1962年生まれ。社会思想史、メディア研究。和光大学教授。
(最終更新:2009年9月28日)
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
...的な構造は、意識しておくべきだろう。かつて上野俊哉は、大澤真幸によるオウムと震災論が日本しか... ...一──Deconstructivist Architecture, MoMA, 1988. ★二──上野俊哉による大澤真幸『虚構の時代の果て』(筑摩書...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[鼎談]
今福龍太上野俊哉多木浩二今福──本号の特集テーマの一つに「トラヴェローグ(旅行記)」という言葉があがっているわけですが、もちろんこれは、たんに紀行的なテクストと...今福龍太上野俊哉多木浩二今福──本号の特集テーマの一つに「トラヴェローグ(旅行記)」という言...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.80-93
[非都市の存在論 10]
...、工作舎、一九九一)所収、一〇─一四頁。 上野俊哉氏による批判について 本誌一三号に掲載された... ...ディア都市の地政学』をめぐって」に関して、上野俊哉氏は『建築文化』七月号で〈群島(アーキペラ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21
[論考]
...成員の属性の差異を論じることはしない★二。上野俊哉が「アーバン・トライブ(都市の部族)」とい... ...スタディーズ』紀伊國屋書店、二〇〇五)。 ・上野俊哉『アーバン・トライバル・スタディーズ──パ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.144-155
[論考]
...る。あるいはサバーバンよりもパラアーバン(上野俊哉)とも呼ぶべき事象なのかもしれない。そこを... ...として、ではあるが。 註 ★一──『現代思想』一九九一年四—五月号、上野俊哉+開発チエ訳参照。...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.34-51
[Urban Tribal Studies 1]
文化研究やメディア研究、都市研究の現状に満足できない者として、ここに別の視点からの提案をしてみたいと思う。いま、なぜ文化研究の状況に不満を感じるかについてはここ...語での執筆と並行して進行する。 註 ★一──上野俊哉『シチュアシオン──ポップの政治学』(作品社...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.225-234
[批評]
...るレギュレーターの構想であり、八束はじめ、上野俊哉、入江経一、野々村文宏などによって営まれて... ...化の時代に相応しいモードである。[この項=上野俊哉による] 都市開発としてのEB 狭義のEBは...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.82-102
[Urban Tribal Studies 6]
都市の若者文化やサブカルチャーを対象にする研究にとって、ドラッグの問題は避けて通ることはできない。いろいろと微妙な問題もあるが、今回はUTSがどのようにドラッグの問題に向かっていくのか、その見通しを描いてみたい。過去のサイケデリック文化を含めた歴史との関わりもUTSにとっては大きな意味をもっていることは言うまでもない。...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.217-226
[Urban Tribal Studies 11]
きわめて排他的に「われら」に固執する集団や個人でさえも、いくぶんかの「やつら」を内に同居させている。こうして「われら」はしかるべくみずからを欺くことになる。イデオロギーは「われら」の内なる「やつら」である。 ポール・ウィルス ひとつの語を引用するとは、その語を真の名前で呼ぶことなのである。 ヴァルター・ベンヤミン ...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.214-224
[Urban Tribal Studies 5]
具体的な事例の記述と分析からはじめたい。はじめて海外でトランスのレイヴ・パーティに参加したある女性(日本人、研究者)は次のように語った。 「みんなが同じ音楽で、しかも大体みんなDJやビデオスクリーンやディスプレイの方を見ながら一心不乱に踊りつづけているのは何だか気味が悪い。ドラッグを摂取している人も多いみたいだけれど、...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.208-218
[Urban Tribal Studies 7]
どんな都市や街路にも特定のリズムがある。同じように巨大都市であり、せわしなさにおいても似ている東京とロンドンだが、それでも街のもっているリズムは異なっている。 このリズムの違いは、それぞれの都市の空間性の違いであると同時に、その都市がもっている時間性、あるいは時間に対する社会的、集団的な身ぶりや態度の違いを指している。...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.232-241
[都市論の系譜学 2]
「アーバニズム」(都市論=都市計画)とは都市が抑圧し、排除し、外部化してしまった何ものかの投射、射影ではないだろうか? 一般に「アーバニズム」は、われわれが都市について考え、あるいは語るさいにその形式として機能する。この言葉が明確な定義なしでも機能しうるのは、それじたいが「都市」の概念を生産し、使用させるフレームでもあ...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285
[ヴィジュアル]
マイ・トライブ 大地は変わらずとも 空は移ろいゆく 空は変わらずとも 大地は移ろいゆく 湖を渡り歩き 森を渡り歩く どこに私のトライブはあるのか? と私は自問する どこに私の家があるのか、と おそらく私はノ−トライブに 住む人間なのだ あるいは、嫌われ者のトライブの もしかするとそれは、未来からの祖先のトライブ...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.147-160
[論考]
ギィ・ドゥボールは果たして街路(ストリート)を愛していただろうか? 彼は街路で考え、書く人間だったのか否か? 答えやすいようで、実は答えにくい問いである。 この問いを考え直すことは、一九九○年代中盤以降のカーニヴァル的な街路での運動やアクティヴィズム、文化研究や社会理論における「空間論的転回」についてふりかえることにな...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.97-105
[Urban Tribal Studies 15]
前回、英国のストーンヘンジがパーティやイヴェントの空間になることによって生じる様々な問題についてふれた。かつてニューエイジ・トラヴェラーが古代遺跡を空間占拠(スクウォット)している話を聞いたり、ケヴィン・ヘザーリントンによる分析を読んで最初に思ったことは、早晩、日本にも神社や古墳でパーティをやる輩が出てくるという予感だ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.182-190
[都市論の系譜学 3]
1 ここに都市と建築についてのいくつかのテーゼの断片がある。 「SIの最小限綱領は、完全な生の舞台装置(デコール)を実験すること──(…中略…)」。 「統一的都市計画とは、すべての領域で、最も進化した概念にしたがって、意識的に、人間の環境を創造しなおす、複合的で、永続的な活動として定義される」。 「居住、流通、およびリ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.263-274
[Urban Tribal Studies 3]
アーバン・トライバル・スタディーズ(UTS)にとって「調査」や事実や現象の記述とは、どのようなものであるのか? また、それはこれまでの社会学や文化研究における様々なエスノグラフィックな試みをどのように引き受けているのだろうか? このことを考えてみたい。 当然のことだが、UTSが相手にする「都市の部族」は社会のアンダーグ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.254-262
[Urban Tribal Studies 16]
足かけ四年にわたって連載してきた、この「アーバン・トライバル・スタディーズ」にも前回と次回で一応の区切りをつけておこうと思う。今回はトライブ概念をめぐる反省、再考を整理し、最終回の次回は議論を次のステップに向ける準備をしておきたい。 これまでも指摘してきたように、都市のサブカルチャーにおけるトライブは、自分以外のトラ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.225-234
[Urban Tribal Studies 4]
UTS(Urban Tribal Studies)の構想について、ベンヤミン・ペラソヴィッチとわたしが一緒に準備してきたメモやノート、あるいは各地で交わされた討論のなかでは、すでにたくさんの語や概念があみだされている。例えば、Translocal, Trancecritic, Trancelation, Trance(...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.237-246
[Urban Tribal Studies 14]
ここにはドイツ青年運動の奇妙な、独特の体質がある。青春を、やがて成熟へと吸収される人生の一段階と見ることを断固として拒否し、青春に固有の文化的、認識論的権利を、その制度的保証とともに彼らは要求した。今のことばで言えば、独自のヤング・カルチャーがもつ変革のパワーに固執した。他方で、そうしたパワーの根拠を、青春の生命と宇宙...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.176-186
[Urban Tribal Studies 9]
今回も前回に引き続き、TJ(Text Jockey)という位置=立場について考えるために、最近出版、発表されているクラブやレイヴカルチャーについてのいくつかの著作を批判的に検討しながら議論をすすめたい。今回は特に、TJの位置をパーティに参加しているクラウド(群衆、一般にお客としてのクラバーやレイヴァーを指す俗語になって...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.187-198
[Urban Tribal Studies 17]
トライブは重なり合う。ひとりのサブカルチャー的主体(個人)は複数のトライブに帰属することができる。音楽ジャンルをとってみても、ヒップホップを愛する「Bボーイ」である者が同時にテクノやトランスのトライブに属していることは珍しくない。トライブを横断する主体はそれぞれのトライブの空間(なわばり=テリトリー)の文脈に合わせて微...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.202-210
[Urban Tribal Studies 8]
エクスタシーとテクノは情動=感情に適用されたコミュニズム(共産主義)である。 ニコラス・サンダース 彼らの恍惚に内容はない。恍惚に達すること、音楽が聴かれること、それが内容の代りだ。恍惚の対象は、それ自体の強迫的性格に他ならぬと言ってもよい。それは、打ち鳴らされる戦闘用太鼓に合わせて未開人が踊って見せる恍惚状態を真似...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.213-222
[Urban Tribal Studies 2]
Ⅰ アムステルダムの熱帯美術館で九七年の終わりから九八年の九月まで開かれている展覧会「シベリアからサイベリアへ」は、様々な地域、民族にわたるシャーマンの文化を網羅的に紹介し、同時にいまやサイバー文化のなかにシャーマン的な実践が成立しうる、という仮説までそなえた興味ぶかい展覧会である。ここではロシアのサンクト=ペテルスブ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.261-270
[Urban Tribal Studies 13]
そもそも田舎というのはもうないんですよ。つまり田舎は都市によって完全に植民地化されているのです。重要なのは中心としてのパリと地方の関係です。自由ラジオはパリに集中した政治的・文化的表現の力、いわばパリ帝国主義とたたかうのに大変重要な武器なのです。 フェリックス・ガタリ 先進資本主義諸国では、この十年間に周波数...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.195-206
[都市論の系譜学 1]
1 批判の都市論、あるいは都市論批判の系譜をさかのぼってみたい。それによって都市論の臨界を見きわめることができるはずである。社会科学において「批判理論」や「疎外論」がはたした役割についてはすでに一定の評価ならびにその限界の指摘がなされている。同じような意味において、狭義の「都市論」を超える方向で都市や建築を語る言説のス...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.317-329
[Urban Tribal Studies 10]
物が与えられ、返されるのは、まさしく〈敬意〉──われわれはさらに、〈礼儀〉と呼びうるかもしれない──が相互に取り交わされるからである。 しかし、そればかりでなく、それは物を与える場合に、人は自分自身を与えるからであり、人が自分──自分自身とかれの財産──を他人に〈負っている〉からである。 マルセル・モース 倫理の次元...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.221-230
[Urban Tribal Studies 12]
前回、ザグレブの二つのトライブの諍いに巻き込まれた逸話をあげた。同じサイケデリック・トランスのトライブでも、アナキストやパンクスに近いトライブ(Zito Tribe)と、もっと商業主義的な音楽業界志向の強いヤッピー的なトライブ(Astralis)の間には大きな違いがあった。しかし、同時にそれぞれのトライブじたいが、実は...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.205-214
[論考]
I はじめてアスガー・ヨルンの《コペンハーゲンの終わり》[図1・2]を見たときのことは忘れない。『スペクタクルの社会』の著者であるギィ・ドゥボールとの協働で作られたその作品はポップ・アートの出現に先立つことおよそ五年、様々な商品や広告、タイポグラフィとアクション・ペインティングばりのドロッピングで構成されたものである...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.54-66
[批評]
1 錯乱のプロローグ 一九八×年:おそらく二〇世紀の「東京」。人々は平和を謳歌している。見慣れた渋谷や新宿の風景。どこにでもいそうな公園の男女。ダンサーを志望す...九六年一一月号(日本建築学会)。 ★二六──上野俊哉「ジャパノイド・オートマトン」、『ユリイカ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[情報空間の地理学 2]
サイバースペースが不可避に都市の内部に二極化を、すなわち情報にアクセスできる人とアクセスできない人の二つの階層を生み出しているという事実は、特に東京という都市の...ton University Press, 1991. サッセンの議論については上野俊哉「空間の政治学」(『10+1』四号 一九九五年所...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.38-40
[オルタナティヴ・スペース 1]
空間論や都市論の専門家でもない自分にとっての「alternative space」なるものは、〈理論的〉な思考対象というよりはむしろ「居場所」ないし「遊び場」あ...なり空間》というサイベリア観は、一方では、上野俊哉氏が本誌で現在展開中であるところの「グロー...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.33-34
[都市音楽ノート 2]
だけど、痛みが普遍的であることは確実だナット・ヘントフ * 都市はけっしてその空間が一様な原理で支配できないように、また複数の時間を胚胎しているのだろう。そ...ーリングの源泉ではないだろうか? 参考文献 上野俊哉「ラグタイム──ディアスポラと「路地」(『...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.36-38
[対談]
都市の政治学=社会学と均質空間 田中── 今回の特集は「メディア都市の地政学」と題しています。空間的な距離を無化するテレコミュニケーションが普及することによって...でないとはとても言えない。 ところで、これは上野俊哉さんがきっとどこかでもう書いていると思うん...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.62-77
[論考]
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政...れる。またこの問題に着目した議論としては、上野俊哉「スペクタクル、キャンプ、ヴェクトル」(『...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わ...出版、1998])。同じくそれらに触れながらも、上野俊哉は、アクティヴィストとしての実践を語るべく...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[翻訳]
...接収された飛行場の国連軍側の呼称。 付記──上野俊哉 Adilkno(Foundation for the Advancement of Illegal Knowledge...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.190-201
[論考]
0 さしあたっては当然のことを言うなら、建築は目に見える秩序を扱う。特定の地点に特定の存在モードとしてつくられる建築は「見える」からだ。しかし、設計とはそれにつ...してくる。例えば、シチュアシオニスト(本誌上野俊哉の連載参照)のサイコジオマップのようなもの...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[論考]
リゾームは、………地図であって複写ではない。複写ではなく、地図を作ること。………地図が複写に対立するのは、それがすべて、現実とじかにつながった実験の方へ向いてい...ようとしたのである。 参加者のひとりでもある上野俊哉も指摘していたことだが、こうしたことが可能...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.173-180
[グローバリズム 1]
1 前口上:グローバリズム、その私的再発見 我ながら最近の自分の立場なり関心とひどく懸け離れた主題を選んでしまったと思った。というと、過去の私の仕事を知る人々は...レジットはともかく事実上の編集委員であった上野俊哉の連載はそれをトレースしたものだったし、私...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[都市論の系譜学 4]
批判の群島 ギィ・ドゥボ─ルは一九六七年にロサンゼルスの黒人暴動について「スペクタクル=商品経済の衰退と失墜」と題するひとつのテクストを書いている(『アンテルナショナル・シチュアシオニスト』第一〇号)。彼はそこで黒人暴動を消費や商品の世界に対する対抗手段としてのポトラッチとして位置づけている。アバンダンス(豊かさ)の...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.244-256
[批評]
1 都市と思考のタイポロジーは互いに横断し合っている。常識的にも思考のスタイルや様式と地理的条件のあいだには何らかの関係があると思われている。風土や気候などの地勢だけではなくて、建築や都市の形態も思考にあるタイプを刻印するからである。 「地哲学(ジオフィロソフィ)」という言い方でドゥルーズとガタリが立てていた問いもこの...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.212-223
[論考]
われわれはおそらく、ルフェーヴルによる空間の政治学に対する要求と、つまるところ、まさしくグラムシ的な建築の探求を擁護するためになにかを語らなければならないことになるだろう。 ──フレデリック・ジェイムソン「建築とイデオロギー批判」 I 多摩ニュータウンを移動していると、奇妙な空間感覚に陥いることがしばしばある。駅や...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.124-136
[批評]
I Old pirates yes they rob sold I to the merchant ships Minutes after they took I from the Bottom less pit Redemption Song ──Bob Marley ボブ・マ...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.210-223
[批評]
「人種差別主義者でも極右でもないスキンヘッズを知ってるって本当なのかい?」 答えを待つ間もなく電話の向こうの声は続けた。「きみが連中の何人かを個人的に知っていて、連中に会わせてくれるって聞いたんだけれど。頼むよ、急いでるんだ、わたしは連中にインタビューしたい、できれば明日、いや今夜ならもっといい」 〈ZOO〉へ行くこと...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.178-184
[政治の空間学 1]
1 リベラリズムの空間政治学 ミシェル・フーコーはあるインタヴューのなかで次のように発言している。 あなた方には、空間的な用語を活用することは、歴史を、進化、...尾謙吉+大城直樹訳、二〇〇三、青土社)。 ・上野俊哉+毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.205-213
[論考]
今日の都市におけるダブルバインド的な状況は、たとえば以下のような仮説的なモデルでおさえることができる。 グロ─バリゼ─ションとトライバリゼ─ション 同質化と雑 種(ハイブリツド)化 全体化とディアスポラ ナショナリズムの復活とエグザイル化 ジェントリフィケ─ションと窮乏化 情報化と非情報化 それぞれの項目は緊密に...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.33-51
[翻訳]
...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.52-56
[論考]
『機動警察パトレイバ─』はOVA(オリジナルビデオ)、TVアニメ、マンガ、映画と四つのメディアをまたにかけたSFアクションアニメである(設定は微妙に異なっており、それぞれに論ずべき問題があるが、ここでは主として映画版にふれる)。 舞台は西暦二○○○年前後の東京である。コンピュ─タやロボットなどハイパ─テクノロジ─の進展...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.180-185