昔「
海のラクダ 木造帆船ダウ同乗記」と言う本を読みました。
今、ネットで調べてみたら、1980年に中公文庫として出版です。
実はワタシ、海と船が大好きだったので、この本が出版されたとき、直ぐに買って読んだようです。
木造帆船ダウはアラブ諸国を中心に使われてきた帆船です。 「船乗りシンドバッド」が乗っていたのもこのダウだと言われ、船を数える時に使われる「隻」と言う言葉の語源もダウだと言う説もあります
随分と古い歴史を持つ帆船なのですが、しかしこれが古代とあまり形を変えず80年代まで実用船として使われていました。
この本は著者が実際に実用船として使われているダウに同乗した記録です。
この本の著者がダウに同乗した80年代当時は、殆どダウはアラビア半島を中心に、アフリカ大陸の東海岸やインド辺りまでを往来して、荷物や乗客を運んでいました。
著者は古代と変わらない帆船が、現在もなお実用船と使われている事に強く心惹かれ、ダウに同乗してその記録を残そうとしたのです。
しかし実際に乗船しようとすると・・・・ホモ地獄・・・・・。
ハッテン系のゲイの方なら天国でしょうが、しかしこの本の著者はゲイではなかったので以下に記述する状況は「地獄」としか言いようがなかったのです。
著者は最初ダウに乗船する為に、ダウが多数集まると言うクェート港に行ったのですが、その時の状況を筆写は「私は貞操の危機の感じた」と書いていました。
彼は港内でダウが集まっている船着き場に近づくと、通りすがりの男達から次々とナンパしてきます。
まだ17,8の少年が誘ってきて拒否すると、少年は筆写の後ろポケットに札を押し込んでくるのです。
また乗船できるダウを探してクェートに滞在中、フェリーで観光に行ったのですが、夜にフェリーで雑魚寝中に、いきなり隣に寝ていた男が抱き着いてきて「〇〇を貸せ!!」と喚きました。
筆写は恐怖に駆られながらも、必死でこの男を追い払い貞操を守りました。 しかしその後は一睡もできませんでした。
ワタシとしては美しいインド洋を走る帆船と言うロマンを求めてこの本を買ったわけだし、著者もそのような本を書く為にダウに乗ろうとしたのに、乗る前からこの有様です。
それでも著者は何とか貞操を守りきって、同乗できるダウを見つける事ができました。
著者が乗ったダウはクェートで食料品や雑貨を積み込んでアフリカ大陸の東岸ザンジバルに向かいました。
船長と船員が5~6名。 船員の国籍は様々ですが、アラブ人よりパキスタンやバングラディシュの出身者が多いようです。
それで船員達の母語も様々なのですが、一応アラビア語が共通語として使われています。
インド人もダウを使うのですが、インド人はインド人だけでインドのダウに乗ると言います。
こうしてせっかく乗り込んだダウですが、帆走は殆どせずに専らエンジンで走りました。 船長も船員達も帆を張るのが面倒臭いので、余程の順風でない限り、帆走はしないのです。
そして帆走したと思ったら、帆を揚げる為のロープがプッツンです。
ロープや帆の手入れも真面目にやっていないのです。
だって湾岸諸国はガソリンは安いのだし、目的地に着けば良いなら帆走なんかしたくないのです。
つまり乗員達はダウの帆走にロマンなんか全く感じておらず、その意味では純然たる実用船なのです。
ともかくそれでも数日後にはザンジバルに到着し、荷物を降ろしました。 荷物は積み方が乱暴だったため、随分と痛んでいました。 缶入りビスケットの缶がデコボコになったりしていたのですが、しかし誰もそんなに気しません。
荷物を降ろし、別な荷物を積み込むのに数日かかるのですが、その間に船員の何人かがやめて、新しい船員が来ました。
そのうちの一人が暇つぶしなのか、大声でコーランを朗唱していたので、煩くて溜まらず、黙らせる目的もかねて朗誦しているコーランの内容を聞いてみました。
すると彼は「子供の時から読み方の暗記はしたけれど、意味まではわからない」と答えました。
コーランはアラビア語ですが、ムハンマドの時代にメッカやメジナ周辺で使われていたアラビア語で書かれています。 しかしアラビア語も方言が色々あり、しかも千年以上も前の言葉と言う事で、アラビア語圏の人達でも唯読んだだけでは意味はわからないのです。
でもそこそこ育ちの良い人は、子供の時からコーラン学校に通って読み方だけは習うので、朗誦だけはできるのです。
因みにこの船員は荷主の親戚と言う事で、他の船員に比べたら育ち良いお坊ちゃまだったようですが、その為かアフリカを離れる前にやめてしまいました。
ともかくこうやって荷物を積みかえ、船員も入れ替わりました。 そして乗客も一人乗せて出航しました。 客は典型的なアフリカインテリで、いけ好かない奴でした。 ダウは遅いし乗り心地も良いわけじゃないけれど、飛行機等に比べたら料金は格安なのです。
要するにダウは誰でも何でも乗せるのです。
この感覚は19世紀までの西洋帆船と同じです。 ワタシはこの手の西洋帆船の本も結構読んだけれど、船員は多国籍で片言でコミュニケートし、何でも誰でも金になれば乗せるのです。 そして船員の入れ替わりは激しくて、港に着くたびに人が出入りします。
その意味ではホントに近代以前その物の世界ですが、しかしそれでも国から国へと移動する為、常に現実の国際情勢の変化にさらされます。
特にダウが活動する中東やアフリカ東岸は、国際的にも不安定な地域で、寄港予定先が突然入港禁止なるなど、予想外のトラブルが次々と起きてくるのです。
その為、船長は勿論船員達もこうした情報には敏感で、常にラジオのニュースを聴いたり、他の船の乗員同志話あって情報を集めています。
実際、著者が乗ったダウも、ザンジバルを出航して次の港入った時に、湾岸周辺の状況が怪しくなりました。 それで港にいたダウの船長達が、お互いの船を訪問しあって、情報を交換していました。
それで他の船の船長が来た時です。
著者の乗ったダウで賄いをしている老人が、この船長に抱き着き、顔を舐めまわしました。 賄いの老人は禿頭で白い髭が茫々なのですが、この船長の元カノだったのです。
だから船長も回りもこの熱烈な愛情表現に文句も言わないのです。
因みにこの船長は長身でまだ30代の初めのイケメンでした。 だから老人も彼を愛し続けたのでしょう。
別に全てのダウの船長船員がゲイじゃないのです。 実際船員の中には妻子がいて、寄港先で妻子に土産物を買って、それを妻子に渡すのを楽しみにしている人もいるのです。
船長に至っては文字通り港々に女ありです。
イスラム圏では公然と売春はできないのですが、文字通りの現地妻を持つ事は可能です。 一夫多妻ですから寄港地の女性と短期間の間結婚した事にして同棲するのです。
但し結婚して妻子を持てるのは、有能なベテラン船員で、船員の中では高給を得ている人だけです。
まして港々に現地妻となると、船長クラスでないと不可能なのです。
一方イスラム圏では、女性は全身をベールで隠し、男性親族と一緒でなければ外出もしませんから、下級船員など低所得男性は、買春どころか女性を見る事もできないのです。
だからこうした男性が多数集まる所を歩くと著者のような男性でも「貞操の危機を感じる」と事になるのです。
こういう世界ですから、この時代まではイスラム世界は、同性愛には非常に寛容でした。
イスラム教は教理では同性愛を禁じているのですが、しかし前記の若者のようにコーランを朗唱できても意味は知らないと言うイスラム教徒が多数います。 それどころかコーランなど全く読めないイスラム教徒の方が圧倒的多数派なのです。
これじゃ教理や戒律を厳密に守るなんて発想もないでしょう?
だからイスラム教発祥以来、近年までイスラム世界では同性愛には非常に寛容でした。 「アラビアンナイト」にも同性愛の話が多数出てきますが、同性愛を全く罪悪視していません。
トルコのスルタンはハレムに多数美女を囲いながら、一方で多数の美少年を侍らせていました。
しかしイスラム世界の原理主義化が進行するにつれて、同性愛への締め付けが厳しくなり、今はブルネイなど同性愛に極刑を課す国まで出てきました。
このイスラム教の原理主義化には、イスラム世界の教育レベルが上がった事、テレビの普及でイスラム教の教理をテレビで放映するようになった事が原因のようです。
尤も西欧ではほぼ同時期に、それまで歴史上長く続いた同性愛迫害を止める方向に動いてきました。 そして更にヘンな方向へ動いて男を女子トイレに入れる、女湯にまで入れるようなことまで始めました。
こうしてみるとどんな社会でも、人間社会が価値観を転換して、社会がオカシクなるのには半世紀ぐらいあれば十分なのでしょうね。
因みにこの著者の乗ったダウは、この後、船長が行方不明になってしまい、結局副船長が船長になって出航する事になりました。
しかし副船長の航海術が今一で結構危うい事態にもなったのですが、とりあえず無事にクェートに戻る事ができました。
ダウの船長達は天文航法は使えず、多くのダウはロランに対応する設備もなく、80年代ですからGPSは勿論く、船の進行方向と速度から位置を割り出すと航法だけに頼っていました。
これは原理から言えば海図さへ読めれば中学生でもできるのですが、しかし誰でも経験だけで学べる物ではないのです。
だから船員の中でも船長になれる人は限られているのです。
船長になれなくても船員として有能な人は、結婚して妻子を養う事ができますが、船員としての能力が今一だと、生涯独身のまま年老いて、体力がなくなれば船の賄いでもするしかないのです。
この辺りの厳しさも西洋帆船と同じです。
前記のようにワタシはこの本は、船と海のロマンを求めて読んだのですが、しかし今はイスラム世界の原理主義化について、そして西欧で荒れ狂うLGBTを考える上で最良の書ではないかと思っています。