1931年生まれ。建築家。磯崎新アトリエ主宰。
http://www.isozaki.co.jp/
(最終更新:2009年3月31日)
[インタヴュー]
...近代建築を考えていたことを示唆しています。 磯崎新──この堀口捨己論を書いたのは捨己さんが体を... ...「様式の併立」という論文だと思います。 2──磯崎新『建築の1930年代──系譜と脈絡』(鹿島出版会...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[インタヴュー]
...構図はその後の論文でもしばしば見られます。 磯崎新──「現代都市における建築の概念」はモロッコ... ...なエジプトなんかが関心事でした。 日埜直彦氏磯崎新氏両義性とシュルレアリスムの方法 日埜──「ジ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[インタヴュー]
...か似ていますが、まったく背景が違いますね。 磯崎新──近代芸術、近代デザイン、近代建築といった... ...幼児的とも見える初心の議論なんかなかった。 磯崎新氏丹下健三批判と『現代建築愚作論』 日埜──グ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[インタヴュー]
...実感しにくい部分ではないかと思うからです。 磯崎新──出版は三五年前(初版発行一九七二)だから... ...ていようとしていたといえますね。 日埜直彦氏磯崎新氏アンドレ・ブロック、クロード・パラン、フレ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[論考]
...いか★三一。 お祭り広場の装置設計を担当した磯崎新は、《太陽の塔》を「日本の昔の、本当は見たく... ...)一二頁。 ★三一——同書、同頁。 ★三二——磯崎新『反建築史』(TOTO出版、二〇〇一)四八頁。 図...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.145-154
[フィールドワーク]
...どころのない妖怪であった 「みえない都市」(磯崎新『日本の都市空間』一九六七) 一九六七年、都... ...筆者は当時まだ都市デザイナーと名乗っていた、磯崎新。 そのキーワードが現われはじめたのはその四...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.169-186
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年...介して、フィルターにかかったものなのです。 磯崎新氏4──フェノロサ、ラフカディオ・ハーン、天心...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[論考]
...な人格を形成する、インキュベーターだ。かつて磯崎新は、マイホームと核家族と資本主義が身体感覚... ...知子から貴重な助言をいただいた。 ★一一──磯崎新『空間へ』(美術出版社、一九七一年)。 ★一二...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[レヴュー]
...磯崎新の実現されなかったプロジェクトばかりを集めた「アンビルト/反建築史」展が開かれ★一、そ... ...市〉の、いかにもメタボリズム的な未来志向と、磯崎新独特の廃墟志向の重ね合わせ[図2・3]★二。七...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8]
...八)や、東京ディズニーランドと同年に完成した磯崎新の《つくばセンタービル》(一九八三)よりも... ...ント建築」にしようと思っています。この建物(磯崎新のチーム・ディズニービル)がまさにそうです...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.200-212
[キーワード]
...開催地を変えて毎年行なわれてきた。発案者は、磯崎新とピーター・アイゼンマン。もはや建築がその... ...リングの『ネットの中の島々』に言及している(磯崎新監修『海市』[NTT出版、1998])。同じくそれら...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[万博という問題系2]
...メンバーではなく、ネオダダとの交流が深かった磯崎新の方でした。そして磯崎は、この流れに乗るか... ...二の戦争画としての万博芸術の中心人物であった磯崎新は、後に『空間へ』に収録された「年代記的ノ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[インタヴュー]
...いうあたりから話を伺えればと思うのですが。 磯崎新──ずイタリアのElecta社が二年前につくった『KATS... ...5──磯崎新ほか 『桂離宮──空間と形』 (岩波書店、1983) 6──中書院東南隅 引用出典=磯崎新『桂...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[1990年代以降の建築・都市 7]
...かけるものがある。 二〇〇二年に再制作された磯崎新の《エレクトリック・ラビリンス(電気的迷宮)... ...記念展「EXPOSE 2002 夢の彼方へ ヤノベケンジ×磯崎新」に出品されたのである。ただZKMから持ってきた...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[現代建築思潮]
...今回の話に通底するモチーフとなっています。 磯崎新『建築における「日本的なもの」』では、日本建... ...くくなっていることの証左でもあります。 7──磯崎新《つくばセンタービル》 出典=http://tenplusone.inax... .......
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[特別掲載]
...を設立した。 会場計画の制作総指揮者として、磯崎新に打診があったのは2005年の年末であった。年明け... ...だと考えています。 [4月25日記者会見における磯崎新の発言より] 1──古代オリンピック競技 前6世...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.25-48
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 3]
...にイコノグラフィアに奇妙な実現感を抱いたのが磯崎新であった。彼がそれを感じたのはタフーリとは... ...守っていたわけだ。 「両性具有の夢」『磯崎新+篠山紀信 建築行脚3 逸楽と憂愁のローマ ヴ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.12-25
[都市表象分析 14]
...おける「日本的なもの」の言説を仔細にたどった磯崎新の回想的考察が示すように、「日本的なもの」... ...あるまい。 3──磯崎新『百二十の見えない都市』より、「漏斗都市1」 出典=磯崎新版画展『百二十の...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.2-11
[万博という問題系 3]
...丹下研の枠にはおさまりきれなかった人です。 磯崎新氏遅れてきた仕掛け人 磯崎──その頃に浅田さん... ...がっているというように僕は感じます。 1、2──磯崎新『空間へ』(美術出版社 1971)の函表紙と同裏の...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[インタヴュ―]
...り固めておく必要があるように思うわけです。 磯崎新──つまりひとつの切り口として、日本浪漫派は... ...ついて伺う必要があるだろうと思うわけです。 磯崎新の分裂 磯崎──最近、長谷川堯の『神殿か獄舎...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[非都市の存在論 1]
...来の化石〉に対する偏執を、ハンス・ホラインや磯崎新といった、ヴィリリオやバラードと同世代の建... ...見えない都市〉を唱えて都市の消失を感じとった磯崎新もまた、〈未来都市は廃墟である〉というアナ...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.16-27
[論考]
...時、丹下研ではスコピエのコンペで一等を取り、磯崎新や谷口吉生が現地視察を行なっていたが、国内... ...の生と死』が挙げられる。なお、一九六二年には磯崎新が丹下の推薦を得てロックフェラー財団の援助...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[論考]
...ー・カー・スクール」部分 出典=『磯崎新の革命遊戯』 (磯崎新監修、田中純編、TOTO出版、1996)271頁1... ...Team Made in Tokyo「パチンコカテドラル」 出典=『磯崎新の革命遊戯』260頁13 「そもそも、リサイクルされ...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.154-160
[都市/テクスト]
...きる。九〇年代には隈研吾が建築の消去を唱え、磯崎新は「都市は姿を消す」と語り、群島モデルのネ... ...(『建築文化』一九九六年二月号)。 ★二──磯崎新+浅田彰「デミウルゴモルフィズムの輪郭」(『A...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[インタヴュー]
...のかという話を順にうかがいたいと思います。 磯崎新──その『建築文化』の特集というのは、僕が「... ...〇年代のことを考えようとしているわけです。 磯崎新氏他なるものと市民社会の正義 五十嵐──実は...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[論考]
...《日本の夏一九六〇─六四》(水戸芸術館)と《磯崎新と新宿ホワイトハウスの仲間たち》(大分アー... ...参照がなされる。丹下健三、浅田孝、大谷幸夫、磯崎新である。この建築家は、すべて五〇年代には丹...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[インタヴュー]
...ミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代... ...の」』(新潮社、二〇〇三)を見てください。 磯崎新氏日埜直彦氏建築思想の断絶と連続 日埜──前川...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[インタヴュー]
...コンピュータに興味をもたれたのでしょうか。 磯崎新──まず六〇年代に僕が一番関心をもっていたの... ...。 磯崎──私もそう思っています。 柄沢祐輔氏磯崎新氏セシルによるアラベスクのジオメトリーとゼロ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81
[シンポジウム]
...ーのエネルギーに結びつけ流動させていった。 磯崎新さんは日本でアーキグラムについて本格的に紹介... ...ャーとの関係で申し上げました。 五十嵐太郎氏磯崎新氏モダニズムとの距離 五十嵐──いまおっしゃっ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184
[論考]
...された道路を走るドライバーの「路上の視角」(磯崎新)による都市空間を呈示する野心と共に、戦災... ...とは発見されるべきものだ……と六〇年代半ばに磯崎新は書いた。彼にとっての「都市の原型」が戦争...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.102-110
[論考]
...なかったプロジェクトを集めた展覧会を行なった磯崎新は、建築におけるアンビルトということの意味... ...た様を描いたドローイングである。これは、後年磯崎新がやはり自らの作品《つくばセンタービル》を...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[批評]
...たちのない、大きなインテリアではないかという磯崎新の指摘も思い出される。実際、コギャルたちは... ...き受けた建築家が、廃墟のことを語り続けていた磯崎新である。廃墟へのオブセッションは、おそらく...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[批評]
...)としての場所にはなりえない。リベスキンドは磯崎新との対談でこう語っている。「僕の経験でも、... ...かならなかったことが思い返されてよいだろう。磯崎新との対談でリベスキンドは『タルムード』の頁...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.46-60
[批評]
...公共建築の代表例として、西洋建築に範をとった磯崎新の《つくばセンタービル》(一九八三)[図3]... ...私が組み立てようとした像である★一二。 ──磯崎新(傍点引用者) 国立文楽劇場の意匠には伝統的...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[現代建築思潮]
...、メタボリズム、および国家/反国家を意識した磯崎新が台頭してきます。のちの黒川紀章の一般メデ... ...その辺も押さえないといけない。 日埜──後に磯崎新が「亡命」と表現したように、七〇年代以降の丹...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
...た。新築の建物に廃墟の都市を展示することは、磯崎新的なアイロニーのようだが、そういう諧謔精神... ...京は巨大な胃袋のような都市なのかもしれない。磯崎新は次のような発言をしたことがある★一五。東...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 7]
...刷新していく。 そのような桂の特性を建築家・磯崎新は、これまでの建築史家たちによる桂離宮の解釈... ...。それを桂が持つ両義性といっていいだろう。磯崎新「カツラ──その両義的な空間」(一九八三) ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.12-24
[論考]
...することに成功したとしている★二二。 また、磯崎新は『空間へ』のなかで、 ヨーロッパの都市は、... ...木書店、一九九三)一二─二四頁。 ★二三──磯崎新「《島》的都市の発想と歩く空間」(『空間へ』...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.177-186
[グローバリズム 3]
...かれた。展覧会のコーディネートを行なったのは磯崎新であり、その元で三人の建築家が各々異なった... ...omminucation』No.24、NTT出版、一九九八)。 ★二──磯崎新「もしルールが与えられたら」(『新建築』一...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[1990年代以降の建築・都市 3]
...入れられる。 飯島は、一九四五年に立ち会った磯崎新、六八年をリアルに体験した伊東豊雄や坂本一成... ...て、「More Aesthetics, More Ethics」としたのに対し、磯崎新は「More Aesthetics, Less Ethics」がいいのではないかと...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[インタヴュー]
...の突破口を与えたというぐらいに見えました。 磯崎新氏日埜直彦氏迷路と秩序の対立/ル・コルビュジ... ...は考えていますが。 [二〇〇七年四月一二日、磯崎新アトリエにて] ★一──ジェームズ・スターリ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[インタヴュー]
...状況についてお話いただけませんでしょうか。 磯崎新──岸田さんについては、おおやけにはまだ話し... ...っぱり前川さんより丹下さんを評価しているのです。 [二〇〇五年一一月一日、磯崎新アトリエにて]...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[現代住宅研究 5-2]
...んざい」★二という共著論文で小住宅を批判した磯崎新は、自身の住宅設計に対する戦略としてヴィッ... ...べ床面積四四三・七六平方メートルの《H邸》(磯崎新、一九七七)[図7]はその中で最大のもので、約...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.33-38
[グローバリズム 4]
...丹下自身よりむしろデザインチームの一員だった磯崎新の「ジョイント・コア・システム」に由来して... ...その前にすら──捨てられるのだ」。つまり──磯崎新ではないが──中国では最初から廃墟が生産さ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[1990年代以降の建築・都市 2]
...発では、レンゾ・ピアノ、ヘルムート・ヤーン、磯崎新らの巨匠の共演により、世界中どこでもありう... ...ブロポート、一九九一)や、筆者と磯崎新の対話を収録した『磯崎新の建築談義#1 カルナック神殿』(...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.181-194
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
...に残った七つの案(フォスター、スターリング、磯崎新など)のどれもが気に入っていなかった。かく... ...方を使う建築家としてフィリップ・ジョンソンや磯崎新を挙げているし、リカルド・ボフィールはポス...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[万博という問題系1]
...たから、直接関係したのは神谷宏治さんですね。磯崎新さんは僕と同じで研究室から離れてはいたんで... ...。「チーム東京」は大谷幸夫、ちょっと拡大して磯崎新。彼は最初はアンチメタボリズムだったんだけ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[インタヴュー構成]
...後も篠原一男、原広司、象設計集団、伊東豊雄、磯崎新さんなどから次々と声がかかりました。 ──山... ...まとめた。そのときに文章を書いてもらったのが磯崎新さんです。磯崎さんからは《なら一〇〇年会館...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[対談]
...直線路線が神社建築だというのは意味深ですね。磯崎新さんが、忠太は神社を南方建築のプリミティヴ... ...並んでその方向の旗手でもあったわけだけど、『磯崎新の革命遊戯』(一九九六)に入っている対談で...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[図版構成]
...。「海市──もうひとつのユートピア」展、1997 磯崎新が依頼されたマカオの人工島計画がオリジナル。... ...、大平章訳、法政大学出版局、1995 磯崎新監修、田中純編『磯崎新の革命遊戯』、TOTO出版、1996 Edward R. Tu...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.214-225
[論考]
...、それは東大丹下研究室での曽根の先輩であった磯崎新の作品である。つまり二本の筒状の部分からな... ...摩のパノラマの一部に過ぎないのだから。 3──磯崎新:北九州市立美術館4──多摩センター、ペデスト...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.34-51
[建築を拓くメディア]
...「磯崎新を軸に日本建築史を読みなおす」。これがこの小論に課せられたテーマである。磯崎新の近年...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.118-121
[論考]
...ズのパノラマカメラとは本質的に異なる。例えば磯崎新は、シノラマの効果としてパースペクティヴの... ...脱人称的なメディアによって捉えているのだ。 磯崎新はかつて、篠山の写真を指して「Tokyo is photography...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.111-117
[批評]
...あらたな空間感覚とは、例えば妹島和世について磯崎新がある対談で述べたような、「仕切りがなくて... ...九六)、三九六頁。 ★二──磯崎新ほか「情報・空間・建築」、磯崎新+浅田彰監修『Anyplace』(NTT出...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.133-143
[論考]
...はされてこなかった。 メタボリズム周辺にいた磯崎新は、丹下研の卒業論文では高層建築について書い... ...・プロジェクトを粗大ゴミと呼んで憚らない師=磯崎新の、かつてと矛盾して聞こえる発言(都市破壊...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[論考]
...とが出来るだろう★三。 第一回の会議にあたり磯崎新がこう述べているように、この会議には若い世代... ...スがその対極にあり、そこから一歩引いて超然と磯崎新と浅田彰が毎回掘り下げた問いを提起する。こ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.150-151
[インタヴューを終えて/昭和残響伝リターンズ]
...料」と題したアーカイヴ展示で、である。これは磯崎新が六八年のミラノ・ビエンナーレに出品するも... ...して、この日の午刻の空は快晴であった。それは磯崎新の廃墟の原風景である終戦の日の青空を彷彿さ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.112-115
[建築家的読書術]
...(堀江悟郎訳、鹿島出版会、一九八一)。 五、磯崎新『建築の解体』(鹿島出版会、一九七五)。 六、... ...ある。 2──柄谷行人『隠喩としての建築』五、磯崎新はたくさんの本を書いているが、僕にとっては本...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.86-88
[論考]
...近代建築への批判は行なわれる。 一九七三年に磯崎新の「建築の解体——一九六八年の建築情況 」が『... ...。 こうした状況から基本的に距離を取っていた磯崎新は、「イメージゲーム」と題するエッセイにおい...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[インタヴュー]
...いう格好だったのか、まずお聞かせください。 磯崎新──当時はいくつか手探りしながらに探していた... ...をみせてくれることになりました。 日埜直彦氏磯崎新氏身体性を介した時間・空間論 日埜──今のお話...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.193-205
[トーキョー・建築・ライナーノーツ 3]
...─塚本由晴「空白恐怖症の東京」(磯崎新監修、田中純編『磯崎新の革命遊戯』、TOTO出版、一九九六)...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.40-42
[「悪い場所」にて 8]
...っておきたいのは、例の横浜トリエンナーレでの磯崎新ディレクター辞任劇である。もっとも、これに... ...て破壊されたモダニティの中心にいたのが、当の磯崎新であった。 あれから数十年を経て、「横浜トリ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.13-15
[非都市の存在論 4]
...いう廃墟──危機の計画=企画」、磯崎新監修・田中純編『磯崎新の革命遊戯』(TOTO出版、一九九六年...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.16-27
[建築の言説、都市の言説 1]
...版され、そのタイトルは『建築芸術へ』だった。磯崎新氏が六〇年代に書いた三六編を集めて『空間へ... ...心情を超えて全体性を獲得した例は、この時期の磯崎新を嚆矢とする。私たちははじめてアーバニズム...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.28-29
[千年王国論(六)]
...遊するストラクチャー(大屋根)と、丹下の下で磯崎新が担当した応答する場としてのお祭り広場の演... ...の演出でいわば一敗地にまみれたと告白している磯崎新はその後、日本のポストモダンを代表するとい...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.216-226
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
...象徴的に指し示している」と言い★四、日本でも磯崎新が、この年の出来事を神話的に語っている★五... ...aphies of Contemporary Architecture, MIT Press, 1996. ★五──磯崎新『建築の解体──一九六八年の建築情況』(鹿...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[現代住宅研究 2-1]
...ひとつの極北である。 最後の解答例は《K邸》(磯崎新、一九七七)[図6]である。だが、延五七坪に... ... 《住宅館キュービクル》 平面図 縮尺1/1506──磯崎新《K邸》平面図、断面図 縮尺1/4004 あらゆる場...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.12-15
[現代住宅研究 4-1]
...にはなかった。しかし「応答場としての住居」(磯崎新)[図7]では、内部のへこみは外部の出っ張り... ...彫り込まれていると考えることもできる。 7──磯崎新「応答場としての住居」 平面図、断面図 縮尺1/...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.21-25
[シンポジウム]
...スーパースタジオの特集が組まれました。確か、磯崎新さんによって《一二の理想都市》と《コンティ... ...五十嵐──シチュアシオニストの話が出ました。磯崎新『建築の解体』(美術出版社、一九七五)は六...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[万博論]
...続性は、これまでに幾度となく指摘されている。磯崎新は、「だが広島では天皇が消えており、民衆と... ...間を埋める、と考えられていた」と述べている(磯崎新『建築における「日本的なもの」』新潮社、二...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.171-186
[筑波]
... (4)地下パーキング つくば唯一の地下駐車場。磯崎新設計のつくばセンタービルに入っている。門構... ...タービル つくばセンターの中心といえば建築家磯崎新設計によるつくばセンタービルである。ポストモ...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.112-127
[対談]
...を行ない、悪者に仕立てあげた感じがします。 磯崎新氏2 ポストモダンと八〇年代思想 磯崎──今回... ...ガース、スターリング、マイヤー、ホライン、イソザキといったラインアップで、これもまたラショナ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[都市表象分析 31]
...ドやヴィリリオと同じ世代のハンス・ホラインや磯崎新といった、十代で第二次世界大戦を経験した建... ...ぐる問題である。これは一九九七年に開催された磯崎新プロデュースによる「海市」展の方法論的な主...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.2-11
[都市表象分析 12]
...設跡地計画案「哀悼=朝(Mo(u)rning)」模型 出典=磯崎新┼浅田彰監修『Anyway』NTT出版、19958──古殿地か... ...リベスキンド「哀悼=朝 Mo(u)rning」(田中純訳、磯崎新┼浅田彰監修『Anyway』、NTT出版、一九九五)一六...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.2-12
[グローバリズム 2]
...勢の神話を捏造されたオリジンであるとした後の磯崎新の批判はこのことをターゲットにしていたので... ...ものの、黒川紀章は大阪の新府庁舎のタワーを、磯崎新すら上野に都庁舎を上回る高さのタワーを計画...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[ポストモダニズムと建築 3]
...いはどこかで目にしたことがあるはずだ。例えば磯崎新はあるところで次のように書いている。 [徒弟... ...』(鹿島出版会、一九七九)がある。 ★二──磯崎新『ル・コルビュジエとはだれか』(王国社、二〇...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.42-44
[都市表象分析 3]
...場所を必要としている点にこそあるのだろう。 磯崎新は、カサ・マラパルテでおこなわれたテレビ局の... ...、村山書店、一九五八)一七五頁。 ★三一──磯崎新『栖十二』(住まいの図書館出版局、一九九九)...
[現代建築思潮]
...本の建築界には批評がないとよく言われますが、磯崎新、原広司のように、その言説によって建築をリ... ...ないことだと思うんです。鈴木隆之さんがかつて磯崎新の大文字の建築批判をしたことがあり、それは...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[インタヴュー]
...セフ・ボイスのように重要なのです。六〇年代、磯崎新はパリに行きアンドレ・ブロック[図10]に会い... ...なるということですね。昨日のシンポジウムで、磯崎新さんが「文化帝国主義ではないか」と発言され...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[論考]
...島出版会、一九六七)。 ★二──『磯崎新の革命遊戯』(磯崎新監修、田中純編、TOTO出版、一九九六)...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.133-143
[批評]
...の都市の上空を飛んだ体験にもとづいて書かれた磯崎新の「見えない都市」(一九六六)は、ただ茫漠... ...東京都現代美術館、一九九六年)。 ★一一──磯崎新+八束はじめ他『幻視の理想都市』(六耀社、一...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[千年王国論(三)]
...ストにヒントを得たのかどうかは定かでないが、磯崎新が三○年ほど前に「見えない都市」と題するテ... ...前の学生のころに、「見えない都市」の主唱者、磯崎新が設定した「スーパースターの家」というコン...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.169-175
[論考]
...対象である都市を相手にする場合である。かつて磯崎新は都市設計の歴史を「実体論的段階」、「機能... ...てはならない。合言葉は"Bon voyage !" 註 ★一──磯崎新「都市デザインの方法」、『空間へ』(美術出...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[論考]
...一九五〇年代の「現代建築史研究会」を共にした磯崎新は『日本の近代建築』を例に「一〇年前はすで... ...、川上秀光、奥平耕造、冷牟田純二、小島敏夫、磯崎新、大河直躬、田中稔、近江栄、村松貞次郎ら(...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[建築を拓くメディア]
...、ドローイング集とテキスト集の二分冊からなる磯崎新による『反建築史』、また同様の形式では、小... ..., Complexity and Contradiction in Architecture, MoMA, 1977.4──磯崎新『反建築史』(TOTO出版、2001)カタログとカタロ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[論考]
...との不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を... ...ン」(鈴木英明訳、『Anyway──方法の諸問題』、磯崎新+浅田彰監修、NTT出版、一九九五)。 ★五──...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[作品構成]
...。わからないからこそ流れるのだ。その不思議を磯崎新は「始源のもどき」★五と呼んでいる。 fig.5fig.6... ...論』(建築資料研究社、二〇〇二)。 ★五──磯崎新「イセ──始源のもどき」(『建築における「日...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.155-160
[都市/メディア]
...共著『美の条例』で知られる弁護士五十嵐敬喜が磯崎新批判をしたのもこの雑誌。7 『BIO City』(ビオシ... ...──もうひとつのユートピア」展(ICC、1997) 磯崎新がマスタープランに支配されない都市計画を示そ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[日本]
...最初は丹下健三と組んで「モダン」な桂を、次に磯崎新とともに「ポストモダン」なそれを書物にまと... ...はもっと「ユルい」ものだろうが、「石元泰博と磯崎新」以降久しぶりに、写真と建築がそれぞれのジ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.168-169
[批評]
...のである。流れは目に見えるものとは限らない。磯崎新が四半世紀前に予感したような意味でいえば、... ...ある。やや似た趣旨のものとしてほぼ二〇年前に磯崎新と月尾嘉男によるポストユニヴァーシティ・パ...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.82-102
[論考]
...が、気になったのは、一、なぜこんなにいっぱい磯崎新を参照するのか?、二、みかんぐみとアトリエ... ...パンフレット、二〇〇〇)。 ★一一──筆者と磯崎新・浅田彰・隈研吾らによる座談会「『建築の解体...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[論考]
...浜トリは、当初総合ディレクターに内定していた磯崎新が突然辞任して、現役アーティストの川俣正が... ...「創造的な改革」が必要かもしれないね。 1──磯崎新×岡部あおみ×北川フラム×南條史生×長谷川祐子...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.128-129
[鼎談]
...によって現象学的な都市論を再構成しています。磯崎新はそれに応答して「見えない都市」という論文... ...であるアーキテクチュアには関与できない」と、磯崎新さんとの議論のなかで批判しています。 柄沢─...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[論考]
...、雑誌などに発表された論考も少ない。過去に、磯崎新(「特集=近代日本都市計画史 人と思想・状況 ... ...案」とでは、内容は大きく異なっている。 補遺 磯崎新は丹下研究室時代も高山研究室に頻繁に出入り...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.104-113
[論考]
...る、極めて積極的な対抗与件となった[図17]。磯崎新とともに、翌年のヴェネツィア・ビエンナーレ第... ...て、さしたる戦略も欠いたまま抵抗している。 磯崎新は、金村の写真集の一冊『Spider’s Strategy』(オシ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[論考]
...からの撤退である。この言葉は一九六〇年代末に磯崎新が「都市が見えなくなる」なかで、都市からの... ...しその時とは状況が大きく違う。一九七〇年代に磯崎新が撤退した都市には、建築家の居場所がなかっ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.90-93
[対談]
...いう姿勢をだしたのは、細郷道一市長時代です。磯崎新さんや三宅一生さんらが参加して議論していま... ...僕はベルリンに行ってちょっと残念だったのは、磯崎新さんの建物がちょっとぼんやりして見えたこと...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.62-77
[対談]
...て言えば、一九七七年に《貝島邸》や《林邸》で磯崎新さんがヴォールト屋根を用いています。同時期... ...い空間を実現するための構造家の役割 町田──磯崎新さんの《大分県立中央図書館》(現アートプラザ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.73-79
[論考]
...ダー」。このアイディアはマスタープランナーの磯崎新によるものだと聞いている。 問題にしたいのは... ...一連の集合住宅設計者は、マスタープランナー、磯崎新から「ジェンダー」というテーマを与られた。...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.108-115
[論考]
...九九五)、あるいは磯崎新も「アジアを妙に言うと必ず火傷する」と述べる(磯崎新+原広司+布野修...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.134-141
[コラム]
...ることで様式からの脱却と自立を試みていった。磯崎新も指摘しているように、そこには当時強い影響... ...吉岡洋訳、勁草書房、一九八七])。 ★二——磯崎新『《建築》という形式 I』(新建築社、一九九一...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.145-149
[都市表象分析 4]
1 蜂起機械と暴力の神 一九九九年に刊行された福田和也による奇妙な書物『日本クーデター計画』には、「自由の擁護者たちに捧げる」という献辞につづけて、クルツィオ・...四頁)。 ★四六──蓮實重彦「署名と空間」(磯崎新+浅田彰編『Anywhere』、NTT出版、一九九四所収、...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.2-13
[ブック・レヴュー]
自分の乏しい海外体験を暴露するような話だが、今にいたるまで、私はロサンゼルスを訪れたことがない。この都市について知っているすべての情報は、メディアや伝聞を通じて...り、その既視感を拡張していった先には、必ずや磯崎新の「都市破壊業KK」が現われてくることになる。...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.30-31
[1990年代以降の建築・都市 1]
香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選ん...★一六──Mutations, Actar, 2000. ★一七──ただし、磯崎新の文化センターや、エココリドールが全体を貫...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187
[1990年代以降の建築・都市 5]
重層的な決定のシステム 一九九九年、坂本一成の設計による《HOUSE SA》が竣工した[図1]。ギャラリー・間の坂本一成展「住宅──日常の詩学」が、名古屋の愛知...本は自らが自作にたいする最良の批評家である(磯崎新のような)建築家ではない」。 今も、筆者のこ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 5]
見つめていたい 盗撮・盗聴がメディアをにぎわせている。それは小型の映像・録音機器の普及に起因しているのだろうが、最近、公開された映画はこうした状況を如実に反映し...都市のイメージ」をもたないと批判する一方で、磯崎新は「見えない都市」の可能性を探り、七〇年代...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.196-207
[1990年代以降の建築・都市 4]
近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた...ンペでは、ラディカルな案を選ぶことで知られる磯崎新が審査員をつとめていた。彼が、この施設に「...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[ポストモダニズムと建築 4]
過去半世紀に現われた「建築的統辞法」の揺らぎを検討するため、それ以前の文脈を振り返ってきた。比喩的に言うならば、嵐の波間から嵐の全貌を見ることができないならば、...には意味があるかもしれない。この点に関しては磯崎新『建築における「日本的なもの」』(新潮社、...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.39-41
[建築の言説、都市の言説 8]
多木浩二氏(以下敬称略)が「今後基本的に建築を論じることはないだろう」として瓢然と建築界に背を向けてから、かれこれ一〇年が経過している。それでも本誌のバックナン...。 そういう薮蛇効果の一例を挙げると、多木は磯崎新氏(以下敬称略)と『世紀末の思想と建築』とい...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.30-31
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチ...っている。実際のところ、丹下健三、白井晟一、磯崎新、篠原一男といったリーダーたちは(そして後...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[非都市の存在論 2]
...dson (ed.): Anyplace. Anyone Corporation, New York 1995, p.120.[磯崎新+浅田彰監修『Anyplace』(NTT出版、一九九六年)...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.16-27
[ブック・レヴュー 1]
宮内康(一九三七─九二)は批評家、建築家、教育者として精力的に活動し、六〇年代末から七〇年代の言説活動を中心に根強い支持を得ている。六二年に東大建築学科を卒業し...ずはあるまい。 そこで肝腎の論考である。彼は磯崎新氏や原広司氏と交友があり(後者は高校の一年先...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.44-45
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、...ては都市という百科全書は完成されないのだ。 磯崎新が六〇年代の初めに展望した都市デザイン史では...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[技術と歴史 6]
悠久の古代エジプトにおけるピラミッド 中川武──三〇年前に初めてエジプトに行き、それから調査・研究を進めています。古代エジプトでは古王国にピラミッドがたくさんつ...なりに自由になってきていることの代表的な人が磯崎新さんですが、それでも磯崎さんは丹下さん的な...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.191-199
[建築の解體新書 4]
空間の創出と喪失に関するメモ……中谷礼仁 はじめに 前回の岡崎氏の論旨は、日本語、というか、漢字にからみつくテニヲハのはたらきを、主体的感情(空間)を生み出す...と思います。 吹抜屋台と野屋根の発生 建築家・磯崎新氏は、すでに六〇年代に一度、日本的空間につ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.13-26
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
...= http://www.ace.co.uk/ seriousgames/diller1.gif註 ★一──磯崎新『オペラシティの彼方に』(NTT出版、一九九七...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[非都市の存在論 10]
1 夢のなかのシナ インターネットを通じた情報交換の増大を背景として、文字コードの国際的な統一化が進行している。この標準化は国際電気標準会議(IEC)、国際標準...島〉概念が、例えば氏がこの文章で批判している磯崎新氏のそれと異なることは承知している。その差...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21
[建築の還元 2]
...さまざまなアレゴリー」(末廣幹訳、『Anywhere』磯崎新+浅田彰編、NTT出版、一九九四)二〇四─二〇五... ...レイトナー編『ウィトゲンシュタインの建築』(磯崎新訳、青土社、一九八九)四六─四七頁。 ★一一...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[現代建築思潮]
議論の新しいスタイル? 10+1──「現代建築思潮研究会」はこれから三年目に入りますが、月例で研究会を行なってきたこの二年間を振り返ってどんなことを考えますか。...るらしいぜという状況をつくっているわけです。磯崎新さんも同じように『Any』で一〇年間仕掛けつづ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である」。 これはコンピュータの時代の建築を構想する伊東豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『...、いかに解体するかという問題を射程に入れる。磯崎新が美学として廃墟を語るのに対し、黒川はシス...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[連載 6]
15 分類すること(名付けること)と配置すること 15-3 バベルの塔としてのCIAM 近代都市計画の原点ないし聖典のようにいわれてきた『アテネ憲章』が会議か...『ル・コルビュジエ』(岩波書店、一九八三)と磯崎新『ル・コルビュジエとはだれか』(王国社、二...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[論考]
『10+1』No.49の拙論「アルゴリズム的思考とは何か」のなかで、「アルゴリズム的思考」とは「建築に限らず、あらゆる事象の表層的な現象にとらわれずにその背後に...響についてわかりやすく論じている。 ★二──磯崎新「間──日本の時空間」(『見立ての手法──日...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.102-103
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ム...、既視感のない質料的表現に到達した。 それは磯崎新が定義するところの「禅」における「見立ての手...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[1990年代以降の建築・都市 23]
教会のイメージ 日本人にとって教会とはなにか。これまでにも幾度か結婚式教会について考察してきたが、あえてフェイクに見慣れた目から、もう一度、本物の教会を考えてみ...ポストモダンの時代までは、シーンをリードする磯崎新がルドゥーやパラディオを語ったり、過去の様...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.39-41
[批評]
〈資本〉が越境し、その過剰流動が、各国の固有経済システムに強い影響を与えはじめている。文化としてのディズニーも同様の越境を開始したとはいえないか。既に東京とパリにマジック・キングダムのシミュラークルを完成した。その模像は、ときにアナハイムの実像(それもまた虚像の集合体だ)をはるかにうわまわる吸引力を発揮する。これは明ら...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.132-137
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに...今回の計画はある種法外的ですよね。 金子──磯崎新さんの新都庁舎の計画案もそうでしたよね。 今井...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[現代住宅論 4]
最近、若い建築家や建築研究者がクリストファー・アレグザンダーのデザイン理論に注目している。大きな潮流になっているわけではないが、彼らの紹介を通じて、アレグザンダ...うしてもツリーの考え方を脱しきれないのだ。磯崎新『建築の解体』(鹿島出版会、一九七五) 「ツ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.213-222
[現代建築思潮]
10+1──現代建築思潮研究会では、オリンピック招致によって都市改造が一気に巻き起こることを想像の視野に入れながら、この会独自の計画案を組み立てようとしています...。 今村──前号の『10+1』(No.43)に掲載された磯崎新さん、石山修武さんの「二一世紀型オリンピッ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.37-44
[技術と歴史 2]
今日は構造家の立場から、主に空間構造の歴史と私が現在考えている構造の方向性について話をしたいと思います。 空間構造にみる構造合理主義の系譜というテーマをもとにし...に北京のオペラハウスのコンペティションがあり磯崎新さんと一緒にやりました[図4─6]。最後まで残...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.208-219
[10+1 PASSAGE蒐集(コレクション)の曖昧な対象 4]
1 第一回で私たちが関心を向けたのは、コレクションがコレクションであるためには、主観がそこに何らかの規則性を見出さなければならないということだった。もしも規則性...辞からなる日本語の入子構造の模式図」 出典=磯崎新+岡崎乾二郎監修 『漢字と建築』(INAX出版、2003...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.28-31
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 2]
1 建築職人ウィトルウィウス はたしてウィトルウィウスは建築家だったのだろうか。 あらためていうまでもなく、彼の著した『建築書』(De Architectura... ★八──渡辺眞弓「悠久のアクロポリス」(『磯崎新+篠山紀信建築行脚 2──透明な秩序:アクロポ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.12-25
[グローバリズム 1]
1 前口上:グローバリズム、その私的再発見 我ながら最近の自分の立場なり関心とひどく懸け離れた主題を選んでしまったと思った。というと、過去の私の仕事を知る人々は...の建築の活動にもあながち無縁ではない。私は、磯崎新と戦前の話をしていた際に、このプロジェクト...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[「悪い場所」にて 6]
会場の一角に、異様な形状の造形物を捉えた航空写真が飾られている。コンクリートでできた円形の、なだらかな丘のようなかたち。よく見れば、その造形物の上にゴマ粒のよう...周辺に位置し、丹下事務所では浅田のもとに居た磯崎新の「廃墟」も、このことと無縁ではないだろう...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.26-28
[建築の解體新書 3]
詞の通路(かよひみち)と、建築の通路……岡崎乾二郎1 たとえば時枝誠記は、詞と辞に対立させて国語(日本語)を考えることの先駆を、鎌倉時代に書かれた『手爾葉大概抄...にもさまざまな見解が出され、最近でも建築家・磯崎新氏が臆病な建築史家から一歩踏み込んで果敢な...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.206-225
[『日本の民家』再訪 2]
前号から「再訪『日本の民家』」の連載が始まった。この連載の基本にして最終の目標は、今和次郎が一九二二年に刊行した『日本の民家』という本を片手に、そこに紹介された...)★七、そしてその二年後の一九六一年に同氏が磯崎新氏や当時の東京大学の多くの学生と行なった金...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.13-20
[技術と歴史 4]
石山──今日は前半で設計などの考え方のべース、後半では開放系技術を実際にどのように表現しているかについて話したいと思います。 初めに、ロケット開発の歴史について...い学生がこのゼミナールに集まって、東大からは磯崎新さん、構造では川口衛先生、それからIDの榮久庵...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[ポストモダニズムと建築 1]
建築を建築として見るようになった頃から、どうもロマネスクの建築というのが気になってしようがない。御多分に洩れず学生の頃ヨーロッパに行き近代建築など忙しく見て回っ...検討が一般化し、『建築の解体』(一九七二)に磯崎新がまとめたような新しい傾向が同時多発的に登...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.18-19
[コラム]
動物化するポストモダン 「ポストモダン」について交わされた膨大な量の議論は、厚く沈殿している。それらは総じて良質で、いまでは現代思想随一の層をなしている。しかし...メディアテーク」コンペ案(一九九五)である。磯崎新が審査委員長となり「メディアテーク」という...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153
[建築を拓くメディア]
跳躍台としての言葉 建築は、言葉では建たない。 千言万語を華麗に費やしてみても、建築が現実につくられゆく情況のなかで、言葉はモノの具体性に対して塵ほどの力も持ち...平凡社、一九九九)が挙げられる。サッセンは、磯崎新と浅田彰をディレクターとする、建築と思想の...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.106-110
[建築家的読書術]
研究室の学生を建築現場で教えて大学に戻ったところだ。建築現場と言っても貸アパートと個人住宅の複合小建築。施主が住宅部分の内装と屋上部をセルフビルドする建築の現場...以前に私の頭の中では読了済みであった。近年、磯崎新の『建築における「日本的なもの」』(新潮社...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...建築家はどう読むんですか。たとえば、六耀社の磯崎新と篠山紀信の建築行脚みたいなものは? 隈──...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[建築を拓くメディア]
コンペが現代建築史で果たしてきた重要な役割については、あらためて強調するまでもないだろう。それは勝者だけの歴史ではない。《シカゴ・トリビューン社屋》でのグロピウ...れていた落選案の山のなかから審査委員であった磯崎新氏が拾い上げたという伝説を生んだ、当時はま...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.111-113
[建築を拓くメディア]
本稿は近年日本で出された西洋建築史関連書のレヴューとして依頼されたものであるが、限られた誌面のなかでのべつ幕無しに情報を提供したのでは無味乾燥な話になってしまう...一。[鈴木博之監訳、白揚社、二〇〇四])、『磯崎新の建築談議シリーズ』(六耀社、二〇〇一─二...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.122-123
[論考]
「それらには何か或るものが共有されていなくてはならない。さもないと、それらは「ゲーム」と呼ばれないから」などと言ってはならない。──そうではなく、それら全てに何...である。 《岐阜県営住宅ハイタウン北方》は、磯崎新によってプロデュースされ、妹島和世、高橋晶...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.111-120
[論考]
「風景の発見」的問題設定の問題性 柄谷行人は『日本近代文学の起源』(講談社、一九八)のなかで、近代文学を成立させた認識の布置のことを「風景」と呼び、それが日本で...『伊勢と出雲』(平凡社、一九六四)、あるいは磯崎新「イセ─始源のもどき」(『始源のもどき』鹿...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.107-118
[批評]
...yone, New York: Rizzoli, 1991, pp.198-99. 邦訳=『Anyone』(磯崎新+浅田彰監修、NTT出版、一九九七)。Anyoneの編集...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[自然─環境]
風景としての建築 日本においてランドスケープという言葉が認識されたのはいつ頃からだろうか。今から十数年前、大学院の英語の入試で「Landscape design...ョン《高知県立坂本龍馬記念館》(一九九二)、磯崎新《奈義町現代美術館》(一九九四)、MVRDV《まつ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.152-155
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...イズの技法」という言葉を使いました。 南──磯崎新さんはかつて「手法」と言っていましたし、歴史...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[アメリカ]
一九八〇年代、九〇年代のロサンゼルス(以下LA)における、非常に疑わしい修辞として、《ゲティ・センター》に対して費やされたものがある。たしかに《ゲティ・センター...ディーが現代LAにおいて鍵となる建築家だとした磯崎新は間違っていない。二人のうちどちらがよりおも...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.84-88
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登...くられてきたとするなら、伊藤忠太や丹下健三、磯崎新らは、昭和天皇の身体の時間的変化(=昭和)...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[論考]
ローマでの体験 1999年の12月から2000年の1月にかけて、私は仕事の関係でイタリアにおける建築物の保存・修復について調べるためにICCROM(文化財保存修...ゼンマン) ★「ネクサス・ワールド」(福岡、磯崎新ほか) ★「ブーローニュ・ビヤンクール再開発計...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[中国]
紅石 潘石屹(Pam Shichi)と張欣(Zhang Xin)が1995年北京で創設した土地開発会社。デザインを重視した果敢な住宅開発を行ない、21世紀の中国...藤忠雄を計画し、最終的に香港のロッコ・イム、磯崎新さん、山本理顕さんの三人による指名コンペに...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.126-127
[香港]
アーロン・H・H・タン Aaron H. H.Tan:1963年シンガポール生まれ。1994年、レム・コールハースとともにOMAアジアを設立し、翌年より同ディレ...今日、わずかな時間のみ有効なものでしかない。磯崎新は「場所と記憶の両者を捨て去ったら何が生ま...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.128-129
[論考]
二〇世紀の前提 住宅が演じた役割以上のものを、二〇世紀の他のビルディング・タイプはなにひとつ演じていないと、ビアトリス・コロミーナは語っている★一。確かに、二〇...ス「被覆の原理について」、三〇頁。 ★六──磯崎新「この時代にこそ、ロースは語られるべきである...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-109
[日本]
1965年生まれ。建築史家(中間建築史)。89年、早稲田大学理工学部大学院修士課程修了後、清水建設に入社。設計本部に勤務。92年の退社後、95年まで早稲田大学大...1993)、『数寄屋の森』(共著、丸善、1995)、『磯崎新の革命遊戯』(共著、TOTO出版、1996)、『建築マ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.164-165
[論考]
1──図版出典『ゴジラ』(昭和二九年作品) ©東宝株式会社南洋の未開の島からマンハッタンに連れていかれ、そこで壮絶な死を遂げる『キングコング』以来、怪獣ものの映...メタボリスト・グループの計画やその周辺にいた磯崎新の空中都市の計画に場を提供していた。 西の都...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.180-185
[論考]
ライフスタイルを描写する上で、「都市の(アーバン)」と「洗練された(アーベイン)」そして差別的に「郊外の(サバーバン)」が用いられる場合、これらの(英語において...る郊外住宅にもう随分長く住んでおり、その家は磯崎新や宮脇愛子らこの土地に稀な訪問客を時折見か...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.243-248
[論考]
日本橋と首都高 今年(二〇〇六)の二月、江戸東京博物館を久しぶりに訪れた。水の都市として東京を再考するリサーチとプロジェクトの集大成となる「東京エコシティ──新...刺漫画のような存在になってしまった」。すでに磯崎新は、京都を含む伝統的な空間はテーマパークで...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.94-103
[インタヴュー]
中谷礼仁──まずはタイトルの「トレーシング・ザ・藤森照信」について若干説明しておきます。私たち三人も藤森照信さんと同じ建築史という分野から自らの活動を始めました...く書いて欲しいとおっしゃったことです。それと磯崎新さんがオリンピック、万博の後、丹下さんはア...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[プロジェクト]
住宅と農村計画│石山修武 自宅《世田谷村》はいまだに未完である。個人住宅の設計は自宅で打ち止めにしようと考えていたが、その考え自体も未完となり、いくつかの試みを...会的意味はいずれにありや、と考えるに、それは磯崎新など、八田利也の「小住宅設計ばんざい」と篠...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.64-72
[論考]
「物はなぜゴチャマゼになるのか」というグレゴリー・ベイトソンと娘メアリーの会話がある★一。自分の部屋が直ぐ「ゴチャマゼ」になるのはどうしてか? と問うメアリー...一九八一年のロサンゼルスのダウンタウン(後に磯崎新のMoMAのできたバンカーヒル)で行なわれた都市...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.112-119
[フィールドワーク]
ドイツの建築家ブルーノ・タウトと言えば、なにしろ桂離宮に魅せられ、その美しさを日本人に解り易く示し自国の文化に自信を持たせてくれた、しかも、それを世界へ向けて紹...]マンフレッド・シュパイデル [実行委員長]磯崎新 [会場デザイン]隈研吾 [協力]東京大学工学...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186
[論考]
Uchida who? 最近のインタヴューで、レム・コールハースに対して磯崎新が「彼がもう少し長く生きていれば丹下健三の最大のライヴァルになったであろう」と語っ...のインタヴューで、レム・コールハースに対して磯崎新が「彼がもう少し長く生きていれば丹下健三の...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[論考]
都市計画はひとつの工学的な技術体系として(…中略…)物的・実体的な諸施設の配置・構成を手だてとし、個別的・社会的なもろもろの空間や構築物を媒介として、都市社会を...都庁綜合計画[図2]が、丹下の下で大谷幸夫、磯崎新、黒川紀章の担当によりまとめられている。実際...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103
[論考]
昨日まで何の変哲もなかった万博で、 人々が列をなし、群がっていたのに、今や見よ、 まるで魔法の杖でできたように、 透明なガラス製の輝くアーチが、輝きを失い、 忘...つり広場でうち棄てられた「ロボット・デメ」(磯崎新)との出会いや大屋根(丹下健三)にこっそり...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.125-144
[対談]
隈——建築への関心がそれまでの内部から「お外」へと志向し始めたのは九○年代の最初の頃だったでしょうか。地面でゴロゴロする若者、いわゆる「ジベタリアン」が増えてき...。 隈——次の本は『負ける建築』です(笑)。磯崎新さんも基本的には終焉論をお書きになっていると...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78
[批評]
突出するものについて語ることはある意味で容易である。それは「外側」から語りうるからだ。しかし、あらかじめ対象の「外側」に立っているかのように語るとき、それがどん...き〈環境〉化を反復していくほかない。きっと、磯崎新にとって六〇年代の都市は一度は伊東にとって...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.98-99
[批評]
建築批評の不在と二元論の反復 批評の不在がいわれ、新しい建築評論のあり方がもとめられているという。しかしこうした「建築評論のあり方」「批評の不在」そのものをテー...作法に関する「プロフェッショナルな目利き」(磯崎新)として多くの論評をのこしたことで知られて...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.95-97
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...から話題の浜口隆一も関与してますね。しかし、磯崎新の場合だと、自分が自作に対する最高の批評家...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[対談]
〈線〉の思考あるいは「郵便空間」への接続 田中──本号の特集テーマには、面積をもたず、かつ点ではない、つまり運動の軌跡であり、明確な領域性をもたない非場所的な対...ジョンソンはそれを利用したと言えます。しかし磯崎新さんも言っていますが、阪神大震災によって実...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[批評]
I 「直線を引き、穴を埋め、平らにならし、そしてニヒリズムにいたる……」(拡張計画委員会の議長を務めるえらいお役人の猛々しい怒号)。 わたしは答えた。 「失礼な...しての建築家──都市のバイオ・エシックス」(磯崎新監修『海市──もうひとつのユートピア』、NTT...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.119-127
[翻訳論文]
ヴェネツィア・ビエンナーレの建築部門は、「ヴェネツィアと景観的空間」に捧げられた展覧会において劇場部門とともにスタートした後、八〇年代の始まりに第一回国際建築展...後の建築にもたらした影響に関しては、本特集の磯崎新インタヴュー「ポストモダン一九六八—八九」...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.93-104
[プロジェクト・スタディ]
2001年9月11日 「テロ」の理由はアメリカ合衆国への敵意、もしくはそこを中心としたグローバリゼーションに対するカウンターであると説明されている。テロリストを...ンター 機能=各機能に還元した組み合わせ後に磯崎新氏により「せんだいメディアテーク」と命名実態...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.73-89
[論考]
二〇〇〇年以降、東京の都心部では高速で大規模な開発が進み、湾岸地区ではタワーマンションが、バイパス道路沿いにはメガショッピングモールが、それぞれ大量に建設されて...臨時増刊号、新建築社)註 ★一──宮台真司は磯崎新との対談において、現代都市では表層において趣...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.94-95