アマテラスさんの秘密
盃状穴②
「機織りの姫」、アメノタナバタヒメに続く二人目は、
「アマテラス」です。
機織りの姫だなんて、
恐れ多くも伊勢神宮の祭神で天皇家の皇祖神ですぞ!
なぁーんて叱られそうですが、
皇祖神云々については、多くの歴史学者が、
「それは明治新政府の創作」といい、
外国の歴史学者までもが「明治の発明であった」と言ってますから、
私の独断ではないですよォ。
=「天皇のページェント」T・フジタニ NHK出版協会 1994=
で、伊勢神宮とアマテラスさんの関係は、というと、
「伊勢神宮がアマテラスを祀るようになったのは、奈良時代初期前後」
=「天照大神と伊勢神宮の起源」直木考次郎 若竹書房 1951=
「文武朝期に伊勢神宮が置かれ、アマテラスが祀られた」
=「天孫降臨の夢」ー藤原不比等のプロジェクトー
大山誠一 NHK出版協会 2009=
という具合に、
アマテラスさんが伊勢神宮に祀られるようになったのは、
どうも「神代の昔」ではなかったらしいのです。
それならこの神さまは、それまでどこにいらっしゃったのか?
というと、
それに対して、こんな説が…。
「弥生時代からの日本の土着神であった」
=「アマテラスの誕生」溝口睦子 岩波書店 2009=
「もともと伊勢の地の日の神であった」という説もあって、
真相はよくわからない。
ところが長野正孝氏の「古代のテクノロジー」PHP 2023を読んだら、
今までにない説を打ち出していて、思わず、「あっ!」と。
つまり、こう書かれていたんです。
「天照大神は、倭国という連合体があった時代に交易路を守る神として、
玄界灘の対馬に存在する「阿麻氐留(あまてる)神社」に置かれていた」
※ここで長野先生がいう「倭国」は近畿の「ヤマト王権」ではなく、
日本海沿岸に存在したと長野先生が仮定した「倭国」のことを指す。
彦左氏のブログに、この神社のことが写真と共に詳しく書かれています。
「彦左の正眼!」
長野先生は、さらにこう主張されている。
「アマテラスは対馬から丹後宮津の「元伊勢籠(もといせこの)神社」に移り、
さらにそこから伊勢神宮の内宮に移された。
壱岐の月讀(つくよみ)神は下宮に移され、今に護り続けられている」
対馬→日本海側の丹後国、そこから、
本州を横断して、太平洋側の伊勢へという長旅をされたというのです。
私はこの説、すごく気に入っちゃって。
だってあの謎の「継体大王」の経路とも一部、重なりますし、
それにアマテラスの娘の女神3人は、
それぞれ朝鮮への海路の途中にある海の道の守護神ですから、
その母が対馬に存在するのはあり得るなぁ、と。
そんなこんなで、私はどれが正論なのかもっと知りたくなって、
このゴールデンウィークは、姪と3時間ほど会ったほかは、
部屋にこもって、アマテラスさんとの付き合いで終わりました。
今は亡きカナダの姉の娘と10年ぶりの再会。お土産のサブレ。
「おばさんは母にそっくり」と。二人ともおしゃべりが止まらず。
アマテラスの正式名称は「オオヒルメノムチ」、
「ヒルメ」つまり「日の女」。
「太陽の女神」であることは確かです。
しかし、民俗学者の折口信夫はこれを日本の最高神ではなく、
「日の妻」=巫女と解した。
つまり、神への供物の棚にいて棚機(たなばた)という機織り機で、
神の御衣(おんぞ)を織る織り姫の一番偉い巫女であった、と。
記紀に、
「天照大神が服屋で神御衣(かんみそ)を織っていたとき、
スサノヲが天の斑馬を逆剥ぎして服屋へ落としたので驚いて、
分身であるワカヒルメが死んでしまい、天照大神も陰部を損傷した」
という話があります。
このことがきっかけでアマテラスは岩屋に隠れた。
つまり「お隠れ」=亡くなってしまいます。
あとはご存じのように、アメノウズメのヌードダンスがきっかけとなって、
再生復活を果たすわけです。
「習俗のナゾ」啓正社 昭和62年の著者・福永英男は、
この「天照大御神、神御衣(かんみそ)織らしめたまひし時」に注目して、
こういっています。
「アマテラスは日本紀がオオヒルメノムチといっているように、
太陽の妻としての役目を負っていることを示している。
だとすれば神御衣(かんみそ)は、
彼女が仕える主人たる「日の神」に献上するものであったはず。
このことからアマテラスは絶対神格ではなく、本当の「日の神」は別にいて、
彼女はその「日の神」に仕える巫女の最高の立場の神であったことになる。
それがのちに本当の日の神とその祀り役が混同、同一化されて、
現在見るような形に変わってきたのではないだろうか」
ならばその本来の「日の神」はどなたであろうかというと、
「タカミムスヒ」という男神だという。
※「タカミムスヒ」の「ヒ」は「ビ」と濁りません。
馴染みのないお名前ですが、
天地開闢のとき生まれた3人の男神の中の次男坊だそうです。
福永氏は、この神とアマテラスが混同、同一化されたというのです。
アマテラスには「実は男であった」という「噂」があることから、
ひょっとして男神と女神が合体した神、両性具有ってのもあり得るなぁ、
なんて私は思ったり…。
だって一人で子どもを生んじゃったりするんですから。
で、この魅力的な女神が、
クローズアップされた時期やいきさつなんてのを見ていくと、
どうやら天智、天武天皇さんあたりのころ、
つまり古事記や日本書紀の構想を立ち上げた時期から、
次の持統朝の成立した時代になってくる。
そっかぁ、日本の歴史の転換点はここだったのかぁと、
私はほくそ笑んだのであります。
また、記紀の編纂には亡命百済人たちが関わっていたことから、
日本に中国、朝鮮半島からかなりの人が入り込んでいたことが想像され、
アマテラスさんの秘密がますます深くなってきました。
余談ですが、
「習俗のナゾ」の著者・福永氏は当時、静岡県警本部長で、
日本民俗学会会員という異色の人。
「盃状穴考」の著者にも会社経営者や医者などがいましたし、
元・静岡市長だった天野進吾氏も郷土誌を自費で出版しています。
今は郷土を俯瞰的に見るそんな政治家はいませんよね。
ほとんどが選挙が近づくと夏祭りにちょっと来て、
手踊りして名前を連呼して、それで地元のことを知ったふりする人ばかり。
憤慨しつつ食べた新品種のいちご「恋みのり」。昔を偲びつつ食べました!
甘みはさわやか。ずんぐりした形が愛らしい。
いみじくも考古学者の河上邦彦氏が著書の中で、
「多様性の重要性」を指摘していました。
「石室の修復のとき、当時の唐尺や比率を使ってもダメで匙を投げかけた時、
メンバーの一人に異色の経歴の人がいて、その人が、
「黄金分割りではないか」というのでこれでやったらピタリと合った」と。
そこで他分野の人の意見がいかに大切かということを書いておられたが、
その通りだと思いました。
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「アマテラス」です。
機織りの姫だなんて、
恐れ多くも伊勢神宮の祭神で天皇家の皇祖神ですぞ!
なぁーんて叱られそうですが、
皇祖神云々については、多くの歴史学者が、
「それは明治新政府の創作」といい、
外国の歴史学者までもが「明治の発明であった」と言ってますから、
私の独断ではないですよォ。
=「天皇のページェント」T・フジタニ NHK出版協会 1994=
で、伊勢神宮とアマテラスさんの関係は、というと、
「伊勢神宮がアマテラスを祀るようになったのは、奈良時代初期前後」
=「天照大神と伊勢神宮の起源」直木考次郎 若竹書房 1951=
「文武朝期に伊勢神宮が置かれ、アマテラスが祀られた」
=「天孫降臨の夢」ー藤原不比等のプロジェクトー
大山誠一 NHK出版協会 2009=
という具合に、
アマテラスさんが伊勢神宮に祀られるようになったのは、
どうも「神代の昔」ではなかったらしいのです。
それならこの神さまは、それまでどこにいらっしゃったのか?
というと、
それに対して、こんな説が…。
「弥生時代からの日本の土着神であった」
=「アマテラスの誕生」溝口睦子 岩波書店 2009=
「もともと伊勢の地の日の神であった」という説もあって、
真相はよくわからない。
ところが長野正孝氏の「古代のテクノロジー」PHP 2023を読んだら、
今までにない説を打ち出していて、思わず、「あっ!」と。
つまり、こう書かれていたんです。
「天照大神は、倭国という連合体があった時代に交易路を守る神として、
玄界灘の対馬に存在する「阿麻氐留(あまてる)神社」に置かれていた」
※ここで長野先生がいう「倭国」は近畿の「ヤマト王権」ではなく、
日本海沿岸に存在したと長野先生が仮定した「倭国」のことを指す。
彦左氏のブログに、この神社のことが写真と共に詳しく書かれています。
「彦左の正眼!」
長野先生は、さらにこう主張されている。
「アマテラスは対馬から丹後宮津の「元伊勢籠(もといせこの)神社」に移り、
さらにそこから伊勢神宮の内宮に移された。
壱岐の月讀(つくよみ)神は下宮に移され、今に護り続けられている」
対馬→日本海側の丹後国、そこから、
本州を横断して、太平洋側の伊勢へという長旅をされたというのです。
私はこの説、すごく気に入っちゃって。
だってあの謎の「継体大王」の経路とも一部、重なりますし、
それにアマテラスの娘の女神3人は、
それぞれ朝鮮への海路の途中にある海の道の守護神ですから、
その母が対馬に存在するのはあり得るなぁ、と。
そんなこんなで、私はどれが正論なのかもっと知りたくなって、
このゴールデンウィークは、姪と3時間ほど会ったほかは、
部屋にこもって、アマテラスさんとの付き合いで終わりました。
今は亡きカナダの姉の娘と10年ぶりの再会。お土産のサブレ。
「おばさんは母にそっくり」と。二人ともおしゃべりが止まらず。
アマテラスの正式名称は「オオヒルメノムチ」、
「ヒルメ」つまり「日の女」。
「太陽の女神」であることは確かです。
しかし、民俗学者の折口信夫はこれを日本の最高神ではなく、
「日の妻」=巫女と解した。
つまり、神への供物の棚にいて棚機(たなばた)という機織り機で、
神の御衣(おんぞ)を織る織り姫の一番偉い巫女であった、と。
記紀に、
「天照大神が服屋で神御衣(かんみそ)を織っていたとき、
スサノヲが天の斑馬を逆剥ぎして服屋へ落としたので驚いて、
分身であるワカヒルメが死んでしまい、天照大神も陰部を損傷した」
という話があります。
このことがきっかけでアマテラスは岩屋に隠れた。
つまり「お隠れ」=亡くなってしまいます。
あとはご存じのように、アメノウズメのヌードダンスがきっかけとなって、
再生復活を果たすわけです。
「習俗のナゾ」啓正社 昭和62年の著者・福永英男は、
この「天照大御神、神御衣(かんみそ)織らしめたまひし時」に注目して、
こういっています。
「アマテラスは日本紀がオオヒルメノムチといっているように、
太陽の妻としての役目を負っていることを示している。
だとすれば神御衣(かんみそ)は、
彼女が仕える主人たる「日の神」に献上するものであったはず。
このことからアマテラスは絶対神格ではなく、本当の「日の神」は別にいて、
彼女はその「日の神」に仕える巫女の最高の立場の神であったことになる。
それがのちに本当の日の神とその祀り役が混同、同一化されて、
現在見るような形に変わってきたのではないだろうか」
ならばその本来の「日の神」はどなたであろうかというと、
「タカミムスヒ」という男神だという。
※「タカミムスヒ」の「ヒ」は「ビ」と濁りません。
馴染みのないお名前ですが、
天地開闢のとき生まれた3人の男神の中の次男坊だそうです。
福永氏は、この神とアマテラスが混同、同一化されたというのです。
アマテラスには「実は男であった」という「噂」があることから、
ひょっとして男神と女神が合体した神、両性具有ってのもあり得るなぁ、
なんて私は思ったり…。
だって一人で子どもを生んじゃったりするんですから。
で、この魅力的な女神が、
クローズアップされた時期やいきさつなんてのを見ていくと、
どうやら天智、天武天皇さんあたりのころ、
つまり古事記や日本書紀の構想を立ち上げた時期から、
次の持統朝の成立した時代になってくる。
そっかぁ、日本の歴史の転換点はここだったのかぁと、
私はほくそ笑んだのであります。
また、記紀の編纂には亡命百済人たちが関わっていたことから、
日本に中国、朝鮮半島からかなりの人が入り込んでいたことが想像され、
アマテラスさんの秘密がますます深くなってきました。
余談ですが、
「習俗のナゾ」の著者・福永氏は当時、静岡県警本部長で、
日本民俗学会会員という異色の人。
「盃状穴考」の著者にも会社経営者や医者などがいましたし、
元・静岡市長だった天野進吾氏も郷土誌を自費で出版しています。
今は郷土を俯瞰的に見るそんな政治家はいませんよね。
ほとんどが選挙が近づくと夏祭りにちょっと来て、
手踊りして名前を連呼して、それで地元のことを知ったふりする人ばかり。
憤慨しつつ食べた新品種のいちご「恋みのり」。昔を偲びつつ食べました!
甘みはさわやか。ずんぐりした形が愛らしい。
いみじくも考古学者の河上邦彦氏が著書の中で、
「多様性の重要性」を指摘していました。
「石室の修復のとき、当時の唐尺や比率を使ってもダメで匙を投げかけた時、
メンバーの一人に異色の経歴の人がいて、その人が、
「黄金分割りではないか」というのでこれでやったらピタリと合った」と。
そこで他分野の人の意見がいかに大切かということを書いておられたが、
その通りだと思いました。
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コメント
No title
僕は個人的には淡路島ではないかなと勝手に思っています。
さすがに九州の山奥から王朝の歴史が始まるというのは、物理的に不可能なので。
当時もっとも豊かな地域が一番怪しいと思っています。
日本の神の歴史は、日本書紀によって作られたという説には大賛成です。
でも何か謂れがないと作れない、だからモデルになった出来事は実際にあったのだと思います。
本当に怒ってしまって穴に隠れたのだと思います。
2023-05-14 11:21 たいやき URL 編集
たいやきさんへ
私もこの対馬説にはびっくりしました。
でもなんだか共感しちゃいました。
あの旧石器捏造事件以来、アカデミックな説や有名学者を信用できなくなって…。あの事件の発覚後は一人に全部、責任をかぶせましたが、学者たちは30年近くそれを推し進めて政府の役人になったり本を出したりしてきたんですよね。初期のころから疑問視してきた人は、みんな学会から放り出されたりしてひどい目にあった。
長野氏は海洋史に詳しく、港湾の計画・建造に携わってきた技術者ですから、その視点が文献学者とは違う。通説に疑義をはさむと変人扱いをされますが、私は非常に貴重だと思っています。
2023-05-14 13:43 雨宮清子(ちから姫) URL 編集