1948年生まれ。建築家。芝浦工業大学建築工学科教授、UPM主宰。
(最終更新:2009年5月25日)
[論考]
...り、寝室は睡眠/快楽/生殖機械などである。八束はじめの巧みな比喩、「レギュレーター(整流器)... ...倣されるに相応しいと述べている。 ★三──八束はじめ「レギュレーターとしての建築」(『10+1』2号...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[論考]
...い出したのは、「多摩ニュータウン」に関する八束はじめ氏の草稿を読んだからだろう★三。そこには... ...房全作品8(新潮社、一九七二年) ★三──八束はじめ「ノン・カテゴリ─・シティ多摩」(草稿)、...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.186-194
[対談]
...なかのアジアという括りでよろしいですか。 八束はじめ──今のところはそうです。二一世紀になって... ...題と結びついてくるのではないでしょうか。 八束はじめ氏今村創平氏コロニアリズムからグローバリズ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[論考]
...地域開発センター編、一九六九)。 ★六──八束はじめ「ソウル──コルビュジエ抜きの輝く都市」(... ...二月号、エー・アンド・ユー)。 ★一〇──八束はじめインタヴュー「建築理論の失効/都市理論の変...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[批評]
...一九九二年度思考実験プロジェクト」として、八束はじめ、トム・ヘネガン、青木淳、花田佳明によっ... ...編入を核とするレギュレーターの構想であり、八束はじめ、上野俊哉、入江経一、野々村文宏などによ...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.82-102
[批評]
... Variations on a Theme Park, Hill & Wang, 1991. 付記──八束はじめ 最近日本でも翻訳が刊行されたヴァルター・...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.233-244
[対談]
1 三つのプログラム 八束…議論の前提として、いくつかの問題を整理しておきたいと思います。まずプログラムと言われているもののなかに、三つのものが区別できるだろう...が、これは、この二番目に近いと思います。 八束はじめ氏5 駅──レギュレーターとしてのビルディン...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.103-121
[論考]
移り変わるパリの市壁 都市をどのように定義しようと、人間が密集して住む場所という意味は失われることはなかった。少なくとも今まではそうであった。その場合は当然、...ぼ完成の域に達していたことを示している。 八束はじめ 図版出典備考 L'Arch…ルドゥ『芸術・習俗・法...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.264-270
[連載 5]
知の宮殿「ムンダネウム」14 14-4 クライアントと建築家:奇妙なチャートあるいは機能主義 ムンダネウム─世界都市のプロジェクトの敷地は、国際連盟本部の敷地...)。 ★一二──この周辺の事情に関しては、八束はじめ『ロシア・アヴァンギャルド建築』(INAX出版、...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[対談]
1 空間と制度 多木…ビルディング・タイプという概念は、社会学的というよりむしろ建築論的な概念です。しかしどんな時代でも、特定の社会的機能を持った建築の類型を作...ているということが見えてきたと思います。 八束はじめ氏5 ビルディング・タイプとは 多木…ほんら...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.26-49
[資料]
このポスターは1961年の日本宣伝美術協会のコンペの応募作品である。丹下研での研究でこのようなプロジェクトが進行中であることを聞きつけたデザイナーたちが、同研究...には間に合わなかったのでここに再録する。八束はじめ 資料提供=鈴木康行+新井寛+鈴木安男+遠...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.77-79
[論考]
砂丘(デューン) 北海の南岸地域に、低い砂丘地帯がある。その地形は途切れることなく四つの国々の海岸線として拡がっているが、これはライン、マース、シェルデ、レク...みを散じる)を先取りしている。 〈付記──八束はじめ〉 ベルギーの海浜リゾート地区を題材にした...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.203-216
[論考]
1 ミース・ファン・デル・ローエの作品を美術のミニマリズムと関連づけて論じることはしばしば行なわれてきた。ロザリンド・クラウスによると、古典的なミニマリズム理解...スの住宅における「独身者の家」については、八束はじめ「ミース・ファン・デル・ローエ MIES THE MYTHI...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200
[現代建築思潮]
...ます。ところでこのあたりのことと関連して、八束はじめさんは「国民建築家」という言い方(〈artscape... ...ういう意味だと思います(研究会の時点では、八束はじめ『思想としての日本近代建築』[岩波書店、...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[対談]
八束はじめ南泰裕八束──今回の南さんの論文を読んで、かなりの部分で見解が共有されているな、という気がしました。特に南さんが、湾岸で起きているさまざまな現象を必ず...八束はじめ南泰裕八束──今回の南さんの論文を読んで、かなりの部分で見解が共有されているな、と...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.86-91
[建築の解體新書 7]
...(No.20)での五十嵐太郎氏とのメール対談で、八束はじめ氏は次のように述べている。 ただ、井上さん... ...空間と改めて読み換えたのではなかったか。 八束はじめ氏に改めて問い返したいのは、彼一流の「相対...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.12-20
[千年王国論(五)]
...eme park", Hill and Wang, New York, 1992 所収。 ★五──八束はじめ「インターナショナリズムvsリージョナリズム...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.224-231
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、さらにそれを発展させたものとしてのCIAMの格子を取り上げた。そしてル・コルビュジエの思想のなかに存在する二重性について、それぞれの系譜をトレースしていこうとい...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[グローバリズム 5]
1 中国(珠江デルタ):スーパーバブル=一九七八以降 PART 2 前回に引き続いてハーヴァードの「珠江デルタ」のリサーチ・レポート。彼らのパラフレーズが多いが、いろいろと私なりに「潤色」している部分はあるのでお断りしておく。 もともと珠江デルタは両端に香港とマカオを抱えている。返還に備えてその後背地(となるは...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[連載 3]
8 機械の独裁──テーラー主義 第一次大戦後のフランスは、フランス的な特質を保ちながらもドイツに(そしてすでに世界一の強国であることを誇示したアメリカに)遅れを取らない産業─社会の近代化を成し遂げなければならなかったわけだが、この課題を果たすには、まず効率的な大量生産を可能とする技術革新の導入の必要があった★一。前回に...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.291-305
[千年王国論(六)]
これまで、千年王国に関しては、ユートピアとの対比において位置づけてきたつもりである。この場合、ユートピアとは現実の彼方にある別世界として考えられていたのではなく、社会主義/共産主義にせよ、近代都市計画にせよ、モダニズムの計画主義(ハイエク流にいえば構成主義)がその可能性の線上に想定していたものである。「その可能性の線上...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.216-226
[翻訳]
風水:もとの場所に居つづける限り地主の繁栄はつづくという古い中国信仰。 シンガポールのグリーンプラン:われわれはブルドーザを適正な場所に導きたい。 リー・クァンユー:シンガポールは多様で変化に富むものすごく大きな世界のなかのちっぽけな場所だから、機敏でなかったり、調整がすみやかにできなければ、消えるしかないだろうし、人...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[論考]
0 さしあたっては当然のことを言うなら、建築は目に見える秩序を扱う。特定の地点に特定の存在モードとしてつくられる建築は「見える」からだ。しかし、設計とはそれにつながっていく過程ではあっても、必ずしもこの最終アウトプットと同一のものではない。「ノーテーション」という本特集のテーマは、前号に取り上げた「サバーバン・ステーシ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[論考]
1 ペリフェリー われわれの眼前には多くの新しいリアリティがある。未だかつてないような動きが展開されると、既存の規範(デイシプリン)(概念、手法、価値基準ほか)は効力を失う。ただそれらに対してわれわれが適切なことばを奪われている、というような状況である。この動きは、当然何の調停もないままに動くのだから、例えば古典的な形...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.34-51
[論考]
1──図版出典『ゴジラ』(昭和二九年作品) ©東宝株式会社南洋の未開の島からマンハッタンに連れていかれ、そこで壮絶な死を遂げる『キングコング』以来、怪獣ものの映画作品にはある種の都市論的な匂いがまといつく。コングの場合、それがターザン同様、啓蒙期以来の「高貴な蛮人」のヴァリエーションであり、大自然のパラダイムとして人工...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.180-185
[集中連載 1]
なかんづく、近代ヨーロッパ人は、この遊星をとはいえないにせよ、少なくともこの遊星の各地帯を、一様化しようとする仕事にしたがう疲れを知らぬ職人である。 ポール・ヴィダル・ブラーシュ 一つの国際的な言語が、白色人種の住むあらゆる土地を支配し、思考の交換と文化の伝搬とを容易にした。一つの国際的な様式が、西から東へ、...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[グローバリズム 2]
1 福岡 一九九〇(ポストモダン) vs 日本 戦後(モダン) PART1 前回「ペキン 二〇〇三」の冒頭で引用したコールハースのテクストは、「日本に関して」という箇所で分かるように、ペキンに関してではなく日本の都市についてのものだった。コールハースはそれを「カオス」と形容した日本人建築家たちの発言に当初は戸惑い(...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[連載 8]
17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われることはむしろ少ない。もちろん、機能主義モデルは彼の専売でもオリジナルでもなく、彼は普遍化できるモデルとして構想している。その意味で彼が東方旅行で見出したさまざまの日...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[連載 9]
17─4 アパルトヘイト都市? 近代都市計画の最も基本的な構成要素を、面と線、つまりゾーニングの画定とそれらをつなぐ近代的インフラの整備とすれば、それが最も体系的に実践されたのは、ヨーロッパにおいてよりは植民地においてであったのではないか? 少なくともフランスにおいては(あるいは日本においても)これは該当している。近...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[連載 10]
19 植民地都市の政治学 19-1 他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られているが、このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが発表された時、そこには他の集落とともにカスバの空中写真が掲載さ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[図版構成]
TOKYOMETABOLISM 1960–2010 ENCYCLOPEDIA Vol.1 [email protected]. 構成=八束はじめ+大田暁雄+金子祐介+唯島友亮+水谷晃啓+福島北斗 模型写真=K.K.川澄写真事務所 Chapter 1 Restorative Investigation of A Pla...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.121-160
[連載 6]
15 分類すること(名付けること)と配置すること 15-3 バベルの塔としてのCIAM 近代都市計画の原点ないし聖典のようにいわれてきた『アテネ憲章』が会議から一〇年を経て出版されたものであることは前回に述べたが、それは本当にアテネ会議あるいはそれ以前のCIAMの議論を要約し、合意された憲章であったかのような印象を事...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[連載 4]
11 建築か革命か 「建築か革命か」、いうまでもなく、『建築をめざして』の最後の文章である。この真ん中の「か」は、フランス語の「ou」つまり英語の「or」であり、そこだけだと「すなわち」という意味にもなりえる。「建築すなわち革命」、ロシア・アヴァンギャルドの文章であったら、そう訳さねばならないが、ル・コルビュジエはそれ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[千年王国論(三)]
千年王国と公共領域 「ポストヒストリー」、即ち歴史に停止命令が出されたことによって、あるいはそう装うことによって千年王国が現出した。ポストモダン建築は多く復古的なという意味での歴史主義の意匠をまとっていたが、それは本当のところ歴史主義と言うべきではない。その逆に、歴史主義とは過去だけを問題にするのではなく、それを通して...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.169-175
[グローバリズム 3]
1 ロンドン 一九九一 浅田彰は西欧での現代日本文化の見方に関しては二つのオリエンタリズムの危険があるという。一つは安藤忠雄の建築に日本を見出すという古いタイプのそれであり、もう一つは猥褻さとメトロポリスの孤独などをテーマに作品を撮り続けてきた写真家アラーキーの「錯乱のトウキョウ」のような新しいタイプのそれだと彼はいう...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[グローバリズム 4]
1 東京 二〇〇三 vs 東京計画一九六〇 vs ドバイ二〇〇? 東京のど真ん中に誕生したばかりの新しい都市、「六本木ヒルズ」のそのまた中心を占めるタワーは武士の鎧をイメージしたのだという。設計者は日本人ではなくアメリカのKPFである。名古屋にもフランクフルトにも、もちろん本拠のシカゴにもタワーを建てているいわ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[集中連載 2]
4 人文地理学的空間 前回にル・コルビュジエが「フランスの植民地事業への支持を隠さなかった」というコーエンのことばを引いたが、フランスの地理学も植民地事業と切り離せない形で発展した★一。地域への関心と対外進出は文字通り裏腹の関係にあったのである。パリに地理学会ができたのは古く一八二一年で、これは身分制護持を行なおうとす...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.194-207
[グローバリズム 1]
1 前口上:グローバリズム、その私的再発見 我ながら最近の自分の立場なり関心とひどく懸け離れた主題を選んでしまったと思った。というと、過去の私の仕事を知る人々はいぶかしく思うかもしれない。その大部分が西欧の近代に関わるものをめぐっていたのだから。実際、外国人建築家たちの間に知り合いも、数を誇るほどではないが、少なからず...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[論考]
明治建築史を語る際に必ず言及されないではおかないほどに良く知られたイヴェントに建築学会でのシンポジウム「我国将来の建築様式を如何にすべきや」、いわゆる「様式論争」があるが、この背後には、日露戦争後のナショナリズムの高揚があることは言うを俟たない。ナショナル・スタイルの希求は、「洋才」を追及したとしても「和魂」を保持しよ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.99-106
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...エネルギーをかけていることには意味がない。八束はじめさんは『新建築』で「旦那芸」と書きました...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[ディスカッション]
この討論は、特集である多摩ニュータウンを見学し、それぞれが現代で経験しつつあることとの関係の中で、はたしてこれまでのパラダイムで建築が考察されうるのか、という疑...エイティヴ一九九二年度プロジェクトとして、八束はじめ、青木淳、トム・ヘネガン、花田佳明の四人...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.76-103
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...なものの見方をズラしていくこと。たとえば、八束はじめさんのように、「次のトレンドはこれだ」と...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[批評]
1 軸線と権力 一九八〇年から続けられているダニ・カラヴァンのプロジェクト「大都市軸」[図1]は、パリの西北に位置する町セルジ・ポントワーズに設置された一二の滞...ュ、1927─28年頃17──同、1905年頃註 ★一──八束はじめ+小山明『未完の帝国 ナチス・ドイツの建築...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.92-103
[論考]
カルロ・ギンズブルグ 一九七三年にジョセフ・リクワートが『アダムの家』を著わしたとき、イギリス建築史学会の重鎮E・H・ゴンブリッチは、その書のタイトルが「天国の...ife」をもとにしている。特に今回の論考では、八束はじめ氏に触発された部分が多かったことを感謝し...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.87-98
[論考]
アルビンに初めて会ったときのことをお話ししたいと思います。その時彼はシカゴについてのレクチャーをしていました。彼は、詩人のように理想的にシカゴのスカイラインにつ...なく融合している点であろう。 〈付記──八束はじめ〉 ここで翻訳されたレム・コールハースの原稿...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.224-230
[スタディ]
リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)は、20世紀最大のテクノロジストであり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-19...ルンド』(A.D.A EDITA Tokyo Co., Ltd.、1982) 15──八束はじめ+小山明『未完の帝国──ナチス・ドイツの...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[批評]
一九五五年のディズニーランドのオープンにともなって出現した、環境に関する支配的なコンセプトは、南カリフォルニアの生態的、文化的、心理的な風景に後々まで影響を与え...われは持つことができるのである。 付記──八束はじめ 最近アメリカでは社会的な観点から都市や建...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.138-146
[批評]
... Ponte, quoted in William H. Whyte, City, p.198. 付記──八束はじめ マーガレット・クロフォードの論文の付記[...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169
[論考]
都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を...国社、一一九─一二三頁)を参照。 ★七──八束はじめほか『再発見される都市──ランドスケープが...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[論考]
現代社会におけるひとつの特性として、デザインによって表わされてきた現象のようなものがある。それは、デザインの力あるいはデザインによって築かれてきた人間の感性的欲...(青土社、一九九〇年九月号)で、多木浩二、八束はじめ、伊藤俊治氏によって討論された「デザイン...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.11-16
[インタヴュー]
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えま...えてくるのではないでしょうかね。 10+1 ──八束はじめさんが最近ロシアは大変な好景気で高層建築が...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[対談]
1 八束──今回の特集では、作家や作品というよりも広義の意味での言説を中心に明治以降の近代建築史を概観するという趣旨で、ここでは「建築史」という言説タイプを取り上げようと思います。いろいろと「日本近代建築史」に関するテクストを読んでいると、当り前のことですが、それらもまた歴史の一部であるということを改めて感じないではい...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[論考]
放浪生活を、また、ボヘミアニスムとも呼ぶべきものを讃えること。 ──ボードレール、『赤裸の心』☆一 最近出版されたリガとウラジオストックへの旅の記録において、...ドラーの引用には一部省略がある。 付記──八束はじめ 最近までプリンストン大学に拠点を置き、現...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.67-73
[論考]
1「千年王国」の現在 電子レンジ、ディスポ─ザ─、ふかふかとしてとても心地よいじゅうたん。ふんわりとしていて、温泉に浸っているような、こうした文明形態は、否応なしに世界の終末を想い起こさせる。ここでは、あらゆる活動が世界の終末という印象を秘めているのだ。 ──ジャン・ボ─ドリヤ─ル★一 フレドリック・ジェイムソンが...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.21-32
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 3]
仕事とは、隠喩や類推思考や多義性の大量注入によって都市を(しかして民主政治を)安全なものにしていくことにある。科学主義が標榜し自由放任主義が顕著な当世ではあるが...宮──ピラネージからアヴァンギャルドへ』、八束はじめ+石田壽一+鵜沢隆訳、PARCO出版、一九九二)...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.12-25
[建築の還元 3]
...マレーヴィチ「白の上の白の正方形」 出典=八束はじめ『ロシア・アヴァンギャルド建築』、 INAX出版... ...版社、一九七七)四五─八五頁。 ★一〇──八束はじめ『ロシア・アヴァンギャルド建築』(INAX出版、...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199
[対談]
安斎…僕がサブジェクトに選んでいるのはパフォーマンス、インスタレーションとか彫刻ですが、あなたの場合も自分のサブジェクトにしているものは他人がつくったものという...ヘイダック設計、ニューヨーク、1974付記──八束はじめ ジュディス・ターナーはアメリカの写真家であ...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.17-23
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチ...itecture" 展カタログ所収、New York, 1978. 付記──八束はじめ ダヴィド・ディヤン・エキモヴィッチは現在...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
...l A L'Ordre", Architectural Design, vol.60 3/4, 1990. なお、八束はじめ編『建築の文脈──都市の文脈』(彰国社、...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[千年王国論(四)]
毎週月曜日に新しいことを考え出す必要はない。 ミース・ファン・デル・ローエ ハリウッドの映画セットと同様、この都市のアイデンティティは、毎週明け、新しく作り直される。 レム・コールハース 前回でも書いたように、メトロポリスは単に大きな都市というにはとどまらない。それは全体像を拒否するという点において都市という古典的な括...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.168-175