1945年生まれ。建築史。東京大学大学院名誉教授、青山学院大学教授。
(最終更新:2010年11月2日)
[インタヴュー]
...、毛綱毅曠、あるいはちょっと下の石山修武、鈴木博之くらいまでは、おそらく「解体」をどういうふ... ...た人ですね。 日埜──さきほど石山修武さんや鈴木博之さんの名前が出ましたが、彼らは全共闘世代の...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[都市表象分析 19]
...。地霊ないしゲニウス・ロキの論者としては、鈴木博之とクリスチャン・ノルベルグ=シュルツがいる... ...まいの図書館出版局、一九九四)。 ★二一──鈴木博之『東京の[地霊]』(文藝春秋、一九九〇)四...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.2-12
[建築家的読書術]
...じ頃飛騨高山の廃校で営まれた高山建築学校で鈴木博之と出会い、哲学者木田元とも会えた。木田は哲... ...や藤森照信は頭の上がらぬ友人となっている。鈴木博之の書物を一冊挙げれば『都市へ』(『日本の近...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[都市ノ民族誌 3]
...ならば、こうした因縁もさもありなんである。鈴木博之と中谷礼仁の論考を通じて★三、「国会議事堂... ...になっている。つまりこの国の国会議事堂は、鈴木博之が指摘するように「メメント・モリ(=死をお...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.38-40
[技術と歴史 4]
...リカ・オレゴン 石山修武研究室提供質疑応答 鈴木博之──六〇年代末から七〇年代にかけての技術に対... ...というものではないと思います。 難波和彦──鈴木博之流に言うと、技術はユニヴァーサルで、どこで...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[技術と歴史 3]
一九世紀的建築観の転倒 今日は「技術と装飾」がテーマですが、私にとっての装飾と技術との問題は、近代の問題と関わっています。装飾は近代とは二律背反のものであり、さ...にお考えになっているのかなと思うのですが。 鈴木博之──あえて言うならば日本だと思います。近代...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187
[論考]
...までもなく後者である。たとえば、建築史家・鈴木博之とともに聞き手として臨んだ『建築縦走一九一... ...〇〇三)が示唆に富む。 ★一〇──藤森照信+鈴木博之「聞き手あとがき」(田中一ほか『建築縦走一...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.126-133
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8]
...の遊戯を行なう[図16・17]★一六。建築史家の鈴木博之は、この建物に磯崎が日本的な空間を組み込み... ...建築三〇』(六耀社、一九九二)。 ★一七──鈴木博之『現代建築の見かた』(王国社、一九九九)。 ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.200-212
[香港]
...来の青写真としての計画という意味ではない。 鈴木博之は「都市を私有財産として所有しているという... ...七月号(鹿島出版会)六九─七〇頁。 ★三──鈴木博之『ロンドン──地主と都市デザイン』(ちくま...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.128-129
[建築を拓くメディア]
...『ゴシック・リヴァイヴァル』(一九九九。[鈴木博之+豊口真衣子訳、岩波書店、二〇〇三])とマ... ...ブチンスキー『建築の見かた』(二〇〇一。[鈴木博之監訳、白揚社、二〇〇四])、『磯崎新の建築...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.122-123
[都市史/歴史]
...究所留学中にサマーソン★六から影響を受けた鈴木博之によって日本独特の場所論へと昇華され、九〇... ...の支配構造」などの章が収められている。1990 鈴木博之『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」』(文藝春...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[論考]
...ぐに壮大な都市計画を実行したわけではない。鈴木博之が指摘するように、「明治の東京は、江戸の読... ...乞食砦 出典=『バラック浄土』註 ★一──鈴木博之『都市へ』(中央公論新社、一九九九)。 ★二...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.161-168
[技術と歴史 1]
はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる...男(早稲田大学)、佐々木睦朗(法政大学)、鈴木博之(東京大学)、中川武(早稲田大学)、難波和...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、...ズムを推進した[図5]。また一九八〇年代には鈴木博之氏が土地のもつ可能性としてゲニウス・ロキ(...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[論考]
建築にいながら何をやっているんだと或は人から思はれる位、一寸見ると建築とは縁がなさそうに見えるかもしれないような基礎理論を各方面から切り開いて行かなければならな...大学大学院建築学専攻(主査=伊藤毅、副査=鈴木博之+藤森照信+内藤廣+西村幸夫[順不同、敬称...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[1990年代以降の建築・都市 17]
巨大なスケールと精巧なディテール 谷口吉生は特異な日本人建築家である。経歴を調べると、以下の二点が指摘できる。 第一に、ほとんど住宅作品がない。通常、日本の建築...大きさと、機械のような精密さというべきか。鈴木博之が指摘するように、そのハードエッジなディテ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.20-21
[東アジア建築世界の二〇〇年]
二─一 「洋」を馴らす 上海スタイル 約一五〇年前にできた上海租界のバンド沿いの建物は、現在までに三代替わってしまい、いまは凍結保存の対象であるからもはやこれ以...ブラリー、一九九〇)、小野木重勝、前掲書、鈴木博之『都市へ』(中央公論新社、一九九九)、堀内...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.201-213
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...的知識にとぼしい。そこで当時大学院生だった鈴木博之を捕まえて、一緒にやるということにしたので...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[インタヴュー]
中谷礼仁──まずはタイトルの「トレーシング・ザ・藤森照信」について若干説明しておきます。私たち三人も藤森照信さんと同じ建築史という分野から自らの活動を始めました...んて(笑)。以前、君の知性はヘーゲル的だと鈴木博之さんに言われたことがあるんですが、確かにそ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[地上にて 2]
「悪い景観」 いささか旧聞に属するし、ご存じの方も多いとは思うのだが、「美しい景観を創る会」というウェブサイトが話題を呼んだことがあった★一。サイトを開設・運営...』とナショナリズムに関して。 ●進士五十八+鈴木博之+中村良夫+内井昭蔵+オギュスタン・ベルク...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.167-179
[技術と歴史 8]
建築物の大規模化 嘉納成男──今日お話するのは建築物の規模を大きくしようというニーズにどう対応してきたかということです。一九六三年に高さ制限がはずれ、一挙に超高...会が大規模な建物を要求していると思います。 鈴木博之──技術というものを考えたときに、最適とは...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.200-208
[技術と歴史 5]
素材と技術革新 安田──今日お話しすることは「ものづくり」の経験から得た素材に関連した話です。これまでさまざまな建築に出会って大きな影響を受けてきましたが、影響...田門の交番》1993 安田幸一研究室提供質疑応答 鈴木博之──個人的に面白かったのは、ウィリアム・レ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.212-221
[論考]
明治建築史を語る際に必ず言及されないではおかないほどに良く知られたイヴェントに建築学会でのシンポジウム「我国将来の建築様式を如何にすべきや」、いわゆる「様式論争...──この事柄に関しては、バンハム以外にも、鈴木博之『建築の世期末』(晶文社、一九七七)でも記...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.99-106
[批評]
建築にとって装飾とは何か? 現在の装飾論ということであれば、まず鶴岡真弓の仕事に触れなければなるまい。ケルト美術研究に始まり、さまざまな装飾・文様の再評価によっ...建築装飾=細部意匠に新たな意味を与えたのが、鈴木博之の『建築の世紀末』(一九七七、初出一九七三...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[批評]
...htm ★一一──M. Trappes-Lomax, Pugin, Sheed & Ward, 1932. 鈴木博之『建築の世紀末』(晶文社、一九七七)。 ★...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.155-163
[資料]
●関連図書 宮脇昭『植物と人間──生物社会のバランス』NHKブックス、1970 貝塚爽平『東京の自然史』紀伊國屋書店、1976 ロラン・バルト『エッフェル塔』(...訪ねる首都圏のご利益さん』廣済堂出版、1998 鈴木博之『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」』講談社現...
[翻訳]
...ituationist City, MIT Press, Camblidge, Mass, 1998. 坂村健+鈴木博之編『バーチャルアーキテクチャー──建築にお...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.192-203
[対談]
1 八束──今回の特集では、作家や作品というよりも広義の意味での言説を中心に明治以降の近代建築史を概観するという趣旨で、ここでは「建築史」という言説タイプを取り...ために、複写禁止になっています。ところで、鈴木博之さんを中心とした研究会が契機になって一年ほ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[図版構成]
キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語ら...樹事務所、1996年 図106──スピロ・コストフ、鈴木博之監訳『建築全史』住まいの図書館出版局、1990年 ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.129-148
[批評]
1 錯乱のプロローグ 一九八×年:おそらく二〇世紀の「東京」。人々は平和を謳歌している。見慣れた渋谷や新宿の風景。どこにでもいそうな公園の男女。ダンサーを志望す...来日したのは、このときが最初だろう。 以後、鈴木博之によれば、バブルと重なる八〇年代までに四つ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[White Page]
インフラストラクチャーといえば、電気、ガス、電話、水道、道路、鉄道……などが頭に浮かぶ。モノとしてひとつながりで、私達の生活の細部にまで行き渡っており、日々の生...原因およびドアの内外がわかるデータ参考資料 鈴木博之+山口廣『新建築学大系5 近代・現代建築史』...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.120-123
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...くとも七〇年代には生まれていました。僕は、鈴木博之さんや藤森昭信さんの論考を批判したことがあ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[インタヴュー構成]
建築と写真の「共犯関係」 近代建築と写真は、ほぼ時を同じくして生まれたとの説がある★一。その当否は別として、建築と写真が強い結びつきをもっていたことは間違いない...の歴史に関する考察」(一九九五年、東京大学鈴木博之研究室修士論文)。 ★八──植田実「編集者の...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...雑誌のひとつ。一九七五—七九年刊行。当時の鈴木博之の論文によると、そこから抜き書きしたような...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92