1928年生まれ。美術評論家。
(最終更新:2010年3月19日)
[論考]
...。住宅を社会に解き放ち、開いていくための。 多木浩二との対談に触発され、ドゥルーズの『プルース... ...間」(『新建築』一九六八年七月号)において多木浩二は、丹下的な大きな構造を機械の哲学として、...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[神戸]
...代表的な感覚地図 出典=多木浩二 『四人のデザイナーとの対話──多木浩二対談集』 (新建社、1975)1... ...=多木浩二『四人のデザイナーとの対話』20──飛行機の離陸の軌跡 杉浦康平による 出典=多木浩二『...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.172-183
[対談]
...フラについては、内田さんは『10+1』の四号で多木浩二さんと話をされていますね。あるいは「都市の... ...いという気がしますね。 ベンヤミンと多木浩二 若林──多木浩二さんがここ何年かベンヤミンに注目し...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.62-79
[論考]
...景を歴史という言説に変えていったのである。 多木浩二 ★一──ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ... ...る「ペリフェリー」が生まれることになった。 多木浩二 ルドゥの市門 Ledoux' Gates ヨーロッパ都市の...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.264-270
[1990年代以降の建築・都市 5]
...《祖師谷の家》 筆者撮影坂本のポストモダン 多木浩二は、坂本の活動の段階を次のように整理している... ...」(二〇〇〇、前掲書)。 ★七──坂本一成+多木浩二『対話・建築の思考』(住まいの図書館出版局...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[都市表象分析 31]
...る社会学の言説であり、具体的な著作としては多木浩二の『都市の政治学』(岩波新書、一九九四)で... ...(ホワイトU)》 引用出典=ANY, No.20註 ★一──多木浩二『都市の政治学』(岩波新書、一九九四)一九...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.2-11
[座談会]
多木──今日は「ニュー・ジオグラフィ」ないしは「ヌーヴェル・ジオグラフィ」──いずれ「新しい地理学」と呼ばれているものも、やがて「ニュー」や「ヌーヴェル」という...大きな脱構築をもたらした状況だと思います。 多木浩二氏吉見俊哉氏メタ地理学──地図の呪縛からの...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.64-84
[論考]
...(シマ)が浮かび上がる光景を予感している。 多木浩二は、都市が拡散的になり全体として把握できな... ...出版局、一九九九)八八─八九頁。 ★二七──多木浩二+内田隆三+槇文彦+伊東豊雄+山本理顕+見...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.177-186
[1990年代以降の建築・都市 1]
...こでしか存在しない土産も購入できるからだ。 多木浩二によれば、空港は徹底的に合理化されたプログ... ...lhaas, "The Generic City", S,M,L,XL, Taschen, 1997. ★五──多木浩二『都市の政治学』(岩波書店、一九九四) ★六...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187
[ディスカッション]
この討論は、特集である多摩ニュータウンを見学し、それぞれが現代で経験しつつあることとの関係の中で、はたしてこれまでのパラダイムで建築が考察されうるのか、という疑...て遍在しているという見方もできます。 1──多木浩二2──入江経一吉松コメント1 問題としての出発...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.76-103
[対談]
旅 — 観光と人類学のパラダイム・チェンジ 多木…今日は今福さんと吉見さんとの対談であって、私はオブザーバーなんですが、最初に今日話していただきたいことを、問題...うと変ですが、枠組みではないかと思います。 多木浩二都市社会学と「場所」への関心 吉見…いま、旅...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.170-186
[論考]
1 DNAと歴史 多木…今回の特集はノーテーションです。ノーテーションとは単純化して言いますと、知を要素に形式化し、同時にそのシステムを見出し、それらの精妙な関係を使って現象を記述するだけでなく、再現したり、まだ知らない新しい構成を見出していくための方法をさしているのだと思いますが、その対象の領域によっては、ノ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.192-203
[鼎談]
今福龍太上野俊哉多木浩二今福──本号の特集テーマの一つに「トラヴェローグ(旅行記)」という言葉があがっているわけですが、もちろんこれは、たんに紀行的なテクストと...今福龍太上野俊哉多木浩二今福──本号の特集テーマの一つに「トラヴェローグ(旅行記)」という言...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.80-93
[対談]
1 空間と制度 多木…ビルディング・タイプという概念は、社会学的というよりむしろ建築論的な概念です。しかしどんな時代でも、特定の社会的機能を持った建築の類型を作...としてはそこを聞きたいなという気がします。 多木浩二氏——ベルナール・ボワイエ、「神の国」(施...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.26-49
[論考]
...ライな建築をめざしたという★一六。坂本も、多木浩二との対談においてこう指摘された★一七。篠原... ...、美術出版社)から。 ★一七──坂本一成+多木浩二『対話・建築の思考』(住まいの図書館出版局...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[論考]
...空間体験、空間による異化作用の消滅である。多木浩二は日本の空間が物質的に希薄な特質をもってい... ...生成論』(せりか書房、一九八四)。 ★三──多木浩二『生きられた家』(青土社、一九八四)。 図...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.136-145
[論考]
...しい体系においてアーバニズムから剥離する。多木浩二は八〇年代後半、日本の高度に発達した資本主... ...ンタヴュー。 ★五──★四と同じ。 ★六──多木浩二「フランクフルトの台所──二〇世紀のイデオロ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.165-172
[都市/テクスト]
...る場所で二〇世紀の都市を捉えなおそうとした多木浩二の『都市の政治学』は、この時代の都市論の問... ...シオロジーの射程』(東京大学出版会、1994) 多木浩二『都市の政治学』(岩波新書、1994) 『21世紀の...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.110-111
[建築の言説、都市の言説 8]
多木浩二氏(以下敬称略)が「今後基本的に建築を論じることはないだろう」として瓢然と建築界に背を向けてから、かれこれ一〇年が経過している。それでも本誌のバックナン...多木浩二氏(以下敬称略)が「今後基本的に建築を論じることはないだろう」として瓢然と建築界に背...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.30-31
[東京ディズニーランドの神話学 1]
...ばならないのは、視覚的な表象の役割である。多木浩二が指摘しているように、東京は明治維新から首... ...京計画』(岩波書店、一九八二年)。 ★六──多木浩二『天皇の肖像』(岩波新書、一九八八年)。 ★...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.207-218
[鼎談]
...ソンタグは写真を語りつつ思想を語ってきた。多木浩二さんも建築や写真を語ることで世界を語ってい... ...偵のような聞き込みも特徴的ですね。 永江──多木浩二、柄谷行人といった建築家以外の人が書いた建...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[論考]
...ャンルとして自覚しているのはなぜだろうか。多木浩二は言う。ふつう「ビルディング・タイプ」とは... ...(丸善、一九七四、一〇八頁)参照。 ★三——多木浩二『生きられた家——経験と象徴』(青土社[新...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.153-167
[鼎談]
...野の研究者に影響をあたえたことがあります。多木浩二の『生きられた家』(田畑書店、一九七六)も... ...また篠原スクールの建築家と交流をもっていた多木浩二さんも、建築の出身ではない批評家です。ただ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[インタヴュ―]
はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わりから六〇年代の流れをまとめつつ万博のお祭り広場へと話を繋げ、五〇...。 この論は、少なくともあの当時僕の世代では多木浩二、次の世代では宮内康、布野修司といった全共...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[リード]
事の発端─チャイナタウン もともとこの特集は、世界中のいたるところに分布しているチャイナタウンを取り上げてはどうか、という話題に発している。つまりエスニックな街区についての考察である。しかしその類の小共同体は、現在いたるところに見出される。ある場合には宗教であるし、他の場合は企業がこうした共同体の統合の要素であるかもし...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.12-20
[対談]
多木…神戸の地震についてはすでに多くの言説が飛び交いました。しかし今日はもう少し違った方向で考察できないだろうか。これまでの言説では語られていないものがありはしないか、そんなところから非常に語りにくいことであるということは重々承知の上なんですが、実際に被災された内田さんと神戸の地震について何事か語ってみたいと思ってきま...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.204-227
[テクノロジーロマン 3]
身の回りにある「住設」(住宅設備)を見てみると、自分たちの意思とは関係なく勝手に動き出す機械が増えていることに気づく。人の動きや照度などに反応する照明器具、人の...に、必然的に眼の外化の可能性を孕んでいた。多木浩二は『眼の隠喩──視線の政治学』(青土社、一...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.31-36
[都市表象分析 11]
一、大虐殺の「イメージ」 「一九世紀の首都」パリを舞台に、近代の原史を回想過程で立ち現われるイメージに結晶化させようとした試みがヴァルター・ベンヤミンの『パサー...大虐殺」などの言い方を基本とする。 ★二──多木浩二『都市の政治学』(岩波新書、一九九四)一二...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.2-12
[グローバリズム 1]
1 前口上:グローバリズム、その私的再発見 我ながら最近の自分の立場なり関心とひどく懸け離れた主題を選んでしまったと思った。というと、過去の私の仕事を知る人々は...は、やはり初期のもう一人の編集委員であった多木浩二の胆煎で「新しい地理学」の特集が組まれてい...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[現代建築思潮]
山の手/下町/サード・ドメイン | 日埜直彦 クーベルタン男爵のコスモポリタニズムに始まったオリンピックが、反転してベルリン・オリンピックに象徴されるネーション...える。縁側に座って庭を眺めているとき、私は多木浩二が《谷川さんの住宅》(篠原一男、一九七四)...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.48-56
[論考]
地図をつくるまなざし 生命とはなにか、という科学的な問いに答えることが問題ではない。ここで問うのは、生命が身体の活動を通してどのように自らの世界を構成してきたかである。ここでの生命とは、社会文化的な活動なのである。人類は気の遠くなるほどの年月、なんらかの表象記号を媒介にして自らの生命を記述する努力をしてきた。洞窟の岩...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.205-244
[風景の修辞学 2]
1 なぜこの二人の人物は都市を語り合うのか 都市について知ったふうな議論をしているわれわれは、いつも微かな不安を抱いているものだ。私は都市についてなにほどのことを知っているだろうか──モンテーニュの言葉「私は何を知っているか(ク・セ・ジュ)」は、実は「なにも知らない(ジュ・ヌ・セ・リアン)」という言葉の婉曲な言い回しに...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.2-10
[批評]
1 はじめに ベンヤミンが一九世紀の都市を研究するときに、商業に目をつけたというのは、まことに見事な着眼であった。あたらしく使われだした鉄骨とガラスを使ったパサージュという屋根付きの商店街は、ただ商品の売買だけを意味するものではなかった。それを通して全天候型の都市が出現してきたのである。そこに入りさえすれば、もう雨にび...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.245-252
[批評]
蠢く都市の欲望 もともとパサージュは、独立した建築物としての体裁をなしていない場合が多いのである。その意味ではビルディング・タイプと呼ぶのは気がひけるが、一八世紀末に資本主義化する都市が商品と貨幣と欲望と政治の渦巻く場所になったとき、パレ = ロワイヤルに最初の木造の商店街がつくられ、さらに誰が最初に工夫したのかは分か...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.253-272
[批評]
一九世紀以降のすべての近代社会において、個人としての主体の同一性(アイデンテイテイ)の法的空間への書き込みは、とりわけ二つの公的な書類を媒介にしてなされている。これらの書類は、主体に、法的な身分を──つまりまさに法の裁可の対象となりうるという規定性を──与えているという意味で、法的空間への書き込みの最も基礎的な層を可能...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.187-202
[1990年代以降の建築・都市 4]
近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた...テークのために、そのプログラム検討委員会(多木浩二、藤幡正樹、鈴木明、北野宏明、小野田泰明、...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[風景の修辞学 3]
1 「海」の登場 はじめてこの小説を読んだ二〇代の日のことをいまだに覚えている。われになく血が騒ぎ、かつて海に憧れたことのある若者としていささか心穏やかならぬ思いに呆然、なにも手につかぬ状態になってしまったのである。読みはじめるやいなや、ニュー・ベッドフォードのひどいオンボロ宿屋、ナンタケットの港での出港準備に大...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.2-13
[風景の修辞学 4]
1 悪の比喩 『マルドロ─ルの歌』が、そこで起こっている出来事はともかく、読みはじめるわれわれをたちまち巻き込んでしまうのは、言葉の攻撃の速度であり、急速な変身であり、われわれ人類の存在自体への挑戦である。人類がこの光景から消滅したのではない。それは最初から最後まで、かりに惨めな姿であろうとどこかに居つづけている。だが...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.2-11
[風景の修辞学 1]
1 風景が都市を生む すべての都市は見る人からおのれのかたちを受け取る。ひとつの都市のかたちは無数にある、といってもよかろう。そのかたちは表象として想像力にしみとおる力をもつようになる。もしかすると都市など、砂漠をふきわたる風のまきあげる砂塵のように、どこにも存在していなくて、ただ人びとがあたえた表象だけが、人びと自身...
[対談]
住宅における構造の現在 町田敦──技術、エンジニアリングの領野についての関心が最近、ますます高くなってきているようです。そういう時期なのですが、建築という分野に...。 町田──なるほど。内側から考える。以前、多木浩二さんの話をうかがう機会があって、その時にこ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.73-79
[インタヴュー構成]
山田脩二 ──建築を撮るようになったきっかけは何でしたか。 山田──もう四〇年も前です。一九五八年から二年間、桑沢デザイン研究所でデザイン全般の基礎教育を受けた...。『アサヒカメラ』(一九七七年八月号)で、多木浩二さんが、「イメージの劇場」(第八回)「山田...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[批評]
プロローグ──ある空中散歩 一八五八年の冬、ナダールは飛んだ。操縦士のゴダールと気球に乗って。雨まじりの空を八〇メートルほど上昇し、すぐに降下したのだったが。こ...志他編訳、筑摩書房、一九九〇年)。ちなみに多木浩二『眼の隠喩』(青土社)でも、ナダールをユー...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[図版構成]
4+1/2展の趣旨 私はこの展覧会を通じて「現代都市に住むこと」の重要性や意味を考えたい。私はいまも東京に住んでいることもあって、もっとも慣れ親しんでいるし、一...い』E.S.モース、鹿島出版会 『生きられた家』多木浩二、青土社 『四畳半襖の下貼り』 『墨東綺譚』岩...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.74-77
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登...(Blackwellより英語版も出版されている)。1994 多木浩二『都市の政治学』(岩波新書) 多木によれば、...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[インタヴュー]
「デコンの終わり」と「都市破壊業KK」/時代の分水嶺としての一九六五年、一九九五年 五十嵐太郎──今日、磯崎さんにおうかがいしたいテーマはいくつかありますが、出...。 南泰裕──八〇年代の終わりに、磯崎さんは多木浩二さんと『へるめす』で、「世紀末の思想と建築...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[都市/テクスト]
都市記号論を超えて 一九六〇年代にK・リンチやR・バルトが都市記号論を準備し、七〇年代にコンテクスチャリズム論が語られ、八〇年代は学際的な都市テクスト論が興隆し...建築家にカオス論を展開させる。36 坂本一成+多木浩二『対話・建築の思考』(住まいの図書館出版局...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[論考]
ことによると、夢の連鎖は尽きないかもしれない。 ──J・L・ボルヘス『コウルリッジの夢』 しみ──不可視の連続体 一八二五年、晩年を失意のうちに過ごしたある男...風景などの「淫らな図版」を数多く描いた。(多木浩二が本誌創刊号で指摘したように)おそらくルク...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.172-184
[翻訳]
建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現...あたって参考とさせていただいた 〈付記──多木浩二〉 ここに掲載するチュミの論考は、現在、岡河...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[論考]
現代社会におけるひとつの特性として、デザインによって表わされてきた現象のようなものがある。それは、デザインの力あるいはデザインによって築かれてきた人間の感性的欲...ンの心理学(青土社、一九九〇年九月号)で、多木浩二、八束はじめ、伊藤俊治氏によって討論された...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.11-16
[知の空間=空間の知 2]
バシュラールの樹木 一九世紀西欧の巨大円形閲覧室の中心点に登場した、二律背反的な「知の主体」としての「人間」。彼の運命は、全能と無力、無限と虚無という両極の間で...として捉えているのは今村仁司の卓見である(多木浩二・蓮實重彦との座談会「光の人ベンヤミン」で...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.2-15
[インタヴュー]
コンピュータの黎明期における情報都市の提案 柄沢──磯崎さんは六〇年代のコンピュータの黎明期、まだそれらが十分実用的とは言えない時期にさまざまな建築や都市の提案...だましだと思いました(笑)。 柄沢──かって多木浩二さんとの対談のなかで、手法論はロシア・フォ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81
[論考]
1 万博──政治経済学の系譜 一八五一年のロンドン以来、万博──万国博(exposition universelle)、国際博(international ex...である。大阪万博の開催が問題になったとき、多木浩二はすでにこのような経験の場を「文化」という...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.178-186
[批評]
1:例外状態の建築家たち 一九九七年三月にベルリンでAnyone Corporationの主催により、「ヴァーチュアル・ハウス」をめぐるフォーラムと設計競技が開...として、大島哲蔵「隠喩としてのテクスト──多木浩二の病理的ゲーム」、『10+1』No.12所収)は、事情...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[論考]
「Vertigo(眩暈)」の展覧会テーマに合う、現代の日本建築を教えてくれないか? と尋ねる英国人建築家へ返信のメール。 君もよく知っている妹島和世さんの集合住...ツキーのフランクフルト・キチン設計の過程は多木浩二『それぞれのユートピア』(青土社一九八九)...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.108-115
[現代住宅論 1]
この連載では、現代の住宅が抱えているさまざまな課題について考えてみたい。できるだけ広いコンテクストで考えるつもりだが、僕自身、実際の設計に携わっている立場なので...本質ではないかと思う。同じような視点から、多木浩二は『生きられた家』の中で、住むことを通じて...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209