三十三間堂
こんにちわ!管理人のウイスキーぼんぼんです。
今日は休日を利用して、京都へ御朱印巡りに行ってきました。正月三が日以来です。
まず訪れたのはここ、
三十三間堂です。京都の有名観光スポットのひとつで、京都旅行で訪れた人も多いと思います。
さっそく中に入ってみましょう!
早起きして朝8時過ぎくらいに到着したのですが、どうやら勘違いをしていたようで、開門時間は朝の9時でした。夏場と冬場で開門時間が違うようでした。夏場は8時から受付を開始しているようです。
待合室で開くのを待っていると、受付の前には観光客の長い行列が出来ていました。100人近く並んでいたのではないでしょうか。
三十三間堂(北東面)
三十三間堂は国宝に指定されている建物で、横に長いのが特徴です。三十三間とは長さのことで、1間がだいたい畳の長いほうの寸法で1820mm。それの33倍なので、その長さが分かっていただけると思います。カメラで建物の全貌を撮影することが難しいのですが、門をくぐったあとは観光客の多くが写真撮影に熱中していました。
蓮華王院 三十三間堂
http://sanjusangendo.jp/
と言っても国宝のこの建物よりも有名で、観光客が足を運ぶ目的になっているのが、この中にある
千体にも及ぶ千手観音立像です。
ただ、
お堂内の写真撮影が固く禁じられており、このようなブログなどにアップロードした場合も厳しく罰せられるとのことだったので、写真撮影は控えておきました。
事前に申請をしておけばウェブでの使用も可能なのですが、それは法人のみでわたしのような個人ブログでは何をどうやっても掲載不可能なのです。
というわけなので観光客は建物の外観を撮影するしかありません。圧巻の千体の千手観音は
グーグルなどで検索してみてください。
三十三間堂(南西面)
三十三間堂はファサードが幅広で、京都の長屋とはまったく逆転した外観が特徴ですが、構造面でも面白い建築です。
堂内にいろいろ解説がありました。
免震構造を備えているようで、基礎には砂と粘土を層状に堆積したものを用い、躯体は長押と柱を緩めに繋ぐことで揺れを逃がしているんだそうな。当時は地震災害による建物被害も大きかったようで、大工さんたちが知恵を絞った様子が伺えます。
また三十三間堂は
通し矢も有名です。
南から北に矢を射通す競技で、これは今でも祭事として行なわれています。
当時も今も、お堂の西側を南から北へ向かって矢を射るのだそうですが、矢を射損じたときに建物によく刺さったそうです。それを憂いた徳川家光が、三十三間堂の西側の柱に鉄板を貼って補強をしたそうです。上の三十三間堂の写真では少し分かりにくいですが、今でも鉄板の貼られた柱は残っていて見ることが出来ます。
法然塔
夜泣地蔵と手水舎
三十三間堂の堂内以外はあまり見どころがなく、内部の千手観音も写真で伝えることも出来ないのでパッとしませんが、だからこそ実際に足を運ぶ価値があるというものです。
強いてあげるなら
夜泣地蔵でしょうか。お地蔵様が手水舎にいます。
“夜泣”というワードに色々な解釈があるのですが、ここ三十三間堂の夜泣地蔵は一般的な解釈で大丈夫です。このお地蔵様へよだれ掛けを数日間奉納した後、自宅に持って帰って子どもに着用すると夜泣きがピタリと止むのだそうな。
三十三間堂 御朱印
これが
三十三間堂の御朱印です。
いちおう妙法院の境外仏堂にあたるらしく、御朱印はしっかりいただけます。
御朱印は三十三間堂内部、千手観音に囲まれながら僧侶の方に書いていただきました。
京都駅から清水寺に向かう途中にあるので、観光ルートに組み込みやすいスポットだと思います。お勧めです。
早起きして朝8時過ぎくらいに到着したのですが、どうやら勘違いをしていたようで、開門時間は朝の9時でした。夏場と冬場で開門時間が違うようでした。夏場は8時から受付を開始しているようです。
待合室で開くのを待っていると、受付の前には観光客の長い行列が出来ていました。100人近く並んでいたのではないでしょうか。
三十三間堂(北東面)
三十三間堂は国宝に指定されている建物で、横に長いのが特徴です。三十三間とは長さのことで、1間がだいたい畳の長いほうの寸法で1820mm。それの33倍なので、その長さが分かっていただけると思います。カメラで建物の全貌を撮影することが難しいのですが、門をくぐったあとは観光客の多くが写真撮影に熱中していました。
蓮華王院 三十三間堂
http://sanjusangendo.jp/
と言っても国宝のこの建物よりも有名で、観光客が足を運ぶ目的になっているのが、この中にある
千体にも及ぶ千手観音立像です。
ただ、
お堂内の写真撮影が固く禁じられており、このようなブログなどにアップロードした場合も厳しく罰せられるとのことだったので、写真撮影は控えておきました。
事前に申請をしておけばウェブでの使用も可能なのですが、それは法人のみでわたしのような個人ブログでは何をどうやっても掲載不可能なのです。
というわけなので観光客は建物の外観を撮影するしかありません。圧巻の千体の千手観音は
グーグルなどで検索してみてください。
三十三間堂(南西面)
三十三間堂はファサードが幅広で、京都の長屋とはまったく逆転した外観が特徴ですが、構造面でも面白い建築です。
堂内にいろいろ解説がありました。
免震構造を備えているようで、基礎には砂と粘土を層状に堆積したものを用い、躯体は長押と柱を緩めに繋ぐことで揺れを逃がしているんだそうな。当時は地震災害による建物被害も大きかったようで、大工さんたちが知恵を絞った様子が伺えます。
また三十三間堂は
通し矢も有名です。
南から北に矢を射通す競技で、これは今でも祭事として行なわれています。
当時も今も、お堂の西側を南から北へ向かって矢を射るのだそうですが、矢を射損じたときに建物によく刺さったそうです。それを憂いた徳川家光が、三十三間堂の西側の柱に鉄板を貼って補強をしたそうです。上の三十三間堂の写真では少し分かりにくいですが、今でも鉄板の貼られた柱は残っていて見ることが出来ます。
法然塔
夜泣地蔵と手水舎
三十三間堂の堂内以外はあまり見どころがなく、内部の千手観音も写真で伝えることも出来ないのでパッとしませんが、だからこそ実際に足を運ぶ価値があるというものです。
強いてあげるなら
夜泣地蔵でしょうか。お地蔵様が手水舎にいます。
“夜泣”というワードに色々な解釈があるのですが、ここ三十三間堂の夜泣地蔵は一般的な解釈で大丈夫です。このお地蔵様へよだれ掛けを数日間奉納した後、自宅に持って帰って子どもに着用すると夜泣きがピタリと止むのだそうな。
三十三間堂 御朱印
これが
三十三間堂の御朱印です。
いちおう妙法院の境外仏堂にあたるらしく、御朱印はしっかりいただけます。
御朱印は三十三間堂内部、千手観音に囲まれながら僧侶の方に書いていただきました。
京都駅から清水寺に向かう途中にあるので、観光ルートに組み込みやすいスポットだと思います。お勧めです。