韓国の財閥夫人が運転手への暴行で裁判になっています。
この夫人はこれまでも運転手や警備員への暴行や暴言を繰り返したそうです。
ナッツ姫とか韓国の財閥女性には、この手の粗暴犯が多いです。
これは「韓国は身分社会だから」、つまり身分の高い人間は低い人間には何をしても良い考えられている社会だからと、説明される場合が多いようです。
しかしワタシはこれどうもわからないのです。
だって日本も江戸時代まで、またヨーロッパでも18世紀までは身分社会でした。
しかしそういう時代でも、いやそういう時代だからこそ、召使に暴行・暴言を恣にする貴婦人と言うのは、想像がつきません。
身分制社会での貴婦人と言うのは、優しさと品位に満ちている事を求められるので、そういう粗暴なふるまいをしてよいわけがないのです。
それどころかアメリカ南部の奴隷農園主の妻や娘でも、黒人奴隷に暴言を浴びせる、暴行を行うなんてなんてことは絶対にしてはならなかったのです。
例えば「風と共に去りぬ」を読んでいると、貴婦人の黒人奴隷に対応するときの心得が、繰り返し書かれているのですが、それによると白人は黒人奴隷には、常に優しく忍耐強く対応し、黒人の前で感情をむき出しにして、品位を喪うような言動は絶対にしてはならないというのです。
だから黒人奴隷が独り言を言ったり、黒人奴隷同士が話している事は、聞いて聞かぬふりをしなくてはなりません。
その話がいくら気に入らなくても、それと聞き咎めると、黒人と同等になるので、聞いて聞かぬふりをするしかないのです。
黒人側もそれがわかっているので、主人への忠告など、本来なら奴隷の立場としては言えない事は、
独り言として大声でいうのです。
当時はアメリカも完全な男尊女卑なのですが、しかしこれは中世的な騎士道における騎士と貴婦人の関係を模倣したものなので、女性の側はか弱く、優しく、美しく、しかし気品に満ちて、男性を立てる事を求められます。
しかし一方で、百人を超える黒人奴隷の管理をしていくのも女主人の仕事ですから、ホントにか弱く男に頼るだけではやっていけるわけもないのです。
そこで南部農園主の女性達は、子供の時から、このような貴婦人になるべく厳しくしつけられるのです。
暴言・暴行と言うは、感情の爆発です。
実に粗暴で下品な行為です。
こんな粗暴で下品な事を、貴婦人たる女性がこんな事をしてよいわけがないのです。
実際、「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラは、元来自己中で短慮で、南部理想の貴婦人にはほど遠い女性なのですが、しかしそれでも黒人奴隷に暴言を吐く、暴行するなどと言う事は絶対にしないのです。
ところが韓国の財閥の女性達は、これをやるから驚きです。
上位身分の女性が、こんな風に粗暴に振舞う国を、本当に「身分制」と言えるのでしょうか?
そもそも韓国の財閥では女性だけでなく、男性だって驚く程、下品で粗暴なのです。
日本では暴力団員でも、組長など幹部ならこんなに単純粗暴な事はやらないだろうと、思えるような言動を繰り返しています。
しかし本来の身分制では、上位身分の人間は、身分相応の品位が求められ、そしてその身分にふさわし振舞を幼児期から厳しくしつけられるのです。
そして身分の高い人間は、それにふさわしい品位を保つ事で、その権威と権力を守るのです。
権威により身分が世襲されるから身分社会なのです。
権威ではなく力のある人間が力のない人間に、やりたい放題、威張り放題というのは、身分社会ではなくむしろ実力主義の社会なのです。
例えば以前このブログで紹介したサマセット・モーム作中(奥駐屯地)の植民地総統は、イギリスの上流階級の出身なのですが、彼は炎熱のマレー半島奥地で、一人でディナーを食べる時も、イギリス式の正装をするのです。
そして使用人や現地人に対しては常に優しく礼儀正しく、しかし毅然としてふるまいます。
現知人の前で感情をむき出しに罵るようなことは絶対にやりません。
そんなことをしたら白人の品位を疑われてしまいますから。
彼は有能な人間とは到底言えず、だからこそイギリスで先祖伝来の資産を喪って、植民地総督として生活の糧を得なければならないところに追い込まれたのです。
しかしそれでも総督の仕事は結構ちゃんとやって、現地人からは尊敬されているのです。
だって人間は結構単純な者なので、炎暑の中でも常に端正な服装を崩さず、どんな時も感情を抑えて上品に礼儀正しく振舞う人を見れば、「この人は自分達とは違う。」「こんな人には適わない。」と思ってしまうのではないでしょうか?
つまり彼はそれだけで現地人から総統の権威を守るに十二分な敬意を得ているのです。
イギリスの植民地政策は、マキャベリズムを駆使して、現地の有力者を翻弄して、反抗を抑え込むことで成り立ったと言われます。
確かにそういう政策を行ったし、そういう政策を行う有能な政治家もいたでしょう?
しかし直接現地人に接するイギリス人の大多数が、そんなマキャベリストばかりであったはずもないのです。 だってマキャベリズムを駆使できるような人間はそんなに大勢いるはずもないし、またそういう高度な政治判断を要求される地位に就く人は極少数なのですから。
イギリスで植民地支配に当たった人間の大多数は、むしろモーム作中の総督のような人物だったのではないでしょうか?
そして階級制国家であるイギリスでは、このような人々を多数そろえる事ができたのです。
なぜならマキャベリズムを学ぶ事はできますが、誰でも学べばそれで成功できるようなモノではありません。
しかし服装を崩さない、目下の人間の前で感情をむき出しにしてはイケナイ、などと言う上位身分の人間として作法や振る舞いは、子供の時から躾ければ。誰でも身につくからです。
ワタシはそれがイギリスの植民地政策成功の根源ではないかと思うのです。
しかし財閥女性が粗暴犯になる韓国を見ていると、韓国と言う国ではこの種の品位そのものが理解されないのではないかと思うのです。
2002年のサッカーワールドカップの開会式での金大中夫妻のふるまいを、思い出してください。
あの開会式での金大中夫妻の天皇陛下御夫妻(現上皇陛下御夫妻)への無礼には、ワタシも本当に驚きました。
あの開会式で金大中夫妻は、天皇陛下御夫妻の通り道を通せんぼして、知らん顔をし続けました。
その様子が世界中に放映されたのです。
一国の大統領夫妻ともあろう者が、そんなミットモナイ姿を世界中にさらしてよいのか?
う、うちの近所の激安店の客でも、客同士他人の通路を邪魔しないように気を遣い合うし、うっかり邪魔してしまったら会釈ぐらいするのに・・・・・。
韓国の大統領夫妻は、うちの近所の貧困層並みの礼儀作法も知らない・・・・・。
でもああいう不作法振りを世界に誇示できることが、韓国人にとっては非常にうれしかったのではないでしょうか?
韓国人としたら「ウリの大統領夫妻は、日王夫妻なんかずうっとエライニダ!! エライから道なんか譲らないニダ!! これを見たら世界中の人がそれをわかるニダ!!」と言う感覚だったのではないかと思います。
つまり韓国の社会では力がすべてなのです。
しかし身分制社会と言うのは、身分の高い人は相応の品位を求められ、その品位を守る事で権威を維持する社会です。
その身分制の典型が、日本の天皇です。
天皇は政治権力を完全に失ってから1000年以上経つのに。その品位故に敬意を集めづけて現在に至るのですから。
けれども韓国人は品位など全く理解できないのです。
だから権力のある人間は、その権力を誇示する必要があるのです。
それも単純明快に、犬猫でも理解できるレベルで誇示しなければならないのです。
そして国民は力のある人間に従うのです。
その為、財閥夫人もまた暴言・暴行を恣にするのでしょう。
これは日本人の感覚から言えば、ヒトモドキそのものなのですが・・・・・。