1949年生まれ。社会理論、現代社会論、マスコミ論。東京大学大学院総合文化研究科教授。
(最終更新:2009年9月28日)
[都市の全域性をめぐって(下)]
...ス前掲書下巻、一〇二─一〇六頁。 ★一四──内田隆三「探偵小説と貨幣──社会とは何だろうか」『... ...テンニース前掲書下巻、一九九頁。 ★二四──内田隆三「都市のトポロジー序説──メディアのなかの...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.231-242
[対談]
1 空間と制度 多木…ビルディング・タイプという概念は、社会学的というよりむしろ建築論的な概念です。しかしどんな時代でも、特定の社会的機能を持った建築の類型を作...うイメージを僕は持っているのですけれども。 内田隆三氏3 社会学的実践の新しいパースペクティヴ ...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.26-49
[対談]
湾岸の風景 若林──今日のテーマは、いま都市あるいは東京を語るとはどういうことか、さらにはまた東京をどのように語ることが可能なのか──言い方を換えれば、「東京論...位相との関係で考えるべきだということです。 内田隆三氏若林幹夫氏空地と空隙の意味するもの 内田─...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.62-79
[対談]
「生きられる東京」という問題設定 内田──今回の特集を機に「生きられる東京」ということを考えてみました。都市の社会学的研究や文化の研究が持っている枠組みがありま...るという意識に意味があるという構成ですね。 内田隆三氏社会の本質としての都市という言説 遠藤──...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.66-81
[都市表象分析 14]
...半においてひとつの「帝国」であった日本を、内田隆三の『国土論』は「天皇」という「場所」とそこ... ...九三頁。 ★一四──コンパクトな説明として、内田隆三『国土論』(筑摩書房、二〇〇二)五六八─五...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.2-11
[都市/テクスト]
...手特集、『10+1』創刊号のニュータウン特集や内田隆三『生きられる社会』に見られた郊外への注目も... ...ズニーランドの神話学』(青弓社、1999)2──内田隆三『生きられる社会』(新書館、1999)3──町村敬...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.110-111
[批評]
...られなかった認識の端緒に触れている。例えば内田隆三はボードリヤールの「超成長(excroissance)」と... ...彰国社、一九九六年四月〜連載中)。 ★七──内田隆三『さまざまな貧と富』(一九九六年、岩波書店...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.74-85
[論考]
...間と社会のリアリティは、それだけではない。 内田隆三は、「……僕は正直言って、都市とは一体何な... ...意味」が見出されているのである。 ★一〇──内田隆三「都市のトポロジー序説──メディアのなかの...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.142-150
[東京カタログ]
東京にいると「芸能人」(タレント)に会えるでしょうといわれるが、そんなことはない。東京は広いし、住んでいる世界も違う。学園祭や、催し物、あるいは映画やテレビのロケで芸能人を見かけるのは、たしかに東京の特権かもしれない。だが、芸能人のこうした人前へのプレザンスは「仕事」の上でのことである。彼らがその日常の姿を現わすのに遭...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.128-129
[東京カタログ]
山手線と総武線の交わるところに秋葉原がある。超高層のハイグレード・マンションが立ち、巨大なITセンターができるが、その下に電気街が広がっている。電気街が漫画同人誌やアニメ、コスプレ、フィギュアなどを求めるオタクの街と呼ばれるようになったのは、一九九〇年代半ば以降のことである。一九五五―七三年の高度経済成長の時代には、秋...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.132-133
[東京カタログ]
六本木ヒルズでは、一一・六ヘクタールの土地に、約七六ヘクタールの延床面積をもつビル群が建っており、中心にある森タワーは地上五四階、地下六階の巨大な円筒状の建物である。そこにはいま世間の注目を浴びる勝ち組のIT企業が集まり、レジデンス棟は若いIT長者や有名人が住んでいることで話題になった。だが、それは六本木ヒルズの一面に...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.130-131
[東京カタログ]
武蔵府中は家康が江戸に来る頃までは、武蔵国の中心であったという。昔から馬に縁があり、大国魂神社の例大祭でも、競馬(こまくらべ)式が行なわれる。例大祭の案内によれば、府中周辺には牧(まき)が多くあり、そこでは多くの馬が育てられていた。国司が馬を朝廷に献上するにあたり、優良な馬を府中に集め、その選定のために競馬がはじまった...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.122-123
[東京カタログ]
東京都の多くはもと武蔵国であった。武蔵国の国府は都下府中市にあり、大國魂神社が武野国の総社である。大國魂神社はいま、眼前を東西に走る旧甲州街道に面して鎮座している。大鳥居を出ると欅並木の参道が続き、国分寺街道となって北に向かい一直線に伸びている。この街道は三キロメートルほどでJRの中央線に至るが、その西側あたりに国分寺...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.120-121
[東京カタログ]
青山霊園は港区の南青山にあり、徳川の譜代、郡上藩・青山家の屋敷地だったところにある。旧幕時代、死者の埋葬は寺院が管理していたが、一八七四年、この地に寺院・神社などの管理に属さない公共の墓地が開設され、青山墓地と呼ばれた。そこには二重の意味がある。ひとつは、明治新政府が「神仏分離」を押し進め、死者が仏教の専管から離れてい...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.134-135
[東京カタログ]
東京にも外資系ホテルが多く立ち並ぶようになり、ラグジュアリーといわれるクラスでは、日本のホテルはむしろ苦戦している。外資系ホテルのマネージャーと話をしていると、ホテルで嫌われる人があるという。たとえば同窓会やゼミの集まりである。学生たちが内輪で必要以上にはしゃぎ、傍若無人だからである。あるいは、他の客を怖がらせるような...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.124-125
[東京カタログ]
銀座はかつて西欧文化の流入口であり、近代化や都市文化の象徴のような場所であった。だが、銀座をはじめて訪れた人は、よくあるデパートや名店が並んでいるが、ただそれだけのことで、何か飛びぬけた華やかさがないのにがっかりしたことだろう。しかし、東京の他の繁華街に比べると、行き来する人に熟年や壮年層が多く、若者が少ないという特徴...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.126-127
[東京カタログ]
ホームレスの自立支援のために、二〇〇三年一月から二月にかけてホームレスの実態に関する全国調査が行なわれた。前年に公布・施行された「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」にもとづき、調査対象であるホームレスは「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場として日常生活を営んでいる者」というふうに規定された...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.142-143
[都市の断層線/切断線 2]
1 都市の表象 東京という都市の現在について、その全域の境界をはっきり確定することが困難であり、またその中心がどこにあるのかもはっきりしないという問題が残っている。それは東京という都市の全域を何らかの象徴的なメタファーによって語ることが困難だということである。また、全域をその部分や断片で表象させること、つまりメトニミー...
[都市の断層線/切断線 3]
1 性愛の問題 性愛という視角からすると、東京の郊外やペリフェリーに散種された無数の小さな家庭のことがまず問題になるだろう。そこでは性愛という審級が小さな家庭の「求心力」になっているようにみえるからである。だが、この求心力は自律したものではない。性愛が求心力として結晶してくる背景を考えると、産業社会における資本のエコノ...
[都市の断層線/切断線 4]
1 都市の座標系 今日の都市・東京に起こっている現実の多くは農村と都市というような対比の図式では理解しがたいものだろう。たしかに都市には古い地層が幾筋も堆積しているが、現在の表層に広がる東京を考えるとき、あるいは現在の東京にアクチュアルな像を与えようとするとき、都市化という概念は有効ではない。「三全総」(一九七七年策定...
[都市の断層線/切断線 1]
1 構造閉塞の時代 東京という都市は戦後数十年のあいだに大きな変化を見せたが、その最たるものは、そこで動いている資本のスケールではないだろうか。戦後も、東京が政治的な意味で首都であることに変わりはなかったし、また東京という地理的な範域が日本のなかで変わったわけでもない。問題はむしろ、そこに投入され、動いていく資本のスケ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.2-11
[東京カタログ]
新宿、横浜、町田をはじめ、ルミネは首都圏で一一店舗を構え、駅ビルにしつらえられたファッション中心の空間として「Y世代」(一六―二五歳)にも好評だという。好調を支えているのは「徹底した顧客主義」であるとされる。本社と店頭の全スタッフが手を携えて、「お客さまのために」、デパートにも負けない「顧客満足」(CS=Custome...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.118-119
[東京カタログ]
東京大空襲があったのは一九四五年三月一〇日未明のことである。二時間半の無差別爆撃が行なわれたが、風速二〇―三〇メートルに及ぶ強風のもと、黄燐焼夷弾が降りそそぎ、当時の浅草区、深川区、城東区、江戸川区などが火災に巻き込まれた。警視庁の資料では、このときの死者は約八万人、罹災者は一〇〇万人に及んだ。永井荷風は日録(『断腸亭...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.138-139
[東京カタログ]
およそ江戸二里四方を江戸町中といい、四里四方を御府内といった。大きな街道の出口には「四宿」と呼ばれた宿場町があり、遊女の類もいる飯盛旅籠屋なども大いに繁盛していた。東海道は品川、甲州街道は内藤新宿、中山道は板橋、そして日光街道の千住である。三代将軍家光のとき、駅制が改められ、千住は日光道中の初宿と定められた。千住宿は江...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.140-141
[東京カタログ]
隅田川を南へ下っていけば、やがて永代橋をくぐり、海へ入ることになる。だが、海には埋め立ての島が続いており、隅田川はそのあいだを運河のように続いていく恰好になる。隅田川の右側の地には日本橋や銀座の繁華街があり、岸辺近くには聖路加病院の超高層タワー、築地本願寺、中央卸売市場、浜離宮恩賜庭園などが続いている。これらの対岸にあ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.136-137
[東京カタログ]
丸の内という街区は東京駅の皇居側に位置するビジネス街である。その土地の由来は明治のはじめに遡る。明治政府は幕府の中枢を担う譜代大名の屋敷が並ぶ土地を召し上げ、兵舎や錬兵場などに用いたりしていたが、一八九○年に、土佐出身の商人・岩崎彌太郎の実弟、彌之助が社長を務める三菱社に、神田三崎町から大手町、丸の内、有楽町にいたる土...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.108-109
[論考]
1 背景 日本では、九〇年前後から横浜市中区、旧東急東横線の桜木町駅─高島町駅間約一・四キロメートルに及ぶ高架下の壁面に多くの若者が競い合って「グラフィティ(g...)。 ・大澤真幸「生権力の変容」(見田宗介+内田隆三+市野川容孝編『ライブラリ相関社会科学8 〈...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.144-155
[映像のトポス 1]
映画、都市、ベンヤミン 映画と都市の関係を探究することがモダニティの理解にとって有効な戦略であろうということ、これは、ベンヤミンが晩年にその萌芽を示しながら自分...術作品』再考」、『イメージのなかの社会』(内田隆三編、東京大学出版会、一九九八)を参照してい...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.33-44
[論考]
0 非生産都市=香港 香港という都市は、如何にして成立しているのか。例えば、香港における農業・漁業のGDP(国内総生産)に占める割合はわずか〇・一パーセントにす...九九九)八八─八九頁。 ★二七──多木浩二+内田隆三+槇文彦+伊東豊雄+山本理顕+見田宗介+鷲...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.177-186
[対談]
神経系都市論の問題設定 田中──今回の特集は「神経系都市論」という耳慣れないタイトルをつけていますが、どういう発想で考えたかについて話したいと思います。キーワー...という問題を立ててみたいと思います。例えば内田隆三さんは、群衆という概念は社会学の正系の概念...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.54-69
[論考]
1|悲しい母親たち 空き家を利用した地域の老人集会所から、豪華ホテルのような介護付高齢者住宅まで、高齢者向け施設は着実に増加しつつある。団塊の世代が高齢期を迎え...ナレッジ、二〇〇五)一二—二二頁。 ★二──内田隆三『国土論』(筑摩書房、二〇〇二)一七五—一...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.100-105
[都市の全域性をめぐって(上)]
1 空間論的転回 都市をめぐる社会科学的な議論のなかで、今日しばしば、社会理論や都市の社会学における「空間論的転回」と呼ばれる事態が語られてい る★一。アンリ・...八──カフカ前掲訳書、二二三頁。 ★一九──内田隆三「都市の現在」大澤真幸編『社会学のすすめ』...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.246-254
[批評]
一九世紀以降のすべての近代社会において、個人としての主体の同一性(アイデンテイテイ)の法的空間への書き込みは、とりわけ二つの公的な書類を媒介にしてなされている。...決定的な契機とみなすべきでない。 ★一一──内田隆三『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書、一...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.187-202
[都市表象分析 31]
1 「非都市」という戦略 前回の論考は、拙著『都市の詩学』に対する趣向を変えたあとがきのようなものとなった。それが本連載を中心として、ここ数年の都市論やイメージ...かないことへの大きな不満だった。この著作が内田隆三、大澤真幸、吉見俊哉といった社会学の俊英た...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.2-11
[対談]
多木…神戸の地震についてはすでに多くの言説が飛び交いました。しかし今日はもう少し違った方向で考察できないだろうか。これまでの言説では語られていないものがありはしないか、そんなところから非常に語りにくいことであるということは重々承知の上なんですが、実際に被災された内田さんと神戸の地震について何事か語ってみたいと思ってきま...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.204-227
[東京カタログ]
皇居を中心にして「同心円」状にいくつもの道路が走っている。山手線のすぐ外側には「山手通り」という環状道路が走っている。その外側には「環状七号線」が走っており、通称「環七」と呼ばれている。環七の周辺は、東京に大地震が起こったとき、火災などの災害にもっとも弱い地域のひとつである。火災だけでなく、竜巻のような火災旋風が発生し...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.112-113
[東京カタログ]
ここには六〇年代末の新宿のように、猥雑な賑わいのある町が生まれている。米軍の基地が近く、また沖縄や韓国の文化も混じりあうところである。米軍とアジアと日本の交叉する町田は、かつて東京がめざした欧風の国際化とは別の種類の国際性を帯びている。それは猥雑性を充たすような国際性である。町田の急速な変貌ぶりを見ていると、都心の盛り...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.114-115
[東京カタログ]
東京に坂が多いことはよく知られている。谷が多く、東京の土地はやたらと起伏がある。歩いていると、すぐに「~坂」という地名に出会うことになる。江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』は千駄木の団子坂を思い出させる。樋口一葉なら本郷の菊坂を思い出すだろうか。マンション販売の会社が宣伝のために囃した夏目坂というのもある。新宿区喜久井町あ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.110-111
[東京カタログ]
東京はもと徳川氏の城下町であった。それは他の城下町と同じように、軍事上の防衛という観点から、敵の部隊の直進を防ぐために「曲輪(くるわ)」という渦巻状の構造をもっていた。「御城」はこの渦巻きの中心に存在する。それは町の「深い」中心にある。渦巻きを直線になおすと、それは到達するのにもっとも時間のかかる、遠隔の場所となるから...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.106-107
[論考]
二つの力 都市は異質な二つの力が交差するところに成立している。 一つは、無限に広がり、密度を変えていく流動的な「外部性」をひらく力である。そこには、貨幣のたわむれ──(貨幣が媒介する)他者への欲望のたわむれ── が見出される。もう一つは、この流動的な外部性を、固定し、空間化し、内部化し、同一性を与え、そこに「共同体」の...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.186-194
[論考]
1 万博──政治経済学の系譜 一八五一年のロンドン以来、万博──万国博(exposition universelle)、国際博(international exhibition)、世界博(world fair)等々──は「進歩の時代」を象徴するイヴェントとして幾度となく開催され続けてきた。この進歩の時代を眺めると、万博...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.178-186
[東京カタログ]
郊外生活の多くは自動車への依存によって成り立っている。郊外ニュータウンは都市の平面的な膨張の断面をなしている。人々は、比較的安価であることと同時に、健康や快適性を求めて郊外の拡張に同調したのだろう。しかしいつのまにか、持続可能性(sustainability)ということが言われはじめた。資源配分の効率の問題、ゴミやエネ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.116-117