1955年生まれ。人類学。東京外国語大学大学院教授。
(最終更新:2010年3月26日)
[批評]
...書くことが、これまでどおりの私の方法です。 今福龍太氏カレン・テイ・ヤマシタ氏身体から更新する... ...一一日、中部大学にて] 対話のためのメモ(今福龍太作成・訳★一) イマジナティヴなシナリオ Lati...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.158-172
[対談]
旅 — 観光と人類学のパラダイム・チェンジ 多木…今日は今福さんと吉見さんとの対談であって、私はオブザーバーなんですが、最初に今日話していただきたいことを、問題...重要になってくるのではないかと思いました。 今福龍太コンピュータがプログラムしたリゾート 今福…...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.170-186
[鼎談]
今福龍太上野俊哉多木浩二今福──本号の特集テーマの一つに「トラヴェローグ(旅行記)」という言葉があがっているわけですが、もちろんこれは、たんに紀行的なテクストと...今福龍太上野俊哉多木浩二今福──本号の特集テーマの一つに「トラヴェローグ(旅行記)」という言...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.80-93
[対談]
編集部…今号は、特集を〈ダブルバインド・シティ〉というように問題設定しました。これは具体的には現代都市の特徴を二つの側面から、つまり、ひとつは異質な文化や民族・人種が混じり合い、多中心的・多元的に都市が拡散していく方向と、もうひとつは、神戸の震災で露呈したように日常的には見られないかあるいは隠...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.160-176
[Urban Tribal Studies 2]
...位置を問い直すものになっているのに対して、今福龍太はこの位置がはじめから対話や翻訳といった言... ...、二見書房、一九七四)一二四一頁。 ★八──今福龍太『荒野のロマネスク』(筑摩書房、一九八孔)...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.261-270
[批評]
前史 グレートブリテン島 1300 エドワード一世の王室納戸部会計報告書のなかに、イギリスにおけるはじめてのクリケットにかんする言及が「クリーグ(Creag)」として現われるのが一三◯◯年のことである。行なわれた場所はケントのニューウェンデン。その後約二◯◯年間の史料では、この遊戯=運動にたいしてクリーグ、クロッサー、...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.200-209
[都市表象分析 3]
1 ナポリ──壊れたもの 一九二〇年代、ナポリ、ポジターノといった南イタリアの町やカプリ島にはドイツの知識人たちが経済的な困窮を逃れて移り住んだ。一九二三年一〇...オ・マラパルテ「そぞろ歩き」(和田忠彦訳、今福龍太ほか編『世界文学のフロンティア6 怒りと響き...
[論考]
I スナップショット 「郊外」を語ることは、ポストモダニティの文化のなかにおかれた「観光」を語ることに似ている。いうまでもなく、すでに観光と呼ばれる行為じたいが過度の大衆化と商品化によってその近代ブルジョワ社会における巡遊(グランド・ツアー)としての旅の内実を失って記号と表象の波間を漂いはじめたのとおなじように、郊外...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.148-156
[Urban Tribal Studies 11]
きわめて排他的に「われら」に固執する集団や個人でさえも、いくぶんかの「やつら」を内に同居させている。こうして「われら」はしかるべくみずからを欺くことになる。イデ...ノロジー、すなわち「野生のテクノロジー」(今福龍太)を見出すことであり、われわれの耳や目を政...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.214-224
[論考]
トロブリアンド・クリケット トロブリアンド諸島 1914 ニューギニア北東部の太平洋上に点在する小さな群島に居住するパプア=メラネシア人のあいだで「クラ」と呼ばれている特異な交易の形態に着目し、二〇世紀人類学の曙光を告げる記念碑的著作『西太平洋の遠洋航海者』(一九二二)を書いたブロニスラフ・マリノフスキーが、彼の他の民...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.192-198
[ヴィジュアル]
マイ・トライブ 大地は変わらずとも 空は移ろいゆく 空は変わらずとも 大地は移ろいゆく 湖を渡り歩き 森を渡り歩く どこに私のトライブはあるのか? と私は自問する どこに私の家があるのか、と おそらく私はノ−トライブに 住む人間なのだ あるいは、嫌われ者のトライブの もしかするとそれは、未来からの祖先のトライブ...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.147-160
[都市論の系譜学 2]
「アーバニズム」(都市論=都市計画)とは都市が抑圧し、排除し、外部化してしまった何ものかの投射、射影ではないだろうか? 一般に「アーバニズム」は、われわれが都市...とに異論をとなえる者はいないだろう(さらに今福龍太によって日本にも紹介され、八〇年代後半以降...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285
[論考]
1「千年王国」の現在 電子レンジ、ディスポ─ザ─、ふかふかとしてとても心地よいじゅうたん。ふんわりとしていて、温泉に浸っているような、こうした文明形態は、否応...ム」の議論に触発されている)や同じ一号での今福龍太氏のテクストに現われた「コンタクト・ゾ─ン...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.21-32
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わ...プション・ソング」[『10+1』No.8])。また、今福龍太も、ポストコロニアルあるいはインターコロニ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[論考]
われわれはおそらく、ルフェーヴルによる空間の政治学に対する要求と、つまるところ、まさしくグラムシ的な建築の探求を擁護するためになにかを語らなければならないことに...ディアスポラ」の場所であると言ってもよい(今福龍太『移り住む魂たち』[中央公論社、一九九三年...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.124-136
[都市論の系譜学 3]
1 ここに都市と建築についてのいくつかのテーゼの断片がある。 「SIの最小限綱領は、完全な生の舞台装置(デコール)を実験すること──(…中略…)」。 「統一的都...ことも不可能ではない。 すでに本誌創刊号でも今福龍太によって紹介された「ディアスポラ・パラダイ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.263-274
[東京ディズニーランドの神話学 3]
...s, The Southern University Press, 1982, pp.257-321. ★六──今福龍太「ディアスポラの楽園」、『10+1』No.1(INAX出版...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.221-230
[非都市の存在論 10]
1 夢のなかのシナ インターネットを通じた情報交換の増大を背景として、文字コードの国際的な統一化が進行している。この標準化は国際電気標準会議(IEC)、国際標準...氏の「都市と死」というエッセイは、上野氏と今福龍太氏が編集協力した本誌八号に翻訳が掲載されて...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21