金総書記の死去で思うこと 田原総一郎
12月19日の正午、北朝鮮の金正日総書記の死去が報じられた。現地指導に向かう途中、野戦列車の中で心筋梗塞に見舞われたと言われている。
僕は、金総書記の死去に関する報道を見ていて、不満に思うことがある。ひとつは、なぜ中国の動向を報道しないのかということである。僕は、北朝鮮は長い間、喪に服すことになると思う。50日か100日か。いや、もっと長くなるかもしれない。喪に服すことによって混乱をおさえ込む。 時間稼ぎをしているのである。そしてその間に中国が北朝鮮の上層部を説得する。「政府内に確執が生まれるのは北朝鮮のためにならない」「若い金正恩氏に問題はあるが、ここは秩序を保つべきだ」そんな説得から全面的な支援まで、結局は中国がすべて面倒を見る。
つまり、北朝鮮の後継体制のカギを中国が握っているのである。中国がどのような手段で金正恩氏を支援していくのか。これが見所なのである。ところが、日本のマスコミには、中国の情報がほとんど入ってこない。北朝鮮の動向をもっとも注視しているのは、中国の胡錦濤国家主席である。彼がどう動くか。北朝鮮問題のポイントがここにあるのだ。
もうひとつ、朝鮮半島がらみで僕が不満に思うことがある。12月17日に、韓国の李明博大統領が来日した。日韓の首脳同士が交互に訪問する「シャトル外交」の一環である。そして翌日、野田佳彦首相と京都迎賓館で約1時間の会談をした。その会談で野田さんは、経済分野で日韓がいかに協力し合うかをテーマにしようとしていた。ところが、李大統領は従軍慰安婦問題にばかり言及し、野田首相を追いつめたのである。マスコミ各紙は「会談は慰安婦問題で緊張」「賠償請求問題が再燃」といったトーンで報道している。しかし、僕は問題の捉え方が違っているのではないか、と思う。
そもそも李大統領は、慰安婦問題の解決について日本に期待していない。韓国では、来年4月に総選挙がある。12月には大統領選がある。今年10月のソウル市長選で与党は敗北しているため、李大統領は日本に強硬な姿勢を示さないとならない。韓国は「反日」で連帯するからだ。だから、ここで日本に対して強く出て国内での支持率を上げておきたいのである。慰安婦問題が持ち出されたのはそのような韓国の国内事情がある。
野田さんも少し誤解をしているようだ。慰安婦問題を「法的に決着済み」と伝えているが、一般的に「決着済み」というときは1965年の日韓国交回復での協定を指す。もしそうであるならば、野田さんはやや認識不足だろう。当時、まだ韓国は慰安婦問題を十分にわかっていなかった。これをもって「決着済み」と言うのは無理がある。それでも、1998年の小渕恵三内閣のときに金大中大統領が、「過去を問わない。未来志向でお互いの関係を発展させよう」と言っている。これでこの問題は、僕は「決着済み」だと思う。
ただ僕が問題だと思うのは、日本が慰安婦問題を総括していないことにある。総括をせずに曖昧なままにしている。僕たちは太平洋戦争についても総括をしてこなかった。戦争が終わったあと、極東軍事裁判でA級戦犯が処刑されるなどした。ただそれは、あくまでも連合国側が総括したのであって、日本が総括したわけではないのである。
金正日総書記の死去で、しばらくは朝鮮半島から目が離せない。政治情勢も大きく変わるだろう。>当時、まだ韓国は慰安婦問題を十分にわかっていなかった。これをもって「決着済み」と言うのは無理がある。
http://blogos.com/article/27850/
この田原総一郎と言う男が馬鹿なのか悪党なのかワタシは知りません。 或はもう老人性痴呆症が始まっているだけかもしれません。
>1965年の日韓国交回復での協定を指す。もしそうであるならば、野田さんはやや認識不足だろう。当時、まだ韓国は慰安婦問題を十分にわかっていなかった。これをもって「決着済み」と言うのは無理がある。
でなければこんな馬鹿な事は言えません。
ウィキで調べたら、田原総一郎は1934年生まれです。 ワタシは1954年生まれですから、ワタシが生まれた年にこの男は成人した事になります。
そして1965年に日韓条約が締結され、国交が回復した時には31歳になっていたことになります。
当然当時の性風俗にも常識的な知識はあったはずです。
1965年当時ワタシは11歳でした。 だからさすがに当時の性風俗は知りませんでした。
しかしその二三年後、中学生になって児童書以外の本や新聞を読むようになった頃には、戦時中慰安婦と言われる人達が居た事は知りました。
例えば当時の娯楽小説雑誌「オール読物」や「小説新潮」などには、かならず花街を舞台にした風俗小説が掲載されていましたが、それと同様戦場を舞台にした戦記小説も必ず出て居ていました。
しかし娯楽小説誌の戦記小説ですから、シリアスな物よりも兵隊と慰安婦の絡む、準風俗小説的な物が殆どでした。
しかもこのような小説を書いていたのは、有馬頼義など実際に出征経験があり、実際に慰安所に通った経験のある人達でした。
そのため描写も非常にリアルで正確です。
これは特別な事ではないでしょう?
現在でも娯楽小説や娯楽誌には、性風俗に関する小説や記事が多いではありませんか? それどころか不法滞在の韓国人の売春など明白な違法売春に関しても、別にさして罪悪視もせずに掲載しているのではありませんか?
実はワタシは当時、実際の性交渉と言うのはどうするのか全然知らないような状態で、この手の本を読んでいたのですが、それでも慰安婦と言うのは、女郎さんや花魁と同様、普通の売春婦であることは簡単にわかりました。
そして前線では慰安所に大行列が出来て、順番待ちで済ませるとか、朝鮮人慰安婦を兵隊の隠語で「朝鮮ピー」と言うとか言った話まで知りました。
また当時、これは戦前戦中だけではなく、1965年当時でも、男性は買春をすることには一切罪悪感を持たない、せいぜいAVビデオをレンタルしたり、ポルノ雑誌を買ったりする程度の感覚しか持っていないのだと言う事もわかりました。
AVビデオを借りたり、ポルノ雑誌を買ったりするのだって人に自慢できないし、できたらそんなモノよりももっと高尚な映画や本にする方が好ましいぐらいには皆思っているでしょうけれど、でも見て悪いか?って感じですね。
実際戦前から続く、つまり嘗ての色町や慰安所と同じシステムの公娼が廃止になったのは1958年です。 しかしその後も売春は盛んに続きました。
田原総一郎は1954年には成人しているのですから、赤線に通った事が無かったとは思えません。 別に通って悪い事は全然ないのです。
例えば井上ひさしは田原同様1934年生まれで、9条の会の看板会員でカソリック教徒ですが、自伝的な小説の中で、繰り返しその買春体験を書いています。
カソリック教会の学生寮から、寮費を滞納して、図書館の本を万引きしてそれを古本屋に売って、そうやって金を工面して買春費用を作った事を、実にあっけらかんと楽しげに書いているのです。
つまり田原世代にとって買春は恥でもなければ、女性の人権侵害でもなく、それどころか一人前の男が買春も出来なことが恥だというのが性意識でした。
当然の事ですが、1965年当時比較的若い世代に属する井上でこの感覚ですから、慰安婦の事が日韓条約に関して問題になるはずもないのです。
当時出征して兵隊として実際に慰安所に通った人々は40代半ば、社会の中核となる世代です。
慰安所は戦時中から全然秘密でもなんでもなく、別に出征しなくても普通の社会人なら皆その存在を知っていました。
つまり慰安所と言うのは軍専属の公娼であり、慰安婦は唯の売春婦で、賤業とはされてもその代りベラボウに高賃金であることなどです。
だって慰安所には全ての兵士が通うのです、秘密になんかできるわけはないのです。
また売春が完全に合法な社会で秘密にする必要など全くないのです。
1965年当時、日韓国交正常化交渉で慰安婦が問題にならなかったのは、それが軍の秘密で知る人が殆どいなかったからとか、日本が隠蔽したからではありません。
全くその逆なのです。
大人の全てがその実態を正確に知っていたから、全然問題にならなかったのです。
それにしても不思議なのですが、戦時に応召して慰安所に通った世代は、田原よりも10年余り年長になります。
この年齢差なら職場や親戚の飲み会などくだけた席で、男性同士、当時の体験をあけすけに語った人だって随分居たとおもうのですが・・・・・。
こうして何の問題もなかったはずの慰安婦問題が、突然大騒ぎになったのは1991年に朝日新聞が、慰安婦強制連行の捏造報道を初めてからです。
ワタシはこの時にはもう行かず後家になっていたのですが、しかし本当驚きました。 この慰安婦捏造特集が始まるまでワタシは結構普通に朝日の記事を信用していたのです。
少なくとも大新聞が意図的捏造をするとは思っても居ませんでした。
だから記事を読んだ後暫く母と二人でしきりに首をひねったのを覚えています。 母は大正12年生まれですから、勿論当時の慰安婦や慰安所の事は当時の成人の常識として知っていたのです。
そしていくらなんでもこれはオカシイ、これは親に身売りされた人の話ではないかと言う結論に達しました。
するとその数日後、朝日新聞にまたトンデモ記事が出ました。
あの「慰安婦=挺身隊」説です。
これには母と二人で腰が抜ける程驚きました。
挺身隊は戦時中軍事工場などで勤労奉仕をした組織です。 その多くは女子学生や有閑夫人でした。
だから当時女学生だったり、中学生だった人達の殆どがこの挺身隊に入っています。
そして戦後のその中の多くの人が当時の事をエッセイや小説に描いています。
例えば関西一のお嬢様学校の松陰女学園の学生だった田辺聖子さんがその当時を回想して描いた「欲しがりません勝つまでは」などNHKのドラマにもなりました。
イタリア文学の翻訳やエッセイで有名な須賀敦子さんは、皇后陛下の母校である聖心女学園の学生でしたが、当時が学校を挙げて連日軍事工場で長時間の労働をしたことをエッセイの中で回想しています。
また太宰治の代表作「斜陽」の主人公は、華族の令嬢ですが、挺身隊員として軍事工場で働いた事が描かれています。
戦時中を舞台にしてエッセイや小説を描けば、この挺身隊の話は殆ど嫌でも出てくるのです。
ところが朝日新聞の記者はこれを知りませんでした。
これはこの記事を書いた記者一人が知らなくても驚きなのですが、しかし新聞記事はブログじゃないのですから、記者一人が勝手に書いて掲載はできないでしょう。
全朝日新聞の記者のレベルがこの程度だと言うことなのです。
それは本当に衝撃でした。
つまり尤もらしい顔で「戦争について知ろう」とか「歴史を学ぼう」と言っていた連中が、しかも高学歴の自称知識人たちが、驚異的な無知蒙昧振りを晒したわけですから。
そして慰安婦騒動を持ち上げた本当の理由はつまり、この歴史への致命的な無知蒙昧だったのです。
つまり慰安婦のように余りに自明で当然であると事を、全然知らない人間達が、大量に出現した事によって、このような問題をでっちあげる事が可能になったのです。
1965年当時ではこんなデッチアゲは絶対不可能なのです。
人間当たり前すぎるぐらい当たり前の事は、敢えて語らないので、特に問題にはなりません。 歴史の中でそのようなモノを知ろうとしたら、小説や日記など当時の日常を描く物を丹念に読み込むしかないのです。
しかしそのような教養も常識もない人間達が、日本では知識人として通用していると言うのは、本当にショックでした。
あの朝日の捏造から20年、さすがに今ではかなりの人がこの捏造を知るようになりました。
しかし今でも田原のような事を言う人間が居るのには驚きます。
もう一度書きますが、日韓条約が締結された時、この男は31です。 赤線廃止はこの男が24歳の時です。
ウーマンリブなどが盛んになり売春を女性の人権に絡めて、利権を貪る人間が出て来たのは1970年代以降、この男が既に人気芸人になってからです。
そしてその頃、韓国では現在以上に売春が盛んで、当時韓国旅行と言えば、好色な中年男性の買春旅行とされていました。 つまり当時の田原の同世代の男性に大人気だったわけです。
外貨不足に苦しむ韓国は、国を挙げてこの日本人買春客を迎えたのです。
この歴史、と言うよりも体験を全部忘れたのでしょうか?
>1965年の日韓国交回復での協定を指す。もしそうであるならば、野田さんはやや認識不足だろう。当時、まだ韓国は慰安婦問題を十分にわかっていなかった。これをもって「決着済み」と言うのは無理がある。
この田原の発言で思います。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験」に学ぶと言います。
しかし本当の愚者は歴史にも経験にも学ばないのです。