1962年生まれ。美術評論。多摩美術大学美術学部准教授。
(最終更新:2010年3月26日)
[インタヴュー]
都市をイヴェントとしてとらえる視点 日埜直彦──前回はおおよそ五〇年代を視野として、当時のモダニズム一辺倒の状況のなかで考えておられたことについておうかがいしま...ます(笑)。 3──《お祭り広場》 引用出典=椹木野衣『戦争と万博』 (美術出版社、2005)4──「ジ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[1990年代以降の建築・都市 7]
...会の軸になったからだ。 同展は、美術評論家の椹木野衣がキュレーションを行ない、万博の再検証を試... ...のヴェトナム反戦運動を再生させた。小田は、椹木野衣らとともに、多くのアーティストを巻き込みな...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[1990年代以降の建築・都市 8]
...アートアワード二〇〇三の審査は、後藤繁雄、椹木野衣、ヤノベケンジらとともに担当したが、この怪... ...認される。本作品の最初の目撃者の一人である椹木野衣は、おそらく最初に活字化された『ワラッテイ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.219-229
[「悪い場所」にて 4 ]
...年一一月一五日 「殺す・なコブラ」部隊長・椹木野衣 Noi Sawaragi記す。 ここへ至った経緯は次の通り... ...た。ちなみに、部隊編成は以下の通りである。椹木野衣(美術評論家、殺す・なメタル) 、東谷隆司(...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.26-28
[万博という問題系2]
...たりで一度発言を切っておきたいと思います。 椹木野衣氏瀧口修造のニヒリズム 小田──このインタヴ... ...です。 [二〇〇四年七月三一日 東京にて] 椹木野衣『戦争と万博』は一一月に美術出版社より刊行...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[「悪い場所」にて 16]
岡本敏子の命日が近づいて来た。なんだか、あれからもう随分時間が経ったように感じるのは、なぜなのだろう。二年前の四月、大学の研究室にいるとき携帯にかかってきた電話...●さて結果は……。 二〇〇六年一〇月十八日 椹木野衣 こうして、展覧会は立ち上がった。が、実際...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.33-36
[1990年代以降の建築・都市 3]
... ©アトリエ・ワン眼鏡を曇らせるイデオロギー 椹木野衣は、戦後日本という「悪い場所」において、美... ...』二〇〇一年一二月号、彰国社)。 ★二六──椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、一九九八)。 ...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[「悪い場所」にて 5]
去る五月いっぱいまで、多摩美術大学美術館で、「四批評の交差──いま、現代美術を問う」と題された展覧会が開催された。もっとも、この文章を書いている現時点ではまだ会...建畠晢(島袋道浩)、本江邦夫(大谷有花)、椹木野衣(ユニット00、小林耕平)の四名。括弧内はそれ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.24-26
[建築を拓くメディア]
...なっては、それすらも三〇年以上昔の話だが、椹木野衣の『戦争と万博』(美術出版社、二〇〇五)は... ...今も確実に残存していると言えそうだ。 1──椹木野衣『戦争と万博』2──『アーキラボ──建築・都...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.144-145
[「悪い場所」にて 6]
会場の一角に、異様な形状の造形物を捉えた航空写真が飾られている。コンクリートでできた円形の、なだらかな丘のようなかたち。よく見れば、その造形物の上にゴマ粒のように乗っているのは、どうやら人のようだ★一。 場所は洋上の小さな環礁の一角──しかしその造形物の大きさは、環礁の一角を占領するかのように巨大だ。まるで、島のある部...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.26-28
[「悪い場所」にて 1]
米英軍によるイラク侵攻の直前、発起人四名の連名でインターネットを通じていささか唐突ともいえる「反戦デモ」の呼び掛けをし、アート関係者を中心に「殺すな」なるユニットを立ち上げ、これまでに数回のデモを行なった。 呼び掛けのきっかけとなった「殺すな」の文字は、岡本太郎の手によるもので、一九六七年にベ平連によって『ワシントンポ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.12-13
[「悪い場所」にて 2]
家を建てるというのはいろいろ起こるものだ。 入手した土地は北西の角地で、見つけた時点ではまだ前の持ち主の古屋が建っていた。土地は公道に面していて、そこからいい感じの路地が奥へと延びている。通れるとしても人かせいぜいが自転車くらいで、それが逆に趣を醸している。もっとも、路地に魅せられて買ったわけではない。残念ながらその路...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.22-23
[「悪い場所」にて 3]
本誌前号で五十嵐太郎氏が「白昼の怪物──彼岸と接続されるテレビ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.26-27
[「悪い場所」にて 11]
ICCで一二月二五日まで開催中の展覧会「アート&テクノロジーの過去と未来」を見て、少なからぬ興味を惹かれた。 と、ここでいうのは、日本で「メディア・アート」とよばれる領域について、この展覧会が、従来は見落とされがちであった、ひとつの明確な視点を提供しているからだ。 メディア・アートは、ともすれば、自身の領域の自律性、独...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.9-23
[「悪い場所」にて 7]
わたしも会員のひとりである「美術評論家連盟」という組織があって、今年で五〇周年を迎えるという。それにあわせて先頃「日本の美術評論のあり方」と題する記念シンポジウムも開かれ、コメンテーターとして参加したので、今回はこのことをきっかけに、いろいろ考えてみたい。 会場は東京国立近代美術館のホール。全体の構成は前半(もの派から...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.25-26
[「悪い場所」にて 17]
ひさしぶりにロンドンにやってきた。この四月からロンドン市内の大学に附属するリサーチセンターの客員研究員として一年間、籍を置く。テート・ブリテンの隣に位置するこの芸術系の大学(University of the Arts London)は、ロンドン市内のアート系カレッジが統合されてユニヴァーシティになったものだが、訪れて...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.37-39
[「悪い場所」にて 13]
前回、この欄で書いたPSE法については、その後、さまざまな意見提出や署名運動がなされ活発な議論も起こり、事実上の現状維持となったので、その経緯については読者の皆さんもよくご存知のことと思う。それにしてもあらためて感じるのは、こうした趣味や感覚に関わる規制へのリアクションが、反戦や環境問題のような「正義」にまつわる運動よ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.49-50
[「悪い場所」にて 15]
旅先のホテルで久しぶりにテレビをつけると、日曜だけあって各局趣向を凝らしたセットを組んではいるのだが、それらが一様に卑俗な秋の日本美をなぞっているようで朝から気分が悪くなる。まさか、例の政府筋の「美しい日本」を受けての一斉キャンペーンではないだろうが、疑いたくなるような画一さだ。同じ時間帯に放映されていた公共放送の美術...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.37-39
[「悪い場所」にて 9]
以前、この連載でも少しふれた家も建ち、すでに一年半が経過した。 実際にはどうであったか。 いくつかの点で細部にツメのあまさが残るものの、基本的には気に入っている。特に、荒削りだが圧倒的な解放感のある空間は、文句なしにすばらしい。ただ、住みやすく細部を調整するまでには、ゆうに半年は掛かった。通常の引っ越しでも、新しい環境...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.25-27
[「悪い場所」にて 14]
不気味な嵐の前の静けさのような心境だ。思えばここ五年ほどで、いろいろなことが変わってしまった気がする。説明責任、安全基準の徹底、個人情報保護、消防法の厳守、著作権の遵守。タバコが吸えなくなった。デモをすれば逮捕される。セクハラ、幼児虐待、PTSDを疑われる。路上駐車ができない……。一つひとつを取ればことさら反論するよう...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.33-34
[現代建築思潮]
...宏編『近代建築の目撃者』(新建築社、1977) 椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998) 予め断っ... ...見るのもその意志の表われで、結局それは自分にノイズを取り入れ、そこから何かを組み立てるという... ...開催された。そこではアジアの歴史的な4都市(ハノイ、北京、ソウル、京都)における、現代の住宅実...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[論考]
昨日まで何の変哲もなかった万博で、 人々が列をなし、群がっていたのに、今や見よ、 まるで魔法の杖でできたように、 透明なガラス製の輝くアーチが、輝きを失い、 忘...雑誌の取材に同行したヤノベケンジは幸運にも椹木野衣、小田マサノリとともに太陽の塔の内部に入る...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.125-144
[インタヴューを終えて/昭和残響伝リターンズ]
さよなら万博、三たび 二度あることは三度ある。万博にさよならをするのは、これで三度目になる。まずはじめは「太陽のうらがわ/太郎のはらわた」と題したインスタレーシ...たちの世代の共通体験としてあり、いみじくも椹木野衣が万博回顧展のタイトルに選んだように、多か...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.112-115
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を...前に、その展覧会のキュレーションをなさった椹木野衣さんと一緒に、そのリサーチを兼ねてインタヴ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[インタヴュー]
「デコンの終わり」と「都市破壊業KK」/時代の分水嶺としての一九六五年、一九九五年 五十嵐太郎──今日、磯崎さんにおうかがいしたいテーマはいくつかありますが、出...なるかという、「日本ゼロ年」という展覧会を椹木野衣のキュレーションでやっていますが、非常に面...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[論考]
私は年齢的には一九六〇年世代だけど、建築家としての思考の仕方は一九六八年に属している、とこれまでに折りにふれて語ってきた。そして、一九六八年から一九八九年の二〇...る計画性が自然発生的に解体されてしまう」(椹木野衣「『熱』狂と『熱』力学」、《日本の夏一九六...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、...た多くの建築家が欲したものでもありました。椹木野衣さんの『戦争と万博』(美術出版社、二〇〇五...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[「悪い場所」にて 10]
このところ、六〇年代末から七〇年代初頭にかけての美術の見直しが進んでいる。先頃も、鎌倉山に所在する鎌倉画廊で、六〇年代に静岡を拠点に活動した前衛芸術グループ「幻触」の旧作を集めた展覧会が開かれたばかりだし、秋には国立国際美術館で、「もの派」の再検討を含めた大型展が開かれるという。 「もの派」といえば、関根伸夫、李禹煥、...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 12]
まったく、とんでもない法律が決まっていたものである。 この法律、実は僕はおととい(二月六日)、友人から聞いたばかりなのだが、最初は意味がよくわからなかった。それくらい現実離れした内容のように思われたからだ。すぐにネットで調べておおよその実情を知ったのだが、それでもまだ、なぜこんな気分が悪くなるような法律があっさりと可決...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.13-15
[Urban Tribal Studies 8]
...中に、たとえばハウス・ミュージックを通して椹木野衣が書いて(語って)いたことをシニカルに見て... ...また前回に考察したような「リズム」あるいは「ノイズ(ざわめき)」による世界の開示、変容の記述...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.213-222
[論考]
東京という都市の現在を考える上で、「屋上」はひとつのキーワードとして流通している。そしてそれは、言わずもがなかもしれないが、二つの異なる文脈においてそうなってい...onkey/okujo/ ★二──ひとつだけ例を挙げておく。椹木野衣の『平坦な戦場でぼくらが生きのびること──...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.158-165
[「悪い場所」にて 8]
いま、「美術」の状況はどうなっているのか。たとえば数年前から、かつて八〇年代の「ニューペインティング現象」とはあきらかに異なる意味で、絵画への回帰が起こっている。視覚芸術の原点に帰るといえば聞こえはよいが、実際には、九〇年代なかばくらいから美術の世界をも覆い尽くし始めたグローバル資本主義と、アートマーケットからのプレッ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.13-15