http://synodos.jp/society/5917/3

ソースがやたらに長いので全文は貼りませんが、これは法政大学の法学部の教授が「ヘイトスピーチ」について書いた文章です。
ちなみに彼の「ヘイトスピーチ」に関する情報源は安田浩一の在特会に関する本だけで、それ以外は一切しらべていないようです。
また安田浩一がどういう立場の人間であるかも知っているかどうかわかりません。
それにしても呆れるのだけれど「「日本人とは誰か」について語ることは少ない」って何でしょうか?
この教授先生によれば在特会のデモや街宣は「ヘイトスピーチ」のようなので、その事だと思いますが、しかしデモや街宣で自明の事を語るって在特会でなくても稀でしょう。
そしてこれは何でしょうか?
>そもそもいわゆる「日本人」自体に多様性があるのではないか、という論点に関する問題意識は薄い。網野善彦の言葉を借りれば、日本を強調しているにもかかわらず、そこで語られているのは「なんとなく日本人、いつまでも日本人」(『日本社会の歴史(上)』岩波新書、ii頁)という日本人像でしかないのである。
この細野善彦と言う人が何を根拠にこんな事を言って、この法政大学教授氏が何を根拠にこれを信じているのかわかりません。

ワタシは在特会の会員ですから、自信を持って明言しますが、在特会にとって日本人の定義は明確です。
在特会にとって「日本人とは日本国籍を持つ人」です。
だからネットで良く言われるように在特会の会員には、朝鮮・韓国から帰化した人がいますが、彼が街宣中にその事を明言しても誰も彼を会から排除しようなどとはしませんでした。
そして「日本人とは日本国籍を持つ人」と言う定義は、別に在特会が特別なのではなく、むしろ世界中の政府機関の自国民の定義です。
世界中どの国も「自国民とは自国の国籍を持つ人」です。
どの国もこの定義に基づいて自国民と外国人とを区別し、出入国管理その他の全ての法的な処理を行っています。
ところが大変驚いた事に、この法政大学教授氏(しかも法学部教授!!)にはわからないようです。

と、言うのはこの続きにこんな事が書いてあるからです。
日本における多文化主義と多文化共生
この問題は、日本における多文化主義の受容という問題にも関わっている。多文化主義は、カナダの多文化主義政策や米国の多文化教育、ヨーロッパの移民政策など、国家内のさまざまな民族集団に注目し、平等な処遇を実現しようとする政治動向として展開してきた。近年では、一定の政策対応が定着する一方で、「多文化主義の失敗」が論じられるなど揺り戻しも見られる。今後多文化主義がどのような道をたどるかの予測は難しいが、いずれにしても日本において特徴的なのは、多文化主義の失敗以前に、そもそも多文化主義がこれまでほとんど注目されてこなかったということである。

自称進歩的知識人の大好きな多文化共生です。
しかし日本の「在日」つまり特別永住許可を持つ韓国人や朝鮮人と、カナダやアメリカやヨーロッパでの移民問題とは根源的に違うのです。
カナダもアメリカもヨーロッパの移民も、彼等はカナダ国籍、アメリカ国籍、そしてヨーロッパの居住国の国籍を持っている人を前提にした自国民の多文化問題です。
けれど在特会が問題にしているのは、多文化なんかではありません。
特別永住許可と言う民主主義国家としてはあり得ない特権を付与された外国人の問題です。
カナダもアメリカもヨーロッパも移民を受け入れていますが、しかし在留許可を世襲できる、凶悪犯、或はスパイ活動をしても強制送還されないなどと言う異常な権利を特定の外国の人間だけに認めるなどと言う事していないのです。

また積極的移民を受け入れている国は、移民を受け入れる事での利益を追求します。 そして移民は将来帰化する事を前提に兵役等の義務を課します。
例えばアメリカで永住権を取る為には徴兵登録が必要です。
日本の富裕層に人気の移民先シンガポールも「子どもが成長して17歳になれば、シンガポールでは外国人永住者にも兵役の義務が課せられます」
逆に言えば自国に忠誠を尽く意思のない外国人の永住など認めないのです。
兵役と言う国家への忠誠義務の踏み絵を踏ませる事で、自国への不利益を働くような外国人は排除するのです。
一方進んで兵役に応じるような外国人なら、永住権を与えやがて帰化を認めても問題はありません。
これは国家が国民の生命と財産を守る為に存在する事を考えれば、国民の安全を守る為に当然必要な処置です。

つまり日本以外の国で言う「多文化共生」とこの法政大学教授氏達、日本の自称進歩的文化人の言う「タブンカキョウセイ」は根源的に違うのです。
日本以外の国で言う多文化共生は、自国民同志の話です。
世界中の国の殆どは多民族国家です。 実は世界中でホントの単一民族国家と言うのは、韓国と北朝鮮ぐらいです。
移民国でなくても世界中の国は皆、国内に幾つもの民族を抱えているのです。
そう言う中で多文化共生と言うのは当然の話です。 そうでなければジェノサイトになります。 そしてそれを放置すれば内戦になってしまいます。
だから多文化共生と言うのは絶対必要なのですが、それはあくまでも自国民同志が民族や文化の違いを超えて、一つの国民としてお互いを認め合って仲良くしよう、そうする事で全て国民の利益を守ろうと言う話です。
ところが日本の自称進歩的知識人は、この民族と国籍の問題を意図的に無視して、外国人に自国民と同じ権利を与える事を「タブンカキョウゾン」と言うのです。
これはもう民主主義国家の存在意味を全く理解していないとしか言いようがありません。

前にも紹介しましたが太平洋戦争勃発直前、東条英機はアメリカ日系人の若者達に手紙を書き「君達はアメリカ国民だからアメリカの為に戦いなさい」と言いました。
東条英機は敗戦を招いた総理で軍人ではありますが、しかし民主主義国家における国民の意味は、今の日本の自称進歩的知識人などよりも遥かに明確に理解しており、その理念を守っています。
民主主義国家は国民の生命と財産を、自由と人権を守る為に存在します。 だからそれを守る為に最大限の努力をするのです。
「寛容」とか「タブンカキョウゾン」なんて妄想で自国民の利益を危うくする国家など民主主義国家ではないのです。
ところが戦後グローバル時代に生れた地球市民は全然それがわからないのです。
尤もそれは当然かも知れません。 この世に地球市なんて市はありません。
最初から妄想世界の住人なのですから。