umano"(1485-90) ワークショップ作成の背景     ナンシー・フィンレイ 時間/空間/身体 これは、身体、都市、建築を媒体とする個人の認識と意識的行動に関するワーク...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.162-173

[大名古屋論#1]

純建築としてのダンボールハウス | 長嶋千聡

Cardboard-house as Pure-Architecture | Nagashima Yukitoshi

スキャンデータあり 未アップ ...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.182-197

[フィールドワーク]

パラサイトアーキてくちゃ | 宇野享北川啓介

parasite architecture | Uno Susumu, Kitagawa Keisuke

スキャンデータあり 未アップ ...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.203-218

[建築マップ]

60's→80's→00's→……ARCHITECTURE MATRIX | 岡部友彦佐々木一晋山雄和真

60's→80's→00's→……ARCHITECTURE MATRIX | Okabe Tomohiko, Sasaki Isshin, Yamao Kazuma

スキャンデータあり 未アップ ...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.154-157

[図版構成]

書物と建築のあいだに | 秋山伸

Between Books and Architecture | Akiyama Shin

スキャンデータあり 未アップ...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.71-85

[会議4日目「国土改造」]

小論5:環境ノイズエレメントとしての建築(後編) | 宮本佳明

Column 5: Architecture as Environmental Noise Element (Part II) | Miyamoto Katsuhiro

[小論1(八四頁)からつづく] http://tenplusone-db.inax.co.jp/backnumber/article/articleid/1443/ 《安中環境アートフォーラム》のコンペ応募案(二〇〇三)[図6]は緩斜面に計画したものである。したがって、急斜面に計画した《富弘美術館》とは表面的にはまっ...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.144-145

[イントロダクション]

小論1:環境ノイズエレメントとしての建築(前編) | 宮本佳明

Column 1: Architecture as Environmental Noise Element (Part I) | Miyamoto Katsuhiro

土木と比較する時、建築はその残存可能性の低さゆえに、一般的には環境ノイズエレメント化しにくいと考えられる。しかしいま改めて自分自身の建築設計の仕事を振り返ってみると、そこに今回抽出した環境ノイズエレメントとしてのデザイン手法(Cooking Method、七五─七六頁)がたびたび登場していることに驚く。設計時には必ずし...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.83-84

[連載 10]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 10 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 10 | Yatsuka Hajime

19 植民地都市の政治学 19-1  他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られているが、このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが発表された時、そこには他の集落とともにカスバの空中写真が掲載さ...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192

[リアリティについて 8]

非古典的な時代の建築 | 日埜直彦

Nonclassical Architecture | Hino Naohiko

おそらく建築と文学は人類の技芸として最も古い伝統をもつ分野だろう。長い時間をかけて系統だった建築的思考が形成された。それがいかなるものかつねに明示的であるわけではないにしても、多かれ少なかれわれわれはそれを暗黙の了解としている。例えばなんらかの幾何学により空間に秩序をもたらすこと。工学的知によってそれに必要な性能を与え...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.45-47

[「悪い場所」にて 17]

悪い場所からしばし離れて 転位と遮断、助走と突入、斜角から | 椹木野衣

A Brief Separation from a Bad Place: Transposition and Isolation, and an Approach and Entrance from a New Perspective | Sawaragi Noi

ひさしぶりにロンドンにやってきた。この四月からロンドン市内の大学に附属するリサーチセンターの客員研究員として一年間、籍を置く。テート・ブリテンの隣に位置するこの芸術系の大学(University of the Arts London)は、ロンドン市内のアート系カレッジが統合されてユニヴァーシティになったものだが、訪れて...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.37-39

[連載 9]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 9 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 9 | Yatsuka Hajime

17─4  アパルトヘイト都市? 近代都市計画の最も基本的な構成要素を、面と線、つまりゾーニングの画定とそれらをつなぐ近代的インフラの整備とすれば、それが最も体系的に実践されたのは、ヨーロッパにおいてよりは植民地においてであったのではないか? 少なくともフランスにおいては(あるいは日本においても)これは該当している。近...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199

[ネット公正論──データの逆襲 1]

プロクロニスト・マニフェステーション | ドミニク・チェン

Prochronist Manifestation | Dominick Chen

最終結果だけでなく、そこへの過程も同時に示すような作品。バラバラのカードに記されたノートや、かべにうつされる図や公式とともに上演される。 過程と結果を区別することにどんな意味があるのか? ニューヨーク州バッファロー、一九六八・二・四 集団的創作は、具体的なモデルの上に作曲家・演奏家・聴衆の三つのちがう機能が結合され...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.30-38

[技術と歴史 11]

環境デザインは進化しているか | 小玉祐一郎

Is Environmental Design Evolving? | Yuichiro Kodama

省エネルギーの多様化 建築においても、「持続可能性(サステイナビリティ)」が重要な概念となってきましたが、サステイナブルという言葉の定義が必ずしも明確なわけではありません。ワールドウオッチ研究所の所長をしていたレスター・ブラウンが一九八一年に『持続可能な社会の構築』という本を著し、「われわれの住んでいる環境は先祖からの...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.180-189

[年表]

〈日本近代建築史〉年表 | 早稲田大学戦後建築研究会

AChronology of Modern Japanese Architecture History | The Waswda University Research Group of Postwar Architecture

日本の建築の近代について、これまでにどんな歴史的視点が生まれ、拡がり、変わっていったのだろうか。建築をきちんと考えよう、つまり歴史的に考えようとしたとき、否応なく気付かされるのは、他の多くのものと同じように「歴史」にも、それ自体連続していく歴史が存在するという事実である。私たちを何とはなしに取り囲んでいる枠組みを超えよ...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.164-165

[技術と歴史 12]

デザイン・マインドと資本とのあいだで | 山名善之

Between Design Mind and Capital | Yoshiyuki Yamana

山名善之──ジャン・プルーヴェは、家具デザイナー、エンジニア、プレファブの始祖という言い方がされてきています。もちろん、彼のデザインは個人の卓越した才能によって生み出されたものであります。しかし、プルーヴェに対する私の興味はそこだけに留まらず、彼の制作態度が二〇世紀という時代においていかに実験的であったかというところま...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262

[『日本の民家』再訪 8]

化(ケ)モノ論ノート | 瀝青会中谷礼仁

Note on Kemono | Rekiseikai, Nakatani Norihito

黒い戸 見飽きない写真がある。 故篠原一男設計による《白の家》(一九六六)のモノクロームの内観写真だ[図1]。その家の台所わきの裏口側から眺めた居間の様子が記録されている。村井修撮影によるこの写真の緊張感は、立ちつくす面皮柱、精妙に消え入る天井、開口のプロポーションをはじめとして、白い空間に置かれた家具や小物を含む写り...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.11-24

[都市表象分析 32]

都市表象分析とは何か(二)──自註の試み | 田中純

What is the Analysis of Urban Representation? 2: Attempting Self-annotation | Tanaka Jun

1 写真論と路上観察 前回述べたように、「非都市の存在論」として始められた連載は、ベンヤミンの言う「弁証法的形象」としての両義的寓意を都市に発掘する作業へと重心を移すことにより、徐々に「都市表象分析」へと接近していった。そのきっかけとなったのが、都市写真の分析である(「光の皮膚の肌理」参照)。写真が都市の視覚的無意識を...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.2-10

[東アジア建築世界の二〇〇年]

一九世紀の波、二〇世紀の風 5:第四章 帝国主義化する日本建築──建築・都市の帝国主義 | 村松伸

Series: 19th-Century Waves, 20th-Century Winds 5: Chapter 4: Empire-ization of Japanese Architecture | Muramatsu Sin

四─一  異域の建築的統合 「開化」のかたち 西郷隆盛と勝海舟との協議により、江戸城無血開城が行なわれたのは、慶応四(一八六八)年四月一一日のことであった。最後の将軍徳川慶喜はその前年一〇月一四日に大政奉還を行ない、二四日には将軍職を辞した。翌年二月一二日には江戸城を出て、上野の寛永寺で謹慎している。そして、慶応四年の...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.162-175

[1990年代以降の建築・都市 3]

反フラット建築論に抗して | 五十嵐太郎

Agaist Anti-Flat Architecture | Igarashi Taro

フラット派批判 昨年末、飯島洋一が「反フラット論──『崩壊』の後で 2」という文章を発表した★一。この論は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの世界には外部がないことや、一部の若手の建築家を「フラット派」と呼び、彼らが内向的であることを批判した。ゆえに、スーパーフラット批判の建築論と言えるだろう。このよ...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153

[1990年代以降の建築・都市 1]

アジアのジェネリック・シティとレム・コールハース | 五十嵐太郎

Rem Koolhaas and Generic Cities in Asia | Igarashi Taro

香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選んだ。四日目の朝、目覚めると、香港サイドと九龍サイドに挟まれた海の真中に船は漂っていた。朝靄のなかから海に迫る高層ビル群と山が現われる。感動的な風景だった。もとも...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187

[東アジア建築世界の二〇〇年]

一九世紀の波、二〇世紀の風 4:第三章 手先・シンボル・蕩尽・知の制覇──建築・都市の帝国主義 | 村松伸

Series: 19th-Century Waves, 20th-Century Winds 4 Chapter 3: A Minion, Symbol, Waste and the Hegemony of Intellect: Imperialism of Architecture and City | Muramatsu Sin

三─一 帝国主義とその手先 帝国主義とその発端 一八八七年六月二一日、ほぼ一一五年前のこの日に戻って世界のあちこちを見渡してみたならばその賑やかさには圧倒されたに違いない。とりわけ、その華やかさはイギリス本国、その植民地、そして、イギリス人の多くいる居留地で頂点に達した。ヴィクトリア女王即位五〇周年のゴールデン・ジュビ...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.196-204

[トーキョー・建築・ライナーノーツ 8]

トーキョー・建築・ツアー | 貝島桃代

Tokyo/ Architecture/ Tour | Kaijima Momoyo

内側から見る都市 昨年から今年にかけてヨーロッパの都市を訪ねたときに、いくつかおもしろい都市ツアーを経験した。 はじめは昨年七月にミュンヘンを訪れたときのこと。「日本の小さな家」の展覧会をキュレーションした建築家ハンネス・ルスラーに連れられたミュンヘンのツアーである。「ミュンヘンは自転車でまわるのが一番」という彼は、わ...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.29-32

[都市表象分析 7]

双子の死──パルチザン戦争の空間 | 田中純

The Death of Twins: Space of Partisan War | Tanaka Jun

1 非正規性のグローバル化 二〇〇一年九月一一日、アメリカ合衆国を襲った同時多発テロは、六〇〇〇人にのぼると言われる犠牲者を出し、ニューヨークとワシントンの両都市に大きな傷跡を残した。合衆国国民のみにはとどまらない犠牲者や事件に巻き込まれた人々一人ひとりの恐怖と苦痛は想像を絶している。合衆国の経済と政治(国防)の「象徴...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.2-11

[東アジア建築世界の二〇〇年]

一九世紀の波、二〇世紀の風 6:第五章 建築とオリエンタリズム/ ナショナリズム | 村松伸

Series: 19-th Century Waves, 20-th Century Winds 6: Chapter 5: Architecture and Orientalism / Nationalism | Muramatsu Sin

五─一  オリエンタリズムと「簒奪様式」 畏敬の存続★一 ウィーンのバロック建築家フィッシャー・フォン・エルラッハ(一六五六─一七二三、Johann Bernhard Fischer von Erlach)が『歴史的建築の構想』という世界の建築物を比較した書物★二を、ドイツ語とフランス語で刊行したのは一七二一年のことで...

『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.172-181

[ポスト・ストラクチャリズムの建築 1]

「ポスト構造主義の建築」に纏わる身近な話題 | 丸山洋志

Familiar Topics in "Post-Structuralism" Architecture | Maruyama Hiroshi

とは言ってみたけれど、ポスト構造主義そのものに関する定義・状況説明などは書店の思想・哲学の書棚にあふれているであろうし、その手のディスクールがしかけてくるレトリカルな戯れの背後に潜むものが、結局のところうさん臭いディシプリンとストラクチャーの反復的戦略でしかないことに〈気づいている〉かどうかは別にして、端から「主体であ...

『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.24-26

[都市表象分析 19]

土地の名──青天白日覓亡都 | 田中純

The Name of the Land: Searching for Traces of a Vanishing Civilization on a Fine Day | Tanaka Jun

1 雪岱の東京 ゆきて還らぬなつかしい面影──。 鏑木清方が『小村雪岱画集』に寄せた言葉である。 雪岱は泉鏡花作品の装幀挿絵で知られている。独特に様式化されたその美人画から「最後の浮世絵師」と呼ばれる一方、邦枝完二の『おせん』、『お伝地獄』といった新聞小説のために描いた単色挿絵には、オーブリー・ビアズレーに通じる感覚も...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.2-12

[1990年代以降の建築・都市 5]

自由な建築──坂本一成論 | 五十嵐太郎

Architecture of Freedom: An Essay on Kazunari Sakamoto | Igarashi Taro

重層的な決定のシステム 一九九九年、坂本一成の設計による《HOUSE SA》が竣工した[図1]。ギャラリー・間の坂本一成展「住宅──日常の詩学」が、名古屋の愛知淑徳大に巡回するにあたって、筆者は講演会の聞き手となり、その住宅を見学する機会に恵まれた。言うまでもなく、住宅は美術館や図書館などの公共施設とは違い、なかなか内...

『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204

[ポスト・ストラクチャリズムの建築 4]

三次元曲面と建築術の行方 | 丸山洋志

Three-Dimension Surface and Future of Architecture | Maruyama Hiroshi

最近、大学の設計・製図を教えていてもどかしさを覚えることがしばしばある。設計課題のエスキースとして三次元曲面らしきものを使ったプロジェクトを提出してくる学生に対してである。経験則からいうならば、この手のほとんどの学生は三次元曲面の「自由」さなり、その情動的なイメージに魅了されているだけであり、建築的なリアリティなど端か...

『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.37-38

[写真のシアトリカリティ 4]

壁はチョークで書かれてあった──ブレヒトの「フォトグラム」 | 倉石信乃

The Wall was Written with Chalk: Brecht's "Photogram" | Kuraishi Shino

1 昨年の九月一一日、ハイジャックされた旅客機がビルに衝突するテレビ画像が雄弁に物語っていたことは、「決定的瞬間」が未だ存在し、それは映像化されうるというメディアの自負である。少なくとも私たちの目が飽きるまでは、徹底的に反復されるシークエンシャルなフッテージに組み込まれたカタストロフィックな瞬間は、依然として使用価値を...

『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.29-32

[Cinemascape 1]

映画の無国籍性 | 舩橋淳

The Internationalism of Cinema | Funahashi Atsushi

私の長編第一作『エコーズ echoes』は、概ねアメリカ国内より、ヨーロッパの映画祭や東京国際映画祭での反応のほうが好意的であった。それは、映画を製作していた当時は思いもしなかった地域差であったのだが、そんななか、逆にどこに行っても尋ねられた同じ質問がある。それは「貴方の映画は、アメリカで、英語を使い、アメリカ人ばかり...

『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.31-33

[1990年代以降の建築・都市 4]

世紀の変わり目の建築について | 五十嵐太郎

On Architecture at the Turn of the Century | Igarashi Taro

近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた[図1]。鉄がのたうちまわり、枝や節、そして背骨のような部分がある。さらに光を透過するガラスの屋根がのる。一見して、緑色の異形のオブジェのようだ。有機的な生命体...

『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166

[技術と歴史 1]

文化財になったアメリカの未来住宅 | 松村秀一

The American Future House Registered as Cultural Properties | Matsumura Shuichi

はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる関心のひとつが工業化住宅で、これは二〇年ぐらい前から研究してきました。石山修武先生から「脱工業化の時代になんで工業化なんてやっているのか?」なんて言われながら研...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193

[CONCEPTUAL 日本建築 5]

第五章──関西普請編 | 黒沢隆

Ages of KANSA'I School of Architecture: SAMURAI culture had been grown in far east part of Japan, which fruited to SHOIN Zukuri style, and popularized over Japan under the TOKUGAWA Despotism. However, it was to be swallowed by western (KANSA'I) culture, towards modern ages. | Takashi Kurosawa

25 京間 ZASHIKI in Kyoto way measuring 関西普請は日本を席巻した 昔は、畳や襖をもって引越したものだ、そういう話を聞くことがある。 どうしてそんなことができるのか、真剣に考えこんだ建築家や工人は多いのではないか。内法高さは前章でみたように、全国的な統一があろう。だから襖や障子は可能か...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.306-319

[「悪い場所」にて 8]

美術と建築の逆転 | 椹木野衣

Reversal Between Art and Architecture | Sawaragi Noi

いま、「美術」の状況はどうなっているのか。たとえば数年前から、かつて八〇年代の「ニューペインティング現象」とはあきらかに異なる意味で、絵画への回帰が起こっている。視覚芸術の原点に帰るといえば聞こえはよいが、実際には、九〇年代なかばくらいから美術の世界をも覆い尽くし始めたグローバル資本主義と、アートマーケットからのプレッ...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.13-15

[連載 3]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 3 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 3 | Yatsuka Hajime

8 機械の独裁──テーラー主義 第一次大戦後のフランスは、フランス的な特質を保ちながらもドイツに(そしてすでに世界一の強国であることを誇示したアメリカに)遅れを取らない産業─社会の近代化を成し遂げなければならなかったわけだが、この課題を果たすには、まず効率的な大量生産を可能とする技術革新の導入の必要があった★一。前回に...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.291-305

[シンポジウム]

カウンターカルチャーと建築──アーキグラムの一九六〇─七〇年代 | ピーター・クックデニス・クロンプトンデヴィッド・グリーンマイケル・ウェブ磯崎新五十嵐太郎

Counterculture and Architecture: Archigram's 1960-70s | Peter Cook, Dennis Crompton, David Green, Mike Webb, Isozaki Arata, Igarashi Taro

アーキグラムとカウンターカルチャー 五十嵐──「アーキグラムの実験建築一九六一─一九七四」展は、展示の構成を巡回しながら少しずつ変えていくもので、アーキグラムの手法や雰囲気がすごくよく出ていると思います。これは、このシンポジウムに先だって行なわれたアーキグラムのメンバーによるレクチャーと似ているという気がしました。つま...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184

[論考]

南方主義建築の系譜──南のモダニズム・フランス植民地での実践 | 大田省一

A Genealogy of the Architecture of "Austral-ism": The Modernism of the Equatorial South in French Colonial Practice | Ota Shoichi

熱帯型の建築 今の世の中から植民地主義の時代を顧みるとき、またその枠組みのなかでの建築家の活動をみるとき、植民地主義は、まさに、建築家が本国とは異なった環境と出逢う契機を与えたと言える。 ヨーロッパを出て、植民地の開発のために建築家が出向く先は、アフリカ、アジアの熱帯地域がそのほとんどを占めた。地中海の向こうに広がる、...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.195-204

[都市とモードのフィールドノート 4]

インティメイト・アーキテクチャー | 成実弘至

Intimate Architecture | Hiroshi Narumi

建築とファッションの境界が揺れ動いている状況を見てきた。 表参道や六本木には有名建築家の手になるブランドの旗艦店が林立し、そこは高価な商品とともに現代建築をも消費する場所となっている。住宅やインテリアもブームになり、書店に行けば建築やモダン・デザインを特集するライフスタイル雑誌があふれている。 これまで建築とファッショ...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.34-36

[ブック・レヴュー]

ジャック・デリダ『コーラ──プラトンの場』 「場」のおののきを聞く | 廣瀬浩司

Jaques Derrida, "Khoa": Recognize Baeven on Ortes | Hirose Koji

「コーラ」とは、プラトンの宇宙創世論『ティマイオス』の用語で、場所のこと、それもたんなる空虚な場ではなく、そのなかに何かがあったり、誰かが割り当てられて住んでいるような場所のことである。製作者であるデミウルゴスは、範型となる形相を眺めながら、それをモデルとして感覚的な似像を作り出すのだが、そうした似像がかたち作られたり...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.44-46

[インタヴュー]

「アーキラボ」/あるいは建築のキュレーションについて | マリ=アンジュ・ブレイエ今村創平

"ARCHILAB"/Or Curate an Architecture | Marie-Ange Brayer, Imamura Sohei

「アーキラボ」について 今村創平──マリ=アンジュさんは「アーキラボ」展に関連して多くのインタヴューを受けられ、すでに質問されることにはうんざりされていることとは思いますが、よろしくお願いします。これまでのインタヴューはみな、森美術館での展覧会についてのものだったかと思います。今日はそうではなく、「アーキラボ」という活...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158

[都市表象分析 10]

類推的都市のおもかげ──ノスタルジックな形態学 | 田中純

Trace of Analogical City : Nostalgic Morphology | Tanaka Jun

1 類推の魔とノスタルジア 第二次世界大戦後間もないころ、東欧の若い建築家ボクダン・ボクダノヴィッチ(のちのベオグラード市長)は、気晴らしに夢の都市の平面図や鳥瞰図を描くことを習慣にしていた。彼は連想のおもむくまま、それまで目にしたことのあるあらゆる都市の美しい街路や広場、建物などをそこに集めたという。のちにエジプトの...

『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.2-10

[ポストモダニズムと建築 7]

野性的領域に向けて | 日埜直彦

Toward Frontier of Architecture | Hino Naohiko

ローマ帝国の崩壊とともに失われた古典建築の伝統、その廃墟を横目に見ながら建築をゼロから始めたロマネスク期の建築、そんなコントラストが近代建築と現代建築の間にもあるのではないか。いかにも大げさなこの仮説がこの連載の端緒であった。このような問題設定は唐突でほとんど時代錯誤的に聞こえるかもしれない。だがある意味では現代を問う...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.30-31

[現代建築思潮]

討議:フォールディング・アーキテクチャー 横山太郎──《横浜大さん橋国際客船ターミナル》/ジン・ヨハネス──プロジェクト・スタディを交えて | 日埜直彦今井公太郎今村創平吉村靖孝横山太郎ジン・ヨハネス

Folding Architecture: Crossing Views; Taro Yokoyama, "Yokohama International Port Tarminal", Gin Johannesヤ Project Studies | Hino Naohiko, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Yoshimura Yasutaka, Yokoyama Taro, Gin Johannes

フォールディング・アーキテクチャー──その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ  日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Architecture, Concise Genealogy of the Practice” 二〇世紀末におけるまったく新しい建築を求める議論からフォールディングは登場...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62

[東アジア建築世界の二〇〇年]

一九世紀の波、二〇世紀の風 7:第六章 都市と建築の「直接継承感」 | 村松伸

Series: 19th-Century Waves, 20th-Century Winds 7: Chapter 6: City and Architecture's Modernity | Muramatsu Sin

[第五章つづき] 五─三  中国人建築家の覚醒とナショナリズム 東遊と過去からの「分離」 中国で「建築」が意識的に学ばれ、建築の「中国」が自覚されるのはいつからのことだろうか。もちろん、一八六〇年代に始まった洋務運動ではない。そこで用いられたスローガン「中体西用」に端的に現われているように、西洋の技術はこの時、中国にと...

『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.212-224

[東アジア建築世界の二〇〇年 1]

なぜ、東アジア建築世界の二〇〇年か──一九世紀の波、二〇世紀の風 | 村松伸

Why Is There 200 Years of World Architecture in East Asia?: 19th-Century Waves, 20th-Century Winds | Muramatsu Sin

〈一 アジア近代建築をネットワークする〉 一─一 二〇世紀末、アジアを巡る 二〇世紀最後の年の二〇〇〇年、ぼくはあいかわらず、アジアを中心にあちこちをとびまわっている。三月にハノイ、五月ソウル、六月イランに赴き、後半は七月広州、九月台湾と北京、一〇月ニューヨーク、一一月バンコクへと旅が続いた。たまたま、重なった旅の目的...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.189-200

[CONCEPTUAL 日本建築 1]

第一章──導入編 | 黒沢隆

Approaching to Japanese Style: SHOIN Zukuri Style has been a dwelling House for salaries class up to 20c, SAMURAI were first salaried men who were the exective above all. | Takashi Kurosawa

01 続き間 Room to room continuity 「二室住居」は都市型のすまいの特徴 日本間の特徴が「続き間」にあることは論をまたない。 それでは「続き間」とは何か。 部屋が連なっていることは明らかだが、部屋が連結されていることを言うのか。あるいは、連続していることを言うのか。この場合、少なくともふた部屋...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.214-224

[建築の解體新書 3]

建築の訓読を巡っての書簡 | 岡崎乾二郎中谷礼仁

Notes on Literal and Metaphoric Readings of Architecture | Okazaki Kenjiro, Nakatani Norihito

詞の通路(かよひみち)と、建築の通路……岡崎乾二郎1 たとえば時枝誠記は、詞と辞に対立させて国語(日本語)を考えることの先駆を、鎌倉時代に書かれた『手爾葉大概抄』に見出しています。時枝による引用箇所を再び引くと、そこには、次のように書かれています (『対人関係を構成する助詞助動詞』より) 和歌の手爾波もの、(…中略…...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.206-225

[現代建築思潮]

[討議/ブックガイド] 建築情報の受容再考 「正統性」から「生産性」へ/文化の受容・翻訳・発信を考察するためのブックガイド20 | 今村創平今井公太郎日埜直彦吉村靖孝

From Orthodoxy to Efficiency/ 20 Book Guides for the Study of Reception, Translation and Transmission of Culture | Imamura Sohei, Imai Kotaro, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りました丸山真男『日本の思想』、吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『批評とポストモダン』からの抜粋についてです。これらでは日本では何かを構築しようとしても難しく、特に...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54

[グローバリズム 4]

アジアの〈栄光©〉と〈悲惨©〉 | 八束はじめ

Asian〈Glory©〉and 〈Misery©〉 | Yatsuka Hajime

1    東京  二〇〇三 vs 東京計画一九六〇 vs ドバイ二〇〇? 東京のど真ん中に誕生したばかりの新しい都市、「六本木ヒルズ」のそのまた中心を占めるタワーは武士の鎧をイメージしたのだという。設計者は日本人ではなくアメリカのKPFである。名古屋にもフランクフルトにも、もちろん本拠のシカゴにもタワーを建てているいわ...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220

[現代建築思潮]

[討議] 法規から解読(デ・コード)する建築/都市──建築法規とローレンス・レッシグ『Code』をめぐって | 吉村靖孝今井公太郎今村創平日埜直彦

"DE-CODE"ing Architecture /City:On Building Regulation and Lawrence Lessi, Code | Yoshimura Yasutaka, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko

コードとデ・コード 吉村靖孝 今日は「コードとデ・コード」と題して、ローレンス・レッシグの『Code──インターネットの合法・違法・プライバシー』(翔泳社、二〇〇一)という著作と、僕がすすめてきた「デ・コード」というフィールドワークとの関係について話したいと思います。 まず「デ・コード」ですが、これは法規をガイドとして...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.47-54

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]

チャールズ、チャールズ──ポスト・モダンの折衷主義と保守主義 | 五十嵐太郎

Charles vs. Charles: Postmodern Eclecticism and Conservatism | Igarashi Taro

二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築言語』(一九七七)は、このように第一部の冒頭でミノル・ヤマサキが設計したプルーイット・アイゴー団地が爆破された事件を劇的に紹介する★一[図1]。この団地は犯罪率...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236

[連載 5]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 5 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 5 | Yatsuka Hajime

知の宮殿「ムンダネウム」14 14-4 クライアントと建築家:奇妙なチャートあるいは機能主義 ムンダネウム─世界都市のプロジェクトの敷地は、国際連盟本部の敷地にほぼ隣接している。もともとオトレの構想は国際連盟のそれと連動していたし、彼はその方面にも有力な関わりがあったから、敷地の選択がこうであったのは偶然ではない★一...

『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174

[ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ 1]

Winny──「脱社会性」の可能性 | 濱野智史

Innovation Social-ware Study 1 ── Winny: the Possibility of a 'De-Social Nature' | Hamano Satoshi

「ソーシャルウェアのイノヴェーション・スタディ」と題した本稿が企図しているのは、ローレンス・レッシグが「アーキテクチャ(Architecture)」と呼び(Lessig[1999=2001])、東浩紀がこれをフーコーの権力論と対比することで導き出した「環境管理型権力」の概念(東[二〇〇二─二〇〇三])を継承しつつ、それ...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.23-24

[1990年代以降の建築・都市 20]

距離のねじれを生む、ガラスのランドスケープ──妹島和世論 | 五十嵐太郎

Architecture and the City after the 1990s 20──Glass Landscape Forming Torsional Distance: Kazuyo Sejima | Igarashi Taro

神殿ではないということ 東京から二時間半ほどのドライブで、過疎化が進む地方の小さな街につく。妹島和世は、世界的に活躍する日本の女性建築家だが、東京にはまだ主要な大型の作品がなく、こうした地方にいくつかの公共施設を手がけている。とくに鬼石町のような山岳部は、空爆を経験せず、また戦後の高度経済成長の影響もあまり受けなかった...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.21-22

[『日本の民家』再訪 2]

準備編 | 中谷礼仁

Preparatory Edition | Nakatani Norihito

前号から「再訪『日本の民家』」の連載が始まった。この連載の基本にして最終の目標は、今和次郎が一九二二年に刊行した『日本の民家』という本を片手に、そこに紹介された民家の現在をすべて見て歩き、記録し、可能な限り紹介し、それによってこの一世紀近くの日本の変容を検討することである。それを建築レヴェルではなく、それが生えている大...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.13-20

[Cinemascape 2]

人生の複雑さを受け止めるために──反メソッド論 | 舩橋淳

Securing the Complexity of Lifes: Anti-Method Theory | Funahashi Atsushi

拙作『エコーズ echoes』の撮影前、私の英語力の問題から、演出上のコミュニケーションを助ける方策が何かないものだろうか、と考えた。プロダクション前のリハーサル時、俳優たちには、私の言語能力の限界を補い助けるよう求め、彼ら自身の言葉で台詞を言い換えることを注文した。この方法論により、台詞を厳密な意味で脚本通りに再現す...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.29-31

[ポストモダニズムと建築 3]

『ユーパリノス』註解 | 日埜直彦

Note on "Eupalions" | Hino Naohiko

前回は近代建築がその理念として掲げた「機能主義」や「幾何学性」が、その起源を遠くギリシャに遡りうる、それ自体としては古典的な理想であったことを見たが、今回は近代初期における建築のイメージと古典性の抜き差しならぬ関係を端的に見せてくれるひとつのテクストを参照しながら、近代主義において古典性が占める位置をより接近して見てみ...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.42-44

[都市とモードのフィールドノート 3]

ファッションと建築の近さについて | 成実弘至

On Fashion and Architecture | Hiroshi Narumi

現代日本の建築とファッションは元来西洋から輸入されたものである。 それぞれ経緯は異なるにせよ、長い間かかって人々が生活や歴史の蓄積のなかで醸成した文化を駆逐する形で、近代以降に性急に根づかせてきたという事情はだいたい同じだろう。もちろんそのなかでさまざまな折衷や異種混交が試みられてきたし、そのような雑婚からしか文化とい...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.37-39

[都市とモードのフィールドノート 1]

ブランド化する建築 | 成実弘至

Brand Architecture | Hiroshi Narumi

いつか大学の同僚との会話のなかで、建築とファッションには共通するところが多いのだから、両方とも同じコースで教育すればいい、と利いた風な意見を述べたことがある。すると建築家でもある同僚は居ずまいを正して、いや自分はファッションと思ってものをつくったことはないし、建築とファッションは根本的に違う、ときっぱり応えたのであった...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.30-32

[現代建築思潮]

ダイアローグ:「現代建築思潮研究」のための序 | 今村創平日埜直彦

Dialogue: Overture to "Studies on the Ethos of Contemporary Architecture" | Imamura Sohei, Hino Naohiko

「批評」は必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフがまずあります。そして、そこにはとりわけわれわれの世代は上の世代と比べて言葉が弱いのではないかという前提があります。したがって、『10+1』誌の他のページとの違いは、この研究会の主体は、周...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42

[現代建築思潮]

Exibition Reviwe:スペース・インベーダー: 建築という領域の拡張、そして侵犯 展覧会「SPACE INVADERS──クロスオーバーから生まれる建築」展から | 納村信之田島則行

Exibition Reviw : SPACE INVADERS: Invasion and Extension of the Architectural Domain | Nomura Nobuyuki, Tajima Noriyuki

一九六〇年代の半ばに旗をあげたイギリスの若手建築家たちは今、EU統合をきっかけに訪れたイギリス好景気の波にのり、軽快なフットワークで「建築」という領域を拡張し続けている。旧態依然とした業界の体質には染まらずに、また厳格な「建築家」という職能領域やスタイルにもこだわらず、ますます多様化する今日の都市状況の中で水を得た魚の...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.27-31

[ポストモダニズムと建築 1]

「暗黒」から建築を建ち上げる | 日埜直彦

Building up the Architecture from "Dark" | Hino Naohiko

建築を建築として見るようになった頃から、どうもロマネスクの建築というのが気になってしようがない。御多分に洩れず学生の頃ヨーロッパに行き近代建築など忙しく見て回ったが、そういう見方とは少し違う欲望に促されてロマネスクの修道院を巡り、各地の田舎をうろついた。そもそも出かける前の下調べをしている時点では、何の気なしに一つ二つ...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.18-19

[現代建築思潮]

オランダ現代建築をめぐって | 今村創平今井公太郎日埜直彦吉村靖孝

On Dutch Present-day Architecture | Imamura Sohei, Imai Kotaro, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったたくさんのチューリップを見るのはうんざり、と思ったなどいくつか理由はある。とにかく、チューリップを見たいとは思わなかった。友達は一緒に行こうと強く誘った。彼がそう...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46

[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 2]

建築職人ウィトルウィウス──弱い技術 | 中谷礼仁

Architecture Craftsman Vitruvius: Weak Technology | Nakatani Norihito

1 建築職人ウィトルウィウス はたしてウィトルウィウスは建築家だったのだろうか。 あらためていうまでもなく、彼の著した『建築書』(De Architectura Libri Decem)は、「西洋建築」の体系がかたちづくられるにあたって、その初源となった。同書は一四一五年にセイント・ゴールの大修道院図書館で再発見され、...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.12-25

[現代建築思潮]

討議:部分的/離散的──ヨコミゾマコトと藤本壮介の建築 | 藤本壮介ヨコミゾマコト今村創平今井公太郎日埜直彦吉村靖孝

Divisional and Discrete: Yokomizo's Architecture and Fujimoto's One | Fujimoto Sosuke, Yokomizo Makoto, Imamura Sohei, Imai Kotaro, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

セシル・バルモンドの『informal』を読む 今井──前回、オランダ建築の話をするなかで離散型に関する話題が出てきました。そして連続ではなく不連続、コンクリートでなくディスクリートなものにいったい何があるのか、どういった美学が潜んでいるのか、という興味が出てきたわけです。そこで、新しいディスクリートな建物の構造を、O...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52

[都市とモードのフィールドノート 2]

アイデンティティの空間体験 | 成実弘至

Spacial Experience of Identity | Hiroshi Narumi

あなたはいつ、どこで自分の外見を見るだろうか。 個人差、男女差、世代差もあるが、おそらく男性読者の方々は、鏡を携帯して自分の顔を頻繁にチェックすることはあまりないにちがいない。数少ないその機会といえば、洗面所や風呂場でつかの間に映しだされる自分の姿を軽く一瞥するときだろうか。それとも証明写真やスナップショットに残る曖昧...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.36-38

[ポピュラー文化としての都市空間 2]

まちがいから豊かさへ | 矢部恒彦

The Wealth Produced from the Fault | Tsunehiko Yabe

こうしてスケートボーディングは、まるで思いどおりにできるような物体からなる巨万の富によって、しかし祭りとは違い、金を浪費することも物を実際に所有することもなしに作動する。 イアン・ボーデン 『スケートボーディング、空間そして街』★一 僕が勤めるキャンパスで三人の開拓者がスケートを始めてから何年かたつ。いまでは人...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.34-35

[建築の還元 4]

表現することの方法と基準をめぐって──仮構の記述 | 南泰裕

On the Methodology and Criteria of Representation:A Description of Hypothetical Construction | Minami Yasuhiro

1 判断と知覚、およびその審級 二〇世紀の終わりを締めくくる最後の一〇年は、建築が、レイト・モダンの波をも受けてミニマルなものへの志向を発現させ、ひとつの表現の磁場を作ってきたように見える。それらの多くは、形態上の新しさという可能性を自ら断念し、プライマリーな立体のみを空間の母胎(マトリクス)として抽出し、皮膜としての...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220

[東アジア建築世界の二〇〇年]

一九世紀の波、二〇世紀の風 2:第一章 ゆるやかな建築の再編 | 村松伸

Chapter 1: A Gentle Re-organization of Architecture | Muramatsu Sin

一─一 モデル都市シンガポール ラッフルズのユートピア トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(一七八一─一八二六)がシンガポールに足を踏み入れ、海岸沿いの地にユニオン・ジャックの旗を立てたのは一八一九年一月二九日のことだった。東アジア、そして、東南アジアの都市・建築が「近代」へと向かう契機となった小さな小さな都市シンガ...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.181-194

[翻訳論文]

/区分線をねじる/(後編) | ジェフリー・キプニス川田潤

/Twisting the Separatrix/ (Part III) | Jeffrey Kipnis, Jun Kawata

ここまで、このコラボレーションに対する期待を概説し、その期待が必然的に遭遇したゆがみや留保を指摘してきた。これによって多くのことが得られているだろうか。あるいは、このイヴェントを通じて最も険しい道をたどることによって、最も楽な道をとったのだろうか。会合の記録とデザインを調べれば、速やかかつ正確に、これまで議論してきた以...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.171-185

[批評]

インタラクティヴェーター──進化論的デザインの試み | ジュリア・フレーザージョン・フレーザー+横山亮

Cyber-Architecture:Towards Universal Procedures | Julia Frazer, John Frazer, Yokoyama Ryou

私たちは誤ってサイバースペースに落ちた。ロンドンのアーキテクチュラル・アソシエーション・ギャラリーで自著『進化論的建築(An Evolutionary Architecture)』についての展示を準備している最中に。私たちはこの展示と本★一によってアーツ・カウンシルの助成金を与えられていたが、あとになって、これを授与さ...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.90-99

[批評]

ヴァーチュアル・ワールドの逆説的イメージ 空間と場の新たな理論構築へ向けて | ジョン・フレーザー+横山亮

The Paradoxical Image of the Virtual World: Towards a New Theory of Spaces and Places | John Frazer, Yokoyama Ryou

私たちはまず自分の個人的目的のためにサイバースペースをつくりだし、それから他の人びとを招きいれて、その空間を共有する。サイバースペースの本質をどう理解するかについては見解の分かれるところであるし、私のアプローチが特別にすぐれていると主張する気もない。私自身はある目的のための手段としてサイバースペースを利用しだしたが、そ...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.100-103

[批評]

ニューロマンティック・アーキテクチャー──コンピュータ革命の建築 | スティーヴ・パーネル+後藤武

Neuromantic Architecture: Architecture of the Computer Revolution | Steve Parnel, Goto Takeshi

建築は社会的な芸術の最たるものであり、社会の変化に対応しなければならない。ある社会の文化と洗練の度合いは、しばしばその社会の器である建物によって判断される。情報革命の今日でもそれは変わらない。サイバースペースは、メディアの想像力を虜にし、コンピュータはテクノロジーの進展と経済の成長とともにハイパー化に対応してきた。しか...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.70-75

[批評]

サイバーアーキテクチャー──普遍性をもった手続きの構築へ向けて | 浜田邦裕

Cyber-Architecture:Towards Universal Procedures | Hamada Kunihiro

サイバーアーキテクチャーはあるか サイバーアーキテクチャーという語はまだない。このところ、新聞、雑誌で目にする機会の増えたサイバースペースという言葉にしても、説明してみろと言われたら、はっきりと答えるのはむずかしい。だが、この先何年かの技術と社会の関係を考えたとき、コンピュータ・ネットワークが、どこかの新しい扉となって...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.44-53

[論考]

分断せよ、さらば滅びん☆一 ──アメリカのゲーティッド・コミュニティをめぐって | エドワード・J・ブレークリーメアリー・ゲイル・スナイダー佐藤美紀

Divided We Fall: Gated and Walled Communities in the United States | Edward J. Blakely, Mary Gail Snyder, Sato Miki

ゲートで閉ざされるアメリカン・マインド アメリカにおいてハウジングや教育、公共交通機関や宿泊施設など、あらゆる場での差別が法的に禁じられてからすでに三〇年以上が経過している。しかし今日、われわれは差別の新しい形を目の当たりにしている。それはゲート(門)と壁で区切られたプライヴェートなコミュニティだ。アメリカ人は私的領域...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.194-204

[批評]

非環境破壊性・複合性・サイバースペースに関する現代理論の収束──建築はどこへ行くのか | マニ・ラストラージ+横山亮

The Convergence of Contemporary Theories of Sustainability, Complexity, and Cyberspace: Where is Architecture Heading? | Manit Rastogi, Yokoyama Ryou

本稿では、本質的に異なると思われるような三つのテーマをとりあげる——すなわち、社会的に目覚めつつあるエコロジカルな意識、複 合 性(コンプレクシテイ)に関するニューサイエンスがきりひらいた新空間、そして、コンピュータ・テクノロジーという環境が社会と文化にもたらす影響。本稿は、この三つのテーマを収束させることにより、応用...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.104-119

[批評]

インフォメーション・アーキテクチャー──ヴァーチュアルな環境の表現 | ラリー・バークス+横山亮

Information Architecture: The Representation of Virtual Environments | Larry Burks, Yokoyama Ryou

ひとつのアイディアを具体的なかたちで表現すること——私たちはそれを、毎日、話をするたびに行なっている。私たちが話しはじめるときは、すでにアイディアを抱いている。脳はこうしたアイディアを音に変換する——話言葉(スピーチ)という音に。話言葉は単語とセンテンスからなり、この両者もまたデザインされなければならない。私たちが、話...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.120-133

[批評]

「節合」する都市論──アーバン・スタディーズからカルチュラル・スタディーズへ | 毛利嘉孝

On the Articulated City: From Urban Studies to Cultural Studies | Mori Yoshitaka

一九七六年夏、ノッティングヒル・カーニバル。その翌日の新聞は、この年のカーニバルを「この夏一番暑い日」と報じた──。 八月の最終週のバンク・ホリデイを含む二日間、ロンドン市内の北西部のノッティングヒル・エリアではヨーロッパ最大のカリビアンのカーニバルが開催される。ハイドパークの半分にも満たない面積のこの地域に最近では二...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.141-153

[批評]

ヴァーチュアリティへの意志、西洋の没楽 | アーサー・クローカー+瀧本雅志

The Will to Vertuality | Arthur Kroker, Takimoto Masashi

痙攣を司る僧侶の死 現時代は、長引く没楽、おそらくは終了不能な没楽の時代である。われわれは禁欲的な僧侶と目を見張らせる驚嘆すべき者とを(決して終わらぬかもしれぬ)終わりに見出すだろうと言ったニーチェの予言は的中したが、後者に限っては、結局緊張下で悪性へと転じてファシストになってしまった。禁欲的な僧侶は、しかし決して変わ...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.109-124

[批評]

サイバーシティという想像的な現実の世界──電子コミュニケーション時代の都市 | M・クリスティーヌ・ボイヤー毛利嘉孝

The Imaginary Real World of CyberCities: The City in the Age of Electronic Communication | M.Christine Boyer, Mori Yoshitaka

ウィリアム・ギブスンが、そのディストピア(反ユートピア)的なSF小説『ニューロマンサー』(一九八四)の中で、サイバースペースと呼ばれる新しい情報ネットワーク、あるいはコンピュータ・マトリクスが上空五◯◯◯フィートから見たロサンゼルスのように見える、と言った時以来★一、コンピュータ・ネットワークのヴァーチュアル・スペース...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108

[批評]

三次元仮想空間表現技術:VRML──建築分野における可能性 | 山本精一

Techniques for Representing Three-Dimensional Virtual Space: The Architectural Potential of VRML | Yamamoto Seiichi

三次元仮想空間とインターネット 一九六○年代のIBMに代表される大型(汎用)コンピュータの出現以来、コンピュータは高速化及び適用分野の拡大に伴って、単なる数値計算以外の極めて幅広い分野にまで導入されるに至っている。したがって、その社会インフラ的な側面を考えると、コンピュータは現代の社会生活と切っても切れない存在となって...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.141-151

[論考]

イームズ自邸についての考察 | ビアトリス・コロミーナ後藤武

Beatriz Colomina | Beatriz Colomina, Goto Takeshi

だからともかくも、私にとってそう見えるのかもしれないが、ミースを通して、ミースの多くを拒絶することを通して、しかしそれでもミースを通して、《イームズ自邸》は生まれた。それはまったくオリジナルで、まったくアメリカ的だ。 ピーター・スミッソン★一 出版された最も古いその住宅の写真には、トラックが一台写っている。トラックは...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181

[批評]

バウハウスの図的表現──その建築における軸測投象の使用について | 加藤道夫

Bauhaus and Graphic Representation: Architectural Applications of Axonometry | Kato Michio

1  新たな空間表現 バウハウスの建築の図的表現を特徴づけるもののひとつとして軸測投象(axonometric projection)★一の使用を挙げることができる。 軸測投象の使用は後述するように二〇世紀初頭のモダニスム建築の台頭と並行関係にあるが、バウハウスもその例外ではなかった。一九二三年のバウハウス展に際して公...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.185-195

[論考]

戦前の建築評論家の建築観 | 藤岡洋保

The Prewar Critic's View of Architecture | Fujioka Hiroyasu

一 「建築評論家」の登場 建築批評家(または評論家)という存在は、数は多くないものの、現代においてはひとつの職能として認知されている。「批評家」(「評論家」)をどう定義するかにもよるが、ここではそれを近代になって誕生した職能のひとつと見なして、初期の建築批評家(評論家)たちを中心に、この職能が成立した背景や、彼らがより...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.77-86

[論考]

史学・民俗学・解釈学──今和次郎再考 | 黒石いずみ

History, Folklore, Critical Studies: Wajiro Kon Reconsidered | Kuroishi Izumi

カルロ・ギンズブルグ 一九七三年にジョセフ・リクワートが『アダムの家』を著わしたとき、イギリス建築史学会の重鎮E・H・ゴンブリッチは、その書のタイトルが「天国の家」であるのにかかわらず実際は「地上の家」を扱うものだったことを揶揄した。そして、その論理が推測によって異なる文脈にあるものを連結することで成り立っており、歴史...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.87-98

[対談]

「日本近代建築史」の中の「日本建築史」 | 八束はじめ五十嵐太郎

mail Dialogue: A "History of Japanese Architecture" in the "History of Modern Japanese Architecture" | Yatsuka Hajime, Igarashi Taro

1 八束──今回の特集では、作家や作品というよりも広義の意味での言説を中心に明治以降の近代建築史を概観するという趣旨で、ここでは「建築史」という言説タイプを取り上げようと思います。いろいろと「日本近代建築史」に関するテクストを読んでいると、当り前のことですが、それらもまた歴史の一部であるということを改めて感じないではい...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76

[批評]

フェロポリス──工業社会の改変 | ロルフ・ザクセ大口晃央吉田治代

Ferropolis - oder vom Umbau der Industriegesellschaft | Rolf Sachsse, Okuchi Akio, Yoshida Haruyo

大晦日の午後五時頃、落陽のなかで、五〇代半ばの女性が遮断機の前にある車両の脇の小さなモミの木の所に立ち、クリスマス・ボールを幾つか取り外している。その前に彼女は、連邦共和国の 西側から来た私たち、女性都市計画家、写真家、そしてそのほかの二人の客人をゲレンデの向こうまで案内してくれたのだ。年齢的な問題で、彼女は、雇用創出...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.90-102

[批評]

デジタル・アーバニズムはいかに都市的か?──プログラム化された双方向性への批判に向けて | ヴァルター・プリッゲ大口晃央吉田治代

Wie urban ist der digitale Urbanismus?: Zur Kritik der programmierten Interaktivitat | Walter Prigge, Okuchi Akio, Yoshida Haruyo

都市社会学者ヴァルター・プリッゲは、ヴァーチュアル・シティが約束する新たな都市性を探究している。ラディカルな変化の可能性は、今やヴァーチュアルな空間に開示され、最早、公共のための文化ではなく、公共による新たな文化が約束されている。しかしこのような未来の可能性は、いまだに古い構造の中に捕われている。果たして、デジタル・ア...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.81-89

[論考]

直線か、曲線か──伊東忠太と岸田日出刀を中心に | 五十嵐太郎

A Straight or Curved Line?: With a Focus on Chuta Ito and Hideto Kishida | Igarashi Taro

焦土の幾何学 「あーきれいだ、絵画的だなー」★一。 疎開先の山梨から東京に戻り、強い夕日を受けた褐色の焼跡を見て、甚だけしからないことだと思いつつ、東京帝国大学教授の岸田日出刀はこうした感想を抱いた。彼にしてみれば、戦前の「街の姿のあまりの醜さを毎日みせつけられてウンザリしていた」し、防空の観点から木造都市の危うさをさ...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129

[論考]

第三日本という墓碑銘──日本工作文化連盟の視座と射程 | 矢代真己

Epitaphs for the Third Nippon: The Views and Parameters of the Nippon Plastic Culture Association | Yashiro Masaki

一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろう丹下健三まで、広範にわたる世代の会員、約六〇〇名を参集させた一大組織であった。 「生活の全的な立場」を主題に、建築を含めた造形行為全般を「工作」と捉えることで...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142

[批評]

バウハウスと論理実証主義 | 米田明

Bauhaus and Logical Positivism | Yoneda Akira

一九二六年一二月四日に催されたデッサウのバウハウス新校舎の落成式には、一五〇〇人以上の来賓が出席した。彼らは、主要な政治家、経済人、官僚たちに加え、内外から招かれた著名な建築家、芸術家、学者らであった[図1]。ハンネス・マイヤーは、そのなかのひとりとして初めてバウハウスを訪れる。かつての「ABC」グループでの同志であっ...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.174-184

[批評]

光のなかの創造──アクト・バウハウス一九一九―一九九九 | 伊藤俊治

Luminescent Creations: Akt Bauhaus 1919-1999 | Ito Toshiharu

1 自然と共同体 一九八九年のベルリンの壁崩壊以降、三度、ワイマール、デッサウ、ベルリンというバウハウスの短い歴史の足跡をたどる旅を繰り返した。その旅のなかで特に強い印象を受けたのは、ワイマールやデッサウという旧東ドイツ領にたたずむバウハウスゆかりの古い建物や場に秘められた繊細な気配のようなものだった。あるものは廃墟と...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.143-165

[論考]

「日本近代建築」の生成──「現代建築」から『日本の近代建築』まで | 倉方俊輔

The Formation of Modern Japanese Architecture: From "Contemporary Architecture" to the "Modern Architecture of Japan" | Kurakata Shunsuke

はじめに 今回の特集もその一環なのかもしれないが、近年、日本の「近代建築」、「モダニズム」に関する議論が盛んだ。例えば、個人を対象とした実証的な取り組みがある。「近代か反近代か」という思想構造の中で、ともすれば取りこぼされていた作業であり、そうした区別を再編することにもなろう。それに伴って、「近代=戦前」/「現代=戦後...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163

[論考]

西山夘三と日本における西洋理論の伝播 | カローラ・ハイン佐藤美紀

Nishiyama Uz*** and the Spread of Western Concepts in Japan | Carola Hein, Sato Miki

日本を訪れた者は、現代の日本の都市はカオスであり、中には実にすばらしい建築があるにもかかわらず、全体的に美しくデザインされていないと感じるはずだ。   これは最近の意見ではなく、早くも一九三六年にブルーノ・タウトが述べたものである★一。日本の都市空間を理解せずに西洋の理論を押し付け、日本の都市環境を「改善」しようと試み...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148

[批評]

視覚的無意識としての近代都市──三つの都市の展覧会をめぐって | 五十嵐太郎

The Modern City as Visual Unconscious: On Three Urban Exhibitions | Igarashi Taro

プロローグ──ある空中散歩 一八五八年の冬、ナダールは飛んだ。操縦士のゴダールと気球に乗って。雨まじりの空を八〇メートルほど上昇し、すぐに降下したのだったが。これがただの飛行であれば、気球は一八世紀から実験されていたのだし、すでにブランシャールがドーバー海峡を横断していたのだから、さして特筆すべきことはない。だが、ここ...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167

[スタディ]

バックミンスター・フラーの現代性 | 難波和彦山代悟谷口景一朗林盛逸見豪森田悠詩

Rediscovery of R.Buckminster Fuller | Namba Kazuhiko, Yamashiro Satoru, Taniguchi Keiichiro, Hayashi Sei, Hemmi Go, Morita Yushi

リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)は、20世紀最大のテクノロジストであり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)より少し若いが、彼らとほとんど同時代を生き抜いた。アメリカで生まれ育ったフラーは、ヨーロッパ生まれのモ...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166

[批評]

大地を刻む──ランドスケープからランドスクレイプへ | 五十嵐太郎

Carving the Earth: From Landscape to Landscrape | Igarashi Taro

down, down, down... 「もうどれだけ落ちたのかしら?」 兎を追っかけて、大地の穴に飛び込んだアリスは言いました。 母胎の亀裂 アルファベットの第一八番目の文字、Rを挿入してみること。その単語の六番目の文字と七番目の文字のあいだを切り裂きながら。すなわちランドスケープ landscape を、ランドス...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.88-99

[図版構成]

終わりと始まりのランドスケープ | 五十嵐太郎森山学山内彩子+陳玲

The Beginning and End of Landscape | Igarashi Taro, Moriyama Manabu, Yamauchi Ayako, Chen Ling

キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語られてきた。数々のカタストロフ、数々のハルマゲドン……、それらは前世紀末の退廃的な雰囲気よりもさらに悲壮感をおびている。が、今世紀の終わりは次なるミレニウムの始ま...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148

[批評]

ランドスケープの認識論──近代風景の起源をめぐって | 松畑強

The Epistemology of Landscape: On the Origin of Landscape | Matsuhata Tsuyoshi

1 英語の「ランドスケープ」という言葉と日本語の「風景」という言葉には、相似とともに相違があるだろう。オギュスタン・ベルクによれば、日本語の「風景」という言葉が中国から導入されたのは平安時代のことで、ひとそろいの美的図式とともに当時の日本の上層階級に「風景」を成立させたのだという★一。ベルクの指摘は興味深いものだが、と...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.68-87

[論考]

身体のカルトグラフィ | 多木浩二

The Cartgraphy of the Body | Taki Kouji

地図をつくるまなざし 生命とはなにか、という科学的な問いに答えることが問題ではない。ここで問うのは、生命が身体の活動を通してどのように自らの世界を構成してきたかである。ここでの生命とは、社会文化的な活動なのである。人類は気の遠くなるほどの年月、なんらかの表象記号を媒介にして自らの生命を記述する努力をしてきた。洞窟の岩...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.205-244

[論考]

Parasitical Notation(たとえば、るくー、あるいは、さてぃ、しゅーまん) | 五十嵐太郎

Parasitical Notation | Igarashi Taro

ことによると、夢の連鎖は尽きないかもしれない。 ──J・L・ボルヘス『コウルリッジの夢』 しみ──不可視の連続体 一八二五年、晩年を失意のうちに過ごしたある男は、自らの描きためたドローイングをパリの王立図書館に寄贈し、一切の消息を絶った。それからちょうど一〇〇年後、ひげと帽子と眼鏡とコウモリ傘を愛した第二の男は、バレ...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.172-184

[批評]

帝国の風景 | W・J・T・ミッシェル+篠儀直子

Imperial Landscape | W J T Michell, Shinogi Naoko

風景画についてのテーゼ 1 風景画とは、芸術ジャンルではなく媒体である。 2 風景画とは、人間と自然との、自己と他者との交換のための媒体である。したがってそれは貨幣に似ている。それ自体では意味を持たないが、価値の潜在的無限性を表現しているものである。 3 風景画とは、貨幣と同様、その価値の現実的な基盤を隠蔽する社会的ヒ...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.149-169

[批評]

肉屋の店先──ピクチャレスクの美学と建築とに見られる嫌悪 | ジョン・マッカーサー+篠儀直子

The Butcher's Shop: Disgust in Picturesque Aesthetics and Architecture | John MacArthur, Shinogi Naoko

建築の参照能力と美的能力はピクチャレスクにおいて切り開かれた部分があり、これらの持つ不確かさを建築はまだ克服していない。建築はわれわれに喜びを与えるものであろうか、それとも教え導くものであろうか。社会形態と生産にまつわる世界からは自由で平行的な位置にあるものであろうか、それともこの社会の秩序(エコノミー)の物質的なあ...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.170-181

[批評]

保守主義、近代主義、戦争──戦前のル・コルビュジエ | 松畑強

Conservatism, Modernism, War: Le Corbusier before WWII | Matsuhata Tsuyoshi

1 一九四二年、イタリア  一九四二年一一月、ソ連軍は独ソ戦始まって以来のはじめての大がかりで組織的な反撃を展開する。戦史に有名なスターリングラード包囲戦の始まりである。一一月一九日にスターリングラード南方で始まったソ連軍の攻勢は一二月一○日には北方戦線でも開始され、そしてこの地区における枢軸軍の主力が、イタリア遠征軍...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170

[批評]

ル・コルビュジエの絵画──あるいはル・コルビュジエの身体像 | 呉谷充利

Paintings of Le Corbusier: Human Figures | Kuretani Mitutoshi

画家ル・コルビュジエ 「オトゥーユの(忍耐強い研究にあてた)私の私的なアトリエは誰にも開かなかった。私はそこに一人いた。私は決して絵画を『説明』しなかった。絵画はできあがり、好まれるか、うとまれるか、わかってもらえるか、そうでないかです。それが私にどうだ(どうできる)と言うのですか」★一。彼はこう書き残している。 没後...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.129-137

[批評]

古典の発見──ジャンヌレのミメーシス | 中村貴志

Journeys of Jeanneret: Toward the Classic Origins | Nakamura Uzushi

アリストテレスもマルクスも、建築術について異口同音に述べている──「建築家は、まず、心のなかに建てる」。 しかし、このような「心のなかの建築」は、けっしてアプリオリの所与ではない。建築の観念もそれを実現する主体も、歴史的に形成されるものである。ル・コルビュジエの制作世界も、西欧の歴史に深く投錨されていた。科学技術の時代...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.113-122

[批評]

ディープ・スキン | マーク・ウィグリー松畑強

Deep Skin | Mark Wigley, Matsuhata Tsuyoshi

ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めたが、これは色彩をファッショナブルに使うことを批判し始めたのとちょうど同じ箇所においてである。この書は第一○章の「建築の時」が宣言されるまでゆっくりと、しかしだん...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112

[批評]

レギュレーターとしての建築制度──施設論に向けて | 八束はじめ

Architecture as Social Regulator | Yatsuka Hajime

建築の社会的プログラムとしての側面に注目し、つまり社会や文化の構造を制御するという意味で、「レギュレーター(整流器)」と呼ぶことにする。「レギュレーター」は、ロシア・アヴァンギャルドのいった「社会のコンデンサー」とも、ほぼ同様の意味で考えられている。いずれにしてもメタファーには違いないが、新たに「整流」ということばを選...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.82-102

[論考]

建築のオペレーション・フィールド ──あるいは、サイバースペースの記法と慣例 | 菊池誠

The Operating Field of Architecture, or Notation and Convention in Cyberspace | Kikuchi Makoto

0:チップのなかの空間 ((-1 . ) (0 . INSERT) (8 . AME_FRZ) (5 . 36) (2 . AME_NIL) (10 1.0 1.0 1.0) (41 . 1.0) (42 . 1.0) (50 . 0.0) (43 . 1.0) (70 . 0) (71 . 0) (44 . 0.0...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.126-135

[翻訳]

複数の世界がぶつかる所──LAについての考察 | アリーン・ウィンダーマン+中村秀之

Where Worlds Collide─ Musings on LA | Allyne Winderman, Nakamura Hideyuki

序──隠喩としての「OJシンプソン裁判」 「アメリカでマイノリティであるということは、いつも試されているということだ」 ──ラジオ番粗「LAどっちへ(Which Way LA)」の出演者 「OJシンプソン裁判」は、ほとんどのマイノリティや女性がすでに知っていること──現実の知覚のしかたは多様であること──を、衆目に...

『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.134-149

[批評]

都市と死 | ボグダン・ボグダノヴィッチ+篠儀直子

The City and Death | Bogdan Bogdanoviォc, Shinogi Naoko

われわれは激変を予見したか? 読者に対しここで提供される四つの短い断章のうち、三つはアーバン・スタディーズの論文に、ひとつは(そのような分野があるのならばだが)政治記号学の論文に分類されるであろう。それらはあわさって、外部の出来事へと神秘的な糸によりつながれた、ひとつの概念的な全体を形成している。その糸をわたしの指でで...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.161-177

[翻訳]

周辺から主流へ──東京エスニック・ランドスケープ | シェリー・ブレイク+山家京子

From the Periphery into the Mainstream── Tokyo's Ethnic Landscapes New Mexico | Sheri Blake, Yamaga Kyoko

主流へと参入するエスニック・ビジネス 新宿区歌舞伎町二丁目と大久保一丁目の境界に位置する職安通りには、一九八○年代後半から姿を現わし、ハングル文字の看板が掲げられたコリアンタウンが広がっている。そこにはレストランや小さな工場があり、食料品店では韓国の食材だけでなく種類豊富な韓国語の新聞や雑誌も販売している。それは戦前...

『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.119-133

[批評]

ミランダの日記 | ココ・フスコ+井村俊義

Mirandaユs Diary | Coco Fusco, Imura Toshiyoshi

アメリカ人は私によくこう尋ねる。なぜキューバ人は、亡命している者も国内にいる者も、キューバのことだとすぐに感情的になってしまい、議論はそんなに分裂してしまうのか、そしてなぜ私たちの感情は三三年もたっているのに当時のままなのか、と。私はそれにはこう答えることにしている。「私たちはいつも、もっとも愛している人々を相手に戦っ...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.111-127

[批評]

ノマドという可能性──トム・マシュラーへの手紙 | ブルース・チャトウィン宮田和樹

Nomadic Alternative: Letter to Tom Maschler | Bruce Chatwin, Miyata Kazuki

一九六九年二月二四日 親愛なるトムへ、 まえにきみは、ぼくが話していた遊牧民の本について手紙をくれるように言っていたね。ぼくは遊牧民の立場から考えなければならないと言ったが、『ある遊牧民の歴史』などという本を書きたいとは思わない。そうした仕事は、ぼくには荷が重すぎる。いずれにしても、研究者よりは普通のひとたちに読んで...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.94-101

[批評]

クリケット群島──C. L. R. James, Trobrianders, and Sea Amateurs | 今福龍太

Cricket Archipelago | Imahuku Ryuta

前史 グレートブリテン島 1300 エドワード一世の王室納戸部会計報告書のなかに、イギリスにおけるはじめてのクリケットにかんする言及が「クリーグ(Creag)」として現われるのが一三◯◯年のことである。行なわれた場所はケントのニューウェンデン。その後約二◯◯年間の史料では、この遊戯=運動にたいしてクリーグ、クロッサー、...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.200-209

[千年王国論(四)]

メトロポリスのニヒリズム | 八束はじめ

Millenarian Theory 4: The Nihilism of the Metropolis | Yatsuka Hajime

毎週月曜日に新しいことを考え出す必要はない。 ミース・ファン・デル・ローエ ハリウッドの映画セットと同様、この都市のアイデンティティは、毎週明け、新しく作り直される。 レム・コールハース 前回でも書いたように、メトロポリスは単に大きな都市というにはとどまらない。それは全体像を拒否するという点において都市という古典的な括...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.168-175

[論考]

国際画像言語──都市計画のためのノーテーション・システム ──オットー・ノイラートとCIAM | エンリコ・シャベル+三井邦子

The International Pictorial Language as a Notational System for Town Planning —Otto Neurath and the C.I.A.M. | Enrico Chapel, Mitsui kuniko

創造活動に携わるいかなる者にもまして、建築家は、未来を予測するよう心せねばならない。たとえ一軒なりと責任を持って家を建てるからには、建築家は差し迫った未来に起こりうる技術的な変化のみならず、生活様式★一に係わる変化を考慮するべきなのだ。まして大規模な住宅計画、さらには一個の街の全部分に係わるプロジェクトに際しては、いっ...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.107-125

[論考]

認知地図 | フレドリック・ジェイムソン+太田晋

Cognitive Mapping | Fredric Jameson, Ohta shin

これから語ろうとすることについて、私は何ひとつ知ってはいない──それが存在していないということを除いては。新たなる美学の素描だの要求だの予告だのといった事柄は、一般に芸術家の実践において、自らの作品のオリジナリティを主張するマニフェストにおいてなされることである。もしくは、根本的に新しいものの覚醒や創発を自ら目の当りに...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.74-84

[論考]

流浪の建築 | アンソニー・ヴィドラー+太田晋

Vagabond Architecture | Anthony Vidler, Ohta shin

放浪生活を、また、ボヘミアニスムとも呼ぶべきものを讃えること。 ──ボードレール、『赤裸の心』☆一 最近出版されたリガとウラジオストックへの旅の記録において、ジョン・ヘイダックはまたもや、あの建築動物の部族を呼び覚ましてみせた──しかもその形態は大きく変化し、高度に進化している。この部族、すなわちこの十年を通じて少し...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.67-73

[論考]

現代建築におけるノーテーションの冒険──見えない建築へ | 八束はじめ

Notational Explorations in Contemporary Architecture—Toward an Invisible Architecture | Yatsuka Hajime

0 さしあたっては当然のことを言うなら、建築は目に見える秩序を扱う。特定の地点に特定の存在モードとしてつくられる建築は「見える」からだ。しかし、設計とはそれにつながっていく過程ではあっても、必ずしもこの最終アウトプットと同一のものではない。「ノーテーション」という本特集のテーマは、前号に取り上げた「サバーバン・ステーシ...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28

[批評]

日常性と「他者」の空間 | メアリー・マクレオード+佐藤美紀

Everyday and "Other" Spaces | Mary McLeod, Sato Miki

「現在最も熱狂的に受け入れられている建築理論と言えば、「他者」と「他者性」というコンセプトである。『Assemblage』、『ANY』などの出版物や、プリンストン、コロンビア、SCI-Arc、AAスクールといった建築教育機関と関わりをもつことの多い、いわゆるネオ・アヴァンギャルドと呼ばれる建築家と批評家は、何らかのかた...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205

[批評]

ミニマリズムと装飾主義──二つの近代宗教建築をめぐって | 五十嵐太郎

Minimalism and Ornamentalism:A Look at Two Modern Religious Architectures | Igarashi Taro

カオダイ教とは何か 一九九八年の夏、ヴェトナムを訪れる機会があった。主な目的はカオダイ教という新宗教の聖地を訪れることだった。一九九〇年代に入り、ドイモイ(刷新)政策の追い風を受けて、ヴェトナムの建築・都市研究は過熱し、近代建築や保存すべき古建築の調査は確実に蓄積され、ある程度知られるようになった★一。しかし、二〇世紀...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.155-163

[メキシコ]

18:ヒルベルト・L・ロドリゲス:メキシコのモダニズム──「メキシカン・アイデンティティ」と「建築技術」のはざまで | 赤川貴雄

Gilberto L. Rodríguez: In-Between a Mexican Identity and an Architectural Technique | Akagawa Takao

1966年メキシコ生まれ。89年モンテレイ工科大学建築学科卒業。97年ハーヴァード大学大学院デザイン学部卒業。94年以降独自に設計活動を開始している。現在、モンテレイ工科大学建築学科客員講師。 主な作品=《Casa Elizondo》《Pabellón Elizondo》《Discoteca Varshiva》。 メ...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.118-119

[トルコ]

19:ベヒッチ・アク:トルコ現代建築の新潮流 | 青木美由紀

Behiç Ak: New Trend of Modern Turkish Architecture | Aoki Miyuki

1956年トルコ生まれ。イスタンブル工科大学建築学科修士課程修了。1982年からトルコの老舗新聞『ジュムフリ エット(共和国)』に、日替わり漫画を連載。戯曲《ビナー(建物)》は、1983年に文部大臣特別賞を受賞。風刺漫画、児童文学、戯曲、小説など著作は多数あり、トルコ、ドイツ、日本などで出版される。1994年撮影の映画...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.120-121

[スペイン]

16:マンシーリャ┼トゥニョン:見ることの建築的考察 | 三好隆之

Mansilla+Tuñón: An Archtecural Consideration of Seeing | Miyoshi Takayuki

ルイス・モレノ・マンシーリャ(Luis Moreno Mansilla)は1959年、エミリオ・トゥニョン・アルヴァレス(Emilio Tuñón Alvarez)は58年に、それぞれマドリードで生まれた。二人はともに1982年にマドリード建築大学(ETSAM)を卒業し、1983−93年、ラファエル・モネオの事務所に勤...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.114-115

[スペイン]

14:アバロス&エレロス:花模様のアーキテクチャー | 坂本知子

Áalos & Herreros: Flower-Patterned Architecture | Sakamoto Tomoko

イニャーキ・アバロス(Iñki Áalos)およびフアン・エレロス(Juan Herreros)は1984年にパートナーシップを結成。ともにマドリッド建築大学の教授であり、先にあげた著作のほか、1993年にグスタヴォ・ジリ(Gustavo Gili)から、1997年にアクタール(Actar)からそれぞれモノグラフが出版...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.110-111

[フィンランド]

09:マッティ・サナクセンアホ:回帰への建築 | 池田雪絵

Matti Sanaksenado: Regressing Architecture | Ikeda Yukie

1966年フィンランドヘルシンキ生まれ。93年ヘルシンキ工科大学卒業。90─92年モナークに参加。91年サナクセンアホ建築事務所設立。現在は妻のピルヨと共同で設計活動を行なう。 マッティ・サナクセンアホは、在学中にモナークというグループでセビリア万博パヴィリオンのコンペ(一九九〇)に勝ちそのキャリアをスタートさせたフ...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.100-101

[シンガポール]

20:ウオーハーアーキテクツほか:転換期の重層的建築文化 | 葛西玲子

WHarchitects: Multilayered Architecture in Transition Stage | Kasai Reiko

シンガポール・アイデンティティ  「カオスすらカオスとしてプランされている」とレム・コールハースが観察したように、時として都市テーマパークのようにさえ思えるほど効率的にそして美しく整備されたスーパー管理国家、シンガポールも建国三五年を経て、価値の転換期をむかえている。 二〇〇〇年七月に発表された二つの新しい地下鉄の駅...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.122-123

[香港]

23:OMAアジア:コンセプトとしてのタブラ・ラサ | 木下光

OMA Asia: Tabula Rasa as a Design Concept | Kinoshita Hikaru

アーロン・H・H・タン Aaron H. H.Tan:1963年シンガポール生まれ。1994年、レム・コールハースとともにOMAアジアを設立し、翌年より同ディレクターを務める。主なコンペ受賞=「広州国際コンヴェンション+エクシビジョン・センター」、「オーチャード・マスタープラン」、「北京国際金融センター」など。主な作品...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.128-129

[日本]

31:遠藤秀平:連続する曲面による空間の可能性──遠藤秀平と連綿体の建築 | ケヴィン・ニュート五十嵐光二

Shuhei Endo: Potential of Space Consists of Continuous Curved Surface | Kevin Nute, Igarashi Koji

1960年生まれ。86年、京都市立芸術大学大学院修了。88年、石井修/美建設計事務所を経て、遠藤秀平建築研究所設立。98年より神戸芸術工科大学非常勤講師。主な作品=《Cycle station 米原》(94)、《Transtation 大関》(97)、《Springtecture 播磨》(98)、《R//A》《R//B...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.154-157

[日本]

27:F.O.B.A:「フィッティング・イン」──F.O.B.Aと日本の都市 | トーマス・ダニエル篠儀直子

F.O.B.A: F.O.B.A and Japanese Cities | Thomas Daniel, Shinogi Naoko

F.O.B.A 1994年、建築家梅林克を中心に設立。主な作品=《ORGAN I》《AURA》(97年度東京建築士会住宅建築賞受賞)、《ORGAN II》《CATALYST(KINOSAKI BEER FACTORY ‘GUBI-GABU’)》(2000 年度グッドデザイン賞受賞)、《STRATA》。2000年ヴェネツ...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.146-147

[論考]

26:ユニット派あるいは非作家性の若手建築家をめぐって | 五十嵐太郎

The Unit Group: On the Non-Authorship of Young Architects | Igarashi Taro

メディアがユニット派を注目する 今年の後半、飯島洋一による「ユニット派批判」の論文が話題になった★一。ユニット派とは何か。アトリエ派の建築家が強いカリスマ的な指導者であるのに対し、ユニット派では複数の若手建築家がゆるやかな組織をつくる。しかも、一九六〇年代生まれがどうやら多い。こうした傾向が建築の雑誌で最初に注目された...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145

[韓国]

25:張允圭:Floating+Floating──「浮游する建築」あるいは「張允圭論」 | 禹東善

Jang, Yoon Gyoo: Floating Architecture, or Jang, Yoon Gyoo Theory | Woo Don Son

1964年生まれ。1987年ソウル大学校工科大学建築学科卒業。同大学校大学院修士課程修了。日本の新建築タキロン国際懸賞、UIAのバルセロナ国際懸賞、ヴェネチア国際懸賞などに入賞。韓国の産業デザイン・センター、エジプト大使館、大邱市立博物館、などの懸賞に当選。設計事務所・経営位置の所長、設計事務所・アルテクの所長、ケウォ...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.132-133

[オランダ]

04:ワン・アーキテクチャー:建築的経験主義 | ペネロピ・ディーン

One Architecture: Architectual Experientialism | Penelope Dean

マタイス・ボウ Matthijs Bouw:1967年生まれ。デルフト工科大学卒業 ヨースト・モイヴィッセン Joost Meuwissen:1951年生まれ。デルフト工科大学、エイントホーフェン工科大学卒業 主な作品=《テニスコートの下の6軒》「Stegl/ASKマスタープラン」「西ユーデンブルクのマスタープラン」《...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.89-91

[論考]

02:サイバースペース──対面から体現へ | 田中浩也

Cyberspace- from Envisioning to Embodying | Hiroya Tanaka

二〇〇〇年夏、アメリカ各地のデジタル系建築家、建築や空間にアプローチする情報系研究者の取材を行なった。コンピュータによって作り出される情報空間(この論では広い意味で捉えてサイバースペースと呼ぶ)を形態生成シミュレーションの場とする試みではなく、いかにして現実空間にサイバースペースを組み込み、その相互連動によって新しい機...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.78-83

[都市史/歴史]

方法論の展開──90年代都市史文献序説 | 奈尾信英岩谷洋子

The Development of Methodology: An Introduction to Books on Urban History Published in the 90s | Nao Nobuhide, Iwaya Yoko

都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登場であり、二つめは建築における都市「公共性」論の確立、三つめは八〇年代から培われた場所論の展開、四つめは景観・風景論の萌芽、最後の五つめは学際的研究の深化による...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123

[論考]

都市計画──潜在性について | 後藤武

Urban Planning: On the Virtual | Goto Takeshi

都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を彫琢していったことはよく知られているわけだし、レム・コールハースはもはや存在しない職能の代理=表象者として都市について語るという倒錯した立場を表明していたのだっ...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164

[都市/メディア]

九〇年代、メディアのなかの都市 | 松田達

An Introduction to the Urban in the Media of the 90s | Matsuda Tatsu

ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたのはつい最近のことだ。また映画やゲーム、写真集といった身近なメディアにも現在の都市の姿は否応なく現われている。いやむしろ、そのようなメディアを通して都市のイメージ...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119

[都市/テクスト]

九〇年代の建築/都市計画の文献をめぐって | 五十嵐太郎

An Introduction to Books on Architecture/Urbanism in the 90s | Igarashi Taro

都市記号論を超えて 一九六〇年代にK・リンチやR・バルトが都市記号論を準備し、七〇年代にコンテクスチャリズム論が語られ、八〇年代は学際的な都市テクスト論が興隆した★一。これらは近代の都市計画がもっぱら建設者の論理だったのに対し、受容者の解読を多様化する試みといえよう。しかし、結局、読むための方法は作るための手法になりえ...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115

[論考]

90年代都市プロジェクト | 奈尾信英

Urbanism Projects of the 90s | Nao Nobuhide

ローマでの体験 1999年の12月から2000年の1月にかけて、私は仕事の関係でイタリアにおける建築物の保存・修復について調べるためにICCROM(文化財保存修復国際研究センター:ローマにあるユネスコの機関)に行っていたのだが、私はそこで二度、90年代のアーバニズムに特有な状況を体験した。最初は、新東京国際空港から旅客...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105

[論考]

無印な風景──九〇年代、OMA/レム・コールハースのアーバニズム | 上原雄史

Generic Landscape: The Urbanism of OMA/Rem Koolhaas, 90s | Uehara Yushi

OMA(Office for Metropolitan Architecture)は、著作・建築・都市などジャンルを超えた創造活動を行なう建築家組織だ。彼らは、一九七八年のデビュー以来、複数の建築家が対等な立場でプロジェクトを計画する都市的な新鮮さを持ち続けてきた。彼らの新しさは、都市的なパラダイムが原動力である。ここ...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.165-172

[翻訳]

スーパーモダニズム | ハンス・イベリングス佐藤美紀

Supermodernism | Hans Ibelings, Sato Miki

一九八八年、ニューヨーク現代美術館(MoMA)は、最新の建築潮流としてディコンストラクティヴィスムの展覧会を開催した。一九三二年の「近代建築」展以来、MoMAの建築展はすべて重要なサインとして、そこで扱われた建築運動や潮流の意義を保証し、公認するものと見なされてきた。また「近代建築」展で最初の成功をおさめたフィリップ・...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191

[論考]

01:国際化するヨーロッパ建築 | ハンス・イベリングス佐藤美紀

The Internationalization of Architecture in Europe | Hans Ibelings, Sato Miki

ヨーロッパにとって、二〇世紀最後の二〇年間は混迷の時代であった。東欧の共産政権の崩壊、東西ドイツの再統合、欧州連合(EU)内部での統一の加速、バルカン諸国の戦争などによって、まったく新しい政治的ランドスケープが形成されたのだ。 時を同じくして経済情勢も変化した。現在でもヨーロッパには、かつての「鉄のカーテン」によく似た...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.74-77

[論考]

首都空間の変容──中心をどう表現するか──ヴェトナムの事例 | 大田省一

The Transition of Capital Space: How to Express the Center; Vietnam as an Example | Ota Shoichi

ネイション・ステートを懐疑的に見なくてはいけない今日の状況下では、もはや首都という存在すらユートピアになりかねない。幸田露伴が「一国の首都」で説いたモラルたっぷりの「自覚」★一を、昨今の東京で見つけるのは不可能であろう。かつて日本でも「国家的デザイン」が議論されたことはあった。これからもその議論が行なわれる契機はあるだ...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.210-220

[翻訳]

アパルトヘイト撤廃と南アフリカ・タウンシップの景観の変貌 | オーウェン・クランクショースーザン・パーネル日比野啓

Interpreting the 1994 African Township Landscape | Owen Crankshaw, Susan Parnell, Hibino Kei

アパルトヘイトのもとでの都市生活の写真は、たとえ南アフリカの人間ではなくてもおなじみのものだ。かつては「マッチ箱」のかたちをした家が延々と立ち並ぶ単調なイメージが、国家によるタウンシップ(非白人指定地区)の規格化を物語っていた。映画製作者やジャーナリストお気に入りのテクニックのひとつは、オーウェルの小説に出てきそうなこ...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.204-209

[翻訳]

ネクスト・バビロン、ソフト・バビロン──(トランス)アーキテクチャーとは、戯れの場としてのアルゴリズムである | マーコス・ノヴァック松永太郎

Next Babylon, Soft Babylon: (trans)Architecture is an Algorithm to Play in | Marcos Novak, Matsunaga Taro

高名だが高齢の科学者が、それは可能であると言えば、彼はほとんど確実に正しいことを言っているが、それは不可能であると言えば、間違っているのはまず確かである。 アーサー・C・クラーク★一 イデアは、否定を知らない。 ジル・ドゥルーズ★二 ニュースペースへむけての公 理(アキシオム) <箇条書き>10 アートとは、道...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.192-203

[日本]

36:西沢大良:建築は「規模」でできている | 磯達雄

Taira Nishizawa: Architecture is made of "Dimentions" | Iso Tatsuo

1964年生まれ。87−93年、入江経一建築設計事務所勤務。93年、西沢大良建築設計事務所設立。 主な作品=《立川のハウス》(97年東京建築士会住宅建築賞受賞)、《熊谷のハウス》《大田のハウス》(99年東京建築士会住宅建築賞受賞)、《諏訪のハウス》《二つの会場──ICC1周年記念展覧会会場》《ショップ・エンデノイ》。9...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.166-167

[日本]

37:ホンマタカシ:郊外から建築・環境へ──ホンマタカシの写真をめぐって | 倉石信乃

Takashi Homma: From Suburb to Architecture and Environment. Through Photographs by Takashi Honma | Kuraishi Shino

1962年生まれ。写真家。84年、日本大学芸術学部写真学科を中退しライトパブリシティ入社。91年の退社後、ロンドンに滞在。帰国後、広告写真や雑誌などで活躍する。 『TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版、1998)で第24回木村伊兵衛賞受賞。写真集=『Hyper Ballad: Icelandic Suburban...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.168-169

[建築を拓くメディア]

建築と思想の離接について:四つの系をめぐる八つのキーワード | 南泰裕

Disjunction of Architecture and Idea: The Eight Keywords for Four Systems | Minami Yasuhiro

跳躍台としての言葉 建築は、言葉では建たない。 千言万語を華麗に費やしてみても、建築が現実につくられゆく情況のなかで、言葉はモノの具体性に対して塵ほどの力も持ちえない。いかな理論の糊塗も、モノとしての建築を前に、ことごとくはじき飛ばされる。建築という現実態において、言葉は重ねれば重ねるほどその訴求力を減じてゆき、モノが...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.106-110

[建築を拓くメディア]

磯崎新における「日本的なもの」 | 日埜直彦

Peculiarity of Japanese Architecture in Arata Isozaki | Hino Naohiko

「磯崎新を軸に日本建築史を読みなおす」。これがこの小論に課せられたテーマである。磯崎新の近年の日本を主題とした著作、『空間の行間』(福田和也との共著、筑摩書房、二〇〇四)、『漢字と建築』(岡崎乾二郎との共同監修、INAX出版、二〇〇三)、『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)あたりがおおよその視野となるだ...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.118-121

[建築家的読書術]

空間・秩序・弱さと建築 | 藤本壮介

Space, Order and Frailty in Architecture | Fujimoto Sosuke

当たり前のことかも知れないけれど、本を読んだり、展覧会に行ったり、映画を見たりするときに、建築に役立つかどうかということは特に考えない。自分の素朴な好奇心に任せている。しかし僕の作る建築自体が、その同じ素朴な好奇心から出発しているのだから、どこかで繋がりがあるのは確かなのだろう。 レクチャーのあとの質問の時間に、どうい...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.102-103

[建築家的読書術]

建築の現場・歴史・技術 | 石山修武

Site, History and Technology of Architecture | Ishiyama Osamu

研究室の学生を建築現場で教えて大学に戻ったところだ。建築現場と言っても貸アパートと個人住宅の複合小建築。施主が住宅部分の内装と屋上部をセルフビルドする建築の現場である。教育と言っても、セルフビルドとは何か、クロード・レヴィ=ストロースの言うブリコラージュとの関連は、とか、ヘンリー・デヴィッド・ソーローの『森の生活──ウ...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97

[建築家的読書術]

必読書をめぐって | 難波和彦

Essential Books for Architecture | Namba Kazuhiko

五年前、はじめて大学に研究室を持つことになったとき、研究室の方向性を明確に示すために「難波研必読書二〇」をリストアップすることにした。大学生にはちょっと無理かもしれないが、大学院生ならばこのくらいの本は読んでいて欲しいと考えたからである。 なぜ二〇冊なのか。特に理由はない。一〇冊に絞るのは難しいが、三〇冊では多すぎると...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.86-88

[建築を拓くメディア]

アートと建築の越境的動向 | 暮沢剛巳

Transboundary Movement of Art and Architecture | Kuresawa Takemi

本稿が活字になる頃にはすでに開幕しているはずなのだが、「愛・地球博」(以下愛知万博)が一向に盛り上がる気配を見せない。スタジオジブリが「トトロ」の民家を再現するといった散発的なニュースこそ聞かれるものの、景気のいい話はほぼ皆無、会期が近づいていると実感するのは、時折NHKでイメージキャラクターのモリゾーとキッコロを起用...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.144-145

[建築を拓くメディア]

建築と展覧会カタログ | 田中陽輔山雄和真岡部友彦佐々木一晋

Architecture and Exhibition Catalogs | Tanaka Yosuke, Yamao Kazuma, Okabe Tomohiko, Sasaki Isshin

カタログと建築|田中陽輔建築展覧会という形式 建築展覧会という形式が存在する。そして、世界各地の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、ある性質において、それは美術展やデザイン展と決定的に異なる。通常、建築展はパヴィリオンという形式を除けば「なま」の建築の展示を意味するわけではなく、その表現を模型...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149

[批評]

テクトニック、という視座をめぐる省察 | ケネス・フランプトン南泰裕

Reflections on the Scope of the Tectonic Kenneth Frampton | Kenneth Frampton, Minami Yasuhiro

現代建築の歴史は必然的に多様なものであり、雑多ですらあるだろう──建築そのものから離れた、人間的な環境を形成するための構造の歴史。そしてそれらの構造を統制し方向づけようとする歴史。そうした試行の政策や方法を考案しようとした知識人たちの歴史。完全で明確な言葉へと辿り着くことを断念した、新しい言語についての歴史。これらの歴...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154

[批評]

ミース・ファン・デル・ローエ──柱と壁の系譜 | ゲヴォーク・ハルトゥーニアン五十嵐光二

Mies van der Rohe : The Genealogy of Column and Wall | Gevork Hartoonian, Igarashi Koji

六〇年代以降、ミースはポストモダン建築の保守的なセクトと急進的なセクトのどちらからも批判の標的とされてきた。「より少ないのは退屈である(レス・イズ・ボア)」というロバート・ヴェンチューリのモットー、ミシガン湖に沈みゆくクラウン・ホールを描いたスタンリー・タイガーマンのフォトモンタージユ、それらによって示されるのは、ミー...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109

[批評]

語りかけるディテール | マルコ・フラスカーリ佐藤美紀

The Tell-The-Tale Detail | Marco Frascari, Sato Miki

これまで「細部(ディテール)に神が宿る」という金言は、建築の世界ではミース・ファン・デル・ローエの言葉と考えられてきた★一。しかしミースの参照源であるかもしれないドイツ語「Der liebe Gott stcekt in Detail(細部に神が宿る)」は、アビー・ワールブルクが美術史研究における聖像学(イコノグラフィ...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.90-101

[論考]

風景の構法──環境ノイズエレメントはどうすれば見つかるか | 宮本佳明

Scenery Construction System: How Can the Environmental Noise Element be Found? | Miyamoto Katsuhiro

[その1]風景の意図に寄り添う──心構え編 何よりも、そのカタチをつくった人、つまりデザイナーの気持ちになってみることである。そうすれば自然とカタチが潜在的に持つ意図が見えてくる。このことは、なぜ建築家であるはずの僕が、環境ノイズエレメントなどと呼ぶものに興味を持つに至ったか、ということとも多少関係する。つまりこういう...

『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.128-131

[鼎談]

建築と書物──読むこと、書くこと、つくること | 隈研吾五十嵐太郎永江朗

Architecture and Books: Reading, Writing and Creating | Kuma Kengo, Igarashi Taro, Nagae Akira

建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物と親和性の高い人々はいないのではないか。これはちょっと異様なことだと思います。もちろん文芸は別ですが。ただ、建築家が書いた本があまりにも多いので、われわれはその...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70

[自然─環境]

4:ジュルダ&ペローダン・アーキテクツ《モンセニ・アカデミー》──《モンセニ・アカデミー》と「来たるべき建築」について | 藤木隆明

Jourda & Perraudin Architects, "Mont-Cenis Academy": "Mont-Cenis Academy" and Architecture to Come | Fujiki Ryumei

この来るべき美学の造形は、たとえて言うなら、霧、雲、虹、オーロラ、蜃気楼といった自然現象とアナロガスである。 原広司「多層構造・場・構成の廃棄などについて」 (『SD』一九八三年七月号、鹿島出版会) この稿では、ジュルダ&ペローダン・アーキテクツ設計の《モンセニ・アカデミー》をひとつの窓として、自然および環境と建築...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.160-164

[インタヴュー]

施主と建築家──あるいは建築が住宅になるために | 塚本由晴永江朗

The Client and the Architect: Or, How an Architecture Becomes a House | Tsukamoto Yoshiharu, Nagae Akira

アトリエ・ワンと私──最初の出会い 永江朗──私の場合もそうでしたが、施主は設計を依頼するにあたってまず手紙を書くというアプローチが多いと思います。受け取ったとき、まずどう考えられますか? 塚本由晴──それは「やった!」ですよ。内容を見るより先にとりあえずトキメキます。中学生の頃、思ってもみなかった女の子に告白されたと...

『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.74-85

[対談]

素材・エンジニアリング・構法──あるいは建築のヴィジョンをめぐって | 難波和彦松村秀一

Material, Engineering, and Systems: Concerning the Vision of Architecture | Namba Kazuhiko, Matsumura Shuichi

素材/エンジニアリング 難波和彦──今日の対談のテーマは、素材がどう建築を変えるかという問題なんだけども、実を言えば素材が建築を変える時代はもう終わっているというのが一般的な結論で、これから建築を変えていくのは素材よりもエネルギーというか室内気候のような条件なのではないかと言われている。つまり目に見える条件よりも、目に...

『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.58-73

[日本]

40:リバース・アーキテクチャ | 槻橋修

Reverse Architecture: Reverse Architecture | Tsukihashi Osamu

「どうして?」の問い 建築に対し「どうしてこうなっているのか」と発せられる問い。それが建築と建築家のあいだにある唯一の結線である。この問いが「建築とは何か」という問いに対して常に先立っていることが、建築家の基底をなすのではないかと考える。 自作やポリシー、職能といった事柄が、すべて建築家と社会との境界づけに深くかかわっ...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180

[日本]

39:宮本佳明:カタスタシスの建築 | 大島哲蔵

Katsuhiro Miyamoto: Geometrical Fetish: Architecture of Catastase | Oshima Tetsuzo

1961年兵庫県生まれ。1987年東京大学大学院修士過程修了。1988年アトリエ第5建築界設立。現在、大阪芸術大学助教授。作品=《Open-Air Kindergarten》 《愛田荘》 「芦屋川左岸堆積体」 《ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展(共同作品)》 《「ゼンカイ」ハウス》《SH@64》など。 螺旋のパフォー...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.172-173

[鼎談]

建築の技法──つくることの楽しさへ | 今村創平南泰裕山本想太郎

The Art of Architecture: Pleasure of Creation | Imamura Sohei, Minami Yasuhiro, Yamamoto Sotaro

なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について語る時、その技術だけを取り出してきて客観的に記録にすることが目的ではありません。建築家の考えとそれを支える技術のつながりを、きちんと描写しようというのが趣旨です...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87

[生産─技術]

1:梅沢良三┼アーキテクト・ファイブ《IRONY SPACE》──鉄造建築「外部」からの思考 | 勝矢武之

Ryozo Umezawa+Architect 5, "IRONY SPACE" : Iron Made Architecture; Cogitation from "Outward" | Katsuya Takeyuki

《IRONY SPACE》(二〇〇三)は、構造家、梅沢良三の住宅兼アトリエである。建築の設計はアーキテクト・ファイブが、構造の設計はもちろん梅沢氏自身が担当している。建物は地上二階・地下一階で、矩形のフロアが積層され、これを敷地形状に沿う三角形の吹抜がつなぎとめているという構成になっている。さて、シンプルな構成のこの建...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.112-115

[制度─都市]

4:OMA「ホイットニー美術館」増築案──政治と芸術の境界線 | 末廣香織

OMA, NEWHITNEY: A Line Between Politics and Art | Suehiro Kaoru

美術館の変容とexperience(c) 美術館はそもそも絵画や彫刻などの収蔵品を永久保存して貯めてゆく性格のものだった。しかし伝統的なアートのカテゴリーは、時代とともにアースワーク、インスタレーション、メディア・アートなどへと領域を拡大し、今では漫画やアニメまでが美術館での展覧会の対象となっている。こうなると美術館で...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147

[制度─都市]

3:アイレス・マテウス《アルカセル・ド・サルの住宅》──建築/都市の発生以前に向かって | 松田達

Aires Mateus, "House in Alca'cer do Sal": Before the Origin of Architecture/Urbanism | Matsuda Tatsu

ここで示したい事実はきわめて単純である。最初に結論から書いておこう。建築とは都市空間である。ポルトガルの二人組の建築家ユニット、アイレス・マテウスの試みを、一言で言えばそう集約できるかもしれない。いくつかの彼らのプロジェクトにおいて、敷地の上にはまず都市がつくられ、そこに建築的な表皮が加えられる。だから建築空間のなかに...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.140-143

[制度─都市]

1:アトリエ・ワン《ガエ・ハウス》──《ガエ・ハウス》のオフサイドトラップ | 坂牛卓

Atelier Bow-Wow, "Gae-House": Offside Trap for Gae-House | Sakaushi Taku

アトリエ・ワンの二人は笑みが絶えない。彼らに論文指導を受けた、とある人曰く「彼らは何にでも笑える人。フツウのできごとでも周りの事柄を取り込んでオモシロク見てしまう人」だそうだ。鉛筆が転がっても笑える女子高校生とはちょっと違う。つまり彼らは、建築環境はもとより、日常生活にいたるまで、ひとつの対象を単独に見るだけではなくそ...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.132-135

[生産─技術]

4:foa《横浜大さん橋国際客船ターミナル》──機能主義と形態形成 | トーマス・ダニエル五十嵐光二

foa, 2Yokohama International Port Terminal" :Functionalism and Morphogenesis | Thomas Daniel, Igarashi Koji

わたしたちが望むのはモノを吟味し、モノにそれ自体が持つ形態を見つけ出させることである。モノにその外側から形態を授けること、モノを外部から決定すること、モノにどんな種類のであれ法則を押し付けること、モノを意のままにすること──これらはわたしたちの本意ではない。 フーゴ・ヘリング「形態への道程」(一九二五) アレハン...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.124-127

[批評]

描かれた「現代都市」──ル・コルビュジエのドローイングと都市計画 | 加藤道夫

The Painted "Modern City": Le Corbusier's Drawings and City Plans | Kato Michio

1:図の力 建築に使用される図は二つの側面を持っている。第一の側面は、建築家によって構想された三次元空間のイメージを二次元の図に翻訳し、図の読み手に伝達すること。この場合、読み手の解釈は作家の伝達内容を正確に理解することにある。第二の側面は、その形態イメージを読み手に伝えるだけでなく新たなイメージを提起することである。...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.171-180

[批評]

衛生を建築する──近代的衛生者としてのル・コルビュジエ | 森山学

Raising Hygiene into Architecture: Le Corbusier's Body as a Modern Hygiene | Moriyama Manabu

F・ド・ピエールフウは「五分間に一人の割合で、フランス人は結核のために死亡している」と一九四二年に出版された『人間の家』で報告している。共同執筆者であるル・コルビュジエは、この本の挿絵として、小学生──彼らはおそらく「貧民窟」と名付けられ『輝く都市』に掲載された、絶望的で空虚な視線をカメラに向けている写真の中の子どもの...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.181-190

[批評]

外形のない建築──アレハンドロ・ザエラ・ポロ+ファッシド・ムサビの「横浜国際客船ターミナル」コンペティション応募案 | 伊東豊雄

Architecture without Exteriors: Alejandro Zaera-Polo + Farshid Moussavi's Proposal for the "Yokohama International Port Terminal" Competition | Ito Toyo

一九九七年八月三一日 スペインとイランからロンドンに渡った若い二人の建築家、アレハンドロ・ザエラ・ポロとファッシド・ムサビの「横浜国際客船ターミナル」コンペティション応募案はおよそ建築とは思われない提案であった。 敷地は山下埠頭から海に向かって数百メートルも突き出した大桟橋の上であり、山下公園や海からのヴューがこの建築...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.184-187

[批評]

他者が欲望する黒船都市、トーキョー──ねじれたトポロジーの表出 | 五十嵐太郎

The Other's Black Ship Tokyo: The Manifestation of a Torsional Topology | Igarashi Taro

1 錯乱のプロローグ 一九八×年:おそらく二〇世紀の「東京」。人々は平和を謳歌している。見慣れた渋谷や新宿の風景。どこにでもいそうな公園の男女。ダンサーを志望する少女は、フリーターの不良少年に「何かに自分をぶつけてないと、生きてる気がしないものね。ただ、いまが一番いい時代だって気がするだけ」と語る。まったく社会は満たさ...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90

[批評]

作家のラティテュード(緯度=自由度) | 今福龍太カレンてい山下宮田和樹

An Author's Latitude──Toward a New Literary Geography | Imahuku Ryuta, Karen Tei Yamashita, Miyata Kazuki

ラテンアメリカ化するロサンジェルス 今福──「新しい地理学」をテーマに『10+1』が特集を組むときいて、ちょうどいま日本に滞在しているあなたと少しあらたまって対話ができたら、と思って今日は来ていただきました。この秋にアメリカのコーヒーハウス社から刊行されるあなたの新作小説『オレンジ回帰線』は、今日の鋭敏な社会科学者が直...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.158-172

[批評]

サイレント・コメディにおける〈異空間〉の生産 | 中村秀之

Produciton of "Other Spaces" in Silent Comedy: A Tramp's Utopia and its Vicissitude | Nakamura Hideyuki

1 都市空間と映画空間 映画研究が(少なくとも合衆国では)アカデミズムにおける地歩を確立した八〇年代後半は、知の多様な領域で「空間」や「場所」への関心が急速に高まってきた時期でもある。したがって、それ以後、都市と映画、あるいは都市空間と映画空間との関係を扱う文献がしばしば目につくようになってきたのも、さほど不思議なこと...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.138-150

[批評]

政治と空間/時間★一 | ドリーン・マッシー篠儀直子

Politics and Space/Time | Doreen Massey, Shinogi Naoko

「空間」についての議論が最近盛んだ。まず、われわれの時代においての空間の意義が、さまざまなところで宣言されている。「結果を隠蔽するのは時間ではなく空間である」(バーガー)、「空間の作り出す差異」(セイヤー)、「ポストモダンという時代に含意されている新しい空間性」(ジェイムソン)、「現代資本主義において明らかに重要な要素...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.121-137

[批評]

近代都市空間と公衆衛生 序論──後藤新平の衛生思想の臨界点へ | 加藤茂生

An Introduction to Urban Space and Public Health in Modern Japan: Toward the Critical Points of Goto Shimpei's "Hygienical Thought" | Kato Shigeo

1  「上からの衛生」批判と「身体の規律化」論 一九九〇年代に入って、日本の近代都市空間の形成を、公衆衛生に注目して新しい観点から論ずる論考が見られるようになってきた[柿本、一九九一、成田、一九九三、重信、一九九六、成沢、一九九七]。もちろん従来、日本の近代都市空間の形成が公衆衛生の観点から論じられていなかったわけでは...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.156-167

[ダイアローグ]

建築/アフォーダンス | 佐々木正人塚本由晴

Architecture/ Affordance | Masato Sasaki, Tsukamoto Yoshiharu

アフォーダンスとデザイン 塚本由晴──単刀直入にお聞きします。アフォーダンスはデザインに使えるのでしょうか。以前、青木淳さんとアフォーダンスについて意見を交換したことがあったんですが、青木さんは、アフォーダンスはモノを解釈する論理であってつくる論理ではないと言っていました。でも読む先にあるつくる論理というのもあるのでは...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.62-72

[論考]

ボストン──都市の三つの領域性 | 霜田亮祐

Boston: 3 Territorialities of the City | Ryosuke Shimoda

二〇〇〇年のボストン市の統計によると一九八九年から一九九九年の一〇年間においてボストン市のホームレスの人数は一九八九人から三八三〇人と、約五〇パーセント増加している。その原因としてはボストン市の高騰し続けるアパートの家賃の高さが挙げられるだろう。平均の家賃は一四六五ドル/月でアメリカで四番目に高い。また家賃は一九九一年...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.122-131

[論考]

炎のスケーター☆一 | イアン・ボーデン日比野啓

Chariots of Ire | Iain Borden, Hibino Kei

都市計画者からすれば都市の景観を損なうものでしかないスケートボーダーたち。だがイアン・ボーデンは都市と真っ向から対立する虐げられた者たちによる闘争のシンボルだと考える。 スケートボーダーたちは独特のグラフィックデザイン、言葉遣い、音楽、ジャンクフード、行動規範を完備しているばかりか、仕事、家族、もろもろの規範的社会的...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.115-121

[論考]

安全のランドスケープの創造 | シャロン・E・サットン篠儀直子

Creating Landscapes of Safety | Sharon E. Sutton, Shinogi Naoko

「夢のなかの散歩」チェスター(五年生) ある日ぼくは近所の、こわくて汚くていやなにおいのする、さびれたところを歩いていました。通りでは人がケンカしたり殺されたり、撃ち合ったりしていました。人が撃たれるたびに叫び声や悲鳴が上がりました。子どもが撃たれたのでお父さんお母さんが泣いていました。この危ない場所を離れようとして...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.106-114

[プロジェクト・スタディ]

建築と道路 | 長岡大樹

The Relationship between Architecture and Street | Daiju Nagaoka

1 道路という素材 すべての敷地は道路に接しています★一。道路はその量からして、建築にとって資源足りうるものです。原油はそのままでは燃やされるだけですが、加工されることで衣服にもなります。資源は使い方を見出されることで幅広く運用されるものです。この論考では、道路という資源を建築がどのように扱いうるかをみていきます。建築...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.90-105

[批評]

地図のない都市 | イアン・チェンバース遠藤徹

Cities wihtout Maps | Iain Chambers, Toru Endo

「純粋な」視線に到達することは困難なのではない。それは不可能なのである。 ヴァルター・ベンヤミン★一 都市、すなわち現在の大都会は、現代世界において人々が体験するさまざまなことの隠喩となっている。そこにおける日常生活の細部において、その歴史、言語、文化の複雑性において、その世界化の傾向と地方的な特徴の諸相において、都...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.105-120

[批評]

空間から場所へ、そして場所から空間へ──ポストモダニティの条件についての考察 | デイヴィッド・ハーヴェイ加藤茂生

From Space to Place and Back Again: Reflections on the Condition of Postmodernity | David Harvey, Kato Shigeo

僕はニュージャージー高速道路を走る車を数える 彼らはみんなアメリカを探しに行った みんなアメリカを探しに行った サイモン&ガーファンクル はじめに 『ポストモダニティの条件』(ハーヴェイ、一九八九、三五五頁)の結論部において、私は歴史的唯物論とマルクス主義に想定されている危機を乗り越えるための四つの方針を提示した。そ...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.85-104

[批評]

都市のなかの犯罪、都市の犯罪──都市アレゴリーとしてのファム・ファタール | M・クリスティーヌ・ボイヤー篠儀直子

Crimes in and of the City: The Femme Fatale as Urban Allegory | M.Christine Boyer, Shinogi Naoko

クロス「何を相手にしてるかわかってるつもりらしいが、きみはな、わかってないぞ」 ギテス「チャイナタウンで地方検事も俺にそう言ったもんですよ」 ──『チャイナタウン』一九七四 ポストモダン都市の状況を理論化するにあたり、数人の男性論客がフィルム・ノワールの探偵のペルソナを採用していることについて、少なくともひとりのフェ...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.195-207

[批評]

都市を取り調べること──都市解釈としての探偵小説──M・クリスティーヌ・ボイヤーへの応答 | マーガレット・クロフォード篠儀直子

Investigating the City: Detective Fiction as Urban Interpretation: Reply to M. Christine Boyer | Margaret Crowford, Shinogi Naoko

最近、映画『チャイナタウン』が都市解釈行為の隠喩として用いられているのだが、これらの再読は主体の位置に関し、現代都市批評を刺激する重要な問題を提起している★一。この議論の先鞭を付けたのはマイク・デイヴィスである。彼は『チャイナタウン』の探偵ジェイク・ギテスを、ロサンジェルスを形作り続けている隠された行為と不可視の権力と...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.208-213

[批評]

民主主義の曲がり角──ホームレス・ノワールについて | ディーン・マッカンネル篠儀直子

Democracy's Turn: On Homeless Noir | Dean MacCannell, Shinogi Naoko

保護される場(シェルター)は、ある性と別の性とのあいだに存続可能な節度ある関係が確立される場であればすべて、家父長制の隠喩として知られるあの媒体による(…中略…)干渉を必然化する。 ──ジャック・ラカン『セミネールXI』 フィルム・ノワールにおいては、アメリカの都市のプロレタリア的および準プロレタリア的な地域はある種...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.180-194

[批評]

路上の身体──ル・コルビュジエと都市計画の成立 | 五十嵐光二

Corpus of Streets: Le Corbusier and the Development of City Planning | Igarashi Koji

I 「直線を引き、穴を埋め、平らにならし、そしてニヒリズムにいたる……」(拡張計画委員会の議長を務めるえらいお役人の猛々しい怒号)。 わたしは答えた。 「失礼ながら、実を申せば、それこそ人間の仕事なのです」(本当にあった出来事)。 ──資料〈耳障りな音声〉からの抜粋★一 現代の都市計画における基本原理の定式化を試みた...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.119-127

[批評]

直線性の重荷──ろばの都市計画 | キャサリン・イングラハム五十嵐光二

The Burdens of Linearity: Donkey Urbanism | Catheringe Ingraham, Igarashi Koji

わたしは一匹のろばである。しかし目をもったろばだ。感覚を受容することのできるろばの目だ。わたしはプロポーションへの本能をもったろばだ。わたしは頑として視覚主義者なのであり、これからも常にそうあるだろう。美しいものは美しい。しかし、それこそモデュロールなのだ。(…中略…)モデュロールはろばの耳を長くのばす(ここでわたしが...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.104-118

[図版構成]

ウルバノフィリア | 森山学

Urbanophilia | Moriyama Manabu

1499年、ヴェネツィアで出版された作者不詳(フランチェスコ・コロンナ修道士?、1433─1527)の物語『ポリフィリア(Poliphilo)の夢』は瞬く間にヨーロッパ中を席巻し、その後のさまざまな建築像の源泉のひとつとなった。というのも、主人公ポリフィリアによるヒロインを求める道程を描いたこの物語が、その途上で出会う...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.214-225

[White Page]

公共建築リスト 1950-1969 | 臼井敬太郎

Public Architecture List 1959-1969 | Keitaro Usui

超高齢化を迎え憂うべき日本国。未来に影を落とす、ゆゆしき問題は人間においてだけの話ではなく建築の問題でもある。建築においても人間でいうところの高齢化すなわち老朽化が進んでいる。戦後復興期の1950年代から経済成長期の1960年代にかけて雨後の筍のように建てられた公共建築群がその局面を迎えようとしている。代々木体育館(国...

『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.144-149

[論考]

醜くて平凡──日常の表象 | デボラ・ファウシュ篠儀直子

Ugly and Ordinary: The Representation of the Everyday | Deborah Fausch, Shinogi Naoko

客観主義は社会的世界を、観察者に提示されるスペクタクルとして構築する。観察者はアクションに対する「視点」を取り、それを観察できるよう退いている者たちであって、そうして彼は対象に対する自分の関係をその対象へと転嫁し、認識のみを目的とした全体としてこれを把握するのだが、そこにおいてはすべてのインタラクションは象徴交換へと還...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175

[論考]

ちょっとした戸惑いを刺激として──アムステルダムとロサンゼルスの同時代の比較★一 | エドワード・ソジャ加藤政洋

The Stimulus of a Little Confusion:A Contemporary Comparison of Amsterdam and Los Angeles | Edward W. Soja, Masahiro Kato

この愉快な国で一般的な見世物を構成するこうした要素のすべてが、少なくとも習慣となっている型どおりの考え方にちょっとした戸惑いを刺激としてあたえ、独自の気風に関係していることを感じさせるのだ。     Henry James, “Experiencing the Netherlands”     in   Transat...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.146-155

[論考]

漂流とシチュアショニストのパリ | トマス・マクドナウ暮沢剛巳

The Dérive and Situationist Paris | Tomas McDonough, Kuresawa Takemi

一九五七年、シチュアショニスト・インターナショナル創設の前夜、ギー・ドゥボールは二つの異色なパリの地図を制作した。彼の友人でもあったデンマーク人画家のアスガー・ヨルンの助力を得て作られた『恋愛の情熱についてのディスクール』は独特の折り畳み地図であり[図1]、一方の『ネイキッド・シティ』[図2]はヨルンの一九五八年のパン...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.85-92

[フィールドワーク]

トーキョー・サイレンス──都市の耳の0度 | 庄野泰子長村貴之野崎祥子長壁純子

Zero Degree of the Urban Ear Tokyo Silence | Taiko Shono, Takayuki Nagamura, shoko Nozaki, Junko Osakabe

頭上には六車線道路、左右は工事現場という膨大なノイズで満たされた空間──この写真から、この場の轟音が聴こえるであろうか。 可視領域と不可視領域のズレ、隠れた接合部、線的ではない多次元的な移動。音を通して都市に立ち会うとき、視覚・聴覚・身体的なノイズで覆われていた都市の構造が顕わになる。ここでは、その音による都市の読み取...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.56-69

[論考]

「シームレス」化に抗するために | 柿本昭人

Resisting the Seamless | Kakimoto Akihito

一、 複数文化主義の帰結 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。「リゾームには始まりも終わりもない。リゾームは常に中間に、ものの間に、存在の間にある、つまりインテルメッゾである」のではなかったのか。「あいだ」とは、「と……と……」の論理によって存在論を転覆する流れではなかったのか★一。「と……と……」の論理は、...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.132-141

[論考]

ちょっとした戸惑いを刺激として(承前)──アムステルダムとロサンゼルスの同時代の比較 | エドワード・ソジャ加藤政洋

The Stimulus of a Little Confusion: A Contemporary Comparison of Amsterdam and Los Angeles (Sequel) | Edward W. Soja, Masahiro Kato

スパイストラートを離れて アムステルダムに生まれ育った人は誰しも、環状の運河に閉じ込めようとする動きと、この都市から外に向かう道路を使って中心を離れ去ろうとする動きで緊張した区域のなかに彼自身((ママ))を必ず見出すことになる。この緊張に満ちた区域にあっては、都市の主要な地区さえ知ることはできないであろうし、なおもア...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.151-168

[翻訳論文]

わたしはビデオカメラである | フィリップ・タボール加藤政洋

I Am a Videocam | Philip Tabor, Masahiro Kato

建築は死んだ。わたしはその死亡記事を読んだのである。ひとりの文化分析者が「建築─彫塑の時代を経て、今やわたしたちは映写的な作為性の時代にいる……これからの建築は単なる映画にすぎない」と書いているのだ★一。あるいは、建築を「見世物の半電子的な視覚標識」と呼ぶ者たちもいる。しっかりと場所に固定されて不活発であるため、エーテ...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.163-171

[翻訳論文]

/区分線をねじる/(中編) | ジェフリー・キプニス川田潤

/Twisting the Separatrix/ (Part II) | Jeffrey Kipnis, Jun Kawata

そこで、私たちの目的にそった二、三の事だけに注目しておこう。まず、デリダの署名のもと、手紙ではアイゼンマンとデリダの会話内部で起きたある出来事が書かれている。一方、別な出来事は、同じく二人の会話の一部なのに、そこから切り離され、まるではじめてであるかのように手紙に現われる。もちろん、署名の場としてのデリダの寄贈の問題に...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.172-184

[構成]

環境情報デザイン・カタログ | 環境情報デザインワーキンググループ

Design Catalogue of the Environmental Information | Environmental Information Working Group

1    はじめに──いまなぜ環境情報デザインなのか 現在、社会における情報化の普及・浸透、建築業界の市場縮小、地球環境への負荷軽減など、建築デザインを取り巻く環境が大きく変化している。これからは、新しく建築を建設するだけでなく、既存の建築物を利用したリノベーションや、建築後の利用・管理・運営など、人間の活動と環境に関...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.90-102

[インタヴュー]

情報/建築の融合とデザイン | 暦本純一中西泰人本江正茂

The Harmony and Design of Information/ Architecture | Junichi Rekimoto, Yasuto Nakanishi, Motoe Masashige

1    プライヴェートは携帯に、パブリックは環境に 中西──今回の特集は「建築と情報の新しいかたち」というもので、情報技術の拡充によって都市空間での人と人のつながり方が変わるなかで、建築がどういうことをやっていけばよいのかということを具体的に実践している方たちの活動をまとめています。暦本さんには情報環境の拡大がもたら...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.83-89

[インタヴュー]

一回性の建築 | 山本理顕中西泰人本江正茂

Architecture as Single | Yamamoto Riken, Yasuto Nakanishi, Motoe Masashige

1    伽藍とバザール 中西──山本理顕さんはあらかじめ決められたかたちで建築を作るのではなく、建築をどのように使うかをユーザーとともに考えながら作り、また作った後にはユーザーに見せるといったスパイラル的な作り方をされている。山本さんがユーザーという言葉を使われていることを興味深く思っています。 今回の特集「建築と情...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.75-82

[対談]

ポスト地政学の趣都論──ストリート/建築への眼差し | 隈研吾森川嘉一郎

Post-Geopolitics, Community of Interest and the City: Eyes to the Street/ Architecture | Kuma Kengo, Morikawa Kaichiro

隈——建築への関心がそれまでの内部から「お外」へと志向し始めたのは九○年代の最初の頃だったでしょうか。地面でゴロゴロする若者、いわゆる「ジベタリアン」が増えてきた頃ですね。さらに、歩道や電車の中、人前で平気で御飯を食べられるようになるなど、都市のインテリア化が顕在化してきた。僕にとってそれらは、八○年代の建築に対する一...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78

[街路への視座]

私道の誕生──一八─一九世紀イギリスのエステート開発 | 木下剛

The Emergence of the Private Street: Estate Development in the 18-19th Century UK | Kinoshita Takeshi

スコットランドの首都エディンバラの中心部に、オールドタウンとニュータウンと呼ばれるなんだか人を食ったような俗称をもつ地区がある。前者はエディンバラ城下に発達した中世からの歴史をもち、後者は一八世紀末以降の都市計画による★一。言ってみれば、中世都市と一九世紀初頭の計画都市とが極めて狭い区域の中で対峙しているのだ。ここには...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.82-83

[キーワード]

90年代都市・建築キーワード/キーパーソン | 南泰裕瀧本雅志松田達

Urban/ Architecture Keywords and Key Persons of the 90s | Minami Yasuhiro, Takimoto Masashi, Matsuda Tatsu

連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わったのだ」、とわれわれは言うことができるだろうか。ミシェル・フーコーにならってエピステーメーの変容を、あるいはトーマス・クーンを想起してパラダイム・シフトの痕跡...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87

[翻訳論文]

スケートボーディングは犯罪ではない | イアン・ボーデン中川美穂矢部恒彦斎藤雅子

Skateboarding is Not a Crime | Iain Borden, Miho Nkagawa, Tsunehiko Yabe, Masako Saito

スケートボーディングは、都市環境と対立するものだ(「スケートボードは、所持品検査を受けずにストリートで武器として使える唯一のもの」★一)。スケートボーダーたちは、自分たちのために空間を再定義する際に、物的にだけでなく概念的にも空間を取り入れ、そうすることで、街によって誰もが理解するものの核心に一撃をくらわす。スケートボ...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.149-158

[翻訳論文]

ブールヴァールの終焉 | ジョン・R・ゴールド加藤政洋

The Death of the Boulevard | John R. Gold, Masahiro Kato

各時代の指導精神は、サント・シャペルからリヴォリ街に至る、その時代を記念するような建造物のなかに具象化されている。しかし、この素晴らしい遺産は混乱しきった街中に置かれ、記念碑的な建造物も錯綜した街路に囲繞されて、孤立させられていた。ナポレオン三世のもとでセーヌ県の知事を務めたジョルジュ・ユジェーヌ・オスマン(一八○九—...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.125-136

[論考]

要塞化する街路──監視テクノロジーと対抗的な文化実践 | 毛利嘉孝

Fortification of the Street: Monitoring Technology and Counter-Cultural Practice | Mori Yoshitaka

監視カメラの氾濫 二○○三年二月、ロンドンに渋滞税(コンジェスチョン・チャージ)が導入された。これは、ロンドンの一定区域内を自動車で通行する際に、一日五ポンドの税金を払うというものである。その最大の目的は、慢性的な都心部の渋滞を緩和することにあるらしい。指定区域内のすべての入り口の街路には、渋滞税ゾーンを示す「C」の文...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.106-112

[コラム]

動物化する建築 | 吉村靖孝

Animalizing Architecture | Yoshimura Yasutaka

動物化するポストモダン 「ポストモダン」について交わされた膨大な量の議論は、厚く沈殿している。それらは総じて良質で、いまでは現代思想随一の層をなしている。しかし、一度沈んだものをふたたび水面に届くまで撹拌するには、気の遠くなるようなエネルギーを消耗するのもまた事実である。ぬかるんでいるうちに下手に動けば足をすくわれるし...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153

[コラム]

形態表現から物質現前へ──現代建築の問題構成 | 勝矢武之

From Form-Representation to Material-Presence: Configuration of Architecture Nowadays | Katsuya Takeyuki

今、時代は確実に変わりつつある。だが、変わりつつある時代に対し、建築はいまだ足並みをそろえられてはいないようだ。いくつかの建築が新たな時代の建築の誕生を告げてはいるが、大局的な流れはいまだその姿を現わそうとはしていない。もちろん価値観が多様化した現代にあっては、もはや近代ごとくひとつの原則やスタイルが世界を包み込むこと...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.145-149

[論考]

操作論としての サステイナブル・アーバニゼーション | 太田浩史

Sustainable Urbanization as an Operation Theory | Ota Hiroshi

1    二つのサステイナビリティ 二〇〇二年の九月、ノルウェーのオスロで開かれた「Sustainable Building 2002」という国際会議★一において、ひとつ、象徴的な場面があった。基調講演を行なった国連人間居住センター(UN-HABITAT、以下HABITATとする)の事務局長、アンナ・カジュムル・ティバ...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.123-128

[資料]

コンパクトシティを考察するためのブックガイド | 岡部友彦坂口祐山雄和真

Book Guide for Studying Compact City | Okabe Tomohiko, Sakaguchi Yu, Yamao Kazuma

古典 「EKISTICS - Science of Human Settle-ments」を主体とするドクシアディスの都市論をまとめたもの。体系的な科学としてのエキスティックスや、メガロポリスを超える全地球的な世界都市としてのエキュメノポリスの出現を説く彼の言説からは、現在のグローバリゼーション化した世界に対する鋭い先...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.165-168

[対談]

コンパクトシティ──都市批判としての都市をめぐって | 南泰裕太田浩史

Compact City: On the City as a Criticism toward the City | Minami Yasuhiro, Ota Hiroshi

1    コンパクトシティ論の背景 南——最初に、なぜメガロポリスやメトロポリスという大都市ではなく、コンパクトシティやスモール・シティといった中小規模の都市を取り上げるのか、ということから話を始めたいと思います。 僕と太田さんがコンパクトシティについて考え始めたのは、ほぼ三年ぐらい前まで遡ります。その議論も含めて、太...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.58-72

[翻訳]

住まうことの快楽 | アンヌ=マリー・シャトレモニク・エレブ五十嵐光二

Le Plaisir d'Habiter | Anne-Marie Châtelet, Monique Eleb, Igarashi Koji

空間の知覚と使用 感覚や知覚、あるいは運動といった次元を通じてであるにしろ、空間の身体的な大きさを考察の中に取り入れている建築家たちもいる。つまり空間の知覚に対する知が根底にはあり、それはこの複合的な問題について次のように書くCh・ド・ポルツァンパルクにおいてのみ明確に示されるようなものである。「建てられたものは、物体...

『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.128-144

[論考]

陽のあたる洗面台──ジェンダーが裏返したプラン | 鈴木明

A Washbasin at Centre Stage: Planning; Reversed by Gender | Suzuki Akira

「Vertigo(眩暈)」の展覧会テーマに合う、現代の日本建築を教えてくれないか? と尋ねる英国人建築家へ返信のメール。 君もよく知っている妹島和世さんの集合住宅はどうかな? ついこの間、彼女が設計した《岐阜県営住宅ハイタウン北方》[図1]に行ってきたので、そのときの話を送ろうと思う。 ところで、彼女の建築的戦略がもっ...

『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.108-115

[対談]

ポストモダン一九六八─八九──近代批判としての | 磯崎新五十嵐太郎日埜直彦

Post-Modern 1968-89: As Criticism of Modernism | Isozaki Arata, Igarashi Taro, Hino Naohiko

1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離感がこのところ曖昧にされ、場合によってはネガティヴな評価を前提とした、ある種の踏み絵になっているような感じさえある。そしてそうした意識において想定されている八〇...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77

[翻訳論文]

禁止主義の終焉 | パオロ・ポルトゲージ加藤耕一

The End of Prohibitionism | Paolo Portoghesi, Katoh Kouichi

ヴェネツィア・ビエンナーレの建築部門は、「ヴェネツィアと景観的空間」に捧げられた展覧会において劇場部門とともにスタートした後、八〇年代の始まりに第一回国際建築展覧会として独立したイニシアティヴを握っている。二年ごとに、同種の展覧会が、ヴィジュアル・アーツ部門による主要なマニフェストと結びついて開催される。このやり方によ...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.93-104

[翻訳論文]

デコンストラクティヴィスト・アーキテクチャー | マーク・ウィグリー入江徹

Deconstructivist Architecture | Mark Wigley, Toru Irie

建築は常に、とりわけその安定性と秩序の供給のために価値づけられた中心的な文化制度である。これらの質は、その形態の構成上の幾何学的純粋性から生じるように思われる。 建築家は常に、純粋形態、そしてすべての不安定と無秩序が除かれたものから物質をつくることを夢見てきた。建築物は、キューブ、シリンダー、球、コーン、ピラミッド等と...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144

[イントロダクション]

情報と建築の新しいかたち──コミュニティウェア | 仲隆介中西泰人本江正茂

Possibilities for Information and Architecture:Communityware | Ryusuke Naka, Yasuto Nakanishi, Motoe Masashige

「これがあれを滅ぼすだろう」 これは、ヴィクトル・ユゴーが『ノートル=ダム・ド・パリ』のなかで、一五世紀の司教補佐に語らせた言葉である。「これ」とは美しく印刷されたグーテンベルクの聖書を、「あれ」とはパリのノートル=ダム大聖堂をさしている。つまりここでは、一五世紀の聖職者が、新しく登場した活版印刷による聖書が、それまで...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.62-64

[翻訳論文]

/区分線をねじる/(前編) | ジェフリー・キプニス川田潤

/Twisting the Separatrix/ (Part I) | Jeffrey Kipnis, Jun Kawata

ベルナール・チュミが、ピーター・アイゼンマンとジャック・デリダに、パリのヴィレット公園にあるプロムナード・シネマティック沿いの庭園のひとつを一緒にデザインしてみないかと誘いをかけると、二人ともすぐさま同意した。実際、彼らのコラボレーションは大変目立つものだったので、奇妙なことにその遅れも、まるではじめから準備されていな...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.117-128

[翻訳論文]

ラ・ヴィレット公園 パリ 1982—1983 | レム・コールハース太田佳代子

Parc de la Villette, Paris 1982-1983 | Rem Koolhaas, Kayoko Ota

基本の仮説 図が示すように、はっきり「公園」と呼べるものを作るにはラ・ヴィレットの敷地は小さすぎ、逆に今回のプログラムは大きすぎる。公園というのは、公園としての楽しみを満たすのに最低限必要な施設を設けた、自然のレプリカになっているのが普通だ。ところがこの「ラ・ヴィレット公園計画」では、さまざまな社会機能が鬱蒼とした森の...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.105-116

[対談]

交通空間から郵便空間へ | 田中純東浩紀

From "Communicative Space" to "Postal Space" | Tanaka Jun, Hiroki Azuma

〈線〉の思考あるいは「郵便空間」への接続 田中──本号の特集テーマには、面積をもたず、かつ点ではない、つまり運動の軌跡であり、明確な領域性をもたない非場所的な対象として「線」を選びました。具体的な都市空間で考えれば、それは道路やパサージュ、アウトバーン、鉄道、地下鉄などの交通空間に対応します。そうした交通空間は多くの場...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91

[批評]

「第三機械時代」のアルケミー──白・銀・透明をめぐるサブ・クロニクル | 吉村靖孝

Alchemy in the "Third Machine Age": A Sub-Chronicle of White,Silver and Transparency | Yoshimura Yasutaka

「二〇〇一年宇宙への旅」に抽選で五名様を御優待! それは空想ではなく、現実の体験です。本物の宇宙旅行です。二〇〇一年より出発予定の人類最初の民間宇宙航行プログラムに、抽選で五名様をご優待いたします。 ──一九九八年サントリー・ペプシ社広告より[図1] 1──サントリー・ペプシ社広告(テレビCFより)地球を飛びたつのはこ...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.242-248

[ディスカッション]

建築は何処へ──多摩ニュータウンと快適性をめぐって | 多木浩二青木淳入江経一吉松秀樹

Whither Architecture? | Taki Kouji, Aoki Jun, Kei'ich Irie, Yoshimatu Hideki

この討論は、特集である多摩ニュータウンを見学し、それぞれが現代で経験しつつあることとの関係の中で、はたしてこれまでのパラダイムで建築が考察されうるのか、という疑問を暗黙におきつつ、なおいたずらに抽象的な議論に終始することなく、建築を核にして人間の生存の様態を討議するためのものである。ここに参加していただいた三人の建築家...

『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.76-103

[論考]

Ruin/Desolation Row──廃墟と写真をめぐって | 倉石信乃

Ruin/Desolation Row: On Ruins and Photography | Kuraishi Shino

1  一九世紀の建築写真 建築は、写真にとって発端からすでに主要なモティーフのひとつであった。二人のジェントルマン・サイエンティスト、ニエプスとタルボットの最初期の写真を想起しよう。ニエプスによる窓から見える納屋と鳩舎の眺め[図1]、タルボットによる格子窓の映像は[図2]、写真の起源として長く記憶されてきた。そのいささ...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96

[論考]

フレデリック・ロウ・オルムステッドと辺境の変容 | 片木篤

Frederick Law Olmsted and The Change of Frontiers | Katagi Atushi

都市と荒野とが鋭く対立する辺境(frontier)の存在は、常にアメリカの社会、経済、文化の根底にあって、それらをつき動かしてきた原動力である。特に一九世紀半ばになって、工業化が進む中で都市が膨脹し、荒野が開拓され尽くした時に、ロマン主義者によって辺境は再発見されていく。ヘンリー・ソーロー(Henry Thoreau,...

『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.231-242

[翻訳]

空間を問う──『建築講義』 | バーナード・チュミ+岡河貢

Questions of Space | Bernard Tschumi, Okagawa Mitsugu

建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現したためしはないし、その社会的目標もどれひとつとして達成されていない。現実にぼかされてしまった理想は再開発の悪夢と化し、目標は官僚政策に変わった。社会的現実とユ...

『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316

[論考]

ヨーロッパ現代建築のダーティ・リアリズム──メイキング・ザ・ストーン・ストーニー | リアンヌ・ルフェ─ヴル+岡田哲史

Dirty Realism in Europian Architecture Today | Liane Lefaivre, Okada Satoshi

第二次世界大戦後の建築と都市の歴史は、テクノクラートが居住する場所、余暇を過ごす場所、労働する場所をめぐって生まれた悪夢というに相応しく、アスファルト砂漠、粗末な街路、原子力廃棄物の墓場といったイメージを漂わせる。戦後の建築や都市は今や、非人間性、荒廃、破滅といったタームの同義語なのである。 しかし過去四○年間の建築の...

『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.217-223

[論考]

建築写真のヴァーチュアリティ | 大島哲蔵

The Virtuality of Architectural Photography | Oshima Tetsuzo

建築は基礎(基壇)でしっかり地面にインプラントされて身動きできない存在だから、何らかの手だてで代理的イメージを制作して流通させないことには、より広い世界を獲得するには至らない。大規模な人工物(アーテイフアクト)に直面した感動を人に知らせたいという欲求は、修辞術(レトリツク)や絵画描写を進展させた。既に紀元前五世紀の古代...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116

[論考]

メディアと建築──建築史の中の写真 | 五十嵐太郎

Media and Architecture: The Position of Photography in Architectural History | Igarashi Taro

一九世紀フランスの建築写真からアーカイヴの爆発へ 一八五一年、五人の写真家が重大な使命を抱えて、国内に散らばった。ギュスターヴ・ル・グレイとその弟子メストラルは、トゥーレーヌとアキテーヌへ。アンリ・ル・セックはロレーヌとアルザスへ。エドゥアール・バルデュスは、ブルゴーニュへ。イポリット・バヤールはノルマンディへ。この年...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132

[論考]

ロバート・ヴェンチューリとパオロ・ポルトゲージにおけるローマの写真 | デボラ・ファウシュ加藤耕一

Robert Venturi's and Paolo Portoghesi's Photographs of Rome | Deborah Fausch, Katoh Kouichi

「すべてはレトリックである」──ポスト構造主義者の信仰個条であるこの原理はそのルーツをモダニズムの奥深くに有している。これと反対の、モダニストたちが彼らの芸術によって結果に影響を与えようと試みる──実はこれがレトリックの原動力である──のと同時に、彼らがもち続けた歴史的あるいは芸術的真理という原理は、しかし、何が修辞学...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.162-172

[論考]

建造物のイメージ | ロルフ・ザクセ暮沢剛巳

Images on Buildings | Rolf Sachsse, Kuresawa Takemi

ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえているのはヴァーチュアリティにほかならない! ロバート・ヴェンチューリの小屋の装飾★一は、たとえその形態が変容を蒙っているのだとしても、情報建築として終末論的な...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166

[論考]

すっきり空っぽ──ホンマタカシの写真 | トーマス・ダニエル篠儀直子

Pretty Vacant: The Photographs of Takashi Homma | Thomas Daniel, Shinogi Naoko

西洋の想像力にとって日本は二つある。ひとつは急速かつ濃密、雨に濡れてネオンのまたたく、ぎゅうぎゅう詰めの人工的カオス。もう一方は静かかつ平穏、謎めいて官能的な、自然のサイクルと密接に関連した日本である。 日本の写真についての論は、たいていこれらのテーマのどちらか、あるいはもっと一般的には、両者の並列に注目している。近代...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.157-159

[論考]

網目状の……──建築と都市への視点/森山大道と荒木経惟 | 飯沢耕太郎

The Meshes of the...: Perspective on Architecture and the City/ Daido Moriyama and Nobuyoshi Araki | Iizawa Koutarou

写真家たちが都市にカメラを向ける時、建築はいやおうなしに視界に入ってくる。むろん、建造物そのものを被写体とする、いわゆる「建築写真」を撮る時以外は、それらは「図」として浮上してくるのではなく、「地」としての意味しか持たない。 だが、写真という表現メディアには、よくありがちなように、むしろそのような「地」の図像の方に、そ...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.145-148

[論考]

場所と風物──ニュータウンのトポロジー | 内田隆三

Place and Landscape | Uchida Ryuzo

二つの力 都市は異質な二つの力が交差するところに成立している。 一つは、無限に広がり、密度を変えていく流動的な「外部性」をひらく力である。そこには、貨幣のたわむれ──(貨幣が媒介する)他者への欲望のたわむれ── が見出される。もう一つは、この流動的な外部性を、固定し、空間化し、内部化し、同一性を与え、そこに「共同体」の...

『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.186-194

[論考]

ディアスポラの楽園 | 今福龍太

Diasporean Paradise | Imahuku Ryuta

I スナップショット 「郊外」を語ることは、ポストモダニティの文化のなかにおかれた「観光」を語ることに似ている。いうまでもなく、すでに観光と呼ばれる行為じたいが過度の大衆化と商品化によってその近代ブルジョワ社会における巡遊(グランド・ツアー)としての旅の内実を失って記号と表象の波間を漂いはじめたのとおなじように、郊外...

『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.148-156

[批評]

戦線──「E1027」 | ビアトリス・コロミーナ篠儀直子

Battle Lines: E.1027 | Beatriz Colomina, Shinogi Naoko

個人の人格がこれほど多くに分裂している時代では、おそらく怒りが最大のインスピレーションである。とつぜんにひとつのものが、ひとつの要素のなかでのすべてとなるのだ アイリーン・グレイ、一九四二年 「E1027」。一軒のモダンな白い家が、フランスのカップ・マルタン[マルタン岬]のロクブルンヌという人里離れた場所で、地中海か...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.218-226

[批評]

家具と女性性 | メアリー・マクレオード+毛利嘉孝

Furniture and Feminity | Mary McLeod, Mori Yoshitaka

ここで取りあげるのは、シャルロット・ペリアンがル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレと共にデザインをした家具と、二人のインテリア全般のアプローチに与えた彼女の影響である。彼女は第二次世界大戦の初めにコルビュジエのアトリエを離れたが、そのままアトリエと緊密な関係を続けていた。その家具は今日再び生産されているが、現代の工業...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234

[批評]

ル・コルビュジエ、オリエンタリズム、コロニアリズム | ザイネップ・セリック+篠儀直子

Le Corbusier, Orientalism, Colonialism | Zeynep Celik, Shinogi Naoko

ル・コルビュジエはその長い経歴をつらぬいて、イスラムの建築と都市形態とに魅了されつづけていた。生涯にわたるこの関心が最初に力強く宣言されるのは、一九一一年、「オリエント」での旅行ノートとスケッチにおいてである。「オリエント」とは一九世紀から二○世紀初頭にかけてのディスクールにあっては曖昧な場で、中東から北アフリカにかけ...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.200-217

[批評]

「2 into 1」への序説 | ヘラ・ファンサンデ+植林麻衣

Introduction to the Article "2 into 1" | Hera Van Sande, Uebayashi Mai

「ヴィラ・スタイン─ド・モンジー」(以下スタイン邸と省略)は、ル・コルビュジエがキャリアの初期の段階で、自身のスタイルを探し求めていた時期に、ついに結実したプロジェクトとして知られている。ル・コルビュジエ本人も「一九一八年から一九二五年にわたる、(謙虚でありながら情熱的な)努力がようやく花開いた成果」と語る作品である。...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.198-199

[批評]

2 into 1──スタイン─ド・モンジー邸の思考プロセス | マルク・デュボワ+三宅理一

2 into 1: The Planning Process of Villa Stein-De Monzie | Marc Dubois, Miyake Riichi

コーリン・ロウは、『アーキテクチュラル・レビュー』誌一九四七年三月号で、ル・コルビュジエの「スタイン─ド・モンジー邸」(一九二六─二七)の平面とパラディオのヴィラ・マルコンテンタのそれを比較し、世界中の注目を集めた。そのことに刺激され、このル・コルビュジエのヴィラは数多くの研究者の研究対象となったのである★一。しかし、...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.191-197

[インタビュー]

La ville──三人の建築家へのインタヴュー:レム・コールハース | レム・コールハース+荒原邦博

La ville: Interviews with Tree Architecture, Rem Koolhaas | Rem Koolhaas, Arahara Knihiro

ロンドンとロッテルダムの都市建築事務所(OMA)の創設者、レム・コールハースは、"Delirious New York"の出版の年である一九七八年以来、都市について問いを発し続けている。彼がチーフ・アーキテクトを務めるユーラリールでの実験に、レム・コールハースは、都市の秩序を組織することは今や世界的に困難であるという一...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.51-55

[インタビュー]

La ville──三人の建築家へのインタヴュー:ジャン・ヌーヴェル | ジャン・ヌーヴェル+西野修一

La ville: Interviews with Tree Architecture, Jean Nouvel | Jean Nouvel, Nishino Syuichi

「任意の数の中心から成る星雲における」都市の爆発を確認しながら、ジャン・ヌーヴェルはこの現状を受け入れ、建築を世界の修正と延長として定義する。彼は、他の概念的なアプローチに、古典的な構成の原則の代わりをさせる。そうしたアプローチでは、光、ずれの概念、映画的なシークエンスのような基準が介在する。それらは、プラハやベルリン...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.56-59

[批評]

地下と高架──擬似都市の建築 | トレヴァー・ボディ+末廣幹

Underground and Overhead:Building the Analogous City | Trevor Boddy, Suehiro Miki

街路の歴史は文明と同じくらい古く、ありとあらゆる人の接触、摩擦、寛大さとともに、人間のつくりだしたほかのもの以上に、公的な生活というものを象徴してきた。だから、誰も街路が影響を受け易く、脆いものだと考えはしなかったであろう。だが北アメリカ全土にわたって、ダウンタウンの道路は、今やゆっくりと、静かに、しかしながら効果的に...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169

[批評]

世界記述のプログラム | 桂英史

The Library :A Program for Recording the World | Katsura Eishi

南方熊楠があこがれた男 一八八九年、当時二三歳だった南方熊楠はミシガン州ランシングに滞在し、読書と野外採集に専念していた。すでに四年目にはいった滞米生活であったが、大学での生活にはほとんど興味を失っていた。とにかく、野外に出て植物を観察・採集し、図書館で読書(熊楠の読書というのは、たいていの場合「写本」を意味する)する...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.122-131

[対談]

建築とプログラム | 伊東豊雄坂本一成山本理顕八束はじめ

Program Issues in Architecture | Ito Toyo, Sakamoto Kazunari, Yamamoto Riken, Yatsuka Hajime

1 三つのプログラム 八束…議論の前提として、いくつかの問題を整理しておきたいと思います。まずプログラムと言われているもののなかに、三つのものが区別できるだろうということです。ひとつは常識的に言われているプログラム、施設としてのビルディング・タイプの根幹をなすハードコアとしてのプログラムと言ってもいいわけですが、建築や...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.103-121

[インタビュー]

La ville──三人への建築家へのインタウュー:アンドレア・ブランジ | アンドレア・ブランジ+村上靖彦

La ville: Interviews with Tree Architecture, Andrea Branzi | Andrea Branzi, Murakami Yasuhiko

建築家、デザイナー、フィレンツェの前衛集団「アーキズーム」の創設者、アンドレア・ブランジは一九七四年以来、「ノンストップ・シティ」のコンセプトを展開し、現代の都市を工業的物体の散種された巨大な空間とみなしている。「都市、それは私たちにとって百メートル四方に区画されたトイレだったのです」。この定義は、脱工業化した「工業化...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.60-63

[鼎談]

廃墟・建築・零年──建築家はいかにして可能か | 鈴木了二西谷修小林康夫

Ground Zero, Architecture, The Year Zero: How the Architects are | Suzuki Ryoji, Osamu Nishitani, Yasuo Kobayashi

均質空間の崩壊 鈴木了二──「美術」と「建築」というテーマが設定されているようですが、建築には実は、どこからどこまでが建築っていうような枠組みはないんじゃないか。今度出した『建築零年』でもちょっと書いたけれど、建築は出来事であって、一種の専門的な職能分野とは違うと思ったほうがいい。なぜなら、職能化し分化した建築が建築に...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72

[論考]

アウト・オブ・コントロール・スペース──変動するインフォ・ジオグラフィ | 四方幸子

Out of Ctrl _ Space: Modulating Info-geography | Shikata Yukiko

新しい技術的—経済的パラダイムは、経済的、機能的組織の不可逆的空間論理としてフローの空間をもたらす。そこで問題は、いかにして場所の意味を新しい機能的空間に接合するかということになる。場所にもとづく社会的意味の再建には、社会的、空間的オルタナティブ・プロジェクトの、文化的レベル、経済的レベルそして政治的レベルの三水準にお...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.73-101

[批評]

テルプシコラの神殿、あるいは「女性の空間」──一八世紀末パリにおけるデルヴィユ嬢の場合 | 土居義岳

The Temple of Terpsichore, or "Women's Space" : the Case of Dervieux in 18th Century paris | Yoshitake Doi

1 デルヴィユ嬢の館を読み解くための いくつかの文脈 建築空間をいまはやりのジェンダー論で読みといてゆくのはさほど困難ではなく、いままで蓄積された研究を再活用し、その重心をすこしずらせばよいだけであって、建築の分野でこの種の論考が少ないとすれば、それはひたすら研究者の動機づけの問題であろう。 とはいえ「女性の空間」なる...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.161-170

[批評]

鏡像──第二次世界大戦以降のアメリカ建築における、技術、消費とジェンダーの表現 | ジョアン・オックマン赤川貴雄

Mirror Images: Technology, Consumption, and the Representation of Gender in American Architecture since World War II | Joan Ockman, Akagawa Takao

二つのよく知られたイメージが、第二次世界大戦後の初めの一〇年期におけるアメリカ建築を定義すると言ってよいのではないだろうか。ひとつは、インターナショナル・スタイル・モダニズムのイコンであり、アメリカの企業資本主義の顔である、《レヴァー・ハウス》[図1]。もうひとつは郊外の核家族家庭の、社会的には伝統的で美的感覚としては...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179

[批評]

メンズ・ルーム | リー・エードルマン瀧本雅志

Men's Room | Lee Edelman, Takimoto Masashi

I 公衆用の男子トイレ(メンズ・ルーム)は、建築として言うなら、滅多に眺めのいい部屋(ルーム)であることはないし、そもそも外の眺めと言える代物が少なくとも見える部屋では滅多にない。(ウォーター・クローゼット=WCであるうえ、大声で言うのはタブーな肉体に関わる事柄を行なう場でもあるから)男子トイレはクローゼット[=内密の...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.130-142

[批評]

クローゼット、衣服、暴露 | ヘンリー・アーバック篠儀直子

Closets, Clothes, disClosure | Henry Urbach, Shinogi Naoko

「クローゼット」という言葉には、別々の、しかし関連しあう二つの意味がある。ひとつには、クローゼットとはものが収納される空間のことである。「あなたの服はクローゼットのなかにあります」と言ったりするのはこの意味においてである。だが「ジョーは何年もクローゼットのなかにいた」という発言は、彼がズボンとネクタイを合わせようとして...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.120-129

[批評]

シンク(sink)にて──アブジェクシオンの建築 | ナディール・ラーイジD・S・フリードマン五十嵐光二

At the Sink: Architecture in Abjection | Nadir Lahiji, D.S. Friedman, Igarashi Koji

しかし建築においては錘線器だけでは十分ではありません。例えば水準器等の他の道具も必要です。まあそれでも錘線器であるとしても悪くはありません。それがあれば幾つかの問題の鉛直線を定めることはできますから。 ジャック・ラカン『セミネールI』 「フロイトの技法論」一九五三─五四  《サヴォワ邸》[図1]のエントランス・ホール...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119

[批評]

顔の喪失 | アンソニー・ヴィドラー大島哲蔵道家洋

Losing Face | Anthony Vidler, Oshima Tetsuzo, Hiroshi Doke

美術館は巨大な鏡である。その中で人は、最後にはあらゆる面から自らを見つめ直し、自分自身が文字通り賞賛に値すると知り、そしてあらゆる芸術雑誌に表現された恍惚感に自らを委ねる。 ──ジョルジュ・バタイユ「美術館(ミュゼ)」 ジェームス・スターリングの建築に関する最近の論文で、コーリン・ロウは、シュトゥットガルトの新しい《...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190

[批評]

視覚を(が)開く──電子情報時代の建築 | ピーター・アイゼンマン丸山洋志

Vision's Unfolding: Architecture in the Age of Electronic Media | Peter Eisenman, Maruyama Hiroshi

第二次世界大戦後のこの五〇年の間に、建築に重大な影響を及ぼすパラダイム・シフトが生じた。それは機械─力学(メカニカル)から電子─情報(エレクトロニック)へのパラダイム・シフトである。写真とファクシミリという複  製  様  式 (モード・オブ・リプロダクション)において人間─主体の役割の度合いを比較するならば、この変化...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.191-196

[批評]

フリーズフレームス──写真と建築の横断線 | 福屋粧子

Freezeframes: Intersections of Photography and Architecture | Fukuya Shoko

あなたは寝室の天井の色を覚えている? 白、だと思う。グレーかもしれない。ベージュかな。紫がかっていたかも……。 写真的記憶という言葉がある。何かの事物を言葉としては思い出すことができなくとも、場面を思い浮かべ、その映像の一部分を拡大していくことによって、細部を思い出すことができるというようなものだ。しかし多くの場合、...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.230-241

[図版構成+論考]

黒の表象──黒をめぐる博物誌 | 五十嵐太郎斉藤理

Black Symbols:An Archive of Black | Igarashi Taro, Tadashi Saito

黒の製法 1──黒顔料の製造機械 一五二一年チェザリアーノによるウィトルウィウス解説図 「まず、黒色顔料について述べよう。(…中略…)小さい炉がつくられ、(…中略…)炉の中に松脂が置かれる。火力がこれを燃やすことによって煤を孔からラコーニクム(熱気室)の中に押し込む。それが壁と円筒天井のまわりにくっつく。そこから集め...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229

[図版構成+論考]

黒の表象──アフリカン・アメリカン・アーキテクトの憂鬱 | 五十嵐太郎

Black Symbols:The Melancholia of African-American Architects | Igarashi Taro

I had to open the bruise blood come out to show them. 黒人暴動を契機に作曲されたスティーヴ・ライヒ「カム・アウト」(一九六六) Ice cube wishes to acknowledge America's cops for thier systematic a...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229

[対談]

映画と建築の接線──海洋性をめぐって | 鈴木了二小林康夫

A Tangent of Cinema and Architecture: On the Oceanic | Suzuki Ryoji, Yasuo Kobayashi

マラパルテ邸 あるいはスタジオ・マラパルテの謀略? 小林── 今日のテーマは「海洋性」ということですが、この企画全体が建築と映画との接点を見出すという主旨になっていますので、映画と建築とのあいだに海をおいて、そこでいったいどんな接線が結ばれるのか、ということを二人で話してみたいと思っています。われわれはあらかじめ打ち合...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.211-219

[批評]

二元論と反復と逸脱の作法──戦後建築ジャーナリズムに見る建築批評の構図 | 田中禎彦

Forms of Binarism, Reiteration, and Deviation: Architectural Criticism in Post-War Architectural Journalism | Sadahiko Tanaka

建築批評の不在と二元論の反復 批評の不在がいわれ、新しい建築評論のあり方がもとめられているという。しかしこうした「建築評論のあり方」「批評の不在」そのものをテーマとした論考は、範囲を日本の戦後建築ジャーナリズムに絞ってもすでに数多く存在する★一。いつの時代も建築批評は不在であった。では実際、戦後建築メディアにおいて活発...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.95-97

[批評]

構成と批評──建築に内在する他者をめぐって | 南泰裕

Structure and Criticism: A Look at the Intrinsic Other in Architecture | Minami Yasuhiro

自覚的に、というよりは自意識的に、と記述する方が正確なのだが、批評という形式のもつ危うさと困難さを最もきわだった形で素描し続けたのは言うまでもなく小林秀雄である。批評家は作品を前にして怯える他ない、というような突き詰めた彼の認識は、いずれ批評が作品の周囲を旋回し続けてそこにたどり着くことはない、という事実に対する反語的...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.88-89

[批評]

建築の哀悼劇──ヴァーチュアル・ハウスをめぐって | 田中純

"Trauerspiel" of Architecture: On the Virtual House | Tanaka Jun

1:例外状態の建築家たち 一九九七年三月にベルリンでAnyone Corporationの主催により、「ヴァーチュアル・ハウス」をめぐるフォーラムと設計競技が開かれている。参加建築家は伊東豊雄、アレハンドロ・ザエラ=ポロ、ジャン・ヌーヴェル、ピーター・アイゼンマン、ヘルツォーク&ド・ムーロン、そして、ダニエル・リベスキ...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104

[批評]

都市はメディアである | フリードリヒ・A・キットラー長谷川章

The City is a Medium | Friedrich A. Kittler, Akira Hasegawa

われわれは自宅でさまざまな形でエネルギーを享受しているが、それに支配されていると考えたことなどない。同じように、将来さらに速く変化し変容するこうしたエネルギーを享受し、それらを知覚し統合するわれわれの感覚器官が、それらからわれわれが知りうるすべてを成し遂げることも当然のことのように考えている。果たしてこれまで哲学者たち...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.78-87

[論考]

ミニマリズム・ラスヴェガス・光の彫刻──「建築的美術」と「美術的建築」の連続と断絶 | 暮沢剛巳

Minimalism/Las Vegas/Light Sculpture: The Continuation and the Rupture of "Architectural Art" and "Artistical Architecture" | Kuresawa Takemi

公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政治思想がすべて自明の公理としていた区別である。    ハンナ・アレント「公的領域と私的領域」 単なる建築の域にとどまらない超建築的、アート的な都市プロジェクト...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141

[論考]

カフェ、あるいは「空間の生産」 | 野々村文宏

Cafe or the Production of Space | Nonomura Fumihiro

* ダン・グレアムは、一九八九年から九一年にかけて、DIAセンター・フォー・ジ・アーツのビルの屋上を作り変えた。それが、有名な《Roof Top Urban Park Project / Two-Way Mirror Cylinder Inside Cube》である。 ギリシア語で「through」を意味する名を冠した...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.112-118

[批評]

暴力のテクノロジー | M・クリスティーヌ・ボイヤー篠儀直子

Technology of Violence | M.Christine Boyer, Shinogi Naoko

本稿は、M・クリスティーヌ・ボイヤーのCybercities最終章にあたる“Electronic Disruptions and Black Holes of the City”の中のテキスト「暴力のテクノロジー“Technology of Violence”」と題された末尾部分と、そのあとに続く本書全体の結論部分とを...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.123-136

[批評]

カリフォルニアン・イデオロギー | リチャード・バーブルックアンディ・キャメロン篠儀直子

Californian Ideology | Richard Barbrook, Andy Cameron, Shinogi Naoko

未来について嘘をつかずにいるのは不可能である.これについては白由に嘘が言えるのだ。ナウム・ガボ★一 ダムが決壊するとき…… 二〇世紀も終わりにあたり、長く予期されていたメディア、コンピュータ、テレコミュニケーションのハイパーメディアヘの一極集中化が、ついに起こりつつある★二。人間の労働の創造力を容赦なく多角化と増大化...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.153-166

[鼎談]

現代建築批評の方法──ジェンダー・人間中心主義批判・表象文化論・精神分析をめぐって | 土居義岳後藤武五十嵐太郎

Contemporary Methods in Architecture Criticism: Gender/A Critique of Anthropocentrism/Psychoanalysis | Yoshitake Doi, Goto Takeshi, Igarashi Taro

建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に関心をもっていて、それを建築で展開できない かと考えていました。簡単に整理すると、まず六〇年代の異議申し立ての時代には女性運動を含むいろいろな革命が起こり、当然...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81

[批評]

ジオポリティクスの終焉?──世紀末の複数的プロブレマティックに関する諸考察 | ジェラルド・トール篠儀直子

At the End of Geopolitics?: Reflections on a Plural Problematic at the Century's End | Gerald Toal, Shinogi Naoko

古い世界秩序の死と新しい世界秩序の誕生との間の過渡期にわれわれは生きているという主張は、今やある種のクリシェとなっている。さまざまに異なる理論的シェーマが、この移行の概要を描きチャート化しようと試みている。ある者たちの説によるとわれわれは、産業社会の規範がパラダイムとなっていた文明の第二の波から、規範・価値・ふるまい、...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.200-212

[批評]

ヨーロッパの都市の倫理 | ポール・トレノア加藤茂生

An Urban Ethic of Europe | Paul Treanor, Kato Shigeo

要旨 ヨーロッパには、都市に適用されるいくつかの規範的な原則、すなわち「都市の倫理」がある。それによって、ある都市が存在し、そうでない都市が存在しないのはなぜか、という理由を説明できるのである。原則の主なものは次の三つである。都市の近代性としての「脱都市化」。国民国家によって一律に覆われているヨーロッパにおいて、都市が...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.185-199

[批評]

フィクションズ | ノーマン・M・クライン篠儀直子

Fictions | Norman M. Klein, Shinogi Naoko

これが人生さ(アシ・エス・ラ・ビーダ) ロドニー・キング事件のテープがスペイン語放送のテレビで放映された。警察について話し合われることはサウスゲート成人学校ではよくあることで、カリフォルニア州南部の他のヒスパニック移民地区と同様、サウスゲート地区ではありふれたことだった。生徒のひとりは「これが人生さ(アシ・エス・ラ・ビ...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.167-179

[論考]

万博と国民国家──「もう一つの万博 ネーション・ステートの彼方へ」のために | 渡辺真也

EXPO and the Nation-State: For the Exhibition"Another Expo-Beyond the Nation-States" | Shinya Watanabe

私の目的は、万博の根本原理である国民国家に囚われない、自由な美術展を創造することにある。 万博と国民国家 アメリカの参加が意味するもの クレオール文学者のモーリス・ロッシュは、一九世紀に始まった万博は、西欧の都市国家から国民国家へ、そして市場経済形成へと近代化していく変遷の過程の産物であったとしている★一。一八七〇年...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.116-124