DEI(多様性・公正性・包括性)と言うのは、現在欧米先進国を席巻しているイデオロギーです。
多様性・公正性・包括性と言うのは、どれも結構な話なので、実際それを実現できたら素晴らしです。
しかしワタシはこれを振り回している人達、欧米先進国の意識高い系の人々こそが、実は多様性や公正性や包括性からは最も縁遠い人達ではないかと思います。
先日こんな記事を拾いました。
記事はスイス在住のドイツ人女性観光客の意見を紹介しているのですが、彼女によると日本の自然は素晴らしいし、人々も親切だったけれど、英語を話せる人がすごく少ないので、日本人との会話を楽しむ事がほとんどできなかった。 また彼女はベジタリアンなので飲食店では、ベジタリアン用のメニューの有無を尋ねると、実にそっけなく「No」と返されてしまう。
そして記事はこういうのです。
キャロラインさんが住むスイスは地理的な要素や歴史的な背景もあり、スイス語、ドイツ語、フランス語、英語を話せるマルチリンガルの人が多いそう。だからこそキャロラインさんは、「日本は島国なので、ちょっと状況が違いますが、日本もこれからもっとグローバル化して、英語で会話できる人が増えると思います」と前向きに考えています。
スイスの公用語はドイツ語、フランス語、スイス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つで、これは善スイス人が義務教育で学びます。 因みにこの記事で言う「スイス語」はロマンシュ語の事だと思いますが、これはスイス国内だけに存在する言語です。
こういう国ですから、マルチリンガルの人が多いのは当然だし、また英語教育も徹底しているので、英語が話せる人も多いのでしょう。
しかし英語を話せる日本人が少ないのは、教育の問題だけではありません。 そもそもスイスの公用語4つは全てインドヨーロッパ語族で、文法その他の基本的な構成に多くの共通点があります。
また学問用語や抽象概念を表す言葉の殆どがラテン語かギリシャ語から来ているので、これらの言語では殆ど同じなのです。
因みに日本は明治初年に西欧の学問を学ぶにあたり、学問用語や抽象概念を表す英語やドイツ語は、漢語を使って翻訳しました。 お陰で現在、西欧由来の学問用語や抽象概念を表す言葉、日本だけでなく中国や韓国でも共通になっています。
これは日本人だけでなく、中国人や韓国人の西洋学問の理解に大いに役立ちましたが、しかしその分日本人もまた中国人や韓国人も、英語その他欧米言語を学ぶ時は、全ての学問用語や抽象概念を表す言葉を別に学ぶ事が必要なりました。
文法が非常に違う上に、共通語彙は皆無ですから、日本人が英語を学ぶのは非常に大変です。
それに現実問題として近年まで、京都など余程の観光地でもない限り、外国人の客が飲食店に入る事など皆無でした。
日本国内での仕事に英語を使う必要も殆どありませんでした。
しかし世界的にみると、インドヨーロッパ系に言語を使わない国の方が圧倒的に多いのです。
また言語教育のあり方も国により大きく違います。
アジア・アフリカ諸国でも、西欧諸国の植民地だった地域では、今も英語やフランス語が公用語になっているし、更に中等教育以降は全て英語やフランス語で行う国も多いです。
しかしこのドイツ人女性始め、欧米のインテリ、意識高い系の人達でも、こうした世界の国々の言語事情を理解していない人が多いのではないかと思います。
本当に多様性を尊重するなら、地理的に非常に遠く、文化も異なる日本では、英語が通じなくも不服はないはずでしょう?
またベジタリアンなど欧米独特の物です。 日本人の感覚ではゲンナリする程肉を多食する欧米の食文化があるから、ベジタリアンとかヴィーガンと言うのが意味を持つのです。
元々明治まで肉食の文化がなく、米と野菜と魚だけを食べてきた日本人にすれば、肉が嫌なら伝統的な日本食にすればよいわけで、敢えてベジタリアンとかヴィーガンとか言う必要もないのです。
この人は態々日本観光に来たぐらいですから、一応日本に興味はあったのでしょうが、しかしその割には日本文化には無関心で、来日前に最低限の日本語や日本文化理解にも努めなかったのでしょうね。
そしてEU内でも旅行している気分で日本を旅行していたのでしょう。
そして欧米基準で違和感があると、問題にするのです。
これって完全にDEIに反しますよね?
でもこれが欧米でDEIを振り回して、所謂意識高い系、お目覚め主義者とか呼ばれている人達の中身でしょう。
結局彼等は世界を欧米化したいのです。
イヤ欧米化させるべきだと思っているのです。
この姿勢は植民地支配に狂奔した19世紀の資本家た政治家達、また強権的にキリスト教化を薦めた大航海時代の宣教師、そして十字軍の騎士達と全く変わっていません。
だって彼等は自分を自分の国でのエリートと認識しているのです。
そしてエリートの証としてその信念を他人に押し付けたいのです。
この本性は十字軍の騎士も、大航海時代の宣教師も、植民地獲得に頑張る政治家や資本家たちも同じでした。
だから同じ仲間なのです。